2013年09月16日

ジャカルタのショッピングモール


ショッピングモールに行ってみました。3種類のショッピングモールを紹介いたします。


①大きなデパートです。

その中に1フロアーすべてがインドネシアの民芸品で埋め尽くされたフロアーがありました。これは圧巻です。1~4階は日本の近代的なデパートそっくりですが突然途中の階からイスラム風の雰囲気になりさらに上に行くとこの民芸品フロアーになりました。写真に写っているのはほんの一部です。ネットで調べると「インドネシアのお土産ならココがお勧め」だそうです。


地下はすべて食堂街でした。ものすごい広さです。この写真もほんの一部です。



②屋外式のショッピングモール(?)

いろんなものが安く手に入りそうです。


衣類が多いです。



③庶民的なショッピングモール

ここは屋内です。沢山のお店が入っていました。


ここはあらゆるものがありました。でも衣類が多かったです。ジーパンが45000ルピア(約450円)と日本と比べるとやっぱり格段に安い気がします。


この看板の意味はわかりますか?  70%+20%=90%引きで1000円の物が100円になるのではないですね。
たぶん1000円の物が先ず70%引きで300円になりさらに20%引くので240円になるのだと思います。



上の3種類のショッピング街は同じ場所にありました。この写真の場所です。左の建物が近代的デーパートPasaraya Grande (パサラヤ・グランデ)で
す。正面の蜂の看板の下をくぐっていくと他のショッピング街になります。


このあたりはなぜか三輪車が多い地域でした。
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2013年09月14日

ファタヒラ広場



上の航空写真の青いマークのカフェバタビア(Cafe Batavia)の前には、見ての通り、大きな広場がありました。その広場には沢山の丸い石があったがあったことはことはすでに紹介いたしましたが、その広場の名前を検索した結果、その広場はFatahillah Square (Taman Fatahillah)であることが判りました。日本語で呼べばファタヒラ広場です。ここでは広場を散策した時の写真を紹介いたします。その広場の周りにはカフェバタビア以外にも黄色いマークの名だたる古い建物がありました。いずれも140年前、371年前、301年前に建てられたもので、今は博物館として使われているようでした。
ジャカルタは最初はスンダ・クラパと言う小さな港町でした。そのスンダ・クラパにやってきたポルトガル人と戦い、彼らを海岸から追い払った戦によって、ジャカルタ市の歴史の基点を作り出したファタヒラ将軍の名がファタヒラ広場という名で記念されているそうです。
ファタヒラ広場はオランダ植民地東インドの首都バタヴィア(Batavia)時代の旧市街地のほぼ中心にあります。バタヴィア(Batavia)時代の旧市街地は「コタ」(町)とよばれていました。ジャカルタ市やジャカルタの商業人たちはいま、これといった観光の目玉になる資源に乏しいジャカルタにあって、バタヴィア時代の古い町並み―煉瓦造りのオランダ商館や植民者の住宅などが残っているコタ一帯を手入れして保存し、ここでさまざまなイベントを行いジャカルタの目玉的な歴史的風致地区にしようとしているそうです。

それでは3つの黄色いマークの建物を紹介いたします。この建物はインドネシア語でMuseum Seni Rupa dan Keramikと書かれていました。右側のマークの建物です。
1870年1月12日に建設された政府関係の建物のようです。


こちらは左側の黄色いマークの建物です。インドネシア語でMuseum Wayangです。こちらは1640年に教会として建てられたそうです。その時はOude Kerk Hollandsche("オールドダッチ教会)で、1732年に修復されて名前もHollandse Nieuwe Kerkと変わったそうです。その後も何度か改装・建て替え行われたそうです。現在はインドネシアの伝統的な人形の博物館となっているようです。


おそらく、こちらの建物が最も有名だと思います。広場の名前にもなっているMuseum Fatahillahです。 1707年から1710年に建設されて総督府(市庁舎)して使われていました。つまりこの辺りがオランダ統治下での町の中枢部分だったことがうかがえます。この辺り全体が昔の雰囲気を残したものが沢山残っているそうです。


この場所の昔の絵をネットから探しました。正面が市庁舎、つまり今のMuseum Fatahillahで、右側が今のMuseum Wayangの場所で左側が今のMuseum Seni Rupa dan Keramikです。この絵の大きな広場が、今回紹介している広場なのです。
広場の真中に小さな建物があります。この建物のことを覚えておいて、下の記事を見ていただきたいと思います。


広場は観光客の人だけでなくジャカルタッコたちの憩いの場所で沢山の人がおられました。この写真はMuseum Fatahillahの正面入口前のあたりを撮ったものです。


若者たちも記念撮影をしていました。正面に見えている建物はすでに紹介しているカフェバタビア(Cafe Batavia)です。その位置関係から考えると、彼女たちが記念写真の背景に撮っているのはMuseum Wayangだと思います。


それぞれが自由な服装で広場につながる道を歩いていました。


広場の真中には不思議なモニュメントがありました。この日は何らかのイベントがあったようで、大きなテントが建てられていました。上の昔の広場の絵にも広場の真中にモニュメントに似た建物があります。このモニュメントは昔を再現したもののように思えました。冒頭の航空写真でも、このモニュメントが広場の真中にあることが分かると思います。


屋台も沢山ありました。本当に屋台が多かったです。


広場の中に、不思議な光景がありました。荷物が一列に並べられていました。場所取りのように感じました。夜にはここに沢山の屋台が並ぶのかもしれません。


広場で、もう一つの名物なのがレンタル自転車が並んだ景観です。この広場を中心にオランダ統治時代の街並みが沢山残っており、それらを廻るのに自転車が便利なのでしょうか、沢山のレンタル自転車が広場の中に並べられていました。帽子も一緒に貸してくれるのでしょうか。自転車に一つ一つ帽子がつけられていました。


近く(500mの距離)には1870年に作られたコタ駅があります。そのコタ駅を車の中から見ることが出来ました。インドネシア語の正式名はStasiun Jakarta KotaでKRLジャボタベック全線の列車とジャワ島各地への長距離列車の始発駅となっている鉄道駅です。
この駅は19世紀末までBatavia Zuid(南バタヴィア)と呼ばれていました。またBataviasche Ooster Spoorweg Maatschapijの略でBEOS駅と通称されていました。東バタヴィア鉄道輸送会社(英語:East Batavia's Train Transportation Company)だったそうです。
駅は西洋風であり現地風でもあります。現在の駅の建物は1926年にオランダ人の設計家Frans Johan Louwrens Ghijsels(1882年9月8日生まれ)によって設計された駅に改装された姿となっています。
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2013年09月13日

すごい! 警備員の人数

が表示された写真はクリックすると拡大します。

IMG_1470-960-1.jpg
インドネシア・ジャワ島のジャカルタの話しです。この写真は泊まったホテルの入口です。大きなゲートで入ってくる車を止めて厳重にチェックしているんです。
トランクの中、室内、車の底を確認するんです。一番最初は驚きましたがその内に慣れっこになりました。
ホテルだけではなくてこの町のビルはすべて同じシステムなんです。車の検査をした上でビルに入る時は空港の安全検査のような金属探知機で検査します。隣のビルへの裏口では人通りも少ないのでカバンに器具を当てて爆発物チェックまでやってくれました。手馴れているので手間はかからないので、まったく苦にはなりませんでした。
一つのビルで雇っている警備員は100人は下らないと聞いて驚きです。ジャカルタの街全体では何人の警備員の人がいるのかな。

我々のホテルは特別でした。さすが国際的な財界の人のご子息が結婚式を挙げるホテルでした。
車のゲートの検査は民間の警備会社ではなくて本物の警察官でした。これにはさすがに驚きました。これは裏口側です。こちらはほとんど閉鎖状態でした。
IMG_1320-960.jpg

ホテルの廻りは高層ビルと平屋が混在する世界です。
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posted by SORI at 13:57| Comment(4) | TrackBack(1) | インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

この丸い石はなに



200年以上の歴史のあるカフェであるCAFE BATAVIAの前は大きな広場になっています。大変な数の丸い石があったの広場の石を紹介いたします。

ほとんどの丸い石は、この広場の入口にあたる部分に車止めとしておかれていました。CAFE BATAVIAの横の道に並べられていました。


こちらは広場の東側の北からの道の入口に置かれています。やはり車止めとして利用されていました。


こちらにもきれいに並べられていました。


この丸い石の目的が気になるところです。
クリックすると拡大ベトナムのハノイの監視塔で、大砲と石の砲弾を見ましたが大きさが違いました。この回のものは、ものすごく大きいです。この大砲は広場に面して建っていたMuseum Fatahillahの正面に設置されていた4つの大砲の中の1つです。 Museum Fatahillahは1707年から1710年に建設された旧市庁舎です。


大砲の弾としては大きすぎる気がします。


大きな丸い石を拡大したしました。やはり、この大きさの石の砲弾を使った大砲なんか存在しないように思えました。


ネットで調べていると、ありました。重さ260kgの石の砲弾を飛ばす大砲がこれです。
射石砲(しゃせきほう)と言うそうです。中世に用いられた大砲の一種。
その名のとおり石を打ち出すもので、大体は攻城戦で用いられたそうです。この写真はネットから拝借いたしました。
この写真のものはエルサレムの聖ヨハネ騎士団の射石砲, ロードスで、1480-1500年頃のものだそうです。オスマン帝国の攻撃からロードスの城壁を守るために作られた物で自重3,325kgで、重量260kgの石弾を撃ち出せたそうです。
石の直径と重さの関係を計算してみました。石の比重を2.65として計算しています。
   直径    重さ
    mm     kg
   200.0    11
   300.0    37
   400.0    89
   500.0   173
   572.2   260
   600.0   300
ありえそうなサイズです。あの石は大砲の弾だった可能性が高い気がします。
クリックすると拡大
この広場につながっている道の入口に並べられていました。
青いマークがCAFE BATAVIAの場所です。

posted by SORI at 04:08| Comment(22) | TrackBack(1) | インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月11日

巨大テーマパーク

が表示された写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ジャカルタの近郊に昔の建物を再現したテーマパークがあると聞き行ってきました。ここが画期的な扇風機が設置されていたところです。
日本だとテーマパークの外に駐車場があり、そこで車を降りてテーマパークに入りますが、ここでは車も一緒に入ります。歩いて中を移動するのは大変なのでテーマパーク内は車で移動するんです。バスで来た人は貸し自転車があったのでこれを利用するのもいいかもしれません。

パンフレットの中の地図を見ると池の中の島がジャカルタの地図になっているのがわかります。ここはタマンミニ (Taman Mini Indonesia Indah)と言う場所でした。
クリックすると拡大

航空写真で池を探しました。こちらの方がジャカルタの地図の形が鮮明だと思います。


確かにいろんな建物があり楽しめそうです。
クリックすると拡大

この日はショッピングモールや海岸に行き漁船も見た上で行ったので一つ一つのパビリオンを廻る時間がありませんでした。そこで空中ゴンドラに乗ってみました。
クリックすると拡大

ここは建物を見るだけではなくてパビリオンの中ではいろんなことをやっておりネットで見ると「インドネシア各地の文化、建築の違い、日常の生活ぶりなどを知る事ができる。」そうです。本来ならば一日かけて来る場所でした。


人と車の入場券です。人は90円 車は100円
やたらと安い気がしますが皆さんのご意見は!


下の写真は衛星写真から拝借いたしました。場所はタマンミニではなくてジャカルタの海岸を見るために入場した遊園地アンチョール(ANCOL)です。下の写真をクリックしてみてくださいは広さが実感してもらえるかもしれません。遊園地アンチョールも車で中を移動するんです。
バリ島に比べてジャカルタは海外からの観光客は少ないのでこれらの施設はインドネシア国内(および近隣諸国)や地元の人たちのレジャーの場所になっているよう気がしました。いずれも「あまりの広さ」と「内容の充実」に圧倒されてしまいました。
衛星写真で確認するとアンチョールは東西が2km(海岸線だけだと3.2km)で南北が1kmです。ディズニーランドか700mx600mの楕円形なので大きさが実感してもらえると思います。タマンミニはさらに大きいのです。
半端じゃない巨大レジャー施設のような気がします。巨大な施設アンチョールやタマンミニの名前を覚えておいてください。
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posted by SORI at 21:54| Comment(18) | TrackBack(1) | インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホテル インドネシア ケンピンスキー(Kempinski)



インドネシアのジャカルタ(Jakarta)で2泊したホテルの名前がケンピンスキー(Kempinski)でした。恥ずかしながらケンピンスキーは知りませんでした。調べてみるとドイツ系の世界的なホテルで各国にありました。上の写真で高層ビルも含めて高層ビルの左側が全てケンピンスキーのビル群です。ただしホテルとして使われているのは一番左側のビルです。その他のビルはショッピングモールなどとして使われていました。
このホテルは元々はホテル・インドネシア(HOTEL INDONESIA)という地元の有名なホテルでしたがケンピンスキーが買収して建物の外観はそのまま残して内部を改装したそうです。Kempinski-167.jpgそれもビルを建て直した方が安価に出来たと噂されるほどの改装でした。そのやり方が建物を大切にするヨーロッパ風なのでしょうか。正式名はKempinskiですが、右のように有名なHOTEL INDONESIAはまだ使われていました。だからネットで検索しても「ホテル インドネシア ケンピンスキー」と言い方が多いのです。

建物の中は常に新しい蘭(ラン)の花が、いたるところに飾られていました。写真の花はロビーの真中に飾られていた蘭の花です。


チェックインカウンターの後ろ側が開放的なガラス張りになっているのも印象的でした。カウンターも4つあり、従業員の人も忙しい時には沢山おられてチェックインもチェックアウトも待たされることがありませんでした。


ガラス張りの外側は庭になっていました。さすが巨額な改装をしただけのことは事実のように思えました。


部屋も立派でした。泊まったのは標準的な部屋(朝食付き 税込み 約11,600円)でしたが最高のもので出来ている感じがしました。こちらは入口側からの写真です。


そしてこちらが窓側からの写真です。ブラインドのところがバスルームです。


バスルームという名にふさわしい広い部屋にTOTO製の大形の浴槽が置かれていました。


シャワーとトイレはそれぞれ別の部屋になっていました。左側の透明ガラスの部屋がシャワー室です。シャワー室だけでもかなりの広さでした。右側のスリガラスの部屋がトイレです。こちらにもTOTO製の高級なウオシュレットトイレが備えられていました。


シャワー室には大好きな大形のレインシャワーが取り付けられていました。


こちらが洗面台です。


机もガラス製のモダンなものが使われていました。実は同レベルのホテルと比べると若干、お得な価格なのも、うれしかったです。東京でこれほどの部屋に泊まったらどれほどの価格なのか気になるところです。と言っても東京で泊まったのは東京ドームホテル品川のホテルパシフィックだけなので比べようがありません。


ジャカルタの中心的存在の大形ロータリの、そばにあり、このローターリーの周りにはKempinski、Grand Hyatt、日航ホテル、Mandarin Orientalなどの高級ホテルや高級ショッピングモールに超高層オフィスビルが立ち並ぶ場所でした。紫の押しピン・マークがホテルの位置です。
赤い線は朝の散歩のルートです。そのうちに景色を紹介したいと思います。

より大きな地図で Kempinski を表示
posted by SORI at 13:17| Comment(20) | TrackBack(3) | インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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