2026年01月26日

カザフスタンの雪景色

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が19/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クイックすると拡大
12月1日に、カザフスタンの首都アスタナ(Astan/Астана)からカラガンダ(Karagandy/Қарағанды)まで車で移動いたしました。天気は60%が曇り空で時々、小雪も舞っていました。10%が霧で景色がほとんど見えない状態の時もありましたが30%がきれいに晴れました。晴れた雪景色を紹介します。最近は写真の保管容量を節約するために写真をクリックすると拡大する機能は控えていますが、上の写真は拡大するように設定いたしました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 英語    Karagandy/Karaganda
 カザフ語  Қарағанды
 ロシア語 Караганда

ここはマイナス20℃の世界なので降った雪は解けることもないのですが、乾燥した地域で雪が少ないため日本のように雪が深く積もることはないようです。枯草が見えていることからも、そのことがうかがえました。カザフスタンの制限速度は90km/hなので、この日は往復+αで約500kmを走りました。
クイックすると拡大

クイックすると拡大道路の前方の景色です。幅の広い片側一車線の道路ですが、ここを右の写真の3台のランドクルーザーで100km/h~140kmのスピードで走りました。
ただし霧と雪の時があったことと追い抜きは反対車線に入る必要があることとスピード違反の取締りが厳しいようなので結果的には目的地までの平均スピードは70km/hでした。
アスタナのホテルを9時24分に出発してカラガンダのレストランに着いたのが12時27分でした。
その走行距離は216kmでした。その間のトイレ休憩は11時10分から11時23分でした。
クイックすると拡大

クイックすると拡大遠くに鉄道が走っていました。
道路と鉄道ほぼ同じ方向に走っているために近くを列車が通ることもありました。
右の写真の重量級の列車が走っていました。人口密度は日本の約1/48です。
 カザフスタン 人口密度 6.891人/k㎡ = 1877万7000人  ÷272万4900k㎡
 日本 人口密度      333.7人/k㎡ = 1億2388万7000人÷37万7976k㎡
クイックすると拡大


カザフスタンでは珍しく木の多い景色でした。
どんなに太陽が照っても霧氷や樹氷が解けない景色は幻想的な世界でした。
クイックすると拡大

なにもない世界を走り続けると工場のある景色も珍しく感じてしまいました。カラガンダの北にあたるこの辺りでは石炭が採れました。今は掘りつくされたそうですが、その名残りか大きな製鉄所がありました。
ここから約40km進むと目的地のカラガンダです。
クイックすると拡大

休憩場所の24時間ドライブインを紹介します。この場所ではかなりの雪が降っていて霞んでいました。
上の沢山の写真は雪が降っていなくてクリヤーですが、タイトルが景色なのでクリアーな写真だけ選んで掲載させてもらったのです。
クイックすると拡大

ドライブインから進行方向の道路の写真を撮りました。休憩した時間は約13分(11:10~11:23)でした。食事はカラガンダに着いてからレストランで料理を食べました。
クイックすると拡大

フラッシュを使った写真はフラッシュが雪に反射して雪が降っていることがよくわかるので道路をバックにした記念写真を掲載させていただき真ました。


走ったルートをGoogle地図で紹介いたします。
休憩場所の地名はKrasny Kout(Красный Кут)です。
  出発地点(アスタナ)   休憩地点       到着地点(カラガンダ)
地図内のマークをクリックすると通過時間を表示いたします。
posted by SORI at 09:41| Comment(47) | TrackBack(5) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月23日

カラガンダの町の人たち

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が18/20です。
今日からイベントが4日間続くため、いただいたコメントへの返信や皆様のところへの訪問が1月26日まで出来ないことをお許しください。1月24日と25日は我家に12人が集まります。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

カザフスタンむの首都アスタナからカラガンダへの道沿いのお詫び:景色は何度も紹介いたしました。
今回はカラガンダの町の風景を紹介いたします。上の写真はカラガンダの入口付近です。この辺りからから徐々に町の風景になってきました。
ここでも信号機の横には信号が変わるまでの時間が表示されていました。
紹介する全ての写真は12月1日に撮ったものです。

