2025年04月13日

マリー・アントワネットが暮らした村里(Le Hameau / ル・アモー)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が16/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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マリー・アントワネットが住んでいた北側と東側には自然のままを特徴としたイギリス式庭園が広がっていました。そのイギリス式庭園を発展させて人間の住んでいる村を作り込んだのが、「王妃の村里」の呼ばれる空間です。日本では「王妃の村里」と呼ばれていますがフランスでは単に村里(Le Hameau または Hameau )と呼ばれています。ヴェルサイユ宮殿の中の村里と言えば、ここしかないのでわざわざ「王妃の村里」と呼ぶ必要がないのかもしれません。

その村里あたりの航空写真の建物を着色してマークを入れてみました。黄色のライン( ━━ )は村里の中を歩いたルートです。
離宮の庭園に大きな池を掘り、池のほとりには塔や納屋、はと小屋やニワトリ小屋、風車小屋などを作り、更には番人小屋や小さなわらぶき屋根の家まで作りました。
村落の周りには田園が広がり、住み込みで働く農夫婦、庭師、牛飼いなどもいて、ヤギや羊、うさぎや牛、ニワトリ、はとなども連れてこられたそうです。本物そっくりに作られたこの田舎を、のんびり散歩するのがマリー・アントワネットは好んだそうです。農夫が牛の乳を搾ったり、それでチーズを作ったりするのを見て満足していたそうです。まさに世界に一つしかない、究極のイギリス式庭園だったのです。建物の名前は撮った写真と、ネット上に掲載されている沢山の記事を比べて決めました。もし間違いがある場合は指摘していただければ嬉しいです。ちなみに掲載している写真は右下のマリー・アントワネットの肖像画以外は全て私が撮った写真です。マリー・アントワネットがこの村で暮らしている時は麦藁帽子質素なドレス姿だったそうです。そのような絵は見つからないため宮殿でのドレス姿の肖像画を掲載しました。
名前の決定の参考にした記事の一例です。→記事1 記事2 記事3J 記事3F
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 ② 私室           Le Boudoir
 ③ 王妃の家         La maison de la Reine
 ③   ビリヤードの家     La maison de la Reine
 ④ 料理保温室       Le Réchauffoir
 ⑤ マルボローの塔     La tour de Malborough
 ⑥ 酪農小屋         La Laiterie de propreté
 ⑦ 鳩舎           Le Colombier
 ⑧ 庭師の家         La Maison du Jardinier
     又は 衛兵の家     La Maison du Gardien
 ⑨ 建物跡(酪農仕込小屋) La Laiterie de préparation
 ⑩ 建物跡(納屋)      La Ggrange
 ⑪ 農場            La Ferme


