2020年07月07日

神奈川からの父の日のプレゼントは鎌倉野菜

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
長男家族から父の日のプレゼントを紹介したので、ここでは末っ子の娘からの父の日のプレゼントも紹介したいと思います。娘から父の日のプレゼントを送ると予告電話があったので楽しみに待っていると上の写真のように鎌倉野菜が届きました。箱には鎌倉野菜の定期便「かまベジ」(KAMAKURA VEGETABLES)と書かれていました。

箱の中には下記の10種類の鎌倉野菜が入っていました。これらの野菜は届いた日も含めて3日間の夕食で美味しくいただきました。野菜の右に食べた日を書いています。3日間の夕食を紹介したいと思います。
※1:レッドグラマーは3日目の夕食が終わった段階で3分の1程度残っていたので鎌倉野菜をもらってから7日目にオニオンスライスにして食べました。
※2:冷蔵庫にバジルが残っていたので8日目にサラダに入れて食べました。
右の写真は娘が3歳の七五三の時に撮りました。クリックすると記事を表示
 飛鳥あかね(蕪) 1日目 2日目 3日目
 レッドグラマー  1日目 2日目 3日目 ※1
 ツルムラサキ           3日目
 路地茄子         2日目 3日目
 京みぞれ水菜   1日目 2日目
 金美人参     1日目 2日目
 バナナピーマン  1日目 2日目 3日目
 バジル      1日目     3日目 ※2
 ノーザンルビー          3日目
 路地きゅうり   1日目     3日目
クリックすると拡大


1日目の夕食
プレゼントが届いた1日目の夕食のサラダにはプレゼントの野菜の中から次の6類を付く澄ました。
 飛鳥あかね レッドグラマー 京みぞれ水菜
 金美人参  バナナピーマン 路地きゅうり
クリックすると拡大

こちらが「京みぞれ水菜」と「金美人参」と「バナナピーマン」です。金美人参はキンビニンジンよ読むようです。京みぞれ水菜に貼られていた説明を枠内に転記いたしました。
歯切れや食感がよく、アクがすくないのでサラダ・炒め物・おひたし・漬物・鍋物など、幅広くお使いいただけます。
クリックすると拡大

金美人参はサラダで食べるために以前に紹介した、きゅうりワッフルスライサーでワッフル状にカットいたしました。黄色人参あるいはイエローニンジンとも言われているように見事なレモンイエロー色の人参でした。金美人参に貼られていた説明を枠内に転記いたしました。
金美人参は、普通の人参に比べて、人参特有の香りやクセが少なく、食べやすい品種です。クセのない甘みを活かして、サラダや炒め物、スープまで万能に、お使いいただけます。
クリックすると拡大

こちらが「飛鳥あかね(蕪)」です。ラデッシュを細長く大きくしたような野菜でした。飛鳥あかねの説明に書かれていた特徴を枠内に転記いたします。
元々は、奈良県で古くから作られていた伝統野菜。特徴は、大根のような細長い形と真っ赤な色。サラダや漬け物、ピクルスに◎。
クリックすると拡大

金美人参と同じように「飛鳥あかね(蕪)」もサラダに入れるために、きゅうりワッフルスライサーでワッフル状にカットいたしました。飛鳥あかね(蕪)だけは届いたらすぐに葉側を根元から切り落としてしまうことをお薦めします。3日目には葉側に水分を吸い取られて少しシナッとしてハリがなくなっていました。
クリックすると拡大

きゅうりワッフルスライサーでのスライスの仕方の説明部分です。左側がウエーブスライスとワッフルスライスの説明です。もう一つ細切りも出来ます。まだ試してはいないので素麺の季節に試してみたいと思っています。クリックすると説明書全体を表示します。
クリックすると記事を表示

こちらが「路地きゅうり」です。包んであった新聞紙に貼られていた説明に書かれていた特徴を枠内に転記いたしました。
皮の柔らかさが特徴の路地きゆうり。ハウスと比べる、形は悪いですが、みずみずしい甘みを感じるきゅうりです。
クリックすると拡大

路地きゅうりもワッフル状にカットしてサラダに入れました。
クリックすると拡大

こちらのバナナピーマンもサラダに入れました。説明に書かれているバナナピーマンの特徴を枠内に転記いたしました。
淡い黄緑色で細長い形が徳地陽のピーマン。苦みがすくなく、甘みのあるピーマンですので、ピーマン嫌いのお子様でも楽しんでいただけます。
クリックすると拡大

バナナピーマンは包丁で写真のようにカットしました。
クリックすると拡大

こちらのレッドグラマーも薄く切ってサラダに入れました。レッドグラマーは赤タマネギの品種名です。枠内に書かれている特徴を転記いたしました。
みずみずしく、やわらかい食感が特徴。辛みが少なく、生食にむいており、色を活かしたサラダがお勧め。
クリックすると拡大

完成したサラダをもう一度掲載いたします。サラダのドレッシングはマコーミック製の和風ゆずの香醤油ドレッシングです。
クリックすると拡大

バジルはピザに使いました。バジルの袋に貼られていた説明内容を枠内に転記いたします。
露地栽培の香り豊かなバジルです。包丁等は使わずに手でちぎり、料理の付け合わせにしたり、バジルソースやペーストにしても◎。
クリックすると拡大

ピザと言ってもちっと変わったピザでした。碑ぞ記事の代わりにワンタンの皮を丸く敷き詰めて、前日に残った餃子の具を入れた上にワンタンの皮を並べてピザ用のチーズをのせてオーブンで焼きました。バジルは焼きあがってから乗せました。
クリックすると拡大

このピザはビールにピッタリでした。
クリックすると拡大


2日目の夕食も紹介します。
この日の夕食では、飛鳥あかね、レッドグラマー、路地茄子、京みぞれ水菜、金美人参、バナナピーマンの6種類の野菜を食べましたが路地茄子以外の5種類はサラダでいただきました。路地茄子は2種類の料理に使いました。バナナピーマンはサラダ以外にも使いました。
クリックすると拡大

こちらが鎌倉野菜のサラダです。材料は1日目からキュウリを抜いたものですがドレッシングにはこだわってみました。
クリックすると拡大

サラダには下の3種類のドレッシングをかけているのです。上の写真を拡大すると色合いからそれぞれのドレッシングが分かると思います。中央がモッツァレラドレッシングで一番外側が金ごまドレッシングで中間がゴーダチーズドレッシングです。今まで知らなかったけれどもケンコーマヨネーズ(株)の金ごまドレッシングは美味しかったです。お薦めです。神戸市灘区の会社です。
 中央 クラフト製 チーズドレッシング(モッツァレラ&バジル・オニオン)
 中間 クラフト製 チーズドレッシング(メキシカンスパイス&ゴーダチーズ)
 外側 ケンコー製 金ごまドレッシング
クリックすると拡大

路地茄子の中に面白いものがあったので写真に撮りました。包んであった新聞紙に貼られていた説明に書かれていた特徴を枠内に転記いたしました。
この時期に収穫される初物の茄子は、柔らかく天ぷらやフリッターにオススメです。フワフワの食感がクセになる一品です。
クリックすると拡大

こちらは路地茄子とバナナピーマンと普通のピーマンの「揚げびたし」です。今回の記事の中で初めて鎌倉野菜以外の野菜を使いました。それは普通のピーマンでした。
クリックすると拡大

鎌倉の路地茄子と鶏肉の豆板醤味の「しぎ焼き」です。かなりのピリ辛に出来上がっていました。ピーマンは普通のピーマンです。
クリックすると拡大

この日の料理もビールにピッタリでした。
クリックすると拡大


3日目の夕食も紹介します。
この日初めて使う鎌倉野菜が2種類ありました。一つがツルムラサキでした。そのツルムラサキに貼られている説明を枠内に転記いたしました。
油との相性が良いので、炒め物、揚げ物に向いています。もちろん一般的な菜葉類と同じような使い方も出来ます。
クリックすると拡大

ツルムラサキの粘りを活かしてお浸しにいたしました。だし醤油をかけで、たっぷりと鰹節をかけていただきました。
クリックすると拡大

この日のサラダには鎌倉のバジルを使いました。サラダにも初めて鎌倉野菜以外を使いました。それはレタスとトマトでした。
クリックすると拡大

クラゲ入りのキュウリもみです。
クリックすると拡大

この日は鎌倉野菜を使っていない料理も出てきました。ヒムーマンの肉詰めです。
クリックすると拡大

蒸し茄子の料理も作ってもらいました。
クリックすると拡大

蒸し器が出されていたのでシューマイも出てきました。鎌倉野菜は着く割れていません。
クリックすると拡大

この日もビールが美味しかったです。
クリックすると拡大

この日初めてピンク色のじゃがいも「ノーザンルビー」が出てきました。ノーザンルビーの説明も枠内に転記いたします。
皮も中身も奇麗なピンク色が特徴のジヤガ芋。煮崩れしにくいタイプのジャガ芋です。色味わ活かして、ビシソワーズや、ボテトサラダ、フライ、お菓子など、様々な料理に向いています。
クリックすると拡大

蒸したての「ノーザンルビー」です。写真では分かりませんが熱々です。蒸し器を有効に使うために蒸し茄子とシューマイと同時に鎌倉野菜の「ノーザンルビー」も蒸しました。
クリックすると拡大

説明に書いてある通りジャガイモの中は見事なピンク色でした。
クリックすると拡大

ノーザンルビーはバターでいただきました。これは初めて食べる味で美味しかったです。
クリックすると拡大


7日目の夕食 ※1
3日間ともにレッドグラマー(赤たまねぎ)は他の野菜と一緒にサラダに食べたので、味をしっかり知りたくて、残っていたレッドグラマーはオニオンスライスにして食べることにいたしました。梅肉を少し入れて鰹節を振りかけて馬路村産のポン酢しょうゆでいただきました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大家内は5日目から用事で実家に帰っていて私一人での夕食であることから、シンプルに済ますためにオニオンスライスとカボチャだけの夕食にいたしました。このカボチャは野菜を作っている方から頂いたもので、半分は4日目にカボチャスープでいただきました。その時の料理が右の小さな写真ですが、クリックすると大きく拡大いたします。
クリックすると拡大

茹でるのは面倒なため電子レンジで温めることにいたしました。皮はそのままで、種の部分を取って切った、写真の状態でカボチャは450gでしたが、問題は加熱時間です。ネットで調べて500Wで8分加熱することにいたしました。カボチャの上の白いものは塩です。3ℊ程度振りかけました。
クリックすると拡大

8分間加熱した状態です。8分の少し前からラップが大きく膨らむ程度の時間なので参考になると思います。ラップの真中には箸で小さな穴を開けていました。穴を開けていてもラップは膨らみます。穴を開けていないと、膨らんだ後に冷えると中が真空になりペチャンコになるのでそれを避けるために穴を開けました。
クリックすると拡大

シンプルな夕食の出来上がりです。レッドグラマーのオニオンスライスは辛みが少なく食べやすいことが分かりました。確かに生食に向いています。
クリックすると拡大

この日は冷酒(吟醸酒)にいたしました。
クリックすると拡大

カボチャはホクホクで皮も柔らかく甘みもあり美味しくいただきました。
クリックすると拡大

最後の1つを食べて完食でした。
クリックすると拡大


8日目の夕食 ※2
冷蔵庫の中を見ると使い切ったと思っていたバジルがまだ残っていたのでサラダに乗せて食べることにいたしました。ただしサラダの材料になるのはレタスだけでした。家内が実家に行っているので夕食を作るのも面倒なので買ってあったカップ麺とサラダにすることにいたしました。焼そばのカップ麺は食べることが無かったのですが、運動不足解消のためにお弁当を持って遠くの公園に行く機会増えて、お弁当代わりに持って行く焼きそばのカップ麺や蕎麦やうどんのカップ麺をストックして置いたのです。冷蔵庫に入っていたレタス1個半をすべて使いました。
クリックすると拡大

サラダはかなりの量があったのでお湯を沸かし始めた時からサラダを食べ始めました。さらにカップ麺にお湯を入れて3分待つ間も食べたので、焼きそばが出来上がった時にはここまでサラダが減っていました。もちろん焼きそばもサラダも完食でした。日清焼そばU.F.O.は1976年5月に発売された日本初の皿型カップ麺で、発売されたときは印象に残っていますが、実際に食べたのは多くて1~2回だったので懐かしくいただきました。これで鎌倉野菜を食べた食事は全て紹介いたしました。
クリックすると拡大
posted by SORI at 03:25| Comment(30) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

鎌倉大仏



初めて鎌倉を訪問した時に行きたい場所の一つが鎌倉大仏ではないでしょうか。
私も初めて鎌倉を訪れましたが、やっぱり鎌倉大仏を訪問いたしました。修学旅行生が沢山来られている時期でした。

私がはじめてだったのだから、まだ鎌倉を訪れていない人も沢山おられると思うので、いろんな角度の鎌倉大仏の写真を紹介いたします。鎌倉大仏は神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の高徳院(こうとくいん)の本尊である阿弥陀如来像(国宝)です。鎌倉大仏は「長谷の大仏」とも呼ばれる鎌倉を代表する銅製の大仏です。像高約11.39mで、台座を含めた高さ13.35mです。重量は地震対策を行った時にジャッキアップして計測した結果、約121トもあることがわかりました。
体部に比して頭部のプロポーションが大きい点などが鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点が特徴でもあります。


本像の金属組成の平均含有比率は銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%となっており銅が比較的少なく、鉛の含有量が多いことが特徴で本像の鋳造に際しては宋から輸入された中国銭が使用されたと推定されています。


鎌倉大仏の創建に関しては諸説があり、正式には不明となっていますが、それらの中で建長4年(1252年)から造立が開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが可能性の高い定説だそうです。
鎌倉大仏は、奈良の大仏のように、元来は大仏殿のなかに安置されていましたが大仏殿は地震と津波と大風(1335年)で何度か倒壊し、何度か再建されたと推定されていますが、こちらも正確な年代や倒壊理由は、判っていません。しかしながら、少なくとも応安2年(1369年)の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見つかっていないことから643年間、露坐(屋外にむき出し)であったようです。そのために表面が腐食して現在の色合いになったようです。


これが創建当初大仏像を収めていた大仏殿(堂宇)を支えていた60基の礎石の一つです。現在、境内に56基の礎石が残されているそうです。いずれも神奈川県小田原市の根府川産の輝石安山岩だそうです。礎石に彫られている排水のためのカーブを描いた溝が印象的でした。上に乗っかる柱の底部が腐らないようにするための工夫だと思います。


こちらが大仏の後ろ姿です。よく見ると背中に窓らしきものがあります。


初めて鎌倉大仏に訪れる方のために見どころの一つ紹介します。実は大仏は内部が空洞になって人が入れるのです。


こちらが内部に入るための入口です。入るために小銭を用意しておいてください。
料金は一人20円で、名前は「胎内拝観料(Entrance Fee)」となっていました。時間は8時から16時半なので見たい方はこの時間帯を覚えておいてください。


大仏の鋳造は体部が7段、頭部は前面が5段、背面が6段に分けて行われましたが、像の内外に残る痕跡から、その鋳造方法を見ることが出来ます。写真は真上方向を撮ったもので穴の部分が首でその上の空間が頭の部分です。茶色っぽい色に見えるところは補強を行ったさいに塗布された繊維強化プラスチックです。


高徳院の正式名は「大異山 高徳院 清浄泉寺」です。
境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されておりIMG_6816-146.jpg鎌倉大仏以外では、目立って大きな建造物はありませんでした。入口の仁王門が一番の建物のような気がしました。開基(創立者)や開山(初代住職)はともに不詳なのです。そんな境内の中に下の写真の李氏王朝の月宮殿を1924年に移築した「観月堂」があります。
観月堂の内部には江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が所持していたとされる聖観音像を安置しており、鎌倉三十三所観音霊場の第23番札所の本尊になっています。
それ以外で境内の見どころとしては右の写真の与謝野晶子の歌碑があります。歌碑には「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」の歌が刻まれています。つまり与謝野晶子が鎌倉大仏のことを「美男におはす 」と評した歌なのです。


こちらが高徳院の入口にある仁王門です。仁王門自体は江戸時代の作といわれています。1700年代の初頭に他の場所から移されてきたものと考えられており、安置されている吽形像と阿形像の仁王像も同時期のもの考えられています。仁王像に関しては2011年10月より調査・修復事業を実施しており別の場所に写されていることから約2年間は見ることが出来ません。


仁王像の門をくぐって拝観料を払って受付を通ったところに手水舎がありましました。ここから鎌倉大仏の頭の部分が見えてきます。


高徳院の入口の道路脇には5基の碑がありました。少なくとも3基は庚申塔でした。庚申供養塔の文字が読み取れました。


周りの駐車場は整備されており、歩いて2~3分の距離の駐車場にバスを置くことが出来ました。
ラベル:日本 鎌倉 大仏
posted by SORI at 05:56| Comment(18) | TrackBack(1) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海をはさんで富士山が見えるはずでした。



すでに紹介した鎌倉には右のチャーターバスで行きました。そこで鎌倉からの帰りに海の向こうに富士山が見える景色が見たいと運転手さんに頼むと三浦半島の葉山に行ってくれました。残念ながら霞んでいて富士山を見ることが出来ませんでした。
正面の島が江の島です。空気が澄んでいたら江の島の少し左側に富士山が見えるのです。

富士山がどのような大きさで見えるのかが気になったので、同じような場所からの写真をネットで探しました。左が拝借した写真です。江ノ島と比べて大きく見えるのに驚きました。益々、見たくなりました。下の地図の紫のマークが葉山マリーナで、紫のラインが富士山の方向です。この場所から富士山までの直線距離は76.52kmです。紫のラインをクリックすると距離が表示されます。
緑のラインは稲村ガ崎から富士山を見た方向です。
kazu-kun2626さんの稲村ガ崎の夕景冨士トラックバックしています。
他のマークは、すでに紹介した場所でマークをクリックすると、名前を表示します。

沢山のヨットが集まっていました。ヨットの練習をしているのかもしれません。


ここは漁港でもありました。沢山の漁船を見ることが出来ました。鎌倉での午前中から3時ごろまでは散策の時は快晴で空気も澄んでいたのですが、帰るころは霞んでしまいました。


航空写真で葉山マリーナと漁港を見てみました。大きなチャーターバスですが9人だったのでゆったりと座ることが出来ました。


kazu-kun2626さんの稲村ケ崎からのダイヤモンド富士 不発にトラックバックしています。
posted by SORI at 04:58| Comment(18) | TrackBack(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月18日

嵩山門(すうざんもん)



鎌倉の記事をいくつか掲載していましたが中断していたので、残った記事を最近の記事の合間に入れさせていただきます。鎌倉の建長寺は開放的で観光客や参拝者はいろんな場所に入れるのですが、神聖な修行の場所だけは入ることが出来ません。
それが嵩山門(すうざんもん)の奥のエリアです。

右の写真のように門の左側に「これより奥は坐禅修行道場につき拝観おことわりします。」の看板が立てられていました。外人の観光客も多いためか英語でも「KEEP OUT!」と書かれていました。
下の写真が正面からの嵩山門です。修行の場にふさわしい入口の門構えです。


門の上の「嵩山」の文字が印象的でした。右の柱には「本派専門道場」と書かれており左には「四部録提唱」と書かれていました。四部録を調べてみると信心銘、証道歌、十牛図、坐禅儀のようですが、もう少し調べてみる必要がありそうです。


これが門の場所から見た奥の道です。


中に入れないとなると、奥がどのようになっているのか気になります。航空写真で紹介いたします。大きな建物がいくつもありました。写真の左上端に嵩山門があります。

posted by SORI at 15:16| Comment(4) | TrackBack(1) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

建長寺の唐門



唐門建長寺の中で一際、輝いていたのが上の写真の唐門でした。実は一年半近くをかけて補修が行われ、昨年に完成(2011年5月30日 落慶法要)したばかりだったのです。右はネットから拝借した補修前の唐門の写真ですが、補修により建立時の唐門を、ほぼ再現できたそうです。
建長寺の唐門は、もとは1626年(寛永3年)から1628年の間に建立された東京の芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋正殿(現在、仏殿)前の中門と考えられるとのことです。1647年(正保四年)に移築されて、現在は方丈(龍宝殿)の正面にあります。勅使門ともいわれています。

唐門の補修中の写真をGoogleのストリートビューから拝借いたしました。
Googleの撮影者が建長寺境内に入ってきたようで境内のいろんな場所を見ることが出来ます。非常に鮮明な映像です。
補修中のGoogleのストリート・ビューの画像です。→ポチッ
補修中の唐門

少し離れたところから見ると唐門と龍王殿がバランスのよい姿を見せてくれます。この写真を撮った位置は、龍王殿や塀や植え込みから補修中の写真を撮った場所に近いことが分かってもらえると思います。


門の飾りを拡大いたしました。


さらに拡大いたしました。


こちらが龍王殿側から見た唐門の内側です。正面の柱の間は4.1mで、前の丸い柱は42cmで後ろの角柱は36cmの堂々とした作りです。花紋や唐草の彫り物や漆塗りも再現されたようです。


こちらが方丈(龍宝殿)です。他の建物と違い、落ち着いた風情を見せてくれているような気がします。


龍宝殿の回廊の正面部分です。


これが龍宝殿の内部です。人がいるときは撮影を遠慮するようにとのことです。今回のように行事が行われていないときは自由に撮ることが出来ます。


龍宝殿の裏側は日本庭園になっており、休憩のための椅子が置かれています。そこに座ってゆっくりと景色を楽しむことが出来ます。


角度が変わると日本庭園も違った風情を見せてくれます。


龍宝殿の回廊は文字通り一周できます。最初の入口近くの回廊です。
ラベル:鎌倉 建長寺
posted by SORI at 13:50| Comment(10) | TrackBack(0) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

茅葺の鐘楼



樹齢750年のビャクシンを紹介した鎌倉の建長寺にはもう一つ趣のあるものがありました。それが写真の茅葺(かやぶき)の鐘楼(しょうろう)です。建長寺の境内には沢山の建物゛ありますが茅葺なのは、この鐘楼だけでした。

これだけの風情を見せる建長寺の鐘楼に関する記述はほとんどないのにも驚きました。そこに吊るされている今から757年前に造られた国宝の梵鐘が有名なために、鐘楼にに関する記述が少ないのではないかと思いました。鐘楼は新しいものかもしれませんが国宝の梵鐘にひけをとらない風情がありました。


それは周りの景色に溶け込んでいました。奥に見える禅道場の門である嵩山門です。これより奥は座禅修業道場で一般の拝観が出来ない神聖な場所で門の右側には「本派専門道場」と書かれていました。建長寺の正式名称は「巨福山 建長興国禅寺」で、臨済宗建長寺派の大本山です。
この写真をクリックすると、この場所のストリート・ビューを表示します。


その嵩山門から見た景色です。三門と鐘楼の素晴らしい景観だと思いませんか。


梵鐘に関する説明書きです。1255年(建長7年)に関東の鋳物師の筆頭であった物部重光によって鋳造されたものです。 


国宝の梵鐘の姿も紹介いたします。総高208.8cm、口径124.3cm、重さ2.7トンで、平安時代の作風を踏襲しているそうです。建長寺創建当時の貴重な遺品です。建長寺の梵鐘は関東一美しい梵鐘とされており、音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」とも呼ばれています。
posted by SORI at 10:11| Comment(8) | TrackBack(2) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング