2025年03月12日

素敵な一枚

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日はモンサンミッシェルの最後の7つの記事を連続掲載します。
これでモンサンミッシェルの21の全ての記事が出そろいます。
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泊まったホテル Relais Saint-Michel (ルレ・サンミッシェル)の夕食時のレストランの窓からのお気に入りの一枚です。若いカップルが夜のモンサンミッシェルをバックに自撮り棒で記念写真を撮っている風景です。この時代に自撮り棒を使っているので、きっと中国の方だと思います。もしかしたら新婚旅行なのかもしれません。この時の時刻は2016年5月9日20時32分なのでほぼ満潮時刻でした。それも大潮(5月8日)の翌日です。ホテルのレストランで素敵なディナーを食べながら焦点距離400mmで撮りました。
この写真を辛抱強く、じーっと見ていると気がつかれることがあると思います。おわかりでしょうか。
上の写真は是非ともクリックしてもらいたい一枚です。
右上の写真は、上の写真から45分後にあたる21時17分に撮っていただきました。

レストランから、同じ時間帯(20時25分)のモンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)を撮った写真です。このモンサンミッシェルを背景にした記念写真です。きっと、いい思い出の「素敵な一枚」の写真になったと思います。
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この写真の中に写っているカメラで撮りました。クリックするとカメラの部分を拡大いたします。
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posted by SORI at 04:27| Comment(22) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月09日

モンサンミッシェル修道院 有料見学エリアの紹介

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日もモンサンミッシェルの記事を6つ連続掲載します。
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今までモンサンミッシェルの記事をいくつか書いてきましたが、今回はモンサンミッシェルの主体なる修道院を掲載いたします。モンサンミッシェルはフランス語ではMont Saint-MichelあるいはLe Mont-Saint-Michelと書かれることが多いです。Mont Saint-Michelと書かれることが多いことからモン・サン=ミシェルあるいはモン・サン・ミッシェルと分離して記載されていることも多いです。そのモンサンミッシェルはフランス西海岸のサンマロ湾に浮かぶ小島です。その岩山自体は78.6mですが、その上にそびえる修道院との一体の景観によっり、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。周辺に広がる干潟や湿地により1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。
修道院や聖堂が建てられる前の小島(海の中の岩山)は、モン・トンブ(墓の山 / Mont Tombe)と呼ばれ、はるか昔から先住民のケルト人が信仰する聖地でした。Montが山(岩山)でTombeが墓です。
モンサンミッシェルとしての歴史が始まったのは、今から1308年前の708年にアヴランシュの司教オベールが大天使ミカエルを奉る聖堂を作ることを決断し、709年に小さな教会が完成したことでした。それをきっかけに、この岩山が重要な巡礼地の一つになり、966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。

クリックすると拡大右の絵は17世紀(1631年)に描かれたモンサンミッシェルです。クリックして出てくる絵は1657年に描かれたものです。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。
709年に建てられた教会がどのようなものであったかは記録は無いようですが、ネット内に10世紀末の姿を描いた絵があったので紹介いたします。
10世紀末(à la fin du Xe siècle)の時期のイメージは980年~1000年なので、ノルマンディー公リシャール1世が966年に修道院を建てて20~30年程度しか経過していないことから、966年の修道院に近い状態の可能性があります。
今から約1030年前のモンサンミッシェルは、この絵のような景観だったと想像してみてください。岩山のモン・トンブ( Mont Tombe)の高さは約80mで、今から比べると小さな修道院(教会)ですが、1307年前の709年に建てられた最初の教会は、さらに小さな教会であったことが想像されます。
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岩山の高さは78.6mですが、修道院の中央にそびえる教会の尖塔の海面からの高さは150mにもなります。その巨大な教会を支えているのが岩山周囲に作られている礼拝堂などの頑丈な建物です。つまり岩山の周囲の礼拝堂などの石の建造物が巨大な教会の基礎(土台)になっているのです。これが岩山の狭い頂部に巨大な教会を建てた工夫なのです。
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冒頭の写真から修道院の部分を切り取りました。修道院の入口から次の順番で見学いたしました。大きく分けて修道院は上層部と中層部と下層部に区分できます。⓪~⑯の内①~⑭の番号は入口で借りるオーデオ案内でつけられている番号と一致させています。修道院内部にも、この番号①~⑭の案内板が取り付けられていました。右の3枚の図の内、中層部と下層部には岩石部があるのが特徴なのです。
クリックすると拡大 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
クリックすると拡大 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
クリックすると拡大 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 
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モンサンミッシェル修道院内の入口⓪→出口⑯まで歩いたルートを示します。単純に見学したルート(━━ ━━ ━━)を測ってみると957mでした。部屋の中は散策で歩き回るので修道院の中だけで1200m程度は歩いたと思います。
時間的にはオーディオ案内を聞きながらで1時間13分でした。我々の場合は翌日も見ることにしていたので見学は早めだったので、修道院内部の見学は1時間30分と見ておけばよいと思います。ただしガイドさんの長い話がある場合は別です。パリからの日帰りツアーで島内滞在が3時間とすれば修道院以外も1時間30分は散策するのがよいと思います。パリからの日帰りツアーが多いこともうなづけました。見学ルート(━━ ━━ ━━)が複雑に見えますが上層部と中層部と下層部のルートが重なっているためです。
 修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
  1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分 オーディオ案内利用
  2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分 主に写真撮影
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)


