2026年04月02日

妹背の滝(いもせのたき) 雌滝と雄滝

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今はモロッコの記事をブラシュアップ中ですが、クリックすると拡大先日の記事で紹介した厳島神社に行った時に宮島の対岸の泊まった場所の近くに滝があったので紹介します。 
滝の名前は妹背の滝(いもせのたき)で雄滝と雌滝があります。 
妹背(いもせ)は「夫婦」あるいは「夫婦の仲」のことだそうです。
こちらの写真が落差50mの雌滝です。 
住所は広島県廿日市市大野です。

Googleマップに登録されていた上の写真に近いストリートビュー(SV)で妹背の滝の雌滝を紹介します。
直下からの妹背の滝の雌滝のSVはこちらです。→ポチッ


こちらが妹背の滝の雄滝で落差は30mでした。
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妹背の滝の雄滝もGoogleマップに登録されていたストリートビュー(SV)を紹介します。


こちらが妹背の滝(雄滝/雌滝)の説明の石碑です。 
この石碑の位置の住所は広島県廿日市市大野1494です。
石碑には「古来詩人文人の探訪しげく寛政七年浅野藩主をはじめ文政三年秋頼杏坪徳川末期永恭などの文人詩歌が古文書に遺っている」と説明されています。
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廿日市観光協会のサイトから滝で修行している写真を転用させていただきました。
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妹背の滝(いもせのたき)は大頭神社の奥にありました。
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Googleマップのストリートビュー(SV)で上の写真の鳥居を探してみました。


鳥居をくぐって進んで行くと大頭神社が見えてきました。
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こちらが大頭神社です。 大頭神社は嚴島神社の摂社として、今から1423年前の推古天皇11年(603年)に創祀されたと伝えられていて、大野地域の氏神様として、また疫神退散の象徴として古く全国から崇敬を集めているそうです。源流の異なる2の妹背の滝(雄滝/雌滝)の合流点でもあることから良縁・夫婦の滝とされているそうです。
 住所 広島県廿日市市大野5357
 電話 0829-55-0378
 最寄 大野浦駅[出口]徒歩22分
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こちらが大頭神社の説明です。 クリックして拡大すると説明が読みやすいと思います。
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道沿もいい雰囲気でした。
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厳かな雰囲気が漂っていました。
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妹背の滝の位置をGoogleマップで紹介します。 嚴島神社からの徒歩でのルートも書き込みました。 フェリーのでの移動も入れた徒歩で約1時間40分と表示されました。


近くの海辺からの宮島の景色です。近くには宮浜温泉などの天然温泉もありました。
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下のモノクロの写真は私が3歳から小学校4年まで広島市井口町に住んでいた家の庭からの景色です。 岩山は男明神です。 今は海が埋め立てられて同じ場所から海を見ることは出来なくなりました。 
ただしカラー写真のように男明神の周辺だけは公園にして池も作り昔の雰囲気が残されているのです。



しかしながら妹背の滝の辺りの海は大規模な埋め立は行われていないことから、昔ながらの岩山も残されていて、私が住んでいた頃の雰囲気を感じることが出来ました。 右端の島は宮島です。 SV
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Googleマップに登録されていた空からのストリートビュー(SV)も紹介します。 
こちらのSVの中心線あたりに妹背の滝(いもせのたき)と大頭神社があります。

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posted by SORI at 18:34| Comment(20) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月25日

厳島神社

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ケンタッキーの記事をブラシュアップして掲載中ですが、日本の記事を掲載させていただきます。
宮島は3歳から小4まで広島に住んでいた時に行って以来の訪問でした。
連休中に往復2000kmの墓参り(山口県)に行った時に、戻る途中に一泊して宮島(厳島)に行ってみました。 宮島に行ったのは2026年3月21日でした。
連休中ということもあり、沢山の人が訪れていました。 
例えば、灯籠の横から記念写真を撮るために200人近い人の列が出来ていました。 御朱印を押してもらう人の列は500人くらいのように思える人でした。

厳島神社の回廊です。 
連休中で日本人が多かったですが、普段だったら外国人が目立っていたと思います。 広島駅で降りる外国人が多かったので、外国人の旅行は原爆ドームと厳島(宮島)がセットのように感じました。
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もう一枚の回廊の写真を紹介します。
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大鳥居の近くから見た、水の引いた海からの厳島神社です。まさに海に浮かぶ神社です。
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干潮だったので大鳥居まで行けました。
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近くまで行って撮った大鳥居です。
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大鳥居の柱の太さが実感できる写真も掲載します。 是非、写真をクリックして拡大写真を見てください。
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厳島神社は朱色のイメージですが、朱色ばかりではありませんでした。
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上の写真を撮った近い場所からの大鳥居の方向の写真です。
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行きの連絡船から見た大鳥居です。 この時は人が大鳥居には近づけない水位でした。
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沢山の連絡船が運航されていました。 その中で私が乗った連絡船はこちらです。 連休で沢山の人が来ていましたが、驚いたことにまったく待たされることなく乗れるほどの沢山の数の連絡船が運航されていたのです。 沢山の船が運航していますが会社は2社で、私が乗った宮島松大汽船と、JRでした。
宮島松大汽船は広島電鉄グループの海運会社です。
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往復500円でした。 右が往復乗船券で左が厳島神社の入場券です。 両方とも安い印象でした。 
厳島神社は大人500円 高校生200円 小中学生100円でした。
記念のために掲載しました。 乘る時に気が付きましたが、乗船券を買わなくても、いつも電車に乗っているICカードで乗れましたが、乗船券が記念になったので、知らなくてよかったです。
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帰りに土産物店街である表参道商店街を通って人の多さを実感しました。 
私のように前に進みたい人にとっては、まさに身動き出来ないという感じでした。
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厳島神社はすごい人でしたが、人が少ない場所もあったのでその写真を4枚紹介します。
1枚目はこちらです。
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こちらが2枚目です。
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3枚目です。
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最後の4枚目です。 場所の名前はこれから調べます。
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宮島から戻る時の船の中です。
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宮島口駅側(本土側)に着きました。
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広島電鉄宮島線の終点駅の広電宮島口駅です。
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懐かしい電車なので電車を拡大させていただきました。
広島と宮島口の間の井口という場所に3歳から小学4年の夏まで住んでいました。
小学4年の夏に神戸の岡本に引越して神戸市本山第一小学校に通いました。 
写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定しました。
広島の井口では広島市立井口小学校でした。→ポチッ
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幼稚園の遠足で宮島に来た時の写真を紹介します。 幼稚園の名前は聖モニカ幼稚園でした。 
私は前から2列目の左から3人目です。 母は前から4列目の右から2人目です。


Googleマップの航空写真で、私が広島で住んでいた家()の周辺を紹介します。 太い赤色ラインが当時の海岸線です。 参考記事→ポチッ
緑色ラインは小学校に通った道で、紫色ラインは幼稚園に通った道です。
右の写真が家の庭から見えていた海の中の岩山(男明神)です。船が浮かんでいるように我々が住んでいた頃は漁港でした。男明神と漁港辺りは公園として残されていますが、周辺は住宅地や学校などになりました。


広島で住んでいた家の庭からの正面の景色です。


大鳥居と嚴島神社もGoogleマップの航空写真で紹介したいと思います。
瀬戸内海は南海の巨大地震でも津波に対しては四国で守られているのだと感じました。


3D気味の航空写真でも紹介します。


Google自身が撮ったストリートビューでも厳島神社を紹介します。  SV0 SV1 SV2 SV3 SV4 SV5
沢山の人も、個人で撮ったストリートビューを登録しています。  SV6 SV7 SV8 SV9 SV10 SV11
posted by SORI at 21:35| Comment(26) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月29日

広島での初めての従妹夫婦との食事会 活きウマヅラハギ 海の幸・磯の坊

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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2024年の3月に関西から関東の自宅に帰る時に、お彼岸(3月17日~3月23日)には少し早かったけれども山口県の周防久保の墓参りをしてから帰ることにいたしました。すでに紹介したように、いつもならば、徳山まで新幹線で行き、そこから周防久保駅の近くの墓参に行くにはクリックすると拡大バスかタクシーかJR岩徳線で行っていました。それ以前、母が長時間歩ける場合は新岩国まで行き、叔父さん(母の弟)の車で周防久保の墓まで往復してもらっていました。今回は広島に住んでいる従妹が車で広島と周防久保を往復していただくことになり、クリックすると拡大墓参りをして広島に戻って昼食で一緒に広島のお好み焼きを食べて、原爆ドーム平和記念資料館縮景園を案内してもらいました。そして前々から約束していた「広島で一緒にお酒を飲む」を実現させてもらいました。タイトルで「広島での初めての」と入れさせていただいたのは、クリックすると拡大今までに従妹夫婦とお酒を主体とした夕食を一緒にしたことがあったのは下関で1度だけだったからです。昼食では、法事などで下関や岩国や徳山や周防久保などで数回ありました。上の写真はこの日のメインデッシュは、水槽か生簀で泳いでいたウマヅラハギ(フグ目カワハギ科)です。

従妹夫婦は広島駅から歩いて10分の最高の場所に住んでいて、美味しいお店も沢山あると思いますが、この日は日曜日でオフィス街の飲食店の多くはお休みの中で選んでもらったのが、下記の海の幸・磯の坊でした。お店の写真を撮り忘れてしまったのでGoogleマップのストリートビュー(SV)で紹介します。このお店は広島駅にも従妹夫婦の家にも近い場ででもありました。


