2013年12月12日

高野山の総門 名前は「大門」

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この建物は高野山の大門と呼ばれています。下の地図のように高野山の町の中の西の端に静かに建っている、名前の通り大きな門です。
町はずれにあることから訪れる人も少なく静かな場所ですが、クリックして拡大してみるとわかるように歴史のある、すばらしい建物でした。五間三戸(柱間が5間で入口が3間)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。高野山は世界遺産に指定されている場所です。その高野山全体に対する門(総門)が、この大門なのです。つまり世界遺産に入っていくにふさわしい門だと言えます。
通常は写真をクリックすると2倍に拡大いたしますが、この上の写真だけは4倍(面積では16倍)に拡大します。是非ともクリックしてみてください。

こちらに来たのは11月30日で、泊まっていた大阪のホテルから日帰りで来ました。ケーブルカーで高野山駅に着いて、そこからバスで東の端(地図の右端)にある奥の院に行き一の橋近くの、お寺で精進料理を食べた後に高野山の町を徒歩で散策しながら縦断して西の端(地図の左端)にある、この大門まで来ました。
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Google地図です。上の地図と比較してみてください。左端の赤色マークが大門です。右端の赤色マークが奥の院です。他の色のマークは別の記事で紹介した寺院です。赤色ラインがお薦めの奥の院の参道です。奥の院から赤色ラインと緑色ラインを歩いて寺院など散策しながら大門まで来ました。まっすぐ歩けば3.9kmの距離ですが寺院に寄りながらなのでもう少し長くなったと思います。新しい記事を掲載した場合はマークを追加いたします。名前を知りたい方はマークをクリックしてみてください。

より大きな地図で 高野山 寺院 を表示
町のはずれまで来ると大きな門が見えてきました。道の左側には、すでに紹介とした南峰堂本舗という名の饅頭屋さんがあります。  
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さらに進み石段に近づくと全景が見えてきました。
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石段を登ったところです。静かな場所でした。
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門の前には大きなたて看板がありました。それには平成27年4月2日~5月21日に高野山開創千二百年・記念大法会が行われることが書かれていました。
高野山の開創当時は現在の地より数百メートル下方の旧道の九十九折谷(「つづらおりだに」あるいは九折谷)に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。その門が現在の門の前身だといわれています。
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現在の位置に移された時期は、永治元年(1141年)ともいわれ、その際、鳥居から門の形式に変更されました。さらに寛喜2年(1230年)には五間二階の楼門に改められたと記録されています。
その後、天正5年(1577年)に焼失しましたが、慶長9年(1640年)、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)によって再建されました。
現在の大門は、元禄元年(1688年)に焼失したことにより、同13年(1700年)5月造営の釿始を行ない、同14年7月大門中柱を建て始め、同16年9月上棟、宝永2年(1705年)8月に至って落慶供養が行われました。
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高野山の文字が印象的でした。実は学生時代には自転車で何度も(6~7回)、ここに登ってきました。山道を登ってきて最初に目にするのが、こちらの大門だったので思い出深い建物なのです。
文政元年(1818年)に屋根、箱棟の修理が行われ、近年においては明治28年(1895年)に屋根の部分修理および二階の縁廻り、一階側柱の根継が行われており、昭和61年(1986年)には、全面解体修理が施されました。この時、白木の状態であった表面を丹塗りとし、昔の状態に戻したそうです。
現在は建設当時の朱色でしたが学生時代は白木の状態で、こげ茶色の門でした。
カラフルな文様が高野山の文字の上に描かれています。その中に魚が2匹います。写真をクリックすると探せると思います。果たしてどの文字の上に泳いでいるでしょうか。
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大門の仁王像(金剛力士立像)は、その大きさからすると、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ、我が国二番目の巨像となるようです。
右の阿形像の像高は 5m46cmあり、左の吽形像は5m58cmあります。
こちらが右の阿形像です。阿形像は、京都の仏師であり高野山大仏師をも名乗った康意が造立したそうです。
冒頭の写真をクリックするとわかると思いますが、両仁王像の前に、お花が立てかけられていたのが印象的です。


こちらが左の吽形像です。吽形像は同じく京都五条の仏師、運長が造立したことが胎内の背位置に留められていた銘札から判明しています。
両像の造立に関わる関連資料が別に伝わっており、それによると、元禄9年(1696年)から10年にかけて、康伝、康意、康敬、運長など、当時の著名仏師による仕様見積書等がそれぞれに提出されていたことがわかりました。当時の仁王像造立過程を知る上で貴重な資料ということから、重要文化財金剛力士立像の付属品として取り扱われることになりました。


大門に掲げられている柱聯(ちゅうれん)です。文字が読み取れないのは写真が、ぶれているのではなくて色が落ちて滲んで読みとれないことは朱塗りの梁りの文様がクリアーなことから判ってもらえると思います。
そこでネットで調べた結果、右側には「不闕日日之影向」、左側は「検知處々之遺跡」と書かれていることが判りました。言われてみれば、そのように読み取れます。
これは「日々影向文」と呼ばれるものの一部で、全文は「卜居於高野樹下 遊神於都卒雲上 不闕日々之影向 検知處々之遺跡」だそうです。その意味は「弘法大師は高野山を入定の地と定め、弥勒の浄土である都卒天の雲の上におりつつ、弘法大師のいわれのある旧跡や遺跡に日々影向する」と解釈されるそうです。


最後に高野山の総門である「大門」の正面からの写真を再度掲載いたします。
日本最大の木造門と言われている右の写真の知恩院の三門よりも高さにおいてはクリックすると拡大上回ることからも、大きさが実感してもらえると思います。形式はいずれも五間三戸・二階二層門です。
          高さ   正面桁行
 知恩院 三門   23.8m  (幅50m)
 東大寺 南大門  25.46m (幅29m)
 高野山 大門   25.1m  21.4m
 南禅寺 三門   21.8m  22.0m
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posted by SORI at 09:30| Comment(34) | TrackBack(3) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月11日

高野まき



高野山と言えば、高野山の名前のついた、この「高野まき」も有名です。11月30日に高野山に行ったときも、写真の「高野まき」がいろんなところで売られていました。この高野槙が昔からお供えされているの知っていましたが、その経緯は知りませんでした。このさいと思い調べてみると、 高野山の「禁忌十則」に、尊厳護持のため、「禁植有利竹木」という決まりがあり、果樹、花樹、竹、漆などを植えることを禁止されたため、花の代用が必要であったそうです。
そのために花でもないのに「高野まき花」と言われているのでしょうか。調べてみると、やはり槙花(まき花)とは「槙の枝」のことでした。

本来ならば生花店なのですが、ご覧のように高野山では生花店は高野槙の専門店です。店名に槙の文字が使われているのが印象的でした。こちらは山本槙店です。
そして冒頭の写真のお店は中槙花店だと思います。そのほかにも宮崎槙花店、五味生花店、大谷生花店がありました。


高野槙の専門店を紫色のマーク( )で表示しました。緑のマーク( )は不思議な本屋さんとか虎屋薬店とか饅頭屋さんとか、今までに記事で紹介した趣のある商店です。マークをクリックするとお店の名前を表示します。
コウヤマキ(高野槙・高野槇、Sciadopitys verticillata)は、マツ目コウヤマキ科の種で日本固有種で、常緑針葉樹で高木となります。別名ホンマキ。コウヤマキ科は1属1種であり、コウヤマキのみです。
庭園に植栽し、材木としても利用されます。世界三大造園木の一つで、木曽五木の一つです。古代には、棺材として最上級とされた。水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船材や橋梁材として重宝されています。和名は、高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来しています。高野山では霊木とされています。

より大きな地図で 高野山 槇店 を表示
お寺の生垣でも、よく見かけました。こちらの西室院(にしむろいん)の高野槙の生垣もすばらしかったです。写真をクリックすると拡大するので是非とも拡大写真を見て欲しいです。西室院の場所はこちらです。→ポチッ
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posted by SORI at 09:27| Comment(22) | TrackBack(0) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月10日

高野山のメインストリート

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奥の院の入口である一の橋口から金剛峯寺のあたりまでの間には沢山の商店とお寺があります。まさに宗教都市のメインストリートと言えます。そこのお寺をいくつか紹介すると雰囲気が伝わると思います。最初は不動院への参道です。

今回の紹介しているあたりの地図を掲載いたします。赤いラインのあった寺院を東から順に紹介していきます。すでに紹介したお土産屋さんなどの商店もこの赤いラインの道路にありました。
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こちらは別格本山の三宝院です。
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ちょっと変わった雰囲気の寺院がありました。成福院の横の寺院です。


こちらが成福院です。


こちらが別格本山の持明院です。


別格本山の大円院です。


大円院の塀が立派なので掲載いたしました。
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こちらが常喜院です。


常喜院には地蔵尊がありました。ちょっと違った雰囲気を感じさせてくれる場所でした。


これが増福院です。
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壇上伽藍に隣接した寺院である勤学院です。
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空色マークが今回紹介した寺院の門あたりの場所を示しています。
黄色マークは精進料理木製ガードレールを紹介したお寺です。

より大きな地図で 高野山 寺院 を表示
posted by SORI at 16:22| Comment(20) | TrackBack(2) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月08日

高野山と言えば精進料理

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高野山に来れば、やっぱり精進料理を体験したいですね。宿坊に泊まれば、もちろん夕食で食べれるのですが、日帰りで来ているので昼食で精進料理を食べることにしました。ネットで調べて写真のお寺に精進料理を12時に予約しました。場所は奥の院の入口の一の橋に近い熊谷寺です。高野山に着いて、最初に奥の院に行き参道を歩いて一の橋まで来ると丁度12時でした。

中に入るとさっそく、長い廊下を案内されました。


そしてこちらの部屋に案内されました。


部屋の前の廊下から写真を撮りたくなります。


部屋の中には人数分のお膳が並べてありました。暖かいものは後から持ってこられました。見ての通り5名で高野山に来たのです。


部屋と廊下を仕切る障子のシルエットがきれいでした。


待っていると暖かいものが並べられました。天ぷらは揚げたてが最後に出てくるのですが、それまで箸を付けずに天婦羅が来てから写真を撮りました。
デザートは季節柄(11月30日)、柿でした。
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さっそく記念撮影です。


ご飯をよそいでももらった上に、お茶まで入れていただきました。


料理を紹介します。これは蒲鉾のように見えるのは麩(ふ)です。この生麩(なまふ)はおいしかったです。高野豆腐と昆布も精進料理の定番ですね。


こちらは、ごま豆腐です。これが精進料理の栄養源になっている気がしました。味は本場の高野山だけのことはありました。
調べてみると高野山の精進料理の一番の特徴は、ごまとうふを使う事だそうです。ごまとうふは昔、弘法大師がある民家に宿泊された際、亭主のもてなしとしてふるまわれたもので、大師は大変感動され、後世まで残すようにと言葉を残されたと言われたそうです。高野山のごまとうふは白ゴマと吉野葛以外使わず、般若心経を唱えながら練るという独特の製法で、滑らかにまるでとろける口当たりは多くの方を虜にし、おみやげに最も喜ばれているそうです。


天ぷらはもちろん野菜天ぷらです。藻塩で食べました。
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煮豆に


酢の物です。
もっと豪華な精進料理もあるのですが昼食であることから今回の質素なコースの昼食プランAにいたしました。
質素な方が、高野山と言う場所のお寺で食べる精進料理らしく、周りの雰囲気にも合っているような気がしたのも今回のコースを選んだ理由でした。
  昼食プランA 3500円
  昼食プランB 4200円
  昼食プランC 5250円~8400円

ネットでの精進料理の説明を紹介いたします。
僧侶は日々の暮らしの中で修行としての食事をします。本来食事は朝の粥・汁・香の物という一汁一菜から始まり、昼の白米・汁・香の物オカズの食事のみです。ただ、それだけでは夕方にお腹が減ってきますので、夕食を摂るのですが、本来夕食は「食事」という概念では捉えず、「薬食(やくじき)」という名前が付き、薬であると考えます。この薬食を肉、魚介類、ニンニクやニラ、タマネギ等の臭いのきつい野菜類を使わず、研究され創意工夫され進化してきたものが現在の精進料理と言われるものです。

暖かいお澄ましはいいですね。高野山では精進料理が何百年も作り続けられてきただけのことはあり、質素ですが美味しい料理であり、高野山の雰囲気を堪能させていただきました。


炊き立てご飯も最高のご馳走でした。
精進料理の「精進」とは次の意味が込められています。
  ・ 一心不乱に努力する事
  ・ 仏教の戒律を守る事
  ・ 仏道の修行に励む事
  ・ 肉食を断って菜食をする事
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posted by SORI at 18:42| Comment(44) | TrackBack(9) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

南峰堂本舗

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今回も高野山の中の老舗の紹介です。
創業123年の虎屋薬局を紹介いたしましたが、こちらは創業83年以上、大正時代の南峰堂本舗(なんぽうどうほんぽ)です。名物は酒饅頭のようです。高野山の町の西の端にある大門の近くにあるお店です。大門のそばにあるため「大門力もち」も有名です。これ以外にもいろんな和菓子を売っているので、この次に行く機会があれば是非とも食べてみます。
 住所 和歌山県伊都郡高野町高野山大門803
 電話 0736-56-2316
 営業 7:30~19:00
 休み 不定休

木の間に見える大きな建築物が大門です。南峰堂本舗は大門のすぐそばにあるのがわかってもらえると思います。
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南峰堂本舗の前から高野山の町の中心の方向(東方向)を見た景色です。沢山の商店が並んでいます。このあたりでは釜飯も名物のようです。
posted by SORI at 12:58| Comment(16) | TrackBack(3) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高野山の商店

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高野山は海抜800mにある人口4042人の宗教都市です。世界遺産に登録された2004年以前は外国人観光客は年間4000~5000人程度だったそうですが2004年以降は徐々に増えてきて2009年は約35,000人になったそうです。「ミシュランガイド」に紹介されたこともあり欧州からの観光客が特に多いそうです。私も今回、高野山を見せてあげたくて3人の外国人と一緒に来たので、外国人観光客に少し貢献したのかもしれません。
日本人も含めた観光客全体の2012年の観光客の数は125.9万人だそうで、当然ですが、お土産屋さんも沢山ありました。新しいお店も景観に配慮した建物になっていました。

こちらは食堂です。名前は南海食堂と読み取れます。食堂の後ろは旅館群のように思われます。住んでいる方が4000人ほどなのにも驚きました。観光客の方が多いときは宗教都市でもあり、観光都市でもありますね。
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お寺が118もありお坊さんも沢山おられるので足袋の需要は沢山あるのでしょうね。懐かしい老舗の福助足袋さんもありました。お店の名前は石橋法衣衣料店です。外人さんを意識したTABIの表示も印象的でした。


このあたりは高野山で生活している方が利用される商店が沢山あるところです。クリックすると拡大するのでわかると思います。
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緑色マークが記事で紹介したお店です。紫色マークは高野槇の専門店です。

より大きな地図で 高野山 商店 を表示
posted by SORI at 11:56| Comment(6) | TrackBack(3) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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