より判りやすくするために配置図でも建物の位置を紹介します。
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小トリアノンの方から歩いて来て最初に目に入って来た景色です。この村里が作られたのはマリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿の生活から遠ざかりたいと思い始めたことが発端でした。親しい宮廷の女性たちに囲まれながら田園生活のひと時を求めて1783年に今回のような村里を欲したことから作られました。村里はノルマンディー地方の本当の村を真似て作られていて、大きな湖の周りに11軒の家が建てられて上の航空写真のように今でも残っています。
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大きな湖の畔に建っているのはマルルボローの塔(⑤)で、ボート遊びや釣り遊びに出かける時の出発点となっていたそうです。
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遠くには農場(⑪)が見えます。マリー・アントワネットのフランス語でのフルネームを紹介します。 
 Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne(マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ)又は
 Marie-Antoinette d'Autriche(マリー=アントワネット・ドートリッシュ)
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花が咲いた木のあたりには人が集まっていました。おそらくここが村里のベスト撮影ポイントなのだと思います。
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ベスト撮影ポイントに近い場所から撮った村里です。左端が上の花の咲いていた木が立っている場所です。この写真は、クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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それでは①の水車小屋から⑪の農場までを順番に紹介したいと思います。ネットから転用させていただいた、この航空写真には建物跡も含めた①~⑩の建物が写っています。写真クリックすると沢山の畑も確認できると思います。
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水車小屋(Le Moulin)
こちらが歩いて来た方向から最初に間近で見た水車小屋です。
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水車小屋は湖のほとりから流れる川岸に建てられていて、その水車によって、実際に穀物が挽かれたそうです。この小屋には共同洗濯場もあり、村里での生活に利用されたそうです。
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裏側から見た水車小屋です。
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私室(Le Boudoir)
ここは王妃の私室として利用されました。ブドワール(Boudoir)と呼ばれた王妃の小さい家は、広間と衣装部屋から構成され、周りを囲む庭は密閉されたものだったそうです。その建物は、葦葺きの屋根、屋根窓、庇、石階段などが特徴的です。
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別の角度から撮った私室(Le Boudoir)で広い畑に囲まれていました。
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Le Boudoirと書かれた案内板と一緒に撮った写真です。広い畑の中に建っていることが判ってもらえると思います。クリックすると判ると思いますが1783年と書かれています。おそらく1783年に家が建てられたのだと思われます。マリー・アントワネットが27歳か28歳の時に建てられたので、結婚から12年目か13年目になります。ちなみにマリー・アントワネットの誕生日は1755年11月2日で、結婚(1770年5月16日)は14歳でした。
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王妃の家(La Maison de la Reine)
③'  ビリヤードの家(La maison de la Reine)
王妃の家は補修工事中でした。
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補修中の建物の横に写真が貼られていました。その写真がこちらです。
王妃の家は村里にある建物の中で最も大きな建造物で、2つの建物から構成されています。2つの建物はマリー・アントワネットのモノグラムが入った青や白の陶製植木鉢で飾られた木の回廊でつながれています。厳密に言えば右側奥に位置するのが王妃の家(La Maison de la Reine)で、その1階には食堂と遊戯の間、2階には大広間、小広間、中国様式小部屋があります。左側手前に位置するのがビリヤードの家(La Maison du billard)で、その1階にはビリヤード室、2階には小居室があります。
小トリアノンの女主人であるマリー・アントワネットは、麦藁帽子と質素な白モスリンのドレスに身を包み、回廊の上から畑仕事の模様を見晴らしていたと想像されています。
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湖の対岸から撮った「王妃の家」です。シルエットのように建物の形が確認できると思います。
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料理保温室(Le Réchauffoir)
奥まった場所にあったので写真は遠くから撮ったこの一枚だけでした。
建物の中には大きな調理場、食料戸棚、小さな配膳室があるそうです。
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マルボローの塔(La tour de Malborough)
酪農小屋(La Laiterie de propreté)
マルボローの塔と呼ばれた漁場監視塔は、小舟で行く池の散歩コースの出発点であり、川カマスやコイなどの魚を捕らえるための釣り具も収容されていたそうです。上階は展望所の役割を果たし、そこからヴェルサイユ宮殿と信号の交信を行うこともできたそうです。塔の名前は、その当時流行した「英国びいき」を反映したもので、1722年のマールバラ公(フランス語の発音でマルボロー公)の死を悲しんで作られた曲からきているそうです。
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右の建物が酪農小屋(La Laiterie de propreté)と思われます。ただし100%の確証はありませんが、本建物を酪農小屋(La Laiterie de propreté)と書かれているネットでの記載がもっとも多かったのです。
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写真の一部から⑥の酪農小屋(La Laiterie de propreté)を切り取って拡大いたしました。この建物の向かいにあった酪農仕込小屋で作られて乳製品を、マリー・アントワネット王妃が、この酪農小屋で試食されていたそうです。そのために、この酪農小屋には大理石のテーブルや磁器食器類が備えられていたそうです。
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湖の対岸から見たマルボローの塔(La tour de Malborough)と酪農小屋(La Laiterie de propreté)です。絵になる景色でした。
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鳩舎(Le Colombier)
この小屋が鳩舎(Le Colombier)にはとても見えないので、これが鳩小屋であることは一番自信がなかったのですが、この建物をLe Colombierと記載した記事が沢山掲載されていました。さらにネットので鳩舎(Le Colombier)に対するHPの公式の記載内容の中の石橋や川の記述から、これが鳩小屋(鳩舎)である確証を得たのでした。そのネットでの記載内容を枠内に転記いたしました。
今ではなくなってしまった舞踏室、納屋、鶏小屋の横には、風情のある鳩舎が現在でも残っています。その傍らに流れる川にはコイが溢れ、石橋がかかっています。
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上の写真の裏側から撮った鳩舎(Le Colombier)です。確かに鳩(はと)が出入する穴とも思われる穴が9つ見えます。近くにあった酪農仕込小屋の跡地の⑨ の近くには⑥ と⑦ しかないので、この⑦が鳩舎であればれぱ、自信がなかった⑥も酪農小屋であるとの確信が持てたのでした。
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鳩の出入口と思われる穴がある部分を拡大いたしました。上に3つ、下に6つの穴を確認してもらえると思います。間違いなく鳩小屋/鳩舎(Le Colombier)でした。
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別の角度から見た鳩舎 / 鳩小屋です。
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庭師の家(La Maison du Jardinier) 又は、
    衛兵の家(La Maison du Gardien)
ネットで見るとこの建物のことを衛兵の家(La maison du Gardien)と書かれていましたが、小屋の前に建てられていた案内板にはLa Maison du Jardinierと書かれていたのです。La Maison du Jardinierを翻訳すると庭師の家だったのです。    
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こちらがLa Maison du Jardinierと書かれていた案内板です。1784年と書かれています。
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庭師の家(衛兵の家)にはかつてスイス人ジャン・ベルシーが住んでいたそうです。その囲いの一部は格子細工のアーチで覆われた小道に隣接し、そこでは球遊びが楽しまれました。正面に見えているのは鳩舎(Le Colombier)で、今は補修中ですが王妃の家も望めました。
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建物の中に入ることが出来ました。中は展示室になっていました。
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トイレもありました。トイレが少なかったので貴重な存在でした。
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建物跡(La Laiterie de préparation)
酪農小屋の向かいにあった酪農仕込小屋の跡です。第一帝政時代に壊されたそうです。
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案内板に書かれていたLa Laiterie de préparationから酪農仕込小屋の跡であることが判りました。ここではクリームやチーズが製造されていたそうです。牛乳からクリームを分離する作業やバターを作るための攪拌作業なども行われていたそうです。そこで仕込まれた乳製品は、すでに紹介した酪農小屋(La Laiterie de propreté)で王妃によって試食されていたそうです。案内板には1783年と書かれています。
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建物跡(納屋 La Ggrange)
酪農仕込小屋跡の横にも建物跡がありました。こちらは納屋(La Ggrange)の跡地です。奥の建物は⑧の庭師の家です。
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農場(La Ferme)
湖のエリアから離れた場所にも村がありました。それが農場でした。。
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農場は沢山の建物と広い敷地で構成されていました。
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突然に足元に座ったニワトリ(鶏)を見つけました。
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よく見ると沢山の鶏が放し飼いにされていました。
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建物の一部です。
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農場の建物も趣がありました。本格的な農場でした。
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少し離れた位置からの写真です。
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農場の門です。入口の門(ポーチ)は二つの石球で装飾されていました。
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門の辺りも、離れた位置からの写真を紹介します。
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豚さんも放し飼いになっていました。
農場では、王妃の要望に応えてスイスから持ち込まれた動物たちが飼育されていたそうです。その動物の中には雌牛、雄牛、子牛、雌山羊、ヤギ、ヒツジ、強暴でない白雄山羊 なども含まれていたそうです。
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離れると農場の広さが判ってもらえると思います。
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羊(ひつじ)や山羊(やぎ)達も幸せに暮らしているようでした。
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羊をアップいたしました。
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山羊は人なつっこくて手から草を食べてくれました。
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さらに遠くから撮りました。王宮の敷地の中にこのような場所があったのです。
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何度も紹介した地図ですが、王妃の村里()の位置を紹介したくて地図を掲載いたしました。
   王妃の村里 マリー・アントワネットが暮らした村里
   ヴェルサイユ宮殿(Le Château de Versailles)
   大トリアノン宮殿(Le Grand Trianon)
   小トリアノン宮殿(Le Petit Trianon)
   ランチを食べたレストラン La Flottille
 ━━ 庭園内で乗ったミニ・トレインのルート
 ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
 ━━ ヴェルサイユ宮殿敷地境界
posted by SORI at 19:11| Comment(50) | TrackBack(0) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェルサイユ宮殿の緑の中を散策

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が15/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ヴェルサイユ宮殿の庭園は幾何学的なフランス式庭園ばかりとだと思いましたが、自然な森のような庭園や自然豊かなイギリス式庭園も広がっていました。本記事では大トリアノン宮殿から出発して、小トリアノン宮殿や、王妃の村里(Hameau)を散策した景観を紹介したいと思います。王妃の村里(Hameau)内に関しては、特別にとりあげる値打ちがあると思いましたので、別途掲載したいと思います。

下記のGoogle地図で、散策したルート(━━)を紹介したいと思います。建物の部分はマークと同じ色で着色をいたしました。  
   大トリアノン宮殿 (Grand Trianon)
   小トリアノン宮殿 (Petit Trianon)
   フランス式あずま屋 (Pavillon Français)
   フランス式あずま屋 (涼みの館 Pavillon Frais)
   愛の殿堂 (Temple del Amour) 
 ━━━ 徒歩で歩いた散策ルート


大トリアノン宮殿を出発してすぐの景色です。広い道が真っすぐに北西方向に延びでいました。
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歩いている女の子たちがダンスしたくなるような雰囲気でした。道の突き当りに見えるのはBuffet d'eauと呼ばれている噴水です。ただし、時間の関係で途中で引き返したので噴水までは行きませんでした。
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途中にはこのような噴水もありました。
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この道は橋なのです。
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その橋の下には石畳の小道が通っていました。
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庭園の中に小さな建物が見えました。これが小トリアノン宮殿ではないかと思いましたが、庭園の中のフランス式あずま屋でした。
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そのフランス式あずま屋を拡大いたしました。このあずま屋は、当時流行し始めていたイギリス式庭園に対して、フランス式と呼ばれ始めた左右対称の庭園の中に位置しているために「フランス式あずま屋」と呼ばれています。1750年にガブリエルによって築かれたもので、トリアノンにおけるルイ15世の最初の建造物の一つだそうです。ルイ15世は幼少の頃からこの地所に強く惹かれていたそうです。ポンパドゥール侯爵夫人を連れたルイ15世は、植物庭園を散歩したり、あるいは隣の「涼みの間」で軽食を取った後にここで休息を取ったり音楽を鑑賞したりしたそうです。
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航空写真で上から見るとこのような四方向・点対称の建物でした。円形の大きな広間が中心にあり、周囲に私室、料理保温室、厨房、衣装部屋の4つの小さな部屋を配した構造です。


あずま屋の西側の庭園です。
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あずま屋の南側にも趣のある建物がありました。この建物は「涼みの館(Ppavillon Frais)
」です。これはフランス式あずま屋の第2の別館として建てられて、酪農小屋と菜園の産物を味わうための食堂として使われたそうです。
この建物を修復した時の動画があったので紹介します。→ポチッ
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小トリアノン宮殿から東側には広いイギリス式の庭園が広がっていました。遠くに見える丸い建物は「愛の殿堂(Temple del Amour)」と呼ばれています。マリー・アントワネットの自室(2階)から見えた景色でもあります。ただし写真は1階から撮った景色です。
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こちらが近くで撮った「愛の殿堂(Temple del Amour)」です。
この愛の殿堂は1778年にリシャール・ ミックにより建設されました。この建物には新古典主義様式が採用されています。全体が大理石で出来ていて、コリント式柱頭、 浮彫装飾、そして内部にデシャンの彫刻が彫られた円屋根を特徴としています。中央にはフランスの彫刻の傑作として知られるブーシャルドンの作品「ヘラクレスの棍棒で弓を作るキューピッド」が飾られています。ただし現在はレプリカで、オリジナルの彫像はルーブル美術館にあります。レプリカと言えども18世紀のもう一人の偉大な彫刻家、ムシーによって作られたレプリカです。
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広い庭園には細い道が沢山あり、迷ってしまうほどでした。
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鳥さえも庭園の一部の景色になっていました。
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庭園の散策をした小トリアノン宮殿に戻ってきました。
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posted by SORI at 10:38| Comment(30) | TrackBack(0) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月12日

小トリアノン宮殿(Petit Trianon) マリー・アントワネットが住んだ家

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が14/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前々記事でヴェルサイユ宮殿の敷地内の離宮である大トリアノン宮殿(Grand Trianon)を紹介いたしましたので、ここでは、同じくヴェルサイユ宮殿敷地内にある小トリアノン宮殿(Petit Trianon)を紹介いたします。フランス語ではLe Petit Trianonと書かれていますが、日本語ではは小トリアノン宮殿あるいは単に小トリアノンあるいはプティ・トリアノン離宮と訳されています。その小トリアノン宮殿は新古典主義建築で、建物は2階建ての正方形です。内装はロココ様式の最高峰とも評されるそうです。1762年から1768年に、ルイ15世の公妾のポンパドゥール夫人のために建てられたものでアンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)の設計によるものです。しかしながら、本宮殿が完成した時には、ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっていました。その後1774年に、国王のルイ16世により彼の王妃であるマリー・アントワネットに与えられることで、マリー・アントワネットの専用の住居となりました。そのためにマリー・アントワネットと言えば「小トリアノン宮殿」と、周辺のイギリス式庭園である「王妃の村里」と連想されるようになったのです。

下と右の地図のが小トリアノン宮殿です。小トリアノン宮殿(プティ・トリアノン / Petit Trianon)はヴェルサイユ宮殿の北西方向の直線距離で1.4kmの位置にあります。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   小トリアノン宮殿  臙脂で囲った部分
   大トリアノン宮殿  緑色で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ 乗ったミニ・トレイン


周辺のフランス式庭園とイギリス庭園を散策した後、イギリス式庭園方向から小トリアノン宮殿が見えてきました。
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西に広がるフランス式庭園の方向から見た小トリアノン宮殿です。
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南方向から見た小トリアノン宮殿です。右奥に小さく見える小さな丸い建物はイギリス式庭園の中にある「愛の殿堂」と呼ばれているあずま屋です。
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小トリアノン宮殿から南側の石畳の広場を見た写真です。
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こちらは小トリアノン宮殿から西方向のフランス庭園の景観です。見えている建物はフランス式あずま屋です。
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そして、こちらが北方向の自然豊かな庭園の景観です。
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小トリアノン宮殿脇から見た東方向の景観です。左の建物が小トリアノン宮殿です。見えている丸い建物は「愛の殿堂」と呼ばれています。
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建物に入ると、最初に階段が目に飛び込んできました。豪華なヴェルサイユ宮殿や大トリアノン宮殿に対して、小トリアノン宮殿の内装は簡素さに特徴がありました。簡素さの中にも整然とした豪華さ、秩序、完璧さにあると書かれていました。
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見事な食器が飾られている部屋がありました。壁はシンプルで知らないで来ると王妃が住んでいたとは思えない内装でした。
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建物の石材がそのままの部屋もありました。
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通路も石材が直接見えました。ただし滑らかに仕上げられていました。
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一番印象に残ったのはこちらの部屋でした。装飾はありませんが壁の曲線と暖炉の曲線が美しかったです。
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右の壁際のレンガのテーブル状のように見える物は竈(かまど)で6つの焚口がありました。それぞれの火力を調整できたのだと思います。現代で言えばコンロである竈(かまど)の後ろの壁には鍋やフライパンが並べられていました。つまりここは小トリアノンの厨房だったのです。
お陰で16世紀のコンロである竈(かまど)の構造を勉強することが出来ました。写真をクリックすると拡大するので竈(かまど)の構造がわかると思います。
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次に2階を見学するために階段を登りました。
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2階に上がりました。
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クリックすると拡大階段や窓のの手摺は、錠前職人フランソワ・ブロショワによって作られたマリー・アントワネットの頭文字「MA」と王家のユリの紋章で装飾されていました。
右の写真は玄関ホールから見た階段の写真です。このことからも小トリアノンがマリー・アントワネット王妃のための宮殿であったことが覗えました。
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階段ホールも石材がそのままの壁でしたが、見事な彫刻が施されていました。
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こちらの壁の彫刻は髪の毛が蛇で有名なメドゥーサです。直接に見ると石になってしまうことで有名です。メドゥーサ(Μέδουσα / Medoūsa)はギリシア神話に登場する怪物で、ゴルゴーン3姉妹の一番下の三女でした。姉はステンノー(強い女)とエウリュアレー(広く彷徨う)です。メドゥーサ(Medousa)の語源は女支配者、王妃、女王だそうです。
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クリックすると拡大2階に上がると金色の装飾が使われていて、王妃の宮殿であったことが実感されてきました。
最初の部屋に入ると、マリー・アントワネット(1755年11月2日~1793年10月16日 37歳没)の肖像画の中でもネット上で最もよく使われている1枚が飾られていました。
この肖像画は、マリー・アントワネットが最もお気に入りだった女流画家ヴィジェ・ブランによる作品で、1783年に描かれたそうです。
右の肖像画はWikimediaから転用させていただきました。
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次の居間も見事でした。大きなシャンデリアがありました。
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次の部屋は、また違った雰囲気でした。部屋の中央が見学通路になっていて、こちらの写真は通路の右側です。
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こちらの写真は通路の左側です。
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次の小部屋も女性の部屋らしい華麗さがありました。徐々にプライベートの空間に入ってきたように関しました。
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次の部屋がマリー・アントワネット王妃の寝室でした。見事なベット(寝台)が印象的でした。
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不思議な椅子状の物もありました。写っている説明書きには「Garde-robe à chaise Salle de bainsl」と書かれていました。Garde-robeはロードローブ(クロゼット/衣装ダンス)です。Garde-robeの部分は不鮮明で読み間違いがあるかもしれません。à chaiseは椅子で、Salle de bainslはバスルームです。全体的な意味は分かりません。ロードローブの意味がカギになって来るようです。今回の場合は収納箱的な意味の可能性が高いです。
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2階の見学が終り、階段を降りました。
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最初に見ていない1階の空間を見学いたしました。石の廊下です。
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芸術的に曲がった廊下も印象的でした。ここでフランス最高権力者の王妃(マリー・アントワネット)が住んでいたと思うと、感慨深いものがありました。
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posted by SORI at 18:32| Comment(46) | TrackBack(3) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェルサイユ宮殿の大時計

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
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ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
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ヴェルサイユ宮殿の建物を外から見て一番気になるのが、建物の中央、王の寝室の真上にある大時計です。今回は、その大時計の写真を紹介したいと思います。2階の中央の3つ窓の部屋が王の寝室です。地面で少し高くなっている部分は「大理石の中庭」と呼ばれているところです。

王の寝室より上の部分を拡大いたしました。
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3階より上の部分を拡大いたしのした。
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大時計の周囲は石像で飾られていました。左右の像は神話に出てくる神なのでしょう。時間は丁度、11時でした。
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大時計を一番拡大した写真です。クリックすると拡大
冒頭の写真(右の写真)を撮った同じ位置から長年使っているCanon 5Dの標準ズームレンズで撮りました。三脚は旅行には持ってこなかったし、400mmの望遠ズームレンズはホテルに置いてきたし、写真の解像度上、これより大きく拡大した写真は掲載できません。
青空と黄金の太陽をモチーフとした時計です。フランスの王室によって時計が格段に進歩したそうです。確かに展示されていた懐中時計や置時計はすばらしかったです。この大時計も、その時代の最先端の技術が駆使されたのだと思います。
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王の寝室の前の欄干が見事なので拡大してみました。
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周囲の屋根の部分の金の装飾が見事なので2枚の写真で紹介します。こちらは「大理石の中庭」から見て左側コーナーの部分です。
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こちらは右側コーナーの部分です。
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posted by SORI at 07:29| Comment(28) | TrackBack(0) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月11日

大トリアノン宮殿(Grand Trianon)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が12/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
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ヴェルサイユ宮殿から循環トレイン(ミニトレイン)に乗って最初に向かったのがヴェルサイユ宮殿敷地内にある大トリアノン宮殿(Grand Trianon)です。大トリアノン宮殿は1670年にルイ14世が宮廷の目を逃れモンテスパン夫人と会う隠れ家として中国風の小宮殿「磁器のトリアノン 」を建造し、1687年ジュール・アルドゥアン=マンサールの設計により改築したものだそうです。大トリアノン宮殿はリンダーホーフ城のデザインにも影響を与えたそうです。ここでは戦勝国によるハンガリー分割を行うトリアノン条約の調印が行われました。1963年から1966年に改修が行われ、その後は迎賓館として用いられました。上はGoogle航空写真の3D機能で表示させた大トリアノン宮殿です。

ルイ14世の時代の大トリアノン宮殿には義妹の パラティーヌ王女、娘婿のシャルトル公爵、娘のブルボン公爵夫人が居住し、またマリー・レクザンスカもこの宮殿を好み、気候が良い時期に滞在していたそうです。マリー・アントワネットは、この宮殿で時々芝居を上演していましたが、住まいとしては、ルイ16世から贈られた小トリアノン宮殿(Petit Trianon)のほうを好んでいました。
ナポレオン・ボナパルトは、この宮殿の修復を命じ、その後は妻のマリー・ルイーズ皇后とともに何度も滞在したそうです。
ド・ゴール将軍は1963年に大トリアノンの改築を指示して共和国の迎賓館として利用できるようにするとともに、森のトリアノンと呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置させたそうです。
下記の地図のが大トリアノン宮殿です。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   大トリアノン宮殿 緑色で囲った部分
   小トリアノン宮殿 臙脂で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界


東方向から見た大トリアノン宮殿です。この宮殿の奥に大トリアノン宮殿のための広い庭園が広がっています。大トリアノン宮殿は薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿はイタリアの建築様式の影響を受けた1階建ての建物です。
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こちらが南側です。
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こちらが北側です。
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南側の奥に入口がありました。ここから入りました。
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我々も入口に向かいました。
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入口を入ると中庭になっていました。列から離れて写真を撮らせてもらいました。
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その中庭の写真です。
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薔薇色の大理石が使われていることが判ってもらえると思います。
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中庭から建物の中へ入りました。
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緑色で囲った部分()が大トリアノン宮殿です。建物の中には沢山の部屋がありましたので紹介したいと思います。
 ① 居間-1(名前は不明)
 ② 居間-2(名前は不明)
 ③ 鏡の間(Le salon des Glaces)
 ④ 皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
 ⑤ 礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
 ⑥ 柱廊(Le Péristyle)
 ⑦ 円形の間( Le salon Rond)
 ⑧ 控えの間(L’Antichambre)
 ⑨ 音楽の間(Le salon de Musique)
 ⑩ ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
 ⑪ 孔雀石の間(Le salon des Malachites)
 ⑫ 皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
 ⑬ 涼みの間(Le salon Frais)
 ⑭ コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
 ⑮ 森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
 ⑯ トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)



居間-1(名前は不明)
宮殿の中に入って最初に入った部屋です。赤色の椅子と黄金色の脚のテーブルが印象的でした。
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シャンデリアが宮殿の部屋であることを感じさせてくれました。
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長い廊下を通って次の部屋に向かいました。
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居間-2(名前は不明)
2番目に入った部屋がこちらです。こちらも調べてみましたが部屋の名前は分かりませんでした。窓からの光は制限されていて暗かったけれども、やはり宮殿部屋だと感じられました。
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部屋ごとにソファーや椅子の色が違うのが印象的でした。部屋の中では色は統一されていました。
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鏡の間(Le salon des Glaces)
こちらの部屋が沢山の部屋の中で最も美しい部屋であったと思います。ネットで検索しても南棟で最も美しい部屋と書かれていました。こちらの部屋も窓からの光を制限されていました。目で見ると写真ほどは暗く感じませんでした。
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少し露出調整して明るくしてみました。美しい部屋だと実感してもらえるのではないでしょうか。
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角度を変えて撮った写真です。この部屋は1691年から1703年までルイ14世が使用し、閣議もここで行われたそうです。トリアノン宮殿のほとんどの部屋と同じく、装飾は元のままに保存されていますが、家具調度品は革命時に売却され、ナポレオンによって他の家具と入れ替えらたそうです。
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シャンデリアも見事でした。1810年から1814年までは、マリー=アントワネーットの姪の娘にあたるマリー=ルイーゼ皇女が大客間として使用していたそうです。
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鏡の間の窓からの庭の景色です。
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皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
帝政期には皇后マリー=ルイーズが使用し現在の状態に家具調度品が整えられました。
元はルイ14世の寝室で、部屋を区分しているコリント式の柱と、モザイク式に彫刻された素晴らしい木工細工の装飾が特徴的です。
調度品のほとんどは皇后が使用して時代のものですが、ベッドだけは、ナポレオンがチュイルリーで使用していたものだそうです。ルイ16世の兄弟のルイ18世が1824年に亡くなった時のベッドでもあります。
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こちらの部屋の椅子やソファーはシックな赤色に統一されていました。
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ベッドを正面から撮りました。
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ベッド部分を拡大いたしました。さすが王室の人達が使ったベッドです。
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柱で仕切られた小部屋も紹介します。
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小部屋の方から見た寝室です。
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礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
こちらが南棟で最後に紹介する部屋です。元々、この部屋は礼拝堂でした。
1691年にルイ14世が、ここに居を構えた時に、控えの間に改造されましたが、当初の目的を維持していたそうです。奥の扉から祭壇の奥まった部分に通じており、ミサが終了すると扉を閉めて部屋として使ったようです。
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絵画は福音の伝道師である聖マルコと聖ルカが描かれています。
ジャン=バティスト・ヴァン・ローの描いたルイ15世とマリー・レクザンスカの肖像画が、トリアノンの王妃の滞在を象徴しているそうです。
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礼拝堂の間にふさわしく十字架も部屋に飾られていました。
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柱廊(Le Péristyle)
柱廊は部屋ではなく南棟と北棟の間の屋根のある屋外の空間です。
ただし1810年にナポレオンは、自分の居室と皇后の居室の行き来を容易にするために、ペリスタイルの両側をガラス張りにさせて部屋の回廊になったそうです。ただし、1910年にガラス張りは取り払われて現在形になったそうです。この柱回廊が大トリアノン宮殿の特徴になったと言えます。南棟側から北棟方向を見た景観です。
東側が四角い太い柱で、西側が丸い柱です。
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こちらが東側の四角い太い柱です。薔薇色の大理石がふんだんに使われています。
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こちらが北棟から南棟方向を撮った景観です。丸い柱にも薔薇色の大理石が使われていました。
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庭園から見た大トリアノン宮殿です。中央の柱が並んだ部分が柱廊です。
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東の石畳の広場から見た大トリアノン宮殿です。中央が柱廊です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大します。是非とも宮殿の雰囲気を感じてください。
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円形の間( Le salon Rond)
柱廊から北棟に入ったところが円形の間です。円形の間というよりはホールと言った感じです。このホールから1688年から1691年までルイ14世が3年間だけ使用した最初の居室に入ることができます。
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こちらがルイ14世が3年間だけ使用した居室ではないかと思います。
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比較的広い部屋でした。
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控えの間(L’Antichambre)
元々はルヴァンの書斎でしたが、マントノン夫人の大客間になったそうです。1812年、中二階へ通ずる階段を作ったために奥行きが浅くなり、皇帝の秘書の書斎になったそうです。
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音楽の間(Le salon de Musique)
この部屋に入って最初に目に入ってきたのはビリヤードの台です。今のビリヤードの台のような穴はありませんでした。ナポレオン時代に入れられたために、その時代のビリヤードの台のようです。
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見事な装飾品でした。ルイ14世の最初の居室の控えの間で、王の夕食が出された部屋だったそうです。王の食事中に演奏家が音楽を奏でたことから音楽の間と呼ばれているようです。
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ビリヤードの台をアップいたしました。穴が無いように見えましたが、コーナーには穴があるようです。クリックすると判ると思います。
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ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
広い部屋でした。この広い部屋はルイ・フィリップが、2つの部屋を合わせて作らせたそうです。黄色を基調にした椅子が印象的な部屋でした。
トリアノンに滞在することを好んだ王と家族は、夜になると、この広間でまれてひと時を過ごしたそうです。
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椅子やソファーだけでなく壁も黄色にそろえられていました。
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黄色基調の家具は当時流行した家具だったそうです。
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見事なな部屋で南棟の鏡の間と美しさを争う部屋だと思います。
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孔雀石の間(Le salon des Malachites)
ロシア皇帝アレクサンドル1世がナポレオンに贈った孔雀石の台が、この部屋の名前になっているそうです。
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宝石で出来た台と言えるのかもしれません。
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孔雀石は存在感がありました。
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皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
元々は書斎で、泉の木立ちに向かって開かれた部屋でした。ル・ノートルの最後の設計で、小川が小さい森を縫って流れていたこの木立ちは、ルイ16世の時に取り払われたそうです。この部屋はマントノン夫人の居室に通じ、木工細工の装飾は1713年の製作でその中にヴェルサイユの庭園の眺めがはめ込まれていました。
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1810年にナポレオンはこの部屋を地図の間にし、隣の部屋を小居室にしたそうです。
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涼みの間(Le salon Frais)
この部屋が北棟の北に端にあることから、涼みの間の名前がつけられたようです。この部屋はナポレオンの閣議の間として使用され、シャルル10世がここで1830年7月31日、大臣たちに別れを告げた場所でもあるそうです。
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時計のように見えるのは気圧・温度計でバイイの作品だそうです。
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コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
この回廊はトリアノンの花壇を冬の寒さから保護するために建造されたそうです。この回廊は南側(左側)には12の両開きのフランス窓があるのに対して、北側(左側)には5つしかありません。
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この回廊は24の絵画で飾られています。そのうちの21枚がジャン・コテルの作品です。これらの絵画には1687年の造園当時のヴェルサイユとトリアノンの木立ちが描かれており、17世紀の庭園の貴重な資料にもなっているそうです。
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第一次世界大戦の ハンガリーとの講和条約が1920年6月4日に調印されたのもこの回廊だったそうです。
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長椅子が置かれている部分にはルイ=フィリップが、ルイ15世のラングドック産大理石の氷入れが入った食器戸棚が置かれていました。
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正面の建物の中がコテルの回廊です。
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森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
単にトリアノン・スー・ボワとも呼ばれている棟です。
宮殿建設から20年が経過してルイ14世の家族全員が住むには狭すぎるものになりました。王の願いを満足させるために、ジュール・アルドゥアン=マンサールが、この「森のトリアノン翼棟」を建設したそうです。今までの建物が1階建なのにたいして、こちらは2階建でした。最初は王の義妹パラティーヌ夫人が、その後はその子供たちが住んだそうです。
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トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)
庭に面したすべての部屋から多くの種類の花を見ることが出来るそうです。特に宮殿中央の柱廊からの庭園は圧巻でした。こちらは柱廊から見たその庭園です。
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こちらは柱廊の中央からの庭園の景色です。
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コテルの回廊のある建物から南方向を見た景色です。
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次の小トリアノン宮殿方向に歩いていくときの景観です。建物の中はコテルの回廊です。北側は窓が少ないことが判ってもらえると思います。
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緑の中に白い小さな花が咲いていました。
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ピンクの花も咲いていました。
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posted by SORI at 15:04| Comment(30) | TrackBack(3) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

循環トレインに乗りました。 Le Château de Versailles en Petit Train

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が11/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに紹介している通りヴェルサイユ宮殿の敷地は非常に広いので、効率的に見学するために敷地内を走っている上の循環トレイン(ミニトレイン)に乗ることにいたしました。目的としている行先は下記の地図で位置を紹介している次の場所です。
  庭園
  大トリアノン宮殿
  プティ・トリアノン離宮
  マリー・アントワネットが暮らした村里

先ずは動画を見てください。
写真を撮りながら動画を撮りました。その飛び飛びの動画をつなぎ合わせました。
是非ともプレーボタン( )をクリックして、ヴェルサイユ宮殿の前の乗場から最初に降りた大トリアノン宮殿までの動画を見てほしいです。
約2kmの走行でした。写真を撮りながら動画も撮ったので忙しかったです。動画を見ていただくと乗った気分になってただけると思います。また、この後に合間に撮った写真を掲載していますので比較していただくと、より分かりやすいと思います。


左端がチケット売り場とトレイン乗場で、右端にミニトレインが写っています。バックはヴェルサイユ宮殿です。
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こちらは上の写真に写っていた庭園内を周回するミニトレインの部分を拡大したものです。
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周回したルートを紹介します。空色ライン(━━)が乗ったミニトレインのルートです。
  公式面積 10.7k㎡(1070ha)
  着色面積 10.8k㎡
  緩衝地域 94.7k㎡(9467ha) 
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   大トリアノン宮殿(Grand Trianon)
   プティ・トリアノン離宮(小トリアノン宮殿 / Petit Trianon)
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ 庭園内で乗ったミニ・トレインのルート
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ ヴェルサイユ宮殿敷地境界


チケット売り場の写真です。
フランス語ではPetit Trainと書かれており、英語では Mini Trainです。
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こちらが買ったチケットで途中の乗降場で自由に乗り降りできる上、途中では何度でも乗ることが出来ます。チケットにはLe Château de Versailles en Petit Trainと書かれていました。値段は7.5€でした。

車内から前を撮りました。
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すぐに満席になりました。
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ただし隣の席が空いていたおかげで左側の景色も撮れました。
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建物の横を通りました。
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ヴェルサイユ宮殿の北翼の部分の横を抜けていきました。
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建物を過ぎたあたりの景色です。
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ここから左にカーブして白い車が走っているところを抜けていきます。
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上の写真で白い車が走っていたあたりです。大きな池がありました。
池はネプチューンの泉水(Le bassin de Neptune)だと思われます。
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有料範囲と無料範囲を仕切っている門を出ます。
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緑豊かな並木道を走りました。
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見事な並木道でした。
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本当に、緑豊かでした。
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ルイ16世により王妃マリー・アントワネットに与えられた小トリアノン宮殿(Petit Trianon)の入口前を通りました。
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ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つである大トリアノン宮殿(Grand Trianon)に到着いたしました。
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大トリアノン宮殿を見た後、マリー・アントワネットが暮らした村里を見て、小トリアノン宮殿を見た後に、又ミニトレインに乗りました。写真は小トリアノン宮殿前の乗場です。
大トリアノン宮殿などを見学するためには、ヴェルサイユ宮殿に入った時のチケットが必要なので捨ててしまわないようにしてください。ここから空から見ると大きな十字架の形をした大運河と呼ばれている池のほとりに向かいました。
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また並木道が続きました。
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もうすぐ到着です。歩いている人も多かったです。
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こちらで降りて池のほとりのレストランで昼食にいたしました。レストランからヴェルサイユ宮殿まではミニトレインには乗らないで、王の散歩道を歩いて戻りました。
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posted by SORI at 05:49| Comment(29) | TrackBack(1) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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