2025年03月12日

大潮の時期だからこその珍しい光景 モンサンミッシェル

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日はモンサンミッシェルの最後の7つの記事を連続掲載します。
これでモンサンミッシェルの21の全ての記事が出そろいます。
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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルの大潮の時だけに出会える貴重な風景に出会えました。大潮で干潮の時に広大な干潟が現れて、その干潟を歩くイベントのために沢山の人が集まるのです。特に学校で企画された旅行で来る人たちを沢山見ました。

クリックすると拡大我々がモンサンミッシェルに着いた2016年5月9日は大潮の日(5月8日)の翌日でした。大潮前後の時の満潮時には水が押し寄せることから門の前の広場も水に浸かってしまうようで、その時間帯を示した貼紙が案内板に貼られていました。
Dimancheは日曜日で、Maiは5月を表しています。
右の2枚の写真はネットから転用させていただいたクリックすると拡大2015年3月21日の18年ぶりの大潮時の写真です。この時の水位は+14mだったそうです。通常の大潮は+9~12mのようです。今回を調べてみると潮位は+13mに達することから規模の大きな大潮で、上の案内板からも水が押し寄せることを実感いたしました。
案内板の貼紙には La Maree Arrivera Dans Cette Zone A: と書かれていました。
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クリックすると拡大右の図は参考に添付した大潮時と小潮時の、満潮と干潮の太陽と月の位置です。Mareeの意味は潮位の意味のようです。案内板を見た時も、書かれている時間が最高潮位になる時間と思いました。しかしネットで調べてみると最高潮位となる時間の約1時間25分前であることが判りました。つまり注意喚起のために、このあたりが水に浸かり始める時間を書いているのだと思います。
大潮と言えば満潮時の光景を思い浮かべますが、実は干潮時はいつもより水が引くことから特別なツアーが組まれているようでした。干潮の時間は書かれていませんが満潮と満潮の中間になるとすれば次の時間に近いと思われます。カッコ内数値は潮位です。満潮時刻と潮位はモンサンミッシェルの公式Webページに書かれていたものです。
滞在中(5月9日12時15分~5月10日16時20分)が赤色です。
                満潮時刻(潮位)        干潮時刻(推測)
 2016年5月08日 09:04(12.95m) 21:22(13.00m)  02:51 15:45
 2016年5月09日 09:48(12.70m) 22:04(12.65m)  03:35 14:01
 2016年5月10日 10:31(12.15m) 22:45(12.00m)  04:17 13:44
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初日の5月9日はモンサンミッシェルの対岸に12時15分に到着して、マイバスの使途が手配していただレストランで有名なオムレツを食べて、宿泊ホテルにチェックインをした後に、連絡バスに乗ってモンサンミッシェルに着いたのが13時50分でした。最干潮の約10分前に来たことになります。そこで見た光景がこちらの写真です。沢山の高校生(あるいは中学生)たちが半ズボンで集まっていました。
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水の引いたモンサンミッシェルの周囲の干潟を歩くツアーのようでした。
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モンサンミッシェルの頂上である修道院を目指している時に、門の前の広場で出会った泥歩きツアーの高校生たちを、モンサンミッシェルの上からも見ることが出来ました。右から左に歩いています。
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修道院を見学し終わって干潟を見ると戻っての泥歩きツアーの人達を見ることが出来ました。時間は15時50分だったので2時間ほどのツアーだったようです。
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もうすぐ門の前の広場です。
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広場に下りてみると別の人達が歩いている光景も見ることが出来ました。16時23分なので満潮までは、まだ5時間41分あるので安全な時間帯でした。
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滞在2日目となる2016年5月10日の朝にも泥ツアーをみかけました。早朝に出発して戻って来る人たちでした。
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クリックすると拡大校旗と思われる旗には文字が書かれていて、「Aumo.... St. REMBERT」と読み取れました。
ネットで調べた範囲ではSt. Lambert High Schoolがありました。St がSaintであれば聖Lambert高校となります。それにしても、きわどい時間でした。5月10日は潮位が+12.15mの満潮になる時刻は10時31分だったのです。それに対してこの時の時刻は満潮の1時間34分前の8時57分で、海水が迫ってきていたと思います。案内板にも海水が迫って来る時刻は9時00分と書かれていました。
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やはり急いでいる感じがしました。
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やっと、たどり着けた雰囲気がありました。
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水位が上がってくる前に、無事に戻れてきて先生もほっとしていることでしょう。
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上の泥の干潟を歩いた人たちがファニルス倉庫の手前の右側の洗い場に直行して足を洗っていました。