写真を撮る前に乾杯して飲んでしまいました。
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こちらがお店の生簀と水槽です。水槽にはウマヅラハギが沢山泳いでいます。クリックすると拡大生簀には平目や鯛などが入れられていました。かなり大きな魚も入っていました。生簀があるお店に入ったのは久しぶりでした。右の生簀の写真をクリックすると特別に大きく拡大するので、中の魚が判ると思います。
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こちらがお通しです。
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こちらのじゃこ天は絶品でした。従妹夫婦は良く知っているので美味しいものを選んでくれました。おろし生姜ではなく、辛子なのが印象的でした。
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広島と言えば牡蠣です。牡蠣フライも出てきました。やはり美味しかったです。
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こちらは私が希望したものです。活きアジがあるのでつい注文してしまいました。さすが瀬戸内海です。
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そして、ついにウマズラハギが出てきました。やはり活きカワハギ系の刺身は美味しいです。魚を捌くのに時間がかかるので私が着く前に最初に注文したそうです。そのほかは私が着いてから注文しましたが、それでも付出し(お通し)を除いてウマズラハギの前に3品出てきました。
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お魚の上に乗っているのは肝だと思われます。さすが水槽か生簀で泳いでいただけのことはあり新鮮でした。ウマズラハギの分類を紹介します。
ウマズラハギは地方によっていろんな呼び方があります。カングリ(秋田県男鹿半島付近)、ゲンパ(千葉県)、コウグリ(新潟県)、コウゴリ/バクチコキ(富山県)、ウマヌスト(三重県)、ウマヅラハゲ/だいなんはげ(和歌山県)、オキアジ(鳥取県)、こきめんぼう(島根県浜田市・山口県下関市)、ツノギ(岡山県)、ハゲ(広島県)などです。右下の写真はフリー百科事典のWikipediaから転用させていただいたウマズラハギカワハギです。クリックすると拡大
  界 動物界     Animalia
  門 脊索動物門   Chordata
 亜門 脊椎動物亜門  Vertebrata
  綱 条鰭綱     Actinopterygii
 亜綱 新鰭亜綱    Neopterygii
 上目 棘鰭上目    Acanthopterygii
  目 フグ目     Tetraodontiformes
クリックすると拡大  科 カワハギ科   Monacanthidae
  属 ウマヅラハギ属 Thamnaconus
  種 ウマヅラハギ  Thamnaconus modestus
 漢字 馬面剥
 別名 鑢魚/ヤスリウオ(皮膚をヤスリとして利用)
 英名 Black scraper
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いろんな部位が楽しめます。表面をあぶってたたきに下のではないかと思います。さすがカワハギの種類で活魚なので歯ごたえがありました。
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薄造りの身の上に乗っているのは白子だと思います。
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薄造りの美味しさを感じていただけるでしょうか。数十分前には泳いでいたウマヅラハギです。
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水槽はカワハギが主に入れられていました。
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もちろんビールは追加しました。今度は飲む前に写真を撮りました。
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こちらは追加で頼んだイワシの天婦羅でしょうか。新鮮な魚の熱々の天婦羅はやっぱり美味しかったです。
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日本酒も飲みました。広島の亀齢酒造のお酒なまちょです。地元の冷酒はやっぱりよかったです。広島はどちらかと言えば「柔らかな甘口」が多いそうですが、このお酒は「すっきり辛口」でした。クリックすると拡大クリックすると拡大
 名前 亀齢酒造株式会社
 住所 東広島市西条本町8番18号
 電話 082-422-2171
 杜氏 西垣 昌弘
 創業 1898年(明治31年)
 屋号 吉田屋
 商号 亀齢(キレイ) 
 SV https://maps.app.goo.gl/HwMeSD39hNt96cWZA
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つい玉子焼きも頼んでしまいました。
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お店を紹介します。広島駅の北口から海の幸・磯の坊( )まで徒歩で402mです。海の幸・磯の坊から泊まったホテル( )までは558mで、泊まったホテルから駅の北口まで324mでした。
 名前 海の幸 磯の坊
 住所 広島県広島市東区光町1-8-11
 電話 082-263-6220
 営業 11:30〜13:50 17:00〜23:00
 定休 無休
 位置 海外も含めて食事したレストランの地図で表示→ポチッ


参考に食事したレストランの地図を紹介します。レストランのアイコンをクリックすると掲載した記事のURLを表示します。食事した話題性のあるレストラン国内320店、海外188店の、合計508店をプロットしています。
ラベル:刺身 広島
posted by SORI at 16:43| Comment(26) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月23日

縮景園

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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広島の平和公園で原爆ドーム平和記念資料館の次に従妹夫婦に案内してもらったのが、下記のように今年で404年の歴史がある縮景園(しゅっけいえん)でした。現在は日本庭園として有名ですが、起源は元和6年(1620年)に広島藩浅野氏初代藩主(大名)である浅野長晟が命じて作らせた藩主の別邸でした。1940年(昭和15年)に浅野家が広島県に寄贈したことで現在に至っているそうです。
正式名が縮景園となったのは1951年ですが、Wikipediaによれば、1700年代初頭には庭園を縮景園と呼んでいたと推測されているようです。上の写真は園内の超然居(ちょうぜんきょ)から跨虹橋(ここうきょう 俗称:太鼓橋)方向を撮った景色です。記念写真を撮っている家族の光景がほほえましいです。
 歴史 1620年(元和6年)  藩邸(別邸)として着工 名称:泉水屋敷
    1758年(宝暦8年)  宝暦の大火(広島大火災)で建物の多くが消失
    1783年(天明3年)  京都の庭師清水七郎右衛門を呼び寄せ大改修
    1913年(大正2年)  一般公開
    1940年(昭和15年)  浅野家から広島県に寄付 県の公園となる
    1945年(昭和45年)  原爆により壊滅的被害(爆心地から約1.35km)
    1949年(昭和24年)  復旧開始
    1951年(昭和24年)  縮景園と改称され再開園
    1970年代       復旧工事完了

クリックすると拡大縮景園入口の門です。平和公園近くの駐車場から従妹夫婦の車でこの写真を撮った縮景園の駐車場に移動しました。写真の縮景園の入口の門は冠木門(かぶきもん)と呼ばれる形式です。両側の2つの門柱に冠木といわれる横木(梁)を渡した屋根がない門です。
 形式 池泉回遊式庭園 大名庭園
 面積 4.76ha(47600㎡/14399坪)
 住所 広島市中区上幟町2-11
 電話 082-221-3620
 管理 広島県
 開園 3月16日~9月15日 9:00~18:00
    9月16日~3月15日 9:00~17:00
 入園 一般:260円  高・大学生:150円  小・中学生:100円
 HP https://shukkeien.jp/
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こちらが入園券売場でいただいた縮景園の案内図です。参考に4種類の散策コースが書かれていました。
 ━━ じっくりコース    基本順路50分
 ━━ 西回りショートコース 西回り・30分
 ━━ 東回りショートコース 東回り・30分
 ━━ 車椅子コース
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上の案内図には散策の4種類の推奨コースが書かれていますが、我々が歩いたのは下記の地図の臙脂色ライン(━━)です。


泉水屋敷(縮景園)の文字が確認出来る、寛永年間(1624年~1644年)の広島城下絵図を紹介します。赤色ラインで囲ったところが泉水屋敷です。絵図には御泉水屋敷と書かれています。泉水屋敷が着工したのは1620年なので泉水屋敷の最も初期の状態と思われます。作庭した当初の庭は御泉水と称し、池の中央に長い欄干橋を架け、橋の対岸には山を築き、橋の左右に一対の島を配し、橋の袂に数寄屋設けていたそうです。現在と違い植え込みは少なく、人の侵入が判るように築山のほとんどが芝生の山だったそうです。ほぼ現在の姿になったのは天明3年12月(1783年)~天明8年8月(1788年)の「天明の大改修」だそうです。
絵図はWikipediaから転用させていただきました。
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こちらが入口の門くぐってところから見える景色です。まっすぐの道の突き当りに清風館が見えます。
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上の写真のまっすぐな道の途中から右に入って芝生広場の方を見た景色です。
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こちらは清風池だと思われます。
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3月だったので植木の防寒対策の「こも巻き」が残っていました。
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こちらが清風館(せいふうかん)です。数寄屋書院造りで屋根は杮葺き(こけらぶき)なっています。
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池を挟々亭(ゆうゆうてい)が見える景色です。挟々亭は茅葺きの四阿(あずまや)で古くは歌会や納涼茶会などが行われていたそうです。池の名前は濯纓池(たくえいち)です。
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クリックすると拡大天明の頃(1783年~1788年)に7代藩主の浅野重晟が庭師の清水七郎右衛門に造らせた跨虹橋(ここうきょう)です。地上と天上を結ぶ虹に例えられているため、橋が大きく反っている構えになっているそうです。右の反対サイドの写真は旅行+フォトウエデングのサイトから転用させていただきました。
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幼稚園時代に、私と従妹がこちらの構図で写真を撮ったそうなので、同じ構図で記念写真を撮ってみました。
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跨虹橋(ここうきょう)の頂上から撮った景色です。松が2本植わった小さな島にも水心島(すいしんとう)という名前が付けられています。濯纓池(たくえいち)に橋や沢山の島島が作られているのは、浅野藩は参勤交代で大阪までは船を用いたことから、船上より眺めた瀬戸の景色を7代藩主の浅野重晟の大改修時に反映されたようです。
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跨虹橋から降りた場所から撮った池の景色を3枚紹介します。四阿(あずまや)がある景色です。
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松と水が美しい景色です。右端の松の影に東屋らしいものが写っています。 椅子に座って景色をゆっくり眺めることが出来る駐杖榻(ちゅうじょうとう)だと思われます。縮景園には少なくとも4,826本の樹木があると言われているそうです。被爆樹木つまり戦前からある樹木が3本でその他は戦後に植えられたものだそうです。主要樹木は、クロマツ6.9%、ヤマモミジ2.7%、クスノキ2.5%、ソメイヨシノ2.0%だそうです。
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松のはえている浮島を拡大しました。このような鶴島や亀島が12余り造られているそうです。ネットなどによると西池には超然居(ちょうぜんきょ)、積翆島(せきすいがん)、緑蘋洲(りょくひんしゅう)、蒼雪島(そうせつとう)、蘭舟嶼、滴翆島(てきすいとう)、水心島(すいしんとう)で、東池には清漣島(せいれんとう)、小蓬莱(しょうほうらい)、緑亀島、烟霞島、昇仙島、望春島です。
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島の位置が分かる案内図ネットから転用させていただきました。画面をクリックして拡大すると島の名前が読み取れると思います。超然居、積翆島、緑蘋洲、蒼雪島、蘭舟嶼、滴翆島、水心島、清漣島、小蓬莱、緑亀島、烟霞島、昇仙島、望春島と13の島が確認できます。
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池には沢山の錦鯉が泳いでいました。
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驚いたことに池には海(汽水域)に住む魚も泳いでいました。写真の魚はボラのようでした。チヌ(黒鯛)に似た魚も見かけました。池は汽水域の川とつながっているそうなのです。Wikipediaで調べてみるとチヌ(黒鯛)は淡水域まで遡上することもあり、川鯛と呼ばれる地域もあるそうです。
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これが京橋川(太田川水系の分流)とつながっている水門と思われます。
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原爆により園内で命を落とした被爆者の遺体の大部分は火葬されましたが、火葬されず園内の丘に埋葬され遺体もあったと伝えられていたことからクリックすると拡大発掘が行われたけれども見つかりませんでしたが、被爆直後に縮景園を訪れた朝日新聞の松本栄一カメラマンが被爆して枯れたクリックすると拡大木の根元に遺体が埋葬された旨を記した立札を撮影した写真が見つかったことからことから1987年に再度発掘調査が実施され64柱の遺骨が発見され、その場所に下の写真の慰霊碑が建立されたそうです。慰霊碑の背景は京橋川です。右の写真は原爆で被害を受けた1945年11月頃の縮景園です。
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慰霊碑から明月亭方向を撮りました。
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こちらが明月亭です。
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クリックすると拡大別の角度から見た明月亭です。内部には茶室、控之間、水屋之間、玄関之間あり、数寄屋造りで、一部書院造りの様式を持っているそうです。屋根は茅葺で、庇は杮葺きです。窓枠に牛車の車輪を用いたデザインで数寄を凝らしています。
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明月亭あたりからの景色です。
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先ほど川側の水門を紹介しましたが、こちらは池側の水門です。
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白龍泉の説明書きがありました。これによると1807年(文化4年)に牛田山の清水谷から取水管で白龍泉や超然居に水が湧き出るようにしたそうです。ただし現在は井戸水を使用しているそうです。
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こちらが白龍泉の水だと思われます。
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水の流れを追ってみました。
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クリックすると拡大「御腰掛なば石」の説明板がありました。茸に似た自然石を腰掛石としたもので、江戸時代に土佐国から持ち帰ったものと伝えられているそうです。肝心の「御腰掛なば石」の写真を撮り損ねたので右にネットから転用させていただきました。中国・九州地方では茸のことを「なば」と言うそうです。
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最も北西方向から池を見た景色です。左側が古松渓(こしょうけい)です。
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こちらが夕照庵(せきしょうあん)です。東方向から見た夕照庵です。
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上の写真の反対側(西方向)から見た夕照庵です。茶室です。
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馬の調教訓練に用いた調馬場の跡の横には梅林が広がっていました。
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縮景園の中で最も人が集まっているように感じた場所です。写真の中の四阿(あづまや)があるところが超然居(ちょうぜんきょ)です。そこは園内最大の島で、園内の池が広く見渡せる場所でもあります。
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超然居からの景色を4つ紹介します。こちらは跨虹橋(ここうきょう)がある方向の景色です。
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上の写真の少し左側の景色です。第7代藩主の浅野重晟(1743年~1814年)は隠居後にクリックすると拡大頼春水(1746年~1816年)や梅園大嶺に縮景園名勝と縮景園八勝の計38ケ所の景観を選定させたそうです。縮景園八勝は岡岷山(1734年~1806年)が描いた縮景園八勝図が残っているそうです。縮景園八勝図は長汀桃花/長堤桃花(右の写真)、池亭納涼、松間明月、連峰積雪、前川行舟、隴畝烟雨、晴窓眺望、宮岳彩雲です。
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さらに左側の景色で、池の最も西側の景色です。
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こちらは跨虹橋から右側の景色で、大きな建物が清風館(せいふうかん)です。
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クリックすると拡大右の写真の跨虹橋(ここうきょう)から撮った写真から切り取って露出調整した超然居(ちょうぜんきょ)です。この超然居(ちょうぜんきょ)から上の4枚の写真を撮りました。右の跨虹橋は超然居から撮った写真(冒頭の写真4枚上の写真)から切り取りました。
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左端に超然居(ちょうぜんきょ)の四阿(あづまや)の一部が写っています。観瀾・洗心の両橋で結ばれ人里離れた静寂な場所を表しているそうです。周辺の模様は、上田宗箇の代表的な作意であると言われており、清水七郎右衛門は上田宗箇の意思を尊重して縮景園の大改修でも、ここは手を加えなかったと言われているそうです。
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小舟も景色の一部になっているようでした。
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変わった形の石灯籠がありました。楊貴妃型石灯籠です。クリックすると拡大右の説明板には「形が唐の楊貴妃(ようきひ)が付けた冠に似ていることから、この名が付きました。同じ形のものには、京都市大徳寺内の聚光院(じゅこういん)にある千利休の墓があります。この二つが楊貴妃型と言われる貴重なものとされています。」書かれていました。
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清風館(せいふうかん)に戻ってきました。
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清風館の正面側に来ました。
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後ろを見ると入口の冠木門(かぶきもん)がありました。ここを出て広島駅前のホテルに送ってもらい、いったん休憩して18時20分から海の幸・磯の坊で一緒に夕食を楽しみました。
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入園券売場でいただいた縮景園の案内を紹介します。
クリックすると拡大

詳しい説明も書かれていて参考になりました。いろんな外国語の案内が用意されていました。
クリックすると拡大
ラベル:広島 観光
posted by SORI at 06:37| Comment(38) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月03日

広島平和記念資料館

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

広島駅から歩いて5分ほどのところに住んでいる従妹と山口県の墓参りに行き、広島で昼食に広島のお好み焼きを食べた後に従妹夫婦に広島市内を案内してもらいました。案内してもらったのは原爆ドームを含めた平和公園と縮景園でした。原爆ドームから原爆死没者慰霊碑あたりまでは、記事「原爆ドーム」で紹介させていただいたので本記事では広島平和記念資料館を紹介したいと思います。沢山の人が見学されていながら、会話している人もほとんどおられないほど、静かな雰囲気のため、私も限られたところしか写真が撮れない気分だったので、紹介も限られたものになっております。そんな中でこれだけは紹介したいと撮った動画が、原爆投下の瞬間をプロジェクションマッピング映像で表現したものでした。是非ともプレーボタン( )クリックしてみてください。最後まで行くと頭から永遠に繰り返すように設定しています。

クリックすると拡大先ずは広島平和記念資料館の場所を紹介したいと思います。
紫色に着色した建物が広島平和記念資料館です。緑の線の最も北に原爆ドームがある配置です。一直線上の途中に右の写真の原爆死没者慰霊碑があることは有名です。


写真中央の中2階の建物が広島平和資料館で、見えているのは一部です。写真の左側に資料館東館があり、そこに目玉展示の「ホワイトパノラマ」があります。そこに資料館の入口があるのでとりあえず行ってみました。とりあえず行くと書いたのは予約がないと入れないのではないかと思っていたためでした。入口で確認すると予約なしで見れることが分かって、見学することが出来ました。
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最初は壁いっぱいの原爆投下前の広島の景観でした。一番左端の立派な建物が、現在は原爆ドームと呼ばれている右の写真の広島県産業奨励館です。
クリックすると拡大この建物の左奥(南東)方向160mの位置の真上600メートルの空中で原爆が爆発し0.2秒後には日光の数千倍という熱線に包まれ、この辺りの地表温度は3,000℃になったそうです。右の写真はWikipediaから転用させていただきました。
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クリックすると拡大次に進むと、壁いっぱいの原爆投下後の様子のでした。山が写っていることから上の写真とは角度は違いますが、原爆ドームの周辺には沢山の建物や住宅がありましたが、原爆投下で消えてしまったのです。右の原爆ドームは今回の訪問で撮った現在の写真です。
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さらに進むと、上の場所とは位置が違いますが、同じように沢山の建物があり沢山の人が生活していたのだと感じてしまいます。
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展示室は暗くフラッシュは使えないので、写真は手振れしてしまっていますが、雰囲気を感じていただきたいので掲載しました。みなさんゆっくり見られているので行列になっていますが、順番ではないので早く進んでもいいと、係員の方から説明されました。入口まで行列になっていて、入るのに待たされるほどだったのです。


亡くなった人たちの衣服も何かを訴えているようでした。
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貴重な資料も沢山展示されていました。外人の方も含めて、皆さん静かに見学されているので、雰囲気的に沢山の写真は撮れませんでした。
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沢山の人が無言で見学されていました。


