2019年04月16日

ノートルダム寺院の内部を紹介します。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2016年8月21日掲載 タイトル:ノートルダム寺院の内部を紹介します。
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パリに到着した日はホテルに18時30分に到着したことからに散策を兼ねてノートルダム寺院を見学しに行きましたが、タッチの差で建物内には入ることが出ませんでした。したがって外からの写真を撮って、夕食もすぐ近くで食べてホテルに戻りました。上の写真は初日に撮りました。
その時の記事はこちらです。 → 散策&外観 夕食  さらに以前の記事

ルートルダム寺院の外側は初日(1日目)に見たのでパリ滞在中に内部を見学するつもりでした。丁度、4日目にルーブル美術館を見学した後にノートルダム寺院に行くことにいたしました。ルーブル美術館からノートルダム寺院には地下鉄を利用いたしました。
 1日目 ノートルダム寺院(外側)
 2日目  モンサンミッシェル
 3日目  モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館
 4日目 ノートルダム寺院(内側) 今回報告
 4日目 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目  ベルサイユ宮殿
 6日目  ロワールの城めぐり
 7日目 オルセー美術館
 7日目 サント・シャペル
 7日目 コンシェルジュリー
      泊まったホテル


入口を入って最初に見る景観です。さすが全長が127.50m教会のです。左右の柱の間の中央の空間が身廊です。ノートルダム大聖堂とも呼ばれているローマ・カトリック教会に属する大聖堂です。フランス語ではCathédrale Notre-Dame de Parisです。
 教会全長 127.5m
 教会全幅 48.0m
 尖塔高さ 96.0m
 双塔高さ 69.0m
 身廊高さ 32.5m
 身廊幅  12.5m
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正面に主祭壇があります。
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石で出来た水盤のようなものがありました。その石には「YO SOY EL CAMINO QUE BUSCA VIAJEROS」と書かれていました。
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見上げると建物の大きさが伝わってきました。託さなの窓は見事なステンドグラスで飾られていました。
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教会内は厳かな雰囲気が伝わってきました。
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天井も見事な芸術品でした。
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吊り下げられたシャンデリアも見事でした。
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静かな雰囲気の中に沢山のシャンデリアが吊り下がっていました。
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見事な彫刻もありました。
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赤とオレンジのローソクも雰囲気がありました。
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主祭殿以外にマリア像や小さな祭壇が沢山ありました。
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主祭壇の前です。
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こちらが主祭壇です。
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主祭壇上のステンドグラスです。
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地上に近い部分には大きなスタンドグラスが並んでおり、全て違うデザインでした。
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上のステンドグラスと形は似ていますが、デザインが違うことが判ってもらえると思います。
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出来る限り沢山のステンドグラスを紹介したいと思います。
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こちらのステンドグラスも見事です。
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ステンドグラスの前には小さな祭壇画が置かれており、石像も設置されたところが多かったです。
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こちらもステンドグラスの横の石像です。
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別のせてんどグラスを紹介します。
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柱の内側から見たステンドグラスもきれいです。
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こちらのステンドグラスの前にも祭壇が設けられていました。
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こちらにも祭壇が設けられていました。
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デザインが違うことが判ってもらえると思います。
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こちらのステンドグラスも見事です。
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上と似ていますが、約見ると違います。
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柱の陰に見えるステンドグラスです。
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南側と北側には直径13mの巨大なステンドグラスがあります。こちらの写真は北側の窓(北窓)です。
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北窓を正面から撮りました。北窓には聖母子が描かれているそうです。
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北側の直径13mの巨大ステンドグラスを拡大いたしました。
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直径13mの南窓を下から見上げました。
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こちらは南側の直径13mの巨大ステンドグスです。
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南側の南窓を拡大いたしました。クリックして拡大して南窓と北窓を比べると形が似ているようですが、微妙に違うとともに、ステンドグラスに使われている絵も違うことが判ってもらえると思います。
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北窓と南窓のデザインが違うことを一目で判ってもらうために巨大ステンドグラスの中心部分を並べてみました。
北窓の中心部            南窓の中心部
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尖塔が立っている天井部分です。見えているステンドグラスは南窓です。主祭殿は左側で、入口となっている双塔(南塔と北塔)は右側です。
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北窓を見上げた写真です。
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方向を変えて見上げた北窓です。
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引き続き地上近くのステンドグラスを紹介していきます。
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こちらにも石像が置かれていました。大きな絵も飾られていました。
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こちらにも祭壇があり、絵も飾られていました。
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パイプオルガンの裏にもステンドグラスがありました。このステンドグラスが双塔(南塔 & 北塔)の間のステンドグラスだとしたら1210年に作られて、この教会で最も古いステンドグラスで、預言者達が描かれているはずです。直径も9.6mの大きさとなります。
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こちらの祭壇には沢山のローソクや飾り付けが行われていました。
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こちらは石像と絵画でした。
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こちらも石像と絵画です。
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正面に石像が置かれて左右に絵画が飾られていました。
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一枚を拡大してみました。
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少しデザインが違うステンドグラスもありました。高い位置のステンドグラスまでは比較できませんでしたが、少なくとも地上近くのステンドグラスは全て違っていました。このことから全ての窓のステンドグラスが違っている可能性を感じました。
余談ですが本記事が2000掲載目となりました。
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館内にはノートルダム寺院の建設の歴史も展示されていました。
こちらが1163年のルートルダム寺院です。この年である1163年に内陣の建設が始まりました。建てられた位置が判るように書かれていました。
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こちらが1245年の姿です。1240年に北塔が完成して1250年に南塔が完成しました。1265年には中央の尖塔も完成していて今に近い姿になっていました。
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こちらが1265年の姿です。尖塔だけは現在よりも低い感じがします。
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こちらが冒頭の写真の2016年の姿です。
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2019年4月16日19時追記 タイトル:ノートルダム寺院で火災
世界中の人が悲しむことが2019年4月15日にクリックすると拡大ノートルダム寺院に発生いたしました。驚いたことに石造りで火災とは無縁と思っていたノートルダム寺院で大きな火災があり、屋根や尖塔が焼け落ちるなど大きな被害が出たことから、ネット上の記事の内容を枠内に転記する形で追加掲載いたしました。右の写真を見ると貴重なステンドグラスも被害を受けたみたいで、ほんと心配です。日本でも注目されているようで追加掲載する前の私のオリジナルの本記事へのアクセス数も急に約800倍に増えました。
 2019年4月01日~15日平均 2件/日(=29÷15 全アクセスの0.0672043%)
 2019年4月16日0時~19時 1361件(全アクセスの41.0%)
 2019年4月16日        1612件(全アクセスの37.3%) 訪問:1463人
 2019年4月           2246件(全アクセスの2.70%) 訪問:1811人
ノートルダム寺院で大規模な火災、尖塔焼け落ちる
[2019年4月16日11時47分 日刊
クリックすると拡大パリ中心部の観光名所で世界遺産のノートルダム寺院(大聖堂)で15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろ、高層部から出火、屋根が炎上する大火災となり、高さ約90メートルの尖塔(せんとう)が焼け落ちた。消防当局の懸命の消火活動で16日未明、鎮火に向かい、建物の大規模な崩壊は防がれた。検察当局は失火の疑いがあるとみて捜査を始めた。
フランスのテレビは消防士1人が重傷を負ったと伝えた。寺院関係者や観光客の死傷の情報は入っていない。パリ市当局者は寺院が保有する宗教芸術など多数の貴重な文化財は運び出されるなどして焼失を免れたと述べた。マクロン大統領は寺院再建を誓った。寺院は一部が改修工事中だった。屋根の上に組まれていた工事用の足場周辺から出火した可能性が指摘され、工事関係者が事情を聴かれているとの報道もある。建物の屋根や尖塔は木材が使われており、これが激しく燃えた一因とみられる。
ノートルダム寺院は付近のセーヌ川一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されている。フランスやパリの象徴とも見なされ、世界中から年間約1300万人が訪問する寺院の火災は、国内外に大きな衝撃を広げた。
火災を受け、マクロン氏は15日夜に予定していたテレビ演説を延期して現場入り。「ひどい悲劇」に見舞われたが「最悪の事態は免れた」と述べた。寺院再建のため国際的な募金活動も始めたいと語った。
グッチやイブ・サンローランなど有名ブランドを手がける企業のトップは1億ユーロ(約127億円)を寄付する意向をフランスメディアに伝えた。
ローマ法王庁(バチカン)は「世界とフランスのキリスト教の象徴が壊れたことに衝撃を受け悲しんでいる」との声明を出し、パリ市民への連帯を表明した。
セーヌ川のシテ島にあるノートルダム寺院は12世紀に工事が始まり、14世紀に完成。ゴシック様式の建築はフランスの美術史上極めて重要な位置を占める。 (共同)


ノートルダム寺院の内部の火災中および消火後の写真です。実際の写真で見ると無残です。6枚の写真は「Notre-Dame en feu À l'intérieur」で検索して転用させていただきました。
写真を見る限りですが、どうやら2016年に紹介した直径13mの巨大ステンドグラスを含みステンドグラスの多くが致命的な破壊は免れたようです。おそらく地表に落ちてくる火のついた多量の木材の消化を決死て行って、椅子などへの延焼を防いだために被害は最小限に抑えられたのだと思います。さらに石で出来た天井に穴が開いたのは一部だけで、火のついた木材の落ちてくる場所が限られていたことも被害が致命的にならなかった理由でもあるようです。
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航空機あるいはヘリコプターから撮られた火災中のノートルダム寺院です。屋根が焼け落ちて、正に炎の十字架です。ノートルダム寺院全体が炎に包まれているように見えますが、クリックすると拡大上の写真を紹介した時に記載している通り、屋根が焼け落ちても、右下の小さな写真の石造りの頑丈な天井(一部は崩壊)によって下の空間が守られていたのです。
つまり石の天井の上が全面的に燃えている写真なのです。この頑丈な石の天井のおかげで内部の壊滅的な被害を免れたと思われます。もしこの状態で空中消火機を投入していたならば、守っていた石造の天井が抜け落ちて壊滅的な被害となった可能性が高いように思われます。
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参考にGoogleマップの航空写真を紹介します。上の写真の炎の形が屋根の形であることが分かっていただけると思います。左方向が東南東方向です。
地図内に赤い文字でIncendie de la cathédrale Notre-Dame de Parisと書かれているのが印象的でしたが、2019年4月18日の6時の時点では表示が無くなりました。
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2019年4月17日 7時24分時点でネットで公表されていた被害状況です。
実際に見ていないので状況は判らないために、記載されていた内容を枠内に、そのまま転記させていただきました。
2019年4月17日 7時24分までに判明している被害状況
■聖遺物
イエス・キリスト(Jesus Christ)が十字架刑に処される際にかぶっていたとされる聖遺物「いばらの冠(Holy Crown of Thorns)」は無事運び出され、現在はパリ市庁舎で保管されている。消防隊はさらに、後に聖人となった13世紀の国王ルイ9世(Louis IX)が着用していたとされるチュニックも救い出した。
15日の火災で崩落した尖塔には、いばらの冠の一部と、パリ市民の間で広く尊ばれている聖人2人、聖ドニ(Saint Denis)と聖ジュヌビエーブ(Saint Genevieve)の遺物があった。
■パイプオルガン
15世紀に製造されたオルガンは数世紀かけて拡張され、現在では8000本近いパイプを有するフランス最大級のオルガンとなった。ノートルダム寺院に3人いるオルガン奏者の一人で、同寺院で35年にわたり演奏してきたフィリップ・ルフェーブル(Philippe Lefebvre)氏は、オルガンに火の手は及ばなかったものの、オルガンの構造が損傷を受けた恐れがあると説明。オルガンの一部ががれきやほこり、水に覆われたと話している。
■ステンドグラス
同寺院が誇る「ばら窓」3つは、ステンドグラスで作られた円形の窓で、13世紀の建造以来、数回にわたり修復されてきた。16日時点で、南側の窓と、西側正面の2つの鐘楼の間に位置する窓の計2つが無事となっている。フランク・リーステール(Franck Riester)文化相は、ばら窓は「破滅的な損害を受けなかったようだ」と語った。
■聖母マリア像37体
寺院内には37体の聖母マリア像が設置されている。リーステール氏は、寺院内の文化財については安全が確保され全面的な調査が可能になった際により詳しい状態が分かると述べている。
■絵画作品
パリの金細工師組合は1630年から1707年の間、毎年5月1日に絵画作品1点をノートルダム寺院に贈呈した。76ある作品のうち、13点が寺院内の複数ある礼拝堂に展示されていた。
リーステール氏によれば、絵画は炎による被害は受けなかったものの、煙と水で損傷。19日にルーブル美術館(Louvre Museum)に運ばれ湿気の除去と修復作業が行われる予定だ。
■13トンの鐘
同寺院で最も古い約300年前に鋳造された鐘は「エマニュエル」の名前で知られ、重さは13トンにも上る。寺院には2013年、9つの鐘が追加された。これらの鐘は火災を逃れたとみられている。
火災の炎の温度は1200℃以下のため、屋根や尖塔に使われている約300トンの鉛は炎では気化することはありませんが、炎で溶解した鉛は煙の一部に含まれ空中で個体となり飛散したものも多少はあると思われます。        鉛の気化温度は1749°C 鉛の融点は327.5°C
posted by SORI at 19:00| Comment(36) | TrackBack(4) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

日本ではちょっと手に入りにくいパリのチョコレート Jacques Genin と Patrick Roger

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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娘とのフランス旅行の5日目にお土産のチョコレートを買うために2ケ所のチョコレート店に行ってみることにいたしました。
パリの沢山のスイーツ店は日本に出店していてパリの有名なチョコレートも日本で簡単に手に入るようになっていますが、今回紹介する2つのお店のチョコレートは手に入れにくいのです。
クリックすると拡大両方ともにパリで1・2を争う評価もあるほどの人気のチョコレート店でありながら日本では未出店の貴重なお店です。その中の1店は日本でもよく知られて話題性のあるチョコレート店です。そこでこの2店のチョコレートをフランス旅行のお土産に買うことにいたしました。
クリックすると拡大この日は朝からヴェルサイユ宮殿に行きパリに戻ってきましたが、シーフードレストランのディナーの予約時間19時まで十分に時間があったのでチョコレート店に行ってみることにいたしました。

ホテルで2つのチョコレート店をパソコンに表示してその画面を写真に撮って地図代わりに地下鉄に乗ってお店を探しに出かけました。幸いにも2店ともにホテルから近い場所にありました。
 ジャック・ジュナン Jacques Genin
 パトリック・ロジェ Patrick Roger
 泊まったホテル   Opéra駅の近く


こちらが地図代わりにカメラで写真に撮ったパソコンの画面です。
      Jacques Genin          Patrick Roger
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ホテルの近くの地下鉄のQuatre Septembre駅から乗り換えなしで1本で行けました。Quatre Septembre駅から6駅目のRépublique駅から420mの距離の静かな場所にお店がありました。泊まっていたホテルから車で行くとしたら2520mの距離です。
こちらの建物一番手前の部分に目的のチョコレート店Jacques Genin(ジャック・ジュナン)がありました。地下鉄の駅を降りて地図代わりのカメラの画面を見ながらなんとかたどり着きました。初めての場所は太陽が出ていないと南北方向が判らないので地図と道の形から方角を見定めて進んでなんとかたどり着きました。古い建物であることは雰囲気から分かりました。
 店名 Jacques Genin fondeur en chocolat
 住所 133, rue de Turenne 75003 Paris, フランス
 電話 01-4577-2901
 営業 平日:11:00~19:00 土・日:11:00~20:00
 定休 月曜日
 最寄 République駅 420m
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その古めかしい建物の正面を紹介します。その建物には文字が書かれていました。クリックすると特別に大きく拡大するので文字が読めると思います。
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文字が読める大きさに拡大いたしました。1699年に建てられたことや建築家の名前が書かれているようです。調べてみると実際に噴水が作られたのは1697年で、Bouchera首相がなくなったのが1699年でした。Fontaine Boucheratは1925年3月17日に歴史的建造物として登録されていました。
FONTAINE BOUCHERAT

ERIGEE PAR L ARCHITECTE

JEAN BEAUSIRE

EN 1699

ET AINSI DENOMMEE EN L HONNEUR DU

CHANCELIER BOUCHERAT
 噴水名  Fontaine Boucherat Bouchera噴水 
 名の由来 Louis Boucherat首相の名前を使用
 建築家  Jean Beausire  1651年2月26日~1743 年3月20日(92歳)
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きっと、こちらも気になると思い拡大いたしました。ライオンは本物の像ですが、男性は壁に書かれた落書きだと思います。なかなかの雰囲気なので、そのまま残されているのではないかと感じました。318年前の歴史的建造物に落書きとは、信じられませんが、これが芸術の都、パリなのかもしれません。
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落書きかどうかを確認するためにGoogleマップのストリートビューで確認いたしました。驚いたことにライオンの胴体も落書きでした。現在(2017年9月11日時点で)見れるストリートビューには Date de l'image : avr. 2016 と書かれていることから2016年4月(フランス語:avr. 2016)に撮影されたと思われます。つまりストリートビューが撮影された2016年4月以降に落書きされたことが分かりました。ここはライオンの口から水が流れ出る泉だったようです。
ストリートビューは、いつかは更新されることから、現状の画面のハードコピーを保管しました。→ポチッ  クリックすると拡大


上で紹介したような歴史的建造物の中にお店がありました。こちらがお店の中です。娘がチョコレートを選んでいるところです。
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チョコレート店の中にも318年前(1699年)の建物一部を表に出しているところがありました。Jacques Geninはオーナー・パティシエ(ショコラティエ)のJacques Genin氏の名前そのものです。
クリックすると拡大右の写真のJacques Genin氏は日本の丸の内、六本木、青山などに出店して有名なラ・メゾン・デュ・ショコラ(La Maison du Chocolat)の元シェフパティシエで、ホテルGeorge V, Meuriceなどにチョコレートやキャラメルを卸して評判が広がったことがきっかけで2008年12月1日に、このお店をオープンさせたそうです。彼はアルゼンチン出身のようです。
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こちらが買ったチョコレートです。
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金属製のケースに入っていました。
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これがJacques Genin(ジャック・ジュナン)のチョコレートです。このチョコレートがパリのチョコレートBEST10で2位のボンボン・ショコラです。
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Jacques Genin(ジャック・ジュナン)の動画がネットに掲載されていたので紹介します。写真と動画の組み合わせで構成されています。


地下鉄のOpéra駅から1駅の場所に2軒目のチョコレート店Patrick Roger(パトリック・ロジェ)がありました。
クリックすると拡大距離はホテルから940mなので歩いて買いに行きました。Patrick Rogerカラー(青緑色)のお店でした。こちらのお店の名前もオーナー・ショコラティエであるPatrick Roger氏の名前です。
 店名 Patrick Roger Madeleine店
 住所 3 place de la Madeleine 75008 Paris
 電話 01-4265-2447
 営業 10:30~19:30
 定休 無休
 最寄 Madeleine-Tronchet駅 250m 
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ショーウインドウにチョコレートのオランウータンがクリックすると拡大飾られていました。上の写真でも、このウランウータンのチョコレートを確認できると思います。Patrick Roger氏はチョコレートの彫刻家と呼ばれておりオランウータンを初めとして、チョコレートで、いろいろな彫像を作っているようです。右の写真では沢山のカバが群れているところが表現されています。
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こちらがPatrick Rogerカラーのチョコレートの箱です。
パリで選ばれたチョコレート人気ランキングBEST10はつぎの通りです。今回紹介の2店のチョコレートが1位と2位でした。6位のチョコの名前は「ボンボン・ショコラと板チョコ」です。
 1位 Patrick Roger のクルール
 2位 Jacques Genin のボンボン・ショコラ
 3位 Jean Paul Hévin のショコラ・アペリティフ・ド・フロマージュ
 4位 La Maison du Chocolat の ボンボン・ショコラ
 5位 Jean Charles Rochoux のボンボン・ショコラ
 6位 Le Chocolat Alain Ducasse Manufacture à Paris のチョコ
 7位 Henri Le Roux のボンボン・ショコラ
 8位 Les Marquis de Ladurée のローズフレーバーチョコ
 9位 Hugo & Victor のスフェール
 10位 Chapon のボンボン・ショコラ
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そして、こちらがPatrick Roger(パトリック・ロジェ)のチョコレートです。飛行機の中で一部のチョコレートが壊れてしまいましたが、味は美味しかったです。壊れた緑のチョコレートは甘酸っぱい味のお店を代表するチョコレートでした。真ん中の壊れた丸いチョコレートが上で紹介のパリBEST10で1位のクルールです。同じものをお土産として実家に持って行きました。
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チョコレートの下には紙が敷かれていると思ったら、それもチョコレートでした。この板チョコも抜群に美味しかったです。Patrick Rogerはフランスに7店舗(パリ6店舗 )とベルギーのブリュッセルに1店舗を展開しています。日本には未上陸です。
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チョコレート以外のお土産です。
パリではチョコレート以外ではシャンゼリゼ通りのLADUREEでマカロンを買いました。マカロン以外はモンサンミッシェルで買った塩とクッキーと飴です。
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参考にマカロンのお店を紹介します。
こちらは日本に進出している有名なお店です。
 店名 LADUREE ラデュレ
 住所 13 Rue Lincoln, 75008 Paris, フランス
 電話 01-4075-3825
 創業 1862年 パリ( Paris )
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お店の中は高級な雰囲気であふれていました。沢山の人が入っていました。
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こちらがマカロンが入った箱です。
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アルコール類は下記の3種類をお土産に買いました。ただしフランスで買ったのは左端の赤ワイン、2010年産のMargauxだけです。
2010年産のMargauxは長年パリに住んでいる知り合いの方にワインバーに連れて行ってもらって教えてもらいました。→ポチッ
 焼酎    機内販売 森伊蔵
 純米大吟醸 成田空港 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
 赤ワイン  CDG空港 Château Marsac Séguineau Margaux 2010
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posted by SORI at 23:59| Comment(28) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

コンシェルジュリー(Conciergerie)

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世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。
コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。

且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。


王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。西側から見た景観です。上の3Dの画像と見比べてほしいです。この絵からサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。
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パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
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こちらがコンシェルジュリーへの入口です。
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非常に広い空間でした。その空間を利用した展示が行われていました。この広い部屋は「憲兵の間」と呼ばれています。床面積は1800㎡だそうで、兵士たちの食堂として使われていたそうです。
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展示物の少ない見通せる一からの写真です。
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中央の螺旋階段が印象的でした。
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かつては王宮だった建物ですが、飾はほとんどありませんでした。そんな中でメドゥーサ(Medousa)が彫られた石板は印象的でした。
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この建物が牢獄として使われたことが関係しているかどうかは分かりませんが、各所に鉄格子が使われていました。大広間を仕切るように設置された鉄格子も印象的でした。この鉄格子の奥に牢獄エリアがありました。
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鉄格子を拡大いたしました。巨大で見事な鉄格子でした。
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石の天井を支える柱の構造も印象的でした。
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さらに奥に進むと牢獄がありました。
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古い大きなテーブルが置かれた部屋がありました。
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こちらが牢獄です。ベッドはなく藁の上に寝ていたのだと思います。
調べてみると最も貧しい囚人パイユー(Pailleux)が多数で入った雑居房だそうです。藁が敷かれた床に直接寝るしかなかったので、この囚人のことを「わら族」と呼ばれたそうです。
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部屋は罪の重さではなく経済力で決まったそうです。
ベットがある牢獄もありました。このような牢獄は有料で経済力に応じてその待遇が異っていたそうです。支払った額で囚人は3つに分けられたそうです。こちらの部屋はピストリエ(la pistole 中流層の囚人)の部屋でした。
 パイユー         貧困層の囚人 雑居房 藁敷き 不衛生 
 ピストリエ        中流層の囚人 雑居房 ベッドあり 
 プリゾニエ・ドゥ・マーク 富裕層の囚人 独居房 ベッド・机あり
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上の写真は雑居房ですが、プリゾニエ・ドゥ・マーク(prisonnier de marque 富裕層の囚人)は、さらにお金を払うことで、独房(一人部屋)が与えられ、読書や書き物をすることも許されたそうです。
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沢山の牢獄の中で特別な部屋がありました。有名なマリーアントワネットが投獄された牢獄です。
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こちらがマリーアントワネットが投獄された部屋です。ここに2ケ月半投獄された後にコンコルド広場にて処刑されたそうです。ここに投獄される前はタンプル塔に投獄されていました。フランス革命の後の恐怖政治時代には隣接された革命裁判所で死刑判決を受けて処刑された人は2780名にもなったそうです。旧体制派の多も死刑となりました。マリーアントワネットも、恐怖政治の犠牲者の一人だったようです。
 1792年08月10日 タンプル塔に投獄(幽閉)
 1793年08月08日 コンシェルジュリー監獄に移送 
 1793年10月15日 死刑判決
 1793年10月16日 死刑   集団墓地に埋葬
 1815年01月21日 王政復古により歴代の王が眠る大聖堂に改葬
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頑丈で大きなカギが印象的でした。
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兵士の詰め所も横にありました。厳重な監視が行われていたようです。
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曰くありげな石も展示されていました。
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その曰くありげな石の横では、プロジェクターでコンシェルジュリーに関する説明が行われているようで、熱心に皆さん聞かれていました。フランス語が分かれば、この石がなんであるかが分かったのかもしれません。
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排水溝の出口と思われる部分にも鉄格子が取り付けられていました。
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階段で2階にも上がれました。


2階には、いろんな展示がありました。この部屋には処刑された人物の名前が書かれていました。ルイ16世やマリーアントワネットの名前もあるそうです。
そして2階にも牢獄がありました。実は上で紹介した3種類の牢獄は2階で撮ったものです。
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当時のことを説明した絵も展示されていました。
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貴重な資料が沢山展示されているようで沢山の見学の方がおられました。
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別の階段で1階に下りました。


神聖な雰囲気の場所ですが2階部分には鉄格子がはめられていました。
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鉄格子を拡大いたしました。
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ここは「贖罪のチャペル」と呼ばれている礼拝堂のようでした。
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ここは唯一鮮やかな色合いの場所であったことから、特別な場所のようにクリックすると拡大感じました。MとAを組み合わせた紋章であることからマリーアントワネットと関係しているように思われ、気になって調べた結果、マリーアントワネットの独房のあった場所で、王政復古の1年後である1815年に「贖罪のチャペル / マリーアントワネット記念礼拝堂」が作られたことが分かりました。すぐに作られたことからみんなが気にしていたのだと思います。また、上で紹介したマリーアントワネットの独房の写真はすぐそばの場所に復元されたもので、本来はこの礼拝堂の場所に同じものがあったわけです。
フランス革命によって犠牲となったマリーアントワネットのために王政復古後に礼拝堂が作られたと知って、少し報われた気がしました。
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マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。
我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。
    À LA MÉMOIRE           À LA MÉMOIRE
    DE LOUIS XVI         DE MADAME ELISABETH
    ROI DE FRANCE          SOEUR DU ROI.
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この礼拝堂にはいろんな空間が作られていました。
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この空間には絵が飾られていました。調べた結果、マリーアントワネットの絵であることも判りました。
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中庭もありました。女性囚人の中庭と言われているようです。男性囚人の中庭もあるそうですが、女性用に比べると狭かったそうです。
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女性囚人の中庭には洗濯場もありました。ここで女性囚人達は話をしながら洗濯をしていたのかもしれません。
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こちらの中庭は断頭台(死刑台)への馬車が出発する場所だったそうです。コンシェルジュリーはサント・シャペルと2枚セットにすると安くなることも訪れた理由の一つでしたが、実際に見てみて有意義な場所であることを知りました。
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今回のフランス旅行でコンシェルジュリーの建物の外観を撮ったのはセーヌ川のクルーズ船の上からの冒頭の写真のみなので、2005年12月3日に撮ったノートルダム橋の上からのコンシェルジュリーの写真も紹介します。初めてフランスに来た時にセーヌ川を散策して撮った写真でが、今回が8回目のフランスとなりました。
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コンシェルジュリーと周辺の訪問場所を紹介します。
 コンシェルジュリー Conciergerie
 サント・シャペル  Sainte chapelle
 ノートルダム寺院  Cathédrale Notre-Dame
 ━━ セーヌ川クルーズ
ラベル:牢獄 宮殿 パリ
posted by SORI at 12:07| Comment(24) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

サント・シャペル(Sainte chapelle)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行の最終日(7日目)は帰国日ですがフライトは21時55分発のためパリ市内観光がたっぷりとどきました。オルセー美術館(Musée d'Orsay)で、その後はステンドグラスで有名な教会であるサント・シャペル(Sainte chapelle)に行きました。上の写真がサント・シャペルです。周辺には建物が沢山あるので建物の全体の写真を撮るのは難しいのですが、最も広い範囲が入ったのが上の写真です。

建物の全体を写真で紹介するのが難しいのでGoogle地図の3D画像を掲載いたしました。サント・シャペル(Sainte chapelle)は「聖なる礼拝堂」という意味だそうです。この教会はセーヌ川の中にあるシテ島の中に建っています。シテ島にはノートルダム寺院も建つパリの中心に位置する島でもあります。サント・シャペルはルイ9世が収集し聖遺物を納めるために建てられた教会堂だそうです。建設が開始された正確な日付けは不明だそうですが1241年秋~1244年5月の間に建設が開始され1248年4月26日に献堂されたことから4~6年の工事期間であったと推測されています。
 1241年秋  聖遺物がパリに到着した日  
 1244年5月 ローマ教皇の勅書に工事のことが書かれていた日


建物の下の部分です。
聖遺物の収集はルイ9世(聖ルイ or 聖王ルイ)によって1239年から始められました。この時代多くの貴族は遺物を盗んで収集していましたが、ルイ9世は大金を支払って購入したそうです。有名な物ははコンスタンティノープルのラテン帝国皇帝ボルドワン2世から購入したキリスト受難の貴重な聖遺物である荊冠です。 それ以外に「聖十字架のかけら」や「聖血」や「墓石」などがあります。
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上の写真で左の方に移っている入口の部分です。建物が建設(献堂)されて今年(2017年)で769年が経ったことになります。
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その入口の上の部分です。
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今回の旅行の中で美術館を除き、最も沢山の人が並んでいたところでした。別の日に前を歩いた時は行列が道路のにまで長く続いていました。我々が行った時間帯は意外と少なく13分で中に入れました。
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行列に並んでいる時に撮った写真です。入口まで来て分かったことですが、事前にチケットを持っていると早く入れることが判りました。赤い看板のところから建物に入るのですが、その左奥でチケット買って中に入りました。右側と左側に列があるのですが右側はほとんど並んでいませんでした。チケットを持っている人もここまで来て気付くひとが多かったです。
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入口を入ってすぐの建物内部の写真です。沢山の人が見学されていました。
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礼拝場所に向かって進んで上と同じ方向を撮った写真です。
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同じ場所から入口の方向を撮った写真です。
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壁の部分の彫像です。
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入口から入って最も奥にサント・シャペルの建設を指示したルイ9世の像が置かれていました。
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沢山のステンドグラスで飾られていました。
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厳かな雰囲気が漂っていました。
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それにしても柱が多かったです。実はこれには理由があることを後で知りました。
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窓の一番上の部分です。
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その窓の一番上のステンドグラスです。
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そのステンドグラスの中央の部分を拡大して撮りました。
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別の窓の一番上のステンドグラスです。
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そのステンドグラスも拡大して見ました。
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素晴らしいステンドグラスはありましたが、長い行列が出来る人気の教会にも関わらず、天井は低くく他の教会に比べてもどうして人気なのか不思議に感じながら入口の方に戻りました。
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その入口近くに2階へ上がる螺旋階段があり皆さん上に登っていたので我々も登ることにいたしました。そこで驚く光景に出会えたのです。
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下の写真が2階へ上がった最初に目に入ってきた光景でした。クリックすると拡大この景観を見て1階で感じていた疑問が全て消えました。
右の写真の建物の外観をよく見ていればこのことに気が付いたはずですが、余裕がなかったようです。そのまま外に出てしまわなくてよかったです。それでは本格的にサント・シャペル(Sainte chapelle)を紹介したいと思います。
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こちらが螺旋階段側から見た正面の写真です。見事なステンドグラスです。と言うよりはステンドグラスで出来た建物と言った方が正確な表現になるような気がします。
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少し遠くから撮った仕様面の写真です。本写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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正面に近づいた景色です。ゴシック建築が最も輝かしかった時期の頂点ともいえる傑作だそうです。
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こちらは正面の祭壇のような部分です。
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祭壇の上の部分のステンドグラスです。
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さらに祭壇に近づきました。
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上を見上げた景色です。
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真上を見上げた、天井とステンドグラスの景色です。見事としか言いようがありません。769年前に、これほどの建物を建てたと思うと、その技術に驚かされます。
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少し離れて別の角度から祭壇側を撮った写真です。
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建物の側面のステンドグラスの大きさには驚かされました。
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螺旋階段側には大きな丸いステンドグラスがありました。
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丸いステンドグラスを拡大いたしました。このように丸いステンドグラスは一般的にバラ窓と呼ばれています。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしましたので一つ一つの模様を確認できると思います。
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上の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために一部を拡大いたしました。ことらは中央より下の部分です。
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こちらの拡大写真は左端の丸い部分がステンドグラスの中央です。
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大きな丸いステンドグラスの下の壁は壁画などで装飾されていました。
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その壁画の部分です。
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中央の壁画を拡大いたしました。
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丸いステンドグラスがあった壁の右コーナーです。
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こちらは左コーナーです。
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このようなステンドグラスもありました。
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床も見事な文様で飾られていました。数百年の間、沢山の人が歩いても文様がきれいに残っているのに驚かされました。
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名残惜しいけれでも最後に正面の写真を撮ってサント・シャペル(Sainte chapelle)を離れることにいたしました。ここを訪れてサント・シャペルのステンドグラスは世界最高と称されていることに納得いたしました。
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1階に下りる螺旋階段です。


外から建物を見てステンドクラスで出来た建物であることが実感されました。ステンドグラスの窓の面積の比率を大きくすると建物の強度は下がってしまいますが、柱を長方形にして強度を保つ工夫があるからこそ出来た内部の景観なのだと思います。つまりステンドグラスのための建物の構造なのだと思います。他の大聖堂と少し外観が違う理由が判りました。
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祭壇があった外側です。こちらの写真でステンドグラスの面積を広くするための巨大な長方形の柱がよく分かってもらえると思います。
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内部からの景色を想像しながら、外から側面のステンドグラスもじっくり見てしまいました。巨大なステンドグラスの大きさが実感できました。
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サント・シャペルと周辺の訪問場所を紹介します。
 サント・シャペル
 ノートルダム寺院
 コンシェルジュリー
 ルーブル美術館
 オルセー美術館
 ━━ セーヌ川クルーズ
 ━━ シャンゼリゼ通り


追伸
2017年7月21日早朝から7月24日まで北海道旅行に行ってきます。初孫がいる長男家族に会って一緒に積丹(しゃこたん)に行き、人気のお店で赤バフンウニを食べてくる計画です。家に帰ってくるのは7月24日の夜遅くです。今回はPCは置いていくので7月21日から7月25日までは皆さんのところに訪問できないことお許しください。新しい記事の掲載やコメントも7月25日以降になると思います。
ラベル:パリ 教会
posted by SORI at 08:37| Comment(36) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

自転車の手軽さで借りれるレンタル電気自動車 Autolib'

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランスは2007から始まった無人でいつでも自由に借りれて返せるレンタルサイクル(Vélib)が普及しています。この日の天気は雨模様だっで自転車が駐輪場に沢山並んでいましたが、普段は残っている自転車が少なく町の中をこの自転車が沢山走っています。この写真はパリのシャンゼリゼ通りに交差する道路で撮ったものです。登録をするといつでも好きな時間に好きな場所で借りれて、好きな場所に返すことが出来るのです。実はこれと似たシステムのレンタカーがあることを知りました。つまり無人で、好きな時間だけ借りれて好きな場所に返すことが出来るシステムです。好きな時間だけと言うところは最近流行りのシェアカーと同じですが、それがさらに進歩したシステムでした。しかも使われている自動車は電気自動車(EV車)でした。

そのことを知るきっかけになったのがフランス旅行5日目にヴェルサイユ宮殿に行った時でした。RER(パリ高速鉄道)に乗ってヴェルサイユ宮殿の最寄駅であるVersailles Chateau Rive Gauche駅に着いて、外に出た時に最初に目に入ってきたのがこちらの写真です。見た瞬間に無人のレンタカーであることかはわかりましたが、それ以上のシステムに関しては判りませんでした。記事を書くにあたり手掛かりになったのが、車の後ろの左側のロゴマークでした。
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クリックすると拡大そのロゴマークが右の画像です。
ロゴマークの中にautolib'の文字が組み込まれていて、そのAutolib'でネット検索することで実態が判りました。
 ネット検索 → Wikimedia 詳しい説明
下は前から撮った写真です。このシステムが最初に行われているのパリで、今は3つの町で行われています。5年前から行われていたのにも驚かされましたが、高額なはずの電気自動車が使われていることにも驚かされました。
 2011年12月 Paris
 2013年10月 Lyon
 2014年01月 Bordeaux
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車の車種は同じようでしたが先頭は真っ赤な車でした。車でデザインからも後ろの6台と明らかに違うことからモデルチェンジした新型要でした。料金を調べてみると以下の通りで、かなりお得のような気がしました。
 基本料金 年間144€
 利用料金 ~30分 5€  30分~60分 4€  以後30分毎 6€
また、車の場合は事故がつきものですが、万が一の場合の各自の事故負担額も次のように決められていました。
 1回目事故 200€
 2回目事故 475€
 3回目事故 750€
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クリックすると拡大その真赤な最新モデルの車を拡大いたしました。電気自動車の車名はBluecarで、ボロレグループ(Le groupe Bolloré)が開発したそうです。autolib'と言ういい方とutilib'の2種類の言い方があるようです。
車を前から見てフロントガラスの左側にレンタカーの識別番号らしきものがあります。こちらの車の番号はUN05693でした。
普通のAutolib'は4人乗りですが、この赤いAutolib'は2人のutilibは2人乗りで後ろ半分は荷物が沢山載せられるようになっているそうです。
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ここでは7台が設置されていました。識別番号らしきものを読み取るとバラバラでした。この番号のバラバラの状況から、いろんな場所の車がいろんな場所に返されていることが想像されました。
 1台目 UN05693
 2台目 300
 3台目 V1009
 4台目 C1059
 5台目 C0537
 6台目 BV01683
 7台目 BV05825
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こちらが充電と管理を行うケーブルだと思います。これが1番の赤い車のケーブルです。パリ周辺で250ケ所(2012年時点)にステーションが設置されているそうです。採用されている電気自動車の航続可能距離は150km~250kmだそうです。利用者登録は有人のステーションEspace Autolib’(エスパ
ス・オートリブ)に設置されているTV電話を用いて、オペレーターからの指示に従って行います
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こちらが2番の車のケーブルです。実は、これらの写真を撮っていたために駅舎の中の石像に気がつかなかったのです。
鉄道や普通のレンタカー(シェアカー)と比較したデーターがありました。家族4で30km離れた場所を往復し、滞在時間を含めて3時間を要した想定の料金です。年会費144€を払ってさえいれば、いずれの場合においても普通のレンタカーより得です。車を返す場所の無い目的地で、滞在時間が長い場合は鉄道が得です。
 Autolib'      33.0€
 鉄道       50.4€
 普通のレンタカー 75.0€ + ガソリン代
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posted by SORI at 18:36| Comment(26) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月31日

パリ市内の観光は地下鉄の一日券が便利

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2016年5月8日~5月15日でのフランス旅行の4日目までの47記事を3ケ月半かけて掲載してきました。5日目以降に関してはこれから掲載していきたいと思います。ちなみに上の写真は7日目に訪れたサント・シャペルのステンドグラスで、今回の旅行の中で最も感激した光景の一つです。詳細は後半の記事で紹介したいと思います。他の記事も書きながらなので5日目から7日目の記事を全て掲載するのは年内を目標にしております。
  飛行機の機内     2記事 → 行き 帰り
  モンサンミッシェル 21記事 → ポチッ
  オンフルール     3記事 → ポチッ
  ルーブル美術館   10記事 → ポチッ
  パリ市内      11記事 → ポチッ
  合計        47記事
下記のスケジュールはこの回の旅行での主な訪問場所です。1日目はホテルの周辺を徒歩で歩きました。モンサンミッシェルとロワールに関しては旅行社(マイバス社)の手配する車とバスを利用しました。残りの3日間に関しては地下鉄と郊外電車を使って移動いたしました。リストのなかの「5回や8回」が地下鉄や郊外電車に乗った回数で、4日目が5回で、5日目が8回で、7日目が5回の合計18回ほど地下鉄や郊外電車を利用いたしました。
 1日目 0回 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 0回 モンサンミッシェル
 3日目 0回 モンサンミッシェル
 4日目 5回 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 8回 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 0回 ロワールの城めぐり
 7日目 5回 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他

地図で地下鉄で移動した主な観光場所です。その移動に便利だったのが地下鉄でした。パリには東京のように地下鉄であらゆるところに行けるのです。
クリックすると拡大  泊まったホテル
  ルーブル美術館
  オルセー美術館
  サント・シャペル
  コンシェルジュリー
  ノートルダム寺院
  凱旋門
 ━━ シャンゼリゼ通り
 ━━ セーヌ川クルーズ
  クルーズ乗降場


こちらが地下鉄の乗車券で値段は1.8€です。日本の地下鉄と違い距離には関係なく均一料金なので遠くまで行くときは特に便利です。


さらに便利なのが地下鉄の一日券です。価格は7€のため4回乗ると元が取れます。1.8€x4=7.2€>7€
なんといっても地下鉄に乗ることに毎回乗車券を買わなくて済むのが便利でした。正式にはゾーン1~2の一日券です。


こちらはヴェルサイユ宮殿に行くときに使った地下鉄+郊外電車の一日券です。価格は11.5€で、ヴェルサイユ宮殿を往復するだけでほぼ元が取れてしまうほどお得です。この時は市内の地下鉄も含めて8回乗ったので最もお得な1日となりました。正式にはゾーン1~4の一日券です。 


パリの地下鉄の路線図です。クリックすると駅名が読めるサイズに拡大します。我々は泊まったホテルの最寄駅のOpéra駅を拠点に移動いたしました。Opéra駅は3号線と7号線と8号線の乗換駅でもあります。通路で9号線と12号線と13号線にもつながっている便利な駅です。
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上の路線図のOpéra駅あたりを拡大いたしました。中心がOpéra駅です。クリックするとオリジナルのPDFを表示します。ヴェルサイユ宮殿に行くときはOpéra駅で地下鉄8番線に乗ってInvalides駅で郊外電車に乗換て行きました。
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こちらがOpéra駅8番線のホームです。
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ラベル:地下鉄 パリ
posted by SORI at 23:26| Comment(20) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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