建物が増えてきましたが、歩いている人はまだ少なかったです。カラガンダは、カザフスタン共和国のカラガンダ州の州都で カザフスタンでは、アルマトイ、アスタナ、シムケントに次ぎ人口では4番目の都市だそうですが、集計の仕方によっては2番目の都市だそうです。カラガンダという市名は、この辺りに群生している「オオムレスズメ」の名前(Caragana arborescens)に由来するそうです。


こちらの写真の縮小版はすでに紹介済みで。こちらはKazakh Drama Theaterと呼ばれている建物です。日本流に言えば「カザフ族演劇劇場」でしょうか。


これはカラガンダのシンボルである労働者の銅像(Miners Glory Monument)です。この像と道を挟んで大きな建物のThe house of minersがありました。昔は石炭の町で過酷な労働に耐えた鉱夫によって支えられた町のてめ、このような像や建物が建てられたのかもしれません。


こちらのクリスマスツリーを作っている写真も紹介しましたが、それがカラガンダだったのです。消防のはしご車がクリスマスツリー作りに活躍していました。


ショッピングセンターのような場所でした。


その近くを歩いている人たちです。


アパートのような建物も沢山ありました。


町の中の庶民の足はバスのようでした。次から次へとバスが来ていました。


町の人たちの服装もも紹介いたします。さすが極寒の地です。私が行った時もマイナス20℃くらいでしたが今はさらに寒くなっているようです。シベリアと似た感じの服装の方が多かったです。帽子は必需品のようです。


おばあちゃんとお母さんと赤ちゃんでしょうか。ほほえましい光景でした。


小学生くらいの女の子たちです。
学校帰りでしょうか。沢山の子供たちが周りにいました。


若い女性は分厚いフード姿が多いです。冬のお洒落なのだと思います。カラガンダはドイツとの関わりが強かった町のようです。欧米系の顔の人の比率が多い気がしました。


カザフスタンの代表的な都市名を紹介します。括弧内は英語です。
訪問したことがあるのはIMG_4977-400.JPG緑色の着色文字のアクトベ、アルマトイ、アスタナ、カラガンダの4都市です。 がその他。写真をクリックすると記事を表示します。
  アクタウ(Aktau)
アクトベ(Aktobe)
アルマトイ(Almaty)-最大の都市
  アラル(Aral)
IMG_4977-400.JPGアスタナ(Astana)-首都
  アティラウ(Atyrau)
  バイコヌール(Baikonur)
  バルハシ(Balqash)
  エキバストゥス(Ekibastuz)
  テュルキスタン(Hazrat-e Turkestan)
IMG_4977-400.JPG  ジェズカズガン(Jezkazgan)
カラガンダ(Karaganda)
  コクシェタウ(Kokshetau)、ククシェタウ、コクシェトゥ、コクチェタフ
  コスタナイ(Kostanay)
  クズロルダ(Kyzylorda)
  オラル(Oral)
IMG_4977-400.JPG  オスケメン(Oskemen)
  パヴロダル(Pavlodar)
  ペトロパブル(Petropavl)
  ルードヌイ(Rudniy)
  サルカンド(Sarkand)
  サトパエフ(Satpayev)
IMG_4977-400.JPG  セメイ(Semey)
  シムケント(Shymkent)
  タラズ(Taraz)
  タルディコルガン(Taldykorgan)、タルドゥイ・クルガン
  テミルタウ(Temirtau)
  ジャナオゼン(Zhanaozen)

より大きな地図で 訪問4都市 を表示
 2012年01月22日 掲載
 2024年12月20日 再掲載 閲覧数:6,078 nice!:115 CMT :18
 2024年12月21日       閲覧数:6,186 nice!:131 CMT :24
今日(2026年1月22日)からイベントが4日間続くため、いただいたコメントへの返信や皆様のところへの訪問が1月26日まで出来ないことをお許しください。1月24日と25日は我家に12人が集まります。
posted by SORI at 21:59| Comment(74) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月21日

極寒の地に馬達がいました。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が17/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

12月1日の午前中にカザフスタンのアスタナからカラガンダまで車で216kmほど走りました。
気温は-20℃近くまで下がっており家畜はほとんど見ることはありませんでしたが、上の馬たちを見つけました。これより以前にカザフスタンで馬を見たのはカザフスタンの最大の町であるアルマトイの近くのダムの観光用の馬だけでした。この寒さの中、で、このように放牧されたている馬を見ることが出来るとは思ってもいませんでした。この寒い中、人が馬に乗って付き添っていました。右の小さな写真は馬の写真を撮る直前の景色です。

この地図の青いラインがアスタナのホテル(A)からカラガンダの昼食のためのレストラン(B)まで走ったルートです。
この三台のトヨタ製LAND CRUISERで走りました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 カザフ語  Қарағанды
 ロシア語 Караганда
 英語    Karagandy/Karaganda
隠れてしまって見えませんが航空写真内の左上に出発地の首都アスタナがあります。

羊やヤギも見ることが出来ました。ただし家畜を見ることが出来たのは馬も含めて2回だけでした。
上で紹介した馬の時は、人が馬に乗って見ていましたが、こちらは完全な放し飼いのようでした。


上の写真はこちらの写真から切り取りました。 右側にも羊やヤギがいました。
カザフスタンは内陸にあり、車の出発地の首都アスタナでもマイナス40℃になることもあるそうです。
この時もアスタナのホテルから外に出るとマイナス20℃でした。
IMG_3513-1230-27.jpg

上の羊やヤギの写真はこの写真(11時36分55秒)から42秒前に撮りました。羊とヤギの写真は11時36分13秒に撮ったことになります。


冒頭の写真はこちらの写真から切り取りました。
IMG_3340-1230-27.jpg

この写真(9時54分51秒)から3分41秒後が馬が居いた場所です。撮ったのは9時58分22秒ということになります。
IMG_3513-1230-27.jpg

馬と羊などがいたあたりにマーク(M-30.gif)を追加しました。
本Googleマップは記事「カラガンダへの道」に掲載していたものです。→ポチッ
水色マーク()がその記事で掲載した写真を撮った場所です。

もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、珍しい場所(カザフスタン アスタナ~カラガンダ)の記事を2024年12月19日に再掲載させていただきました。
 2011年12月19日 掲載
 2024年12月19日 再掲載 閲覧数:1,744 nice!:74 CMT :28
 2024年12月20日       閲覧数:1,847 nice!:95 CMT :31
posted by SORI at 20:07| Comment(61) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月20日

カザフスタンのショッピングモール

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が16/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

カザフスタンの32万人の都市アクトベにあったショッピングモールMEGAです。2023年7月のストリートビュー(SV)で確認するとKeruen Cityとも書かれているので、Keruen Mall, Aktobeになったようです。ただしMega Aktobekの言葉も残っているようです。昼間に車で横を通ったので上の写真を撮りました。

こちらは翌日の早朝にモスクや教会を見るために歩いて散歩した時に同じショッピングモールMEGAを撮った写真です。広大な場所に名前の通り大きなショッピングモールが建っていました。
早朝のため駐車場には車もなく人もいませんでした。
手前に写っている道は道路ではなくショッピングモールの駐車場につながる誘導路です。
クリックすると拡大

すでに紹介したモスクと教会と国旗と泊まったホテルの位置関係を航空写真にマークしました。
青色マーク()が中央モスクで赤色マーク()が聖ニコラス正教会です。今回のショッピングモールは教会の近くの黄色マーク()の位置です。巨大な国旗があったのが緑色マーク()で泊まったホテルは空色マーク()です。早朝なので散歩できましたが昼間は38℃あったので歩くのは難しかったです。
ここは極寒/ 極熱(極暑)の場所でした。

より大きな地図で Aktobe を表示
ショッピングモールの店内も紹介します。こちらはアクトベのショッピングモールではなく同じ日にカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アルマティー)に飛行機で戻った時に興味があったので町の中にあるお店に入ってみました。すごい広さでした。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