原爆投下前の広島の中島地区の航空写真です。
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上の写真と同じ中島地区の原爆投下後の航空写真です。右方向が南で、現在のこの場所は平和公園です。平和記念資料館は右端に縦に通っている道路の左側に建っていて、原爆死没者慰霊碑が写真の真中あたりに建てられました。
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上の2枚の航空写真は真上からではなく西北西方向から撮ったものなので、現在のGoogleマップの真上からの航空写真を回転して縦横比を調整しました。こうすると同じ場所だと分かっていただけると思います。紫色に着色した建物が平和記念資料館です。
右の小さな航空写真は縦横比は1:1、つまり縦方向を圧縮していない真上から航空写真です。画面をクリックするとGoogleマップのオリジナルを表示します。
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戦争や原爆開発などの展示もありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたします。
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原爆によって廃墟となった広島の写真とともに、同じく原爆によって廃墟となった長崎の写真も展示されていました。
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クリックすると拡大こちらが広島です。クリックすると特別に大きく拡大するので悲惨な破壊をより感じていただけると思います。中央あたりに原爆ド--ムがあります。10枚上で紹介した右の写真と比べていただくと原爆による破壊のすごさが判ると思います。右の写真の襞の端が原爆トーム(広島県産業奨励館)です。
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長崎の原爆で廃墟になった写真も正面から紹介します。こちらもクリックすると特別に拡大するので悲惨な破壊がより感じていただけると思います。
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冒頭で紹介したプロジェクションマッピング映像の動画をあらためて紹介します。本投影はこれまでの実績や経験を活かして2022年2月21日から稼働開始した新しい投影システムだそうです。資料館入口のあった広島平和記念資料館東館にありました。


上の動画のプロジェクションマッピング映像での原爆投下前と投下後を8秒ごとに表示させています。黄色の矢印(↓)が原爆ドームの位置です。明るい画面が原爆投下前で、暗い画面が原爆投下後の映像です。
原爆投下後の市内の様子の映像(Wikipedia)→動画
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CRTモニターで世界の核弾頭数の表示がありました。左下に2023と書かれているので、2023年の時点だと思います。気になっていた北朝鮮は30の核弾頭を保有していると表示されていました。
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広島平和記念資料館の2階から原爆ドーム方向を撮った写真です。原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑などが一直線に並んでいます。
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ラベル:広島 原爆ドーム
posted by SORI at 06:48| Comment(44) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月14日

原爆ドーム

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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右下の写真の前記事で紹介した昼食で「広島のお好み焼き」を食べた五エ門を出た後は、従妹夫婦に原爆ドームのある平和記念公園と縮景園を案内してもらいました。クリックすると拡大従妹の旦那さんはボランティアで広島市内の観光案内をされていることから詳しい話を聞くかせてもらうことが出来ました。実は五エ門から上の写真の場所まで歩いて400mの距離だったのです。車を駐車場に置いたまま原爆ドームまで来ることが出来ることから、広島のお好み焼きのお店として五エ門を選択されたのかもしれません。

これまでに原爆ドームに来たのは、広島の井口町に住んでいた幼稚園児の時と小学生低学年の時なので数十年ぶりになります。そのため撮った原爆ドームの写真を沢山紹介したいと思います。
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原爆が広島に落とされたのは1945年8月6日(月)午前8時15分でした。22年後に行われた原爆ドームの補強工事を記念した石碑です。記載内容を枠内に転記する形で紹介します。
原爆ドーム

昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である

爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した

その1個の爆弾によって20万人をこえる人々の生命が失われ半径約2キルメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し これを永久に保存する  

昭和42年8月6日 広島市
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北側から見た原爆ドームです。
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こちには北西方向から見た原爆ドームです。
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こちらは西北西方向から撮った写真です。
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西方向からの写真です。背中側は元安川です。
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こちらは南西方向からの角度の写真です。
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こちらは南南西方向からの原爆ドームです。
原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光の数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達したそうです。0.8秒後には、衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風が襲い、1平方メートルあたり35トンの爆風圧を受けたと推測されているそうです。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊し、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存したそうです。原爆の爆心は写真の左上の方にあったようです。
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ドームの鉄骨部分を拡大しました。
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レンガ(煉瓦)の部分です。
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クリックすると読める大きさに説明板を拡大いたします。ただし読みやすいようにモノクロ(白黒)に変換した写真です。
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少し離れて撮った原爆ドームです。南の元安橋(もとやすばし)から撮った写真です。原爆ドームは1996年に世界遺産に登録されました。
世界遺産の顕著な普遍的価値(OUV)の言明→PDF
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こちらも元安橋から撮った写真です。黄色の矢印のところが爆撃機からの照準点であった相生橋(あいおいばし)です。相生橋のところは川が2つに分かれることから上空から見ると橋はT型でした。
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こちらが爆撃機からの照準点となった原爆投下前の相生橋の写真です。T型をしていたことが分かっていただけると思います。Tの部分を走っている路面電車の辺りが照準点だったようです。こちらの写真は広島平和記念資料館に展示されていたものです。
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原爆投下4ケ月前の1945年4月に撮られた原爆投下用の広島の航空写真です。アメリカ空軍歴史研究センター所蔵だそうです。クリックすると拡大
説明には「周囲に目盛りが記されており、位置を横と縦3けたずつの数字で表しています。原爆の照準点は「063096」でした。これは市の中心部にあるT字型の相生橋にあたります。」と書かれていました。こちらも広島平和記念資料館に展示されていたものです。
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Wikipediaから転用させていただいた爆心のイメージ図です。1945年8月6日(月)午前8時15分でした。
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爆撃機の照準点と爆心点と原爆ドームの位置関係を航空写真に記載しました。原爆は高さ約600メートルの空中で爆発したので、角度的に原爆ドームのほぼ直上で爆発したと言えると思います。
 ━━ 原爆ドーム→爆心(約160m)   ━━ 照準点→爆心(約300m)
 ━━ 原爆ドーム→平和の灯→原爆死没者慰霊碑→平和記念資料館


相生橋から見た原爆ドームです。
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背景にビルがない角度から撮った原爆ドームです。
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川を挟んだ場所に設置された原爆被災説明板の場所から撮った原爆ドームです。
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原爆被災説明板を大きく撮りました。クリックすると文字が読めるように特別に大きく拡大いたします。SV
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クリックが面倒な方のために説明板だけを拡大します。クリックして拡大すると更に読みやすくなります。
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原爆前の昔の広島県産業奨励館の写真です。こちらは広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
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クリックすると拡大広島平和記念資料館には旧広島県産業奨励館の模型と原爆ドームの模型も展示されていたので紹介します。裏側からの写真です。裏側の方はほとんど破壊されてしまっていることが分かります。クリックすると特別に大きく拡大します。右の小さな写真のように並んで置かれていました。
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資料館のプロジェクションマッピング映像での原爆投下前と投下後を8秒ごとに表示させています。黄色の矢印(↓)が原爆ドームの位置です。明るい画面が原爆投下前で、暗い画面が原爆投下後の映像です。こちらはプロジェクションマッピング映像を撮った動画から作りました。動画に関しては資料館の記事を書いた時に紹介させていただきます。原爆投下後の市内の様子の映像(Wikipedia)→動画
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原爆直後の原爆ドームです。こちらに広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
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広範囲の原爆投下から2ケ月後(1945年10月5日)の写真です。右端の橋が照準にされた相生橋出す。相生橋と原爆ドームの位置から写真の左端辺りが爆心になります。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大いたします。
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上の昔の写真の丁度反対側から撮った写真です。写真を撮った場所の元安橋が写っています。沢山の外国人の人が見に来ているのが印象的でした。元安橋は安土桃山時代に木橋として築造され1920年に鋼橋に永久橋化、1945年原爆被災の際、爆心地より約130mに位置し爆心地から最も近い橋です。落橋を免れ、の被災状況から、爆心地特定の手がかりとなったそうです。戦後も長く使用されて1992年に架け替えられました。日本百名橋の1つだそうです。
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上の写真の広い範囲を撮った写真です。みなさん真剣に見ておられる感じで、資料館では無言で見学されていました。
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広島平和記念資料館の2階から原爆ドーム方向を撮った写真です。原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑などが一直線に並んでいます。
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少し左側から撮った写真です。斜めから見ると距離感が判ると思います。
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少し右側から撮った写真です。
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Googleマップの航空写真で平和公園の辺りを紹介します。
 ━━ 原爆ドーム~爆心       ━━ 照準点~爆心
 ━━ 原爆ドーム~嵐の中の母子象
 原爆ドーム     原爆投下照準点   爆心
 原爆の子の像    平和の灯      原爆死没者慰霊碑
 平和記念資料館   資料館入口     祈りの泉
 嵐の中の母子象   広島のお好み焼き店 五ェ門


原爆ドーム方向から広島平和記念資料館方向を撮った写真です。手前から平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館です。
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一直線上からは少し外れますが、もっと北側にある原爆の子の像です。
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私が広島市井口町に住んでいた幼稚園児~小学4年頃は、ここに千羽鶴が吊るされていました。
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原爆の子の像に近い一直線上から見た原爆ドームです。写真の左側に原爆の子の像があります。
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こちらは原爆死没者慰霊碑です。慰霊碑は1949年に成立した広島平和記念都市建設法の精神に則り建立が計画され、1952年にコンクリート製が完成し、1985年に現在の御影石製に改築されたそうです。クリックすると拡大
したがって私が幼稚園児と小学生の時に見たのはコンクリート製だったことになります。
右の写真はネットから転用させていただいた建設中(1952年撮影)のコンクリート製の初代原爆死没者慰霊碑です。
2016年にアメリカのオバマ大統領が現職として初めて慰霊碑に献花し、2023年のサミットではG7首脳が初めて揃って慰霊碑に献花しました。
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原爆死没者慰霊碑の前で記念写真を撮る人が多かったです。
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撮った瞬間を拡大いたしました。
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原爆死没者慰霊碑から見た原爆ドームです。
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ラベル:広島
posted by SORI at 08:15| Comment(34) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする