
水戸の偕楽園の近くに132年前の1881年(明治14年)に建てられた小学校の建物がありました。この小学校が建てられたのは茨城県常総市(旧 水海道市)ですが江戸時代は下総国豊田郡水海道村と言いました。 明治10年代における県下唯一の洋風建築でもあったことを考えると明治維新とともに新しい文化が浸透していったのだと思います。当時としては画期的なことだったのだと思います。
下総国豊田郡水海道村は明治から茨城県豊田郡水海道村となり1871年に茨城県豊田郡水海道駅になり1889年に茨城県豊田郡水海道町となったことから水海道駅という地名が使われた時代に建てられたことになります。
水海道市立水海道小学校から茨城県立歴史館に寄贈され1973年に移設されるときに建設当初の設計図を元に当初の姿に復元したそうです。茨城県指定文化財です。すばらしい建物なので紹介いたしました。

創設当時は、この天井に太鼓を吊し授業開始の合図などの時刻を報じたことから鼓楼と呼ばれています。
場所 茨城県立歴史館の敷地内
住所 茨城県水戸市緑町2-1-15
電話 029-225-4425
時間 9:30~17:00
休館 月曜日(祝日の場合はその翌日)
料金 無料
HP http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/mitsukaido.htm
移設前 茨城県常総市水海道天満町2516番地1 ←1973年以前の位置

室内の撮影は禁止されているので、ここから下は頂いたパンフレットの写真で紹介いたします。一部、茨城県立歴史館のHPの写真も使わさせていただいています。こちらが展示室で沢山の資料に加えて全国的に活躍した人などを紹介していました。


当時の机や椅子やオルガンで教室を再現していました。さらに給食も再現されていました。こちらのみHPの写真を使わさせていただきました。


明治14年当時としては高価で貴重な輸入品であった板ガラスや色ガラスを使ってステンドグラスや窓ガラスが作られました。2階には上がることが出来ないのでバルコニーからの写真を紹介いたします。


この校舎を設計・建築したのは地元の宮大工で棟梁の羽田甚蔵(はだ じんぞう)氏です。左の写真が羽田甚蔵氏で、水海道の一言主神社・天満宮などの造営も行なったといわれている方です。西洋風の校舎を建てるために横浜まで見学に行ったといわれています。右の写真のように一階の梁に見られる運形の彫刻は、宮大工の技との和洋混交の建築のの特徴を示しているといえます。


1932年12月に講堂の完成を記念して東京の楽器店から同校後援会の寄付金と町の予算を合わせ1,200円で購入したピアノが実はすごい歴史的なものでした。この時はピアノの存在を知らなかったことからピアノの展示室には入らなかったのでピアノを見たい方は電話でピアノの見学が可能かどうかを確認してから行かれたらよいと思います。
このピアノは今から148年前の1865(慶応元)年にアメリカ・ニューヨーク市の
スタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons)社で製造された製造番号が11013番のピアノです。製造当時にはローズウッド木地仕上でした。長さは203cmで、鍵盤は85鍵(白鍵:象牙製、黒鍵:黒檀製)です。このピアノ にはヘルツ式スプリング採用・ダブルエスケープメント・レペ ティションアクションという素早い連打を可能にするメカニックがあり、これは現代のピアノアクションの原形といえます。
ハーパー夫人によって1871(明治4)年に、このピアノが購入さ れて横浜に向けて送られました。日本に洋楽が導入された幕末・ 明治維新期のピアノのうちの1台で、文明開化を象徴する楽器でもあります。
これを購入した、この小学校では音楽の授業 や各種の儀式,音楽会などにこのピアノを活用してきたそうです。また同年に片野次郎平先生が音楽教育の一環として「金の鈴合唱 団」を作ったり、その後、同校が各種の音楽コンクール等におい て素晴らしい成績をあげたりしたことも、このピアノの存在によ るということだそうです。








































家の最寄駅を7時42分に乗って船橋と柏を経由して水戸に着いたのが9時49分でした。水戸について義公生誕の地(水戸黄門神社)、水戸城址、弘道館、八掛堂をゆっくりと見て五鐵夢境庵に着いたのが11時15分でした。少し早いけれども「商い中」の札が下がっていたので、さっそく入ってみました。入口の塀の裏に「山月草木悉有仏性」と書かれた石碑が建てられていました。これは漢詩で「さんせんそうもく ことごとく ぶっしょうもあり」と読み、「自然界の全てには仏性が有る。」という意味だそうです。ここに来られた時には、是非とも塀の裏に目をやってみてください。

































こちらが東門です。確かに最もにぎわっている場所でした。沢山のお店に加えて沢山の屋台が出ていました。偕楽園の広さは13万㎡(4万坪)で約100種3000本のウメ(梅)が植えられており、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで、「日本三名園」の一つに数えられいます。偕楽園は天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。今年は2月20日~3月31日に第117回雌の水戸の梅まつりが行われています。黄色の服の方は市民観光ボランティア「歴史アドバイザー」の方で無料で園内を案内してもらえます。弘道館にもおられて、気楽に質問が出来るので、お世話になりました。