2日目の昼過ぎは泥ツアーの出発光景を沢山見かけました。
モンサンミッシェルからの景色です。手前の塔はTour du Roiです。
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門の前の広場にも、これから出発するグループが集まっていました。
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こちらは別のグループです。
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泥に入り始めたところです。
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かなりの集団でした。
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一列になって歩いていました。
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列の先頭にはワンちゃんがいました。
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そのワンちゃんを拡大いたしました。
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こちらの別のグルーブは別の方向に歩いています。
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これもまた別のグループです。
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上の2つのグルーブを一緒に撮った写真です。広さが判ってもらえると思います。この時14時2分でした。干潮時刻は13時44分で18分経過していました。満潮までは8時間43分あるので十分に安全な時間帯でした。写真をクリックすると、さらに広さが実感できると思います。
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今回で連絡道路の方向の写真の中で、海が最も満ちた状態がこちらです。2016年5月10日10時02分なので満潮(10時31分)の29分前です。上で紹介した8時57分の状態から約1時間でここまで潮位が上がるとは想像がつかないと思います。周囲が海になっていることが実感できる写真です。
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この2枚の写真を比べてもらうと右の写真ま橋の下が、全て海水となっていることが判ってもらえると思います。
2016年5月09日15時06分            2016年5月10日10時02分
干潮から1時間5分後                  満潮の29分前
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前年の 2015年3月21日の大潮の写真 潮位+14m ネットから転用
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満潮に最も近い時刻に撮った2016年5月10日10時26分の海の写真です。満潮の5分前です。連絡道路が写っていないけれども中州が上の写真より小さくなっている具合から水位が高くなっていることが想像されます。
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ネット内に2015年3月21日の大潮の日の動画があったので追加で掲載いたします。
posted by SORI at 21:47| Comment(36) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

撮影ポイントの橋からのモンサンミッシェル

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日はモンサンミッシェルの最後の7つの記事を連続掲載します。
これでモンサンミッシェルの21の全ての記事が出そろいます。
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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルは下記のスケジュールでパリから往復の1泊2日のツアーでやってきました。帰りは16時20分に泊まったホテル(Relais Saint-Michel)で、マイバスの日帰りツアーの人達と待ち合わせて帰るので早めにホテルに戻ってきました。実はホテルのすぐ横にある橋が撮影ポイントであることを知っていたので早めに帰ってきました。上は撮影ポイントの橋の上から撮った写真です。結局は今回のツアーではモンサンミッシェルに28時間5分(1泊2日)ほど滞在することが出来ました。パリを出発から戻るまでで計算すると36時間40分のツアーでした。写真はクリックすると拡大しますが、特別に大きく拡大する写真を3枚使っています。この写真も特別な一つです。
 1日目 07時30分 パリ出発
 1日目 12時15分 モンサンミッシェル到着 すぐにランチ
 1日目 13時30分 ホテルチェックイン
 2日目 16時20分 ホテル出発(待合わせ時刻)
 2日目 20時10分 パリ到着

橋からの距離は下の航空写真のように島の中心部分まで2.05kmです。この日は朝から雨模様で100mm~400mmのズームレンズはホテルにおいて行きました。14時を過ぎると天気が良くなってきたのも早くホテルに戻って100mm~400mmのレンズで写真を撮るのも目的の一つでした。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
  撮影ポイントの橋