それぞれの売り場が大きかったです。これはクッキー売り場です。この写真に写っている2倍くらいの広さにクッキーだけが並べられていました。肉売り場はもっと迫力がありました。全ての食材がこのような規模で売られていました。お寿司も売っていました。
クリックすると拡大

日本のお店では見かけないものが売っていました。 横で売られているレッドブルとは関係ありません。


こちらが拡大したものですが、生ビールの販売機です。
この容器にビールを入れてもらい家に帰って飲むそうです。
posted by SORI at 20:20| Comment(50) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月19日

巨大なカザフスタン国旗

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が15/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
カザフスタンのアクトベという町を早朝に散歩してモスクと教会を訪れました。もう一つ気になっていたところに行ってみました。それがこの写真の場所です。高いポールに大きな旗が風でたなびいていました。上の写真は是非ともクリックしてみてください。高さが実感してもらえるかもしれません。
ネットで調べたけれども、これは出てこなかったので正確な高さはわかりませんが、60m~70mではないかと思えました。もしかしたら、もう少し高いかもしれません。このポールの高さをご存知の方が、おられたら教えてください。

旗も遠くなので小さく見えましたが、かなりの大きさです。
この旗がカザフスタンの国旗です。おそらく15mを越える長さの旗だと思いますが強い風のおかげで、たなびいていました。


この旗は大きな公園の真中辺りに立てられており、周りには池などもありました。


カザフスタンの1人当たりGDPは11,415ドル、失業率は1999年に13.47%あったものが下がり続けて2013年には5.3%になり、独立直後の経済状況に比べ、クリックすると拡大著しい飛躍を遂げています。
この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型であるといえます。 採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在します。 輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占めています。 豊富な地下資源も、何もしなければ宝の持ち腐れですが、経済発展を成し遂げたヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領は、1991年12月16日の初代から2019年3月20日まで5期大統領を務め、絶大な人気で2011年4月3日の大統領選挙では95.5%の得票率でした。 参考に日本の失業率もプロットいたしました。大統領の写真はWikimediaから拝借いたしました。
ネットによれば2024年の184国中、カザフスタンの失業率は4.83%(84位)で日本は2.50%(24位)です。
参考ですが ドイツ3.40% 米国4.02% スイス4.34% 英国4.36% イタリア6.50% フランス7.40% です。

ポールの根元の部分です。根元にはいろんな飾り付けや文字が書かれていました。この裏側には大統領と思われる写真も取り付けられていました。ポールは亜鉛メッキのようでした。


さらに文字が読める大きさに拡大しました。残念ながら我々はカザフ語は分からないです。
写真をクリックすると同じ縮尺で広い範囲の大きな写真を表示します。


下から見上げるように撮った写真です。 迫力がありました。
ただしこの瞬間は風がなくて旗が垂れているのは残念です。


公園の入口の門からの写真です。入口から一直線に花壇が続いていました。
この写真はGoogle地図のカメラマーク(M-29.gif)の場所から撮りました。
Google地図で確認したところ公園の入口にある門から旗までの距離は470mです。
クリックすると拡大

上の写真と同じ方向からのGoogleマップのストリートビュー(SV)を紹介します。
こちらは2018年6月に撮影されたSVです。同じように花壇に花がいっぱいです。


航空写真で目いっぱい拡大して見ました。
Googleマップには Флаг Казахстана と書かれています。


緑色マーク()のところに巨大なカザフスタンの国旗が立っていました。紹介したモスク(青マーク)や教会(赤マーク)から近いところにありました。黄色マーク()はショッピングモールです。
Google地図の航空写真内のカメラマーク(M-29.gif)が巨大な国旗の上の写真を撮った位置です。
ネットで調べるとカザフスタンはカザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっています。
アジア系が60~70%というイメージは当たっていました。日本人に似た人も多かったです。


カザフスタン共和国の国旗(1992年6月4日~現在)
カザフスタンの国旗は1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立(1991年12月16日)した際に制定(1992年6月4日)されました。 ソ連時代に使われていた赤い色はなくなりました。
青地は空、中央の黄は33本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様で、この青地は、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴しています。クリックすると拡大中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとで、この地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表したそうです。
ちなみにウクライナの国旗も右のように青色と黄色でした。
クリックすると拡大

独立する前のカザフ・ソビエト社会主義共和国時代の旗を古い順に紹介します。
このころは赤が主体でした。真中は第二次世界大戦のころの旗になります。一番最近のものにはブルーの色が入りました。文字もなくなりました。下の国旗はクリックすると拡大します。 
     1937年~1940年          1940年~1953年          1953年~1991年
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

首都のアスタナにも、町の中に大きな国旗が建てられていたので紹介します。
アクトベの国旗よりも少し小さいようですが、それでもかなりの大きさでした。
posted by SORI at 17:32| Comment(51) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月18日

Hotel Dastan Aktobe 日本食がブーム?

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が14/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
すでにカザフスタンのアクトベのモスク教会などを紹介いたしましたが、ここの町はクリックすると拡大下の航空写真のように15km程度の範囲に入ってしまう町でした。その町で泊まったホテルが、前記事で紹介した右の写真のHotel Dastan Aktobeです。前日はカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アノマティー)でカザフ料理を堪能いたしましたが、こちらのアクトベでは、このホテルで種類はこだわらないでアラカルトで頼んでみました。アクトベ(Ақтөбе)はアクトベ州の州都で人口は約32万人の町です。この町で食べた料理を紹介いたします。最も驚いたのがアクトベの町で、上の写真の寿司が食べれたことでした。カザフスタンでは首都のアスタナでも日本食店はなく、日本食店があるのはカザフスタン最大の都市アルマティー(Almaty)だけと思っていたからです。

この地図の空色マーク()の位置が、ホテルの場所です。
マークをクリックすると名称を表示します。 モスクと教会はすでに紹介しました。
  Hotel Dastan
  モスク Nurgasyr Regional Central Mosque
  教会  St. Nicholas Orthodox Church in Aktobe 聖ニコラス正教会 

より大きな地図で Aktobe を表示
チーズたっぷりのシーフードサラダというところでしょうか。チーズがたっぷり乗っているところがカザフスタン風なのかもしれません。


こちらもチーズがたっぷ乗った「きのこ」のクリームシチューのようなソースの美味しい料理でした。味わって見て、こちらのホテルのレストランは一流の味であることが徐々にわかってきました。昼食で食べたボルシチもすばらしかったです。


ロシアの特徴である黒パンも出てきました。


クリックすると拡大これらを肴にしてビールです。写真のピントはバックのテーブルの方にあってしまったのでレストランの雰囲気もわかってもらえると思います。右の写真をクリックすると背景の山の絵の拡大写真を表示するようにいたしました。


こちらのレストランでは日本風の料理も食べれるのが特徴でした。肉がたっぷりの野菜炒めです。


こちらは、まさに焼肉でした。次のように日本食の飯類もありました。クリックすると拡大
 親子丼     Oyakodon                  550テンゲ 310円
 鰻玉丼     Una-Tama don              1500テンゲ 847円
 牛丼       Gyudon                   500テンゲ 282円
 シーフード焼飯 Tennpanyaki rice with seafood   1300テンゲ 734円
 野菜焼飯    Tennpanyaki rice with vegetables  550テンゲ 310円
 ごはん     Gohan                    500テンゲ 282円


こちらが冒頭の写真です。究極の日本食であるお寿司もありました。これには驚きでした。ここはカザフスタンの首都アスタナでもなく、最大の年アルマトイでもなく、日本人が住んでいるとは思えない砂漠の辺境の町アクトベなのです。そこで、お寿司が食べれるとは!
辺境の地ではありますが、人口はカザフスタン5番目(38万人)の町です。
サーモンと鰻のお寿司を頼みました。
クリックすると拡大

メニューのお寿司の部分ですが、メニューでは日本食の部分に4ページも使うほどの力の入れようでした。メニューはカザフ語とロシア語と英語の3種類が書かれています。左側がカザフ語とロシア語で右側が英語でした。クリックすると拡大するのでメニューが読めると思います。一番下の9品の「デラックス盛り合わせ(Delux Moriawase)」の寿司の内容を紹介いたします。値段は15000テンゲ(約8470円)です。「巻き盛り合わせ(Maki Moriawase)」かが5500テンゲ(約3100円)で、「寿司盛り合わせ(Sushi Moriawase)」が6500テンゲ(約3670円)でした。単品の巻物は550~1600テンゲ(310~900円)です。ちなみに一番安いのがカッパ巻(Kappa Maki)です。クリックすると拡大
   Sake Kunsei nigiri
   Unagi nigiri
   Izumi tai nigiri
   Maguro nigiri
   Hotate nigiri
   California maki
   Unagi maki
   Maki with baked salmon
   Philadelphia maki
クリックすると拡大

ホームページに、こちらのレストランの動画があったので紹介します。残念ながら日本食は出てこなかったですが、雰囲気は伝わってくると思います。


実は、ここは小さいホテルでしたがカザフスタンの大統領も訪問するほどのホテルでした。ホテルの壁には有名な人と思われる方々の写真が沢山飾られていましたが、この写真はその中の一枚です。


ホテルの中は日本風の絵が沢山飾ってあったことからも日本にこだわっていることが感じられました。


地方の小さなホテルではバーはあるけれども早くしまってしまうことが多いけれども、こちらではバーも遅くまでやっておりカクテルを楽しみました。


ついカクテルの、おかわりもしてしまいました。


クリックすると拡大ホテルの部屋も紹介いたします。アクトベには2度訪問し、この時(初めて訪問)も寝室と居間が分かれたタイプでした。ただし前記事でタイプとは違うタイプで、少し小さな部屋でした。
右のタイプの部屋だったように感じています。


長期に滞在する人にも対応できるようにしているのでしょうか。キッチンや大形冷蔵庫もありました。


少しアクトベを紹介いたします。ネットでの記載内容です。
ラテン文字表記はAqtöbe(またはAktöbe、Actöbe)。ロシア語ではアクチュビンスク(Актюбинск)と呼ばれる。
住民の民族構成は多彩で、カザフ人とロシア人を始めとして、ウクライナ人・タタール人・ウイグル人・チェチェン人・アルメニア人・ユダヤ人・ギリシア人などが住んでいる。ペレストロイカ以前はドイツ人の大きなコミュニティがあった。
アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来する。 1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始した。要塞は拡張され町も大きく整備された。1891年、アクチュビンスクという名の市に昇格した。1901年にはトランス・アラル鉄道も開通した。 ロシア第一革命ではボリシェビキが活発な反政府活動を展開、ロシア革命で完全にアクチュビンスクを掌握した。その後、戦略的に重要なアクチュビンスクをめぐって赤軍と白軍が激しい争奪戦を展開、1919年4月、アクチュビンスクは白軍の手に落ち、ボリシェビキの中央アジアへの連絡路は断たれた。しかし、9月になるとミハイル・フルンゼのボリシェビキ軍は激戦の上、アクチュビンスクを奪還、以降、タシュケントへの鉄路は赤軍の掌握するところとなった。1920年、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生し、その後、カザフ・ソビエト社会主義共和国のアクトベ州となる。 第二次世界大戦では、工場がロシアやウクライナから疎開、フェロアロイ工場やクロム工場も移転してきたため工業都市として飛躍することになった。1990年代以降、アクトベのヴォルガ・ドイツ人たちはドイツへと帰還した。
空色マーク()の場所がお寿司が食べれたカザフスタンのアクトベ(Aktobe)です。
すでに上で紹介したようにカザフスタンは首都アスタナ(Astana)でさえ日本食店はありませんでした。
カザフスタン最大の都市アルマティー(Almaty)でも日本食店は2~3店しかないことから首都アスタナや最大の都市アルマティーから遠く離れた、この場所で日本食が食べれたことが、どれだけすごいことかが、判ってもらえると思います。 画面の中のカメラマーク(M-29.gif)は次の記事の説明で使います。
プラスのアイコン(+)を12回~18回クリックするとホテルの位置がはっきり分かってくると思います。
posted by SORI at 21:36| Comment(60) | TrackBack(0) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする