2024年07月13日

六甲山の行者山

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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宝塚の実家近くの岩倉山反射板を紹介したので、少し古い写真ですが、近くにある行者山(ぎょうじゃやま)も紹介したいと思います。上の写真は、実家近くから撮った行者山です。写真の中央の高い山が行者山です。行者山は六甲山系の山の中の一つで東の端に位置します。行者山に登ったのは2015年12月28日でした。
写真の中央より少し右側のピークが行者山の山頂です。左側の山は行者山ハイキングコースより奥の山だと思われます。例えば樫ケ峰(457m)が候補です。

本写真は歩いたコースの最初の写真で白瀬橋( )から撮りました。コース順に写真を紹介していきます。クリックすると拡大実家から逆瀬川の支流となる写真の中の白瀬川の横を歩きました。今は大きな住宅地になっていますが、私の学生時代は山林で実家の犬(ジョン)と走り回っていた場所でした。今はありませんが、犬が泳いだ右の写真の池もありました。ジョンの記事はこちらです。→ポチッ
六甲山の湿地には今でも食中植物のクリックすると拡大イシモチソウモウセンゴケミミカキグサ類数種が生えています。今は見えなくなりましたが、この辺りには六甲山では珍しいコモウセンゴケ(右の写真)が生えている貴重な場所でもありました。六甲山の池の食虫植物としてはタヌキモ類2種を特定の池で見ることが出来ます。
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歩いた全コースをGoogleマップの航空写真で紹介します。ただし実家の正確な位置が特定されないように実家の近くだけルートを少しずらしております。航空写真の中の白瀬橋( )から右回りに順番に紹介していきます。白瀬橋( )は上の写真を撮った場所です。
ルートは━━ ━━ ━━ ━━━━ ━━です。
ちなみに六甲山最高峰は931.25mで、甲山は309.2mです。逆瀬川駅の標高は51mのため登リ口である西逆瀬台口までの標高差は約100mあります。
行者山の住所は 兵庫県宝塚市 小林西山 (34°47'49.1"N 135°19'21.0"E)になります。緯度と経度の情報はGoogle地図の等高線の頂点の位置から判断いたしました。北東方向には譲葉山(514m)と岩倉山(488.4m)もあります。
 ━━ 歩いたハイキングコース
 ━━ 住宅地内を歩いたコース
   124m 白瀬橋(本記事紹介の出発地点)
   160m 西逆瀬台口
   234m ゆずり葉ピーク
   383m 行者山東観峰  34.796308, 135.325828
   400m 行者山東展望台 34.796703, 135.323437
   415m 行者山     34.796964, 135.322511
   226m 光ガ丘口
   198m 青葉台口  ━━ 別ルートハイキングコース
   213m 北逆瀬川口 ━━ 別ルートハイキングコース


川沿いの太い道が途切れました。川の右側の黒い車の奥に道がありそうなのでそちらに進んでみることにいたしました。SV
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こちらが車の奥の部分を拡大した写真です。
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やはり細い道がありました。この辺りはワンコの散歩道になっているようでした。
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進んでいくとハイキングコースの大きな案内板がありました。実は、実家を出るときから行者山に登るつもりではなく、この案内板を見るまでは甲山の方に登り、仁川駅に出るつもりでした。この案内板を見て、とりあえずは行者山東観峰に登ってみることにいたしました。
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IMG_17545-475.jpg結果的には3秒間隔で点滅させている太い赤いラインを歩きました。親切なことに黒い丸の部分に、その場所の現在位置を書いた地図付きの案内板がありました。歩いたルートの地図付きの案内板の写真も順番に紹介したいと思います。地図内の現在地と書かれているところに、この案内板がありました。
右の地図をクリックすると拡大地図を別画面で表示するので、出てきた地図を見ながら記事を見ていただくとわかりやすいと思います。

最初は、ゆずり葉散策路と名付けられた道を歩きました。
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不思議なことに大きな南天の木が生えていました。南天の木は庭木だと思っていたので不思議に思ったわれです。考えてみるに人家が全くなかった学生時代にも、この辺りで南天の木を見た記憶がありました。元々は渡来した栽培種の実を鳥などが運んで野生化したものと考えられているようです。
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道を歩きやすいように、石が組まれているのに驚きました。きっとボランティアの人が整備してくれたと思うのですが大変な作業だったと思います。
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六甲山でよく見かけるシダが生えている小道になってきました。
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登りきったところに行先を示す標識がありました。東観峰・行者山と書かれた方向に進みました。


まさに雑木林の中を進む感じでした。ところどころにイノシシなのか掘り返した後もありました。
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このような大谷と書かれた石の標識が小道の真ん中に埋められていたので、後で調べるつもりで写真に納めました。ネットで調べてみると裏六甲にある蓬莱峡に抜ける道筋に大谷や大谷乗越があることから、その大谷の方向を示す道しるべのように感じました。


開けたところに出ると砂防ダムがありました。
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川を渡ると、階段のように整備された小道もありました。ここの左側には砂防ダムがありました。
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よく見ると、単なる板ではなく滑り止めが付けられた板が使われていました。ここにも整備に力が入っていることが伝わってきました。
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最初の現在地を示す地図付き案内板です。ここからは東観峰までは概ね山の尾根伝いに登っていきます。ここは 現在地 と書かれた場所で、ゆずり葉ピークの少し西側です。つまり上の階段のように整備されていたところの反対の東側をを登りきったところが、ゆずり葉ピークだったようで、知らずに通り過ぎていました。宝塚高校と宝塚西高校の間にあります。
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山の尾根なので道の両側が険しい崖のところもありました。
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危険な部分には虎テープが張られている上に、きつい登りの部分にはロープが設置されていました。道の右側のロープが判るでしょうか。このロープを使って登りました。
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雑木が多く枯葉で道が判りにくいところには標識も建てられていました。
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石が動かないように鉄杭も打ち込まれていました。これなら安心して石を使って踏ん張れます。
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急なところはロープだけではなく梯子も設置されていました。これには驚かされました。見た目よりは急阪で確かに梯子が無かったら大変だと思いました。
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少し見晴らしがいいところに出たので六甲山の山頂方向(西方向)の写真を撮りました。まだ東方向の眺望は見れませんでした。
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また梯子とロープが設置されていました。
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甲山が見える場所に出ました。左端の丸い山が甲山です。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩からなる六甲山とは違う形成過程であると考えられています。六甲山の大部分は約1億年前に地下深くに出来た花崗岩が六甲変動(約100万年前)と呼ばれる地殻変動によって隆起した大きな山ですが、そんな中で甲山は火山だそうです。甲山は1200万年前の火山活動期には大きく広がる山体を持っていましたが、約200万年間の活動が終息した後、侵食によりわずかに火口付近の火道周囲の溶岩のみが塊状に残り現在のドーム状になったそうです。山の形から長く昭和新山のような溶岩ドーム(旧分類:トロイデ式火山)の典型と思われていましたが、研究が進み上記の生成過程があきらかになりました。
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上の写真を撮った場所の写真付き案内板です。
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こんな感じで写真付き案内板が立てられていました。
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さらに尾根伝いに小道を進みます。
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開けた場所に出ました。甲山をバックに現在地を示す地図付き案内板が立てられています。
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こちらが案内板の地図です。今まで出てきた案内板は上が北でしたが、この地図は上が南です。つまり案内板の地図は立てられている方向や見る方向によって地図を変えているのです。心憎い配慮です。
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宝塚南口の高層マンション群です。
宝塚歌劇の大劇場も写真の中央から少し左下に写っています。
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宝塚歌劇の大劇場をズームアップいたしました。正式名「宝塚大劇場」は1992年完成で毎年100万人以上の観客を動員しているそうです。
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上の2枚の写真はズームしたもので、目で見た感じの写真を紹介します。この写真はクリックすると特別に大きく表示するように設定いたしました。
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少し東方向です。逆瀬川駅や実家があるあたりも写っています。
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行者山東観峰に着きました。
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ここには登頂記念箱が設置されていました。


このノートに記念の言葉を書くのです。


行者山東観峰に設置されていた現在地わ示す地図付き案内板です。
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行者山東観峰からの宝塚駅および宝塚南口方向の眺望です。
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大阪方向の眺望です。行者山は全国に沢山あるようです。少し調べただけでも兵庫県宝塚市以外に、京都府亀岡市大阪府豊能郡能勢町広島県大竹市鳥取健米子市徳島県那賀郡那賀町と高知県香美市の境界にありました。
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ここには基準点が設置されていました。
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2級基準点で西宮土木事務所が設置したようです。ネットで調べた標高は383mでした。361.18mmと書かれていサイトもありましたがGoogle地図の等高線から判断して383mの方が正しそうでした。


行者山東観峰からは一旦は西方向に下ってから行者山に登ります。
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目の前の小高い山が行者山(415m)です。
東観峰(383m)と行者山の標高差は32mとなります。
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東観峰から行者山に向かいました。
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行者山の少し手前にも地図付き案内板が設置されていました。名前は行者山東展望台(400m)です。
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これが地図です。現在地が判ってもらえると思います。
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行者山東展望台から見た甲山です。写真に写っている池は宝塚ゴルフ倶楽部(ゴルフ場)内にある深谷貯水池です。右の方には西宮カントリー倶楽部が広がっていて、リゾートホテルのような建物は、阪急逆瀬台マンション・アヴェルデの1番館~5番館だと思います。
この建物の中に、以前に紹介した出石そばのそば義があります。
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こちらにも基準点が設置されていました。


行者山東展望台から見た東観峰です。
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行者山東展望台と行者山を結ぶ道です。距離はわずかです。
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行者山に着きました。標高は415mです。このあたりの最高峰です。
 名前 行者山(ぎょうじゃやま)
 標高 415m(412m413mの記述もあり)
 住所 兵庫県宝塚市小林西山
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こちらが現在地の地図です。
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ただし周囲が木でおおわれているため景色が見えません。だから行者山東展望台があるのだと感じました。


場所を特定した等高線の入ったGoogle地図を紹介します。等高線は10mごとです。残念ながら2024年の時点では下のような細かい等高線は出なくなりました。クリックすると標高を書き込んだオリジナルのGoogle地図を表示します。
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行者山を離れました。
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下り始めました。
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下っていく途中に不思議な石の配置がありました。
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枯葉をどけてみると基準点でした。
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こちらの基準点は兵庫県の3級基準点でした。


六甲山から降りてくる道に出ました。分岐点に例の案内板が立っています。
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奥の方から降りてきました。
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現在地を示している地図です。こちらは上が南です。
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こちらが六甲山の方向です。
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こちらが光ガ丘の方向です。こちらの方向に降りていきました。ここが支多々川の源流です。道そのものが川なのです。ここからが、前記事岩倉山反射板で紹介した光ガ丘に出るまでと同じルートです。
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水は流れていませんが、湿っており苔などの胞子植物が沢山生えていました。
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シダ植物も多かったです。
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大雨の時は、ここを水が流れるのだと思います。
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ここで川と別れました。左に川が下っていき、道は右に進みます。
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道の部分です。
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東観峰からの道に合流いたしました。
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もうすぐ光ガ丘口です。
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尾根を進んだ後に、また支多々川に出てきました。見えているのは砂防ダムです。
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水が流れているのが判ると思います。
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流れているところが実感してもらえるように動画を掲載いたしました。


もうすぐ住宅地です。
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写した中の最後の案内板です。
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そして、これが案内板の地図です。
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道路が見えてきました。
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住宅地に見えてきました。川は支多々川です。実家の近くまで流れていきます。
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昔からの町並みを流れる支多々川です。
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この先は武庫川につながっています。
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実家の近くまで戻ってきました。正面が行者山で、その左が行者山東観峰です。
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あらためて広い範囲の航空写真で歩いた全コースを紹介します。岩倉山反射板との位置関係も分かると思います。
 ━━ 歩いたハイキングコース
 ━━ 住宅地内を歩いたコース
   124m 白瀬橋
   160m 西逆瀬台口
   234m ゆずり葉ピーク
   383m 行者山東観峰  34.796308, 135.325828
   400m 行者山東展望台 34.796703, 135.323437
   415m 行者山     34.796964, 135.322511
   471m 岩倉山反射板
   488m 岩倉山
   526m 譲葉山P1  514m 譲葉山P2
   457m 樫ケ峰
   226m 光ガ丘口
   198m 青葉台口  ━━ 別ルートハイキングコース
   213m 北逆瀬川口 ━━ 別ルートハイキングコース
posted by SORI at 06:03| Comment(34) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月06日

岩倉山反射板

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2024年7月04日再掲載 タイトル : 岩倉山反射板
1年前の本記事に宝塚の光ガ丘に住んでおられるみけねこさんからコメントをいただいたのを機会にブログのトップに再掲載いたしました。光ガ丘は岩倉山反射板から最短コースで下りて来た場所の住宅地です。記事の中で光が丘中学校の停留所が出てくるので分かると思います。
 2023年02月24日 掲載
 2024年07月04日 再掲載 閲覧数:1,295 nice!:102 CMT :34
 2024年07月05日     閲覧数:1,480 nice!:120 CMT :40
 2024年07月06日     閲覧数:1,570 nice!:127 CMT :46
 2024年07月08日     閲覧数:1,788 nice!:161 CMT :47
 2024年07月09日     閲覧数:1,823 nice!:164 CMT :48
 2024年07月10日     閲覧数:1,857 nice!:165 CMT :48

2023年2月24日掲載  タイトル : 岩倉山反射板
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兵庫県宝塚市の逆瀬川駅付近から西にある岩倉山の稜線に四角の物が昔から見えていて前々から気になっていました。上の写真の黄色の下向きの矢印のところです。写真をクリックすると拡大するのでわかっていただけると思います。上の写真の空き地は少し前までは古い建物が立っていましたが、解体されて今は山の稜線がよく見えます。もうすぐ8軒の家が建てられて売り出されるようなので、今だから見れる風景です。この写真を撮った位置から四角の物までの距離は1.99kmです。

上の写真では見えにくいのでズームした写真を紹介します。クリックして拡大写真を表示させると茶色の四角の物があることが判っていただけると思います。
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写真を撮ったカメラはコンデジなので解像度は良くありませんが四角の茶色が判ってもらえると思います。
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クリックすると拡大野上4丁目公園からも四角い板を見ることが出来ました。ここからの距離は2.02kmです。下の写真から反射板部分を切り取ったのが右の写真です。クリックするともう少し広い範囲を表示しますが解像度はもう一つです。
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以前に次の2つの記事で紹介したことがありました。その時に四角の板は阪急電車の岩倉山反射板と紹介させていただいていました。この写真は上の写真とは別の場所から撮ったものです。この写真を撮った場所から岩倉山反射板までの距離は2.11kmです。本写真をクリックして表示される拡大写真は2021年6月24日にYahoo知恵袋のベストアンサーに引用されています。
 2021年6月08日 宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院
 2021年6月24日 宝塚聖天からの塩尾寺への山越えの道
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その岩倉山反射板のところに行って写真を撮ることにいたしました。その写真を上の2つの記事で紹介したいと思ったからです。そしてすでに撮った写真を小さな写真ですが紹介いたしました。本来ならば黄色のラインが最短なのですが、地図もないし、いろんな道があり迷いやすいことを知っているので、遠回りになりますが以前に紹介した塩尾寺(えんぺいじ)まで行き六甲山縦走路を歩いて目的の岩倉山反射板( )に行くことにしました。目的の場所は比較的縦走路に近いところにあります。縦走路から目的の岩倉山反射板に行く分かれ道のところがです。出発地点Ⓐは実家の家が特定されないように野上4丁目の代表的な十字路にしています。行き(→反射板)の登りの標高図を右下に紹介します。クリックするとGoogleのオリジナルを表示します。水色ラインは阪急今津線の逆瀬川駅近くのコープの駐車場から見た方向です。距離は2.49kmです。岩倉山反射板がある住所は宝塚市小林西山になります。行きに関しては近道しようとして宝塚市宝松苑27辺りに入り込み道に迷って約1kmロスしました。は野上4丁目公園の近くでもあります。今はありませんが、有名な建築家の村野藤吾(1891~1984)が設計した東京銀行宝塚クラブハウス( )の近くも通りました。
クリックすると拡大から西方向(左方向)に伸びている白い道が六甲山縦走路です。


実家を出で最初は住宅地を歩きます。ここは桜並木で有名な 「寿楽荘の桜並木(桜とんねる)」です。昨年の春に紹介させていただきました。→ポチッ
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クリックすると拡大ここは宝塚市武庫山の住宅地です。この近くには建築家の村野藤吾が設計した東京銀行宝塚クラブハウス(上の地図の )が建っていました。右の小さな写真が東京銀行宝塚クラブハウスですが写っているのは私の両親と姉と私です。私は1月生まれなので6~7ケ月目ぐらいだと思います。郵便ポストのところを右に曲がってすぐに左の道に入って突き当りに宝塚クラブハウスが建っていましたが、今はありません。
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上の写真の右上の写真は小さくて見えにくいので一部分を拡大いたしました。クリックすると全体を表示するので、建築家の村野藤吾が設計した建物がもう少しわかると思います。写っているのは私の両親と姉と私です。私の小さいときの記事にも記載しています。この場所は長く探せなかったのですが、宝塚市の職員の方などの協力を得て探すことが出来ました。そんな経緯から母と姉とは別々ですが、この場所に行って記念写真を撮りました。この写真を撮って1~2年後に父の転勤で広島に移り、私が小学4年の時にやはり父の転勤で関西に戻ってきて、一旦神戸市東灘区の岡本駅近くの社宅に住むことになりました。
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急な上り坂になってきました。場所は宝塚市紅葉ガ丘3で、近くに甲子園大学がある場所です。すでに230m手前から宝塚駅からの六甲山縦走コースに合流しています。
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少し歩くと山道になってきました。ただし塩尾寺(えんぺいじ)までは車が登れる道です。
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山道の途中に広い広場がありました。広場の名前は塩尾寺休憩所で、白鳥大神が祀られていました。他にも祠がいくつかありました。急な上り坂になって塩尾寺までの中間地点でしょうか。ここから塩尾寺までは750mくらいです。
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塩尾寺休憩所から撮った写真です。右の道を登ってきて左の道を登りました。少し行ったところに塩尾寺まで700mと書かれた石柱が立てられています。
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塩尾寺までの間に展望台がありました。ここから先の岩倉山までは日が当たらない林の中を歩くことになります。今回は、それが少し問題でした。
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塩尾寺の入口に着きました。左の塩尾寺と書かれている前を左に上ると六甲山頂の方向ですが、境内に入って少し休憩いたしました。
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こちらが塩尾寺です。鐘楼の前の椅子に座って持ってきたお茶とチョコレートを食べました。
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六甲縦走路の登山道に入ります。塩尾寺のより先のこの細い道を歩くのは数十年ぶりです。走破距離56kmの六甲全山縦走大会に参加して以来のことなのです。塩屋を5時05分に出発して宝塚駅に14時15分に到着したので、56kmを9時間10分で歩いたことになります。ただし、年々競争がエスカレートして6時間で走る人が出てきたことから、予定より早く着く人にはチェックポイントの休憩が義務付けられていることから実質は8時間20分でした。
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上の写真の案内標識の部分を拡大しました。六甲山最高峰まで10.5kmと書かれています。
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上り坂は岩だらけの道や
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すり鉢のような道が続きました。この辺りから、ちょっと失敗したことに気が付きました。ダウンのチョッキにダウンのジャケットを着てきたのですが、ものすごく空気が冷たいのです。失敗は手袋を持ってこなかったことと、魔法瓶は持ってきたのですが、熱いお茶ではなく冷たいお茶を入れてきたことでした。仕方がないのでチョコレートを食べながら歩きました。
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塩尾寺を出発してから最初の目標値の砂山権現に着きました。鳥居と石の祠ずありましたが、境内がきれいに掃かれていたのに驚きました。これほどきれいと言うことは、ここまで歩いてきて頻繁に掃除に来られているのだと感じました。
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石の祠も少し変わった形の趣のある立派なものでした。ヘリコブターを使わないで、これを持ってくるのは、歩いて来るしかないので大変だったと思います。
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六甲山縦走路を進みました。道は平坦になってきたので岩倉山の山頂に近くなってきたことを感じました。
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ところが雪が残っているほどの寒さでした。
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標識は充実していました。
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さらに進むと「←この先展望良」と書かれた標識がありました。歩いた距離の感じでは目的地の岩倉山反射板があるところではないかと感じました。標識の下に手書きで「→岩倉山山頂」と書かれていたので、確信して左に曲がって進むことにしました。右に曲がって少し登ると岩倉山山頂のようです。いつもだったら岩倉山山頂に行ってから、岩倉山反射板の方に行くのですが、寒かったので岩倉山反射板に直行することにしました。標識の右側をまっすぐに伸びている道は六甲山縦走路です。
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標識の別の面を見ると「↑岩倉山反射板を経て猪谷、ゆずり・・」と書かれていました。石のために「ゆずり・・」の「・・」は確認できませんが近くの地名の「ゆずり葉台」と思われました。これで岩倉山反射板から下りれる道があることが判りました。標識の矢印(↑)方向の道を進みました。
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岩倉山反射板とは反対方向へは岩倉山山頂へ登る道がありました。写真の右上辺りが岩倉山山頂だと思います。
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これが岩倉山反射板に行く道です。
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反射板が見えてきました。四角の反射面は左奥方向に向いています。
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表側に回り込みました。
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確かに素晴らしい景色でした。こちら方向に通信用の電波を反射させているのだと実感しました。温かい太陽の日差しが当たっているので寒さの件も解決しました。暑いくらいでした。
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せっかく、この反射板の写真を撮りに来たのでいろんな角度からの写真を紹介したいと思います。ただし、周りには木が沢山生えているので、全体が写る角度は限られています。
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これが岩倉山反射板の全景です。全体にこげ茶色の錆止め塗装が塗られていました。岩倉山反射板は阪急電鉄が所有しているもので独自の通信網の中の無線通信の設備の1つだそうです。駅同士の連絡のように陸上の設備同士の場合は有線の設備で出来ますが、動いている電車との連絡は無線になります。地上からの電波をこの反射板で反射させて通信を行うことから反射板と名前がついているのだと思います。電波の発信設備と違い電源もメンテもほとんど不要なことから反射板が採用されているようです。
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上の写真では鉄塔の一部が木に隠れているので、すべてが見れる角度からの写真も紹介します。
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木が周囲に沢山あるので、離れて撮れないために全体がすべて見えている横長の写真は撮れませんでした。上の半分の横長写真です。
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反射板の部分だけの写真です。スマホのように公共の通信を活用する方法もあり得ることですが、スマホで頻繁に通信障害を起こしている現状や、災害時に予想される通信障害から、昔からの独自の通信網を維持しているようです。
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下から見上げた写真です。
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上野写真と似たアングルですが、反射板の真横から撮りました。
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少しで全体が入った横長の写真を撮ったつもりです。
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離れると木で隠れる部分が増えます。
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帰る方向の最後の写真です。つまり南側から登ってきた場合に見える最初の岩倉山反射板です。
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ここから帰る道を紹介していきたいと思います。
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雑木林の中を下りていきます。
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突然左右に同じ程度の道で分かれるところがありました。そこにテープ道しるべが書かれていたので、この行者山への矢印の方向の道を選びました。
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十字路になったところに下りてきました。まっすぐに進むと行者山で。右に登っていくと、ゆずり葉台か、上で分かれた道に戻るようです。左方向の道が、私が目指す光ガ丘です。
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行者山方向のところにハイキングコースの地図が立てられていました。私が目指す光ガ丘の方向も柱に書かれていました。
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ボールの先の地図を紹介します。行者山をハイキングする人達のために整備されているようです。
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私が下りてきた道は現在地から右下に伸びている破線だったのです。私は現在地から左に進んで光ガ丘に向かうので、正規の道よりもかなり短くなったようです。行者山には2015年に行ったことがあり正月の記事で報告させていただきました。その時も同じ十字路から光ガ丘に帰りました。
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2015年に逆瀬川の支流の白瀬川辺りから行者山に登って、今回のように光ガ丘に下りた時のルートを紹介します。上の案内板とは上下が反対の地図です。赤色で点滅しているところがその時に歩いたルートです。この地図の左上から光ガ丘口までのルートが今回と同じです。案内板の左上端の上方向(北方向)、正確には行者山の真北に岩倉山反射板があります。
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光ガ丘方向の道は谷を歩いて下りる感じでした。雨が沢山降ると水が流れるのだと思います。ネットでの記載の中で「②光が丘コース:光が丘住宅北西(行者山光が丘口標柱)→猪谷→行者山下→岩倉山西方の縦走路」と書かれていたことから、この谷が岩倉山の標識に書かれていた猪谷ではないかと想像しています。さらに「支多々川源流の猪谷」と書かれているサイトもあったので間違いなさそうです。
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しばらく行くと谷から離れます。
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両側が谷になった尾根を歩きました。
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大きな砂防ダムのところに出ました。下流側を鉄砲水から守る設備です。
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砂防ダムの名前は西山堰堤となっていました。兵庫県が木島組に施工させたようです。設備工事の種類は通常砂防工事と書かれていました。
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上の方の猪谷は水は全くありませんでしたが、住宅地に近くなったところでは水が染み出てきていました。
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住宅地の支多々川の最も上流になります。
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光ガ丘に出てきました。近くに光が丘中学校がありました。
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実家に帰る途中には宝塚聖天さんがあるので寄ってから帰りました。
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今回は一部だけですが懐かしい六甲山縦走路を歩いたので、参考に私が歩いた時の六甲全山縦走のコースを紹介します。岩倉山反射板はの間にあります。クリックすると拡大山の部分に深緑色のマーク( )をプロットいたしました。時々表示される深緑色マーク( )群の最も右側(宝塚寄り)が岩倉山です。マークの数は25個になりました。プロットしてみることで、沢山の山を登り下りしたことを実感いたしました。25個の内訳は16個が上で紹介の名前が分かっている山で、9個が等高線から山と判断していますが、名前が分からない山 1 ~ 山 9です。画面内のは私が歩いた時の市民大会の右の参加証のチェックポイントです。本画像は10枚のGoogle地図のハードコピーを3秒間隔で表示させています。このコースを8時間20分で歩いたわけです。私が六甲山縦走路を歩いた時代の出発地点は塩屋駅でコースは56kmの距離でしたが、現在は須磨浦公園駅が出発の44.9kmになりました。その44.9kmの場合の上りの累積高さは3165mになるそうです。クリックするとGoogle地図で表示します。
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上の六甲山縦走路(━━)の地図を拡大して今回の辺りを表示させました。岩倉山の下(南)すこし右(東)の空色の点が岩倉山反射板が建っている場所です。
ラベル:六甲山
posted by SORI at 07:27| Comment(48) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月17日

宝塚 第83回ハイク参加 花のみち ⇒ 文化芸術センター ⇒ 手塚治虫記念館

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、第84回ハイク(鶴見緑地)の記事を掲載いたしましたが、2023年5月16日に参加した第83回ハイク(宝塚 花のみち など)の記事はまだ書けないでいました。実家のすぐそばだったことから参加者の写真は沢山撮ったのですが、うかつにも景色はほとんど撮らなかったことから記事に出来ないでいました。そこで、今回実家の宝塚に来た機会に記事をクリックすると拡大書くために花のみちの写真を撮りに行きました。ただし集合場所の阪急電鉄宝塚駅の写真はハイク当日に撮ったものです。この広場は「宝塚ゆめ広場」で中央に宝塚歌劇100年を記念して歌劇のスターをモチーフにしたシンボルの銅像が建てられています。除幕式は2015年9月1日に行われたそうです。
私の実家の最寄駅は2つ手前の逆瀬川駅ですが、実家から徒歩で直線に近い最短コースを歩いて来るとここに出ます。つまり当日も歩いて宝塚駅に行きました。ハイクの案内の内容を紹介いたします。
 1.日にち:5月16日 (火)

 2.集合 :阪急電鉄 宝塚駅 改札出口 11:00(厳守)

 3.コース:花のみち→宝塚文化芸術センター(屋上庭園&メインガーデン

       散策)→芝生広場(昼食&歓談)→自由解散

 4.持参品:おにぎり等及び飲み物(食後のコーヒーは火気厳禁故無し)

       芝生でのシート

 5.その他:オプションとしては「手塚治虫記念館」


私は昼食用の弁当を阪急宝塚(デパート)で買って待っているとハイクをメンバーが集まってきました。最後のメンバーを待っているところです。この時10時53分でした。
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11時には全員が集まったので出発しました。
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エスカレーターで改札の階から冒頭の写真の地上に下ります。
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エスカレーターの下の階が宝塚ゆめ広場と同じフロアーです。
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冒頭の写真では宝塚歌劇シンボル像は背中側なので正面からの写真を紹介します。この後、左のアーケードに入って、花のみちを目指しました。
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シンボルの銅像部分を拡大いたしました。記念写真を撮られていた横に立っている方にはぼかしを入れさせていただいています。
台座にはTAKARAZUKA REVUE(宝塚歌劇団)と書かれています。クリックすると上下の広い範囲で拡大いたします。
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これが進んで行くアーケードSORIO1です。床に大きな矢印が書かれています。
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矢印の方向に宝塚大劇場や手塚治虫記念館や宝塚ホテルがあることを示していたのです。こちらの写真は実際に、この角度で撮ったのではなく上の写真の左右方向のみを圧縮したものです。
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さらに1階分下ります。下りる前も地面でしたが、下りても地面なのです。このあたりは地面の起伏の大きいところなのです。ここの階段の途中にピアノが置かれていて珍しく弾いている方がおられました。
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これが置かれているピアノです。「たからものピアノ」と書かれていました。
調べてみると、子どもの成長で弾かなくなったピアノが市に寄贈されたことで実現し、2021年4月23 日から始まったようです。
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宝塚市文化財団のHPに掲載されていた「たからものピアノ」の動画を紹介します。演奏しているのは佐々木英里奈さんです。


SORIO1の花のみち側の出口です。遠くに見える緑が花のみちの出発地点です。
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我々は宝塚饅頭と呼んでいるやきもちの創業1934年のお店です。クリックすると拡大昔は、やきもちなどの和菓子などを主に売っているお店でしたが、今はパンを焼いて売るパン工房が主体で、やきもち(宝塚饅頭)も販売している形式のお店に変わりました。お店の名前は「ふぇるへん」ですが、河本本舗の名前も残されています。軒下の看板の店名「ふぇるへん」の上に小さく「やきもち・パン」と書かれています。
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道路を渡ったところから'花のみち'です。
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航空写真で花のみちのルートを紹介します。
クリックすると拡大紫色ライン(━━)が花のみちです。右の写真はWikipediaに掲載されていた蔵の花の季節の花のみちです。
 阪急 宝塚駅
 文化芸術センター
 手塚治虫記念館
 宝塚音楽学校旧校舎
  花のみち


花のみちに入りました。阪急宝塚駅から宝塚大劇場を結ぶ段葛型道路で、1924年の宝塚大劇場開場により造成されたそうです。宝塚歌劇へ続く花道の意味があるようです。
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花のみちは桜が有名ですが、沢山の松の大木が印象的でした。
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見上げてみると松の木の大きさが判ります。
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左右に渡る陸橋がありました。宝塚ホテルの少し手前です。
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宝塚南口駅前からこちらに2020年6月21日移転した宝塚ホテルです。移転前の旧館は創業1926年当時の建物(古塚正治設計)だそうです。その旧館の三角形の屋根を新館でも採用したそうです。
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花のみちの左右には車道がありますが、左側(北側)は10時から18時は車両は入れなくて歩行者専用道路になっていました。
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宝塚ホテルの辺りは2階のフロアが作られていました。花のみちの両側に車道があることがよくわかる写真です。
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振り返った宝塚ホテル方向を撮った写真です。
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宝塚歌劇の建物が見えてきました。
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宝塚歌劇の関連施設の建物が並んでいました。
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手前が宝塚歌劇の宝塚バウホールで奥が宝塚大劇場だと思われます。
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昔、この辺りに宝塚ファミリーランドの入口があったと思います。子供を連れて実家に来た時はよく行きました。
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1985年の航空写真に紫色ラインで'花のみち'を書き込んでみました。クリックして拡大すると宝塚ファミリーランドも確認できると思います。
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阪急電鉄の創業者の小林一三(1873年1月3日~1957年1月25日)の像が立てられていました。阪急電鉄の創業者と言うことは宝塚歌劇の創業者でもあるのです。小林一三(こばやし いちぞう)は鉄道を中心に都市開発・流通事業・観光事業などを一体的に進めて相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を作った人でもあるそうです。
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少し進んで振り返って撮ると右端に宝塚ホテルが写っていました。
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この辺りは桜の木が多いです。花のみちは両側の車道より高くなっているのが判っていただけると思います。
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少し進んだ景色です。
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この辺りに松の大木が植わっていました。
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松の木の世代交代を考えて植樹されているようです。やはり松の木にはこだわっているようでした。
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姉妹都市の植樹の木にも桜ではなく松が植えられていました。
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宝塚らしい像が立てられていました。
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正面から撮りました。
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ジグザクになっているところもありました。
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ベルサイユのバラが植えられている中にベルサイユのバラにちなんだ像が立てられていました。
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高く作られた部分が花のみちにアクセントをつけてくれていました。
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また松の大木が沢山植わっている部分になりました。
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花のみちの標識です。
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一休みできる部分も作られていました。
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みんなで歩いている写真を紹介します。




立派な花のみちの標識が立てられていましたが、'花のみち'ではなく'花の道'になっていました。


正面から撮った標識です。
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花のみちの一番東の端に来ました。
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少し進むと文化芸術センターや手塚治虫記念館が見える交差点に出ました。
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交差点の名前は手塚治虫記念館前です。
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ニトリの看板方向が文化芸術センターへの屋上庭園への道と建物に入るための道があります。今までのイベントを紹介します。
    2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 冬の忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
:参加  :新型コロナを配慮して場所を選択  :予定
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宝塚市立文化芸術センター
上の写真から文化芸術センターへの入口部分を切り取りました。
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文化芸術センターの全景は以前に撮った写真で紹介します。我々が歩いてきたところより1階低いところから撮った写真です。
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交差点の信号でばらけたので、後続組みを手塚治虫記念館の前で待っているところです。
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こちらが文化芸術センターへの入口への道です。左が屋上庭園に登る階段です。右が文化芸術センター2階入口への道です。先ずは計画通りに左の屋上庭園への階段を上りました。
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上からみんなが上ってくるところを撮った写真です。
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屋上に上がってみると屋上庭園は貸切られていました。ここで昼食を食べるつもりでしたが地上にあるメインガーデンに移動して食べることにいたしました。参考に利用料金表を紹介します。一日貸切ると5700円で2時間だと1900円でした。この時、利用されている人たちは瞑想しているように感じました。
 利用料金表
  施設名      利用時間  面積    利用料金
  おおやね広場   16時-18時 226.96㎡   900円
  屋上庭園芝生部分 10時-18時 476.82㎡ 5,700円
  屋上庭園芝生部分 10時-12時 476.82㎡ 1,900円
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以前に撮った写真で宝塚市立文化芸術センターの屋上庭園を紹介したいと思います。階段を登り切ったところの景色です。
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西方向からの屋上庭園の全景です。
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東方向からの全景です。広い芝生の広場でした。
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東野エリアには原っぱの丘イメージして植物が植えられたエリアがありました。
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原っぱの丘に植えられている植物の説明板です。植えられていたのは、メアザミ、オトコエシ、カワラナデシコ、ワレモコウ、オミナエシ、フジバカマ、オニユリ、カントウヨメナ、キンキズヒキ、ミソハギ、ホタルブクロ、ウツボグサ、ハマナデシコ、キキョウです。
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屋上庭園から見たメインガーデンです。こちらで昼食をとることにいたしました。
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メインガーデンに入るとすぐに昼食を食べる場所が見つかりました。ガーデンハウスに付属した小さな広場にはテーブルと椅子が置かれていて静かにくつろげそうでした。ここが第83回ハイクの昼食を食べた場所です。今回は冒頭でも説明したように、ほとんどが人しか撮っていないので、以前に来た時に撮った写真を掲載させていただきました。新型コロナに関する注意事項が書かれた張り紙がテーブルに貼られているのが判ると思います。
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朝食を食べながら会話している風景です。
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久しぶりに会って話が盛り上がったことを紹介したくて9枚の写真を掲載しました。




みんなで記念写真を撮りました。私は右から2人目です。
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メインガーデンで食事はしましたが、話が盛り上がったので散策しなかったので以前の記事の写真でメインガーデンを紹介します。見覚えがある方もおられると思います。
クリックすると拡大本衛星写真は建物の屋上に庭園がないことから建設途中の写真と思われます。黄色の枠で囲った部分がメインガーデンで緑色ラインが散策ルートです。入口は左側(西側)と右上側(北側)にあり、今回は西側(左側)から入りました。左の建物が手塚治虫記念館です。


メインガーテーンに入っていった手塚治虫記念館の方向から紹介したいと思います。右側の建物が手塚治虫記念館です。
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道を進むと庭園らしい景観になってきました。今回の中で人が写った唯一の写真です。
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上の写真から人の写っている部分を切り取って追加掲載させていただきました。マスクをされているので「ぼかし」なしで掲載させていただきました。このように小さなお子様を連れた方を数組見かけました。
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左側に振り向くと宝塚市立文化芸術センターの建物が見えます。建物の屋上が緑に覆われているのはいいですね。
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クリックすると拡大メインガーデンへの入口の写真を撮り忘れたので以前に撮った写真を紹介します。この時は閉園していたので扉は閉まっていました。今回の写真の中から入口の門が小さく写った写真写真を見つけたので切り取って右に追加掲載いたしました。2枚上の写真と同じものです。
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庭園内には小さな池と水が流れている小川があります。飛び石が見えます。
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散策路の右側にカンゾウ(萱草)に似た花が咲いていました。ヨーロッパで日本や中国の野生のカンゾウを改良を作られたヘメロカリスという名の花であることが、後で分かりました。
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そのヘメロカリスの花を拡大いたしました。
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棚につる性の植物が巻きついていて白い花を付けていました。
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つる性の植物はタイワンソケイ(台湾素馨)でした。
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シダも植えられていました。洋風の庭園でシダが使われているのは珍しく感じました。
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花が沢山咲いているエリアにあです。
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今咲いている主な花の説明板がありました。これでカンゾウ(萱草)に似た花がヘメロカリスであることが判ったわけです。
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メインガーデン全体はイングリッシュガーデンのような雰囲気ですが、花が沢山植えられている辺りは幾何学的なデザインになっていました。
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円形の中心部分です。
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円形部分の最も外周です。
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鮮やかなオレンジ色の花がありました。説明板にはなかったので名前が分かりませんでしたが、 sanaさんにコメント欄でアルストロメリアであることを教えていただきました。
 界 植物界       Plantae
   被子植物      Angiosperm
   単子葉類      Monocots
 目 ユリ目       Liliales
 科 ユリズイセン科   Alstroemeriaceae
 属 アルストロメリア属 Alstroemeria
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こちらは説明板のハドベキア・プレーソーサンのようです。
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ユリも咲いていました。
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円形の部分の中心です。
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円形の庭園の部分を離れて自然な雰囲気の部分に入りました。
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上の方で紹介した飛び石のところも歩きました。
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小川のある景色です。紫色の花が咲いていました。
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見慣れない大きな植物がありました。大きな植物で背丈より大きくなっているのもありました。
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その花を紹介します。
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散策路は木々に覆われている部分が多かったです。
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小川の流れる景色を別の角度から紹介します。
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メインガーデン(庭園)内にある建物の名前はガーデンハウスです。
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庭園から見た宝塚市立文化芸術センターの建物です。
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手塚治虫記念館
まだ時間がたっぷりあったので元々の計画ではオプションだった手塚治虫記念館に入って見ることにしました。
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中から入ってくる入口を撮った写真です。この写真は今回ではなく以前に来た時の写真を使わさせてもらいました。
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受付をしているところです。うれしいことに団体割引になりました。
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館内の説明図です。以前に貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
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G階の奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
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子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
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ハイクの日は2階でリボンの騎士の特別展示が行われていまし。
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こちらも特別展示の部屋の1つです。
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画像は良くありませんが、上の写真から一部を切り取り拡大表示しました。漫画の色ももう少しはっきりさせるために色調整もしました。
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見終わって帰るところです。手塚治虫記念館を出たところで、皆さんとは別れて実家に帰りました。皆さんは宝塚駅に向かったそうです。
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手塚治虫記念館からは東方向に'花のみち'に似た雰囲気の道が続いていました。この写真はハイクの時でなく、本記事を掲載するために写真に撮りに来た時に撮ったものです。
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おそらくファミリーランドがあったころの名残ではないかと想像してしまいました。
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'花のみち'に似た雰囲気の道を左に曲がった景色です。ツタが絡んだ建物があります。
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これがその建物です。
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こちらが入口の門です。
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門には宝塚音楽学校旧校舎と書かれていました。1937年から宝塚音楽学校本校舎として使用され、戦前戦後を除き、1998年までの約45年間にわたって、多くの卒業生を送り出してきた施設でした。
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正面玄関側から見た建物です。
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玄関にも宝塚音楽学校旧校舎と書かれていました。
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館内の案内図があったので撮りました。部屋の用途は当時とは違うと思いますが、配置は当時のままのように感じました。
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階段が昔の音楽学校を感じさせてくれているように感じました。この次は上の階に上がってみたいと思います。
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使用麺玄関とは反対側です。
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posted by SORI at 06:26| Comment(44) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月20日

手塚治虫記念館に行ってきました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2023年5月17日掲載 タイトル:手塚治虫記念館に行ってきました。
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以前に紹介したことがあるように私が入社して神戸の事業所に配属になった課の先輩の方などがクリックすると拡大神戸周辺で軽いハイキングを企画されていてタイミングが合えば参加させていただいておりました。新型コロナ渦のために計画が控えられていましたが、久しぶりに企画されたので、その第83回ハイク(宝塚花の道~文化芸術芸術センターなど散策)に2023年5月16日に参加させていただきました。右の上段の写真が宝塚花の道です。
手塚治虫記念館にも行ったのを機会に本記事を再掲載させていただきました。第83回ハイクに関して別途紹介したいと思っています。右の手塚治虫記念館の館内の写真で階段を下りているのも円筒のエレベーターで下りているのも我々のメンバーです。

最近、リニューアルされたと聞きました。リボンの騎士サファイア姫に広いクリックすると拡大スペースが割かれていました。そのコーナーは初めて見ました。リボンの騎士は少女向けストーリーアニメの先駆け的な存在と言えると思います。リボンの騎士は2023年3月4日~6月25日の第88回企画展でした。上と下の両写真共にクリックすると面積で16倍に拡大いたします。
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クリックすると拡大こちらが記念写真です。私は右から2人目です。☆マークが今までに参加したハイクです。記念写真を撮った場所は宝塚市立文化芸術センターメインガーデンです。昼食もメインガーデンで食べました。右の写真が食事風景です。
    2018年12月26日(水) 忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花の道~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN)
:参加  :新型コロナを配慮して場所を選択  :予定
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2023年05月17日 閲覧数:20,246 nice!:108 CMT : 87
2023年05月19日 閲覧数:20,571 nice!:149 CMT:101

2014年8月20日掲載 タイトル:手塚治虫記念館に行ってきました。
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鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
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 本名 手塚 治 (てづか おさむ)
 生誕 1928年11月03日 豊中市
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 学歴 医学博士
手塚治虫は生涯に漫画を604作ほど作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
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建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
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モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
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火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
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建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
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建物に入りました。
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最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
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貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
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1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
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G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
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この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
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アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
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昔の漫画の単行本の展示棚です。
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単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
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懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
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図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
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並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
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2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
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ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
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記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
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手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
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これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
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7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
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こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
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こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
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こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
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こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
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こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
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こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
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年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
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鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。鉄腕アトムの実写版の記事はこちらです。→ポチッ
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送

 鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日

 鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

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こちらは後半の年表です。
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1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
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Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   430m 宝塚南口駅→記念館
   730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団

空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム

耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム

町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ

僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

kojiroさんに調べていただいた結果、歌手は第一部・ZZZ団の巻(中島そのみ)→第二部・メキシコ(岡村喬生 上高田合唱団)→第三部・フランケンとアトムの巻(岡村喬生)→第四部・アトム火星に飛ぶの巻(岡村喬生)→第五部・気体人間の巻(上高田合唱団 中島そのみ)とかわりました。
中島そのみの歌はこちら →http://youtu.be/8yxAcnFv00g
岡村喬生の歌はこちら  →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
            →http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場   →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。

しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。

途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。

その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。

さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。

 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻

 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻

 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻

 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻

 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻

      初期         中期          後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
クリックするとオリジナルを表示

クリックするとオリジナルを表示火星探検の巻の実写版とTVアニメのアトムの軍服姿を紹介したので漫画の軍服姿を紹介します。光文社のカッパコミックス鉄腕アトムの1964年2月号です。右がカッパコミックスの表紙です。この本の表紙の軍服姿のアトムは原作の姿と違いTVアニメとそっくりです。そんなことからも、表紙の絵はカッパコミックスのために書かれたものと思われるそうです。中の漫画は原作と同じだそうです。漫画、アニメともに、軍帽を被っていますが、実写では、被っていません。ヘルメットの上には被れなかったようです。

左が火星探検隊長に任命されたところです。マンモス博士の持っている鞄の中に、軍服が入っています。このマンモス博士を訪問した時の服装が、半ズボンを脱げば実写のアトム少佐に近いかもしれないそうです。
右がキャーペットをロケットから降ろそうとするアトムですが、この軍服が原作の軍服で、学生服のようです。ズボンも履き、ブーツインではありません。隊員と同じごく普通の軍服です。肩のエポレットのところに、フリンジがついていたような気がしていましたが、ついていませんでした。


キャーペットにレンコーン大尉に会わせられないと言っています。普通の結び方でネクタイをしています。実写では、アスコットタイのように結んでいます。漫画の原作では、これが一番アトム少佐の全身を示しているようです。

漫画の原作の宇宙人と戦った後のアトム少佐の敬礼姿です。詰襟ではありませんが、学生服風です。実写のアトム少佐の方は、飾諸がかっこいい短いダブルのジャケットでマフラーをアスコットタイ風に結んでいます。

記事のタイトルにふさわしい幻の写真をkojiroさんから送っていただきました。アニメ雑誌「少年」(光文社)の1960年正月号に掲載された手塚治虫先生と、実写版鉄腕アトムと、漫画のアトムのスリーショットの写真です。正月らしい「初ゆめ」の言葉が印象的です。実写版の鉄腕アトムがテレビで人気だったことが写真からも伝わってきます。1960年正月号が出版された1959年12月は丁度、フランケンの巻が終わり、火星探検が始まる直前であり、ロシアの人工衛星で、月の裏側の写真が撮られた頃です。
その時代を反映して、手塚先生が、「月の裏側が見える」と言っているように書き込まれているそうです。次の号は、火星探検隊長のアトム少佐の写真だったそうです。スリーショットは貴重で、テレビ 漫画史上に残る貴重な写真と思います。この時代にどのようにして才能のある子役を探したのか不思議でしたが、瀬川少年は劇団・コジカ座に所属していたことから鉄腕アトム役として抜擢されたそうです。


こちらは1960年4月頃、雑誌「コウロン」に掲載された手塚先生を紹介した記事です。記事のタイトルは「日本のディズニーをめざす男」です。
手塚先生を応援するために、1960年4月29日に向ヶ丘遊園で、鉄腕アトム大会が開かれ、数千人の子供があつまったと、本雑誌の記事に書かれていたそうです。ステージ上には瀬川少年演じるアトムが実写版の鉄人28号らしきロボットと対峙していて、ステージの周りには沢山の子供達が集まってい光景が写っています。この子供達がぎっしり集まっている事からも、実写のアトムの人気ぶりが判ると思います。記事の中には漫画のアトムも書かれています。
鉄人28号の実写版も同じプロダクションだったそうです。アトムの向こうに見えるのは、テレビ番組の監督かもしれないそうです。本写真および説明はkojiroさんから送っていただきました。
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kojiroさんに送っていただいたアトム友の会の募集記事です。募集記事は11月号か12月号で、写真は、フランケンの巻で、隼探偵を救うための血清を取り返そうとしていた時に、燃料が切れた時の写真と思われるそうです。テレビのカットではなく、雑誌「少年」用に撮影した写真と推測されておられました。マフラーと脚の長さを強調するように撮ったものと思割れるそうです。記事の記載内容を枠内に転記いたしました。
テレビの「鉄腕アトム」・瀬川雅人くんの後援会(アトム友の会)の会則が出来ました。「少年」とテレビの「鉄腕アトム」のファンなら、だれでも入会できます。会費は一カ月 三十円です。会員には、すてきな会員バッチをおおくりするほか、瀬川くんをかこむ会を三カ月に一回ひらいたり、撮影所を見学するなど、いろいろの行事をおこないます。入会したい人は会費をそえて、東京都中央区銀座西七ノ五・弥生ビル内 松崎プロ「アトム友の会」まで。
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鉄腕アトムの実写版の記事を掲載にあたり、kojiroさんから、お宝写真やお宝資料を5つ送ってもらえたたので紹介します。
これは雑誌「少年」に載ったアトム友の会の募集の最後の案内です。1960年の4月号であろうとのことです。記事のなかの写真は第三部のフランケンの巻のようなので、1959年の写真と思われるそうです。これは、テレビフィルムから撮ったものだそうです。アトム大会が、4月24日に豊島園で行われると書かれていますが、実際には、コウロンにあるように、4月29日に向ヶ丘遊園と変更になったそうです。変更になったのは応募者が多かったのが理由ではないかと推測されていました。


これは雑誌「少年」に載った最後の実写版の鉄腕アトムの写真であろうとのことです。1960年の5月号前後であろうとのことでした。


宇宙船という雑誌の1981年夏号に載っていたアトムの写真です。左が、気体人間の巻で、田崎潤が天満博士でてでています。この時のフィルムは喪失しているそうです。第五部の気体人間の巻のネットで書かれている物語のあらすじを枠内に記載いたします。
アトムの両親が登場。アトムが宿題を忘れて居残りをさせられたりと日常風景も描いている。アトムがギャングに潜入した際にサングラスをかける場面がある。ヘルメット衣装を着けているため、耳たぶをかなり変形させてサングラスをかけていた。アトムに気体人間が乗り移り、悪人になったふりをする巻である。いまは無い「渋谷文化会館」のプラネタリウムや、渋谷駅前で撮影が行われている。
右は、最初のZZZ総統の時のプロテクターを装着したアトムがヘルメットを取った有名な写真です。


上と同じ宇宙船という雑誌の1981年夏号に載った写真で、火星探検の巻で、アトムを修理すべく、胸をあけているという珍しい写真が左下に載っています。


右の写真は雑誌「宇宙船」の1984年の8月号に載った火星探検のアトム少佐です。上半身しか映っていませんが、アトム少佐の雰囲気が感じられます。これは、レンコーンのロボットを呼ぼうとして、機械と接続したアトムが、ケチャップ大尉の操作で壊れてしまった後に、苦しみながら、ロケットから外に出ようとしているところだそうです。雑誌「宇宙船」の写真は、すべてフィルムから撮ったものだそうです。

右の写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、載った天満博士、お茶の水博士、アトムのスリーショットです。下の写真の左側も同じ雑誌に載った天満博士とアトムの写真です。
下の右側は1995年のリクルートの「ぼくらのヒットパレード1958-59 vol.1」に載ったアトムの写真で、確認できていないそうですが、ヘリコプターらしき乗物を操縦している写真です。アトムは自動車を運転していたのは有名ですが、ヘリコプターも運転したかもしれないそうです。有名なタイツのしわが見えます。ヘリコプタらしき乗物を操縦している写真以外は「気体人間の巻」の写真だそうです。乗物を操縦している写真は確定ではないそうですが、頭の形や服装からやはり「気体人間の巻」の可能性が高いそうです。
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1978年に発行された「朝日ソノラマ:テレビ版 宇宙をかけるSFヒーローたち」に載っていた実写版鉄腕アトムの気体人間の巻の写真です。
左は瀬川少年のアトムが腕を伸ばして空を飛ぶ時の上半身を前から撮ったものです。気体人間の巻だけ人形ではなく本人で撮ったそうです。伸縮性のないレオタード風つなぎだったため、袖の先から腕の素肌が出ています。もっと長い手袋で、素肌が出ないようにすれば良いのにと思ったそうです。つなぎの下は、メカが見えず、メカの上に人工皮膚をつけて、その上に服を着ているという設定の面白い写真です。
右は気体人間に操らるフリをしたので、悪党の一味に加わり、貯水池の管理人親子を、襲うシーンだそうです。アトムがサングラスをかけています。ヘルメットがサングラスの柄と干渉するのでサングラスの柄がまっすぐでなく曲げられていたそうです。結構 サングラスが似合っていると思います。


実写版の鉄腕アトムをペン画で描いた画像を送っていただいたので紹介します。クリックすると少し拡大します。かぶっているヘルメットを取られることは実際にはあり得ませんが、実写版らしいイメージをとらえた一枚です。アニメとは違うことがわかります。
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知らなかったのですが実写版用の女の子の鉄腕アトムの写真が残されていました。
クリックすると拡大鉄腕アトムは1972年の最終回で異常発熱をする太陽にロケットとともに突入して鉄腕アトムの連載は終わりました。宇宙船から発射されたロケットが、隕石に当たって止まった為に鉄腕アトムは自らを犠牲にして地球を救ったのでした。太陽熱で溶けけ宇宙空間に漂っている鉄腕アトムは、宇宙人に救われて、右のアニメにあるように修理・改造されて鉄腕アトムとしての物語が1972年~1973年に続いたそうです。このときにコスチュームが変わっていたのですが、その理由は明かされていませんでした。
それはタイミングを見て、アトムが女の子だったことにする秘かな計画が手塚先生の頭の中にあったようです。
クリックすると拡大クリックすると拡大このときに実写版の女の子のアトムが計画されて右の3枚の写真が残っているのです。
真中と右は同じポーズですがコスチュームは違います。真中が最初のバージョンだと思われるそうです。皮膚をサーモンピンクにしていたのですが、肉欲的な感じがしたのか、ベージュに変えたようです。胸のプロテクターのボッチの数や、ヘルメットというか被り物の形も違っています。これらのコスチュームは手塚先生自身が極秘裏に製作を依頼したそうです。ただし実写版そのものの実現はなかったようです。頭の星型の部分に触るとタイムトラベルも出来たそうです。これらの写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、手塚先生が女の子のアトムを構想したことを紹介する形で載りました。
もともとの鉄腕アトム(左)も、そのモデルとなった天馬飛雄(中と右)も女の子のような感じでもありました。先入観なしで鉄腕アトムの知識もなく、アニメの子が女の子だと言われれば、信じてしまい天馬博士は女の子に飛雄という名前を付けた気になってしまいます。
 1980年 鉄腕アトム    1963年 天馬飛雄    1980年 天馬飛雄  
posted by SORI at 15:32| Comment(117) | TrackBack(3) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月17日

文化芸術センターのメインガーデン(庭園)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の建物が前記事で紹介した大久保英治展が行われていた宝塚市立文化芸術センターの建物です。本記事では宝塚市立文化芸術センターの敷地内にあるメインガーデン(庭園)を紹介したいと思います。建物の前に広がっているエリアは「みんなの広場」でメインガーデンは写真から右方向に進んだところにあります。
ホームページの沿革によれば宝塚市立文化芸術センターの敷地は古くは1911年 5月に開業した宝塚新温泉の一部であり、1960年 3月に宝塚新温泉から名前を改称した宝塚ファミリーランドの敷地の一部でもありました。さらに2003年 4月に宝塚ファミリーランドが閉園後、宝塚ガーデンフィールズが開園した場所でもあります。宝塚市立文化芸術センターの建設工事が2018年 3月から始まり、今回紹介するメインガーデンも2019年 3月に着工したそうです。メインガーデンは2020年 3月に竣工しましたが、宝塚市立文化芸術センターのグランドオープンは新型コロナの影響で2020年8月まで遅れたそうです。ちなみに宝塚ファミリーランドは子供を連れて実家に行った時にはよく行ったところです。

前記事で紹介した宝塚市立文化芸術センターや以前に紹介した手塚治虫記念館(宝塚市立)やメインガーデンの場所をGoogleマップの航空写真に書き込みました。クリックすると拡大本衛星写真は建物の屋上に庭園がないことから建設途中の写真と思われます。黄色の枠で囲った部分がメインガーデンで緑色ラインが散策ルートです。入口は左側(西側)と右上側(北側)にあり、今回は西側(左側)から入りました。左の建物が手塚治虫記念館です。


メインガーテーンに入っていった手塚治虫記念館の方向から紹介したいと思います。右側の建物が手塚治虫記念館です。
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道を進むと庭園らしい景観になってきました。今回の中で人が写った唯一の写真です。
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上の写真から人の写っている部分を切り取って追加掲載させていただきました。マスクをされているので「ぼかし」なしで掲載させていただきました。このように小さなお子様を連れた方を数組見かけました。
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左側に振り向くと宝塚市立文化芸術センターの建物が見えます。建物の屋上が緑に覆われているのはいいですね。
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クリックすると拡大メインガーデンへの入口の写真を撮り忘れたので以前に撮った写真を紹介します。この時は閉園していたので扉は閉まっていました。今回の写真の中から入口の門が小さく写った写真写真を見つけたので切り取って右に追加掲載いたしました。2枚上の写真と同じものです。
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庭園内には小さな池と水が流れている小川があります。飛び石が見えます。
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散策路の右側にカンゾウ(萱草)に似た花が咲いていました。ヨーロッパで日本や中国の野生のカンゾウを改良を作られたヘメロカリスという名の花であることが、後で分かりました。
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そのヘメロカリスの花を拡大いたしました。
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棚につる性の植物が巻きついていて白い花を付けていました。
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つる性の植物はタイワンソケイ(台湾素馨)でした。
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シダも植えられていました。洋風の庭園でシダが使われているのは珍しく感じました。
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花が沢山咲いているエリアにあです。
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今咲いている主な花の説明板がありました。これでカンゾウ(萱草)に似た花がヘメロカリスであることが判ったわけです。
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メインガーデン全体はイングリッシュガーデンのような雰囲気ですが、花が沢山植えられている辺りは幾何学的なデザインになっていました。
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円形の中心部分です。
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円形部分の最も外周です。
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鮮やかなオレンジ色の花がありました。説明板にはなかったので名前が分かりませんでしたが、 sanaさんにコメント欄でアルストロメリアであることを教えていただきました。
 界 植物界       Plantae
   被子植物      Angiosperm
   単子葉類      Monocots
 目 ユリ目       Liliales
 科 ユリズイセン科   Alstroemeriaceae
 属 アルストロメリア属 Alstroemeria
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こちらは説明板のハドベキア・プレーソーサンのようです。
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ユリも咲いていました。
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円形の部分の中心です。
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円形の庭園の部分を離れて自然な雰囲気の部分に入りました。
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上の方で紹介した飛び石のところも歩きました。
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小川のある景色です。紫色の花が咲いていました。
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見慣れない大きな植物がありました。大きな植物で背丈より大きくなっているのもありました。
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その花を紹介します。
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散策路は木々に覆われている部分が多かったです。
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小川の流れる景色を別の角度から紹介します。
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メインガーデン(庭園)内にある建物の名前はガーデンハウスです。
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クリックすると拡大ガーデンハウスに付属した小さな広場にはテーブルと椅子が置かれていて静かにくつろげそうでした。テーブルの上に貼っている紙には右の写真のように「距離をとろうね。KEEP DISTANCE」と書かれていました。テーブルの数も減らしてあるのだと感じました。
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庭園から見た宝塚市立文化芸術センターの建物です。
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ホームページのマップを紹介します。
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メインガーデン(庭園)内では手塚キャラが探せます。
手塚治虫のアニメのキャラクターの絵が庭園の中に置かれていました。最初に見つけたのが「ふしぎなメルモ」でした今回見つけた手塚キャラを見つけた順番に紹介します。
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2番目に見つけたのがヒョウタンツギでした。
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3番目のリボンの騎士のサファイア姫もひっそりと置かれていました。
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4番目のユニコはメインガーデンの門の外側にありました。門の祖てですがエリア的にはメインガーデンないです。
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もう一度門内に戻って5番目を見つけました。ヒョウタンツギは2体あったのです。今回見つけたのは紹介した5体でしたが、探せばもっと見つかるかもしれません。ネットで見ると鉄腕アトムやブラック・ジャックも出てきました。探してみるのも楽しいかもしれません。
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メインガーデン入口の宝塚市立手塚治虫記念館前にはジャングル大帝レオの像も置かれていました。後ろの建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。こちらを入れると今回見た手塚キャラは6体になりますがメインガーデンから離れているし、探す必要もないほど目立った存在なので数には入れませんでした。
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屋上庭園
上で紹介の庭園にはメインガーデンの名が付いていることから分かるように宝塚市立文化芸術センターには名前のついた庭園(ガーデン)が3つあります。その一つが屋上庭園です。ここでは屋上庭園を紹介したいと思います。もう一つはフロントガーデンですが、今回は名前が付いているとは知らなかったので写真は撮りませんでした。こちらの写真が駅方向からの屋上庭園への階段です。右端の建物はエレベーターです。エレベーターでも上がってくることが出来ます。
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階段を登り切ったところの景色です。
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西方向からの屋上庭園の全景です。
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東方向からの全景です。広い芝生の広場でした。
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東野エリアには原っぱの丘イメージして植物が植えられたエリアがありました。
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原っぱの丘に植えられている植物の説明板です。植えられていたのは、メアザミ、オトコエシ、カワラナデシコ、ワレモコウ、オミナエシ、フジバカマ、オニユリ、カントウヨメナ、キンキズヒキ、ミソハギ、ホタルブクロ、ウツボグサ、ハマナデシコ、キキョウです。
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屋上庭園から見たメインガーデンです。
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建物の2階からみたメインガーデンです。
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オープンして間近の2020年6月にもメインガーデン(庭園)に来たことがありました。ただし閉園日だったので中には入れないので柵の外から撮りました。写真は北側の入口です。この庭園があることを知ったのは2020年の春頃でした。実家から清荒神に行く道筋で見つけて入ってみたいと思っていてその年の6月に来てみた訳です。
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紫陽花が咲いていました。
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西側の入口です。やはり門は閉まっていました。
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水曜日が閉園日をだったのです。
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上で紹介した飛び石はや池は外のエリアから見ることが出来ました。
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庭園内の池は外のエリアにもつながっていました。右側の建物が宝塚市立文化芸術センターで、左側の建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。
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宝塚市立手塚治虫記念館を広場から撮った写真です。右端のカラフルな色のドームの下が記念館の入口です。
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前回来た時が閉園日だったので2020年10月に来てみました。その時の写真を紹介します。写真のように北側の門が空いていました。
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門を入ってすぐの景色です。
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タイワンソケイ(台湾素馨)の棚がありました。
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ガーデンハウスの前の散策路です。
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飛び石のところです。
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ハロウィンの時期だったので大きなかぽつゃが置かれていました。
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北側の散策路です。手塚キャラ「ふしぎなメルモ」があった辺りです。この時は手塚キャラは気がつきませんでした。
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小川のある景色です。
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北側の散策路はいろんな景色を見せてくれます。
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散策路が広くなっている辺りです。
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開園当時に宝塚市が公表したイメージ図を紹介します。手前がメインガーデンで、奥が文化ゲイジュツセンターの建物です。屋上庭園のイメージも実際と同じです。
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下記の宝塚ファミリーランドのチラシに、手塚治虫記念館やメインガーデンをクリックすると拡大含めた宝塚市立文化芸術センターのエリアを黒枠で追記しました。ただし昔の航空写真などを参考にして書き込んだの大凡の位置であることはお許しください。宝塚フミリーランドは右の写真のホワイトタイガーが1985年から2003年(閉園)までいたことで有名で、1996年~2001年の間に何度(3回以上)か2~3頭の赤ちゃんも生まれました。
動物園エリアは左上の部分です。
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参考にした昔の航空写真です。黄色枠の部分が現在のメインガーデンなどを含んだ宝塚市立文化芸術センターのエリアです。この航空写真は1979年に撮影されました。クリックすると広範囲を表示します。
クリックすると拡大

クリックすると拡大1994年の航空写真にも宝塚ファミリーランドが写っているので宝塚市立文化芸術センターのエリアを確認してみてください。本航空写真には私が1歳の時に右の写真を撮った東京銀行宝塚クラブハウスが建っていたグラウンドやテニスコートが左下端に写っています。同じ場所にクラブハウスらしいものが傍にありますが、私が1歳の時に建っていた建築家の村野藤吾の設計のクラブハウスとは違うようです。
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こちらが建築家・村野藤吾の設計したクラブハウスと思われる建物が写っていた1961年5月13日に撮影された国土地理院の航空写真です。
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ラベル:宝塚 庭園
posted by SORI at 14:04| Comment(34) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月02日

千種(ちぐさ)の桜並木

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2023年3月23日は実家の近くにある「千種の桜並木」を見に行ってきました。千種は「ちぐさ」と読み、この辺りの地名です。上の写真が「千種の桜並木」です。桜並木の左側(西側)が遊歩道になっています。つまり桜並木の両側に道があるのです。左側に見えている高いネットの奥は古い歴史のある宝塚ゴルフ倶楽部です。昨年の2022年4月1日に「野上の桜並木」を見に行き、2022年4月2日に「寿楽荘の桜並木(桜トンネル)」を見に行き記事を書いて掲載した時に「千種の桜並木」があることを知りましたが、すでに満開を過ぎていたので翌年に来てみるつもりでいて、それを実行したわけです。

本地図の3ケ所の太い桜色ライン()が阪急逆瀬川駅に近い桜並木で、最も右下(東南)の桜色ラインが千種の桜並木です。この地図の中で寿楽荘の桜並木の右端(東端)あたりから千種の桜並木まで、緑色ライン()で示したまっすぐの道があります。途中には3ケ所の紫色ライン()のころに階段がある上に途中にある2つの川(支多々川と逆瀬川)には橋がないことから車の幹線道路ではないことは確かなのです。橋をありませんが、支多々川では32m下流側に歩道橋があり、逆瀬川にも50m下流側に歩道橋があることから、寿楽荘の桜並木から緑色のライン>()を歩いて千種の桜並木まで行けることから、本記事では直線の道と千種の桜並木を紹介したいと思います。
右下の小さな写真は2023年3月30日の「野上の桜並木」です。桜並木道名の右の駅名は最寄り駅(阪急今津線)です。クリックすると拡大
  直線の道(寿楽荘地区千種地区)
  階段
  歩道橋
  千種の桜並木  小林駅   逆瀬川駅
  寿楽荘の桜並木 宝塚南口駅 逆瀬川駅
  野上の桜並木  逆瀬川駅


こちらが直線の道の出発点となる寿楽荘の桜並木(寿楽荘の桜トンネル)です。
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右の道に入って右に曲がった途端に上の写真の景色に出会えます。左の道を登ると千種方面への直線の道です。先ずはこの直線の道の景観を順番に紹介していきます。
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前の写真の坂道を登り切ったところからの進行方向の写真です。この辺りの道幅は広いです。
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名前はついていませんが直線の道に交差する道も桜並木がありました。画面の手前に写っている道の左から右が今回紹介している直線の道です。
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少し進むと道幅が狭くなってきてきました。起伏も結構あります。
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急な上り坂になりました。上の写真の一番奥のところです。
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道の正面に白いポールが2本の車止めが見えます。
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車止めのところに来ると最初の階段がありました。道はあくまでもまっすぐに伸びています。この道が作られた時期と経緯が気になっています。住宅の進んでいない、車も普及していない頃に作られた道のように感じます。もしかしたら阪急今津線の辺りにある良元街道(西宮街道)のような江戸時代の道だったのではないかと想像してしまいます。
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階段を下りていきます。住宅が少なかった時代に歩いていることを想像してしまいます。遠くに道を横断するような黒い部分が支多々川です。SV上 SV下
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支多々川のところまで来ました。道はまっすぐに伸びていますが橋がありません。大昔には橋があり、いつの時代からか橋は完全になくなったのではないかと想像してしまいます。六甲山から流れてくる大川は昔から大雨が降ると鉄砲水に襲われました。近年でも下記のような被害でているほどです。ただし今は砂防ダムなどの鉄砲水対策がとられています。記載している人数は死者+行方不明者で、戸数は住宅の全壊+流失数です。数値は兵庫県(全国合計)で表示しています。1938年の被害は全て六甲山周辺(神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市)です。
 1938年 昭和13年阪神大水害  715名(715名)  5732戸(5732戸)
 1961年 昭和36年梅雨前線豪雨  41名(357名)   ? (1758戸)
 1967年 昭和42年7月豪雨    100名(369名)  363戸( 901戸)
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川越しにズームしてみると2番目の階段が見えています。上の写真でも小さく写っています。
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下流側32mの位置に歩道橋があるので、こちらを渡ります。
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歩道橋を渡って川の反対側から来た方向を撮りました。下りてきた階段が見えます。
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進んでいく方向を見ると2番目の階段が見えます。
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こちらが2番目の階段です。SV下 SV上
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階段を上り切る寸前で撮った写真です。
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階段を登り切って野上通りまで進んで、進行方向を撮った写真です。
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進んでくと下りの階段に出ました。3番目の階段です。これが最も長い階段です。この先に逆瀬川があります。SV上 SV下
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階段を下り切ったところから進んでいく方向の景色です。
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逆瀬川まで出ました。野上と書かれた停留所にがありました。
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逆瀬川の対岸には道が続いていますが、やはり橋はありません。水道用アーチがあります。
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下流側50mのところに歩道橋があります。
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こちらが歩道橋です。
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歩道橋から上流側を見ると正面に甲山(かぶとやま)が見えました。六甲山(ろっこうさん)は約1億年前に地下深くで生成された花崗岩が100万年前以後に地殻変動によって隆起して出来た山ですが、甲山は1200万年前に噴火して出来た輝石安山岩の山です。昔は山の形状からトロイデ(鐘状火山/溶岩円頂丘/塊状火山)と思われていましたが、昭和30年代に研究がすすんで、1200万年前は大きな火山で、噴火が終息した200万年前から浸食し火道周囲のみが塊状に残って今の形になったことがあきらかになったそうです。トロイデという呼び方は火山地形の旧分類でもあるそうです。
歩道橋から下流側には逆瀬川駅がありますが川が少し右にカーブしているので駅そのものは見えませんが、駅周辺は分かります。
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歩道橋を渡って進んで行くべき道のところまで来て、対岸を見ると来た方向の道があり、下りてきた階段も見えました。道がまっすぐなことが判っていただけると思います。
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進んで行く方向の写真です。一番奥が坂道になっていて左側に階段があります。
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左側が階段になった急な上り坂があります。坂の上には車止めもあります。
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上り切ったところに桜の並木があります。右側が遊歩道で左側が一般道です。
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桜の木が続いていました。千種の桜並木に着いたようです。この千種の桜並木道も一直線です。写真を撮られている方がおられました。ここからの写真は全てクリックすると面積で16倍に拡大します。
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一般道から見た景色です。
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桜の咲き具合が判るように花をアップしました。
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すこし進んで遊歩道側から進んで行く方向を撮りました。遊歩道は道路より高くなっているので、道路よりも、桜の木を少し高い位置から見ることになります。
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高い目線から写真です。近くにN。(NOTRE SOUHAIT)という洒落た名前のカフェがあることを記事を書き始めてから知りました。次の時は寄ってみたいと思います。
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満開に近い字様態でしたが花弁はまだ散っていない状態でした。これが2023年3月28日の状態です。
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道路側からも景色を撮りました。細い桜の木が植え替えられているところがありましたが、それは少なくてほとんどがまだ古木で頑張っていました。野上の桜並木は30%は新し木に植え替えられているのとはかなり差があります。寿楽荘の桜並木も古木が頑張っていました。
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遊歩道に戻って前に進みました。この辺りの右側は住宅地でした。この辺りの住所は宝塚市千種4丁目です。
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さらに進むと右側が宝塚ゴルフ倶楽部の敷地になってきました。金網のところが宝塚ゴルフ倶楽部関係のところです。ここには新しく植えられたきがありました。これ以降はなかったと思います。
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右側(西側)が宝塚ゴルフ倶楽部のエリアに入ってくると桜の木も大きくなり見ごたえもありました。どこまでもい直線の桜並木でした。
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一般道の方から歩いてきた方向を撮りました。この辺りの住所は宝塚市千種3丁目です。
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同じ場所から進んで行く方向を撮りました。高いフェンスになっているのはゴルフボールが飛び出してくる可能性がある位置なのだと思います。
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遊歩道に戻って歩いてきた方向を撮りました。ここはGoogleマップに「 千種の桜並木」が書かれているあたりです。
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こちらが進んで行く方向です。遠くに上で紹介したゴルフボール飛び出し防止のフェンスが見えます。
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金網の隙間からゴルフ場の中を撮りました。ゴルフ場の中にも沢山の桜の木が植えられていました。
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千種の桜並木の南端まで来ました。千種の桜並木の南端の目印は右端に写っている松の木です。
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道路側から撮った南端からの桜並木です。松のの枝写っているので南端であることが判っていただけると思います。
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同じ場所でもストリートビュー(SV)では撮影された日しか見ることが出来ないので、満開の桜は見ることは出来ません。でも紅葉の季節の景観は確認できました。画面の右下の日付を確認すると撮影されたのは昨年(2022年)の11月でした。更新されたら日付が変わります。クリックすると全体表示


桜の花の咲き具合も紹介します。
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冒頭で紹介した千種の桜並木の写真です。
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桜並木の端の松の木も紹介しておきます。ランドセルを背負っているので、小学校の新1年生が桜との前撮りに来たのかもしれません。
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冒頭2番目に紹介した地図を航空写真表示にしました。南北の範囲は地図よりも広げています。細いピンクのラインは、名前のある3ケ所の桜並木以外で、桜の木が並木として植えられているところです。ただし気が付いたところだけ記載したので、まだまだ沢山あると思います。検索→煤渡黒助 and SOIR
見えている宝塚ゴルフ倶楽部の歴史は1926年(大正15年)から始まったそうです。宝塚ゴルフ倶楽部の敷地の大半が宝塚市蔵人という地名です。
 1926年  3ホールを開場
 1927年  9ホール完成
 1930年  18ホール完成(現:旧ホール)
 1958年 新18ホール完成 新旧合わせて36ホールとなる。
ラベル:
posted by SORI at 16:24| Comment(36) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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