撮影ポイントの橋を横から撮った写真です。左側にモンサンミッシエルがあります。橋が架かっているクエノン川(Couesnon川)は左から右に水が流れています。
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橋を少し斜めから撮りました。橋は水門が取り付けられたダム(Barrage sur le Couesnon)のモンサンミッシェル側に作られた展望橋だったのです。
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橋の上流側の写真です。このような水門が沢山取り付けられています。ダム(堰)の目的はダムからタイミングを見計らって勢いよく水を流してモッサンミッシェルの周囲に溜まった泥を沖合に流すことだそうです。今回のツアーは大潮の翌日で、満潮時にモンサンミッシェルが陸から完全に離れて島となる現象であったことからダムの効果は出ているのだと感じました。
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橋の脇から見たモンサンミッシェルです。この時はまだ24mm~105mmのレンズで105mmで撮りました。
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こちらも橋の脇から見たモンサンミッシェルです。上の写真より橋側から撮りました。
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ダムにはベンチが設けられていました。人が座っているところより前側が展望用の橋で、後ろ側がダムです。
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航空写真で見るとダムと一緒になった橋であることが判ってもらえると思います。プラスのアイコンをクリックすると拡大いたします。


橋の中央あたりが撮影ポイントです。
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橋の欄干の幅が広いのでカメラが固定しやすかったです。


撮影ポイントの橋の中央から東側の景色です。泊まったホテルがある方です。大きな木と建物に隠れてホテルが見えませんが目の前にあります。
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橋の中央から西側の景観です。泊まったホテルの反対側です。モンサンミッシェルは橋から見ると北にあります。橋の床は板張りです。モンサンミッシェルを見るために作られた橋であることが覗えました。
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橋の中央から焦点距離28mmで撮ったモンサンミッシェルです。この写真はクリックすると一番幅広く拡大するように設定しましたので、周辺との雰囲気が一番感じてもらえると思います。
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ホテルに預けていた100mm~400mmのレンズに取り換えて焦点距離100mmで撮ったモンサンミッシェルです。
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橋の中央から西側に移動して撮ったモンサンミッシェルです。写真を撮った焦点距離は100mmです。
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こちらは210mmで撮った写真です。空気が完全にクリアーになっていないので少し霞んでいるのが残念です。
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島の左側(西側)を400mmで撮りました。
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島の右側(東側)を400mmで撮りました。
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山の上の修道院を400mmで撮りました。流れて来た雲で時々、塔が見えなくなるような天気の中では、比較的きれいに撮れたと思います。
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今回の記事がモンサンミッシェル最後の記事です。最後に今回の撮影ポイントで最も日があたった写真を掲載いたします。クリックすると特別に大きく拡大いたします。撮影ポイントで写真を撮った後は、16時20分に泊まったホテルでマイバスの日帰りツアーの人達と合流してパリに戻りました。28時間5分ほど滞在したおかげでモンサンミッシェルだけで、下記の21の記事を紹介することが出来ました。着色されたタイトルをクリックすると記事を表示しますので興味があるタイトルがあればクリックして見てください。
クリックすると拡大 モンサンミッシェル 旅行中に掲載
 モンサンミッシェル・ツアーに出発
 モンサンミッシェル名物ふわふわオムレツ
 宿泊ホテル ルレ・サンミッシェル
 連絡道路からのモンサンミッシェル
クリックすると拡大 素敵な一枚
 海沿いの外周城壁の道 モンサンミッシェル
 モンサンミッシェル島内で一番細い路地
 モンサンミッシェルを見ながらの夕食
 モンサンミッシェルの朝食
クリックすると拡大 モンサンミッシェル2日目の修道院への道
 巨大な車輪はなに?
 モンサンミッシェル修道院 有料見学エリア
 前後に運転席を持つ無料連絡バス
 大潮の時期だからこその珍しい光景
クリックすると拡大 一番人気のレストランでランチ La Sirène
 吊り看板
 モンサンミッシェルの大通りグランド・リュー
 大通り沿いの小さな礼拝堂 Église Saint-Pierre
 モンサンミッシェルで2番目に細い道路
 撮影ポイントの橋からのモンサンミッシェル
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posted by SORI at 09:51| Comment(22) | TrackBack(4) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大通り沿いの小さな礼拝堂 Église Saint-Pierre

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前記事においてモンサンミッシェルで最も賑う通りであるグランド・リュー(Grande Rue 大通り)を紹介いたしましたが、その大通りの途中に小さな礼拝堂がありました。上の写真で右の階段を上がったところです。クリックすると拡大

入口の左側に女性戦士の像が立っているのですぐに見つけられると思います。この女戦士は、おそらくジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)ではないかと思います。ジャンヌ・ダルクはイングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収めたことでフランスで最も尊敬されている女性の一人です。
この礼拝堂の名前をGoogle地図で調べてみるとÉglise Saint-Pierreと書かれていました。Église Saint-Pierreを日本語で書くとサン・ピエール教会になります。
入口の右側にはPORTE de la MISÉRICORDEと書かれていました。Miséricordeはカトリックにとって特別な言葉で、行事を示しているようです。Porteはドアや入口を表す言葉のようです。我々も入ってみることにいたしました。
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狭い道の前に建っているので教会の全景は撮ることが出来ませんでした。
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外壁にはマリア像が彫り込まれていました。モンサンミッシェルの頂上には修道院付属教会がそびえたっていますが、こちらの教会は、ここに住んでいる人たちの日々の生活の中に溶け込んだ教会であるような気がしました。
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こちらが内部です。タイトルで小さな礼拝堂と書きましたが、立派な大きな教会だったのです。外からは全景が見えなかっただけなのです。大型カメラはミラー音が大きいので、以降は音が出ないように設定しているG7Xで撮影いたしました。
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こちらが正面の祭壇です。
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内部は厳かな雰囲気が漂っていました。
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マリア像の礼拝場所もありました。
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修道院の教会は全て幾何学模様のステンドグラスでしたが、こちらの教会のステンドグラスは人を中心とした絵が描かれていました。
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教会から出て来るところでもう一枚、入口の写真を撮りました。
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教会の裏の奥には墓地がありました。左側が教会の建物です。
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さらに高い位置にも墓地が作られていました。
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中央が教会の塔です。その左側が教会の屋根です。全体は写っていませんが大きさが想像していただけると思います。
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修道院の参道となっている大通り(グランド・リュー / Grande Rue )沿いには、このように屋外で礼拝が出来る場所もありました。
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航空写真で見ると今回紹介のサン・ピエール教会( Église Saint-Pierre)が結構大きいことが判ってもらえると思います。
 ━━ 大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
  サン・ピエール教会(Église Saint-Pierre) 大通り沿いの教会
  モンサンミッシェル修道院・付属教会 岩山の頂上に建つ巨大な教会
posted by SORI at 08:58| Comment(14) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンサンミッシェル2日目の修道院への道

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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。そしてモンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在して、5種類の着色された道を全て歩いてみた結果として、すでに紹介したように連絡道路エリアから修道院に行くためのルートは次の①②③の3種類があることが分かりました。1日目は②のルート(━━)で修道院の入口まで行き、2日目は③のルート(━━)で修道院の入口まで行きました。1日目のルートは先日紹介させていただいたので本記事では③のファニルス城壁の門から修道院入口歩いた順に紹介したいと思います。
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口
  ラヴァンセ門(前哨門)
  ファニルス城壁の門
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
滞在時刻 滞在時間
島内 修道院内 島内合計 修道院内 修道院外
1日目 13:50~16:20 14:12~15:25 2時間30分 1時間13分 1時間17分
2日目 09:04~16:20 09:21~10:22 7時間16分 1時間01分 6時間15分
合計 9時間46分 2時間14分 7時間32分

それでは紹介を始めたいと思います。こちらのファニルス城壁の門から入りました。門の奥にある建物はファニルス倉庫と呼ばれています。
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ファニルス城壁の門に近づきました。この門はPorte Echaugetteと書かれていました。日本語を検索しても出てこないのでEchaugette門と呼ばせていただきます。門の左側の低い位置に設置された狭間窓(銃眼 / 銃口)が気になります。地面近く設けられていることから地面に置いて使用する大型の銃器のためのものだと思われました。
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こちらが狭間窓(銃眼 / 銃口)です。
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修道院の方は自然の断崖絶壁がそのままで自然の地形を利用した要塞であったことが覗えました。
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門をくぐるとファニルス倉庫が大きく見えてきました。建物の下が通路になっていました。
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ファニルス倉庫の手前の右側に洗い場がありました。泥の干潟を歩いた人たちが足を洗っていました。もし干潟を歩く機会があるときはこの場所を覚えておいてください。上の写真で右側を歩いている人たちが足を洗いに向かっている方々です。洗い場がある建物は地図にはGendarmerieと書かれていることからフランス警察の詰め所のようです。


ファニルス倉庫と呼ばれている建物をくぐると坂道が真っすぐに続いてました。正面がイギリスとの100年戦争時代の要塞としての名残でもあるガブリエル塔です。モンサンミッシェルはイギリスに周辺の都市が占拠されたにも関わらず、一度もイギリスに陥落することがなかった難攻不落の要塞としても有名な場所だそうです。
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これがガブリエル塔(Tour Gabriel)です。
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ガブリエル塔の前から登ってきた坂道を振り返った景観です。
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ガブリエル塔の右側にあった小さな門をくぐると道が続いていました。
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道は海辺まで続いていました。
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よく見るとウェットスーツの人が漁をしているようでした。今は満潮に近い時間帯で海水がありますが、干潮時には干潟になります。そのような場所で奈良が採れるのでしょう。気になりましたが確認の使用がありませんでした。
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この時も勢いよく水が満ちてきていました。水の勢いを見てもらいたくて動画を撮りましたので是非ともクリックしてみてください。ウエットスーツの人も写っています。川が左の方向にあるので本来は左から右に静かに水が流れるはずなのですが、川の流れに逆らって右から左に向かって海水が勢いよく流れているのが確認できると思います。


道は行き止まりになっていました。後で知ったのですがこの先に小さな礼拝堂があります。干潮時にのみに行くことが出来るサントベール礼拝堂です。この岩の上に登っても見ることが出来ないようです。
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撮った写真の中でサントベール礼拝堂が写った写真を探した結果、クリックすると拡大泊まったホテルの少し西側にある橋からの下の写真に、サントベール礼拝堂の一部が写っていました。
一番左端の岩の向こう側にサントベール礼拝堂が写っているのが判ってもらえると思います。夕食時にホテルのレストランから撮った右の写真にはサントベール礼拝堂はほんの僅かしか写っていないので、少しの角度の差で下の写真が撮れたのだと思います。
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行き止まりの場所から振り返ったガブリエル塔の景観です。
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このようなものがありました。これはおそらく雨樋ではないかと思われます。
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猿の像のようにも見える雨樋を拡大いたしました。
雨樋と思ったのはパリのノートルダム寺院ガーゴイル(gargoyle)と呼ばれる雨樋に似ていたからです。
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ガブリエル塔の屋根も見事なので写真を撮りました。
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ファニルス倉庫から登って来た道はガブリエル塔のところでU字形に曲がりさらに登り坂が続きました。その先にも塔が建てられていました。これもモンサンミッシェルを敵から守るための塔だと思われました。
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坂の途中からファニルス倉庫を間近で見ることが出来ました。
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塔のところから道は、また左にU字形に曲がっていました。
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ここから攻めてくる敵を攻撃するように作られたのだと思います。この要塞の鉄壁の防御になっていたのは干満の大きな非常に危険な干潟の中にある高さ約80mの岩山の上に要塞が建てられていたことで、おそらくここまで攻め入ることも出来なかったように感じました。
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先に進むと、今度は人工の絶壁で守られていました。
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一直線に伸びた石で出来た構造物がありました。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものでした。
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その石の線路の最下部の部分です。このリフトに関しては後日に詳しく紹介したいと思います。
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ここまでは坂道ばかりでしたが初めての階段が現れました。
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階段を登り詰めると細い石の道が続いていました。朝の9時15分ごろと言うこともあり歩いているのは我々だけでした。
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そこから見上げても、修道院はまだまだ上にありました。
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細い石の道は続いていました。このあたりはかつては住居地区ではなかったと思います。現在はモンサンミッシェル島内に住んでいる人数は41名(2013年)で、昼間に仕事に従事している人のほとんどが、島外から通っておられるそうですが、かつては1182名(1851年)も住んでいました。
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細い石の道からの景色です。
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さらに医師の道が続きます。
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石の道は行き止まりになっていて小さな門がありました。
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差の小さな門をくぐると沢山の観光客の人達が通る道に出ました。
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さらに進むと修道院の入口に向かう道に合流いたしました。


