2025年04月16日

初めての食感のクレープ料理

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
ヴェルサイユ宮殿の記事を20ほど掲載させていただきましたが、実は訪問は2回目の記事だったのです。1回目は今から16年5ケ月前の2008年11月6日でした。その1回目のヴェルサイユ宮殿の記事を2つブラシュアップして再掲載させていただきます。本記事が/2です。

この時もヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この日の午前中はベルサイユ宮殿に行きました。12時を過ぎてしまったのでベルサイユの町で昼食を食べることにしました。駅前で洒落たお店を見つけたので迷わず入りました。メニューを見ても料理がよく判らないので困っているとき、隣のテーブルで珍しい料理を見つけたので、早速に注文してみました。硬いクレープの中にサラダと溶けたチーズと鶏肉が入っていました。中の具はいろいろ選べるようでした。

最初に頼んだビールも出てきました。この料理はビールには合わない感じですが、ベルサイユ宮殿を歩き回ってのどが渇いていたので料理が出て来る前に一気にいただきました。もちろんいつもどうりビールは追加してしまいました。

エスプレッソもセットで付いていました。お客さんのほとんどは具は違いますが同じ料理を注文していました。このお店は上の料理の専門店だったようです。


お店の名前はA La Coiffe Bretonneです。

Restaurant de Crêpesと書いてありました。
やはりクレープのお店のようです。お客さんは我々以外はすべて女性の方でした。
クレープ料理と言えば同じフランスのアヌシーと言う町でも初めてのタイプのクレープ料理にお目にかかったことがあります。
フランスにはいろんなタイプのクレープ料理があるようです。
お店の前に黒板がありメニューが書かれていました。
フランス語が判る方のために掲載いたします。
今回はユーロが下がったので前回来た時に比べると割安感がありました。
下のお店の写真の左下の黒板です。

道路から少しだけ下がったところにお店がありました。
住所は
    10 avenue du Général de Gaulle 
    78000 Versailles
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ストリートビューでも紹介します。


クリックすると拡大この道路沿いの右側にこのレストランがありました。バイクが置かれているところを右に入るとレストランがありました。
左側の先の方にパリに戻る列車に乗るためのヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅があります。クリックして拡大して探してみてください。
右の小さな写真はヴェルサイユに2回目に来た時に撮ったヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅です。
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こちらがヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅のストリートビュー(SV)です。ここは終点で走ってきた列車はこの建物に突き当たるように停車します。→SV


レストランの場所を紹介します。オレンジ色のアイコン()の位置がA La Coiffe Bretonneです。
posted by SORI at 18:21| Comment(38) | TrackBack(2) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェルサイユ宮殿 / ベルサイユ宮殿

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
ヴェルサイユ宮殿の記事を20ほど掲載させていただきましたが、実は訪問は2回目の記事だったのです。1回目は今から16年5ケ月前の2008年11月6日でした。その1回目のヴェルサイユ宮殿の記事を2つブラシュアップして再掲載させていただきます。本記事が/2です。

この時もヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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日本語でベルサイユ宮殿とヴェルサイユ宮殿のどちらが正しいのかとYahooで検索すると、ほぼ同数なので両方を使わしてもらいます。
前日にモロッコのカサブランカからリヨンを経由してパリに入りました。この日は日本に帰国する日でしたが午後便であったことから午前中にパリを見学したいと思っていました。何度かパリに来ているけれどベルサイユ宮殿はパリから離れていることもあり、まだ訪れたことはなかったために、思い切って行くことにしました。

ルーブル美術館近くのホテルを出発したあと、ベルサイユ宮殿に行くまでも含めて順に追って報告いたします。

ホテルの近くの地下鉄の駅に行ってベルサイユ宮殿い行きたいと乗り換え方とキップの買い方を駅員の人に尋ねました。一緒にいた人が学生時代にフランス語を専攻していたので、何とかこちらの意図は伝えることが出来ましたが聞き取りが難しいので乗り換え方を紙に書いてもらいました。親切なことに外に出てきてもらい一日券を自動販売機で買ってくれました。これは助かりました。9.6ユーロで地下鉄と郊外電車が一日乗り放題なのです。ベルサイユ宮殿までの往復の切符より、かなり安く行けました。
地下鉄を2本乗り継いで、更にベルサイユ宮殿行きの郊外電車に乗るので事前に調べていないと難しいと思います。
この写真はパリの街からベルサイユ宮殿のある駅に向かう郊外列車の窓からの景色です。