それでは見学ルートの順番に紹介したいと思います。沢山の写真を判りやすくするために区分ごとに横線で区切るとともに写真の頭には⓪~⑯の番号を付けています。1日目の写真と書いていない場合は、全て人の少ない2日目の写真です。

こちらが下層部分の配置図です。修道院の入口前から上層部の西のテラスの入口までを紹介いたします。
 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間  チケット購入場所
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)


⓪修道院入口
修道院の入口が見えてきました。
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⓪修道院入口
こちらが修道院の入口です。この階段を登ると①哨戒の間を経由してチケット売り場となっている⑮司祭の間に行きます。
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⓪修道院入口
修道院の入口の上は見事な2つの塔が建っていました。これを目印にして修道院を目指すとよいと思います。
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⑮司祭の間の入口
修道院入口から階段を登ると①哨戒の間があり、さらに進むとこのドアがありました。中は⑮司祭の間でした。
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クリックすると拡大⑮司祭の間
こちらが⑮司祭の間で簡単な持物の安全検査が行われた後チケットを買って、オーディオ案内を借りて、元の道で①哨戒の間に戻って②大階段の方に進みます。ただし一日目は右の写真のチケットを旅行社であるマイバスの方から移動中の車の中で事前に渡されていたので、ここではオーディオ案内を借りるだけでした。マイバスの方から渡されチケットは団体割引であったことから7ユーロと書かれていましたが、2日目のチケットは割引がないので9ユーロだったと思います。
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⑮司祭の間→①哨戒の間
司祭の間を出で哨戒の間に戻る道です。道の中央にはロープが張られていてチケット売り場の司祭の間に向かう人とすれ違いました。哨戒の間は正面の建物の中にありますが、目立たなかったので写真は撮り忘れました。
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①哨戒の間→②大階段
下層部から上層部の西のテラスに登る長い大階段への入口です。哨戒の間を出たところの景観です。
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②大階段
大階段の両側には高い建物がありました。
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②大階段
建物が高い壁のようでした。
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②大階段
このような蛇口がいくつもありました。
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②大階段
階段の一番上が上層部です。右側が教会で、左側が修道僧の居住棟です。居住棟は14世紀から16世紀に建てられて、歴代の修道院長の住まいとして使用されていました。
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②大階段
確認すると大きな蛇口からは水が出ました。ただし飲むことはできません。
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②大階段
この先にはトイレがないので、見学前にトイレに行っておくことを進めます。
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②大階段
登って来た方向を振り返った景色です。
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②大階段からの景色
大階段から修道院付属教会の塔がみえまえる
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②大階段からの景色
見事な渡り廊下です。渡り廊下は木造づくりのようです。
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②大階段→③西のテラス
この入口を入ったら修道院の中の最大の教会の前にある「西のテラス」に出ます。
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こちらが上層部の配置図です。
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室


写真枚数が多いので上層部に関しては4つに区分けして紹介いたします。

上層部 西のテラス
ここが「西のテラス」です。大階段からは中央の小さな通路から出てきます。石で作られた広いテラスに圧倒されました。
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③西のテラス
西のテラスは当初の教会の前庭と、18世紀の火災で焼失した身郎前部3列で構成されています。古典主義のファサードは1780年に再建されました。
このテラスからは湾を展望することが出来る絶景の場所でした。晴れていたら西側はブルターニュ地方の岩山から東側はノルマンディー地方の岩山まで見ることが出来るそうです。
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③西のテラスからの南方向の景色
南西には陸地側にはモン・ドルの2つの花崗岩の岩山が見えるそうです。この日の天気では遠くは鮮明に見えませんでしたが、湾内の景色を中心に絶景を見ることが出来ました。

