写真の上のカーソルが
の場合はクリックすると拡大します。


高野山では奥の院までバスで行き、そこから歩いていろんな寺などを31ほど回って最後に女人堂まで来ましたが、もらった地図で山越えの小さな道を見つけたのでそこを通ることにいたしました。その抜け道の入口が上の写真です。左の建物が親王院で右の建物が総持院です。この入口、なんとなくワクワクさせてくれる雰囲気でした。ストリートビューでも見ることが出来ます。→ポチッ
その抜け道がオレンジ色(橙色)のラインです。点が無い青色マークが本記事で紹介している寺院などです。抜け道から主道路に出た後は紫色のラインを歩いて女人堂まで行きました。
より大きな地図で 高野山 抜け道 を表示
抜け道に入って入口の方を振り返った写真です。つまり右の建物が親王院で左の建物が総持院です。ストリートビューでは総持院の内部にまで入ることが出来ます。→ポチッ

右の写真は石碑の左側の面を横方向だけ拡大いたしました。石碑の左の面には女人堂の文字が読み取れることから道しるべにもなっていたと考えられることから、昔は主要な道だったのかもしれません。クリックすると石碑の文字が読めると思います。

細い道となってきました。本当に正しい道なのか心配になってきました。

さらに進むと山道になってきました。山越えです。


趣のある山道や民家の間の散策路も体験することが出来ました。地元の人だけが知ってる抜け道だと思います。地図のおかげで探検気分にさせてもらいました。

抜け道から主道路に出ると正面に立派な寺がありました。ここは別格本山の南院です。南院の裏には徳川家康の霊屋があります。上の地図の


南院の本堂です。本尊の浪切不動明王(重文)は、空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承があるそうで、山外不出の秘仏だそうです。


門の奥には仏舎利塔がありました。この仏舎利塔はスリランカのジャワルダナヤ大統領から贈られた仏舎利を奉納する為のものだそうです。
仏舎利はスリランカ出身のシロガマ・ヴィマーラ大僧正が南院で修行をした縁により送られたそうです。仏舎利塔には、お釈迦様と弥勒菩薩とお大師様が祀られているそうです。

南院の隣は西宝院で高野槇の記事ですでに紹介しています。

西宝院と道を挟んで趣のある塔が建っていました。名前は金輪塔です。

金輪塔を別の角度から撮った写真です。

枯山水の庭を紹介した蓮華定院の前に巴陵院がありました。女人堂に一番近い宿坊になります。朝の護摩焚きを体験できるようです。



蓮華定院の長い土塀の脇の坂道を上り詰めると高野山の入口であることを示す「高野山」と書かれた見事な石碑がありました。今回の記事が高野山の最後の記事です。今までに掲載した高野山の記事を紹介いたします。


高野山の抜け道
総本山と大本山


枯山水
壇上伽藍
高野山真言宗・総本山 金剛峯寺


高野まき
高野山のメインストリート
高野山と言えば精進料理


高野山の商店
ちょっとした4つの配慮
本屋さん


奥の院
高野山の入口 女人堂
高野山のケーブルカー

Google航空写真に記事にした寺院と商店などにマークを付けました。
上側の航空写真が寺院で下側の航空写真が商店です。左端の赤色マークが大門です。右端の赤色マークが奥の院です。
赤色ライン→緑色ライン→青色ライン→橙色ライン→紫色ラインと歩き、31の寺を紹介いたしました。名前を知りたい方はマークをクリックしてみてください。
