2025年02月16日

カイロの東は広大な土漠地帯!

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。前記事と同じくエジプトの記事をブラシュアップさせてもらいます。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今回、カイロから東の土漠地帯に通る高速道路を走る機会ががありました。朝にカイロを出発して赤色ライン(━━)の高速道路を走って紫色ライン(━━)の一般道路の方向に入って、夕方に同じルートを走ってカイロに戻ってきました。この航空写真を見ていただいただけで、砂漠地帯あるいは土漠地帯を走ったことが判っていただけると思います。実際には砂漠というよりは土漠でした。

こちらが土漠地帯を走る高速道路です。片側3車線の両側6車線の高速道路です。左側の離れたところの道路が反対車線です。上り車線と下り車線がかなり離れて作られていました。
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道路は対抗車線とは離れています。土地が広いから出来ることなのだと思います。対向車とぶつかる心配はありません。車が少ないので気持ちよく走れます。
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高速道路には、ところどころにサービスエリアがありました。
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Googleマップに個人の人が登録していたサービスエリアのストリートビュー(SV)を紹介します。
ただし、360°回転は出来ますが移動は出来ません。


岩を削り取っている部分もありました。岩を削っただけでコンクリートで補強しなくても崩れないのがすごいです。ここも高速道路で片側車線(3車線)です。高速道路は全部で6車線なので、並行して同じような3車線の反対車線があるのだと思います。
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上でカイロの東の土漠地帯を走る高速道路を紹介いたしましたが、その土漠地帯の車窓風景を紹介いたします。どこまで行っても植物は生えていませんでした。
IMG_7337-1094.jpg

比較的カイロに近いところからこのような風景になります。砂漠のようにさらさらした砂ではなく岩山のような感じです。普通の景色だし観光地でもありませんが見ごたえのある景色です。
IMG_7333-1000.jpg

高速道路に平行して一般道路も走っていました。トラックを沢山見ました。トラックは高速道路より一般道路の方が多かったです。
IMG_7360-1200.jpg

カイロから東の土漠地帯の高速道路やその景色を紹介しましたが、その土漠地帯で突然に戦車が現れました。テントが沢山あったので何らかの訓練をしていたのでしょうか。カイロから100kmくらいの場所でした。
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近くに見えると思いますが、実は遠くに小さく見えたのでした。下の写真がオリジナルの幅(上下はカット)で、この写真から上の写真を切り取りました。上の写真も下の写真もクリックすると拡大します。
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こちらは反対車線から夕方に撮ったものです。
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高速道路から脇道(一般道路)に入ると山岳地帯です。ここでも植物はほとんど見当たりませんでした。最初の航空写真で紫色ライン(━━)のところです。
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若干道路脇に植物が生えていますが、これも稀な方でした。
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山岳地帯を走る道路です。道路脇に植物が少し生えているのは車に付着して種が来たのかもしれません。
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谷の部分を道路が走っていました。
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山肌です。地層がきれいに露出しています。
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派手なトラックも通っていました。
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カイロから2時間車ほど東に高速道路と一般道路を走って行き着いた辺境の地にも立派なモスクが建てられていました。
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その辺境の地でいただいた昼食です。町さえも、なにもないと思われる場所でした。
出されたのが玉ネギと牛肉を炒めたものが入った有名なサンドイッチでした。
ガイトブックにも出てくる焼肉のサンドイッチです。外国人に対する最高のもてなしだったのかもしれません。これはまさにエジプト料理でした。エジプトに着いてから、まだエジプト料理ぽい物はまだ食べていなかったのです。感激でした。
IMG_7402-1300.jpg

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
肉のサンドイッチと言えばピッツバーグを思い出しました。→ポチッ


Googleの衛星写真を拝借いたしました。土漠地帯の道路網です。左上の町がカイロです。カイロから写真の中央部分を通って紅海を結ぶ少し薄い黄色が今回の写真を撮った道路です。クリックすると赤いラインで表示します。
クリックすると高速道路を標示
より大きな地図で エジプトの高速道路 を表示
今回、紹介した土漠はサハラ砂漠の東端にあたります。どれだけ乾いた地域なのかを感じてもらうためにさらに広い範囲の表示いたしました。赤色ライン(━━)~紫色ライン(━━)が走った高速道路+一般道路です。ナイル川の両岸だけがオアシスのように緑があることが判ってもらえると思います。


Sukhna方面からカイロに帰る時の標識です。
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ここにも最高速度の標識がありました。アラビア語の数字(インド数字)とアラビア数字の看板がありましたがここではアラビア語の数字が一般的でした。車のナンバープレートもインド数字です。比べてもらえると 0と1と2と7と8のインド数字は判ってもらえると思います。すべて知りたい人は→ポチッ
乗用車の最高制限速度は120km/hで、バスは100km/hでトラックは80km/hで普通のトレーラ(牽引車)も80km/hで、複数連結牽引車は70km/hでした。
      アラビア語の数字(インド数字)                  アラビア数字


カイロの東の土漠地帯からカイロに戻る高速道路を走っているときに夕日が沈んでいきました。夕日は世界のどこでも同じように見ることが出来きますね。道路標識も絵になります。


土漠に沈む夕日です。なかなかいい景色ですが走っている車の窓からの写真のため鮮明でないのが残念です。
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上の写真はこちらの写真から切り取ったもので、写真はクリックすると拡大するので是非とも確認してみてください。きれいな夕日が見れたのはカイロまであと33kmの場所です。この写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。
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カイロに帰ってきました。
posted by SORI at 18:54| Comment(54) | TrackBack(1) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月15日

ムハンマド・アリ・モスク と 城塞シタデル(Citadel)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。前記事と同じくエジプトの記事をブラシュアップさせてもらいます。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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こちらがムハンマド・アリ・モスク(Muhammad Ali Mosqueمسجد محمد علي)です。
このモスクはイスラーム地区の南東にあるモッカムの丘に建つシタデル(Citadel=砦)と言う名の城砦(城塞)の中に建てられたモスクです。シタデルは十字軍を阻止するために1176年(アイユーブ朝)に建設されました。立地条件の良さと堅固さからアイユーブ朝~マムルーク朝~ムハンマド・アリ朝~イギリス統治時代に城砦兼住居として使われたことからモスクもいくつか作られました。

ネットから航空写真を拝借いたしました。広い大理石の庭があるのが判ってもらえると思います。その庭は下で紹介いたします。


反対側から見たモスクです。ムハンマド・アリ・モスクはムハンマド・アリ朝時代に建設されたビザンチン(オスマントルコ)様式のモスクです。ムハンマド・アリにより1824年に起工し息子のサイード・パシャにより1857年完成したそうです。
高い塔が特徴ですね。これはミナレットと言われていろんな形式があります。ここのは鉛筆を思わせる尖ったトルコ式です。このモスク自体がトルコの有名なモスクを参考にデザインされたものだそうです。
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砦の塀の外から見たムハンマド・アリ・モスクです。モスクの名前となったムハンマド・アリー・パシャはムハンマド・アリー朝の初代ワーリーで、在位は1805年5月17日~1848年3月2日でした。
 建築  着工 1830年 完成 1848年
 様式  オスマン建築
 建築家 ユースフ・ボシュナ
 創設者 ムハンマド・アリー・パシャ オスマン帝国の属州エジプトの支配者
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町の道路から見たムハンマド・アリ・モスクです。エジプトのカイロの主要道路の雰囲気が出ています。
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最近は肌を出した女性が多いためか中庭の入口で女性は緑のマントを渡されていました。見ていると強制ではないようです。でもほとんどの女性が受け取っていました。肌が出すぎている女性だけかな?
靴もここで脱いで裸足で中に入ります。入れる袋があると便利です。
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中庭の真中には水が出るような大理石の構造物があるのが特徴です。この構造物は泉亭といわれるもので信者が身を清める場所です。右の時計塔は1846年にフランス国王から送られたものですが、これは1830年にムハンマド・アリがルクソール神殿ラメセス二世のオベリスクを贈った返礼だそうです。
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中庭からモスクの中に入ります。これがモスクの内部です。教会との違いは内部に柱がないことでした。朝一番に来たのでまだ人が多くありませんでした。天井から吊り下げられたランプがきれいです。
皆さん輪になって座っておられます。実は皆さん体験ツアーの人達なのです。
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観光ツアーの人たちは輪になって絨毯(じゅうたん)の上に座ってガイドさんの説明を聞いています。例の緑のガウンをはおった女性も見受けられます。もちろん我々もプライベトで雇ったガイドさんを合わせて3人だけですが、写真と同じように絨毯に座って説明してもらう体験をさせてもらいました。
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窓の飾りです。
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モスクが建つ丘の上からのカイロの町の景色です。霞んでいるのはおそらく車の排気ガスが原因だと思います。写真をクリックすると広い範囲の拡大写真を表示します。
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実はムハンマド・アリ・モスクは丘の上に建つシタデル(Citadel=砦)と呼ばれている城砦(城塞)の中にあったのです。これがシタデルの地図です。その城内にはモスクが4っもあり、その4つのモスクの中の最も大きいモスクがムハンマド・アリ・モスクだったのです。城塞の名前のシタデル(Citadel)は砦という意味を持ちます。
 ①ムハンマド・アリ・モスク
 ②軍事博物館
 ③警察博物館
 ④イギリス統治時代の刑務所
 ⑤アサブ門
 ⑥アフマド・エル・ケトホダー・イル・アサブ・モスク
 ⑦エン・ナーシル・ムハマド・モスク
 ⑧ヨセフの井戸
 ⑨宮殿
 ⑩ムカッタの塔
 ⑪トゥルファの塔
 ⑫ソリマン・パシャ・モスク
 ⑬新門