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③西のテラスからの北方向の景色
北側に見える小さな島はトンブレーヌ(Tombelaine)です。島の沖には修道院の建設に使われた花崗岩が採石されたショゼー群島がが見えます。
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③西のテラス
床の石には文字が刻まれていました。職人たちが石組みのために位置を石に書いたものだそうです。
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上層部 修道院付属教会の写真を紹介します。
④修道院付属教会
テラスから見た修道院付属教会です。修道院の付属教会と書かれていますが、修道院の主教会であり、最も大きな教会/礼拝堂です。多くの建物がこのき教会の土台の基礎を兼ねているのです。遠くから見えた高い塔はこの教会の塔です。この教会は1000年~1010年の間に完成しました。つまり少なくとも1006年前の建物と言うことになります。
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④修道院付属教会の内部
教会内部は厳かな雰囲気に包まれていました。岩の上にこれほどの建物が作られたのに驚かされます。海抜80mの岩山を囲むように礼拝堂などの頑丈な石の建物を建て、それらを利用して長さ80mの土台(基礎)にして建てられました。身廊は上に向かって、拱廊、回廊、高窓の層の造りになっています。ロマネスク様式の内陣は1421年に崩壊しましたがイギリスとの100年戦争後に再建されたためにフランボアイヤン式ゴシック形式になっています。
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④修道院付属教会
教会の身廊(しんろう)部分の天井は板張りのヴォールートでした。身廊は教会の入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼廊に至るまでの部分を指します。おそらく軽量化のために木造にしたのだと思います。クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらが主祭壇です、
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④修道院付属教会
主祭壇の部分の天井は木造ではありませんでした。
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④修道院付属教会
主祭壇の方から入口を見た景観です。
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④修道院付属教会
こちらはパイプオルガンです。
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④修道院付属教会
柱の飾りも歴史を感じました。
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④修道院付属教会
主祭殿上のステンドグラスです。モンサンミッシェル以外の教会のステンドグラスと違うことがありました。
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④修道院付属教会
教会のステンドグラスと言えば宗教画が描かれたものが多いのですがこちらでは絵の描かれてステンドグラスは見かけませんでした。これは修道院の中の他の礼拝堂や建物にも共通したことでした。それにしてもきれいなステンドグラスでした。
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④修道院付属教会
こちらのステンドグラスはシンプルな幾何学的模様が特徴でした。
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④修道院付属教会
不思議な石像がありました。
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④修道院付属教会
こちらも紹介したくなる石像でした。
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④修道院付属教会
このような祭殿もありました。
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④修道院付属教会
小さな祭殿がいくつもありました。
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④修道院付属教会
石造りの建物の細部の形は見事でした。
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④修道院付属教会→⑤回廊
教会横にあった建物です。こちらの天井も木造でした。
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④修道院付属教会→⑤回廊
この通路を通ると⑤回廊に出ます。
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上層部 回廊の写真を紹介します。回廊も見事な建造物でした。
⑤回廊
教会からの通路を出た最初の景色です。中庭を囲むように回廊が作られていました。この歩廊は他の建物につながる通路の役目を果たしているそうです。祈りと瞑想の場でもあったそうです。宗教的な礼祭の時には儀式の列が歩んだそうです。
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⑤回廊
13世紀の初頭に建てられたラ・メルヴェイユと呼ばれる建物の最上階に回廊があり、ここを通って合同の食事室、厨房、教会、共同寝室、古文書保管室、さらに、様々な階段に行くことが出来るようになっているそうです。
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⑤回廊
上の写真は2日目の朝で人がいませんが、1日目の14時42分には同じ場所でも沢山のひとがいました。子供たちが先生の話に聞き入っていました。
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⑤回廊
回廊の天井も木造で出来ていました。これは重量を経験するための工夫だそうです。2列に並べられた細い柱は、わずかにずらせた形で組まれていて、常に変化する視覚を作り出しているそうです。
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⑤回廊
回廊から見える建物も趣がありました。正面の建物は、次に見学する⑥合同の食事室がある建物です。右が④修道院付属教会です。暖炉の煙突が沢山見えます。
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⑤回廊
中庭に入る通路が1か所あります。その通路から中庭に入って撮った教会の写真です。翼廊のステンドグラスのある窓が印象的です。
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⑤回廊
こちらは回廊から撮った教会の写真です。
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⑤回廊
教会の塔が撮れる角度からも写真を撮りました。
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⑤回廊
回廊の木造の天井は緻密に作られていました。
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⑤回廊
回廊の周囲の窓もステンドグラスになっていました。
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⑤回廊
回廊の中に海が大きく見える開かれた部分があります。この場所は参事会室に通じることになっていたそうですが、工事が未完成のままに現在に至っているそうです。回廊から外が見れる裕津の場所になっており危険が無いように大きなプラスチック板が取り付けられていました。
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⑤回廊
その唯一の開放部分からの外の景色です。左の石垣の上が③西のテラスです。
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上層部 合同の食事室を紹介します。
⑤回廊→⑥合同の食事室
この入口から→⑥合同の食事室に入ります。
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⑥合同の食事室
ここでは修道僧たちは沈黙のうちに食事をとっていたそうです。その間に彼らの一人が、南側の説教壇で読唱していたそうです。食事室の側壁には狭い窓が作られていましたが入口からは見えないように工夫がされていました。
右の写真がここに取り付けられていた案内板です。オーディオ案内装置(☊)の6番の場所であることも表しています。
ここにはRéfectoire des moinesと書かれています。翻訳すると修道士(修道僧)の食堂でした。
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⑥合同の食事室
上の写真は2日目の早朝の写真ですが、1日目の人の多い時間帯の写真も紹介します。
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⑥合同の食事室
こちらの天井も軽量化のために木造で作られていました。
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⑥合同の食事室
天井の模型が置かれていました。
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⑥合同の食事室
こちらの床はきれいなタイルで飾られていました。このようなきれいな床の装飾は見学の範囲においては、ここだけでした。
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⑥合同の食事室
入口からは見えない細い窓をしょうかいします。こちらのステンドグラスも幾何学的できれいでした。
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⑥合同の食事室
食道ですが正面は十字架が飾られて祭壇になっていました。
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⑥合同の食事室
これが説教壇です。食事中に修道僧が読唱していた場所です。
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⑥合同の食事室
奥から入口方向を撮った写真です。
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⑥合同の食事室
オーディオ説明を聞いているところです。つまり1日目の写真です。この部屋には暖房用の暖炉がないことも特徴でした。この⑥合同の食事室から中層部に下りる螺旋階段がありました。上層部の最後の写真です。
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中層部の配置図です。
ここでは⑦迎賓の間から⑯修道院出口までを紹介します。
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 


写真枚数が多いので区分けして紹介いたします。

中層部 迎賓の間
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
上層部→中層部の螺旋階段です。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にもステンドガラスの窓がありました。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
螺旋階段の次は直線的な階段で中層部を目指しました。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中ですが、沢山の人が写真を撮っている場所がありました。こちらは1日目の写真です。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
写真を撮っていたのは、こちらの彫刻でした。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にも小さな部屋がいくつかありました。
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⑦迎賓の間
迎賓の間に出ました。ここは⑥合同の食事室の真下に位置します。この部屋は王や貴族を迎えるために使われていたそうです。写真は南側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
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⑦迎賓の間
こちらは1日目に撮った写真です。こちらは北側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
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⑦迎賓の間
こちらは東から西方向を撮ったものです。一番奥に大きな2つの暖炉がありました。
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⑦迎賓の間
これが西の壁の巨大な暖炉です。
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⑦迎賓の間
さすが迎賓の間です。天井や柱も見事でした。
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中層部 太柱の礼拝堂
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
迎賓の間の隣には小さな礼拝の部屋がありました。こちらは1日目の写真です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
その小さな礼拝の部屋にもステンドグラスが沢山取り付けられていました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが礼拝の方向です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
一旦、屋外に出ます。左の出口から出てきました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
庭や井戸があるエリヤもありました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物の間の通路を進みます。右が迎賓の間がある建物です。左が太柱の礼拝堂がある建物です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物を見上げてみました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが太柱の礼拝堂の入口です。
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⑧太柱の礼拝堂
入口を進むと太柱の礼拝堂が見えてきました。
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⑧太柱の礼拝堂
太い柱だらけで部屋を見渡すことが出来ないのです。ここは修道院付属教会の主祭殿の真下で、これらの柱によって教会の内陣を支えているのです。まさに教会の土台の部分であり基礎の部分だったのです。
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⑧太柱の礼拝堂
柱と天井をつなぐ部分も力が伝えられるような構造となっていました。
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⑧太柱の礼拝堂
礼拝堂の壁もがん頑丈そうでした。窓もほとんどありませんでした。やはり重さを支える構造物と言う感じでした。
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⑧太柱の礼拝堂
床には模様が描かれていました。
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⑧太柱の礼拝堂
こちらに細い窓がありその光で写真を撮ることが出来ました。
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⑧太柱の礼拝堂
真っ暗な部分が多いことからか、太い柱の何本かに対して、今はやりのプロジェクトマッピングが行われていました。同じ場所から3枚の写真を紹介します。
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⑧太柱の礼拝堂
上の写真と同じ場所です。
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⑧太柱の礼拝堂
頻繁に画像が変わりました。
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⑧太柱の礼拝堂
こちらがプロジェクトマッピングを行っている機械(プロジェクター)です。
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⑧太柱の礼拝堂
天井に換気孔を見つけました。上層部の教会内のどこかに出口があるのだと思います。
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⑧太柱の礼拝堂
礼拝のための像の一つです。女性が子供を抱いている金色の像です。
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中層部 聖マルタン礼拝堂
⑨聖マルタン礼拝堂
聖マルタン礼拝堂は修道院付属教会の交差廊の南側の基礎のために1000年より後に建てられました。礼拝堂に入って正面の景観でした。
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⑨聖マルタン礼拝堂
この礼拝堂の天井は9mと言う高さの円形の天井であねことが有名です。上からの力に耐えるように天井を円形にしたことから天井が高くなったと想像します。
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⑨聖マルタン礼拝堂
天井の高さを実感できるように斜めから撮った1日目の写真を掲載いたしました。左のドアから入ってきました。
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⑨聖マルタン礼拝堂
1日目は座ってゆっくりと話を聞くグループを沢山見かけました。ここでも沢山説明があったことでしょう。


⑨聖マルタン礼拝堂
小さな窓の奥はステンドグラスになっていました。分厚い壁は上からの重量に耐えるためだと思います。
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⑨聖マルタン礼拝堂
反対側の礼拝側の窓の壁も分厚かったです。
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⑨聖マルタン礼拝堂
この写真で丸い天井がよくわかってもらえると思います。
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中層部 修道僧の納骨堂
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
聖マルタン礼拝堂は下層部から一気に上層部に登る大階段の横にありました。鉄格子の扉の向こうが大階段です。
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⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
修道僧の納骨堂に向かう道は一旦は外にてますが、高い建物の間を歩いて修道僧の納骨堂がある同じ建物に入ります。
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⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
アーチ型の入口を入ると修道僧の納骨堂です。納骨堂にふさわしい暗さと思うのは偏見でしょうか。
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⑩修道僧の納骨堂
すでに紹介の通り、1820年ごろに修道僧の納骨堂には荷物を引き上げるための巨大な車輪が設置されました。
この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
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⑩修道僧の納骨堂
こちらが巨大車輪です。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。
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⑩修道僧の納骨堂
巨大車輪の裏を進むと⑪聖エティウンヌのチャペルへ向かう入口があります。
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⑩修道僧の納骨堂→⑪聖エティウンヌのチャペル
こちらが⑪聖エティウンヌのチャペルに入る入口です。
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中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑪聖エティウンヌのチャペル
入口から見下ろした聖エティウンヌのチャペルです。人が沢山写っているので1日目の写真です。皆さんが撮っているのがマリア像でしょうか。⑥合同の食事室の床はきれいにタイルが敷き詰められていましたが、こちらにもタイルが張られていました。ただし。⑥合同の食事室と違い一色でした。
フランス語ではChapell Saint Étienneです。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
床の高さに下りて撮った写真です。聖エティウンヌのチャペルは19世紀初頭に崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にあり、死者のチャペルとして使用されていたそうです。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
クリックすると拡大こちらが反対側から撮った写真です。十字架の右の入口に入ると納骨堂です。納骨堂に付属していたと言える位置にありました。十字架の石の台に彫られたAΩの文字が印象的でした。ΑΩ(アルファオメガ)はキリスト教用語で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」にて三度繰り返し述べられているそうです。神(YHWH)が自らを指して省略した表現した「τὸ Α καὶ τὸ Ω」をさらに短縮したものだそうです。つまりキリスト教の神を表した文字です。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
冒頭の写真で皆さんが撮っていたマリア像と思われる石像を撮っているところです。
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中層部 南北階段
⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
聖エティウンヌのチャペルを出ると南北階段の最下部に出ました。
このあたりに崩壊した医務室があったようです。
突き当りを右に曲がると南北階段です。
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⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
この階段は南北階段とは反対側に登って行く階段ですが、侵入禁止になっていました。おそらく修道院付属教会に行く階段だと思われます。
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⑫南北階段 Escalier nord-sud
これが南北階段の最下部から撮った南北階段です。案内板にはEscalier nord-sudと書かれていました。
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⑫南北階段
少し前に進んだ位置から1日目に撮った南北階段です。こちらは1日目の写真です。やはり1日目は人が写った写真となります。
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⑫南北階段
さらに進んでで撮りました。同じ中層部でも高低差があります。
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⑫南北階段
階段の上から登って来た方向を振り返って撮りました。昔は窓の明かりが頼りだったのかもしれません。ハリーポッターの世界のようです。
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⑫南北階段
こちらが階段の一番上の明かり窓です。
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⑫南北階段→⑬修道僧の遊歩道
この入口を入ると⑬修道僧の遊歩道です。
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中層部 修道僧の遊歩道
⑬修道僧の遊歩道
修道僧の遊歩道は2つの身廊(しんろう)を持つ長い部屋で、交差リブを持つ円天井という建築形式は12世紀初めのゴシック芸術の誕生を告げているそうです。こちらが右側(南側)の通路です。
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⑬修道僧の遊歩道
こちらが左側(北側)の通路です。
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⑬修道僧の遊歩道
途中に窓がありますが、壁の分厚さが際立っていました。海側に面した壁なので頑丈に作られているのだと思います。
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⑬修道僧の遊歩道
部屋の中に岩盤のむき出しの部分がある珍しい部屋でした。岩盤の上に建てられた建物であることが実感できる場所でもありました。
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⑬修道僧の遊歩道
人工の柱と自然の岩盤の組み合わせが見事でした。
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⑬修道僧の遊歩道→⑭騎士の間
この入口を抜けると→⑭騎士の間です。
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中層部 騎士の間
⑭騎士の間
入口の高い位置から撮った⑭騎士の間です。かなりの広さがあります。この部屋の真上上が⑤の回廊です。つまり建物はラ・メルヴェイユなのです。
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⑭騎士の間
これらの柱は建物の屋上にある回廊を支える役目もあります。部屋は修道僧たちの仕事場であり、勉強の場でもありました。彼らの知的産物は現在でもマニュスクリプト(手書き文書)として我々に残されているそうです。マニュスクリプトはアヴンシュに保管されているそうです。
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⑭騎士の間
ここにも大きな暖炉がいくつもありました。
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⑭騎士の間
こちらの窓のステンドグラスも見事でした。
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⑭騎士の間
いろんな形の大きな窓が並んでいました。
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⑭騎士の間
これらの窓のおかげで部屋は明るいことから、修道僧の仕事場ゆ勉強の場として最適だったように感じました。
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⑭騎士の間
この写真で暖炉がいくつもあることが判ってもらえると思います。暖房設備が整っているのも勉強の場としては大切なことだと思います。一番奥に⑮司祭の間へ行く入口があります。
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⑭騎士の間
こちらが⑮司祭の間へ行く入口です。
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⑭騎士の間→⑮司祭の間
この螺旋階段を下りると⑮司祭の間です。
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下層部 司祭の間
⑭騎士の間→⑮司祭の間
このドアを開けると⑮司祭の間です。
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⑮司祭の間
こちらが司祭の間です。最初の下層部で説明した通り最初に入ってきてチケットを買う場所です。テープで仕切られており奥側がこれから修道院を見学する人のエリアで、手前側が修道院を出ていく人のエリアです。
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⑮司祭の間
こちらがとなり部屋への入口であり修道院の出口に向かう方向です。
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⑮司祭の間
子なりの部屋は売店になりました。こちらが修道院の最後の部屋になります。
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⑯修道院出口
修道院の最後の部屋を出た景色です。 
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紹介したルートを思い出していただけるかもしれないので、再度ルート図を掲載いたします。
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)

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      ⓪ ⑮ ① ②      →      ③ ④ ⑤ ⑥     →    ⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯

上層部、中層部、下層部が判りやすく書かれた図がネットにあったので転用させていただきました。

参考にモンサンミッシェル島内の住民の推移も紹介します。静かなモンサンミッシェルですが、グラフからも、歴史の中で大きな変化があったことがうかがえます。1793年~1863年の70年間はモンサンミッシェルが刑務所(監獄)として運用されていたことが、人口の推移に大きく影響したことがうかがえます。近年においては観光客が増加しているにもかかわらず、島内に住む人が減ってきているのは交通機関の発達により生活の便利な島外に住む人が増えたためだろうと推察します。現在はモンサンミッシェル島内で仕事に従事しているほとんどの人は島外から通勤しているそうです。
      1793年  234人     1866年  203人
      1821年  904人     1906年  238人
      1831年  390人     1954年  268人
      1851年 1182人     2013年   41人
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posted by SORI at 21:35| Comment(40) | TrackBack(2) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨大な車輪はなに?

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
今日もモンサンミッシェルの記事を6つ連続掲載します。
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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルの修道院の中に、このような木製の大きな車輪ががありました。大きさは建物の天井ほどの高さがありました。
これはEchaugette門から修道院入口まで歩いたルートを紹介した前記事の中の荷物を上げるためのリフトを、巻き上げる車輪なのです。軸の部分に巻き付けられている太いロープで引き上げるのです。

この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
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建物に合わせて車輪が作られたのですが、最初から建物と一緒に設計されていたと思われるほどでした。
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ロープが大きな窓の上の方に伸びているのが判っていただけると思います。
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柱には荷物を取り付ける木製のリフトがかけてありました。それにしても不思議と暗い雰囲気です。実はこの大車輪を回す動力源は6人の囚人たちだったのです。この車輪の中に6人が入って歩くことで荷物を巻き上げていたのです。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。これほど大掛かりな装置が必要なほどの人数の政治犯が幽閉されていたのだと感じました。正常な修道院に戻った後も使うことは出来たと思いまが、その時の6名の働き手に関しての記載は見つかっておりません。修業の一環として修道僧が自ら行ったのかもしれません。現在の車輪は中世時代の車輪を参考に復元したものだそうです。
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こちらが車輪の内側の写真です。ここに人が入って動力源として働いていたのです。
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1日目の写真も紹介します。15時14分ごろはこのように人が多かったために、人が写っていない写真を撮るのは難しかったのです。これでも人が少ない時に撮った写真です。窓の外の写真を撮るのも順番待ちのような状況でした。1日目の修道院の中はどこも同じような状況でした。やはり2日間ほどモンサンミッシェルに滞在して2回修道院に入り、2日目に関しては朝一に修道院に入ったのは大正解でした。もちろん1日目の人が写った写真では巨大車輪の大きさが判るので、この写真も値打ちがありました。
  修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
   1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分
   2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分
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ここは修道院の建物中からで、最も眺めの良い場所でもありました。ロープの先に鎖がつけられており、その鎖の先に壁に掛けられていた木製のリフト(台車)と類似したものが取り付けられていました。
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丁度、鎖で隠れているあたりに我々の泊まったホテルがありました。
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ホテルの写真もここから撮りました。これはホテルの夕食や朝食を紹介した時の写真です。
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こちらの写真の黄色の〇印が荷物をあげるリフト(台車)を巻き上げる巨大滑車が設置されている部屋の窓です。クリックすると〇印の無い拡大写真を表示します。
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この写真を見てもらえれば眺めがいいことが判ってもらえると思います。
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こちらが荷物を上げる窓の部分です。
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さらに拡大いたしました。荷物を上げるリフト(台車)とそれをつないでいる鎖が判ってもらえると思います。
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上から覗き込んでリフト(台車)の写真を撮りました。
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前記事の写真を思い出してください。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものだと説明した一直線に伸びる石の構造物です。
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その石の線路の最下部の部分は水平になるように作られていました。水平に置かれた台車に荷物を縛り付けたのだと思います。
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posted by SORI at 12:21| Comment(22) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンサンミッシェルの大通りグランド・リュー(Grande Rue)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

先ずはプレーボタン( )をクリックして動画を見てください。
2日目の朝に修道院を見た後に、大通りを下りながら撮りました。
撮影は10時37分から1分42秒で、大通りのほんの一部だけの動画ではありますが雰囲気を感じてもらえると思います。午前中は人が少なくフォークリフトで荷物を運びこむなどモンサンミッシェルの一日が始まる時間帯です。それでも沢山の人が来られていました。

航空写真の中の橙色ライン(━━)が今回紹介する大通り(Grande Rue / グランド・リュー)で、紫色ライン(━━)が上の動画を撮った場所です。
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
 ━━ 大通りの動画撮影場所
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口
  ラヴァンセ門(前哨門)
  ファニルス城壁の門(Echaugette門)


下の写真の橙色ライン(━━)が大通りグランド・リュー(Grande Rue)です。
今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。そしてモンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在いたしました。
滞在時刻 滞在時間
島内 修道院内 島内合計 修道院内 修道院外
1日目 13:50~16:20 14:12~15:25 2時間30分 1時間13分 1時間17分
2日目 09:04~16:20 09:21~10:22 7時間16分 1時間01分 6時間15分
合計 9時間46分 2時間14分 7時間32分
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大通りグランド・リュー(Grande Rue)全体を紹介したいので、ここからは静止画(写真)を掲載します。動画と同様に修道院入口から下に向かって下りながら下り方向を撮っています。
この写真は修道院の入口近くの階段です。
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まだ急な階段が続きます。ホテルやレストランや土産物屋の建物が見えてきました。
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少し傾斜が緩やかになってきました。
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人が本当に増えてくるのは観光バスが着く午後からです。この時まで10時半ごろでしたが沢山の人とすれ違いました。
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下に行くほどお店が増えてきます。
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右の階段を上がると礼拝堂Eglise Saint-Pierreがあります。女子高生たちがショートパンツ姿なのは、午後からの干潮時の泥ツアーに備えているのだと思います。
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この位置から冒頭の動画を撮りました。最初に出てくる場面は次の写真の場所です。


この写真が動画で最初に出てくる場面です。つまり動画を撮った後に、戻ってきて写真を撮ったのです。
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小学生たちも沢山来ていました。
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まさにメインストリートです。通りの名前であるGrande Rue(グランド・リュー)はズバリ「大通り」と言う意味なのです。 コメントをいただいたkazuさんが、ふわふわオムレツを食べられたLe Mouton Blancのホテルの入口が、こちらの写真に写っています。
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クリックすると拡大モンサンミッシェルで一番細い路地に入る場所まで下りてきました。右の不思議な壁飾りが飾られたところから、その一番細い路地に入ります。
右の写真が、その一番細い路地です。
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ガレット(蕎麦粉のクレープ)のランチを食べたLa Sirèneのある辺りまで出てきました。La Sirèneの吊り看板が見えます。
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土産店のLes Lutinsまで出てきました。Les Lutinsは吊り看板の記事て紹介しました。La Sirèneの2階から見えた景色の場所でもあります。
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郵便局の前まで来ました。POSTEと書かれた吊り看板が見えます。正面のトンネルが王の門(ロア門)です。
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これが王の門(ロア門)です。向こう側に鉄格子の門と跳ね橋があります。
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王の門(ロア門)の跳ね橋からの景色です。
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正面に見えるのは大通り門です。左右に、ふわふわオムレツで最も有名なレストランLa Mère Poulardがあります。
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大通り門が大きく写った写真です。大通り門をくぐるとモンサンミッシェルの入口になるラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)に出ます。
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これが内側から見たラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。これをくぐると外に出ます。
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外に出て振り返って見たラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。今回初めての振り返った景色です。泥ツアーに行く人たちが沢山出てきました。


写真の中で黄色文字で「島内入口」と書かれているところがラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。これで修道院入口からL'Avancée門に下りてくる大通り(━━)であるグランド・リュー(Grande Rue)の紹介を終わります。
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posted by SORI at 11:21| Comment(20) | TrackBack(4) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンサンミッシェル島内で2番目に細い道路

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下の航空写真の塔-1(Tour du Roi)からは岩山の方に上がっていく黄色ライン(━━)の道の入口が上の写真の細い道です。このように細い道でもモンサンミッシェル島内にとっては大切な道路なのです。この道は島内の道の細さをランクづけするとすれば2番手に位置する道路です。島内には同じくらいの細さの道がもう一か所あります。

今までに①(━━)、②(━━)、③(━━)と、一番細い路地(━━)を紹介しているので、本記事では、その2ケ所の2番手に位置する道路を中心にモンサンミッシェル島内の黄色ライン(━━)からの景色を紹介したいと思います。
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地

 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口


こちらがすでに紹介したモンサンミッシェルで一番細い路地です。石畳の道には排水のための丸く凹んだ溝が道の中央につけられていますが、こちらの細い路地にも排水溝が中央に作られていました。
クリックすると拡大クリックすると拡大まさに排水溝の幅の路地だったのです。排水溝がちゃんと中央に作られていることからも、立派な道であると判ってもらえると思います。女性の方でも肩の部分は当たるので上体は斜めにして進みます。 私の場合だと、少し横歩きに近かったと思います。
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それでは冒頭の2番手の細さの道路を進んでいきたいと思います。
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トンネルの出口です。
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反対側から見た光景です。
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建物の間をぬって進みます。前から高校生たちが着ました。
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急な坂道になった来ました。
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坂道で娘に記念写真を撮ってもらいました。急な坂道からは修道院付属教会の塔が見えています。塔の先端が隠れているのは私が持っている傘です。この時も小雨が降っていました。
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登って来た細い道です。
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細い道を登って来ると見晴らしの良い太い道に出ました。
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そこには大きな建物がありました。住居エリアと言う感じでした。
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そこから見上げると修道院の付属教会の150mの塔が見えます。
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子供たちが集まれるような広場もあり、この後に来てみると子供たちが昼食を食べていました。
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岩登りをするような職業の人達にも出会いました。
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海の方を見ると、煙突に海鳥が巣を作っていました。
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進んでいくと道が細くなった来ました。こちらも制服姿の人達が歩いていました。
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大通りに近づくと道はさらに細くなってきました。
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正面に紹介したくとサン・ピエール教会(Église Saint-Pierre)が見えてきました。
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道の脇には、いわくありげな石の飾りがありました。
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トンネルを抜けると大通りでした。このトンネルはサン・ピエール教会の建物を貫いています。
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こちらが、もう一つの2番手の道路です。このクラスの細さの道路が2ケ所にあったことになります。一番細い路地の近くでした。建物の密集地域ほど細い道が多くありました。
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このくらいの太さの道が最も多かった気がします。
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建物の間に巧みに道路が作られていました。
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道路は左右だけでなく上下にも迷路のように複雑に曲がっていました。
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このあたりはテクさんの建物が建っているところでした。
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修道院の内部見学した後は島の北側に出ます。そこから西側を撮った写真です。北側には修道院以外の建物は見当たりませんでした。
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北側は建物が絶壁のようになっていました。
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絶壁の建物下から見上げた教会の塔です。
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石の道も複雑に伸びでいました。
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絶壁のような建物の下には大砲が並べられた広場がありました。
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大砲が並べられた広場に向かう道です。
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ここを降りると大砲の広場にでした。
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こちらが大砲です。
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海の方から攻めてくるとしたらこちらの方向になります。高い位置からの砲撃になるので船に対しては優位だったのだと感じました。
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最も西側から見上げた景色です。
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大砲の広場の一番西から陸地である南方向を撮った写真です。海鳥が印象的でした。満潮に近い時間帯のためモンサンミッシェルが島になった時間帯でもありました。
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海鳥は逃げないので写真を撮りたくなります。
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私も海鳥を撮りました。
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飛んでいる海鳥です。
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建物は修道僧の住居部分でした。この建物の向こう側に付属教会の前の広場である「西のテラス」があります。
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posted by SORI at 10:21| Comment(26) | TrackBack(0) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンサンミッシェル島内で一番細い路地

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モンサンミッシェルの島内を2日間ほど歩き回って沢山の路地を歩きました。その中で一番狭い路地(一番細い路地)を紹介いたします。実はこの路地の前で偶然にも、同じツアーで車が一緒で、対岸のレストランでふわふわオムレツを一緒に食べた方に出会ったのです。その方が、ガイドさんの教えてもらった路地だと言われていたのです。その後に島内の路地を歩きましたが、確かに一番狭い路地なので間違いないと思います。

その細い路地の入口は大通り(グランド・リュー / Grande Rue 路地)にありました。細い路地を探す目印なのが、お店の左側の柱の壁飾りの白い像です。この柱の左側に細い路地があります。修道院から連絡道路の方向に下りてくる方向を撮った写真です。修道院から降りてくるときは右側にあります。
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連絡道路からグランド・リュー通りを登って行く方向の写真も紹介しておきます。当然ですが左側に細い路地の入口があります。Googleのストリートビューでも発見できました。→ポチッ
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壁飾りを売っていたお店は、写真の看板( à la Croix Blanche )のホテル兼レストランの向かいにありました。上の写真にもこちらの看板が写っています。ホテル兼レストランの名前はÀ la Croix Blancheです。
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もう一度正面から見ていただきます。
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最初に階段がありました。
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階段をを登った奥はさらに狭くなります。女性の方でも肩の部分は当たるので上体は斜めにして進みます。
私の場合だと、少し横歩きに近かったと思います。
成田空港を2016年5月8日11時40分に出発し、翌日の5月9日15時32分にモンサンミッシェルの細い路地に来ていたのでした。7時間の時差があるとは言え、驚異的なことのように感じました。ここで偶然に会った女性の方とは別れましたが、13分後には自分達でも歩いてみました。2日目も含めると、この道は5回以上通りました。それほど便利な道でもあるのです。
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路地を進んで撮った写真です。狭さが実感してもらえるのではないかと思います。
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さらに進みました。石畳の道には排水のための丸く凹んだ溝が道の中央につけられていますが、こちらの細い路地にも排水溝が中央に作られていました。まさに排水溝の幅の路地だったのです。排水溝がちゃんと中央に作られていることからも、認知された道であると感じました。
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細い路地を抜けた景観です。
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振り返って路地の方向を見て、その細さを実感いたしました。まさに排水溝の幅でした。
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こちらの道に出ることが出来た訳です。
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その道からの景色も紹介いたします。見えている連絡道路には連絡バスの姿もありました。
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この地図の紫色ライン(━━)が今回紹介のモンサンミッシェルで最も細い路地です。①②③がモンサンミッシェル島入口から修道院入口までの道です。
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
 ━━ モンサンミッシェル島内散策路
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 一番沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道 
 ━━ ③ファニルス城壁門からのルート
posted by SORI at 09:21| Comment(18) | TrackBack(2) | Mont Saint-Michel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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