2013年03月14日

旧水海道小学校本館



水戸の偕楽園の近くに132年前の1881年(明治14年)に建てられた小学校の建物がありました。この小学校が建てられたのは茨城県常総市(旧 水海道市)ですが江戸時代は下総国豊田郡水海道村と言いました。 明治10年代における県下唯一の洋風建築でもあったことを考えると明治維新とともに新しい文化が浸透していったのだと思います。当時としては画期的なことだったのだと思います。
下総国豊田郡水海道村は明治から茨城県豊田郡水海道村となり1871年に茨城県豊田郡水海道駅になり1889年に茨城県豊田郡水海道町となったことから水海道駅という地名が使われた時代に建てられたことになります。

水海道市立水海道小学校から茨城県立歴史館に寄贈され1973年に移設されるときに建設当初の設計図を元に当初の姿に復元したそうです。茨城県指定文化財です。すばらしい建物なので紹介いたしました。


創設当時は、この天井に太鼓を吊し授業開始の合図などの時刻を報じたことから鼓楼と呼ばれています。
  場所  茨城県立歴史館の敷地内
  住所  茨城県水戸市緑町2-1-15
  電話  029-225-4425
  時間  9:30~17:00
  休館  月曜日(祝日の場合はその翌日)
  料金  無料
  HP   http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/mitsukaido.htm
  移設前 茨城県常総市水海道天満町2516番地1 ←1973年以前の位置


室内の撮影は禁止されているので、ここから下は頂いたパンフレットの写真で紹介いたします。一部、茨城県立歴史館のHPの写真も使わさせていただいています。こちらが展示室で沢山の資料に加えて全国的に活躍した人などを紹介していました。


当時の机や椅子やオルガンで教室を再現していました。さらに給食も再現されていました。こちらのみHPの写真を使わさせていただきました。


明治14年当時としては高価で貴重な輸入品であった板ガラスや色ガラスを使ってステンドグラスや窓ガラスが作られました。2階には上がることが出来ないのでバルコニーからの写真を紹介いたします。


この校舎を設計・建築したのは地元の宮大工で棟梁の羽田甚蔵(はだ じんぞう)氏です。左の写真が羽田甚蔵氏で、水海道の一言主神社・天満宮などの造営も行なったといわれている方です。西洋風の校舎を建てるために横浜まで見学に行ったといわれています。右の写真のように一階の梁に見られる運形の彫刻は、宮大工の技との和洋混交の建築のの特徴を示しているといえます。


1932年12月に講堂の完成を記念して東京の楽器店から同校後援会の寄付金と町の予算を合わせ1,200円で購入したピアノが実はすごい歴史的なものでした。この時はピアノの存在を知らなかったことからピアノの展示室には入らなかったのでピアノを見たい方は電話でピアノの見学が可能かどうかを確認してから行かれたらよいと思います。
このピアノは今から148年前の1865(慶応元)年にアメリカ・ニューヨーク市のスタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons)社で製造された製造番号が11013番のピアノです。製造当時にはローズウッド木地仕上でした。
長さは203cmで、鍵盤は85鍵(白鍵:象牙製、黒鍵:黒檀製)です。このピアノ にはヘルツ式スプリング採用・ダブルエスケープメント・レペ ティションアクションという素早い連打を可能にするメカニックがあり、これは現代のピアノアクションの原形といえます。
ハーパー夫人によって1871(明治4)年に、このピアノが購入さ れて横浜に向けて送られました。日本に洋楽が導入された幕末・ 明治維新期のピアノのうちの1台で、文明開化を象徴する楽器でもあります。
これを購入した、この小学校では音楽の授業 や各種の儀式,音楽会などにこのピアノを活用してきたそうです。また同年に片野次郎平先生が音楽教育の一環として「金の鈴合唱 団」を作ったり、その後、同校が各種の音楽コンクール等におい て素晴らしい成績をあげたりしたことも、このピアノの存在によ るということだそうです。
posted by SORI at 12:59| Comment(14) | TrackBack(1) | 水戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水戸城にあった藩校 弘道館



江戸時代には、この橋の場所には三の丸と二の丸を結ぶ橋がありました。橋の手前が二の丸で橋のすぐ近くに大手門がありました。橋の向こう側が三の丸でした。江戸時代後期に三の丸の中に常陸国水戸藩の藩校である弘道館が作られたのです。橋の向こうに現存する弘道館(こうどうかん)を見ることが出来ます。
水戸城は本丸、二の丸、三の丸を含んだ城郭内の施設で弘道館は数少ない現存設備なのです。その弘道館を訪問いたしました。
橋の名前は大手橋ですが、なぜか橋の欄干にはひらがなで「たほてはし」と書かれていました。この橋の竣功日は左の欄干に昭和10年12月と書かれており、1935年と見た目よりは古いことがわかりました。

こちらが弘道館側から見た昔の大手門です。


こちらは二の丸側から見た昔の弘道館です。服装や人力車が走ってる風景から時期は明治と思われます。


そして、これが2013年3月7日の弘道館です。大手橋から撮りました。


こちらが弘道館の正門と弘道館を囲む塀です。弘道館は国の特別史跡に指定されており、その中でも正門と正庁と至善堂は国の重要文化財に指定されています。つまりこの正門は国の重要文化財なのです。


正門を拡大いたしました。この門には水戸藩内の改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が争った弘道館戦争の傷跡が残っています。


それが鉄砲の痕です。扉には四角い板で穴を塞いでいるのが、鉄砲の弾が貫通した跡です。門の右の柱にも弾が食い込んだ跡が見受けられました。保守派(諸生党)が弘道館に立てこもり大手門側から改革派(天狗党)が撃った弾痕なのです。


弘道館境内に入って驚かされました。なんと正庁と至善堂は補修工事のために白い塀で囲まれていたのでした。2010年3月11日の東日本大震災により弘道館も大きな被害を受けたのですが国の重要文化財であることから補修の許可に時間がかかり最近補修工事が始まったとのことでした。


こちらが正面から見た正庁です。部分的に透明のプラスチックの壁になっていることから一部を見ることが出来ました。


瓦の被害は少なくて健在に見えました。


こちらが裏庭から見た正庁と至善堂です。正面が正庁で左の方が至善堂です。


昔の弘道館の図面です。赤枠で囲まれている部分が現存している弘道館です。天文台、③武館、⑤医学館のあたりは水戸市三の丸小学校となり、調錬場は県庁と図書館と水戸警察が建っていました。水戸市三の丸小学校はレトロナ雰囲気に作られているので必見です。多くの藩士たちが学んだ②文館のあたりは弘道館公園となっており建物は残っていませんでした。


現在の航空写真に昔の弘道館の範囲と現在の弘道館の範囲を記載いたしました。
  今の弘道館     ピンクの枠ので囲まれた範囲
  昔の弘道館     緑の枠で囲まれた範囲
  散策ルート      赤い線
  正庁          ピンクの枠の緑のマーク
  本丸&二の丸    橙色で囲まれた範囲
  現在の三の丸地名 空色の枠で囲まれた範囲 

本丸や二の丸を含めた範囲の航空写真

より大きな地図で 弘道館 を表示
震災前の正庁の写真が工事現場の壁に掲載されていたので紹介いたします。これが正庁です。正庁は学校御殿とも呼ばれる弘道館の中心的な建物です。特に正席の間は藩主が臨席して文武の試験や諸儀式が行われた重要な場所です。正庁は玄関から板廊下をへて上手の3室(正席の間、二の間、三の間)とこれに付属する湯殿・便所があり、下手には来館者の控の間である諸役会所などが置かれていました。内部は、高い天井に畳敷きの床の間や違い棚、付属院を備えた格調高い書院造です。また、屋根にも大棟に青海波文様を施すなど、御殿建築にふさわしい意匠(工夫)が凝らされています。


正庁に飾られている扁額で「游於藝」と書かれています。游於藝は論語の一節です。


こちらが上で書いている藩主も臨席する最も格式の高い「正席の間」です。


ここでは葵の紋が入った畳縁が使われています。


井戸がありました。藩校当時、この近くに御台所があり、この井戸が使われていたそうです。


こちらが孔子廟です。孔子廟には,学問の祖である孔子が祀られています。創設者徳川斉昭は,弘道館の聖域に鹿島神社と孔子廟を併設することにより,神儒一致の精神をあらわしました。
孔子廟も震災で被害を受けましたが復旧工事が完了したそうです。


孔子廟の門になる戟門はまだ補修は行われていませんでした。


八卦堂(はっれどう)も補修工事中でした。八卦堂は「弘道とは何ぞ」で始まる弘道館建学の精神を記した「弘道館記」の石碑が納めています。


学生警鐘の鐘楼は完全に倒壊しており補修は決まっているようでしたが工事は始まっていませんでした。学生警鐘は鐘楼につるされて江戸時代の後期に弘道館で学ぶ学生たちに時を告げていた青銅製の鐘いた鐘です。


これは要石歌碑で、書かれている歌は烈公の自選・自筆によるものです。碑には「行末毛富美奈太賀幣曽蜻島大和乃道存要那里家流」と書かれていました。意味は「大和の道は万古不易の大道で、日本人の実践すべきものであることを示された。」とのことです。


八卦堂の近くにも江戸時代に使われていた井戸がありました。


この碑は徳川斉昭(烈公)が天保4年(1833年)に就藩した時に領内に梅が少ないことを知り江戸屋敷の梅の実を集め水戸に送って育苗し偕楽園や弘道館、さらには領民の家々まで植えさせた由来記してあります。また、梅の花を鑑賞するばかりでなく、その実は、戦いのときの副食としても役立つので蓄えておくようにといった梅の効用についても述べてあります。碑文は烈公の自選で天保12年(1841年)に建てられたそうです。碑の名前は種梅記碑です。


弘道館の神殿として創祀された鹿島神社です。安政4年(1857年)5月9日に鹿島神宮の御分霊を遷祀したのが始まりだといわれています。その時に烈公が自ら鍛えた太刀を奉納して御神体に擬え、弘道館に魂を入れましたと伝えられています。その太刀は現在、水戸市指定重要文化財になっています。社殿は戦災にあい、しばらくは仮ででしたが1972年に伊勢神宮の別宮の一つ「風日祈宮」の旧殿一式を移築したそうです。


鹿島神社の前に立った景観です。奥に本殿があります。これは神社特有ですね。裏に回れば見ることが出来ます。


水戸の偕楽園の梅園を紹介しましたが弘道館にも沢山の梅がありました。こちらも梅の開花は限られていました。


こちらにも梅の古木がありました。こちらは臥竜梅(がりゅうばい)です。花が咲いていました。


こちらが臥竜梅の花です。


これ以外の咲いていた花を紹介いたします。こちらが実生野梅(みしょうやばい)です。


偕楽園でも沢山咲いていた早生種の八重寒紅(やえかんこう)です。


こちらの梅は白難波(しろなにわ)です。これ以外はこれから咲いていきそうです。この時(2012年3月7日)から15日後が見ごろではないかと言われていました。


黄色の服の方は市民観光ボランティア「歴史アドバイザー」の方で無料で弘道館や梅のことを案内してもらえます。私は六名木と正門の銃弾痕のことを教えてもらいました。写真は文明夫人(第9代藩主 徳川斉昭の夫人)の歌碑に関して説明されているところです。
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2013年03月11日

軍鶏(しゃも)の親子丼 五鐵 夢境庵



すでに紹介の通り水戸の偕楽園に梅を見に行きましたが、水戸の名物をネットで検索して、家を出るときから軍鶏(しゃも)の親子丼を食べることを決めていました。同じ軍鶏親子丼を食べるのであれば軍鶏親子丼で有名な「五鐵 夢境庵」で食べることも決めていました。
軍鶏(シャモ)はタイ原産の闘鶏用、観賞用、食肉用のニワトリの一種でシャモの名は当時のタイの呼称シャムに由来するそうで、日本では闘鶏用として輸入されたため「軍鶏」の字が当てられたそうです。江戸時代初期に伝わったとされており、なんと1941年に国の天然記念物に指定されているとのことでした。
軍鶏肉の特徴は味と歯ごたえで、ここでは茨城県の名産である奥久慈シャモ(おくくじしゃも)が使われているとのことでした。シャモは闘鶏用ニワトリであるため、気性が荒く、群れで飼うのは難しい種ですが、肉・卵ともに味がよいため、闘争心を抑え、繁殖力があるよう茨城県養鶏試験場で改良を加え、できたのが奥久慈シャモだそうです。奥久慈シャモは全国特種鶏(地鶏)味の求評会で第1位に選ばれたそうです。ちなみに日本三大軍鶏は奥久慈軍鶏、薩摩軍鶏、東京軍鶏です。そして日本三大地鶏は秋田県の比内地鶏、茨城県の奥久慈しゃも(奥久慈軍鶏)、愛知県の名古屋コーチンです。一般のニワトリは飼育期間約50日で3kgほどに育つのに対して、奥久慈シャモは雄が120日で2.6kg、雌が150日で2.1kgと地鶏の中でも格段に手間ひまがかかる品種だそうです。

家の最寄駅を7時42分に乗って船橋と柏を経由して水戸に着いたのが9時49分でした。水戸について義公生誕の地(水戸黄門神社)、水戸城址、弘道館、八掛堂をゆっくりと見て五鐵夢境庵に着いたのが11時15分でした。少し早いけれども「商い中」の札が下がっていたので、さっそく入ってみました。入口の塀の裏に「山月草木悉有仏性」と書かれた石碑が建てられていました。これは漢詩で「さんせんそうもく ことごとく ぶっしょうもあり」と読み、「自然界の全てには仏性が有る。」という意味だそうです。ここに来られた時には、是非とも塀の裏に目をやってみてください。


細長い建物で通路の左側が個室になっていました。細長い通路も趣がありました。


一人でしたが、早かったおかげで一番奥の個室に案内されました。下の写真は帰るときに撮ったもので、こちらの個室で親子丼をいただきました。右の写真は隣の個室で、予約が入っているようでした。
 店名 五鐵 夢境庵
 住所 茨城県水戸市南町1-3-27
 電話 029-225-6073
 営業 11:00~14:00 17:00~22:00
 定休 11~4月 無休  5~10月 日曜
 HP  http://www.gotetsu.co.jp/


さっそく親子丼を頼みました。
「並」と「上」があるとのことなので、迷わず「上」を頼みました。「並」は990円で、「上」は1360円です。「上」と「並」の違いは、しゃも肉の量だそうです。


こちらが奥久慈軍鶏の親子丼です。さすが評判の親子丼でした。奥久慈とは茨城県久慈郡太子町のあたりの地域です。袋田の滝が近いです。


味わいを感じてもらうために、どんぶりだけの写真を紹介いたします。


さらに拡大いたしました。食べてみてもっとも印象的だったのが歯ごたえでした。ベトナムやインドで美味しい鶏肉を何度か食べていましたが、これだけ歯ごたえのある肉は初めてでした。やっぱりランチを親子丼にしたのは大正解でした。


コーヒーもついていました。早く来たおかげで個室でゆっくりとさせてもらいました。帰るころ(11時45分)には個室は満席になっていました。


地鶏の定義(日本農林規格)

日本在来種(明治までに日本に定着)の血液百分率が50%以上

生後28日以降は1㎡あたり10羽以下で平飼し、飼育期間が80日以上

農林水産省の日本農林規格(特定JAS規格)で地鶏認定

日本農林規格に適合した地鶏  着色地鶏名は日本三大地鶏

(北海道) 北海地鶏

(青森県) 青森シャモロック

(岩手県) 南部かしわ

(秋田県) 比内地鶏

(山形県) やまがた地鶏

(福島県) 川俣しゃも 会津地鶏

(新潟県) にいがた地鶏

(栃木県) 栃木しゃも

茨城県) 奥久慈しゃも やさとしゃも 筑波地鶏

(群馬県) 上州地鶏

(埼玉県) タマシャモ

(千葉県) 房総地どり

(山梨県) 甲州地どり

(岐阜県) 美濃地鶏 奥美濃古地鶏

(静岡県) 一黒シャモ 駿河シャモ

(愛知県) 名古屋種 純系名古屋コーチン

(三重県) 熊野地どり 松坂地どり 伊勢二見ヶ浦夫婦地鶏

(滋賀県) 近江しゃも

(京都府) 京地どり 地鶏丹波黒どり 京赤地どり

(大阪府) 葵之地鶏

(兵庫県) 丹波地どり 松風地どり 播州地どり 但馬地どり

(奈良県) 大和肉鶏

(和歌山県)紀州鶏

(鳥取県) 大山シャモ

(岡山県) おかやま地どり 岡山桃太郎地どり

(徳島県) 阿波尾鶏

(香川県) 讃岐コーチン 地鶏瀬戸赤どり

(愛媛県) 伊予赤どり 伊予路しゃも 媛っこ地鶏 奥伊予地鶏 道後地鶏

(高知県) 土佐はちきん地鶏 土佐ジロー

(福岡県) はかた地どり

(長崎県) つしま地どり

(熊本県) 天草大王 熊本コーチン

(大分県) 豊のしゃも

(宮崎県) 宮崎地頭鶏

(鹿児島県)さつま地鶏 さつま若しゃも
posted by SORI at 17:36| Comment(18) | TrackBack(0) | 水戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月10日

水戸の偕楽園 開花が遅れていました。



そろそろ梅が見ごろになっているのではないかと2013年3月7日に茨城県の水戸市にある偕楽園(かいらくえん)に行きました。偕楽園は初めての経験でした。実は一泊で水戸の近くで3月8日にゴルフをすることも兼ねて来たのでした。こちらが偕楽園の北東方向にある御成門です。
梅園が門から奥に続いているので雰囲気のある門となっていました。
水戸駅から水戸城址や弘道館などを地図を見ながら散策して歩いてきたら、こちらの御成門(おなりもん)に着きました。

偕楽園の地図で右上の門が御成門です。御成門から梅園に放射状に道がのびており梅園に入るには一番雰囲気がある気がしました。偕楽園にはいくつかの門があります。私は水戸駅から散策を兼ねて歩いてきたので偶然に御成門から入ることになりました。
地図でピンクに塗られている道は日没から21時まで梅がライアップされるところなのです。茶色に塗られたところも同時刻にライトアップされます。残念ながら夕食の時間が迫っていたのでライトアップを見ることはできませんでした。ライトアップは3月10日までの予定でしたが開花が遅れていることから3月24日まで延長されたとホームページに記載されていました。


上の地図と同じ範囲の航空写真を紹介します。写真をクリックするとオリジナルの航空写真を表示します。
クリックするとGoogle航空写真

御成門を入ってまっすぐな道がのびでいました。
梅が満開になっていることを期待してきたのですが、写真のような状況でした。


ほとんどの梅の木は、このようなつぼみの状態で、つぼみからは花弁が覗いており、もうすぐすると花が開く状態でした。



沢山の花が咲いている木もありました。不思議なことに満開にに近い木と花が咲いていない木に分かれていました。沢山の花が咲いている木は20本に1本あるいはそれよりも少ない状態でした。ただし全体で約3000本(3072本)の梅の木があるわけなので150本近い木は咲いていることになります。公式的には469本が開花して開花率は15.3%(3月6日)でした。
桜の場合はすべての木が同時に同じ率で花を咲かせるのに対して梅の場合は木によって大きく違うことから開花率の定義も違うようです。イメージ的には花が咲いている木の本数の率が開花率という印象でした。


上の梅の木の花です。この木に関しては満開に近い状態と言えました。名前は八重寒紅です。八重という名が付いた品種が多かったです。


白い花も紹介いたします。こちらで30%程度咲いているでしょうか。沢山の花を付けている方の木でした。こちらの名前は月宮殿です。


ほとんどの梅の木には名札がつけられていました。おかげで花の名前がわかりました。こちらでは新しい名札と古い名札がつけられていました。名札には高砂枝垂(高砂しだれ)とかかれていました。


梅の木は古木で、花を付けていなくてもすばらしい景観でした。これに花が満開になるとさらにすばらしい景観を見せてくれることが想像で来ました。


古い木は支柱で支えられて大切にそだてられていました。花もちらほら咲いていました。


六角形の柵に囲われている梅の木が六名木です。1934年に園内にあるすべての品種を調査・研究し、その中でも、花の形・香り・色などが特に優れているものを6品種選び、水戸の六名木としました。六名木は烈公梅(れっこうばい)、白難波(しろなにわ)、月影(つきかげ)、江南所無(こうなんしょむ)、柳川枝垂(やながわしだれ)、虎の尾(とらのお)の6種類です。
こちらの梅は虎の尾です。花はまだ先のようです。


こちらも六角形の柵に囲われています。六名木の柳川枝垂です。こちらは少し花が咲いていました。


沢山の方が来られていました。こちらでも少し赤いものが見えていました。
水戸駅近くにある弘道館の中の梅林も同じような開花状況で、そこのボランティアで説明をされている方に見ごろの時期を聞くと、あと10日~15日程度ではないかと言われていました。それからすると3月16、17日ごろと思われますが気温次第だと思います。偕楽園の梅園の最新情報を掲載されている方のブログを見つけました。これで最高の時期が判断できそうです。→ポチッ ポチッ


つぼみばかりではなく咲いていた花も紹介いたします。咲いている梅の花を探せば沢山、見つけられるはずです。




花が満開の木の前では記念写真を撮る方が沢山おられていました。


偕楽園の本来の正式な入口は、こちらの好文亭表門で、敷地の北西側に位置しています。そして表門は松材が多く使用され松煙色(黒色)となっているために「黒門」とも呼ばれています。表門から園内に入り、「一の木戸」と呼ばれる門を潜ると、偕楽園に入ります。表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れていることから、この門から入園する観光客は少ない場所で、現在は梅林へと直接通じる「東門」が主要な出入口として利用されています。


こちらが東門です。確かに最もにぎわっている場所でした。沢山のお店に加えて沢山の屋台が出ていました。偕楽園の広さは13万㎡(4万坪)で約100種3000本のウメ(梅)が植えられており、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで、「日本三名園」の一つに数えられいます。偕楽園は天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。今年は2月20日~3月31日に第117回雌の水戸の梅まつりが行われています。黄色の服の方は市民観光ボランティア「歴史アドバイザー」の方で無料で園内を案内してもらえます。弘道館にもおられて、気楽に質問が出来るので、お世話になりました。


梅林の南西方向は広い開放的な芝生のスペースになっており、松の木が植えられていました。遠くに見える建物は好文亭です。偕楽園は入園無料で、好文亭のみが有料施設ですが190円(大人)で内部に入ることが出来ます。


皆さん芝生のうえに座られてのんびりとされていました。


1999年7月に隣接する千波湖の周りの千波公園などとあわせて名称を「偕楽園公園」となり、面積は合計300万㎡であり、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さで、現在は茨城県の県営公園となっています。好文亭から見た偕楽園公園です。正面に見える湖が千波湖で梅園は、こちらの写真には写っておらず左に広がってます。写真の中で、ひときわ大きな木が有名な「左近の桜」です。
posted by SORI at 10:27| Comment(14) | TrackBack(2) | 水戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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