2025年02月26日

カザフスタンの国内線 窓の景色 と 機内の様子

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。今回はカザフスタンの国内線の飛行機からの景色を紹介したいと思います。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

カザフスタンの航空会社であるエア・アスタナでソウルからアルマトイ(アルマティー)に着いた翌日は同じ航空会社であるエア・アスタナの国内線に乗りました。上の写真がその飛行機に乗る前に撮ったものです。国内線と言っても2時間50分のフライトでした。時差もアルマテイから1時間ある場所でした。カザフスタンの広さを感じてしまいました。アルマトイとアクトベは往復いたしました。

機内の様子や機内食に関しては後半で紹介いたしましたが、先ずは窓の外の景色を紹介いたします。アルマトイからアクトベまでは中央席の通路側だったために帰り窓側にいたしました。表示が小さいので航空写真上のアイコンプラスをクリックすると拡大します。左の船のマーマはかって中央アジアで最大であったアラル海で右の船のマークが現在中央アジア最大のバルハシ湖です。
緑色マークのアクトベから黄色マークのアルマトイまでの景色を紹介いたします。飛行機は直線的に飛んでいたのでオレンジのラインを飛んだと思います。
   アクトベ空港
   アルマトイ空港
    塩の湖が沢山あった場所

より大きな地図で アルマトイ⇔アクトベ を表示
アクトベを飛び立ってすぐの景色です。この町がアクトベです。この後、すぐに道も木もない世界になりました。こちらの写真はクリックすると拡大するように設定したいます。
クリックすると拡大

ソウルからアルマトイのフライトゴビ砂漠の景色を紹介しましたが、似たような景色でした。ゴビ砂漠では砂漠の中の湖が印象的でしたが、ここでは同じように白い湖らしいものが点在していました。7月なので湖が凍っている訳ではなさそうでした。


これは上の写真を拡大したものですが、どうやら白い湖のように見えたのは塩のようでした。長い間に水が流れ込んで蒸発を繰り返しているのだと思います。季節によっては塩水湖で今の季節は干上がって塩の湖になっているのではないでしょうか。


大きな塩の湖が沢山ありました。このあたりの砂漠はキジルクム砂漠(英語:Kyzyl kum)と呼ばれており、カザフスタン、ウズベキスタンとトルクメニスタンの一部にかけて広がっています。正確にはこのあたりより南にキジルクム砂漠が広がっているようです。キジルクムはテュルク諸語で「赤い砂」を意味するそうです。面積は約29万8000 km²で、北東にシルダリヤ川、南西にアムダリヤ川が流れています。金や天然ガスといった資源が眠り、川やオアシス周辺では農業がおこなわれているそうです。


同様に拡大いたしました。クリックするとさらに拡大写真掲載いたします。拡大写真を見てもらうとわかるように潮の中に水が残っているところも見受けられます。塩が飽和状態の塩水だと思います。
クリックすると拡大

2時間近くこのような景色が続きました。


Googleの航空写真でも沢山の塩の湖が確認でしました。飛行コース全体にこのような塩の湖が点在していました。こちらも表示が小さいので航空写真上のアイコンプラスを3回クリックすると丁度良い表示になります。


そのうちに中央アジア最大のバルハシ湖が見えてきました。この湖が見えるとアルマトイも、もうすぐです。


バルハシ湖は長さ605kmあるため飛行機の上から見ても、ほんの一部だけしか見ることが出来ませんでした。
昔はカザフスタンとウズベキスタンの国境にあったアラル海が中央アジアで最大の湖でしたが、綿花栽培のための灌漑事業により流れ込む水量が減ったためにアラル海は縮小・分裂したためにバルハシ湖(カザフ語: Balqash Köli、ロシア語: Озеро Балхаш)が中央アジア最大の湖となりました。もちろんカスピ海が圧倒的に大きいけれどもカスピ海は中央アジアの湖には含まれません。湖の西半分は淡水で東半分は塩湖という珍しい湖でもあります。

面積は16,996km²でアジアではバイカル湖に次ぎ2位、世界では14位です。長さ605km、最大幅74km、標高342m、貯水量122km³、平均水深5.8m、最大水深25.6mで、流れ込む川はイリ川などがあります。流れ出す川はなく、内陸湖です。11月~4月中旬の間は氷結するそうです。周辺にはバルハシ、サルイシャガン、レプスイなどの町があります。
近年では流入量の減少、水質汚染が危惧されているそうです。写真の水の色が異常に緑色なのは水質汚染によるもので銅精錬所の廃水の影響が大きいと聞きました。こちらも表示が小さいので航空写真上のアイコンプラスを1回クリックすると丁度良い表示になります

より大きな地図で アルマトイ⇔アクトベ 飛行ルート を表示
目的地のアルマトイの町に近づいて、やっと人家や道を見ることが出来ました。飛行機で飛んで2時間近くも人家も道もない世界でした。塩の湖に塩を取りに行こうと思っても命がけになると思います。
クリックすると拡大

アルマトイの町です。町の奥は6000m級の山が連なっています。もっと町の近くで写真を撮りたかったけれども電子機器の電源はここで切らなくてはなりませんでした。



それでは上で予告した通り飛行機の機内を紹介します。先ずは行きのアルマトイ→アクトベです。
さすがカザフスタンです。飛び立つ前の飲み物としていつもの水とオレンジジュースとシャンペン以外にヨーグルト系の飲み物も選択できました。料理はいくつかの種類から選択が出来ましたが、私はこの料理にいたしました。


国内線ですが料理が出ました。焼きトマトの中にオムレツが入った洒落た料理でした。


ヨーグルト系の美味しいデザートでした。


ソウルからの国際線は通路が真中1本の小さな飛行機でしたが国内線の飛行機はボーイング767で通路は2本の比較的大きな機体が使われていました。


クリックすると拡大右の写真はフライトコースです。クリックすると拡大いたします。オアシスのようなアルマトイの町から灼熱の町アクトベに向かいました。こちらは32万人の町で総人口1560万人のカザフスタンの中では大きな町になります。
下の写真がアクトベ空港のターミナルビルです。想像していた以上に近代的な空港でした。



アクトベからアルマトイに戻るフライトも紹介いたします。前日早朝の便でアクトベに来ましたが帰りは10時10分発だったのでゆっくりと出来ました。
乗ると前日のキャビンアテンダント(CA)の方と同じ方達で、顔を覚えてくれていたので、皆さんがにこやかに挨拶をしてくれました。エア・アスタナはアジア系の美人のCAの方が多い航空会社でした。
アクトベに来る時は真中の席でしたが帰りは窓側を頼みました。
この日は前日と同じように晴れていました。アクトベは雨の少ない地域であることは飛行機が飛び立ってすぐにわかりました。出発時間の1時間5分前の9時5分に空港に着きました。その時の車の中からの写真です。航空券の文字が読みにくい場合はクリックしてください。


クリックすると拡大5Aの席からの機内の景色です。
遠めですが美人のアテンダントの方も紹介いたします。行きと同じフライトに乗っているのを気が付いてくれてうれしかったです。男性のCAの方も1名乗られていました。こちらもアジア系の方でした。


さっそくビールを頼みました。こちらは一番小さい缶が500ccなので機内のビールも我々で言うロング缶が出てきました。アーモンドをつまみに先ずは一杯です。ただし日本のようには冷たくはありません。


アルマトイへの帰りの便で選んだのは海老の天婦羅のようなフリッターでした。メニューにはTERIYAKI(照り焼き)とかかれており日本を意識した料理のようでした。こんなところでTERIYAKIの文字に出会えるとは思いませんでした。おそらく日本風というような使い方なのだと思います。


これが、すばらしく美味しいプリンでした。クリーミーなタイプのプリンで日本で流行のプリンのタイプでした。これは他の人も絶賛していました。


使われいてた食器も可愛らしかったので紹介いたします。手前はコショウと塩の入れ物です。


オレンジのラインを往復したわけです。緑色マークがアクトベ空港で黄色マークがアルマトイ空港です。上で説明させていただいたように、途中に現在では中央アジア最大の湖であるバルハシ湖がありました。

より大きな地図で アルマトイ⇔アクトベ を表示
青色マークが、この時の旅で利用した空港です。
次の目的地はウクライナのキーウ(旧名キエフ)で、アクトベはキーウに近かかったのですが、残念ながらアクトベからキーウへのフライトは無いことからアルマトイに戻ってからキーウに向かいました。
クリックすると利用た空港を表示
posted by SORI at 16:51| Comment(50) | TrackBack(2) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月08日

カザフスタンの雪景色

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。
Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。今回はカザフスタンの冬の記事をです。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クイックすると拡大
12月1日にカザフスタンの首都アスタナ(Astan/Астана)からカラガンダ(Karagandy/Қарағанды)まで車で移動いたしました。天気は60%が曇り空で時々、小雪も舞っていました。10%が霧で景色がほとんど見えない状態の時もありましたが30%がきれいに晴れました。晴れた雪景色を紹介します。最近は写真の保管容量を節約するために写真をクリックすると拡大する機能は控えていますが、上の写真は拡大するように設定いたしました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 英語    Karagandy/Karaganda
 カザフ語 Қарағанды
 ロシア語 Караганда


ここはマイナス20℃の世界なので降った雪は解けることもないのですが、乾燥した地域で雪が少ないため日本のように雪が深く積もることはないようです。枯草が見えていることからも、そのことがうかがえました。カザフスタンの制限速度は90km/hなので、この日は往復+αで約500kmを走りました。
クイックすると拡大

クイックすると拡大道路の前方の景色です。幅の広い片側一車線の道路ですが、ここを右の写真の3台のランドクルーザーで100km/h~140kmのスピードで走りました。ただし霧と雪の時があったことと追い抜きは反対車線に入る必要があることとスピード違反の取締りが厳しいようなので結果的には目的地までの平均スピードは70km/hでした。アスタナのホテルを9時24分に出発してカラガンダのレストランに着いたのが12時27分でした。その走行距離は216kmでした。その間のトイレ休憩は11時10分から11時23分でした。
クイックすると拡大

クイックすると拡大遠くに鉄道が走っていました。
道路と鉄道ほぼ同じ方向に走っているために近くを列車が通ることもありました。
右の写真の重量級の列車が走っていました。人口密度は日本の約1/48です。
 カザフスタン 人口密度 6.891人/k㎡ = 1877万7000人  ÷272万4900k㎡
 日本 人口密度      333.7人/k㎡ = 1億2388万7000人÷37万7976k㎡
クイックすると拡大

カザフスタンでは珍しく木の多い景色でした。どんなに太陽が照っても霧氷や樹氷が解けない景色は幻想的な世界でした。
クイックすると拡大

なにもない世界を走り続けると工場のある景色も珍しく感じてしまいました。カラガンダの北にあたるこの辺りでは石炭が採れました。今は掘りつくされたそうですが、その名残りか大きな製鉄所がありました。
ここから約40km進むと目的地のカラガンダです。
クイックすると拡大

休憩場所の24時間ドライブインを紹介します。この場所ではかなりの雪が降っていて霞んでいました。
上の沢山の写真は雪が降っていなくてクリヤーですが、タイトルが景色なのでクリアーな写真だけ選んで掲載させてもらったのです。
クイックすると拡大

ドライブインから進行方向の道路の写真を撮りました。休憩した時間は約13分(11:10~11:23)でした。食事はカラガンダに着いてからレストランでロシア料理を食べました。
クイックすると拡大

フラッシュを使った写真はフラッシュが雪に反射して雪が降っていることがよくわかるので道路をバックにした記念写真を掲載させていただき真ました。


走ったルートをGoogle地図で紹介いたします。休憩場所の地名はKrasny Kout(Красный Кут)です。
  出発地点(アスタナ)   休憩地点       到着地点(カラガンダ)
地図内のマークをクリックすると通過時間を表示いたします。
posted by SORI at 10:45| Comment(29) | TrackBack(5) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月20日

カラガンダの町の人たち



もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、13年前のちょっと珍しい場所(カザフスタンのカラガンダ)の記事を再掲載させていただきました。
 2012年01月22日 掲載
 2024年12月20日 再掲載 閲覧数:6,078 nice!:115 CMT :18
 2024年12月21日     閲覧数:6,186 nice!:131 CMT :24
カザフスタンむの首都アスタナからカラガンダへの道沿い景色は何度も紹介いたしました。今回はカラガンダの町の風景を紹介いたします。上の写真はカラガンダの入口付近です。この辺りからから徐々に町の風景になってきました。ここでも信号機の横には信号が変わるまでの時間が表示されていました。
紹介する全ての写真は12月1日に撮ったものです。

建物が増えてきましたが、歩いている人はまだ少なかったです。カラガンダは、カザフスタン共和国のカラガンダ州の州都で カザフスタンでは、アルマトイ、アスタナ、シムケントに次ぎ人口では4番目の都市だそうですが、集計の仕方によっては2番目の都市だそうです。カラガンダという市名は、この辺りに群生している「オオムレスズメ」の名前(Caragana arborescens)に由来するそうです。


