2013年07月18日

湖畔のレストランでウクライナ料理

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この日はカザフスタンのアルマトイ(アルマティー Almaty)からキエフにウクライナの航空会社であるアエロスヴィット航空で6時間25分のフライトでウクライナの首都キエフに着きました。本来は町で昼食をとることにしていたのですが、カザフスタンから飛行機が遅れていることもあり空港で昼食をとった後、すぐにウクライナの国内線でドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町に着きました。
ウクライナに着いたらやっぱりウクライナ料理です。さっそく夕食は湖畔にある素敵なウクライナ料理のレストランに行きました。上の写真がレストランからの景色です。

オープンな雰囲気のレストランでした。ここでいろんな肉を焼いて出してくれました。


レストランからの別の角度の景色です。


こちらがレストランの入口の門です。これがレストラン? ワイルドナ雰囲気の入口に驚きましたが中に入って納得でした。


レストランの中ではプライベートなパーティーも行われており、そのパーティーも素敵な景色になっていました。
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レストランは広大な敷地の中に個室が建てられている形式でした。この建物で食事を楽しみました。


個室の中のテーブルです。遠くからは個室は小さいように見えましたが実際に席に着くと結構広いテーブルでした。


分厚い皮張りのメニューにはPECYOPAHの文字とXymipの文字が読み取れます。一つがお店の名前でしょうか。もう一つがメニューの意味かもしれません。


さっそくビールです。民族衣装の方が持ってきてくれます。


ここから料理の紹介です。と言っても料理の名前は判りません。こちらはいろんなピクルス(日本流で言えば漬物)の盛り合わせです。ハーブも一緒に食べました。


これがウクライナの名物です。塩付けや燻製など5~6種類のいろんな肉が、出されました。カザフスタンと違い豚肉が自由に食べれるので豚肉も入っています。特に有名なのが豚の脂身の塩漬けサーロ(ウクライナ語:Сало 英語:Salo)です。サーロはボルシチやヴァレーヌィクと並んで、ウクライナの代表的な伝統料理とされています。


上の写真からサーロの部分を拡大しました。これが本場のサーロです。
サーロは、高カロリーの脂肪源として古来より重視されたそうです。農家や、戦争に出かけるウクライナ・コサックはいつもサーロを保存食として持参していたといわれています。18世紀初めのヘーチマン国家における忠心隊の1 日分の糧食にはサーロの割合が30.8 %を占めており、ウクライナの食文化におけるサーロの重要度を物語っているるそうです。ウクライナ人によるサーロへのこだわりは、東欧諸国においてしばしば笑いのネタにされており、ウクライナ人を「サーロ食い」と呼ぶこともあるそうです。
ウクライナ人の食生活では、以前はサーロはパンとならぶ主食の一つでしたが、生活様式の変化と、現代の人々の間に広まった低カロリー志向から、前菜的な役割のみ担うようになったそうです。


ウクライナ料理は自然な農村の中で食べるコンセプトのようです。以前ロシアでウクライナ料理を食べた時はレストランの中に農家を作って実際の動物や農夫がその中に居ました。
こちらではまさに自然の中にレストランを作ったのだと感じました。出てくるものも自然なものでした。生野菜がドーンと出てきました。


いかにもウクライナ人という雰囲気の方が民族衣装で沢山の料理を持ってきてくれました。


これがニシンの塩漬けです。ほとんど刺身状態と言えるほど新鮮でした。ニンニクやハーブと一緒に食べました。


写真を撮る前に2個食べられてしまいました。これもウクライナの独特の料理だと思います。なぜならばウクライナ独特の料理を選んで欲しいと頼んだからです。


ウクライナと言えばウオッカです。これは生姜を原料にして作ったウオッカです。初めて見ました。単にウオッカに生姜を入れたものではなく珍しいものだそうです。透明な普通のウオッカより飲みやすい気がしました。


ジャガイモ料理です。単に揚げたものですが味付けが良かったです。


春巻きのような料理でした。卵で巻いた物を揚げた料理でしょうか。


いよいよメインの登場です。最初に紹介した湖畔で肉を焼き始めました。


テーブルに出されてきました。やはり一番高級な牛肉だと思います。沢山出てきました。


カザフスタンでは肉はカリカリに焼きましたがウクライナでは多少ミディアム的な焼具合でした。タレは必要なく調理の時の塩と胡椒だけの味付けですが肉に含まれる脂の味だけて美味しくいただけました。クリックすると拡大します。
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レストランの位置を探し当てました。フォークとナイフのマークの位置がこのレストランです。地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。もっとアイコンをクリックすると、この町ドニプロペトロウシクの位置もわかると思います。
 店名 Xytıp Restorant

より大きな地図で Dnepropetrovskのレストラン を表示
posted by SORI at 03:15| Comment(34) | TrackBack(4) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

チェルノブイリ原子力発電所の場所

福島第一原発の事故(2011年03月11日)から5ケ月目(8月27日)の報道で、事故で放出されたセシウム137が広島に投下された原子爆弾の168倍にあたるとのショッキングなニュースが流れました。そんなに多かったのかと改めて感じてしまいます。最近の最新情報はまだ調べていませんが、その時のニュースの内容は下記の枠内です。
保安院の試算によりますと、福島第一原発の事故で1号機・2号機・3号機から、これまでに放出されたセシウム137の量はあわせて1万5000テラベクレルに上ります。これは、1945年に広島に投下された原子爆弾の168倍にあたる量だということです。セシウム137は半減期がおよそ30年と長く、長期間の影響が心配されます。

原子爆弾と原発事故では、放射性物質の放出の状況は大きく違い、保安院は「単純に比較することは合理的ではない」としていますが、事故で放出された量が膨大であることが改めて示されました。(27日02:26)
2013年3月時点で福島第一原発から放出されたセシウム137総量はチェルノブイリ原子力発電所事故の4倍、広島原爆の約4023個分であると発表されました。
今、ウクライナの記事をいくつか書いています。→ポチッ
ウクライナと原発と言えば27年前に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を思い出しますが、チェルノブイリ原子力発電所がウクライナに行っている間もはっきりしした場所のイメージがなかったために思い出す意味もあり場所を検索してみました。
左側のマークがチェルノブイリ原子力発電所です。事故が発生したのは4号炉(1883年竣工)ですが、2000年11月まで3号炉(1881年竣工)は運転をしていたそうです。ちなみに2号炉(1878年竣工)は1991年10月の火災をきっかけに停止し、1号炉(1877年竣工)は1996年11月まで運転していました。


ソ連崩壊に伴い1991年8月24日に独立したウクライナが事故処理を引き継いだそうです。放射能汚染はチェルノブイリ原子力発電所の北側が深刻な被害を受けたためにベラルーシの被害が文献などに多く取り上げられています。


ウクライナの首都キエフから直線で110kmですが風向き関係で放射能の影響は少なかったと記憶しています。


下の航空写真がチェルノブイリ地区です。チェルノブイリの町はこの航空写真より少し南にあります。大気に漏れた放射性物質(ヨウ素131とセシウム137の合計)と広島原爆を比較すると次の通りです。
  福島       37京ベクレルor 63京ベクレル
           セシウム137 広島の 168倍(2011年8月発表)
                  広島の4023倍(2013年3月発表)
           事故評価 レベル7
  チェルノブイリ  520京ベクレル
           合計放射能  広島の 400倍
           事故評価 レベル7
                         京=10000兆
福島原発からの放射能汚染はチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染の数分の一から10分の一程度ですが、あのチェルノブイリと福島が同レベルになってきたことに驚いています。ただしチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染でも20世紀中頃に行われた沢山の大気圏内核実験による合計汚染と比べた場合は、100分の1から1,000分の1に過ぎないそうです。


これがチェルノブイリ原子力発電所です。航空写真で見る限りは立派な発電所だったようです。ここで1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)に事故が発生いたしました。


Google地図も掲載します。アイコンをクリックして拡大および縮小が出来るのでいろいろと活用できます。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示
マークの位置が4号炉だと思います。下の写真の煙突がクリヤーに写っています。


これがネットから転用させていただいた地上から見た4号炉の写真です。煙突の奥が3号炉だと思います。
事故の初期にソ連当局が行った応急措置は次の通りです。
 ホウ素を混入させた砂5000tをヘリコプターで4号炉に投下
 水蒸気爆発を防ぐため下部水槽(高濃度汚染水)の排水
 減速材として炉心内へ鉛の大量投入
 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる
クリックすると拡大

ネット上で掲載されていた三次元CGの画像です。向こう側の煙突の前後にあるのが2号炉と1号炉で手前の煙突の前後にあるのが4号炉と3号炉と思われます。
クリックすると別角度

チェルノブイリ原子力発電所の事故による放射能汚染の状況を紹介しておきます。この画像はセシウム137の汚染状況を説明したものです。画像をクリックすると各文字が読める画像が表示されます。距離の感覚がわからないと思いますが原子力発電所とキエフ(KIEV)は直線距離で110kmなので汚染は数百kmに、およぶことがわかってもらえると思います。
クリックすると拡大

ついでなので1979年3月28日にレベレ5の事故を起こしたアメリカ合衆国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の場所も掲載いたします。写真の中のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示
posted by SORI at 21:27| Comment(6) | TrackBack(1) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

ウクライナの郵便ポストは国旗色



クリックすると拡大これがウクライナの郵便ポストです。色は黄色(イエロー)です。投入口や文字は青色(ブルー)です。イエローとブルートと言えばウクライナの国旗(右)ではありませんか。

これがウクライナの郵便局のマークだと思います。


ウクライナ語は判りませんが月曜日から金曜日は16時に郵便を集めに来ると言う意味ではないでしょうか。土曜日と日曜日は休みなのでしょう。


下の郵便ポストはウクライナの首都キエフで見つけた郵便ポストです。冒頭のポストはドニプロペトロウシクの町で撮った写真です。その時は「ウクライナのポストは黄色なのだ、確かバチカン市国とドイツのポストが黄色だったな。」と!
そしてタイトルは「ウクライナのポストは黄色」で掲載するつもりでした。
キエフのポストを見てポールがブルーだったことと、クリックすると拡大ブルーの色が国旗のブルーの色に近いことで、ウクライナのポストが国旗色だと気がついたわけです。
ウクライナの人は国旗の色を大切にしているようです。カザフスタンからウクライナに来る時に利用したウクライナの航空会社の飛行機はまさにウクライナ国旗色でした。→ポチッ
posted by SORI at 07:51| Comment(22) | TrackBack(1) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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