2013年11月21日

世界遺産・日光の社寺 東照宮など

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

先日の2013年10月28日に日光の東照宮に行きました。その時の記事を掲載するつもりですが、その前に2008年11月14日に訪問した時の東照宮の写真を紹介いたします。その理由は2013年10月28日訪問時の記事を書いた時に説明いたします。
日光の東照宮は1999年12月2日で開催されたユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録されました。登録名は「日光の社寺」です。
世界遺産に登録されたのは東照宮だけでなく日光二社一寺と呼ばれている地域で下記で構成されています。
 日光東照宮   (正式名:東照宮)
 日光二荒山神社(正式名:二荒山神社)
 日光山輪王寺
103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が登録されているそうです。
今回は東照宮を中心に見学したため二荒山神社と日光山輪王寺の写真は少なくなってますが、もう一度行き、時間を取ってじっくり回ってみる価値があると感じました。

先ずは東照宮から紹介いたします。入口の金色の葵の御紋が印象的です。これは東照宮の入口の石鳥居(いしどりい 重文)です。
ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうです。鳥居の奥に表門(おもてもん 重文)が見えます。
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石鳥居をくぐると左側に五重塔(ごじゅうのとう 重文) が建っています。
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されたそうです。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建たそうです。


入口側から紹介いたします。表門をくぐると三神庫(さんじんこ 重文)があります。上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収いるそうです。また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。


三神庫と同じ広場にある輪蔵(経蔵)です。
2層屋根で建物の形が12m四方の正方形をしているので、重層方形造りというそうです。仏教の経典を納める経蔵ですが、建物の真ん中に一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架が置かれていることから輪蔵の名がついたそうです。
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階段の上の陽明門の手前の豪華な建物は左側が鼓楼で右側が鐘楼です。 写真をクリックすると日本で最初に造られた青銅製の高さ6メートルの唐銅鳥居を見ることが出来ます。この鳥居は3代将軍家光公が金2000両を費やして建てた。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮-はす-の花弁が刻まれています。
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これが左側の鼓楼です。陽明門の前に並ぶ高さ12.6mの太鼓を納める建物・鼓楼です。どの建物を見ても絢爛豪華なのが驚きでした。
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の御水舎(おみずや 重文)でさえも絢爛豪華なのでした。


東照宮で最も有名な建物なのが陽明門(ようめいもん 国宝)です。
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
高さ11.1mの2層造り、正面の長さが7m、奥行きが4.4m。胡粉を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られています。有名な「魔除けの逆柱」は、門を潜り終わる左側の柱。グリ紋の向きがこの柱だけ上下逆になっています。
御所十二門の内の名称を朝廷から賜ったもので、後水尾天皇の御宸筆による「東照大権現」の勅額があるので勅額門、装飾彫刻が500余りもあり1日中見て居ても決して飽きないというところから、日暮門ともいわれています。また陽明門より奥は明治維新まで庶民は入ることができませんでした。
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陽明門は2体の武将像で守っています。右側の武将像です。名前は謎です。


こちらは左側の武将像です。


廻廊(かいろう 国宝)です。
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされていました。こちらは右側の廻廊です。


左側の廻廊も紹介いたします。もちろん、こちらも国宝です。装飾彫刻が隙間もないほどに埋め尽くしていました。奥の建物は鳴き竜で有名な本地堂です。
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石灯篭 廻廊 陽明門などが入った風景です。鳴き竜(写真禁止)の本地堂の方から撮りました。


陽明門は豪華ですが思っていた以上に小さな門でした。全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされている唐門(からもん 国宝)もこの広場にありましたが残念ながら補修中でした。


陽明門の内側には本殿・石の間・拝殿からなる御本社(ごほんしゃ 国宝)や祈祷殿(きとうでん重文)や神輿舎(しんよしゃ 重文)があります。 写真の神輿舎には春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められていました。中央の神輿が家康公、右側が秀吉公、左側が頼朝卿でありいずれも重さ1120㎏あるそうです。
天上の絵が少し写っていますが狩野了琢の筆による天女舞楽の図だそうです。


拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所である奥宮(おくみや 重文)に通じる坂下門には有名な眠り猫(ねむりねこ 国宝)が掘られていました。眠り猫が国宝に指定されているのは東照宮で唯一の左甚五郎作と伝えられているためだそうです。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。眠り猫以外では「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿 や眠り猫の裏の雀 などが有名な動物の彫り物です。