こちらの写真の縮小版はすでに紹介済みで。こちらはKazakh Drama Theaterと呼ばれている建物です。日本流に言えば「カザフ族演劇劇場」でしょうか。


これはカラガンダのシンボルである労働者の銅像(Miners Glory Monument)です。この像と道を挟んで大きな建物のThe house of minersがありました。昔は石炭の町で過酷な労働に耐えた鉱夫によって支えられた町のてめ、このような像や建物が建てられたのかもしれません。


こちらのクリスマスツリーを作っている写真も紹介しましたが、それがカラガンダだったのです。消防のはしご車がクリスマスツリー作りに活躍していました。


ショッピングセンターのような場所でした。


その近くを歩いている人たちです。


アパートのような建物も沢山ありました。


町の中の庶民の足はバスのようでした。次から次へとバスが来ていました。


町の人たちの服装もも紹介いたします。さすが極寒の地です。私が行った時もマイナス20℃くらいでしたが今はさらに寒くなっているようです。シベリアと似た感じの服装の方が多かったです。帽子は必需品のようです。


おばあちゃんとお母さんと赤ちゃんでしょうか。ほほえましい光景でした。


小学生くらいの女の子たちです。
学校帰りでしょうか。沢山の子供たちが周りにいました。


若い女性は分厚いフード姿が多いです。冬のお洒落なのだと思います。カラガンダはドイツとの関わりが強かった町のようです。欧米系の顔の人の比率が多い気がしました。


カザフスタンの代表的な都市名を紹介します。括弧内は英語です。
訪問したことがあるのは緑色の着色文字のアクトベ、アルマトイ、アスタナ、カラガンダの4都市です。写真をクリックすると記事を表示します。
IMG_4977-400.JPG  アクタウ(Aktau)
アクトベ(Aktobe)
アルマトイ(Almaty)-最大の都市
  アラル(Aral)
アスタナ(Astana)-首都
  アティラウ(Atyrau)
IMG_4977-400.JPG  バイコヌール(Baikonur)
  バルハシ(Balqash)
  エキバストゥス(Ekibastuz)
  テュルキスタン(Hazrat-e Turkestan)
  ジェズカズガン(Jezkazgan)
カラガンダ(Karaganda)
  コクシェタウ(Kokshetau)、ククシェタウ、コクシェトゥ、コクチェタフ
IMG_4977-400.JPG  コスタナイ(Kostanay)
  クズロルダ(Kyzylorda)
  オラル(Oral)
  オスケメン(Oskemen)
  パヴロダル(Pavlodar)
  ペトロパブル(Petropavl)
IMG_4977-400.JPG  ルードヌイ(Rudniy)
  サルカンド(Sarkand)
  サトパエフ(Satpayev)
  セメイ(Semey)
  シムケント(Shymkent)
  タラズ(Taraz)
  タルディコルガン(Taldykorgan)、タルドゥイ・クルガン
  テミルタウ(Temirtau)
  ジャナオゼン(Zhanaozen)

より大きな地図で 4都市 を表示
posted by SORI at 08:25| Comment(24) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月19日

極寒の地に馬達がいました。



もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、13年前のちょっと珍しい場所(カザフスタン アスタナ~カラガンダ)の記事を再掲載させていただきました。
 2011年12月19日 掲載
 2024年12月19日 再掲載 閲覧数:1,744 nice!:74 CMT :28
 2024年12月20日     閲覧数:1,847 nice!:95 CMT :31
2011年12月1日の午前中にカザフスタンのアスタナからカラガンダまで車で216kmほど走りました。気温は-20℃近くまで下がっており家畜はほとんど見ることはありませんでしたが、上の馬たちを見つけました。これより以前にカザフスタンで馬を見たのはカザフスタンの最大の町であるアルマトイの近くのダムの観光用の馬だけでした。この寒さの中、で、このように放牧されたている馬を見ることが出来るとは思ってもいませんでした。

この地図の青いラインがアスタナのホテル(A)からカラガンダの昼食のためのレストラン(B)まで走ったルートです。この三台のトヨタ製LAND CRUISERで走りました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 カザフ語 Қарағанды
 ロシア語 Караганда
 英語    Karagandy/Karaganda


羊やヤギも見ることが出来ました。ただし家畜を見ることが出来たのは馬も含めて2回だけでした。
posted by SORI at 06:27| Comment(34) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月25日

カザフスタンのショッピングモール

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

カザフスタンの32万人の都市アクトベにあったショッピングモールMEGAです。昼間に車で横を通りました。

こちらは翌日の早朝にモスクや教会を見るために歩いて散歩した時に同じショッピングモールMEGAを撮った写真です。広大な場所に名前の通り大きなショッピングモールが建っていました。こちらの写真はクリックすると拡大します。
早朝のため駐車場には車もなく人もいませんでした。手前に写っている道は道路ではなくショッピングモールの駐車場につながる誘導路です。
クリックすると拡大

すでに紹介したモスクと教会と国旗と泊まったホテルの位置関係を航空写真にマークしました。青色が中央モスクで赤色が聖ニコラス正教会です。今回のショッピングモールは教会の近くの黄色のマークの位置です。巨大な国旗があったのが緑色で泊まったホテルは空色のマークです。早朝なので散歩できましたが昼間は38℃あったので歩くのは難しかったです。

より大きな地図で Aktobe を表示
店内も紹介します。こちらはアクトベのショッピングモールではなく同じ日にカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アルマティー)に飛行機で戻った時に興味があったので町の中にあるお店に入ってみました。すごい広さでした。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

それぞれの売り場が大きかったです。これはクッキー売り場です。この写真に写っている2倍くらいの広さにクッキーだけが並べられていました。肉売り場はもっと迫力がありました。全ての食材がこのような規模で売られていました。お寿司も売っていました。
クリックすると拡大

日本のお店では見かけないものが売っていました。横で売られているレッドブルとは関係ありません。


こちらが拡大したものですが、生ビールの販売機です。この容器にビールを入れてもらい家に帰って飲むそうです。
posted by SORI at 05:14| Comment(30) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

巨大なカザフスタン国旗

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
カザフスタンのアクトベという町を早朝に散歩してモスクと教会を訪れました。もう一つ気になっていたところに行ってみました。それがこの写真の場所です。高いポールに大きな旗が風でたなびいていました。上の写真は是非ともクリックしてみてください。高さが実感してもらえるかもしれません。
ネットで調べたけれども、これは出てこなかったので正確な高さはわかりませんが、60m~70mではないかと思えました。もしかしたら、もう少し高いかもしれません。このポールの高さをご存知の方が、おられたら教えてください。

旗も遠くなので小さく見えましたが、かなりの大きさです。
この旗がカザフスタンの国旗です。おそらく15mを越える長さの旗だと思いますが強い風のおかげで、たなびいていました。


この旗は大きな公園の真中辺りに立てられており、周りには池などもありました。


カザフスタンの1人当たりGDPは11,415ドル、失業率は1999年に13.47%あったものが下がり続けて2013年には5.3%になり、独立直後の経済状況に比べ、クリックすると拡大著しい飛躍を遂げています。この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型であるといえます。採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在します。輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占めています。豊富な地下資源も、何もしなければ宝の持ち腐れですが、経済発展を成し遂げた初代からの現大統領(ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領)は、絶大な人気で2011年4月3日の大統領選挙では95.5%の得票率で再選(5選)されています。大統領の写真はWikimediaから拝借いたしました。参考に日本の失業率もプロットいたしました。


ポールの根元の部分です。根元にはいろんな飾り付けや文字が書かれていました。この裏側には大統領と思われる写真も取り付けられていました。ポールは亜鉛メッキのようでした。


下から見上げるように撮った写真です。迫力がありました。

公園の入口の門からの写真です。入口から一直線に花壇が続いていました。この写真はGoogle地図のカメラマークの場所から撮りました。Google地図で確認したところ公園の入口にある門から旗までの距離は470mです。
クリックすると拡大

緑色のマークのところに巨大なカザフスタンの国旗が立っていました。紹介したモスク(青マーク)や教会(赤マーク)から近いところにありました。
ネットで調べるとカザフスタンはカザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっています。アジア系が60~70%というイメージは当たっていました。


カザフスタン共和国の国旗(1992年6月4日~現在)
カザフスタンの国旗は1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立(1991年12月16日)した際に制定(1992年6月4日)されました。 ソ連時代に使われていた赤い色はなくなりました。
青地は空、中央の黄は33本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様で、この青地は、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴しています。中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとで、この地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表したそうです。
クリックすると拡大

独立する前のカザフ・ソビエト社会主義共和国時代の旗を古い順に紹介します。このころは赤が主体でした。真中は第二次世界大戦のころの旗になります。一番最近のものにはブルーの色が入りました。文字もなくなりました。下の国旗はクリックすると拡大します。
  1937年~1940年    1940年~1953年    1953年~1991年
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

首都のアスタナにも、町の中に大きな国旗が建てられていたので紹介します。アクトベの国旗よりも少し小さいようですが、それでもかなりの大きさでした。
posted by SORI at 23:53| Comment(24) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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