2013年12月10日

奥日光三名瀑 竜頭の滝

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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奥日光三名瀑の華厳の滝湯滝はすでに紹介いたしました。残る奥日光三名瀑は竜頭の滝です。竜頭の滝(りゅうずのたき)にも行きましたので紹介いたします。竜頭滝と書かれることがある竜頭の滝は湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝で、長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下ります。「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を「龍の頭」あるいは二手の流れの中央の岩を「龍の頭」と見立てたとも言われています。
滝に沿って東側に散策路があり、急流状になっている滝を側面から見ることができます。

その散策路からの景観を滝の上から順番に紹介していきます。こちらが竜頭の滝の一番上のからの景色です。湯川を渡る橋の上から撮りました。落ち口は明確な位置はありませんが、湯川は、ここから急斜面となって流れ落ちていきます。滝の先に見える湖が中禅寺湖です。
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少し下ったところの竜頭の滝です。昔は上流部の一部を龍雲滝と呼び分け時期もあったそうです。
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滝は徐々に急になり階段状になってきます。滝の形状による分類では、竜頭の滝は渓流滝に分類されます。華厳の滝は典型的な直瀑です。もう一つの奥日光三名瀑である湯滝は段瀑あるいは渓流瀑ですが、段瀑に分類するのが妥当な感じでした。
  直瀑    落ち口から滝壷まで一気に落下する滝
  分岐瀑  落ち口から幾重にも分岐して流れる滝
  段瀑    2段や3段、またはそれ以上の階層がある滝
  潜流瀑  地下水が崖の途中より直接落ちる滝
  渓流瀑  滝口から傾斜した岩肌を滑るように流れる滝
  海岸瀑  海岸の崖の上に滝口があり、海に直接落ちる滝
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さらに下がったところの竜頭の滝の景観です。
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見どころのところは広いスペースが作られており沢山の人がゆっくりと見ることが出来るようになっていました。このような場所が2ケ所ありました。


その中でも竜頭の滝の看板が立てられている場所は、最大の見どころなのだと思います。皆さんここで記念撮影をされていました。
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その場所から撮ったのが冒頭の写真です。竜頭の滝の黒々とした岩壁は、男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものだそうです。

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ここには竜の頭の形をした岩がありました。
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竜の頭の形をした岩を真横からも撮りました。
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さらに下流側の竜頭の滝です。滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先で中禅寺湖に流入しています。
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竜頭の滝の一番下には「龍頭之茶屋」がありました。さらに「龍見台」の看板があります。


茶屋の中入って「龍見台」の意味が分かりました。茶屋から竜頭の滝が正面から見えるのでした。


茶屋から見た竜頭の滝の一番下です。二枝に分かれた滝を正面から見ることが出来ます。滝の途中の竜の頭に似た岩から竜頭の滝の名前が付けられたと書きましたが、こちらの茶店からの景観から竜頭の滝の名前がつけられたとも言われています。二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ、二手の流れを竜の髭(ひげ)に見立てて、中央の岩を頭部に見立てたとも言われています。確かにそう言われれば水の流れがヒゲに見えてきます。
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あらためて奥日光三名瀑を紹介いたします。竜頭の滝だけは、一枚の写真で滝全体を紹介しきれないことが判りました。緑色マークが湯滝(落差50m 幅25m)で、空色マークが今回紹介の竜頭の滝(落差60m 幅10m)で、赤色マークが華厳の滝(落差97m 幅7m)です。奥日光三名瀑の中で湯滝が最も標高の高い1475m(落ち口)のところにあり、その次が竜頭の滝で最後が華厳の滝です。
湯滝            竜頭の滝          華厳の滝
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より大きな地図で 奥日光三名瀑 を表示
日光三名瀑の裏見滝(うらみたき)と霧降の滝(きりふりのたき)も含めた航空写真も紹介します。 日本三大瀑布の華厳の滝は奥日光三名瀑でありクリックすると拡大クリックすると拡大、日光三名瀑でもあります。共通の華厳の滝を除くと水利用の多い奥日光三名瀑の方が日光三名瀑よりも迫力があるようです。
2枚の裏見滝(左 落差19m 幅2m)と霧降の滝(右 落差75m 幅3m)の写真はWikimediaなどから拝借いたしました。
 奥日光三名瀑 華厳の滝 竜頭の滝 湯滝
 日光三名瀑  華厳の滝 霧降の滝 裏見滝

より大きな地図で 奥日光三名瀑 と 日光三名瀑 を表示
posted by SORI at 22:14| Comment(24) | TrackBack(0) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月07日

想像の象 日光東照宮

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東照宮にある日光三彫刻の「三猿」と「眠り猫」を紹介しました。もう一つの日光三彫刻は「想像の象」ですが、あまり知られていないようです。
「想像の象」は、「三猿」のある神厩舎(神厩)の参道を挟んで向かいの上神庫に飾られています。上の写真の大きな木の陰の左の建物が「三猿」の神厩舎で、右の建物が上神庫です。上神庫は三神庫の一つです。

その上神庫に妻面の軒下の壁に藤菜象が2頭飾られており、その像が「想像の象」と呼ばれる彫刻です。「想像の象」の下絵の作者は狩野探幽と言われ、探幽が実物の象を見たことがなかった事から「想像の象」と呼ばれるよになったそうです。上神庫は他の三神庫の中神庫と上神庫と共に寛永12年(1635年)に建てられた桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺き、校倉造り、高床の上倉庫で三棟合わせて内部には「百物揃千人武者行列」に使用される1200人分の装束や舞楽用の装束などが収められています。
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妻面は見事な装飾で飾られていました。
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妻面の2体の象の部分をさらに拡大いたしました。「想像の象」は日光三彫刻の中でも、もっとも大きくて鮮やかな色彩が施された彫刻でした。龍のように見える彫刻は麒麟(きりん)だそうです。下段中央の緑の顔の鬼の彫刻らしきものもありました。興味のある方はクリックして確認してみてください。
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こちらが右側の象の彫刻です。象は恐ろしい顔をしており爪があることから獅子をイメージしている気がしますが、長い鼻やや二本の大きな牙は本物と似ています。さらに耳は形が違いますが大きいことがきちっと伝えられているのに驚かされました。


左側の象は尻尾の先が何本にも分かれているのが特徴です。3つ又の尾と表現されている記述もありましたがよく見ると裏側にも分かれた尾を見ることが出来るので、尾が分かれているのではなくて、ふさふさとした毛が生えた尾を表現したかったのではないでしょうか。2体の象の様子はかなり違います。下の象はどちらかと言えば獅子に近く上の象の方がお腹が大きくて実際の象に近い感じです。2体が、これほど違う理由は、狩野探幽が雄雌を描いたのか、別々に想像して書いたものなのか、調べた範囲ではわかりませんでした。上神庫が建てられた1635年以前に日本に象が来たは次の通りなので、想像で描くのも仕方ないことのようです。その後は1728年になるようです。
   1575年 大友宗麟への献上
   1597年 豊臣秀吉への献上
   1602年 徳川家康への献上


2体の象の彫刻以外に同じ妻面に象の頭の彫刻もありました。
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下段中央の緑の顔の鬼らしき彫刻も拡大いたしました。ネットで調べた範囲では、この彫刻の記載は見つからないので、見た目から「鬼らしき彫刻」ということにいたしました。象や麒麟の彫刻が飾られている面なので、何かの動物である可能性もあります。顔の周りの飾りは鬣(たてがみ)のようにも見えます。もし「たてがみ」だとすればライオン、つまり獅子ということになります。


上神庫の別の角度からの写真です。左側が「向拝」側です。沢山の灯篭(燈籠)が印象的です。この場所は陽明門から33段(12段+21段)下がったところなので外様大名が寄進した燈籠です。
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三神庫は下神庫・中神庫・上神庫の総称です。春秋の祭りの1週間ほど前から準備のため扉を開けるので内部をのぞけるそうです。いずれも奈良の正倉院に代表される校倉造り(あぜくらづくり)を模した建物です。上神庫はすでに紹介したので下神庫と中神庫を紹介いたします。こちらが中神庫(なかじんこ)で桁行9間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺きの建物です。左に少し写った建物が上神庫で、右に少し写った建物が下神庫です。
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こちらが下神庫(しもじんこ)で桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺きの建物です。左に少し写った建物が中神庫です。
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クリックすると広い範囲を表示東照宮の表門の柱にも象の彫刻がありました。
表門をくぐって左に曲がると「三猿」の神厩舎と「想像の象」の上神庫が目の前にあります。
写真をクリックすると広い範囲を表示します。
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posted by SORI at 17:25| Comment(24) | TrackBack(0) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

三猿 見猿・言わ猿・聞か猿 日光東照宮


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日光三彫刻の一つである「眠り猫」を紹介したら、やっぱり次は「三猿」の紹介をしたくなります。「三猿」と言えば上の写真の「見ざる・言わざる・聞かざる」です。
三猿である「見ざる・聞かざる・言わざる」の起源は未だ解明されていないそうです。よく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在するからだそうです。しかし明治時代に日光東照宮の三猿が海外にも紹介されれて日光東照宮の三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」が世界的に最も有名な三猿の一つとなったそうです。

三猿(さんざる、さんえん)の部分を拡大した写真も掲載いたします。
「眠り猫」と同じく左甚五郎の作ではないかとの記述が見受けられますが、想像の域であり公においては東照宮では「眠り猫」だけが左甚五郎作となっています。日光三彫刻とは「想像の象」と「三猿」と「眠り猫」です。
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論語の「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったといわれています。いつしか語呂合わせ(ざる=猿)から猿と結びついたのでしょう。日本で三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」の彫り物として有名なのが庚申塔です。その庚申塔で現存する中で三猿が彫られた最も古い庚申塔は寛永17年(1640年)なので、日光の神厩の三猿の方が5年ほど古いことになります。ただし、確定していませんが伊勢市辻久留で永享12年(1440年)と推定される三猿庚申塔があります。
参考に私の家の近所にある庚申塔の写真を掲載いたします。庚申塔の青面金剛と猿の関係はインドに起源があるそうです。
享保12年(1727年)建立            寛延3年(1750年)建立
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三猿は表門を入ってすぐ左にある神厩舎(神厩)の壁に飾ってある彫り物の一つです。神厩の通路側正面に5構図があり、右側(建物としての正面?)に3構図があり、合わせて8構図の中の一つの構図に過ぎません。
クリックすると拡大神厩は寛永12年(1635年)に建てられたもので、桁行3間、梁間5間、切妻、銅瓦葺き、妻入りの建物です。東照宮境内の中で唯一の白木造りで、当初は初代将軍徳川家康が関ヶ原の合戦の折乗馬していた馬が神馬とされていたそうです。長押上には猿が馬の守り神であるという信仰から猿の彫刻が8面の構図で彫り込まれているわけです。その8面の構図によって、子育てから恋愛、結婚、妊娠と人間の一生が風刺されているそうです。
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こちらが通路側正面で5面の猿の彫刻が確認できると思います。左から2面目が「見ざる・言わざる・聞かざる」を模った三猿です。子供の教育とは「悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないように育てなさい。」という教育を論じていると言われています。左から順番に(1)~(5)で、右側に回って(6)~(8)と飾られているのです。妊娠し、そしてまた子供が産まれれば、また最初の彫刻に戻るわけです。こうやって人生がくり返されていくことを猿の彫刻で表しているような気がします。通路側正面は左から(1) (2) (3) (4) (5)です。クリックすると拡大するのでわかりやすいと思います。(6)~(8)の構図があることは写真を撮った時は知らなかったことから(6)~(8)がある面の写真は残念ながら撮りませんでした。
クリックすると拡大 (1) 母猿と子猿
 (2) 悪いことを見猿・言わ猿・聞か猿
 (3) 一人立ち直前の猿
 (4) 大志を抱いて天を仰ぐ猿
 (5) 迷い悩む仲間を励ます猿
 (6) 恋に悩む猿
 (7) 結婚した夫婦の猿
 (8) 妊娠した母猿
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「見猿・言わ猿・聞か猿」以外の構図も紹介いたします。
こちらは(3)の「一人立ち直前の猿」です。
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そして、こちらが(4)の「大志を抱いて天を仰ぐ猿」です。
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(1)と(5)も紹介します。3匹の猿が出てくる構図は(2)と(5)の2枚だけです。
 (1) 母猿と子猿           (5) 迷い悩む仲間を励ます猿
(1) 母子の猿(5) 下を見る猿

(6)~(8)があることを知らなかって写真を撮りませんでした。そこでネットの写真を転用させていただき、紹介いたします。
   (6) 恋に悩む猿     (7) 結婚した夫婦の猿  (8) 妊娠した母猿
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posted by SORI at 18:59| Comment(25) | TrackBack(2) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月24日

眠り猫 日光東照宮

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日光三彫刻の言われているのが「想像の象」と「三猿」と「眠り猫」です。その中で最も有名なのが「眠り猫」ではないでしょうか。最近は「三猿」も人気があるようですが、「眠り猫」は小さな彫り物だけに格別なものがあります。

その「眠り猫」は奥社(奥宮)への参道の坂下門の手前の東回廊の入口部分の軒下の正面にあります。奥社(奥宮)にお参りする人は必ず、「眠り猫」の真下をくぐるのです。
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日光東照宮には多様な動物を見ることができます。これらの動物のほとんどは平和を象徴するものとして描かれているそうです。
奥社入口を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているとも言われていますが、一方で「猫も寝るほどの平和」であることを表しているとも言われています。
この「眠り猫」は左甚五郎の作と伝えられています。左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人ですが、実在の有無も含めて謎の多い彫刻士で、左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞であった説もあります。
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上の写真はクリックすると拡大いたしますがクリックの面倒なん方のために拡大写真を掲載いたしました。本写真もクリックするとさらに拡大いたします。
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「眠り猫」は小さな彫り物であることが、この写真でわかってもらえると思います。
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奥社の参道側(坂下門側)から眠り猫の裏側を撮りました。写真を撮っている方が沢山おられることが判ると思います。皆さん「眠り猫」を撮っているのです。向こう側に「眠り猫」が飾られているのです。「眠り猫」の反対側、つまり手前側には2羽の雀(すずめ)が彫られています。
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こちらが「眠り猫」の真裏の雀の彫刻です。雀がいても「猫も寝るほどの平和」であるとの解釈となっている彫り物です。猫が起きていれば雀は食べられてしまいますが、東照宮では猫も居眠りして雀と共存共栄していることが戦乱が終わり平和な時代がやってきたことを表しているという解釈となっているのです。


「眠り猫」と「すずめ」を近いサイズで並べてみました。「すずめ」の方は牡丹の透かし彫りが周囲にありますが「眠り猫」にはありません。真裏と言っても離れているようです。さらに寸法比率も違うようです。両方をクリックして、両方の拡大写真を比べるとわかりやすいと思います。
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  検索「眠り猫 日光東照宮」→ 1ケ月 3ケ月 6ケ月 1年 すべて
posted by SORI at 14:45| Comment(24) | TrackBack(3) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

奥日光 湯ノ湖


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クリックすると拡大紹介した右の写真の湯滝が流れ落ちているのが上の写真の湯ノ湖です。湯ノ湖(ゆのこ)は北東にある三岳火山の噴火によってつくられた堰止湖です。湯滝の脇の散策路を登って湯ノ湖にたどり着いて写真を撮ったので紹介いたします。湖畔には日光湯元温泉があり、日光白根山からの水と温泉からのお湯が流れ込んでいることから湯ノ湖の名前が付けられたのではないでしょうか。
           湯ノ湖    中禅寺湖
  面積      0.32 k㎡  11.62 k㎡
  周囲長     2.8 km     25 km
  最大水深    12 m     163 m
  水面の標高 1475 m    1269 m

湯ノ湖の周囲には散策路があり、約1時間で1周できるそうです。
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周囲の散策路を歩きながら湯ノ湖の景色を紹介いたします。紅葉が混じった秋らしい景色です。湯滝の落ち口に近いあたりからの景色です。
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上の写真の中央部分を拡大いたします。クリックするとさらに拡大します。
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さらに進んだ散策路です。
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倒木や周囲の木々が趣を増してくれていました。温泉が流れ込んでいて通常よりは水は温かいようですが標高が1475mあることから冬には全面結氷する事もあるそうです。
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鵜(う)が羽を休めている光景にも出会いました。
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少し違った角度の景色です。
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湯ノ湖から流れ出る湯川には木製の橋が架かっていました。


橋の下の水は湯滝の落ち口へ流れて行きます。
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この先に滝への落ち口があります。
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湯滝の下から見た落ち口です。
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航空写真で湯ノ湖を紹介します。湯ノ湖の北側には沢山の温泉宿を見ることが出来ます。緑色マークが湯滝の落ち口(銚子口/滝口)の位置です。

より大きな地図で 湯ノ湖 を表示
ラベル: 奥日光 日光 温泉
posted by SORI at 06:30| Comment(22) | TrackBack(1) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

なんと、陽明門は補修工事中でした。 日光東照宮

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2013年10月28日に日光東照宮に行きました。ところが東照宮で最も有名な陽明門が補修工事で上の写真のように見ることが出来なかったのです。私は東照宮は3度目でしたが、家内は初めてだったので、ちょっと残念がっていました。

それも工事が今年(2013年)の7月15日に始まった表示を見てなおさら、がっかりでした。今までに、いくらでも来る機会があったのに、よりにもよって補修工事が始まった年に来てしまったのでした。補修工事が終わるのは6年後の2019年3月31日と記載されていました。つまり東京オリンピック開催の前年に完成することになります。
  名称   国宝 東照宮 陽明門 保存修理工事
  工事期間 着手 平成25年7月16日 (2013年)
       完了 平成31年3月31日 (2019年)
  事業主  東照宮
  修理指導 文化庁文化財部参事官建造物担当
  設計管理 公益財団法人 日光社寺文化財保存会 
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こちらが内側から見た陽明門です。陽明門の名称は、宮中(京都御所)の十二門の東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられています。
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初めての方もおられるかもしれないので2008年11月14日に撮った陽明門の写真を掲載します。クリックすると拡大するのでじっくりと見てください。
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確かに痛んでいました。前回の根本修理工事から40年が経過したそうです。補修内容は外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に行なうそうです。調査を行ないながらの工事で、必要があれば部分的な木部解体修理も行なうそうです。
陽明門の通路の間天井には狩野探幽により昇竜(のぼりりゅう)と降竜(くだりりゅう)が描かれています。 昇竜は別名「八方にらみの竜」、降竜は「四方にらみの竜」とも呼ばれています。この昇竜と降竜はみることが出来ました。
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クリックすると拡大こちらの写真には天井の絵が見えると思います。天井の絵の部分を露出調整して右に掲載いたしました。竜かどうかは判別は難しいです。話は変わりますが、12本の白い柱うち渦巻き文様の向きが逆になっている逆柱(さかさばしら)が1本があります。この理由は「完成された建物は、いずれは崩壊する。正に完成した瞬間から崩壊が始まる。」という言われており未完成な状態であることを表しているそうです。場所は背面の右から2本目で残念ながら写真には写っておりません。これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあるそうです。同様な理由で一か所だけ仕様が異なる例は下記の通りです。
 ・五重塔の1~4層が平行垂木で5層が放射状垂木となっている。
 ・御水屋の西角だけが切り落とされた形になっている。
 ・陽明門の左右の回廊の透かし彫りで右端の一つだけ小さい。
 ・陽明門と拝殿と本殿の逆柱
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陽明門に据えられていた隋身像(神域を守る像)などが取り外されて展示されており間近で見ることが出来ました。
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こちらは陽明門に飾られていた2体の狛犬です。隋身像とは反対の陽明門の内側に置かれていましたものです。
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それでは、気を取り直して陽明門以外を紹介いたします。ここでは陽明門の周辺を中心に掲載させていただきます。陽明門から外側を見た景色です。冒頭の写真は鳥居の辺りから撮りました。この鳥居は日本で最初に青銅製で造られた鳥居です。3代将軍家光公が金2000両を費やして建ててました。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれています。
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補修中の陽明門から本殿側を見た光景です。
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陽明門の左右には廻廊が延びています。こちらは陽明門の右側の回廊です。
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いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされていました。
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右側の端まで行くことはないので端の写真を撮ってきました。上でも紹介したように未完成にするために右端の透かし彫りの一つだけが小さいのです。
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上の写真ではわかりにくいので、小さな透かし彫りの部分を拡大いたしました。この写真は杉の大木にピントが合った上の写真から切り取ったものなので、透かし彫りの部分は不鮮明となっていますが、なんとか雰囲気は判ってもらえると思います。


右端から陽明門のほうを撮った写真です。
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灯籠も趣があります。東照宮には燈籠が121基あるそうですが、いろんな人が寄進していることから素材もいろんな灯籠がありました。
陽明門の内側には東福門院(秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)のみで、それより12段下がった位置に譜代大名、さらに21段下がったところに外様大名が寄進した燈籠が安置されているそうです。その中でも伊達政宗が寄進した南蛮鉄燈籠はポルトガルからの輸入鉄で造られたものとして有名です。南蛮鉄燈籠は領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられています。
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こちらは陽明門の左側の灯篭です。奥の建物は鳴竜で有名な薬師堂です。鼓楼も趣がありました。
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鼓楼の前の「廻り燈篭」又は「回転燈籠」です。昔はこの近くに「釣燈籠」があったようですが、この時はありませんでした。
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鐘楼のそばに立つスタンド型の蓮燈籠です。回転燈籠、釣燈籠、蓮燈籠はオランダから贈られたのようです。
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手前が鼓楼で奥に見えるのが鐘楼です。
言葉の通り鐘楼は釣鐘を、鼓楼は太鼓を納める建物でする。陽明門の前に左右対称に配置されています。建物の規模や構造など基本的な形式は同じですが、細部の飾り付けは違います。たとえば彫刻の種類と数です。鐘楼には鶴・竜・飛竜・麒麟・波など合計78体に対し、鼓楼には亀・竜・雲など38体です。見た目も鐘楼のほうが豪華です。鐘楼の前にも鐘が吊り下げられた小さな建物(蓮燈籠)が見えます。
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クリックすると拡大陽明門の左側の廻廊です。左側の建物が鳴竜の薬師堂です。薬師堂の内部では撮影並びに録音は禁止されているので鳴竜の画像をネットから拝借いたしました。右の写真が薬師堂の天井に描かれている鳴竜です。
竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえることで有名です。もとの絵は狩野永真安信によるものですが、堂とともに焼失したため堅山南風により復元されました。
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左側の廻廊の透かし彫りも灯篭も趣がありました。
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御水舎も東照宮らしい色彩で豪華でした。御手洗・手水所といいます。
御水舎は参拝者が手と口を清める場所で、今ではどの神社にも水盤を置いた施設があります。しかし、かつては自然の川や湧き水の場がそれとされ、境内に独立した建物を構えたのは東照宮の御水舎が最初といわれています。
幅1.2m、長さ2.6m、高さ1mの花崗岩の水盤は、九州の鍋島藩主が元和4年(1618年)に奉納したものです。くり抜いた15cmの穴から、サイフォンの原理で水が噴き上がる仕組みになっているそうです。
屋根の下には、逆巻く波と飛竜の彫刻があります。飛竜は翼のある竜で、水をつかさどる霊獣とされています。西側の屋根の角が切り落とされているのは魔除け説のほか、杉の成長を邪魔しないためという説もあります。
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入場券売り場では「陽明門は工事中ですがよろしいでしょうか。」と聞かれますが、「それでは入るのをやめます。」というわけにいかないので拝観料1300円×2枚=2600円を払って入りました。
     大人    1300円
     小・中学生 450円
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posted by SORI at 18:23| Comment(18) | TrackBack(1) | 日光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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