衛星写真でみたシタデルです。


城塞(城砦)シタデルを紹介します。イスラーム地区の南東にあるモッカムの丘に建つシタデル(Citadel=砦)と言う名の城砦(城塞)の中の門です。その城砦の門の両側に巨大な大砲が飾られていました。シタデルは十字軍を阻止するために1176年(アイユーブ朝)に建設されました。立地条件の良さと堅固さからアイユーブ朝~マムルーク朝~ムハンマド・アリ朝~イギリス統治時代に城砦として使われました。


巨大な大砲ですがかなり旧式です。いつの時代の大砲でしょう?


小型の大砲もありました。シタデルの中には軍事博物館(National Military Museum)もあるんです。広い敷地です。


さすが大昔と言えども元、軍の施設です。門の向こう側には沢山の大砲が並んでいるのが見えます。手前の緑の釣鐘状のものは警備兵が中に入るのだと思います。


さすが城砦です。立派な門が沢山あります。


城砦を下から見上げたところです。


道路から撮りました。一番外側の城壁です。


かなり堅固な城砦だったと書かれていました。


シタデル城砦内には「ムハンマド・アリ・モスク」も含めて4っのモスクがあります。これは「エン・ナーシル・モスク」です。あとの2っのモスクは「アフマド・エル・ケトホダー・イル・アサブ・モスク」と「ソリマン・パシャ・モスク」です。


現在は分かりませんが、私が行った当時のエジプトではホテルは金属探知機が必ず設置され、各観光地のエリアの入口にも必ず金属探知機が備えられていて、ここでも写真のように設置されていました。これはルクソール近くのハトシェプスト女王葬祭殿遺跡で1997年にスイス人43人、日本人10名、イギリス人4名、他3名に警官や犯人6名も含めて69名(報道により若干差あり)が亡くなった悲惨な事件があり、二度と繰り返さないための処置だと思いますがおどろきました。


緑色()のマーク()の場所が今回の記事のムハンマド・アリ・モスクで、黄色()のマークが泊まったホテルで、紫色のマーク()がハン・ハリーリ・バザールの場所を示しています。
  ムハンマド・アリ・モスク
  ハン・ハリーリ・バザール
  泊まったホテル(Cairo Marriott Hotel )
  ナイトクルーズ船が出る桟橋
posted by SORI at 17:06| Comment(43) | TrackBack(1) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月14日

ギザの三大ピラミッド ピラミッドの内部に入りました。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。エジプトのナイル川のナイト・クルージングの記事を2つ紹介させていただいたので、ピラミッドの記事をブラシュアップさせてもらいます。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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エジプトを代表するピラミッドとスフィンクスの写真です。エジプトのカイロに来るとギザのピラミッドには是非とも来たいですね。背景のピラミッドは有名なギザの三大ピラミッドの真中に位置するカフラー王のピラミッドです。

少し角度が違う写真です。バックのピラミッドは紀元前2520年~2494年(紀元前2558年~2532年の説もあり)に在位したカフラー(Khafra)王のものです。四角錐の頂上部分には石灰石の化粧石が残っているのが特長です。高さは143.87m(現在の高さ136m)、底辺は215.29m、勾配は53度10分の巨大なピラミッドです。参道の入口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っています。ただし、スフィンクスの建てられた時代には諸説あるそうです。
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下の写真がキザの三大ピラミッドです。ピラミッドの西から東をとったもので、これもよく出てくる構図ですが、3っのピラミッドが展望出来る場所(下の衛星写真で展望場所と書かれたところ)からの景色です。自分達の車でクフ王のピラミッドの近くから展望場所まで砂漠の道を走って来ました。一番左が世界最大石造建造物であるクフ王のピラミッドです。真中の化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドで、一番右側がメンカウラー王のピラミッドです。道路の真っ直ぐ向こう側が東の方向になります。スフィンクスはそちらの方向の丘を下りたところにあります。写真ではクフ王のピラミッドがカフラー王のピラミッドより小さく写っていますが、それは遠くにあるためで実際にはクフ王のピラミッドの方が2.8m高いです。
                    現在高さ   建設当時高さ
  クフ王のピラミッド         138.8m   146.60m
  カフラー王のピラミッド     136.0m   143.87m
  メンカウラー王のピラミッド    62.0m     66.50m
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全体の配置を判ってもらえるために衛星写真を拝借させてもらいました。ピラミッド以外にも沢山の遺跡があるのが判ってもらえると思います。
上の写真を撮った展望場所は町からは一番離れた場所だったのです。


参考に3つのピラミッドを撮った絶景の展望ポイントの展望場所のGoogleマップの航空写真を紹介します。沢山の人が来る場所なのでいろんな設備が整っています。


展望ポイントでは観光客の人達は砂漠を楽しんでいるようでした。最高の展望ポイントなので、エジプトこられた方は、この場所に来た人が多いと思います。
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お土産屋さんも沢山ありました。
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突然に僅かの店番の人を残して、お店の人が集まりました。
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お祈りの時間だったのです。店番は0人に出来ないので交代で店番をするのだと思います。
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ラクダや馬に乗って砂漠の雰囲気を楽しむことも出来るようです。
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小さくて崩れかけているのがクフ王の王妃たちのピラミッドです。展望場所とは反対側から撮ったもので、写真の右端にクフ王のピラミッドの一部が写っています。化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドです。その左側のピラミッドはメンカウラー王のものです。その左側の小さなピラミッドはその王妃達のものです。
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クリックすると拡大ピラミッドの廻りにはいろんな遺跡があります。スフィンクスの頭の部分が写っているの判りますか。簡単には見つからないと思うので、ヒントのために、下の写真からスフィンクスの頭の部分を切り取って右に掲載いたしました。
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メンカウラー王のピラミッドです。化粧石が下の方に残っています。メンカウラー王は古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオです。このピラミッドをネットで調べると高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさだそうです。その理由には諸説あるそうですが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的ださそうです。北面には大きな傷跡が残っていますが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるといわれています。1837年に玄室から遺体の一部が発見されましたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没し、石棺もろとも失われてしまいました。この遺体がメンカウラー王のものであるかは不明なままとなりました。
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クフ王のピラミッドを背景にスフィンクスを撮りました。この構図もよく見ますね。
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クフ王のピラミッドは大部分の化粧石は剥がれているので、石を積み上げられたことが良く判ります。下の方の石は一個13トンの重さだそうです。ピラミッドは赤花崗岩と石灰岩の組み合わせで作られているそうです。ピラミッドにより構成は違います。
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これが化粧石です。石灰岩で出来ています。ピラミッド全体が化粧石に覆われている姿はまるで鏡のピラミッドのように神秘的だったと思います。
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クフ王のピラミッドの北側正面からの写真です。駐車の奥まで下がって精一杯遠くから撮りましたが全体を入れることは出来ませんでした。クフ(Khufu)王は紀元前2589年~2566年に在位した古代エジプト・古王国時代のファラオです。今から約4600年前と聞くとすごい歴史を感じてしまいます。このピラミッドは紀元前2560年に建てられたと言われています。一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。今回の再掲載で写真を大きくしました。是非ともクリックして拡大写真を見てほしいです。
今回、クフ王のピラミッドの内部に入ることが出来ました。内部に入れるのは一日に300人に制限されているため、近年は観光客が増えているので事前にチケットを手に入れてもらう必要があります。
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クリックすると拡大入口部分を拡大いたしました。真中の大きな入口からではなくて白い警備員が立っている右下の小さな穴(右の写真)から入ります。この穴は9世紀に盗掘によって開けられた通路です。この入口の場所に登るのは大変だと思いませんか。
写真では確認が難しいと思いますが、当然ではありますが上がっていく通路が作られていました。記憶では上がったり下がったりしながら登ったと思います。
この入口に立つだけでも値打ちがありました記念写真を撮りたいところですが、既に説明の通り内部へのカメラ持ち込み禁止のためカメラは置いてきました。
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カメラも最近は持ち込み禁止となりました。唯一の記念が下の右側のチケットです。これが内部に入るためのチケットです。左側はピラミッドエリア全体に入るためのものです。全体のチケットが50エジプトポンド(約1000円)に対して内部に入るチケットが100エジプトポンド(約2000円)です。
大回廊に到達するまでは無理な姿勢で急勾配を上るので結構登るのが大変です。そこの天井は人の高さより低く急坂のトンネルが続きます。登る人と下る人がすれ違うことが出来ないほど狭いところもある上に、かなりの距離を、かがんで登らなければならないので体力に自信がない方はゆっくりと時間をかけて登ることを、お薦めします。それだけに登りきったて大きな部屋に出ると感激すると思います。
今回は突然カイロ近郊の観光をすることになりました。カイロに住んでいる日本人の方から観光会社に段取りお願いしました。
8人乗りの車代が100ドル 日本語ガイドさん代が100ドル 昼食が1人あたり10ドルです。このときは2名で利用したので観光会社への支払いは1人あたり105ドルでした。各観光地の入場チケット代は結構かかります。丸一日観光地を廻るのであれば10000円をエジプトポンドに両替しておくことをお薦めします。
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クフ王のピラミッドの断面を紹介いたします。番号2が我々がピラミッドに入った盗掘孔です。クリックして出てきた断面図の番号(112)の説明です。
 1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路
 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔
ピラミッドの内部では23691110と王の間に入りました。
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クス王のピラミッド内部にはカメラ持ち込み禁止のため、ネットから下の写真を拝借いたしました。内部の大回廊(断面図の9)です。ピラミッドに入る時、カメラは車に置いてくる事をおすすめします。入口でしつこくカメラ、カメラと聞かれます。見つかると預けることになりますが、正式な預け場所でない場合はカメラは戻ってこないと、思ったほうがいいとガイドの人に言われました。内部で歩くのが急坂で狭くて、さらに低くいために、登るのが非常に苦しかったのが6の場所でした。

写真が撮れる場所からは近すぎてスフィンクスの全景が1枚の写真では撮れなかったので、つなぎ目が気になりますが2枚の写真を合成しました。


スフィンクスを後から撮りました。東を向いています。スフィンクスやピラミッドは広大な砂漠の中にあるように思われている人も多いと思いますが東側はすぐに街に接しています。カイロの中心からも30分くらいでこのギザのピラミッドエリアに来れるのには驚きました。カイロ市内からも天気がよければピラミッドが見れます。
実はこの写真にはスフィンクスの正面に作ったことで話題になったKFC(ケンタッキーフライトチキン)のお店が写っています。クリックすると拡大するので探して見て下さい。ヒントは三つの白い三角テントの少し上の赤い看板が目印です。
IMG_7795-1640.jpg

スフィンクスの前にスフィンクス神殿がありその横に、この写真の河岸神殿があります。この河岸神殿は王の遺体をミイラにする場所だそうです。ピラミッドに付随して河岸神殿と葬祭殿が作られたそうです。河岸神殿はピラミッドから離れた場所に作り葬祭殿はピラミッドのすぐ側の正面に作られます。葬祭殿はミイラを埋葬する前にファラオ(王)の再生と復活を祈った場所だそうです。写真はファラオをミイラにした河岸神殿です。
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河岸神殿の中です。
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ここに来て驚いたのがカイロからこんなに近い場所に世界最大のピラミッドがあったことです。他の多くのピラミッドはこの大ピラミッドから南にナイルの肥沃地帯に接する砂漠の端につぎつぎと建設されていったようです。


Googleマップでも位置関係を紹介します。
  3大ピラミッド(クフ王 カフラー王 メンカウラー王)
  神殿 葬祭殿 スフィンクス 展望場所など
  KEY OF LIFE 土産物店
  泊まったホテル(Cairo Marriott Hotel )
  ナイトクルーズ船が出る桟橋
  ハン・ハリーリ・バザール
  ムハンマド・アリ・モスク

より大きな地図で3大ピラミッド を表示
posted by SORI at 18:18| Comment(98) | TrackBack(1) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月13日

ダルビーシュ・ダンス ナイル川のディナー・クルーズ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。前回が女性のダンスの記事だったので、今回はエジプトの男性のダンスの記事です。

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エジプトでダンスと言えばベリー・ダンスが有名ですが、もう一つ有名なダンスがあります。それが今回紹介するダルビーシュ・ダンスです。
イスラム教神秘主義(スーフィズム)の修行者をスーフィーと呼び、スーフィー・ダンスと言われるものがあります。ぐるぐる旋回し続けることで一種のトランス状態となり、より神に近づけると考えられているそうです。これらのダンスをステージ化しナイト・クルーズなどで見せているのをダルビーシュ・ダンスと呼ぶそうです。野球のダルビッシュ選手とはなんら関係がありません。

カイロ市内のナイル川のナイトクルーズで行われたダンスの一つとしてダルビーシュ・ダンスを見ことが出来ました。踊り手は約30分間一定方向にものすごいスピードで廻り続ける踊りです。ダルビーシュの意味が気になっていましたが はーしさんに教えてもらいました。ペルシャ語で神秘主義(の僧侶)転じて「貧しきものこそ高貴なり」だそうです。
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食事をいただいたたテーブルから撮ったダルビーシュ・ダンスの動画です。音楽も聴けます。プレーボタンをクリックしてみてください。窓の外の夜景でナイトクルーズの雰囲気も味わってみてください。So-NetとYouTubeの両方に登録いたします。

身につけた何枚もスカートを取り外しながら色んなスタイルで廻り続けます。我々から見ると神業としか思えない踊りでした。この後にベリーダンスもありました。
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スカートの部分が変化するのを楽しみました。高速で廻っているのにこれほどの変化をつくるのは見事です。
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これらの写真はフラッシュを使っているので止まって見えるのが残念です。スカート部分はいろんな形に変化しました。
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スカートの形を戻してさらに続きました。これを止まることなく高速で回転しながら行う技術に感心しました。
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クリックすると拡大フラッシュを使わないで撮った写真です。回転の正確さとスピードが判ってもらえると思います。この写真以外はすべてフラッシュを使った写真です。この写真は船の中の柱にカメラを押し付けて極力ぶれないように撮りました。右の写真から一部を切り取ったのが下の写真です。写真はクリックすると拡大いたします。
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上の写真はこちらの写真から切り取りました。フラッシュなしのシャッタースピードの長い写真です。踊っている人は確認出来ません。なかなかの貴重な写真だと思いませんか。
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クリックすると拡大ステージの踊りが終わった後は各テーブルに廻って来てテーブルの上でスカートを廻してくれます。もちろん我々のテープルの上でも右の写真のように廻してくれました。このときだけはダンサーは廻らないでスカートだけを廻していました。
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回しているスカートの裏がよく見える写真を紹介します。
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テーブルを回っている場面をいくつか紹介いたします。我々以外に日本人の人もいました。カメラを向けるとポーズをとってくれました。かなり体力のいる踊りに感じましたが、踊り切っていい顔していました。
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今回のナイト・クルーズが行われたナイル川の流域国はタンザニア,ブルンジ,ルワンダ,ウガンダ,コンゴ民主共和国,南スーダン,ケニア,エチオピア,スーダン, エジプトと10か国にもなり、長さは6650kmとアフリカ大陸で最長(級)の川でもあります。周辺国に豊かな水を提供するだけでなく、エジプトのカイロあたりでは頻繁に氾濫して肥沃な大地を維持してきた恵みの大河でもあります。
クリックすると拡大青いマーク()の場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、ホテルから撮った船の形をしたレストラン(右の写真)で船のように川を走ることはありません。船形したレストラン沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。クルーズ船は最初は南方向にナイル川を上ったと思います。右の写真は宿泊したホテル()の部屋から撮りました。
  泊まったホテル(Cairo Marriott Hotel )
  ナイトクルーズ船が出る桟橋
  ハン・ハリーリ・バザール
  ムハンマド・アリ・モスク

より大きな地図で ナイトクルーズが出る桟橋 を表示
posted by SORI at 13:08| Comment(71) | TrackBack(1) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月12日

ベリー・ダンス ナイル川のディナー・クルーズ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。前記事はカザフスタンのダンスだったので、今回はエジプトのベリー・ダンスの記事です。

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エジプトのカイロでのことです。ナイル川でのディナー・クルーズではディナー以外のお目当てがベリー・ダンスです。ベリーは腹部のことです。腹部をゆすりながら踊るのでこの名がついたようです。
ダンサーは同じ人が服装を代えて3回出演されました。これが最初(1回目)のダンスでした。1回目のダンスの中でも登場したばかりの最初のシーンです。

もう一枚、1回目のダンスのシーンを紹介します。
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ベリーダンスの動画も紹介いたします。もちろん音楽も聴けます。プレーボタンをクリックしてみてください。


こちらの青い服が2回目のダンスです。服を変えると別の人のように感じます。
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ちょっと過激なポーズの写真も紹介します。
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これが3回目の踊りです。結構タップリの時間を使って見せてくれます。この写真は我々のテーブルの位置から撮りました。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載しました。もちろんこの写真もクリックすると更に拡大はいたしますが、遠くなら撮っている上にくらい船内の中なので画質はかなり悪いです。
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船内の雰囲気です。観光客の人が多いですね。ディナーを楽しむ少人数のグループも多かったですね。
ステージの真正面で且つ外の夜景が見えるテーブルが予約されていました。
この写真では我々のテーブルは左端の辺りです。食事が出される前に撮ったのでテーブルにはまだ料理は並んでいません。
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皆さん写真を撮られていました。
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歌を聴きながらの食事でした。
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この方たちが食事を盛り上げてくれました。
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もちろんビールを飲みながらの食事でした。
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見ての通り海老のグリルです。これらの料理をツマミにビールとワインを次から次えと追加して9時半になってしまいました。
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サラダも注文しました。
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パンも出てきました。
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いろんな肉のグリルです。トルコのケバブ料理のような感じです。
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エジプト風のカレーのようです。中央に御飯がのっています。
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デザートはアイスクリームにしました。
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窓の外の景色です。クルーズ船が動いているので普通の露出だとカメラを固定してもぶれてしまうため暗く撮っていまいが実際にはかなり明るかったです。
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普通のシャッタースピードだと船が動いているのですべてぶれてしまうので手動でシャッタースピードを上げて撮っています。ほんとうはすごく明るく豪華です。クルーズだけの小型の船も沢山通っていました。右上の明るい部分は船内の照明が窓ガラスに反射したものです。
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窓の外にカメラを出して景色を撮ってみました。ブレブレですが雰囲気は撮れました。
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クリックすると拡大青色マーク()の場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、船の形をしたレストラン(右の写真)で船のように川を走ることはありません。沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。黄色マーク()が宿泊ホテル(Cairo Marriott Hotel )です。
  宿泊ホテル
  ナイトクルーズ船が出る桟橋
posted by SORI at 20:11| Comment(48) | TrackBack(0) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

観光地は守られています。

が表示された写真はクリックすると拡大します。


エジプトではホテルは金属探知機が必ず設置されていますが各観光地のエリアの入口にも必ず金属探知機が備えられております。ここはシタデルの入口です。

エジプトのルクソールで今から13年前の1997年にスイス人43人、日本人10名、イギリス人4名、他3名に警官や犯人6名も含めて69名(報道により若干差あり)が亡くなった悲惨な事件がありました。二度と繰り返さないための処置だと思いますが凄いです。ここはエジプト考古学博物館です。さらに建物の中に入るときにも金属探知機が設置されていました。


自動小銃を持った観光警官の人も配置されています。ギザのピラミッドエリアであれば感じとして数百人規模だと思います。装甲車に乗った警官の人やラクダに乗った警官の人も沢山いました。意外と観光客の人と馴染んでサービスしてくれます。クフ王のピラミッドの前で記念撮影をしてくれています。一緒に撮るのもOKです。


あらゆるところで警官が配置されていました。
posted by SORI at 04:15| Comment(18) | TrackBack(0) | エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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