こちらが修道院の入口です。階段にワンちゃんのマークが見えます。ワンちゃん同伴はここまでで、この先にはワンちゃんは入れません。つまりワンちゃんに寛大なフランスでも、修道院の有料エリアにはワンちゃんは入れないのです。それでもここまでワンチャンを連れて来ている方を沢山見かけました。
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修道院の入口で待っているワンチャンを沢山見かけました。おそらく交代で修道院の中を見に行っているのだと思います。見るところが結構あるので、相手の方が戻って来る約1時間ほど、ここで待つことになると思います。
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別のワンチャンも修道院入口で持っていました。ここまで登って来るといい運動になったと思います。
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大通り(グランド・リュー / Grande Rue )でも沢山のワンチャンを見かけました。同じように修道院の入口の前から交代で内部を見に行くのだと思います。
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こちらは1日目の連絡道路で撮ったワンちゃんです。
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今回は1枚もモンサンミッシェルの全景の写真を掲載していなかったので、最後に掲載いたします。Echaugette門から修道院入口まで歩いたルートを空色のラインで示しています。高いところで水平に近いところが、上で石の細い道と紹介したところです。クリックするとよくわかると思います。
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posted by SORI at 07:32| Comment(14) | TrackBack(5) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前後に運転席を持つ無料連絡バス モンサンミッシェル

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日はモンサンミッシェルの最後の7つの記事を連続掲載します。
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モンサンミッシェルを背景にして撮った連絡バス(シャトルバス)です。今回は、この連絡バスの報告をさせていただきます。以前はこのあたりには大きな駐車場が作られており観光バスや自家用車でモンサンミッシェルの近くまで来ることが出来ました。もっと昔には、右下の絵はがきのように線路も敷設されて蒸気機関車で来れる時代もありました。クリックすると拡大しかしながら道路や駐車場によって潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積して陸地化が進んだことで、昔のような海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。そのために駐車場を撤去して干潟に戻し連絡道路も橋化が行われました。一般の車を近づけなくした代わりに、対岸のLa Caserne(ラ・カゼルヌ)とモンサンミッシェルを結ぶ無料の連絡バスの運行が行われるようになったものと推察いたします。