電車からの住宅街の景色です。セーヌ川に沿って走る部分もありました。


駅は終点なので電車を間違わなければ確実に行けます。地下鉄から郊外電車に乗り換えるときに行き先がいろいろ表示されていたので、ホームで女性の人に乗る電車を尋ねると丁寧に教えてくれました。その人は我々が間違いなく乗るまで見届けてくれました。お陰でベルサイユ宮殿への終点の駅に無事に着きました。


これは駅の看板です。
駅の名前はVERSAILLES RIVE GAUCHE(ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ)です。下にヴェルサイユ宮殿(CHATEAU DE VERSAILLES)と書かれています。これを見ると着いた気になりました。


駅から道路に出たところです。大きな建物の向こう側を左に曲がるとベルサイユ宮殿に真っ直ぐに向かうメープル並木の2枚下の写真の道に出ます。


これはベルサイユ宮殿ではありません。駅前通りに立派な建物もあったので撮りました。


この道が真っ直ぐにベルサイユ宮殿に向かっています。メープル(カエデ)がきれいな季節でした。
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カエデの並木道を過ぎるとベルサイユ宮殿が見えてきました。しかし残念ながらベルサイユ宮殿は霧に霞んでいました。非常に大きな建物群なので全体を見て初めて実感出来ると思うと晴れた日にもう一度来てみたいような気がします。でも、ここに来れただけでも幸せなので満足です。


もう少し歩くと最初の門が見えてきました。やはり霧で霞んでいます。


これが最初の門です。次の金色の門が遠くに見えます。クリックすると反対側からの写真です。


最初の門と2番目の門との間の建物です。向かって右側の建物です。もちろん、これもベルサイユ宮殿の一部です。
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2番目の門の前では沢山の人が記念撮影をされていました。


門の上の飾りを拡大しました。ここまでがチケットなしで自由に入れる部分です。向かって左の建てもの中でチケットを売っていますが、すごい人でした。買うのにかなり時間がかかりました。チケットの種類いろいろありました。私の前に並んでいたフランス人が買ったのと同じチケットにしました。おそらく、すべての場所に入ることが出来るチケットだと思います。
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入場券を買って中に入って正面の建物です。艶やかな建物です。
IMG_9524-1094.jpg

すこし宮殿の中を紹介いたします。豪華なシャンデリアが沢山並んでいます。
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中は沢山の人たちでいっぱいでした。沢山の部屋に分かれている部分です。
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こちらも豪華な絵に装飾品で飾られています。どの部屋も特徴のある飾りが施されていました。


絵画が数多く飾られていました。まるで美術館のようでした。
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部屋の壁紙も我々の家のものとは大違いです。
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絵画だけでなく、いたるところに彫刻が置かれていました。特に廊下は数mおきに飾られていました。
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建物から庭に出ました。建物は非常に大きくて残念ながら全体を収めることが出来ません。次の空からの写真の左下の方から建物の中央を撮ったものです。
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ベルサイユ宮殿の中央の建物の航空写真をネットから拝借しました。


庭からの正面の写真です。上の航空写真の左上から撮ったものです。冒頭写真の彫刻と一緒に撮った部分でもあります。


建物の上には沢山の彫刻が飾られていました。


これも敷地内の建物です。宮殿とは少し雰囲気の違う建物も並んでいました。
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右側と左側の雰囲気が違うのがおわかりですか。
左側が中央部分と同じように彫刻で飾られています。
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ベルサイユ宮殿は建物もすばらしいし内部も豪華絢爛ですが、最も驚かされたのが広大な敷地の沢山の庭園でした。ここからいくつかの庭を紹介いたします。

中央の広場から南南西に広がる庭園です。この写真を含めて下の3枚を見て初めて全体がわかるほどの広さです。
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これが南南西に広がる庭園の中央部分です。
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同じ庭園を横方から見ました。
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庭園と庭園の間にある小道です。紅葉がきれいです。
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これがベルサイユ宮殿で最大の庭園です。西北西方向に広大な敷地に広がる庭園でベルサイユ宮殿に来られたら是非見てほしい場所です。参考のために東京ドームの面積を記載しましたが、その東京ドームの2000倍の敷地です。想像出来ないほどの広さには驚かされました。


この場所では盛んに記念撮影をされていました。憧れの場所と言えるかもしれないですね。こちらの3人の女性の方は中国の人でした。
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庭園に下りてベルサイユ宮殿を撮りました。遠くまで離れて撮りたかったけれど帰国の飛行機の時間も迫ってきたので、この程度で離れさせていただきます。
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ネットでヴェルサイユ宮殿を調べてみました。
ヴェルサイユ宮殿(フランス語:Château de Versailles) は、1682年、フランス王ルイ14世(1638年 - 1715年 在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿。ベルサイユ宮殿とも表記される。 パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。
 面積      核心地域 10,700,000㎡ 緩衝地域 94,670,000㎡
 世界遺産名 ヴェルサイユの宮殿と庭園
 建設の沿革
  1624年       ルイ13世の狩猟の館として建てられる
  1661年-1665年 ルイ14世が建築家ル・ヴォーを招き、増築
  1667年-1670年 ル・ノートルによる造園
  1675年-1682年 セーヌ川にダムを築き噴水工事
  1668年-       ル・ヴォーによる第二次の増築
  1699年-1710年 礼拝堂建設
  1753年-1770年 オペラ劇場建設
参考 東京ドーム
 建築面積   46,755㎡
 グランド面積 13,000㎡
posted by SORI at 06:09| Comment(86) | TrackBack(3) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月15日

戦闘の回廊 Galerie des Batailles

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が20/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この写真は「王子の階段」から小さな入口を入って、最初に目に入って来る「戦闘の回廊」です。
つまり私の背中の後ろに小さな入口があります。

今回紹介する「戦闘の回廊」はヴェルサイユ宮殿の中で最も大きな部屋です。この回廊は、下の航空写真でも判るように、南翼の2階全体を占めていて、1837年にルイ=フィリップ王によって作られました。ちなみにルイ=フィリップ王の在位は1830年8月9日から1848年2月24日です。ヴェルサイユ宮殿自体は1624年にルイ13世の狩猟の館として建てられたのが始まりで、その後に増築が行われて1682年にルーブル宮殿から、政府と宮廷が移されて宮殿となり、その後も増改築が行われました。
  ヴェルサイユ宮殿     1682年建設 Château de Versailles 本館
  鏡の回廊   長さ 73m 1687年完成 Galerie des Glaces
  戦闘の回廊 長さ120m 1837年完成 Galerie des Batailles  王政復古後


ヴェルサイユ宮殿で最も大きな部屋「戦闘の回廊」の大きさは
 長さ 120 m
 幅    13 m   です。
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壁に掛けられた35点の絵画は、トルビアックの戦い(496年)からワグラムの戦い(1809年)まで、フランス軍の歴史における最も重要な出来事を描いたもので、ウジェーヌ・ドラクロワ作の「タイユブールの戦いの聖王ルイ」、フランソワ・ジェラール作の「アンリ4世のパリ入城」、オラス・ヴェルネ作の「フォントノワの戦い」などがあります。
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上の写真と似ていますが見ている方向が違います。こちらの写真は窓が左にあり、上の写真は右にあります。つまりこの写真は南から北方向を撮った写真なのです。この部屋では600人から800人までのディナーパーティーを開催することができます。
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こちらの写真も窓が左にあるので南から北方向を撮った写真です。「戦闘の回廊」では北端と中央と南端にそれぞれ8本(北端)、32本(中央)、8本(南端)の柱が建てられており、それが回廊のアクセントになっていました。写真に写っているのは中央と北端の柱群です。
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中央の32本の柱群からの「戦闘の回廊」の景観です。ここが回廊の中心部になります。片側が60mで総長さが120mになります。
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天井は天窓になっていました。
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天窓と梁の間の天井の装飾です。
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中央の32本の柱群と天井の飾りです。
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その柱群の部分の天井の装飾を拡大いたしました。
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35点の絵画はいずれも大きかったです。
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絵画をいくつか紹介したいと思います。こちらは1807年6月14日の戦闘を描いたもののようです。額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE FRIEDLAND
GAGNÉE PAR L'EMPEREUR NAPOLEON.
14 Juin 1807.
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絵画と絵画の間には沢山の石像が飾られていました。
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こちらの絵画は1242年7月21日の戦闘を1837年に描いた作品のようです。こちらも額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。タイユブールの戦いで1242年7月21日にセントルイスで勝利した瞬間のようです。コメント頂いたじみさんによれば、ウジェーヌ・ドラクロワ(Fedinand Victor Eugene Delacroix 1798年~1863年)の作品だそうです。クリックするときれいな飾りも含めた拡大写真を表示します。
BATAILLE DE TAILLEBOURG
GAGNÉE PAR SAINT LOUIS
21 Juillet 1242.
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こちらの絵も大作です。こちらは1214年7月27日の戦いのようです。こちらも額縁の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE BOUVLNES
GAGNÉE PAR PHILIPPE AUGUSTE
27 Juillet 1214.
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クリックすると拡大回廊の一番北側の部分です。
正面の大きな絵の左側の小さな入口から撮ったのが冒頭の写真です。
右の小さな写真が冒頭の写真です。
大きな絵を正面に配置するために大きな扉は付けなかったのかもしれません。
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その北側の壁の絵がこちらです。
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そして、こちらが南の端です。
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南の端の壁の絵を拡大いたしました。
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回廊の南端に近い場所から見た外の庭園の景色です。
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回廊の南端からは元の場所に戻る細い廊下がありました。その廊下の写真を紹介したいと思います。
  戦闘の回廊
  廊下


戦闘の回廊の南端の出口を出てすぐの通路(廊下 )です。突き当りを左に曲がるとまっすぐな廊下を見ることが出来ます。
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こちらが、その長い廊下です。回廊と呼んでもいいかもしれません。石像が沢山並んでいました。
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途中で窓がなく暗くなる所かせありました。
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暗いところを過ぎるとまた明るくなりました。
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外には煙突が沢山見えました。
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出発地点である「王子の階段」に戻ってきました。
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下から見上げた「王子の階段」です。ここから1階に下りました。
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posted by SORI at 14:34| Comment(29) | TrackBack(1) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

王の散歩道 L’Allée royale(ロイヤル通り)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が19/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ヴェルサイユ宮殿の庭園の中でランチを食べた後は歩いて宮殿に戻りました。クリックすると拡大上の写真は大運河(Grand Canal)の湖畔から宮殿を見た景色です。一番手前にある噴水は「アポロンの泉水(Bassin d’Apollon)」です。右の写真は宮殿から大運河の方向を見た景色です。上と右の写真の景色の中を歩いて宮殿に戻りました。
その景色を順に紹介したいと思います。
大運河から宮殿前のラトナの階段までを「王の散歩道」と呼ばれています。あるいは「ロイヤル通り」とも言われています。「王の散歩道」は中央に緑の芝生が帯状に広がっていることから別名「 緑の絨毯」とも呼ばれ、全長335m、幅40mあります。設計はルイ13世の時代で、後にル・ノートルが大々的な整備を行って拡張し、12体の彫像と12の壷を対称的に配置したそうです。
両側には、それぞれの木立ちが配置され、歩を進めるにしたがって人々が異なった木立ちを発見できる仕組みになっているそうです。

航空写真で歩いたルートを紹介します。クリックすると拡大
航空写真の中の橙色のライン(━━)がランチを食べたレストランから歩いた「王の散歩道」です。クリックすると拡大
  ━━ 散策ルート
  ━━ ミニ・トレインのルート
   ランチを食べたレストラン La Flottille
   ヴェルサイユ宮殿 


クリックすると拡大こちらの写真も冒頭の写真と同じ場所から撮ったものです。
カメラのレンズのズームの倍率が違うだけなのです。冒頭の写真は拡大されていることが判ってもらえると思います。
この写真はレンズの焦点距離が24mmに対して、冒頭の写真のレンズの焦点距離は105mmなので4.375倍に拡大されていたのです。
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同じ場所から大運河の方向も撮りました。大きな十字架の形をした湖である大運河(Grand Canal)は日本語では大水路とも訳されています。フランス語の Grand Canal は Le Grand Canal とも書かれます。
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大運河の湖畔を歩いて最も右側(南側)まで来たところからの宮殿方向の景色です。木々に隠れて宮殿は見ることは出来ません。
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さらに進んで「アポロンの泉水」の真横まで来て撮った写真です。
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「アポロンの泉水」と反対側の景色です。緑の中の小道がきれいでした。
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庭園の中央まで移動して宮殿を撮りました。撮影は105mm(4.375倍)なのでズームレンズ24-105mmで精一杯拡大した写真です。
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王の散歩道は右側(南側)を進むことにいたしました。焦点距離24mm(1.0倍)での景色です。
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こちらは105mm(4.375倍)で撮ったので、進んでいるように見えますが、上の写真とほぼ同じ場所からの景色です。
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道の脇には素敵な雰囲気の場所がいくつもありました。
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こちらも105mm(4.375倍)で撮った写真です。2枚上の見比べてもらうと少し進んだことが判ると思います。
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このような小道がいくつもありました。上で写っていた女性は右に曲がって、その小道の方に進みました。焦点距離は67mm(2.79倍)です。
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大運河の方向に振り返った景色です。105mm(4.375倍)での景色です。
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同じ場所から24mm(1.0倍)で撮った大運河方向の写真です。
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同じく24mm(1.0倍)で撮った宮殿方向です。まだ宮殿まで距離があります。
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宮殿前のラトナの階段(Escaliers de Latone)下の広場まで来ました。見えている大噴水は「ラトナの泉水(Bassin de Latone)」です。こちらの焦点距離は47mm(1.958倍)です。
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同じ場所から大運河方向を撮りました。焦点距離は105mm(4.375倍)です。
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ラトナの泉水の頂部の女神と思われる彫像です。女神にとまっているカラスが気になりました。
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頂部の彫像以外の彫像は金色に飾られていました。彫像のカエルとカメが大部分を占めていました。こちらが北側です。特にカエル(蛙)の数は多かったです。
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そしてこちらが南側です。
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こちらがラトナの泉水(噴水)の全体です。ラトナの泉水はオヴィデウスの変身物語の中の一場面で、アポロンの母とディアナの伝説を描いたものだそうです。カエルたちは変身させられた農民たちのようです。
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宮殿が建っている高さまで上って王の散歩道の方を振り返った写真です。
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ラトナの伝説を枠内に転記いたしました。
ラトナの伝説
アポロンとディアナの母でジュピターの愛人であるラトナは、ライバルのユーノーから生涯追放の宣告を受けます。ある日、現在のトルコ南部に到着し、喉の渇きを癒そうと沼に近づきます。しかし地元の農民に愚弄され、それに腹を立てたラトナは、農民に呪いの言葉を浴びせ、蛙に変身させてしまいます。ラトナの泉水は、オヴィデウスの『変身物語』の第6巻に語られたエピソードに由来しています。
ラトナとジュピターのライバル関係
ギリシャ神話のレト神と同一視されるラトナ神は、コイオス神とフォイベ神の娘。ジュピターの愛人となり、アポロとディアナの二子をもうけます
ジュピターの妻ユーノーは、ラトナの妊娠を知って激怒します。ユーノーはライバルを国外に追放し、いかなる土地も彼女の出産を受け入れてはいけないという命令を発します。生涯追放の不遇に見舞われたラトナは、東西を放浪し、デロス島に一時的な隠れ場を見つけてアポロンとディアナを出産します。
ラトナは双子を出産するや、ユーノーの憤怒から逃れるために再び逃亡を始めなければなりませんでした。ラトナの旅はリュキア国境まで続き、そこでおきたエピソードがヴェルサイユの庭園の物語の由来となっているのです。
ラトナとリュキアの農民との遭遇
逃走中のある時、ラトナは現在のトルコ南部にあたる小アジアのリュキアに到着します。くたくたで喉もからからの彼女がその地に足を止めると、谷底に池があり、その周りで農民達がイグサや海藻を採っているのを発見します。澄み切った沼の水に引かれ、喉の渇きを潤そうと近づきます。水面に顔を傾けると、農民達がそれをはばみ、水を飲ませてくれません。驚いたラトナは農民達をなだめてこのように答えます。
「どうして私にこの水を拒むのですか? 水は皆のものです。善良で賢い自然は、万人に空気、光、水を与えました。皆に等しく与えられた恵みに私もあずかりたいのです。ですが、私はあえてあなたたちに懇願します。私が望むのは、疲れたはてたこの体を冷やすためではなく、喉の渇きを潤すだけなのです。口の中がカラカラで声を出すのもままなりません。私にとってこの水は美酒に相当します。一生のお願いです。どうかこの水を飲ませて下さい。ああ! この胸にもたれているわが子2人が差しのべるひ弱な腕に、どうか触れてあげてくださいませ。」
こうした哀願にも耳を貸さず、農民達は拒み続けます。命令に従ってこの場を去りなさいととラトナを脅します。ラトナに水を飲ませまいと、農民達は沼に飛び込み、水の底で足踏みをし腕で水をかき混ぜ、水面に厚い泥を浮き上がらせます。
ラトナの怒りと変身
逆上したラトナは、喉の渇きも忘れ手を天に差しのべこう叫びます。「汝らよ、いつまでも池の淵で生きるがよい!」 やがて彼女の願いがかない、農民の体が変身していきます。
狂気に捕らわれた農民達は、たちまち池に飛び込みます。もぐっては浮かび、再びもぐっては水面に顔を出し、最後にはまた水中に消えていきます。潜水を繰りかえしながら、農民らはラトナを罵り続けます。罵倒の声は水中からも聞こえました。やがて農民達の声が変化し、喉が膨れ、口が大きくなり、首が肩に陥没し、背中が緑色にそしてお腹が丸く白くなっていきます。こうしてリュキアの農民の体は蛙となり、ラトナが誓った復讐どおり、蛙となって永遠に池の淵で生きることになったのです。
ヴェルサイユの庭園の逸話の意味
ヴェルサイユの庭園の中心であるラトナの泉水は、こうしたラトナとリュキアの農民の出会いの逸話がもとになっています。
最上段にある集合像は白い大理石で作られました。アポロンとディアナの2人の子供は哀願するように農民に手を差し延べています。レトナは空を見上げ、口を半ば開いて農民達に呪いの声をつぶやきます。壇上にある大理石のまばゆい白さが、下段に設置された鉛の像とのコントラストを印象づけています。
 半人半獸の像は、6人の農民の体が変身しているところです。ほぼ人間のままの者もいれば、手がシュロの葉の形に変わりすっかり蛙に変わっている者もいます。彼らの口から吐き出される水は、ラトナに浴びせるののしりを表しています。
posted by SORI at 07:38| Comment(32) | TrackBack(2) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月14日

ヴェルサイユ宮殿の屋外レストランでランチ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が18/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ヴェルサイユ宮殿の敷地内で食べたランチです。ヴェルサイユ宮殿内でランチを食べたいと思っていた願いを実現出来ました。お洒落なピザでした。

宮殿正面の庭園の大運河の湖畔にある屋外レストランです。写真の左側に緑のパラソルが立っているところが我々がランチをした屋外レストランです。
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航空写真でレストランの位置を紹介いたします。
黄色のマーク()がランチを食べたレストラン La Flottille の場所です。小トリアノン宮殿内を見学したりマリー・アントワネットが暮らした村里( Le Hameau / ル・アモー)を見た後は水色ライン(━━)をミニトレインに乗って、昼食を食べるためにレストランの近くまで来ました。
   ランチを食べたレストラン Restaurant La Flotille
   ヴェルサイユ宮殿 
   大トリアノン宮殿
   小トリアノン宮殿
   マリー・アントワネットが暮らした村里
 ━━ ミニトレインでの移動ルート


我々が座った席から見たレストランです。雨模様になって来たので緑のパラソルを開きました。
でも幸いにもランチの間も、ヴェルサイユ宮殿にいる間も雨が降ることはありませんでした。
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我々は景色のよく見える場所に座らさせてもらいました。
店員さんにお願いして右の記念写真も撮ってもらいました。
下の写真は座った席から撮った景色です。湖は、上空から見ると十字架の形をした大運河です。
この景色を見るとヴェルサイユ宮殿で食事をした実感が湧いてきました。
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上の写真と類似の角度で、Googleマップで屋外レストランを表示いたします。


水を頼むと大きなボトルで出てきました。もちろん無料の水の方を頼みました。前日(旅行4日目)にパリに長く住んでいる懐かしい人とワインバーに行って無料の水の注文の言い方を教えてもらったお蔭でした。
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やはりフランスです。オリーブオイルやソースがテーブルに並びました。
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もちろん無料のパンも並びました。フランスのフランスパンはやっぱり美味しいです。
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そして注文したピザが出てきました。2人でシェアーして食べました。
この日のディナーは旅行中で一番格式のあるフランス料理のレストラン(Drouant par Antoine Westermann)を予約してあったので軽めのランチといたしました。飲みたかったワインも我慢いたしました。右の写真が夜のディナーの魚料理の写真です。その時にワインも飲みました。クリックするとその記事を表示します。
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サラダも頼みました。ヨーロッパぽいボリュームのあるサラダが出てきました。ライスも入っていました。料理としては特別なものではありませんでしたが、ヴェルサイユ宮殿の中でランチを食べる思いが叶い、特別なランチとなりました。
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お店の詳細を紹介したいと思います。今回は屋外で食べましたが道路を挟んだところに立派な本館があります。20秒ほどの距離なので料理はそこから運ばれてきます。本格的な料理も食べれるようなのでホームページ(HP)で確認してみてください。手前のテントが屋外レストランで、奥の建物が本館です。
 店名 Restaurant La Flotille
 住所 Parc du Chateau de Versailles, 1 Boulevard de la Reine, 78000 Versailles
 電話 013-951-4158
 営業 8:00~19:00
 定休 無休
 HP http://laflottille.fr/en/
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涼みの間(Le salon Frais)の気圧・温度計

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
パリからのバスツアーのロアールの城めぐりを紹介しましたが、その前日にヴェルサイユ宮殿に行ったので、そのヴェルサイユ宮殿を紹介したいと思います。ヴェルサイユ宮殿は見どころがあったので連続20の記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が17/20です。
ちなみにヴェルサイユ宮殿へは泊まったホテルの最寄駅から電車で往復いたしました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日掲載した大トリアノン宮殿の記事で一つ書き忘れていたものがありました。それが「涼みの間」にあった時計のようなものです。絵画の下の時計のようなものは、なにか判りますか。時計のようなものは?と質問しているので時計ではありません。

その時計のようなものを拡大したのがこちらです。やはり明らかに時計ではありません。下の方は、なんとなくわかります。
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下の部分を拡大したのがこちらです。見て判るように温度計(寒暖計)であることが判ります。温度を示す数字だけでなく記録のような内容が沢山書かれているのが印象的でした。
この時に表示している温度は17.5度どした。どうやら摂氏(℃)を表しているようです。もし17.5℉ならば-8.056℃になってしまうからです。クリックすると拡大240年前の温度計なのに正確な温度を表示しているように感じました。なんと-30℃から70℃まで測れる温度計でした。
目盛板に最低気温と思われる年が書かれていました。
 1749年:-30.0℃  1788年:-17.5℃  1795年:-17.0℃
 1776年:-16.5℃  1769年:-15.5℃  1740年:-10.5℃
地名と思われる文字も沢山、書かれていました。+50℃のところにはSyrie(フランス語:シリア)の文字が書かれています。-12℃のところにはParis(パリ)の文字が読み取れます。0℃のところにはGLAとCEが書かれていました。
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上の文字盤のようなところには、次のような文字が書かれていました。
 27 28 29
 BAROME TRE Três Sec   Beau Fixe  Beau Tems
 Variable    Pl.on Vent  Gr" Pluye  Tempêle
調べた結果、時計の文字盤のような部分は気圧計であることが判りました。文字盤に書かれているBAROMETREも気圧計を表しています。気圧計は、1769年頃に、小間物商のシモン・フィリップ・ポワリエが世に出したそうです。そして1769年から1770年にかけて流行しましたそうです。書かれている数字は27 / 28 / 29気圧を表していると思いますが単位は分かりません。ただし標準気圧が28の数値に近い単位であることは想像できます。
標準気圧1013.25hPa(ヘクトパスカル)をいろんな単位に換算すると次の通りです。28に近いのは水銀柱インチ(29.9212725inHg)ですが、それでも数値的には離れています。
 ヘクトパスカル              1013.25hPa
 メガパスカル               0.101325MPa
 キロパスカル               101.325kPa
 重量キログラム毎平方センチメートル 1.033515kgf/cm2
 重量ポンド毎平方インチ         146.92125lbf/in2
 気圧                    0.999976425atm
 水銀柱メートル              0.760038825mHg
 水銀柱センチメートル           76.0038825cmHg
 水銀柱インチ               29.9212725inHg
 水柱メートル               10.33515mH2O
 水柱フート                 33.903345ftH2O
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クリックすると拡大温度計と一体になった気圧計は珍しく残っているのは数点のみだと言われています。
つまりこれは貴重な一体となった気圧計・温度計だったのです。
一体なので気圧・温度計と呼ばせていただきます。
ネットで調べた結果、この気圧・温度計はバイイによって製作されたことが判りました。
製作年代の記述は見つかっていませんが、ルーブル美術館で所蔵している右の写真の気圧・温度計は1776年頃に制作されたとのことなので同年代の物と考えられます。
つまり16世紀には精巧な気圧計と温度計がフランスには存在したことになります。
右の写真はネットから転用させていただきました。
今から240年前の1776年と言えば日本では江戸時代です。それも幕末(1868年)の92年前なので江戸中期です。
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右下の文字盤はフランスのウジューヌ・ブルドンが1849年に発明した小型で上の気圧計より正確に計ることが出来るブルドン管式の気圧計の文字盤です。数値以外は今回の気圧計の文字盤とそっくりです。
数値は73~79が書かれていて中心が76であることから水銀柱センチメートル(76.0038825cmHg)でクリックすると拡大目盛られた気圧計であることが判りました。
上の気圧計はブルドン管式気圧計が発明されるより73年も前の1776年であることから、気圧の精度が高くないために水銀柱インチで27~29の数値を書いた可能性はあると感じました。
気圧計自体は1643年に「トリチェリの真空」を発見したエヴァンジェリスタ・トリチェリ(Evangelista Torricelli)によって発明されました。それは機械式ではなく水銀気圧計でした。水銀気圧計は原理上非常に精度の高い測定方法です。機械式の主なのはアネロイド型気圧計(1797年)とブルドン管気圧計(1849年)があります。両方ともにフランスで発明されました。アネロイド型気圧計に分類される重錘形気力計が、それ以前にもあったので、それに近いものなのかもしれません。

温度計の形式はガラス棒温度計です。ガラス棒温度計、液体を蓄える球部と毛細管部分の液柱で構成されています。このような毛細管を持つ液柱(アルコール)温度計が発明されたのは1650年頃と言われています。正確な年代ははっきりしていませんが遅くても1654年だそうです。今回の温度計が230年以上前の1776年頃であれば、液体には着色したアルコールか、アルコールと水の溶解液が使われていたと思われます。現在では水銀か着色した灯油が使われています。ただし灯油が使われた温度計でもアルコール温度計と呼ばれています。水の沸点が100℃に修正されたのは1742年で、それ以前は80℃がでした。今回の温度計が作られたのは1776年頃のため水の沸点は100℃で目盛りがつけられていると思われます。
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一番下の液体を蓄える球部が渦巻になっていました。沢山の液体を蓄えて目盛部の液柱を長くするのが目的だと思われます。これほど大きな渦巻きの球部は初めて見ました。
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posted by SORI at 12:06| Comment(26) | TrackBack(1) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする