2014年11月28日

ロシア料理(ウクライナ料理)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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モスクワには成田空港からの直行便で4月25日に到着しました。ホテルで泊まるのはこの日だけで後は夜行列車で2泊移動のため、レストランでディナーが食べれるのはこの日だけでした。そこでロシア料理が食べたくて有名なウクライナ料理のお店に来ました。可愛らしいネームカードをレストランでもらったので右に掲載いたしました。
ウクライナ料理はロシア料理のもとになったものでウクライナ料理ですがロシア料理のタイトルを使わさせていただきました。もちろん我々にとっては区別がつきません。
ロシア料理の基本はスープとメイン料理です。その中で我々にとって有名なのが上の写真のボルシチです。我々のイメージしている肉のスープではなく野菜が主体なのが本場ロシア(ウクライナ)のスープであることがわかりました。ウクライナ料理のボルシチはアブラナ科のテーブルビートの肥大した深い赤紫色をした根を使った料理でいろんな具を使ったスープです。使われる具に取り決めはなく自由な組み合わせで作られるためボルシチの種類も無限にあるようです。

さっそくボルシチともう一つロシアで有名なスープを頼みました。それが緑鮮やかなスープでした。これ以外にタマネギのスープも有名ですが、別の日の昼食に、そのタマネギのスープが出来たのでタマネギのスープは後日紹介いたします。
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私は前回、ロシアに来た時にボルシチのスープを食べた経験があるので、今回はボルシツ同様にロシア料理で有名なキャベツのスープをいただきました。一般的によく食べられているスープだけのことはあり、驚くほどの美味しさでした。ネットで調べた範囲ではスープの名前はシチーです。スープには下のサワークリーのようなものやパンなどがついてきます。これらを右の写真のように好みで入れて食べます。
下の写真はボルシチに付いてきたもので、キャベツのスープにはサワークリームだけが付いていました。


右の写真がレストランの入口の写真で重たいドアが2重にあります。
クリックすると拡大お店を紹介いたします。
 店名 шинок (発音 Shinok / シノック)
     шинок和訳 = 居酒屋 / パブ
 住所 г.Москва,ул. 1905 года, д.2
 場所 CROWNE PLAZA HOTL前
 電話 +7 495 651-8101
 営業 24時間
 HP http://www.shinok.ru/map.html
下記の建物に今回のレストランがありました。建物の真ん中に右の写真の重たいドアがあるのがわかると思います。このドアは鍵がかかっていると思われるぐらい重たいので力いっぱい引いてください。
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大きなレストランで我々はこのような階段を通って三階に案内されました。


こちらのクリックすると拡大お店はお花がいっぱいの冠をつけたウクライナ民族衣装を着た方が料理の注文をとったり料理を持ってきてくれます。
そして、こちらのお店は同じタイミングで食べる料理は全員分が同時に出されます。これはスープをテーブルの横に全員分を仮置きしているときの写真です。
下の写真は3つ目のスープを持ってきた時のもので、持っているのはボルシチで仮テーブルに置かれているのはキャベツのスープです。右の写真は4つ目のスープを持ってきた時の写真です。


こちらのレストランが面白いのはレストランには中庭があってウクライナの田舎農家の風景が再現されていることです。クリックすると拡大驚いたことに、その田舎の風景の中に本物の動物たちが飼われいていて動物園のような空間が窓越しに広がっています。さらに驚いたことに、本物のおばあさんも座っていることでした。この写真にもおばあさんと牛と山羊が写っています。別の時に撮るとおばあさんや牛が見えなくなり鶏やウサギが居ました。それでおばあさんも本物であることがわかりました。この中庭が話題のようで「Москва шинок」で検索すると記事が92400件と沢山出てきます。→ポチッ 日本語のみ ガイド記事
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テーブルの周りもなかなかの雰囲気です。この石釜の写真と同じ写真がネットで出てきました。日本人が食べ始める時間は、地元の人にとっては早いようで入った時は空いていましたが、帰るころに満席になりました。予約は入れておいた方がよさそうです。


テーブルの上には趣きのあるローソクが置かれていました。


こちらのお店で、すでに紹介したピロシキをいただきました。写真をクリックするとその記事を表示します。
クリックするとピロシキの記事

ロシアの食事で特徴があるのが黒パンです。この黒パンがよく出されました。黒パン(ライ麦パン)も含めて三種類のパンが乗っていました。


こちらはウクライナの無ろ過の生ビールです。最初に進められた飲んだビールでフルーティーな感じのさわやかなビールでした。


ビールを飲むとなるとメインデッシュの前にビールの肴になるものを頼みたくなります。今回頼んだのがこちらのニシンのカルパッチョ(刺身)です。


ニシンの刺身(カルパッチョ)は新鮮なので特別に写真を掲載させてもらいました。
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キノコのピクルスも有名なので頼みました。少し酸味がありビールにはよくあいました。


こちらはロシアの生ビールです。ビールは沢山いただきました。


いよいよメインデッシュです。それぞれ各自が別のものを頼みました。こちらではスープにしてもメインデッシュにしても全員のものを同時に出してくれます。テーブルの横に仮置きしてから各自の前に並べられます。スープの時と同じように全員分のメインデッシュがテーブルの横に並べられました。写真が少し不鮮明なのは別のシーンの写真の中に偶然に小さく写っていた料理を切り取ったためです。


私が注文した料理以外は名前を覚えていないのですが、これは肉をキャベツで巻いて煮込んだ料理のようです。これはモスクワに永く住んでいる方が注文した料理なので、特に美味しいのかもしれません。見た目も美味しそうです。
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こちらもウサギの肉を揚げた料理です。ウサギもよくロシア料理に使われる食材のようです。


こちらは魚料理です。
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こちらが私の注文したキエフ風カツレツです。細い麺のようなものはジャガイモを細く切って揚げたもので、ビールのつまみに最高でした。
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バターを真ん中にして鶏肉を巻いて揚げているので真ん中が空洞のようになっているのが特徴でバターと肉汁が美味しい料理でした。ネットでも「ナイフを入れると熱々バターが中からとろけ出てくるキエフ風カツレツ」とお薦めしていました。
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ロシアに来たならばウオッカを飲みたくなるので150ccほど頼みました。ウオッカはボトルではなく量でも注文できるのがロシアの特徴でした。うれしいことにウクライナの民族衣装のウエイトレスさんがウオッカを注いでくれました。親指に指輪をつけているのが印象的でした。上の写真で紹介したウエイトレスさんの指輪は中指で親指にはつけていなかったので気になりまました。


ネットで親指に指輪をはめる意味を調べてみました。男性の場合は権力や指導者などの困難を乗り越える力の意味があるようですが女性がつける意味は出てきませんでした。ウクライナ独特の意味があるのかもしれません。
ちなみに日本の結婚指輪はプラチナ(白金)が多いけれどもロシアでは金をベースにしたピンクゴールドをつけている人が多かったです。我々にとって金と言えばイエローゴールトなので、すごく新鮮に感じました。18金のピンクゴールドの場合、 金75%、銀10%、銅15%だそうです。

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追伸
本日2014年11月28日、上海から帰国します。14時発のフライトで成田空港に着くのは17時45分の予定です。帰国後、今回の写真の整理が出来て落ち着いたら皆様のところに訪問させていただきます。
下の写真はホテル(花園飯店)の28階の部屋からの6時37分の上海の景色です。
ラベル:ロシア
posted by SORI at 13:32| Comment(42) | TrackBack(4) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月27日

本場ロシアのピロシキ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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ロシアに来て一度は食べてみたかったのがピロシキですが4月25日にモスクワに到着して早々に食べる機会を得ました。この日の夕食は宿泊したホテルの前の有名なウクライナ料理のレストランで夕食を食べましたがモスクワに長く住んでいる人が、このピロシキを注文してくれました。
見た目は日本で食べる揚げたピロシキと違いオーブンで焼いたものでした。焼くピロシキが本場のロシアやウクライナでは一般的だと説明されました。

日本のピロシキの具は挽肉、ゆで卵、タマネギを炒めたものが一般的ですが、本場では日本などに比べて種類も多く、内容的には惣菜が中心で沢山の野菜が、なんでも入れられると説明してもらいました。
注文したのは3種類で、それぞれ形が違っていました。さっそく半分に割ってみました。タマネギが主体のピロシキとキャベツが主体のピロシキとキノコが主体のピロシキで野菜が中心で、すごくおいしい料理でした。皮であるパンの部分も日本の一般的なピロシキより、かなり薄かったです。この写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定しておりますので、中の具を見てください。美味しいパンの皮の食感もわかってもらえると思います。
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レストランは泊まったホテルの前にある素敵なレストランで食べることが出来ました。空いているように思われるかもしれませんが、実は日本人の夕食タイムにはロシアの人にとっては早すぎるのです。我々が帰るころにお店が一杯になりました。それでは、お店を紹介いたします。
  店名 шинок (発音 Shinok / シノック )
  種類 ウクライナ料理
  住所 г.Москва,ул. 1905 года, д.2
  場所 モスクワ CROWNE PLAZA HOTEL 前
  電話 +7 495 651-8101
  営業 24時間
  HP  http://www.shinok.ru/map.html


民族衣装のウェイトレスさんも親切でした。


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posted by SORI at 08:10| Comment(52) | TrackBack(2) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

若いお母さんと小さな子供たちの目立つ街 スタールイ・オスコルの一角



ここで掲載している写真はすべて4月27日17時前後のロシアのスタールイ・オスコル(Старый Оскол / Stary Oskol )と言う名の町の景色です。寝台列車で着いたこの町の午後(17時前後)に、この町の出身の人(ご両親が今もこの町に住んでいます。)に薦められて町の中心の広場を散策いたしました。噴水の場所から真東にある道路沿いの建物(正面のビル)の地下にビールを飲んだレストランがありました。

上の噴水がこの航空写真の中心にあります。+のアイコンを数回クリックするとわかると思います。きれいな街なみであることが判ってもらえると思います。広い地域で近代的なマンション群が立ち並んでいるのは特別な感じがしました。マンションは9階あるいは10階建てですが日本と違い広い敷地にゆったりと建てられていました。すこし郊外に行くと高級そうな一戸建が広い敷地に整然と並んでいました。さらに郊外に行くと広大な畑が永遠と続き小さな村が、ほんとうに時々点在している地域でした。

高層ビルはないけれども立派なビルもいくつかありました。噴水から道路を挟んで南側にこのビルがありました。


そこで気が付いたのがベビカーと一緒にいる若いお母さんたちが沢山おられたことでした。特に意識して撮らなくても写真に沢山写るほどでした。おそらく新しいマンション群のために、このあたりは若い夫婦や若い人たち多く集まった街だったのかもしれません。


だから小さな子供たちも沢山見かけました。


広場で子供たちを遊ばしている間は、お母さんたちどうしで、つかの間の時間を楽しんでいるようでした。


将来、お母さんになる人達も沢山おられました。


ほんとうに小さな子供たちと、若いお母さんたちと若い娘さんが目立つ街でした。
上から2枚目の写真内ののアイコンを数回クリックすると、その理由が判ってくる気がすると思います。


スタールイ・オスコルの場所を地図で紹介しておきます。モスクワから青いラインを寝台特急で往復しました。
列車のルート検索をしてみると行き帰りでは別のルートを走ったようです。それぞれ縮小しているので画面をクリックすると見やすいと思います。
クリックすると拡大クリックすると拡大
posted by SORI at 07:44| Comment(16) | TrackBack(1) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

サンクトペテルブルグのネフスキー大通り

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ロシアのサンクトペテルブルグに6月29日に入り、7月2日にロシアからフランクフルを経由して帰国しました。モスクワに住んでいる日本の人に日本を出る前からサンクトペテルブルグに行くのであれば、ネフスキー大通りに行くことを薦められたので地下鉄に乗って来てみました。
上の写真は地下鉄のNevskiy Prospekt駅の建物を出たところです。時間は18時30分ですが、まだまだ明るいので散策は心配ありませんでした。掲載している写真はクリックするとすべて拡大するので是非とも拡大してみてほしいです。

上の写真とは反対方向の景色です。沢山の車が走っていました。この通りには歴史のありそうな古い建物が沢山ありました。いくつか紹介いたします。
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これは教会だと思います。両側の建物とつながった、面白い構造の建物でした。
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これはカザン聖堂です。サンクト・ペテルブルクのカザン聖堂は、アンドレイ・ヴォロニーヒンの設計によるものだそうです。ヴォロニーヒンは、聖堂建築に当たって、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を手本に設計したそうです。1801年に着工、1811年に完成したそうです。
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このような建物もありました。ロシア語で書かれているので残念ながら名前がわかりません。
追伸「etuさんにインペリアルと書ていることを教えていただきました。ありがとうございます。」
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ネフスキー大通りの中でも、ひと際目立つ建物がありました。調べると旧シンガーミシン社のビル(シンガーハウス)だそうです。
建築家パーベル・シュゾール(Pavel Suzor)の設計による1902年~1904年に建てられた建物で、ロシア革命前まではシンガーミシン社のロシア支社の本社だったそうです。ロシア革命後は書店になったので「本の家」とも呼ばれていますがシンガーハウスの方が我々にとっても馴染みやすいです。
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この建物の屋根のガラス張りの飾りが、この建物を目だたせています。
この下の写真だけはクリックすると特別に大きく拡大するように設定しておりますので、是非とも拡大した写真を見てください。
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シンガーミシン社に関して追記させてもらいます。2010年7月10日 16時48分
シンガー社は1851年アメリカ生まれのアイザック・メリット・シンガーがニューヨークの法律家エドワード・C・クラークと共に I.M. Singer & Co. としてミシン製造会社として創業しました。1865年に Singer Manufacturing Company に改称、さらに1963年に The Singer Company に改称しました。元々は全ての製造をニューヨーク市内の工場で行っていました。

1902年から1904年にロシア支社の本社ビルとしてサンクトペテルブルクのネフスキー大通りのカザン聖堂の向かいに建設されたシンガーハウスは有名でアール・ヌーヴォー様式の美しい姿を見せており、ロシアの文化遺産となっています。

第二次世界大戦中、シンガーは各国政府と兵器製造の契約を結んだため、ミシンの製造を停止してノルデン爆撃照準器、M1ガーランドライフル、M1911拳銃などを供給し、ドイツ国内の工場はナチスに兵器を供給したそうです。

現在、シンガーはSVP Worldwide社の傘下で電子式ミシンなど各種民生品を製造しています。競合企業としては、ブラザー工業、アイシン精機、Necchi、E&R Classic Sewing Machines などがあります。

横断歩道を渡る風景です。軍人さんらしい制服の帽子がロシアらしい気がします。
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さすがロシアのトロリーバスです。横幅が大きいです。
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ネットのwikipediaに1890年代のニコライ駅近くのネフスキー大通りの絵が掲載されていたので拝借いたしました。
そのネットによるとネフスキー大通り(Не́вский проспе́кт)は、ピョートル大帝によって、ノヴゴロドとモスクワへの街道として建設が計画されたそうです。
現在のネフスキー大通りの沿道には、ペテルブルクを代表する建築が立ち並びます。
主なものとしては、建築家バルトロメオ・ラストレッリによるストロガノフ宮殿、ペテルブルクにおける巨大な新古典主義建築として知られるカザン聖堂、アール・ヌーヴォー様式のジンガー書店(旧シンガーハウス)、18世紀に建立された6つの教会や、啓蒙専制君主として名高い女帝エカテリーナ2世の記念碑など歴史的、宗教的施設の他、ゴスチーヌィイ・ドヴォールとよばれる18世紀のショッピングセンターや、グランド・ホテル・ヨーロッパ、ネフスキー・パレスなどのホテルが林立しています。
この他、文教施設としては、ロシア国立図書館があります。ネフスキー大通りのほぼ真ん中をフォンタカ運河が横切りますが、ここに掛けられているアニーチコフ橋は馬の銅像とともに有名だそうです。
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posted by SORI at 14:41| Comment(40) | TrackBack(6) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

本場のボルシチ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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7月2日16時10分にエストニアとの国境近くの森林に囲まれたロシアの小さな村からサンクトぺテルブルグとフランクフルトを経由して26時間10分かけて日本に帰ってきました。
そこの猫ちゃんのいた、小さなホテルの昼食で出てきたボルシチです。ボルシチと言えば肉を煮込んだスープを思い浮かべていましたが、サンクトペテルブルグあたりでは、「この赤カブの冷たいスープが代表的なボルシチ」と小さな村まで同行してくれたサンクトペテルブルグで生まれてサンクトペテルブルグ大学の日本語学科出身の右の写真の美人の方に教えてもらいました。サワークリームは必ず乗せるそうです。ちなみに、この方は交換留学生として日本にも1年間ほど住んでおられたとのことで日本語が上手でした。
赤カブは右下の写真のテーブルビートと呼ばれているものだと思われます。形がカブに似ているので赤カブと呼ばれることもあるそうです。スープの中の具は赤蕪や胡瓜などの生野菜が中心のスープサラダ言ったほうが判りやすいさっぱりとした料理でした。今回、掲載の料理の写真は3枚ともクリックするとすべて拡大するように設定していますので、気になった写真があればクリックしてみてください。我々が赤カブと呼ぶラデッシュはアブラナ科ダイコン属であり種類が違います。
クリックすると拡大   門 : 被子植物門 Magnoliophyta
   綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
   目 : ナデシコ目 Caryophyllales
   科 : アカザ科 Chenopodiaceae
   属 : フダンソウ属 Beta
   種 : ビート B. vulgaris
  亜種 : テーブルビート B. v. vulgaris

メイン料理はスズキのグリルにしました。小さいホテルなので肉料理とこの料理の2種類だけの選択肢でした。なかなか美味しかったです。ご飯が乗っていますが、ロシアではご飯が一般的に食べられていることも新たな発見でした。
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クリックすると拡大飲み物として出てきたのがこれです。
甘酸っぱい飲み物でした。
アプリコット類のジュースです。
こちらもクリックすれば拡大します。
出発地は正確にはスランツイの近くの小さな村です。ここを9時(日本時間 14時)に出発して家に着いたのが翌日の16時10分でした。
すでにロシアの猫ちゃんというタイトルの記事で紹介したエストニア国境近くの小さな村からサンクトペテルブルグ空港までのルート図です。
家までの帰国ルートはスランツイ(ロシア 7月1日9時) サンクトペテルブルグ空港(ロシア)→フランクフルト空港(ドイツ)→成田空港→家(7月2日16時10分)です。
ラベル:ロシア ボルシチ
posted by SORI at 19:55| Comment(34) | TrackBack(6) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

ロシアで、やっとロシアっぽい車に出会えました。

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ロシアも都会ではポルシェやベンツなどの高級車が沢山走っております。高級車の類ではなくても新しい車が多かったです。田舎に行っても新しい車は沢山走っていますが、古い車が多くなってきます。そんな中でエストニアとの国境近くの小さな村で上の写真の車に出会えました。なかなか見ることは出来なくなった種類ではないでしょうか。写真はクリックすると拡大します。

ネットで調べていて、この車のことが判りました。
驚いたことに、今でも同じモデルがあるのです。下記の写真はネットから拝借いたしました。この下の写真の車は2009年モデルだそうです。メーカー名はワズ(UAZ)で1941年創業で、当初は軍事用の武器メーカーから出発し、間もなく自動車工場としてモスクワ近郊でトラックメーカーとして製造を始めたそうです。その後、ポルガ河流域に位置しレーニンの生まれた町「ウリアノスク」に移転して、世界的にも珍しい四輪駆動専門自動車メーカーとして社名も現在のウリアノスク自動車工場の略称「UAZ」となり、1958年には、今回のタイプのVAN、ピックアップの製造が始まったそうです。マークはカモメをモチーフとした飛行時におけるバランスの良さと真円は技術の正確さ、製品の完璧性を表しているそうです。


車の性能表です。
ネットの内部写真を紹介しておきます。クリックすると拡大します。
DSC017781.jpg
DSC017771.jpg
値段は日本に輸入した場合の価格です。外観は50年前と変わらないと聞いて納得です。

動画がネットにあったので掲載いたします。



追伸 タイトル:日本でも「ロシアっぽい車」がありました。
so-net内で、この車を掲載されている方がおられましたので紹介いたします。
schnitzerさん今日も都内で…【都電荒川線 荒川車庫】です。
クリックするとschnitzerさんの記事を表示見たことがあるような、ないような…珍しいバンが停まってます。

どっかの国の四駆です。ウインチまで付いてます。

どこだったっけかなぁ~。
     トラックバックさせてもらいました。


terrybearさんがコメントで紹介していただいたVWのバナゴン(ヴァナゴン)の丸目の古い形をネットで探してみました。1963年型だそうです。このタイプのことでしょうね。私も見た記憶があります。



ベトナムとカザフスタンでもUAZを見かけました。→ポチッ
これがベトナムで撮った写真です。UAZのマークはありませんが、まさにUAZの車です。長い年月の間にマークが取れてしまったのではないかと思います。


こちらもベトナムで走っていた白い色のUAZの車です。こちらの車にはUAZのマークがちゃんと付いていました。それにしても屋根の上の荷物の量はすごいです。


こちらはカザフスタンで見つけたUAZの車です。


本記事を転用しているサイトを見つけました。→ポチッ

クリックするとリンク先表示Tarek 〓 さんが「UAZ」に保存しました
ラベル: ロシア
posted by SORI at 18:32| Comment(30) | TrackBack(4) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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