上の写真の連絡バスを拡大いたしました。バス降場に停車している連絡バスの写真です。クリックして拡大するとナンバープレートのCN-706-KOを読み取ることが出来ます。この場所は降り場専用で、帰る人を乗せるために、すぐに連絡バスは反対車線のバス乗場に移動いたします。
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モンサンミッシェルを背景にした連絡バスの写真をさらに3枚紹介いたします。連絡道路を走っている連絡バスです。ホテルのレストランから夕食を食べながら撮った写真です。モンサンミッシェルまでは直線で2kmの距離です。写っている連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのでしょうか? 戻ってきているのでしょうか? 判りますか。
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上の写真と同じ構図ですが連絡バスの位置と大きさが違います。
こちらの写真は6秒後の写真です。つまりこの連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのです。
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上の写真から切り取って連絡バスを拡大いたしました。モンサンシェルに向かっているのに手前に運転席があるように見えませんか。
つまり今回の記事の本題は連絡バスの運転席に関係したことだったのです。
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連絡道路を歩いている時に連絡バスが横を通ったので写真を撮りました。さて、この車はどちらの方向に進んでいるのでしよう。ヨーロッパでは、車は右側通行です。つまり連絡バスは右奥の方向に進んでいるのです。でもどう見ても後ろに運転席があるように見えるし、バスの正面の顔でもあります。連絡バスはバックで走っているのでしょうか。でも運転席の中に運転手が見当たりません。本題とは関係ありませんが、こちらの連絡バスのナンバープレートはCN-706-KOなので、冒頭の写真に写っていた連絡バスでした。
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上の写真では運転手が運転席にいるかどうかが判りにくいので拡大いたしました。運転手がいないことが判ってもらえたでしようか。この写真で前後で差があることに気が付きました。モンサンミッシェル側の客席の窓が下側に広いのです。他の写真と比べてみてください。走りながらモンサンミッシェルがよく見えるようにしている配慮なのでしょうね。実はこの写真と後で紹介する室内の写真からエンジンルームの場所が想像出来るのです。
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これが正真正銘の手前に走って来る連絡バスです。運転席に運転手が乗っています。ライトの色は違いますが、バスの正面は前も後ろも同じ顔(同じデザイン)をしています。つまりモンサンミッシェルの連絡バスは前にも、後ろにも運転席があるのです。線路の上を走る電車と同じなのです。サイドミラーは進行方向側にしか見えないことから、自動で出し入れされるようです。運転席が前後にあるだけではありません。横の2枚のドアも左右に同じようにあるのも、電車と同じです。ナンバープレートはDH-050-RMでした。
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同じバスが我々を追い越して後ろ側を見せてくれました。やはり前側と同じ顔をしています。ナンバープレートが同じDH-050-RMです。駆動輪は判りませんが、方向舵輪は進行方向側に切り替わるのでしようね。排気のマフラーは前後にも左右にも見当たらないので電気自動車かもしれません。ただし未確認です。脚の不自由な方や車イスOKのシールも張られています。
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こちらはモンサンミッシェルから撮った連絡道路です。バス降場とバス乗場の位置で判るように連絡バスは島内には入らずに運行されていました。おそらく環境に配慮した結果なのだと思います。
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バス降場とバス乗場のあたりを拡大いたしました。この写真でも判るように、運転席が前と後ろにあるのは、連絡道路でUターンせずにスムーズに運行するために考えられたシステムだと思います。バス降場からそのままバス乗場に向かうだけなのです。運転手は運転席を変わるだけで進行方向が変わります。
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バス降場に停まっている連絡バスの写真です。
2016年5月10日14時10分36秒撮影
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上の写真の1分後の写真です。同じバスがバス乗場に移動した写真です。ナンバープレートはDH-050-RMです。2016年5月10日14時10分46秒撮影
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バス乗場に停まった連絡バスを見ると、連絡道路でのUターンは難しいことが判りました。2016年5月10日14時10分49秒撮影
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バスの車内の写真も紹介します。モンサンミッシェルからホテルに帰るときの写真です。前方向が対岸です。車内も前後で対象になっている思っていましたが、対岸側の運転席の後ろには進行方向を見る座席がありませんでした。
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どうやら対岸側の運転席の後ろがエンジンルームになっているようです。
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バスから降りて、乗って来た連絡バスを撮りました。バスの車体の下半分は木で出来ていました。やはり木は柔らから感じが致します。 ナンバープレートはCN-693-NOでした。
今回、撮った写真から確認できたナンバープレートはCN-706-KOと、DH-050-RMと、CN-693-NOの3種類でした。
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バス停は マークの4ケ所です。モンサンミッシェル島側に1ケ所と対岸の駐車場&ホテル地区であるLa Caserne(ラ・カゼルヌ)に3ケ所です。まさに対岸のラ・カゼルヌとモンサンミッシェルを結ぶ便利な連絡バスなのです。我々も初日は泊まっていたホテル前から乗って、帰りはお土産を売っているお店の近くで降りました。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
  レストラン La Rôtisserie
  撮影ポイント → ポチッ
  無料連絡バスのりば
 ━━ 無料連絡バス
 ━━ 徒歩
 ━━ パリからの  到着場所(2016年5月09日 12時15分) パリ ⇒ モンサンミッシェル
 ━━ ホテルからの出発場所(2016年5月10日 16時20分)       モンサンミッシェル ⇒ パリ
posted by SORI at 06:43| Comment(30) | TrackBack(2) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吊り看板

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日はモンサンミッシェルの最後の7つの記事を連続掲載します。
これでモンサンミッシェルの21の全ての記事が出そろいます。
 2/7 クリック→       
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大モンサンミッシェル島内でガレットを食べたお店La Sirène の記事で人魚の吊り看板を紹介しました。島内、特に大通りグランド・リュー(Grande Rue)には魅力的な吊り看板があったので紹介したいと思います。

Google地図に紹介する吊り看板の位置を記載いたしました。
大通り沿いのの順に紹介します。右上のガレットを食べたお店の看板はです。
 ━━ 大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ 海沿いの外周城壁の上の道 
 ━━ ファニルス城壁門からの道
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
 ━━ モンサンミッシェル島内散策路


Au Pèlerin
こちらは大通り沿いの礼拝堂Eglise Saint-Pierreの前にあったお店の吊り看板です。Au Pèlerinと言う名のスナック&バー(Snack-Bar)のようです。おじいさんの絵が可愛らしい吊り看板でした。Pèlerinは巡礼者を表しています。絵のおじいさんは 巡礼者なのでしょう。
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La Cloche と La Vieille Auberge
右の建物の黒い鐘と緑の吊り看板にLA CLOCHEと書かれています。クレープが食べれるレストランでBarもやっているようです。右の赤い吊り看板にはLA VIEILLE AUBERGEと書かれています。トップアドバイザーのモンサンミッシェル編に登録されている27軒の中にもLa Vieille Aubergeの名前がありました。やはりレストランのようです。
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La Croix Blanche
こちらも一度紹介した吊り看板です。モンサンミッシェル島内で一番細い路地をテーマにした記事でした。ホテル兼レストランのLa Croix Blancheの吊り看板です。吊り看板にà la Croix Blancheと書かれているので分かってもらえると思います。こちらもトップアドバイザーの中に入っていました。
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RESTAVRANT SPIERRE
ガレットのランチを食べたLa Sirène の前のレストランです。前日(1日目)に、このレストランでアイスクリームを食べました。
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La Sirène    窓からカメラを持った手を出して吊り看板を撮りました。
クリックすると拡大クリックすると拡大すでに前記事で紹介したレストランLa Sirèneです。
こちらでガレットのランチとデザートをいただきました。
2階の席から目の前の吊り看板を撮った写真です。
2枚の内右側の写真が私が食べたガレット(蕎麦粉のクレープ)です。レストランでの食事の記事→ポチッ
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Les Lutins
こちらは土産店です。名前はLes Lutinsです。
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La Licorne
趣のある吊り看板が写っていたので切り取りました。


Hotel La B?????
名前は一部消えていて完全には読めませんが、帆船の絵をあしらったホテルの吊り看板です。
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郵便局
吊り看板に書かれているPOSTEが郵便局を表しています。
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右側の建物にPOSTEと書かれた吊り看板がかかっていることが判ってもらえると思います。王の門(ロア門)が正面に見えます。
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郵便局を大きく撮った写真です。LA POSTEと書かれた下に入口があります。
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入口から中に入りました。ここから手紙を出すとモンサンミッシェルの消印が押された手紙が届きます。
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郵便局には現代風の吊り看板も下がっていました。
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La Mère Poulard
ふわふわオムレツで最も有名なお店です。日本語でも「プラールおばさんのオムレツ」のお店として名前が知られています。書かれている人物が創業者のプラールおばさんです。
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こちらがお店の写真です。こちら以外にも沢山のお店が島内にありました。ホテルやお土産屋さんもあることから、かなり事業を拡大したというイメージでした。ふわふわのスフレオムレツが世界的に有名となりましたが、実はそれだけになくプラールおばさんが残した700のレシピが存在するそうです。日本など世界にも出店している有名なお店です。クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
その女性を紹介します。
 俗名 Mère Poulard
 名前 Anne Boutiaut
 仕事 コック Cuisinière
 生れ 1851年4月16日 Nevers
 結婚 1873年1月14日 Paris (21歳)
 死没 1931年5月07日 Mont Saint-Michel (80歳)
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posted by SORI at 06:14| Comment(18) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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