2013年12月20日

高野山の抜け道

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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高野山では奥の院までバスで行き、そこから歩いていろんな寺などを31ほど回って最後に女人堂まで来ましたが、もらった地図で山越えの小さな道を見つけたのでそこを通ることにいたしました。その抜け道の入口が上の写真です。左の建物が親王院で右の建物が総持院です。この入口、なんとなくワクワクさせてくれる雰囲気でした。ストリートビューでも見ることが出来ます。→ポチッ

その抜け道がオレンジ色(橙色)のラインです。点が無い青色マークが本記事で紹介している寺院などです。抜け道から主道路に出た後は紫色のラインを歩いて女人堂まで行きました。

より大きな地図で 高野山 抜け道 を表示
抜け道に入って入口の方を振り返った写真です。つまり右の建物が親王院で左の建物が総持院です。ストリートビューでは総持院の内部にまで入ることが出来ます。→ポチッ
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クリックすると拡大道が細くなり「國寶 地蔵尊 納経所 成蓮院」と書かれた石碑がありました。地図の中で成蓮院と書かれている場所です。改装中でした。
右の写真は石碑の左側の面を横方向だけ拡大いたしました。石碑の左の面には女人堂の文字が読み取れることから道しるべにもなっていたと考えられることから、昔は主要な道だったのかもしれません。クリックすると石碑の文字が読めると思います。
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細い道となってきました。本当に正しい道なのか心配になってきました。
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さらに進むと山道になってきました。山越えです。
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クリックするとGoogle登録写真山を越えると民家の中を進む道に出ました。この抜け道を通らなければ金剛峯寺の東側の道を通る必要があるので、かなり近道になったようです。
趣のある山道や民家の間の散策路も体験することが出来ました。地元の人だけが知ってる抜け道だと思います。地図のおかげで探検気分にさせてもらいました。
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抜け道から主道路に出ると正面に立派な寺がありました。ここは別格本山の南院です。南院の裏には徳川家康の霊屋があります。上の地図の マークのところです。
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南院の本堂です。本尊の浪切不動明王(重文)は、空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承があるそうで、山外不出の秘仏だそうです。
IMGクリックすると拡大

クリックすると拡大本堂の西隣にお趣のある門がありました。
門の奥には仏舎利塔がありました。この仏舎利塔はスリランカのジャワルダナヤ大統領から贈られた仏舎利を奉納する為のものだそうです。
仏舎利はスリランカ出身のシロガマ・ヴィマーラ大僧正が南院で修行をした縁により送られたそうです。仏舎利塔には、お釈迦様と弥勒菩薩とお大師様が祀られているそうです。
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南院の隣は西宝院で高野槇の記事ですでに紹介しています。
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西宝院と道を挟んで趣のある塔が建っていました。名前は金輪塔です。
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金輪塔を別の角度から撮った写真です。
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枯山水の庭を紹介した蓮華定院の前に巴陵院がありました。女人堂に一番近い宿坊になります。朝の護摩焚きを体験できるようです。
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巴陵院の前は蓮華定院の長い土塀が続いています。すでに紹介した大門は高野山の入口ですが、この道の先にある女人堂も、もう一つの高野山の入口です。右の写真の4人と私の5名で高野山を訪れました。女人堂まで歩いて行きバスでケーブルカー乗場まで行きました。これで高野山の記事の掲載は一応終了いたします。
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蓮華定院の長い土塀の脇の坂道を上り詰めると高野山の入口であることを示す「高野山」と書かれた見事な石碑がありました。今回の記事が高野山の最後の記事です。今までに掲載した高野山の記事を紹介いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大タイトルをクリックすると記事を表示します。興味のある記事を見てください。
 高野山の抜け道
 総本山と大本山
クリックすると拡大クリックすると拡大 お寺散策
 枯山水
 壇上伽藍
 高野山真言宗・総本山 金剛峯寺
クリックすると拡大クリックすると4倍に拡大 高野山の総門 名前は「大門」
 高野まき
 高野山のメインストリート
 高野山と言えば精進料理
クリックすると拡大クリックすると拡大 南峰堂本舗
 高野山の商店
 ちょっとした4つの配慮
 本屋さん
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 奥の院
 高野山の入口 女人堂
 高野山のケーブルカー
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Google航空写真に記事にした寺院と商店などにマークを付けました。
上側の航空写真が寺院で下側の航空写真が商店です。左端の赤色マークが大門です。右端の赤色マークが奥の院です。
赤色ライン→緑色ライン→青色ライン→橙色ライン→紫色ラインと歩き、31の寺を紹介いたしました。名前を知りたい方はマークをクリックしてみてください。



より大きな地図で高野山の 寺院商店 を表示
ラベル:高野山 寺院 同僚
posted by SORI at 20:41| Comment(20) | TrackBack(2) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

総本山と大本山

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2015年(平成27年)には高野山は開創1200年を迎えます。その高野山に来て高野山の総門である大門の次に訪れたのが、お寺散策と言う記事で、すこし紹介した寳壽院です。
高野山真言宗・総本山は、すでに紹介した金剛峯寺ですが、高野山真言宗・大本山と呼ばれている寺院があることを偶然知りました。それが、この寳壽院(ほうじゅいん)なのです。不思議なことに地図に寳壽院が書かれていませんでした。不思議に思って門に書いてあった寳壽院で検索した結果、大本山があることを知りました。

寳壽院は、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の建物を模して作られているそうです。これは金剛峯寺が災害などで、使えなくなった場合に復旧するまでの間、寳壽院に高野山真言宗の総本山を置くことになっているためだそうです。これは高野山真言宗の宗務が、一日たりとも滞(とどこお)らないようにするなどの理由があると書かれていました。院内には、高野山真言宗僧侶の育成を目的とする高野山専修学院(こうやさんせんしゅうがくいん)を置かれています。寳壽院は、もとは無量壽院と称されていた。無量壽院は、1016年(長和5年)に深覚僧正が開基となり創建されたそうです。
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1839年(天保10年)に本堂は焼失してからは再建されませんでしたが、1970年(昭和45年)には本堂が新築されました。
1973年(昭和48年)に大本山に昇格したそうです。
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本堂は右の写真の金剛峯寺ほどではありませんが、大本山だけクリックすると拡大のことはありました。全国に3554寺ある高野山真言宗の2番目の格式である大本山なのです。大本山の主殿(下)の形は総本山の主殿(右)の形に非常に似ていました。
高野山には118の寺院があります。格式順に言うと次の通りです。数値は高野山の各格式の寺の数です。
  総本山    1 金剛峯寺
  大本山    1 寳壽院
  遺跡本山   0 (京都:神護寺 大阪:観心寺)
  別格本山  27 総持院 親王院 龍光院 明王院 宝城院 西禅院 正智院など
  準別格本山  2 無量光院 大楽院
  別院     0 (全国に9寺+海外3寺)
  一般寺院  87 熊谷寺など
  合計    118 全国合計=3554寺
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posted by SORI at 05:46| Comment(12) | TrackBack(2) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

お寺散策



高野山には118のお寺があり、道を歩くだけでも趣のある景観に出会えます。その道の景観で一番気に入ったのが今回紹介する金剛峰寺の西側の通りです。上の写真は総持院のあたりから西の通りを撮ったものです。
手前から総持院、親王院、龍光院です。趣のある風景なのは、この通りは商店はなく、人通りも少なく、お寺だけが立ち並んでいるのも影響していると思います。でも、この通りに格調高い雰囲気があるのには、それ以外の理由があるような気がしました。

場所を地図で紹介すると緑の楕円で囲ったあたりです。西から順番に紹介いたします。


クリックすると拡大Google地図でも場所を紹介します。今回紹介の寺の門の位置あたりに青色マークを配置いたしました。マークをクリックすると写真を表示します。大門から右の写真の深山隧道( )を通って青色ラインの道で、こちらのエリアに来ました。

より大きな地図で 高野山 寺院 を表示
これがこの通りの一番西の奥にある寳壽院(ほうじゅいん)です。このお寺は地図には載っていなかったので書き込ませていただきました。このお寺はちょっと、いわくのあるお寺なので後日、詳しく紹介いたします。
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正智院です。こちらのお寺は高野山の中でも格式の高い別格本山です。右の石柱には別格本山・正智院と書かれており、左の石柱には準別格本山・大楽院と書かれていました。


宝城院のあたりから東の方向を撮った写真です。宝城院も別格本山です。


となりの西禅院も別格本山です。この写真はクリックすると拡大します。
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こちらの道の奥にあるのが明王院です。こちらの明王院も別格本山でした。


こちらが龍光院です。龍光院も別格本山でした。


こちらが親王院で、こちらも別格本山でした。枯山水の庭を紹介した寺院です。
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こちらが、この通りの一番東にある総持院です。こちらも別格本山でした。
高野山には118の寺院があります。格式順に言うと次の通りです。驚いたことに、この通り沿いにある7つ寺院は、すべて格式の高い別格本山だったのです。そのことがこの通りが別の場所とは違う雰囲気の理由だったのだとネットで調べてわかりました。

  総本山    1 金剛峰寺

  大本山    1 寳壽院

  別格本山 27 総持院 親王院 龍光院 明王院 宝城院 西禅院 正智院など

  一般寺院 89 熊谷寺など



別格本山の27寺を紹介いたします。
下の地図はクリックすると拡大するので別格本山を、いくつか見つけることが出来ると思います。バス停の奥の院前から緑のラインを歩いて女人堂まで散策しました。
  宝亀院、桜池院、天徳院、正智院宝城院西禅院明王院龍光院親王院

  総持院、西室院、南院、金剛三昧院、龍泉院、光台院、福智院、本覚院、

  本王院、普門院、一乗院、普賢院、西門院、大円院、持明院、多聞院、三宝院、

  遍照光院、清浄心院、円通律寺

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さちこさんのちらっと高野山をみてきました・・・にトラックバックしています。
posted by SORI at 22:24| Comment(16) | TrackBack(2) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

枯山水

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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11月30日に高野山に行ったことは、すでにいくつかの記事で紹介しております。一番東にある奥の院までバスで行き、後は歩いた高野山を散策いたしました。
奥の院からは参道を歩いて一の橋の近くで精進料理を食べました。そこから高野山の西の端に当たる大門までお寺を中心に歩いて行き、その後も女人堂も歩いて沢山のお寺を散策いたしました。
お寺にはいろんな庭がありました。枯山水(かれさんすい)と呼ばれる水のない砂の文様のお庭もありました。その中から二つのお寺の庭を紹介いたします。

一つ目が真言宗総本山である金剛峰寺の少し西にある親王院です。上の地図で見ると場所がわかると思います。この門をくぐると枯山水の庭が広がっていました。


門をくぐると枯山水の庭が広がっていました。丁寧に手入れされていました。枯山水は水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式です。例えば白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水です。石の表面の紋様で水の流れを表現することもあるそうです。
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同じ庭ですが少し遠目からの写真です。建物がよくわかると思います。ちょっと気になるのが梯子です。どのお寺にも同じように、梯子がかけられていました。これから雪が多くなってくるので雪下ろしのためでしょうか。
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こちらは女人堂の近くにあった蓮華定院です。この門をくぐると枯山水が左右に広がっていました。
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これが蓮華定院の枯山水のお庭です。模様のつけ方が面白かったです。
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こちらの蓮華定院は、幾何学的な枯山水の文様が印象的でした。
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蓮華定院は比較的、大きなお寺で塀の文様も趣がありました。高野山の沢山のお寺は奥の院と金剛峰寺以外は宿坊をやっているのです。上の地図の赤い「宿」のマークが宿坊のマークなのです。今回、紹介の2つのお寺も宿坊をやっていました。


場所を紹介します。緑色マーク( )の寺院に枯山水の庭がありました。


より大きな地図で 高野山の枯山水の寺院 を表示
posted by SORI at 12:26| Comment(26) | TrackBack(4) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

壇上伽藍


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高野山の真言宗総本山の金剛峯寺の近くに壇上伽藍(だんじょうがらん)という場所があり、そこには15以上の建物がありました。ここは総本山金剛峯寺が管理しており、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建ですが真言密教の道場としての高野山の中核となる部分でもあります。
その壇上伽藍の中のいくつかの建物を紹介いたします。上の写真は敷地の中にある蓮池です。池の中島に善女龍王を祀る祠があります。

こちらの建物は蓮池の横を上に上がっていたっ場所に建っていました。この建物は大会堂で、安元元年(1175年)に鳥羽法皇御追善のため、その皇女であった五辻斎院頌子内親王の御願で建立されたものです。
もとは奥之院に近い東別所上乗院内にあったものですが、まもなく西行法師が内親王と相談の上、長日談義の学堂としてこの地へ移築されたそうです。最初は蓮華乗院と呼ばれていたそうですが江戸期より伽藍において行われる一山の法要の際、ここが威儀を正す場となったことから大会堂」と呼ばれるようになったそうです。


これらは東塔と三味堂です。東塔は白河上皇の御願によって大治2年(1127年)に建立されたものですが、焼失再建を繰り返して、現在の建物は昭和59年(1984年)に残されていた図面を参考に再建されたものです。
三味堂は伽藍の中では、もっとも小さい堂で金剛界大日如来を本尊としています。1166年~1169年の間に延長6年(928年)に建立の堂を移築、理趣三昧を修したところから三昧堂と呼ばれるようになったそうです。
現在の建物は文化13年(1816)に再建されたものだそうです。
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この不動堂は建久9年(1198年)に鳥羽院皇女八条女院の御願により行勝上人が創建された一心院の本堂であったと伝えられています。現在の建物は鎌倉時代後期の再建と考えられています。この不動堂は国宝です。
本尊の不動明王坐像は平安時代後期の作で重要文化財、その脇侍である八大童子立像は運慶作で国宝に指定されています。(現在は霊宝館に収蔵)
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これは金堂です。この金堂は高野山一山の総本堂で、弘仁10年(819年)建立の伽藍諸堂のうちで最初に建設に着手されたそうです。もとは講堂、御願堂などと呼ばれていたそうです。金堂も幾度となく焼失しており、現在の建物は昭和9年(1934)に再建されたものだそうです。
後ろの真赤な塔は根本大塔で幾度となく落雷に合い消失の憂き目をみて、現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたものだそうです。高さ48.5m、四方各25mの大きな塔です。
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Googleの航空写真で壇上伽藍を紹介します。

posted by SORI at 04:52| Comment(14) | TrackBack(0) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

高野山真言宗・総本山 金剛峯寺

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高野山真言宗総本山が金剛峯寺(こんごうぶじ)です。
高野山に何度も来ているのですが、今までに金剛峯寺に2度しか来ていません。子供のころに祖母祖父と来た時と高校の遠足のときだけです。奥の院は必ず行ったのに自分でも不思議に思っていますが、ほとんどが自転車で来たので走る方が主体だったせいだと思います。今回(11月30日)は、じっくりと見ることが出来てよかったです。

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、現在は118寺の寺院が密集する宗教都市です。
中国で行ったことのある九華山も同じような宗教都市でした。中国ではいくつかあるようですが、日本では宗教都市と言えるのは高野山だけではないでしょうか。
真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が京都の東寺とともに、宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めています。2004年には高野山やかつての表参道である高野山町石道(こうやさんちょういしみち)などが、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録され観光客の人も沢山訪れています。
現在は金剛峯寺という寺号は1つの寺院の名称になっていますが、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であったそうです。

見ての通り総本山としての威厳のある門構えでした。高野山の中だけで高野山真言宗は118の寺がありますが、全国では3554の高野山真言宗の寺があるそうです。さすが総本山です。寺院の格付けは順に総本山→大本山→遺跡本山→別格本山→準別格本山→別院→一般寺院、だそうです。
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門の裏側です。名前の書かれたお札が沢山張られていました。これも、なかなか趣がありました。このお札は千社札(せんじゃふだ)と言うそうです。神社や仏閣に参拝をした記念として貼るものだそうですが長い年月が経過して紙の空白部分が腐食すると墨の印刷された部分のみが残り、これを「抜け」と言うそうです。この写真の千社札はほとんどが「抜け」の状態のようです。千社札に使われる文字の書体は江戸文字の「籠文字」が用いられるそうです。最近では見苦しくなるような迷惑行為になることもあるので貼る人は寺側の思いに配慮がいるようです。
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こちらが金剛峯寺の主殿です。全体を一枚の写真で撮りきれない大きさですが、目いっぱい後ろに下がって撮ったのが、この写真です。
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主殿は壮大な建物だけではなく美しい建物でもありました。
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屋根のカーブが見事でした。
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別の角度からも紹介します。
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入口の高い石垣にある鐘楼は六時の鐘(ろくじのかね)です。この鐘楼は豊臣家きっての勇将であった福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立しました。寛永7年(1640年)に、正則の子である正利によって再鋳されましたが、その鐘銘が、かなまじり文であることで有名です。現在でも午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせています。
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入口で清めを行う手水舎(てみずやorちょうずや)です。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれています。


神戸市東灘区の岡本の家に住んでいた1962年頃(1961~1963年)に父方の祖母と祖父と祖母の妹さんが神戸の家を訪ねて来た時に高野山に行きました。その時の金剛峰寺での記念写真です。冒頭の写真の場所で撮りました。
祖父が左端です。祖母は真中で祖母の妹さんが右端です。祖父と祖母の間に立っているのが私の母です。2013年12月24日~28日に宝塚の実家に行くので、この記事を母に見せるつもりです。


その時の金剛峰寺の主殿の写真です。この時は冬の時期でした。


奥の院は、かなりの雪でした。左が祖母祖父で右が奥の院の参道を歩く祖父です。この時は白浜にも行きました。
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この時、奥の院では武田信玄の墓の写真(左)を撮っていました。右が今回、撮った武田信玄の墓です。両方ともにクリックすると拡大するので興味のある方はクリックして比較してみてください。
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航空写真でも金剛峯寺(金剛峰寺)を紹介いたします。

より大きな地図で 金剛峰寺 を表示
posted by SORI at 12:22| Comment(22) | TrackBack(2) | 高野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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