奥院廟塔の銅製の鋳抜門(いぬきもん)です。下に門とは雰囲気が違います。クリックすると奥宮の拝殿を表示します。拝殿の裏に鋳抜門と奥院廟塔(御宝塔)があります。


奥院廟塔(御宝塔)です。
元和2年(1616年)4月17日、徳川家康は駿府(静岡)で死去して、遺骸は遺命により直ちに駿河国の久能山(久能山東照宮)へ葬られたが、翌元和3年に下野国日光へ改葬された。同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、4月17日に遷座祭が行われた。
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最後に東照宮の地図を掲載しておきます。



二荒山神社です。
二荒山神社は(ふたらさんじんじゃ)と読みます。日光にある男体山(二荒山、2486メートル)、峯山(2464メートル)、太郎山(2368メートル)の三つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としているそうです。
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日光の名前由来もいろんな説がありますが、その一つが二荒が日光になった説で、弘法大師空海が二荒山(男体山)に登られたとき、二荒の文字が感心しないといって、フタラをニコウと音読し、良い字をあてて日光にしたと伝えられております。「二荒(フタラ)→ニコウ(音読)→日光」
ニ荒山神社は大谷川北岸に766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建てられたのが始まりで東照宮より遥かに古い歴史があります。
左から本殿、 拝殿、社務所です。
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ニ荒山神社の横には家光廟大猷院(いえみつびょうだいゆういん)があります。大猷院廟(だいゆういんびょう)ともいわれています。
こちらは東照宮の絢爛豪華に対して幽玄とサビが自然に溶け込む雰囲気です。
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日光二社一寺の一寺である日光山輪王寺です。
創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていたそうです。写真は三仏堂(重要文化財)です。
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2013年11月20日

晩秋の中禅寺湖

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先日の2013年10月28日に日帰りで華厳の滝と奥日光と日光東照宮に行ってきました。華厳の滝に着いたのは午前8時だったこともあり、すいていたのですが徐々に渋滞してきたので中禅寺湖は車の中からだけの見学となりました。そこで以前に11月13日~14日に中禅寺湖の湖畔のホテルに泊まったときに14日の朝の散策の写真を紹介します。中禅寺湖あたりはすでに落葉していました。落葉した木も朝日があたたって黄金色に輝いていました。

あまりにもきれいなのでもう一枚掲載いたします。
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日の出の中禅寺湖です。上の2枚の写真を含めて時刻は6時42分です。朝早く散歩しているときれいな景色に出会えました。
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湖沿いに小さな歩道があり歩いていると13番岬 の看板がありました。標高1271mです。7時4分の景色です。
13番岬があるので12番岬や11番岬があるかと思えましたが、地図 を見るとどうもなさそうです。その代り13番別荘と12番別荘がありました。別荘が先で後から13番岬の名前が付いたのかもしれません。13番岬は釣り の絶好のポイントだそうです。


その遊歩道と中禅寺湖です。朝の散歩は気持ちがいいです。標高1269mにある中禅寺湖は、4平方キロメートル以上の面積をもつ自然湖としては日本で最も高い場所に位置しているそうです。


太陽も少し昇って来ました。時刻は7時12分です。


ホテルの前の朝の中禅寺湖の景色です。
6時57分です。


ほぼ同じ場所からの前日の日没後の景色です。
16時11分でしたがすでに太陽は山の陰に隠れていました。


中禅寺湖温泉あたりから見た湖の景色です。
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男体山も見えました。


華厳の滝に流れていく大谷川です。



2013年10月28日の車の中からの中禅寺湖の横を通る道路の写真を追加いたします。中禅寺湖は写っていませんが右側に中禅寺湖があります。
上の11月14日の写真と違い紅葉は見ごろでした。


こちらは中禅寺湖が見える湖畔の写真です。
posted by SORI at 17:03| Comment(54) | TrackBack(2) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロッジ風ホテルに泊まりました。

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今回ではありませんが、中禅寺湖のほとりに11月13日の晩秋に泊まったことがあります。丁度、今の時期なので紹介いたします。戦場ヶ原から中禅寺湖に下りて来て泊まったホテルです。観光に行ったとき、その町のホテルも楽しみの一つですね。この時に日光で泊まったホテルは、今まで泊まったことのない雰囲気のホテルでしたので紹介させてください。標高1271mの中禅寺湖の湖畔に中禅寺湖温泉街からは離れた、ひっそりと佇んでいるホテルでした。
見ての通り3階建で、木のバルコニーがあるロッジ風の外観が印象的でした。夕日に輝く木のホテルは特にきれいでした。

ホテルは中禅寺金谷ホテルで泊まったのは2階でした。鍵もカード式ではないところがいいですね。


その2階のバルコニーから横のバルコニーを撮りました。別荘をイメージしたホテルと言えるかもしれません。


部屋は全て中禅寺湖に面しておりミズナラの木々の合間から、夕日が沈む瞬間も見ることが出来ました。
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夜にはロビーの暖炉に火が入れられました。写真は到着時に撮ったものです。


暖炉の前はゆっくりと寛げる雰囲気にソファーが並べられていました。


中禅寺湖側からみたホテルですが木々に囲まれていて、車で通っていると気がつかない人も多いと思います。
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中禅寺湖とは反対側が広いスペースになっており駐車場や玄関も、そちら側にありました。


こちらが露天風呂です。右の露天風呂の写真はネットから拝借しました。クリックすると拡大露天風呂の写真をクリックすると拡大します。渡り廊下で連絡する別棟(下の写真)で露天風呂の温泉も楽しめました。真中で仕切られていて向こう側が女湯で手前側が男湯です。冷たい空気が気持ちよかったです。泉質は強い硫黄泉で、内湯・露天風呂ともに循環しない掛け流しで、 皮膚病をはじめ、リウマチ、糖尿病、高血圧症、痛風などに効果があると書かれていました。
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写真は朝食の風景です。ホテルの自慢はフランス料理です。
料理に関しては別途紹介させていただきました。→ポチッ


部屋も紹介しておきます。ゆったりとしておりトイレと浴室は部屋の左右に別についた豪華な雰囲気です。これらの扉も全て銘木で出来ておりました。これでも料金が一番安いスタンダードツイン の部屋です。


日光で最も有名なのが日光金谷ホテルですが、そのホテルが経営している中禅寺金谷ホテルが今回宿泊したホテルでした。金谷ホテルには感動的な長い歴史があることをホテルの説明で知ったので紹介しておきます。
江戸が明治にかわると、東照宮の門前町として栄えていた日光にも大きな時代の波が押し寄せてきました。
明治4年(1871年)、当時まだ外国人を泊める施設がなかった日光の町で、宿に困った外国人を全くの善意で自宅に招いた青年がいました。若き日の金谷善一朗です。
良心的な青年の対応にその外国人は「これから涼を求めて多くの外国人が日光を訪れるでしょう。私も友人を連れてくるから宿を生業にしてはどうか」と助言を残してくれました。
その人こそがヘボン式ローマ字を提唱し和英辞典の編纂に尽力したヘボン博士でした。彼との出会いが、ホテル業を始める大きなきっかけとなったのです。
明治6年(1873年)、「カナヤ・カッテージ・イン」として夏の間外国人に自宅を提供するようになり、家族総出でお客様のおもてなしをしました。
善一郎を筆頭に妻と妹が掃除、子供達は鶏の羽むしりなどをしていました。
明治11年(1878年)には、イギリスの旅行家イザベラ・バードがヘボン博士の紹介でカッテージ・インを訪れました。
そして同13年(1880年)イギリスで出版された彼女の著書「日本奥地紀行」の中に滞在中の印象が詳しく紹介されると、金谷の名はヨーロッパにも広まりました。
ヘボン博士による知人への紹介もあり、金谷の名は横花・東京の外国人たちにも口コミにより広まり、イギリスの外交官で、日本研究家としても知られるアーネスト・サトウなどがリピーターとして訪れるようになりました。

明治23年(1890年)、宇都宮-日光間に鉄道が開通すると日光を訪れる外国人の数も増えて、日光市内には外国人向けの大きなホテルがいくつも建つようになりました。
小さな家で経営するカッテージインの経営は苦しいものになってきました。
このホテル競争を生き残るため善一郎は、息子には立教学院で英語の教育を受けさせ、本格的ホテルを建てたいと努力をします。
資金がとぼしかった善一郎は、偶然にも30年ぶりに資産家の旧友との再開、資金の援助を受け、建設途中で嵐の為、損傷したまま放置してあったホテル用建物を取得修復し、「カナヤ・カッテージ・イン」開業から20年目にして念願の「金谷ホテル」を、現在の地で始めることが出来たのです。
以来、135年後の今日に至るまでお客様をお迎えし続けているのです。


我々の泊まった中禅寺金谷ホテルは昭和15年に栃木県営の「日光観光ホテル」として誕生し、その建設・経営を金谷ホテルが委託されたのが始まりで、その後の戦争、進駐軍の保養施設、失火による全焼を経て平成4年に現在の建物での営業が始まったとのことでした。
写真は昭和15年当時の中禅寺金谷ホテルです。


 名前 中禅寺金谷ホテル
 住所 321-1661 栃木県日光市中宮祠2482番地
 電話 0288-51-0001  Fax 0288-51-0011
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日光の紅葉

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2013年10月28日に日光に行ってきました。奥日光や中禅寺湖の辺り紅葉が進んでいましたが奥日光に比べると標高の低い日光の辺りはまだ先の状態でした。そこで以前に11月13日~14日にかけて日光に行ったときの写真を紹介いたします。その日は快晴で、もみじの紅葉をきれいに見ることが出来ました。このことから日光は今が紅葉を見るのに絶好の時期ではないかと思われます。
特に葉の裏側からはステンドグラスのような美しさがあります。無意識の内に裏側から撮っていました。

裏側からの写真をもう一枚、紹介いたします。
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紅葉(もみじ)は光によって見え方が変わってきます。
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杉の隙間から見える紅葉(もみじ)も幻想的です。
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もみじ葉は真赤に紅葉していました。
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この写真は日光の二荒山神社あたり家光廟大猷院の紅葉(もみじ)です。後で紹介する日光山輪王寺と二荒山神社には沢山の紅葉(もみじ)がありました。日光と言えば日光東照宮ですが紅葉(もみじ)の季節には日光山輪王寺と二荒山神社にも必ず訪れてください。
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有名な日光東照宮の中は杉の大木に覆われておりモミジはありませんが参道脇はきれいなもみじがありました。
写真を撮っているあたりから上には紅葉はほとんどありませんでした。この参道の左側が日光山輪王寺です。
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これは日光東照宮の参道を下から撮ったものです。沢山はありませんが杉の大木の中の紅葉はすばらしいものがあります。
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こちらも日光東照宮の参道のもみじです。
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日光山輪王寺あたりの紅葉(もみじ)のある景色です。世界遺産の日光山内の社寺は「二社一寺」と言われております。その3つとは日光東照宮、二荒山神社、日光山輪王寺です。3ケ所の紅葉(モミジ)を紹介いたしました。
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中善寺温泉あたりの街路樹はモミジでした。
ラベル:もみじ 日光 紅葉
posted by SORI at 17:00| Comment(54) | TrackBack(2) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

奥日光三名瀑 湯滝

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クリックすると拡大すでに紹介したとおり2013年10月28日に華厳の滝を見に行きました。その時の華厳の滝が右の写真です。華厳の滝は「日本三大瀑布」ですが、さらに「奥日光三名瀑」でもあり、「日光三名瀑」でもあります。華厳の滝を見た後は、この時に紅葉が見れる標高が1400mの奥日光に行きました。そこで見ることが出来たのが、「奥日光三名瀑」の一つである上の写真の湯滝(ゆだき)でした。これで二つの「奥日光三名瀑」を見ることが出来たことになります。
 日本三大瀑布 華厳の滝 那智の滝 袋田の滝
 奥日光三名瀑 華厳の滝 湯滝   竜頭の滝
 日光三名瀑  華厳の滝 霧降の滝 裏見滝

クリックすると拡大湯滝は右下の写真の湯ノ湖から流れ落ちる滝です。下の写真は湯ノ湖からの落ち口(銚子口/滝口)の部分で、ここから斜めに水が滑り落ちていきます。
右の写真の先が下の写真の落ち口です。
「奥日光三名瀑」以外の呼び方としては「奥日光三大瀑布」などの呼び方もありますが検索件数の結果から「奥日光三名瀑」が妥当なようです。数値はYahooで検索された件数です。日光三名瀑の検索に関しては奥日光三名瀑の検索とダブらないように"奥"の文字を含まない設定で検索しました。
クリックすると拡大 ❶ 日本三名瀑  49400
 ❶ 日本三大瀑布 260000
 ❶ 日本三大名瀑 248000
 ② 奥日光三名瀑 97400
 ② 奥日光三大瀑布  22
 ② 奥日光三大名瀑  72
 ❸ 日光三名瀑  26000
 ❸ 日光三大瀑布   30
 ❸ 日光三大名瀑   60


湯滝は華厳の滝のように垂直に水が落ちるのではなく傾斜を斜めに落ちていきます。その滝の横を歩いて落ち口(銚子口/滝口)まで登って行けました。落差は50mで幅は25mと目の前で見ることが出来る迫力のある滝でした。


滝の落ち口の標高は1475mであることから、この時は紅葉に関してはベストであったと思います。現在はすべて散ってしまっていると思われます。ここに写っている道を紅葉を見ながら登って、滝の落ち口まで行きました。


紅葉の写真を何枚か、掲載させていただきます。
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滝の欲には沢山の紅葉した木がありました。


迫力を感じてもらうために近くからの写真を紹介します。滝の斜面を構成する岸壁は、湯川の流れをせき止めて湯ノ湖を形成した三岳の溶岩だそうです。滝の下段部は左右二股に分かれているのも湯滝の景観の特徴です。
湯ノ湖から流れ落ちる滝なので湯滝と名前が付いたのだと思います。また湯ノ湖の湖畔には日光湯元温泉があり、日光白根山からの水と温泉からのお湯が流れ込んでいることから湯ノ湖の名前が付い多のではないかと思いますが、滝を流れ落ちるのは湯ではなく水です。
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湯滝を流れ落ちた水は日本有数の高層湿原「戦場ヶ原」を流れる湯川となり、さらに下って中禅寺湖へ流れていきます。
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下流側から湯滝を見た景色です。湯滝の大きさが判ってもらえると思います。
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茶店では美味しそうなものが、いろいろと売られていました。ここの見学は駐車料金のみで見ることが出来ます。


緑色マークが、今回紹介の奥日光三名瀑の一つである湯滝です。残りの2つのマークも奥日光三名瀑で、赤色マークが華厳の滝で空色マークが竜頭の滝です。奥日光三名瀑の中で湯滝が最も標高の高い1475m(落ち口)のところにあります。

より大きな地図で 奥日光三名瀑 を表示
posted by SORI at 18:50| Comment(22) | TrackBack(2) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月31日

紅葉と虹の華厳の滝 2013年10月28日8時23分

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真が2013年10月28日8時23分の華厳の滝です。
クリックすると拡大すでに紹介した記事のように2013年10月21日に「紅葉の華厳の滝」を見ようと訪れたら右の写真のように「霧の華厳の滝」だったので、どうしても「紅葉の華厳の滝」を見たくて2013年10月28日に家内と一緒に華厳の滝を再訪いたしました。家内が、日光には来たことが無かったのも再訪した理由の一つでもありました。
華厳の滝は、東を向いて流れ落ちているので華厳の滝を見るのであれば朝がいいと思い、先ずは華厳の滝を訪問いたしました。家を5時10分に出発して常磐自動車道、東京外環状自動車道、東北自動車道、日光宇都宮道と乗り継いで華厳の滝の駐車場に着いたのは8時10分でした。見事な虹が架かっており「紅葉と虹の華厳の滝」見ることが出来ました。

さすがに早かったのでバス専用駐車場は、まだ1台も停まっていませんでした。東北自動車道や、いろは坂で沢山の観光バスを追い抜きましたが、我々と同じくここを目指していたことは華厳の滝を離れるときに、わかりました。


華厳の滝に最も近い場所に駐車出来ました。ここ以外の駐車場には、上のバス専用駐車場のように車は駐車していませんでした。


エレベータで降りる前に前回及び前々回と同じ場所から滝を撮りました。ここで、やっと「紅葉の華厳の滝」を見ることが出来ると実感いたしました。


こちらが同じ場所からの写真で左が霧で滝が見えなかった前回の写真で、右が紅葉がすべて散ってしまった前々回の写真です。
         10月21日(前回)             11月13日(前々回)
クリックすると拡大クリックすると拡大

エれべーターを降りるの前に上の展望台に来てみて驚きました。虹が架かっているのです。滝の右側の縦の虹が判ってもらえると思います。
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虹のあたりを拡大いたしました。下の方から見るともっと上方向の虹が見えることが期待されたりで急いでエレベーターで下の観獏台に降りることにいたしました。
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先ずはエレベーターの昇降券を買います。まだお客さんは少ないようです。


エレベーターも我々が乗ると二人だけでしたが、すぐに降りてくれました。タイミングが遅れると虹が見れなくなるので、すぐに動かしてもらえたのは嬉しいことです。


エレベーターで下に降りて地下トンネルを抜けて観獏台から最初に出会えたのが冒頭の写真で紹介した華厳の滝でした。
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せっかくなので縦長の写真で華厳の滝を紹介いたします。まさに「紅葉と虹の華厳の滝」です。写真の下半分には太陽が当たっていないため真黒です。太陽が上がるにつれて谷の部分も明るくなってきますが、虹の位置も太陽との動きと反対に下に動いていくので1時間以内には見えなくなってくると思います。
よく見ると滝の左側にも虹が見えます。色の順番は右側の虹とは反対でした。完全ではありませんが二重の虹を見ることが出来たのでした。
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拡大したした虹の写真を紹介します。
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別の構図の虹の写真です。
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滝壺あたりの岩にも太陽の光が当たり始めました。この時、8時36分でした。8時23分の時には光は当たっていなかったので朝の景色は短時間で変わることを実感いたしました。
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滝の左側の虹が比較的クリアーに撮れている写真を紹介します。虹全体が見えませんが右側の虹と同心円上にあることが判ってもらえると思います。
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クリックすると拡大右の写真で前回紹介した5~6角柱で出来た玄武岩の岩肌も今回は太陽の光が当たって見事な姿を見せてくれました。この岩肌を見ていると2万年前の男体山の噴火で流れ出た溶岩によって堰き止められたことが実感できました。ちなみに水が華厳の滝から流れ落ちる中禅寺湖は広さ4km2以上の自然の湖としては、日本一標高の高い場所(1269m)にある湖だそうです。
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いろは坂で追い抜いたバスに乗っていた子供たちだと思います。皆さん虹の華厳の滝を見て歓声を上げていました。朝早いと、何か良いことがありますね。


動画でも華厳の滝を紹介いたします。この日の水量は毎秒3トン(3 t/s)とのことでした。1時間あたりにすると1万800トン(10800 t/h)となります。クリックすると毎秒3トンの水の音も聞くことが出来ます。一週間前の10月21日は毎秒2トンでした。台風の時などには毎秒40トン(144000 t/h)になることもあるそうです。


エレベーターで上がって、上の展望台にもう一度来てみました。虹は見えなくなっていました。虹が消えたのではなく太陽の角度が、少し南側(左方向)に変わったことで虹が右に移動したために、正確な表現ではありませんが木の陰に虹が隠れて見えなくまったのだと思います。(木が無ければ見えるはずです。) この時、8時45分でした。
僅かな時間(30分)の差で見えなくなってしまうことを実感いたしました。


今回は400mmのズームを持ってきたので滝の落ち口(銚子口/滝口)あたりの景色を紹介いたします。210mm(24mmの時の8.75倍)の写真です。クリックすると拡大

こちらが350mm(24mmの時の14.58倍)で見た滝の落ち口です。24mmの時とは冒頭の華厳の滝の全景を撮った時のことです。
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これは同じ展望台から華厳の滝の左側に趣のある滝がありました。太陽の光が、当たっていないので鮮やかさはありませんが、ここに太陽が当たるときれいな景色を見せてくれる予感がいたしました。下の観獏台からも見ることが出来ました。
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華厳の滝の脇にある滝を動画で紹介いたします。こちらの滝の名前が判りません是非とも教えてほしいです。


紅葉も進んでいました。
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下流側の方向の景色です。紅葉のある景色は格別でした。


1986年(昭和61年)には滝口(落ち口)の一部が崩落したそうですが、それ以前の写真を紹介します。初めて華厳の滝に来た時の写真を追加させてもらいました。確かに落ち口の部分の形が変わっています。上の写真と比べてみてください。関西に住んでいたころのことで猪苗代湖まで列車で来て猪苗代湖→桧枝岐村→尾瀬→中禅寺湖→華厳の滝→日光→宇都宮と自転車で走りました。華厳の滝に来たのは某年8月14日でした。エレベーター料金は現在530円に対して、この時でも300円でした。新大阪を8月11日に出発して家に帰ったのが8月15日でした。


今までの4回の訪問の写真を紹介いたします。左端が1986年の落ち口の崩落以前の写真です。右側2枚が今年の写真です。左から2枚目は5年前の写真です。

  1986年以前     2008年     2013年     2013年

   8月14日     11月13日    10月21日     10月28日

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