2025年02月23日

実写版 鉄腕アトム 秘蔵のお宝映像を提供していただきました。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
今回は私のブログの中で最も規模の大きいブログ「実写版 鉄腕アトム」に、kojiroさんから新しく資料を送っていただいた内容を、一番下に追記させていただきました。
2025年2月20日早朝から数日ほど関西に行きます。その間は記事の更新やコメントが出来ないことお許しください。

2014年10月15日掲載  タイトル : 実写版 鉄腕アトム
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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実家の宝塚に帰省していた2014年8月13日に娘と二人で右の写真の手塚治虫記念館に行きました。その時の記事の中に昔、クリックすると拡大クリックすると拡大鉄腕アトムの実写版が放送されていたことを紹介したところ、コメントをいただいたkojiroさんから実写版の鉄腕アトムに関して詳しい説明をしていただいた上に、貴重な写真や資料を送っていただいて、手塚治虫記念館の記事に追記させてもらいました。その追記させてもらった内容を単独の記事で紹介することといたしました。「実写版アトム」を現代風に言えば「リアルアトム」です。記事の中で使っている実写版・鉄腕アトムの写真は、ネットから転用させていただいた写真と、kojiroさんから送ってもらった写真で構成させていただいております。当時は鉄腕アトムの映画やテレビのアニメは無いことから実写版という概念も無いと思われるため、本来ならば「特撮版 鉄腕アトム」となるのだと思います。

クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大鉄腕アトムは月刊雑誌・少年の1951年4月号から掲載された右の写真の長篇科学漫画のCAPTAIN ATOM アトム大使の中で宇宙人と地球人との間の戦争回避の交渉役などして登場したのが最初で、あくまでも脇役でしたが、翌年の1952年4月7日から月刊雑誌・少年の連載では主人公として登場し、作品名も「鉄腕アトム」となり17年間連載がつづきました。下記の漫画が少年に掲載された最初の鉄腕アトムでした。この時は本人以外、何十年も続くアニメになるとは想像してなかったのではないでしょうか。クリックすると拡大上の2枚の月刊雑誌・少年の表紙の小さな写真は1951年4月号(アトム大使の初連載)と1952年4月号(鉄腕アトムの初連載)です。
手塚治虫先生は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。右下は手塚治虫先生の1951年(22歳ごろ)の写真です。クリックすると拡大
クリックすると拡大 筆名  手塚 治虫( てづか おさむ )
 本名  手塚 治 ( てづか おさむ )
 生誕 1928年11月03日 現・豊中市
クリックすると拡大 死没 1989年02月09日 60歳
 学歴 医学博士
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鉄腕アトムのアニメかテレビに登場したのは1963年01月01日でしたが、実はそれよりも4年前の1959年3月7日に鉄腕アトムの実写版が毎日放送制作・フジテレビ系列で、クリックすると拡大1960年5月28日まで放送されました。
NHKでは人形劇のチロリン村とくるみの木(1956年4月14日~1964年4月3日)が放送されているころでした。右の人形の声を担当した女優が、左から黒柳徹子(ピーナッツのピー子)、里見京子(クルミのクル子)、横山道代(タマネギのトン平)でした。クリックすると拡大その3人が一緒に写った写真も紹介します。皆さんご存知のように、いずれも沢山のドラマなどで活躍された方です。右の3人の写真をクリックすると名前を書き込んだ3枚の写真を表示します。
この3人は日本の初代三人娘で、ラジオドラマのヤン坊ニン坊トン坊の主出演者でもありました。チロリン村とくるみの木の次の人形劇のひょっこりひょうたん島の放送は1964年4月6日~1969年4月4日でした。
鉄腕アトムは、交通事故死した天馬飛雄(天馬博士の息子)の代わりに天馬博士によって作られた人間と同じ感情を持つロボットでした。その後、お茶の水博士に引き取られて、いろんな活躍の物語が始まって行くのでした。


こちらは実写版のアトムが空を飛ぶ姿です。第一部のZZZ団の巻のネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介します。
絶海の孤島に発生する特殊な毒ガスで、世界の要人を狂わせる「ZZZ団」が、世界的科学者リヨン博士とその娘ミッシェルを狙う。アトムは単身「ZZZ団」の本拠地島へ乗り込むが……。「ZZZ団」の秘密兵器として飛行自動車が登場する。この特殊車両が翼を伸ばすカットは、コマ撮りで撮影された。


鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていましたが、その2年前の1957年4月13日~9月28日に人形劇が放送されていたそうです。人形劇→実写版→アニメだったことになります。紙人形劇(ペープサート)「冒険漫画人形劇・鉄腕アトム」のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。人形制作は童夢人形劇研究所だそうです。実写版鉄腕アトムは世界初のインスタントラーメンのチキンラーメンが発売(1958年8月25日)された時代です。右下の動画は1958年に初めて流されたチキンラーメンの初代テレビCMです。NHKの連続ドラマ「まんぷ」の中の「まんぷくラーメン」の人が出てくるテレビCMと違いアニメタイプなのでアニメを作る技術はあったことが判ります。
 TV人形劇 1957年4月13日~1957年9月26日 東京テレビ
 TV実写版 1959年3月07日~1960年5月28日 毎日放送
 TVアニメ 1963年1月01日~第1作、第2作、第3作
第3作:2003年4月6日~2004年3月28日
以前に「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になった鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。実写版の放送に関しては鉄腕アトムが65話に対して鉄人28号は13話でした。鉄人28号は横山光輝の作品です。左端と中央が実写版放送で、右端がアニメ放送です。
                 実写版放送                     TVアニメ初放送
  鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話)          1963年01月01日
  鉄人28号  1960年02月01日~1960年4月25日(13話)          1963年10月20日
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こちらは鉄腕アトムがロボット・カニ男と戦う姿です。アトムの頭の形が上のアトムと違うのがわかってもらえますか。カニ男が出てきた第二部のメキシコの巻のネットで書かれていたあらすじを枠内に記載します。
アトムの級友四部垣が、謎のロボット、ジェットマンによってメキシコにさらわれた。ピラミッド調査団に随行してメキシコに飛んだアトムは、調査団とサパタ夫人たちとの対立に巻き込まれる。調査団はインディアンとスフィンクス、夫人はジェットマンとカニ男を味方につけ、激しい抗争が繰り広げられる。エネルギーの切れたアトムのために、御茶の水博士もメキシコへ飛ぶ。調査団の狙いはピラミッドの中にあるある秘密にあった……。この巻よりアトムのコスチュームが変更された。「ジェットマン」、「カニ男」、「スフィンクス」といった多彩なロボットが登場する。メキシコの砂漠を演出するため、砂丘地帯で撮影され、ステレオタイプなインディアンが悪役で登場する。またこの第二部ではヘルメット・ベルトが変更されたが、オープニング映像は途中まで第一部のままで、ちぐはぐな印象となっていた。ゲストキャラのサパタ夫人は入江たか子が演じた。


メキシコの巻の新たな写真を2014年11月22日に2枚を送っていただきました。こちらはカニ男とジェットマンと戦うアトムです。


こちらもメキシコの巻の一場面ですがメキシコとは思えない風景が広がっています。円谷英二さんはゴジラなどの特撮を担当し、特撮の神様と呼ばれたほどの方です。
 制作局:毎日放送
 製作 :松崎プロダクション(第一部のみ三笠映画と共同制作)
 出演者:瀬川雅人田中明夫清水金一若原春江、根岸弘子、他
 監督 :吉川博、志波西果、大橋秀夫、難波敏夫
 原作 :手塚治虫
 脚本 :渋谷五十八,岩田重利,コオロギハルヲ,宮川一郎,坂巻昇,志波裕之
 特撮 :加藤守男、山根茂幹、山崎明、円谷特技研究所、円谷英二(監修)
 撮影 :瀬川浩、吉田豊
 音楽 :小川寛興、益田克幸
 演奏 :楽団ブルーコーツ
 美術 :山崎正夫、高山良策
 照明 :伊藤一夫
 録音 :KRC


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。上のカニ男と戦う姿は第二部のメキシコの巻の中のシーンでした。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
初期           中期           後期


クリックすると拡大kojiroさんから新しいコメントで前期のアトムのコスチュームを瀬川少年以外に、身につけて遊んだ子供たちが沢山いたことを知りました。偶然にも、最近、その中の一人で毎日放送(大阪)の番組に出演して毎週、TVスタジオにかよっていた方からメールで直接に聞いたそうです。
アトムの撮影は東京ですが、大阪の毎日放送で製作されたそうですが、放送が後期になったころ、大阪の毎日放送のスタジオにアトムの前期のヘルメットやブーツが置かれていて、通っていた子供たちが装着して楽しむことができたそうです。置かれていたヘルメットやブーツは、かなりくたびれている感じのものだったそうです。後期のつなぎのような上着や、軍服はなかったそうです。前期のコスチュームは、瀬川少年にも引き取らないで毎日放送が保管していたようです。
kojiroさんからコメントを枠内に紹介いたします。
御無沙汰しています。しばらく、自宅を離れていました。
おもしろい情報がありました。なんと、実写版鉄腕アトムの前期のコスチュームの行くえです。
クリックすると拡大アトムは、撮影は東京ですが、大阪の毎日放送で、製作されたのはご存知の通りです。
放送当時、大阪の毎日放送に通っていた子供が、スタジオに放置されているアトムの前期のコスチュームのヘルメットやブーツをかってに、装着して楽しむことができたそうです。
放送は後期になっていたので、かなりくたびれている感じのものだったそうです。後期のつなぎのような上着や、軍服はなかったそうです。前期のコスチュームは、瀬川少年も引き取らなかったという事なのでしょう。
しかし、前期のコスチュームとはいえ、瀬川少年以外に、アトムのコスチュームを着てみて、しかも遊べた子が居たとは驚きです。
更に、直に、遊んだ方から、話を聞く機会があったのにも、驚きです。
昭和の歴史を垣間見れた気がします。これも、追加されてはいかがでしょうか
by kojiro (2015-11-05 00:37)
アトムのコスチュームを着たことのある方とは、面談した訳ではなく、メールで伺ったものです。立派な方のようです。
当時、毎日放送の番組に出演して毎週、TVスタジオにかよっていたそうですが、小物を入れる箱があり、その中に、前期のアトムのブーツなどのコスチュームが入っていたので、取り出して着てみて楽しんでいたそうです。当時は、そんな事が許されるのどかな時代だったそうです。昭和のカルチャーですね。
アトムのコスチュームは、その後、どうなったのだろうかと言われている方がおられるようですが、少なくとも、前期の物については、判明しました。恐らく、最終的に廃棄か、スタッフの誰かが子供用にもって帰ったのか、そんなところでしょう。
by kojiro (2015-11-06 00:28)

貴重で珍しい実写版鉄腕アトムのメンコの写真をkojiroさんが送ってもらえました。このメンコを××鑑定団にでも出すと、すごい宝になるのではないでしょうか。
フランケンの巻きで、スバルの前にアトムが友達と並んで立っているメンコです。この写真は、友達と並んでいるので、瀬川少年の他の子供と違う体型がよく判り、アトム役に選ばれた理由が判ります。
瀬川少年は、顔がふっくらしています。また、脚も長いだけでなく、ふっくらして、他の子と比べると、太ももがかなり太いのも判ります。アトム役で、こういうコスチュームでは、彼の体型がよいであろうとのことでした。


kojiroさんから、さらにメンコの写真を沢山送ってもらえたので掲載いたします。ネットに出ていたカラーの画像はメンコが多かったことを知りました。ヘルメットをかぶってバイクに乗っている女性が気になります。kojiroさん曰く、かっこいい女性は根岸弘子さん演じる隼探偵だそうです。第三部の「フランケンとアトムの巻」に登場していたそうです。この時は25才で根岸弘子さんは日劇ダンシングチーム出身で身長も高く運動神経も抜群だったそうです。
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2015年11月16日にさらにメンコの写真を41枚ほど送っていただけました。これらを見ていると当時の場面を思い出される方がおられると思います。スペースの関係で40枚を掲載しましたが最後の40枚目をクリックしていただくと41枚目を表示いたします。
一番最初の写真はメキシコの巻きの「新コスチュームに変えた」と紹介された時のものだそうです。この時はスカーフをしていませんでした。撮影開始までに、スカーフをするように変えたそうです。雑誌少年に「コスチュームが変わる」と紹介された写真が載った時も、スカーフはなかったので。服を着たイメージにしたので、スカーフをつけた方がかっこよいと衣装係が、考えたようです。事実、スカーフは、実写アトムのトレードマークになったそうです。
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サパタ部落の少年を演じたニッキー窪田がでてきます。その後ピロンの秘密の王子役を演じ、近未来風の服を着たりしています。当時は、少年ヒーローにも、SF的な服を着せたりしていた訳だそうです。
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2016年4月12日にkojiroさんから送っていただいたメンコも紹介いたします。
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こちらは2017年12月11日にkojiroさんから送っていただいたメンコです。
沢山の種類のメンコがあるのに驚きました。
それだけ人気があったのでしょうね。
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2020年4月09日にkojiroさんから送っていただいたアトムがシブガキ君達と並んだフランケンの巻の貴重なメンコの写真です。kojiroさんによれば「この時代、瀬川アトムが同年代の少年たちと比べて違うことが非常に良く撮れた写真で、アトムの脚の長さと胴の短さが、友達と全然違う事が判ります。また、瀬川少年の顔立ちも、非常にエレガントなのが判ります。ヘルメットをとっても、イケメンだったのでしょう。これも、アトム役は、瀬川 雅人さんしか居なかった事を示す写真だと思います。」とのことだそうです。


クリックすると火星探検のアニメを表示第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。右の原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。
この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人(せがわ まさひと)は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
なお、火星探検の巻の屋外撮影は、米軍の立川基地で行われ、アトムの撮影を見た米軍人の子供達にも、大人気だったそうです。1959年の時点で米軍基地で撮影が許されたことはすばらしいことだと思います。
クリックするとオリジナルを表示

上の写真は、こちらの写真から切り取ったものです。
隊員と向き合って敬礼している火星探検隊長のアトム少佐です。大人の隊員と向かい合って敬礼しているので、アトムがより凛々しく感じられます。隊員との体格差からアトムを演じた瀬川少年が小学生であったことが実感できる写真です。光文社の図書室でコピーさせていただいた、この写真は昭和35年2月号(1960年)の「少年」に掲載されていたものです。


kojiroさんが購入された火星探検と気体人間の巻の新DVD(BOX2)の解説書の中に昭和35年2月号の少年新聞に載った火星探検の巻の撮影エピソードが紹介されていたそうです。
その概要を枠内に紹介いたします。(2019年11月23日追記)
テレビの鉄腕アトムでは、いま第四話「火星探検の巻」を放送しています。
このお話では、アトムは火星探検隊長になって火星に行きます。
舞台が舞台だけに撮影が大変。
いままでにない大がかりな特殊撮影がなされました。
ここに載せた二枚の写真(新型ロケットX基地と宇宙人の宇宙艇)は、東京・渋谷の渋谷スタジオでおこなわれた、火星のシーンの撮影のもよう。
苦心のミニチュアがならんでいますね。
この巻の撮影では、アトム役の瀬川くんは、立川にある米軍のジョンソン基地へも行きました。
ところが、「鉄腕アトム」のテレビは、アメリカ人の少年の間でも、大人気。
瀬川くんは、アトムのメンコを手にしたアメリカの少年たちにとりかこまれてサインぜめにあい、うれしい悲鳴を上げる始末でした。
テレビのアトムもこの二月七日で、まる一年続いたことになりますが、瀬川アトム少年も、すっかりなれて、大張り切り。
第三話の時には、自動車の運転まで、覚えてしまい、いまの第四話では、りっぱにルノーを運転して登場し、みごとなアトムぶりをみせています。
「少年」のアトム同様、テレビのアトムくんもかわいがってください。
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第四部「火星探検の巻(1話~3話)」および「火星にとぶ(4話~13話)」の写真を紹介します。
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こちらでは第五部「気体人間の巻」の写真を紹介します。なぜか、こちらにも第四部の「火星にとぶ」に出てきたロボットも登場しています。第五部「気体人間の巻」の写真は今まであまりなかったので貴重です。
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読むのは難しいとは思いますが、雰囲気を伝えるために解説書の一部を掲載いたします。
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アトムと戦ったロボットなどが並んだ写真もDVDパッケージの中にあったそうです。
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クリックすると拡大4枚のDVDの表にも貴重な写真があったので紹介します。
右の写真は③のDVDです。
    ①              ②              ③              ④
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

kojiroさんから2017年7月20日にアトム少佐の新たな写真を送っていただきました。DVDのリマスター版の紹介記事に載っていたそうです。本写真はヘルメットの質感が判りやすいです。

kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。

途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。

クリックするとオリジナルを表示火星探検の巻の実写版とTVアニメのアトムの軍服姿を紹介したので漫画の軍服姿を紹介します。光文社のカッパコミックス鉄腕アトムの1964年2月号です。右がカッパコミックスの表紙です。この本の表紙の軍服姿のアトムは原作の姿と違いTVアニメとそっくりです。そんなことからも、表紙の絵はカッパコミックスのために書かれたものと思われるそうです。中の漫画は原作と同じだそうです。漫画、アニメともに、軍帽を被っていますが、実写では、被っていません。ヘルメットの上には被れなかったようです。

左が火星探検隊長に任命されたところです。マンモス博士の持っている鞄の中に、軍服が入っています。このマンモス博士を訪問した時の服装が、半ズボンを脱げば実写のアトム少佐に近いかもしれないそうです。
右がキャーペットをロケットから降ろそうとするアトムですが、この軍服が原作の軍服で、学生服のようです。ズボンも履き、ブーツインではありません。隊員と同じごく普通の軍服です。肩のエポレットのところに、フリンジがついていたような気がしていましたが、ついていませんでした。


キャーペットにレンコーン大尉に会わせられないと言っています。普通の結び方でネクタイをしています。実写では、アスコットタイのように結んでいます。漫画の原作では、これが一番アトム少佐の全身を示しているようです。


漫画の原作の宇宙人と戦った後のアトム少佐の敬礼姿です。詰襟ではありませんが、学生服風です。実写のアトム少佐の方は、飾諸がかっこいい短いダブルのジャケットでマフラーをアスコットタイ風に結んでいます。


記事のタイトルにふさわしい幻の写真をkojiroさんから送っていただきました。アニメ雑誌「少年」(光文社)の1960年正月号に掲載された手塚治虫先生と、実写版鉄腕アトムと、漫画のアトムのスリーショットの写真です。正月らしい「初ゆめ」の言葉が印象的です。実写版の鉄腕アトムがテレビで人気だったことが写真からも伝わってきます。1960年正月号が出版された1959年12月は丁度、フランケンの巻が終わり、火星探検が始まる直前であり、ロシアの人工衛星で、月の裏側の写真が撮られた頃です。
その時代を反映して、手塚先生が、「月の裏側が見える」と言っているように書き込まれているそうです。次の号は、火星探検隊長のアトム少佐の写真だったそうです。スリーショットは貴重で、テレビ 漫画史上に残る貴重な写真と思います。この時代にどのようにして才能のある子役を探したのか不思議でしたが、瀬川少年は劇団・コジカ座に所属していたことから鉄腕アトム役として抜擢されたそうです。


第三部のフランケンとアトムの巻のあらすじも、ネットを転記する形で枠内に紹介します。
日本征服をたくらむ某国の「バラン団」が日本に上陸。首領のスパルタ博士は、御茶の水博士の作った怪力ロボット・フランケンを奪って「オメガ因子」を組み込み、意のままに操る。さらにスパルタは御茶の水の「空飛ぶ円盤」を狙って博士を拉致し、発狂薬「黄色い馬」をつかって都民を狂わせようとする……。空飛ぶ円盤が登場するが、自動車に張りぼてをつけたものだった。同級生とアトムが綱引きをし、綱の後端を木に結びつけていたため、知らないアトムが引っ張ると木が倒れてしまったり、アトムに野球のピッチャーをさせたりと、アトムの日常生活が描かれた。「オメガ因子」や「黄色い馬」といった原作通りのキャラクターが登場する。本作オリジナルの「隼探偵」がスクーターで活躍する。アトムがロードローラーで襲われるシーンがあるが、このロードローラーには誤字なのか、「世田谷区没所」と表記してあった。

こちらは1960年4月頃、雑誌「コウロン」に掲載された手塚先生を紹介した記事です。記事のタイトルは「日本のディズニーをめざす男」です。
手塚先生を応援するために、1960年4月29日に向ヶ丘遊園で、鉄腕アトム大会が開かれ、数千人の子供があつまったと、本雑誌の記事に書かれていたそうです。ステージ上には瀬川少年演じるアトムが実写版の鉄人28号らしきロボットと対峙していて、ステージの周りには沢山の子供達が集まってい光景が写っています。この子供達がぎっしり集まっている事からも、実写のアトムの人気ぶりが判ると思います。記事の中には漫画のアトムも書かれています。
鉄人28号の実写版も同じプロダクションだったそうです。アトムの向こうに見えるのは、テレビ番組の監督かもしれないそうです。本写真および説明はkojiroさんから送っていただきました。
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kojiroさんに送っていただいたアトム友の会の募集記事です。募集記事は11月号か12月号で、写真は、フランケンの巻で、隼探偵を救うための血清を取り返そうとしていた時に、燃料が切れた時の写真と思われるそうです。テレビのカットではなく、雑誌「少年」用に撮影した写真と推測されておられました。マフラーと脚の長さを強調するように撮ったものと思割れるそうです。記事の記載内容を枠内に転記いたしました。
テレビの「鉄腕アトム」・瀬川雅人くんの後援会(アトム友の会)の会則が出来ました。「少年」とテレビの「鉄腕アトム」のファンなら、だれでも入会できます。会費は一カ月 三十円です。会員には、すてきな会員バッチをおおくりするほか、瀬川くんをかこむ会を三カ月に一回ひらいたり、撮影所を見学するなど、いろいろの行事をおこないます。入会したい人は会費をそえて、東京都中央区銀座西七ノ五・弥生ビル内 松崎プロ「アトム友の会」まで。
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鉄腕アトムの実写版の記事を掲載にあたり、kojiroさんから、お宝写真やお宝資料を5つ送ってもらえたたので紹介します。
これは雑誌「少年」に載ったアトム友の会の募集の最後の案内です。1960年の4月号であろうとのことです。記事のなかの写真は第三部のフランケンの巻のようなので、1959年の写真と思われるそうです。これは、テレビフィルムから撮ったものだそうです。アトム大会が、4月24日に豊島園で行われると書かれていますが、実際には、コウロンにあるように、4月29日に向ヶ丘遊園と変更になったそうです。変更になったのは応募者が多かったのが理由ではないかと推測されていました。


これは雑誌「少年」に載った最後の実写版の鉄腕アトムの写真であろうとのことです。1960年の5月号前後であろうとのことでした。


宇宙船という雑誌の1981年夏号に載っていたアトムの写真です。左が、気体人間の巻で、田崎潤が天満博士でてでています。この時のフィルムは喪失しているそうです。第五部の気体人間の巻のネットで書かれている物語のあらすじを枠内に記載いたします。
アトムの両親が登場。アトムが宿題を忘れて居残りをさせられたりと日常風景も描いている。アトムがギャングに潜入した際にサングラスをかける場面がある。ヘルメット衣装を着けているため、耳たぶをかなり変形させてサングラスをかけていた。アトムに気体人間が乗り移り、悪人になったふりをする巻である。いまは無い「渋谷文化会館」のプラネタリウムや、渋谷駅前で撮影が行われている。
右は、最初のZZZ総統の時のプロテクターを装着したアトムがヘルメットを取った有名な写真です。


上と同じ宇宙船という雑誌の1981年夏号に載った写真で、火星探検の巻で、アトムを修理すべく、胸をあけているという珍しい写真が左下に載っています。


右の写真は雑誌「宇宙船」の1984年の8月号に載った火星探検のアトム少佐です。上半身しか映っていませんが、アトム少佐の雰囲気が感じられます。これは、レンコーンのロボットを呼ぼうとして、機械と接続したアトムが、ケチャップ大尉の操作で壊れてしまった後に、苦しみながら、ロケットから外に出ようとしているところだそうです。雑誌「宇宙船」の写真は、すべてフィルムから撮ったものだそうです。

右の写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、載った天満博士、お茶の水博士、アトムのスリーショットです。下の写真の左側も同じ雑誌に載った天満博士とアトムの写真です。
下の右側は1995年のリクルートの「ぼくらのヒットパレード1958-59 vol.1」に載ったアトムの写真で、確認できていないそうですが、ヘリコプターらしき乗物を操縦している写真です。アトムは自動車を運転していたのは有名ですが、ヘリコプターも運転したかもしれないそうです。有名なタイツのしわが見えます。ヘリコプタらしき乗物を操縦している写真以外は「気体人間の巻」の写真だそうです。乗物を操縦している写真は確定ではないそうですが、頭の形や服装からやはり「気体人間の巻」の可能性が高いそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

1978年に発行された「朝日ソノラマ:テレビ版 宇宙をかけるSFヒーローたち」に載っていた実写版鉄腕アトムの気体人間の巻の写真です。
左は瀬川少年のアトムが腕を伸ばして空を飛ぶ時の上半身を前から撮ったものです。気体人間の巻だけ人形ではなく本人で撮ったそうです。伸縮性のないレオタード風つなぎだったため、袖の先から腕の素肌が出ています。もっと長い手袋で、素肌が出ないようにすれば良いのにと思ったそうです。つなぎの下は、メカが見えず、メカの上に人工皮膚をつけて、その上に服を着ているという設定の面白い写真です。
右は気体人間に操らるフリをしたので、悪党の一味に加わり、貯水池の管理人親子を、襲うシーンだそうです。アトムがサングラスをかけています。ヘルメットがサングラスの柄と干渉するのでサングラスの柄がまっすぐでなく曲げられていたそうです。結構 サングラスが似合っていると思います。


実写版の鉄腕アトムをペン画で描いた画像を送っていただいたので紹介します。クリックすると少し拡大します。かぶっているヘルメットを取られることは実際にはあり得ませんが、実写版らしいイメージをとらえた一枚です。アニメとは違うことがわかります。
クリックすると拡大

実写版時代の主題歌の歌詞を紹介します。
この主題歌は知らない方も多いのではないかと思います。歌詞が書かれた、初音ミクの歌声での動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている


Habranthus tubispathus-400.jpgkojiroさんに調べていただいた結果、歌手は第一部・ZZZ団の巻(中島そのみ)→第二部・メキシコ(岡村喬生 上高田合唱団)→第三部・フランケンとアトムの巻(岡村喬生)→第四部・アトム火星に飛ぶの巻(岡村喬生)→第五部・気体人間の巻(上高田合唱団 中島そのみ)とかわりました。右の写真でバイクの1番前に乗っているのが中島そのみさんです。後ろの2人は団令子さんと重山規子さんです。ちなみに写真の当時3人は「お姐ちゃんトリオ」と呼ばれていたそうです。
中島そのみ の歌はこちら →ポチッ
岡村喬生の歌はこちら   →ポチッ
             →ポチッ
初音ミクの歌はこちら   →ポチッ
さとうささらの声の歌   →ポチッ
瀬川雅人の素顔登場    →ポチッ
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役

コメント欄でよしたかくんさんからのコメントにより、フルコーラスバージョンがあったことを知りましたので、コメントの一部を枠内に転記する形で紹介いたします。貴重な情報をありがとうございました。これ以外にも沢山の情報を教えていただいたので興味のある方は実際のコメントを読んでください。
実は「実写アトムにはもう一つの別バージョンフルコーラス」が存在します。始めに「実写アトムのメロディーは全部同一ですが、編曲アレンジオーケストレーションが微妙に異なり」ます。「中島そのみ、上高田はほとんど同一」ですが「岡村喬生版はイントロもアレンジも全く異なり」ます。実はこの回から?小川寛興先生が音楽担当として、益田克幸さんと同時にクレジットされました。推測ですがアレンジは小川先生と思われます。何故なら今までのバージョンとは全く違い「コード進行からイントロ、間奏、エンディングまで全く違い芸術的にまで昇華されています。また「知られざるもう一つの主題化フルコーラス」は、アレンジの骨格はそのみ、上高田とほとんど一緒ですが、イントロが全く違い」ます。実は30数年前に旧ユピテルから発売された再レコード化に際して参考にされたのはこの知られざるバージョンでした。しかも歌手は「中年の演歌歌手っぽい人の歌唱」で、岡村のパスに対して演歌版テノール?の様でした。つまり「実写アトムの主題歌は、実にわかっているだけでも4つの異なったバージョンが在る」と。更に「レコード化」ですが、解っているのは「中島そのみ版はテレビバージョンのみ、岡村版はテレビバージョン2コーラスまで。上高田版はキングよりフルコーラスレコード化確認。ではこの謎のバージョンフルコーラスは? おそらく推測ですが他社から別の形でレコード化されていたものと推測されます。過去こういう形でのレコード化は在った様で「怪獣王子、遊星仮面、鉄人28号」などがありました。
つまり「実写アトムはそれだけ人気が在った」と言う証拠ですね。
by よしたかくん (2016-03-08 11:49)
さらに2016年3月10日によしたかくんさんからの昭和30年代初期のころのいろんな番組のフィルムや資料が処分されて、その時代の写真や資料が少なくなった経緯などを、宇宙船エンゼル号の冒険、赤胴鈴之介、あんみつ姫、大海獣ゲボラ、魔神ガロンを例にとってコメントで教えていただきました。前回追加した実写版鉄腕アトムのフルコーラスの主題歌の情報もいただきました。そのフルコーラス主題歌の情報を枠内に転記いたします。なお、フィルムや資料が処分された経緯に関してはコメント欄を見ていただければ幸いです。
前回の「実写アトムの幻のフルコーラス主題歌」ですが、改めて徹底して聴き直しわかった事を報告いたします。
まず「曲の頭にザワザワゴリゴリと言うアナログレコード特有のスクラッチノイズが乗っている」「最初にアトムのジェット噴射と思われるSEが入りブザーの音、そしてファンファーレの様なイントロが4/4拍子として10小節あった後に主題化が始まり」ます。「サビの部分からは女の子たちのチルドレンコーラス=上高田とは全然異なりもしかしてビクター児童合唱団なのか?これは同時に保有している実写の鉄人28号の主題歌フルコーラス版がビクター児童合唱団と言われていた事」 更に2と3コーラスの間に挟まる間奏も全然異なり「5小節」と言う半端な間奏」になっています。なお3コーラスは「演歌っぽいテノールと児童合唱が逆さまになっています」全体的なテンポはかなりゆっくりで迫力は無いかもしれませんね。なお「実写の鉄人28号フルコーラス主題歌 3番まで」はレコード化に際しては全て児童合唱になっていましたね。
by よしたかくん (2016-03-10 10:33)

せっかくなのでTVアニメの鉄腕アトムの主題歌の歌詞も紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんをするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo
ZONEの歌はこちら   →http://youtu.be/xb2YX-IuvSI
第1話 アトム誕生の巻 →× http://youtu.be/TUPNRRtGGDk
第2話 フランケンの巻 →× 
第3話 火星探検の巻  →https://youtu.be/w0k3WO1DLGc
第4話 ゲルニカの巻  →× 
第5話 スフィンクスの巻→https://twitter.com/i/status/1097520580478197761
第6話 電光人間    →http://youtu.be/Uf2gvImBCPU
第8話 幽霊製造機   →http://youtu.be/_T7Up9-UewQ
第9話 ブラックルックス →http://youtu.be/W22Z43tjpsA
第10話 イワンの馬鹿 →http://youtu.be/DPLFc6WVq8E
第11話 タイムマシン  →http://youtu.be/MZb1h9_Adls
第12話 十字架島    →http://youtu.be/zdprMAeIg2Q
第14話 人工太陽    →http://youtu.be/0P3V0NbpA8o
第15話 植物人間    →http://youtu.be/YC8xkO4eRQs
第16話 白い惑星号  →http://youtu.be/ml-R-CJV550
第17話 ロボットランド →http://youtu.be/5gVT2Rcjtjk
第18話 ガデム     →× 
第19話 アトム対魔人 →http://youtu.be/Nxg1ubs-Tbw
第20話 気体人間    →http://youtu.be/6jmsR29XRi0
第22話 海蛇島     →× 
第23話 ミュータント   →× 
第24話 海底王国    →× 
第26話 アトラス     →× 
11種白黒TVアニメ   →http://youtu.be/Jslc10q6cdg
     鉄腕アトム(1963/1/1)     鉄人28号(1963/10/20)
     エイトマン(1963/11/8)     ビックX(1964/8/3)
     スーパージェッター(1965/1/7) 宇宙少年ソラン(1965/5/4)
     ワンダースリー(1965/6/6)   魔法使いサリー(1966/12/5)
     パーマン(1967/4/2)      ゲゲゲの鬼太郎(1968/1/3)
     怪物くん(1968/4/21)  
上の欄の×印の動画には Tezuka_Productions のコンテンツが含まれているため、著作権上の問題で権利所有者によりブロックされました。

宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( [>] )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


歴代3作目となる「ASTRO BOY 鉄腕アトム」の主題歌も紹介します。第1作と第2作の主題歌は多少テンポは違いますが歌詞は同じですが、第3作では別の歌に変わりました。つまり実写版も含めると3種類の歌があるのです。
クリックするとオリジナルを表示クリックするとオリジナルを表示  テーマ曲  true blue
  歌手     ZONE
  作詞作曲  町田 紀彦
  歌詞  → ポチッ ポチッ
アストロボーイ・鉄腕アトムはフジテレビ系列にて、2003年4月6日から2004年3月28日まで毎週日曜日の9時30分~10時に放送されました。ちなみに1952年4月7日発売の原作連載漫画の中で、鉄腕アトムが誕生したのが2003年4月7日であったことから放送開始日(2003年4月6日)が決定されたそうです。鉄腕アトムは51年後を想像して作られた未来SF漫画だったのです。
 第1作 1963年01月01日~1966年12月31日 鉄腕アトム
 第2作 1980年10月01日~1981年12月23日 鉄腕アトム
 第3作 2003年04月06日~2004年03月28日 ASTRO BOY 鉄腕アトム


2009年にはハリウッドのイマジ・アニメーション・スタジオによって制作されたCGアニメが発表されました。下記は後半の6分2秒の名場面の抜粋です。
 全映画はこちら→http://youtu.be/GSufsdpWmqM 1時間33分48秒


知らなかったのですが実写版用の女の子の鉄腕アトムの写真が残されていました。
クリックすると拡大鉄腕アトムは1972年の最終回で異常発熱をする太陽にロケットとともに突入して鉄腕アトムの連載は終わりました。宇宙船から発射されたロケットが、隕石に当たって止まった為に鉄腕アトムは自らを犠牲にして地球を救ったのでした。太陽熱で溶けけ宇宙空間に漂っている鉄腕アトムは、宇宙人に救われて、右のアニメにあるように修理・改造されて鉄腕アトムとしての物語が1972年~1973年に続いたそうです。このときにコスチュームが変わっていたのですが、その理由は明かされていませんでした。
それはタイミングを見て、アトムが女の子だったことにする秘かな計画が手塚先生の頭の中にあったようです。
このときに実写版の女の子のアトムが計画されて右の3枚の写真が残っているのです。
クリックすると拡大クリックすると拡大真中と右は同じポーズですがコスチュームは違います。真中が最初のバージョンだと思われるそうです。皮膚をサーモンピンクにしていたのですが、肉欲的な感じがしたのか、ベージュに変えたようです。胸のプロテクターのボッチの数や、ヘルメットというか被り物の形も違っています。これらのコスチュームは手塚先生自身が極秘裏に製作を依頼したそうです。ただし実写版そのものの実現はなかったようです。頭の星型の部分に触るとタイムトラベルも出来たそうです。これらの写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、手塚先生が女の子のアトムを構想したことを紹介する形で載りました。
もともとの鉄腕アトム(左)も、そのモデルとなった天馬飛雄(中と右)も女の子のような感じでもありました。先入観なしで鉄腕アトムの知識もなく、アニメの子が女の子だと言われれば、信じてしまい天馬博士は女の子に飛雄という名前を付けた気になってしまいます。
    1980年 鉄腕アトム         1963年 天馬飛雄          1980年 天馬飛雄  


上で紹介した女の子の実写版を密かに計画していたことが暗示される鉄腕アトムのアニメです。宇宙人に救われて、修理・改造されて鉄腕アトムのアニメですが、上段が小学1年生の1972年6月号で下段が1972年4月号です。明らかに違いがあります。1972年6月号には胸にプロテクタが付けられていましたが、その前の1972年4月号にはプロテクターがない胸は、明から以前の鉄腕アトムとは違って女の子を意識していたのかもしれません。ただし次号からはプロテクターを付けたわけです。こんなところからもいろんな苦労が感じられます。タイムトリップ用の頭のダイヤルも6月号からつけられました。マントも6号からつけられたようです。
1972年6月号
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1972年4月号
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女の子の鉄腕アトムと言えば、こちらの動画も見逃せません。鉄腕アトムのように靴からロケット噴射を出して堀北真希さんが空を飛ぶ動画です。
下記も含めて3つ見つけました。→ポチッ ポチッ



2014年10月23日追記 新しい資料がkojiroさんから届きました。
クリックすると拡大右の沢山のアトムは2003年のメディアファクトリー発行の鉄腕アトムコンプリートブックに掲載された鉄腕アトムの変遷です。クリックすると拡大
1967年以降はすべてカラーなのに対して1972年が青色一色で書かれています。スタイルも1972年は他とは違う雰囲気があります。コスチュームが変わっている上に、顔の表情も女の子っぽく、マントまでしています。頭には、すでに紹介したタイムトリップが出来る星形が付いており1972年に手塚先生が極秘に女の子の実写版を作ろうとした時期に一致しています。このことからも手塚先生が女の子の実写晩を本当に作りたかったのが、伝わってくるような感じがします。それぞれのアトムには次のような説明があります。クリックすると読めると思います。
 1967-1969年 「サンケイ新聞」/「アトム今昔物語」より
 1970年    「別冊少年マガジン」/「アトムの最後」より
 1972年    「小学四年生」/「アトム還る」より
 1975年    「文芸春秋デラックス」/「アトム二世」より
 1976年    「週間朝日」/「偏差値王国との対決」より
 1980-1981年 「小学二年生」/「鉄腕アトム」より
  - 左上端 「月刊少年ジャンプ」/「シルバータワー」の巻より
 1963-1966年 虫プロダクション製作/フジテレビ系放映
 1980-1981年 手塚プロダクション製作/日本テレビ系放映
 2003年     手塚プロダクション ソニー・ピクチャーズエンタテ 
        イメント製作 /フジテレビ系列放映

上で紹介の次のページに載っていた鉄腕アトムの変遷も送っていただきました。こちらは1951年から1967年までの一年ごとのアトムが掲載されています。1951年のアトム大使に載っていた最初のアトムの絵は貴重です。
 1951年      「少年」本誌/「アトム大使」の巻より
 1952年      「少年」本誌/「フランケンシュタイン」の巻より
 1953年      「漫画少年」本誌/「アトム大使」の巻より
 1954年      「少年」本誌/「ZZZ総統」の巻より
 1955年      「少年」付録/「電光人間」の巻より
 1956年      「少年」本誌/「アトラス」の巻より
 1957年      「少年」本誌/「□□□□からきた男」の巻より
 1958年      「少年」本誌/「十字架大陸」の巻より
 1959年      「少年」本誌/「鬼火仮面」の巻より
 1960年      「少年」本誌/「デッドクロス殿下」の巻より
 1961年      「少年」本誌/「ホットドッグ兵団」の巻より
 1962年      「少年」付録/「宇宙の寄生虫」の巻より
 1963年      「少年」付録/「ロボット宇宙組」の巻より
 1964年      「少年」本誌/「地球最後の日」の巻より
 1965年      「少年」付録/「ロビオとロビエット」の巻より
 1966年      「少年」本誌/「四次元の少年」の巻より
 1967年      「少年」本誌/「ゾロモンの宝石」の巻より
クリックすると拡大 クリックすると拡大

こちらの写真は2003年に河出書房新社から発行された「図説 鉄腕アトム」のなかの写真です。これが第二部のメキシコの巻で、アトムがコスチュームを一新した時の写真です。メキシコ人と思われる人と一緒に映っています。ヘルメットは、上で紹介の中期のものです。ネットに出ているメキシコの巻の写真より鮮明なのでコスチュームがよく判ると思います。撮影用のライトを当てているためか、屋外より、よりテカっています。


クリックすると拡大右の写真は、漫画のタイトルが「鉄腕アトム」ではなく、驚くことに『鉄人アトム』になる可能性があった資料で、鉄腕アトムの創生に関わる貴重なものです。すでに紹介した通り1951年4月から掲載の「アトム大使」の中で脇役として登場したアトムを主人公としてアトムの漫画が雑誌「少年」の1952年4月号からタイトル「鉄腕アトム」で連載されました。連載開始の一つ前の号である1952年3月号では、「鉄腕アトム」ではなく『鉄人アトム』というタイトルで予告されていました。予告後、一ケ月の間にタイトルが鉄腕アトムに変更されたことになります。こちらも2003年に河出書房新社から発行された「図説 鉄腕アトム」のなかにあったものだそうです。
小さくて読みにくいと思いますので記載内容を下記の枠内に転記します。
 科学漫画 鉄人アトム 手塚治虫 
「少年」愛読者諸君、はりきりアトムは、このとおり、ふたたび四月号から「鉄人アトム」として登場。きっと諸君をアッと言わせますよ。アトムの、かつやくをご期待ください。
大ひょうばん 「少年」のアトム またまた大かつやく!
アトムの力は あいかわらず このとおり

実写版・鉄腕アトムでの登場人物の写真が載った貴重な資料が2014年10月25日にkojiroさんから届きました。
こちらは鉄腕アトムのハイライシーントです。第四部の火星に飛ぶのロケットや宇宙ステーションなどが写っています。第五部の気体人間の巻のヘリコプターで取ったフィルムとの合成の飛行シーンもあります。


こちらには第二部のメキシコの巻のロボットが載っています。カニ男、スフィンクス、ジェットマンが載っており思い出す方もおられると思います。入江たか子さんのサパタ夫人の写真も貴重です。ランプやアルペンなどの人物名と写真が一緒に載っている知りようが残されているのに感激です。3体のロボットの説明も詳しく待載っています。
 スフィンクス  ピラミッドを守るロボット。アルペン逸見に改造される。
 カニ男     サパタ夫人が操るロボット、二本のハサミが武器
 ジェットマン  カニ男の相棒、アトムと同様空を飛べる。


フランケンが写っています。飛ばなかった原子力円盤も載っています。スバルに円盤を取り付けたものだそうです。バラン団メンバーのバラン団首領スパルタン博士、コング、ルソー、スカンクに、バラン団撲滅に協力する女探偵の隼探偵も載っていまい。


火星探検に登場するキャーペットも写っています。軍服の似合う可愛いキャーペットはアトムより年上ですが、アトムに恋心を抱いている感じの設定となっていたようです。


ここから下の4枚は宇宙船1981年の夏号に掲載されていたものです。
上段は実写版・鉄腕アトム(全編)での登場人物です。沢山の子供たちが共演していて、皆さん個性豊かだったようです。彼等にもアトムのコスチュームは羨ましかったそうです。下段は第一部のZZZ団の説明です。ZZZ団のミッシェルも、アトムに恋心を抱いているような設定になっていたそうです。アトムは、番組の中でも、女の子にもてたそうです。


こちらにはZZZ団の要塞と空飛ぶ自動車が出ています。アトムが飛んでこれを追いかけました。


左が第四部の火星探検の巻と第五部の機体人間のオープニングの写真です。不鮮明で判りにくいと思いますが火星探検の方はロケットが地球から飛び出して来ているところです。気体人間では壺から煙が出ている写真です。
右が第五部の気体人間の巻です。
クリックすると拡大

実写版の鉄腕アトムが人気があった証拠資料です。1959年3月7日から実写版の鉄腕アトムはのテレビで放送が始まったわけですが、アニメが掲載されていた雑誌「少年」の1959年の10月号の付録の表紙が下記の写真です。その表紙に「テレビでも大評判!」と、書かれています。テレビとはこの時期は実写版ですから、雑誌「少年」も認めるほどの「実写版鉄腕アトムが評判」だったわけです。この時期は第三部のフランケンの巻が放送されていた時期です。



2016年7月29日追記 タイトル : kojiroさんから新しい写真が届きました。

実写版時代の写真は不鮮明なものが多いのですが、鮮明な写真が見つかったとのことで、下記の写真を送っていただきましたので、紹介させていただきます。写真は「メキシコの巻き」の一場面です。


こちらも鮮明な写真です。右上の写真の女の子のミッシェル役はS・アルデンパイさんです。残念なことにS・アルデンパイさんは亡くなられたそうです。
キャストはこちらです。→ポチッ
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また鉄腕アトムを演じた瀬川少年のその後は謎が多いのですが、瀬川雅人さんが高校生か大学生のころに出演された思われる写真も送っていただきました。確定と言うわけではありませんが、右の写真と面影(目の形、瞳の位置、鼻の形、あごのへん 等々)が似ていることから瀬川少年の青年姿ではないかと確信されておられました。Wikipediaによると吉田拓郎のバックで演奏を担当していた時期もあったそうです。



2016年8月31日追記 タイトル : テレビ探偵団
昔にテレビ探偵団という番組があり、その時に、手塚先生を招待して、実写版鉄腕アトムについても、紹介した下記の動画があることをkojiroさんから紹介されました。13分56秒~15分24秒に鉄腕アトムの実写版のメキシコの巻で、アトムがカニ男と戦ったり、ピラミッドの中で、扉を溶かすようなシーンが見れます。実写版の前の1957年4月13日に登場したTV人形劇(TBS)に関する説明も7分38秒からあります。現在(2016年11月)はTokyo Broadcasting System,inc.(TBS)からの著作権侵害の申し立てにより映りません。




2015年2月12日追記 タイトル : オーストラリアで 鉄腕アトムの実写映画企画の発表
2015年2月5日に鉄腕アトムがオーストラリアのプロダクションによって実写映画化されることが発表されました。プロダクションの名前はアニマル・ロジック(Animal Logic Entertainment)で、映画マドリックスの視覚効果やLEGOムービーなどを担当したことで知られています。アニマル・ロジックのCEOの右の写真のザレ・ナルバンディアン(Zareh Nalbandian)から、鉄腕アトムをベースにした実写長編映画の企画開発にあたり、日本の手塚プロダクションとパートナーシップを契約したことが発表されたそうです。同じ日に、手塚プロダクションもアニマル・ロジック社と契約を結んだことを明らかにしました。今回の企画は「大人も楽しめる本格的な スーパーヒーロー映画を目指す」としています。映画の発表時期は明らかにされていませんが1959年の実写版放送から56年以上の時間を越えて再び実写版が実現することはすばらしいことです。是非とも成功させてほしいものです。
アニマル・ロジックを一躍有名にしたのが2006年にアカデミー賞を受賞したハッピー フィートHappy Feet)です。ハッピー フィートはアニマル・ロジックがクリックすると拡大制作担当で2002年から制作にかかったフルCGアニメーションです。アカデミー賞以外にゴールデングローブ賞主題歌賞、英国アカデミー賞長編アニメ映画賞、受賞第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、ワシントンD.C.映画批評家協会賞、アメリカ映画協会賞、ニューヨークオンライン映画批評家協会賞などを受賞しました。ハッピー フィートで4年の制作を要したわけで鉄腕アトムはどれほどの期間で完成するでしょう。実写版であることからCGが使われるのはアトムや他のロボットなどと思われることから期間はハッピー フィートよりは短いと想像しています。
記事内では、例としてlive-action movie という言葉が使われてはいますが、どんな形の映画になるのかはまだ決まっていないようです。2009年のASTRO BOY(CGアニメーション)は興行収入($39,886,986)を製作費($65,000,000)が上回ったことから、今回は成功させることを前提に進められるものと思われます。
アニマル・ロジックのホームページ掲載記事→ポチッ
News  05 February 2015
ANIMAL LOGIC BLASTS OFF WITH ASTRO BOY!
クリックすると記事を表示
Animal Logic Entertainment is partnering with with Japan's Tezuka Productions to develop a live action, science fiction superhero feature film based on one of the most iconic comic book franchises - Astro Boy!
Zareh Nalbandian from Animal Logic Entertainment will produce with Jason Lust acting as executive producer. Mike Callaghan and Reuben Liber from Ranger 7 Films will also exec produce.
While the cartoons targeted a young demo, we are aiming to make a four-quadrant adventure movie tailor-made for the comic book movie age.
Our CEO, Zareh said, “We’ve seen him as a manga, an anime and an animated movie but we’ve never seen him as a live-action movie or him as a superhero. We actually see him in the same league as an Iron Man.”
The producers also want to take advantage of the large ensemble of supporting characters and villains that were created over the decades. "We want to make it aspirational but not soft," added Nalbandian.
Read more about it in our full Press Release below
 Press Coverage:
  Sydney Morning Herald
  The Hollywood Reporter
  Daily Mail Online
こちらの枠内もホームページに掲載されていた記事です。
Australian company behind The Lego Movie to take on iconic cartoon character Astro Boy and turn him into a live-action superhero
 ・Australian company are set to make a superhero film based on Astro Boy
 ・Astro Boy is a classic Japanese manga cartoon series
 ・It has sold over 100 million manga copues worldwide
 ・Australian producer Zarek Nalbandian says the film will not disappoint
 ・Nalbandian is the man behind The Lego Movie
 ・He says he is 'perplexed' they did not receive an Oscar nomination

He's the robot boy who fights evil with his superhuman strength and now the Australian company behind The Lego Movie is set to make a live-action superhero film based on the popular cartoon character Astro Boy.With production of the second and third Lego spin-off's set to start later this year in Sydney, animation company Animal Logic has signed on to reinterpret the classic Japanese manga series Astro Boy and producer Zareh Nalbandian has promised they will not disappoint.
Having sold over 100 million manga copies worldwide, Astro Boy is the kind of film an animation producer dreams of and for Nalbandian it's a chance for him to bring a beloved and iconic character to life.
クリックすると拡大He's the robot boy who fights evil with his superhuman strength and now the Australian company behind The Lego Movie is set to make a live-action superhero film based on the popular cartoon character Astro Boy
'It is a big challenge but it’s also really exciting. It’s the kind of thing you dream of as a film-maker to be able to bring such a beloved and iconic character to life but in a way that’s never been done before,' Nalbandian told Daily Mail Australia.

Astro Boy, known in Japan as 'Mighty Atom' was created by Osamu Tezuka, who is considered the Japanese equivalent of Walt Disney.

The boy with the supernatural powers first appeared as a cartoon series from 1951 to 1968, set in a time where Japan was recovering from the atomic blasts during World War II.
Astro Boy went on to become one of the most-loved cartoon characters ever created. Since his emergence, Astro Boy has been made into a TV animation series twice. He was also turned into feature length animation in Hollywood in 2009.

Using his superpowers, including strength, jet flight, adjustable hearing and instant language translation, the cartoon character fights evil while possessing the kindness of a child.
クリックすると拡大With production of the second and third Lego spin-off's set to start later this year in Sydney, animation company Animal Logic has signed on to reinterpret the classic Japanese manga series Astro Boy and producer Zareh Nalbandian (pictured) has promised they will not disappoint
Producer Nalbandian admits that there will be high expectations for the film from avid cartoon audiences, but believes he has the opportunity to make Astro Boy as big a success as Iron Man or Guardians of the Galaxy.

'We have high expectations. We won’t make a mediocre movie, this is a once in a generation opportunity to reinterpret Astro Boy for a 21st century audience,' Nalbandian said.

'Ultimately we've got the passion and we have the commitment but we need to partner with great writers and great film-makers and I think that right combination will empower us to do what we want to do.'

Nalbandian's impressive career spans over decades with films such as Walking with Dinosaurs 3D and Happy Feet under his belt. He knows what it takes to reinterpret a classic icon and bring him to the big screen and believes Astro Boy needs to be taken into the 21st Century to be a success.
The producer believes we are living in 'an exciting time' in film for the convergence of life-action, animation and visual effects and says anything is possible.
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写真は「LEGOムービー」、「ハッピー フィート」、「ウォーキングwithダイナソー」、「華麗なるギャツビー」です。
アニマル・ロジック(Animal Logic Entertainment)が参加した作品を紹介します。
 1995年 ベイブ  Babe
 1997年 フェイス/オフ  Face/Off
 1997年 マウス・ハント  Mousehunt
 1998年 シン・レッド・ライン  The Thin Red Line
 1998年 ベイブ/都会へ行く  Babe: Pig in the City
 1999年 マトリックス  The Matrix
 1999年 ホーリー・スモーク  Holy Smoke
 2000年 タップ・ドッグス  Bootmen
 2001年 ロード・オブ・ザ・リング  The Lord of the Rings
 2001年 シャーロット・グレイ  Charlotte Gray
 2001年 ムーラン・ルージュ  Moulin Rouge!
 2001年 PLANET OF THE APES / 猿の惑星
 2002年 裸足の1500マイル  Rabbit-Proof Fence
 2002年 愛の落日  The Quiet American
 2002年 HERO / 英雄
 2003年 マトリックス リローデッド  The Matrix Reloaded
 2003年 イン・ザ・カット  In the Cut
 2004年 LOVERS / 十面埋伏
 2004年 アナコンダ2  Anacondas: The Hunt for the Blood Orchid
 2005年 ハリー・ポッターと炎のゴブレット  Harry Potter
 2005年 ステルス  Stealth
 2006年 ワールド・トレード・センター  World Trade Center
 2006年 ハッピー フィート  Happy Feet
 2006年 愛しのアクアマリン  Aquamarine
 2007年 300 〈スリーハンドレッド〉 
 2007年 28週後...  28 Weeks Later
 2008年 バンテージ・ポイント  Vantage Point
 2008年 フールズ・ゴールド/カリブ海に沈んだ恋の宝石  Fool's Gold
 2009年 ノウイング  Knowing
 2010年 ガフールの伝説  Legend of the Guardians
 2011年 エンジェル ウォーズ  Sucker Punch
 2013年 華麗なるギャツビー  The Great Gatsby
 2013年 ウォーキングwithダイナソー  Walking with Dinosaurs
 2014年 LEGOムービー  The Lego Movie
 2014年 X-MEN: フューチャー&パスト  X-Men: Days of Future Past


2016年2月19日追記 タイトル : 脚本家決定で実写化再始動か
鉄腕アトムがオーストラリアのプロダクションにより実写映画化されると伝えられてから1年が経ちました。その後を検索してみました。下記の枠内が最近の代表的な記事です。検索するきっかけになったのは、昨日(2月18日)は、私の実写版鉄腕アトムの記事に62件の閲覧があり、同時に私の記事への検索ワードのランキングで「鉄腕アトム」が11番目に登場したことでした。
クリックするとオリジナル表示
『鉄腕アトム』ハリウッド実写映画化、脚本家決定で再始動
クランクイン! 2016年02月18日 11:28

日本漫画界の巨匠・手塚治虫の傑作『鉄腕アトム』が、『LEGO ムービー』を手がけたオーストラリアのアニマル・ロジック・エンターテインメントによって実写映画化されると伝えられてから1年。パニック映画『カリフォルニア・ダウン』のアンドレ・ファブリツィオとジェレミー・バスモアの脚本で始動する動きが出ているようだ。

Varietyによると、米ニュー・ライン・シネマが実写版への参加を交渉中とのこと。ファブリツィオとバスモアが脚本を執筆するために起用されたという。話がどこまで進んでいるかは不明だ。
アニマル・ロジック・エンターテインメントと手塚プロダクションのタイアップで実現するという『鉄腕アトム』実写版。『LEGO ムービー』の製作総指揮を務めたクリックするとオリジナル表示ザレー・ナルバンディアンが製作、ジェイソン・ラストと映画『ハード・ソルジャー 炎の奪還』のマイク・キャラハン、ルーベン・ライバーが製作総指揮を務めると伝えられた。
1951年に手塚治虫が発表した『鉄腕アトム』は21世紀を舞台に、交通事故で息子を失った天馬博士が作った高性能ロボット=アトムの活躍を描く。欧米では「アストロボーイ」として人気を博す。
鉄腕アトム、米で実写映画化も 手塚プロ「交渉中」

米映画誌「ハリウッド・リポーター」は17日、大手映画会社ワーナー・ブラザースの一部門が、漫画家の手塚治虫さんの代表作「鉄腕アトム」の実写映画製作に向けて「手塚プロダクション」と交渉を進めていると報じた。手塚プロダクションは共同通信の取材に対し、交渉中であると認めた。クリックするとオリジナル表示「ワーナー」側は映画「カリフォルニア・ダウン」の脚本に携わったアンドレ・ファブリツィオ氏とジェレミー・パスモア氏のコンビに脚本を依頼している。
同誌によると、映画は幅広い年代が楽しめるものを目指しているといい、契約が成立すれば手塚プロダクションも製作にかかわる見通し。

ハリウッドでは2009年に「鉄腕アトム」をコンピューターグラフィックス(CG)でアニメ化した映画「ATOM」が製作された。

【ロサンゼルス=共同】

脚本家候補の2人を紹介します。枠内がネットで紹介されていた内容です。2人は南カリフォルニア大学の同窓生で、いつもコンビを組んでいるようです。
 脚本家:アンドレ・ファブリツィオ Andre Fabrizio
イタリアのミラノで生まれたファブリツィオはオーストラリアで育った。彼はそこでロースクールを卒業し、短期間弁護士をした後、映画を学ぶため南カリフォルニア大学に入学する。映画のキャリアを製作サイドでスタートさせた後、南カリフォルニア大学の同窓生ジェレミー・パスモアと組むようになる。2014年には『コードネーム:プリンス』の脚本を執筆。共同で脚本を執筆したドウェイン・ジョンソン主演のアクションドラマ『San Andreas』は2015年5月に全米で公開となる。
 脚本家:ジェレミー・パスモア Jeremy Passmore
ワシントン州で生まれたパスモアは、映画製作を学ぶためL.A.に移住し、南カリフォルニア大学に入学した。彼の映画デビュー作はマイケル・ラパポート主演『Special』で、共同脚本と共同監督を務めた。同作は2006年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、マグノリア・ピクチャーズによって全米劇場配給された。その後も、脚本家パートナーのアンドレ・ファブリツィオと主にコンビを組んでいる。二人が組んだ近作は『コードネーム:プリンス』とニューライン製作『San Andreas』。パスモアはまた、MGMが製作した『レッド・ドーン』リメイク版の脚本も執筆した。

候補に挙がった2人の脚本家が共同で作った映画3本の動画(予告編)を紹介いたします。
 デッド・シティ

 カリフォルニア・ダウン

 コードネーム:プリンス



2016年10月11日追記 タイトル : 実写版 鉄腕アトム DVD HD版発売 予告
実写版の鉄腕アトムのDVDは2009年10月23日から1年間限定で発売されましたが、今年2016年にDVD-BOX HDリマスター版が10月28日と11月25日の2回に分けて発売されることを記載した記事のことをkojiroさんのコメントで知りました。その記事の内容の一部を下記の枠内に転記いたしました。
2016年の今回の記事→ポチッ   2009年の記事→ポチッ
実写版テレビドラマ『鉄腕アトム』
DVD-BOX HDリマスター版が発売決定
@amass 2016/07/24 01:03掲載
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1959年~1960年に放送された、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』の実写版テレビドラマ。DVD-BOX HDリマスター版が発売決定。今回のボックスでは、これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの全尺を、一部音声を除き忠実に再現。従来の4:3の画角では収録しきれなかった左右の映像を上下をカットすることなく取り込んでHDポジテレシネを行ったHDリマスターからのDVD化です。2つのボックスにわけてのリリースで、BOX1が10月28日に、BOX2が11月25日にそれぞれ発売されます


【あらすじ】
お茶ノ水博士に引き取られた少年型ロボット・鉄腕アトムが、十万馬力と七つの力を駆使して悪に立ち向かう物語。
■第1部「ZZZ団の巻」
特殊な毒ガスを用いて世界征服を企てる「ZZZ団」が、日本の箱根首相らを暗殺しようとした時、首相たちを守ろうとアトムの活躍が始まった。
「ZZZ団の巻」の他に、第2部「メキシコへ行くの巻」、第3部「フランケンとアトム」の巻を収録。
【DVD-BOX仕様】
1959年~1960年/日本/モノクロ/本編約875分/16:9/音声:モノラル/片面2層/第1話~39話収録(全65話)/6枚組 (第14話、18話、19話、34話は原版不明のため未収録)
※仕様は変更となる場合がございます。
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
【封入特典】
解説書
※仕様・特典内容は変更となる場合がございます
[コピーライト]手塚プロダクション/毎日放送・松崎プロダクション
発売元:株式会社ベストフィールド
販売元:TCエンタテインメント
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2016年11月28日追記 タイトル : 実写版 鉄腕アトム DVD HD版発売
kojiroさんから実際に鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2がネットで発売されているとの連絡がありました。その発売されている画面を下記に転記させてもらいました。 オリジナルはこちら→ポチッ
巨匠・手塚治虫の日本を代表する漫画が原作
鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2 甦るヒーローライブラリー 第20集 ベストフィールド
JANコード/ISBNコード:4571317711829
価格 17,060円(税込)


【鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2】
★国産初の連続テレビ映画「月光仮面」(1958年)の翌年に制作された、特撮番組の黎明期を代表する貴重な作品が復活!
★これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの全尺を、一部音声を除き忠実に再現!
★従来の4:3の画角では収録しきれなかった左右の映像を上下をカットすることなく取り込んでHDポジテレシネを行ったHDリマスターからの高画質なDVD化を実現!
★円谷プロダクション設立前の円谷英二と円谷特技研究所も関わった特撮の原点と称される貴重な作品!
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
【仕様】
1959年〜1960年/日本/モノクロ/本編約575分/16:9/音声:モノラル/片面2層/第40話〜65話収録(全65話)/4枚組 (第46話、48話、53話は原版不明のため未収録)
※仕様は変更となる場合がございます。
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
【特典】
封入特典:解説書
※特典内容は変更となる場合がございます

商品説明
鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2
甦るヒーローライブラリー 第20集
日本中の子供を夢中にした、テレビ黎明期を代表する名作が遂にDVDで復刻!
巨匠・手塚治虫の日本を代表する漫画を原作に、これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの映像を忠実に再現!

お茶の水博士に引き取られた少年型ロボット・鉄腕アトムが、十万馬力と七つの力を駆使して悪に立ち向かう物語。
第4部 火星探検の巻(火星にとぶ)
第5部 気体人間の巻 を収録。
★国産初の連続テレビ映画「月光仮面」(1958年)の翌年に制作された、特撮番組の黎明期を代表する貴重な作品が復活!
★これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの全尺を、一部音声を除き忠実に再現!
★従来の4:3の画角では収録しきれなかった左右の映像を上下をカットすることなく取り込んでHDポジテレシネを行ったHDリマスターからの高画質なDVD化を実現!
★円谷プロダクション設立前の円谷英二と円谷特技研究所も関わった特撮の原点と称される貴重な作品!
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。

鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2
【仕様】
1959年〜1960年/日本/モノクロ/本編約575分/16:9/音声:モノラル/片面2層/第40話〜65話収録(全65話)/4枚組 (第46話、48話、53話は原版不明のため未収録)
※仕様は変更となる場合がございます。
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
【特典】
封入特典:解説書 
【キャスト&スタッフ】
<出演>
瀬川雅人、森野五郎、若原春江、シミキン(賛助出演)ほか
<スタッフ>
原作:手塚治虫
監督:志波西果、大橋秀夫、難波敏夫
脚本(脚色):岩田重利、宮川一郎、坂巻昇
音楽:長島史幸、中林淳眞、益田克幸(主題歌作曲)
制作:松崎プロダクション
  

kojiroさんのアドバイスによりBOX1のネット販売情報も枠内に転記する形で掲載いたします。
オリジナル記事→ポチッ
鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX1
甦るヒーローライブラリー 第20集
日本中の子供を夢中にした、テレビ黎明期を代表する名作が遂にDVDで復刻!
巨匠・手塚治虫の日本を代表する漫画を原作に、これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの映像を忠実に再現!
お茶の水博士に引き取られた少年型ロボット・鉄腕アトムが、十万馬力と七つの力を駆使して悪に立ち向かう物語。
■第1部「ZZZ団の巻」
特殊な毒ガスを用いて世界征服を企てる「ZZZ団」が、日本の箱根首相らを暗殺しようとした時、首相たちを守ろうとアトムの活躍が始まった。
「ZZZ団の巻」の他に、第2部「アトム メキシコへ行くの巻」(ノンクレジット)、第3部「アトムとフランケンの巻」(ノンクレジット)の巻を収録。
★国産初の連続テレビ映画「月光仮面」(1958年)の翌年に制作された、特撮番組の黎明期を代表する貴重な作品が復活!
★これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの全尺を、一部音声を除き忠実に再現!!
★従来の4:3の画角では収録しきれなかった左右の映像を上下をカットすることなく取り込んでHDポジテレシネを行ったHDリマスターからの高画質なDVD化を実現!
★円谷プロダクション設立前の円谷英二と円谷特技研究所も関わった特撮の原点と称される貴重な作品!
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX1
【仕様】
1959年~1960年/日本/モノクロ/本編約875分/16:9/音声:モノラル/片面2層/第1話~39話収録(全65話)/6枚組 (第14話、18話、19話、34話は原版不明のため未収録)
※仕様は変更となる場合がございます。
※オリジナル音声を一部差し替えておりますことを予めご了承願います。
【特典】
封入特典:解説書
※特典内容は変更となる場合がございます 
【キャスト&スタッフ】
<出演>
瀬川雅人、田中明夫、森野五郎、田上嘉子、寄山弘、北川国彦、富永一矢、高橋正夫、小林清志、市川治、入江たか子(特別出演) ほか

<スタッフ>
原作:手塚治虫
監督:吉川博、志波西果
脚本:渋谷五十八、岩田重利、志波裕之、コオロギハルヲ
音楽: 益田克幸、小川寛興
制作:松崎プロダクション
※開封後の返品はお受けできません。
【鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX】
巨匠・手塚治虫の日本を代表する漫画を原作に、これまでのDVD化では成しえなかったオリジナルフィルムの映像を忠実に再現
鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX BOX1 HDリマスター版
甦るヒーローライブラリー第20集 ベストフィールド
<出演>瀬川雅人、田中明夫、森野五郎、田上嘉子、寄山弘、北川国彦、富永一矢、高橋正夫、小林清志、市川治、入江たか子(特別出演)ほか 
価格 17,963円 (税込 19,400 円) 送料無料


2016年12月14日追記 タイトル:紙人形/実写版 超貴重写真発掘
クリックすると拡大kojiroさんからのコメントによると鉄腕アトムの最初のテレビ放送である紙人形劇や、皆さんがよく知っている実写版で、初めて公開される貴重な写真や情報が秘宝特撮Vol.5(洋泉社)に掲載されたそうです。
紙人形劇に関してはスタッフインタビューと現場写真まで載っているそうです。枠内にkojiroさんのコメントを転記する形で紹介したいと思います。
クリックすると拡大 紙人形! 実写版!
 鉄腕アトムの
 超貴重写真発掘!

秘宝特撮Vol.5はアマゾン(amazon)で売られていました。→ポチッ
何と驚いた事に、今度は、実写版鉄腕アトムの第一部のお宝写真が発掘されたそうです。秘宝特撮Vol.5(洋泉社)に載りました。
何でも、原作に忠実なコスチュームの第一部の助監督をされた方が保管されていたそうで、その方の思い出話も載っていました。
それによると、驚いた事に白黒では判りませんが、第一部のアトムのラバーのブーツの色は原作と同じ赤だったそうです。
この助監督が、アトムのメークもされたそうです。
彼によると、瀬川少年は、「女の子みたいに可愛い少年」だったそうです。我々は、瀬川少年の素顔は、ヘルメットを脱いだシーンでしか判りませんが、実際に接された方の感想です。
二部以降のコスチュームに関しては、第一部のイメージを踏まえたうえで到達したデザインで、「新しい衣裳から生まれた新しいアトムの意匠」と説明していました。
可愛い少年を選んで、火星探検隊長の衣裳にまで辿り着いたという事のようです。
なお、人形劇のアトムの当時の撮影風景についても、特集で紹介されていました。初めての詳しい説明です。
今頃になって、こんな資料が発掘されるとは驚きです。
by kojiro (2016-12-14 00:36) 
ネットで掲載されていた写真を転用させていただきました。



私の記事がミドルエッジに引用してもらえていました。
 URL:https://middle-edge.jp/articles/N1M6x


2017年2月18日追記 タイトル:海外で年齢層別にリメークするワケ
手塚プロダクションが「鉄腕アトム」を海外で年齢層別に3作品をリメークする新たな戦略を打ち出したとする記事が書かれていました。最初の画像のアトムは4~6歳向けテレビアニメとして考えられている「リトルアストロボーイ」だそうです。
その記事の中にリメイクする理由が書かれていました。→ポチッ
 (1) 4~6歳向けテレビアニメ  「リトルアストロボーイ」、
 (2) 7~12歳向けCGテレビアニメ「アストロボーイ・リブート」
 (3) 11歳以上向けの実写映画   「タイトル未定」


こちらが7~12歳向けCGテレビアニメ「アストロボーイ・リブート」です。驚いたことに11歳以上向けは実写映画のようです。実写版のアトムに関してはこれから計画するようです。


各世代の鉄腕アトムの画像が掲載されていました。順番に1951年「アトム大使」、1963年「鉄腕アトム」、1980年「鉄腕アトム」、2003年「ASTRO BOY 鉄腕アトム」、2009年「ATOM」、2014年「ロボットアトム」
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2017年6月17日追記 タイトル:最終回はこうだった!
いつも新しい情報を教えていただいているkojiroさんから2016年8月に「懐かしの特撮ヒーロー番組 最終回はこうだった!」という本が出されたことを、2017年6月17日のコメントで紹介していただきました。送っていただいた写真とともに内容を転記する形で紹介したいと思います。送っていただいた表紙が下記です。


下記が実写版の鉄腕アトムの最終回に関して書かれていたページです。アトムが壊れたので、アトムの友達が、偽物アトムを演じたと本に書かれていたのでkojiroさんがDVDの最終回を確認されたところ健治少年と玉夫少年が瀬川少年と全く同じコスチュームを着てアトムのふりをしているという設定だったそうです。
健治少年は、悪人の前に、アトムのふりをして立っていて全身が映っていたそうです。玉夫少年は、ジュラルミンの箱の中にアトムの代わりに閉じ込められているという設定なので、体の一部しか映っていなかったそうです。健治少年は、悪党の弾丸をよけるのに、大人と一緒に動き回る姿が映っていて、1分足らずですが、まるでアトムだったそうです。
ヘルメット、レオタード風のつなぎも、体にぴったりとフィットしていたので、瀬川少年のコスチュームを借りたのではなく彼用に誂えたと思われるとのことでした。
最終回なのに、わざわざ、1分くらいのシーン用に、アトムのコスチュームを共演の子用に製作した理由は、共演の子もアトムのコスチュームを着てみたい、できれば、それで演じてみたいと言ったので、監督が、彼らの演技に感謝を込めて、プレゼントにコスチュームを製作し、偽物とは言え、アトムを演じる機会を最終回に与えたとしか思えないとのことでした。監督の競演した子供たちへの粋なプレゼントのようです。このことはアトムのコスチュームが当時の子に、人気があった証拠のようです。



追加で送っていただいた伊東少年のアトムの写真です。伊東少年のアトムの写真が「最終回はこうだった!」に掲載されていたそうです。ヘルメットやコスチュームがぴったりしているので、伊東少年用に誂えたものと思われるとのことでした。可愛い感じの伊東アトムに対して、瀬川アトムは垢ぬけて凛々しい感じです。


こちらも「最終回はこうだった!」に乗っていた写真だそうです。
初期のコスチュームは、目新しくは無いですが、こちらも体にぴったりしている事が判ります。写真はなかったそうですが、火星探検の軍服は、クリックすると拡大肩章のついたダブルのジャケットのようなデザインと紹介されていたそうです。左の上段の写真は気体人間の巻の空飛ぶ瀬川アトムです。左の下段と右の写真は最初のコスチュームです。
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2017年12月9日追記 タイトル:瀬川少年が出演した映画「幌馬車は行く」
いつも貴重な情報を教えていただいているkojiroさんからのコメントでクリックすると拡大瀬川少年が出演した映画「幌馬車は行く」がyou tubeで紹介されていることを教えていただいたので、追加掲載させていただきたいと思います。下記の説明や写真もkojiroさんから提供いただきました。映画「幌馬車は行く」は1960年上映されたそうで、日本中の蜜蜂と季節の花を追い、蜜を求めて幌馬車で移動する養蜂隊で、正義のためにギャング団と対抗するスペクタル巨編です。
その映画の中の子役として瀬川雅人さんが主役の故・赤木圭一郎さんと共演したそうです。映画の詳しい説明はこちらです。→ポチッ


実写のアトムで、ヘルメットを取って挨拶したころから、1.5年後の素顔となり、やはり少しお兄さんになっていると思います。帽子をかぶっているのが残念ですが、二枚目の写真など、アトムの時の写真に良く似ています。この写真を見ても、瀬川少年は、普通の少年のようです。
一緒に写っている女性は笹森礼子さんです。笹森礼子さんは結婚で1965年に引退しましたが、1960年にデビューして5年間で59以上の映画に出演して多くのヒロインをこなした青春スターでした。
昔、テレビで一度だけ、大人になった瀬川さんがインタビューを受け、アトムのコスチュームについて訊かれ、やはり、「当時、アトムのコスチュームは、恥ずかしかったですねえ。」と答えたと言うのが、ネットで紹介されていました。とはいえ、気に入っていたようです。こういう普段着とは、演じている時の気分も大分違ったのではないでしょうか。最後の写真は、アトムの後ろ姿を髣髴とさせます。
下の特撮全史の1950年~60年代のヒーロー大全/講談社に載った実写版鉄腕アトムの写真と比べると彼はヘルメットも含めてアトムのコスチュームがよく似合ったと思います。やはりアトムを演じているとかっこよかったです。
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瀬川雅人さんの他の出演映画も紹介します。大きな写真は大出世物語の完成記念写真です。この中には瀬川雅人さんが写っているのではないかと思います。大出世物語には吉永小百合さんも出演されていました。クリックすると拡大クリックすると拡大
セーラー服姿が吉永小百合さんです。
 1960年 まぼろし探偵 幽霊塔の大魔術団
 1960年 幌馬車は行く
 1961年 東京おにぎり娘
 1961年 大出世物語
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posted by SORI at 06:39| Comment(531) | TrackBack(3) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月21日

パティシエ横山のケーキ ル・パティシエ ヨコヤマ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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娘夫婦が2024年3月26日に生まれた赤ちゃんを連れてきてくれました。
自宅に家族が集まるのも久しぶりだったので長男と次男もクリックすると拡大右下の写真のように家に集まってくれました。
娘夫婦は車で神奈川県から来るのですが、我々の最寄りのインターから高速を下りるのではなく、この日は手前のインターで下りて習志野市大久保にあるケーキ店「ル・パティシエ ヨコヤマ」に寄って上のケーキを買ってきてくれました。

こちらが私が食べたパティシエ横山のモンブランです。
フランスでは菓子職人を表す言葉、パティシエ(pâtissier)は約600年前の1440年にはありましたが、日本で使われ始めたのは2000年頃だそうです。テレビ東京テレビチャンピオンケーキ職人選手権で1998年、1999年、2000年と3年連続優勝したパティシエ横山知之の存在は大きかったのだと思います。千葉県習志野市で2001年に谷津店、2005年に大久保店がル・パティシエ ヨコヤマの名でオープンしました。関西から東京に組織ごと転勤になり住んでいた社宅から大久保店は歩いて行けるほどの距離であったこともありパティシエという言葉を知るきっかけにもなりました。
クリックすると拡大

紅茶でいたた堰きました。久しぶりにパティシエ横山のケーキを堪能させていただきました。
ル・パティシエ ヨコヤマ大久保店は開店当初から約20年間も大人気がつづいていて、この日も大人気で、駐車場から溢れるほどの車だったそうです。沢山の人のわりにはスムーズに買えたそうです。
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長男と次男も美味しいスイーツを持ってきてくれました。
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昔の写真ですがお店の建物を紹介します。昔の記事→ポチッ
  店名 ル・パティシエ ヨコヤマ 京成大久保店
      Le Pathissier Yokoyama
      Le Pâtissier Yokoyama ( LE PÂTISSIER Yokoyama )
  住所 千葉県習志野市大久保1-1-34
  最寄 京成大久保駅から徒歩5分
  電話 047-403-8886
  定休 火曜日
  営業 10:00~19:30 ※水曜日のみ 10:00~18:00
  担当 横山知之(オーナーパティシエ)
  URL http://www.p-yokoyama.jp/cake/index.html
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ル・パティシエ ヨコヤマの大久保店の場所を紹介します。
昔、住んでいた場所には、今はマルエツ船橋三山店などが建っています。
  ル・パティシエ ヨコヤマ 京成大久保店
  ル・パティシエ ヨコヤマ 谷津店
posted by SORI at 08:26| Comment(40) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月20日

新幹線からの伊吹山 2024年8月11日

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、新幹線からの富士山の記事へのTake-Zeeさんから「新幹線から見える山で富士山と伊吹山が好きです。富士山は地元からも見えますが伊吹山が見えると嬉しかったです。」とコメントでいただいたことから、新幹線から見える伊吹山の本記事を掲載させていただきました。伊吹山は「いぶきさん」と呼ばれる地域もありますが国土地理院も含めて「いぶきやま」と呼ばれことが圧倒的に多いようです。
乗った新幹線は2024年8月11日の東京6時42分発のぞみ105号でした。クリックすると拡大
ちなみに今回乗った車両はWorkシート車両でした。席番号8番E席Wの末尾にWと書かれているのがWorkシート車両を表しているようです。そのためにパソコンを持ってきたのですが、Workシートは3人席の5番より後ろだけで、他は普通の席でした。満席だったので結局パソコンはリュックから出しませんでした。
名古屋駅を出発して、しばらくすると前方に小さく伊吹山が見えたので写真を撮りました。今回の中で最初に撮ったのが上の写真①です。遠くからでもすぐに伊吹山だと分かるのは、伊吹山が石灰岩が多く含まれていることから白い山肌が多く見られるためです。時刻は8時53分32秒でした。この写真の撮影位置は後で紹介しますが、決め手になったのが クスリのアオキ 赤い色の看板でした。SV

上の写真から標高1377.31mの伊吹山あたりを切り取って拡大したのが、こちらの<写真です。こちらの写真はもう少し広い範囲の写真を表示します。
撮影したのは、岐阜羽島駅を通過して5.62kmの距離の場所です。
クリックすると拡大

こちらは上の写真の3秒後の8時53分35秒に撮った写真②です。上で拡大写真を紹介したので、伊吹山はすぐに分かっていただけると思います。こちらの位置は青色のトラックでした。SV1 SV2
クリックすると拡大

こちらは上の写真から19秒後の8時53分54秒にズームで撮った伊吹山の写真③です。新幹線は南海トラフ地震への警戒から三島駅と三河安城駅の間でスピードを落とした運転していてことと名古屋駅で体調を壊した方がおられたことから、この時点で約20分の遅れで走行していました。最終的に新大阪に19分遅れで到着しました。SV
クリックすると拡大

Googleマップで①~③の位置を紹介します。黄色のラインが伊吹山の方向です。マップ内の が①の位置を特定する決め手となった「クスリのアオキ大井店」です。ここから下で④~⑮から撮った伊吹山の写真を紹介します。


クリックすると拡大列車の進行とともに伊吹山は手前の山に隠れました。送電鉄塔の右に伊吹山が少し見えています。右下の建物は不破ノ席病院です。
時刻は8時55分21秒です。写真④
下の写真は右の写真から伊吹山が見えているあたりを切り取りました。
クリックすると拡大

鉄塔の両サイドの白っぽく見えているのが伊吹山です。この写真は撮った写真をトリミングしているため写っていませんがオリジナルの写真には(株)サコの建物が写っていることから場所が特定できました。時刻は8時55分30秒です。写真⑤
クリックすると拡大

列車の進行とともに伊吹山本体が見えてきました。
時刻は8時56分13秒です。写真⑥
コンデジのフルズームに近い状態(87.6%=32.249mm÷36.8mm)で撮って、クリックすると拡大右下の写真のように電気盤が屋上に設置された鉄筋コンクリートの建ての建物が見える場所ですが、この建物は国保関ケ原診療所であることがSVで判りました。
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さらに大きく見えてきました。時刻は8時56分24秒です。SV 写真⑦
 標高 1377.31m
 住所 滋賀県米原市岐阜県揖斐郡揖斐川町岐阜県不破郡関ケ原町
 山系 伊吹山地
 種類 堆積岩(石灰岩)
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また手前の山に遮られました。時刻は8時56分26秒です。写真⑧
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伊吹山全体が見えるようになりました。時刻は8時57分30秒です。写真⑨ SV
伊吹山は古くから霊峰とされていて、古事記や日本書紀においてはヤマトタケル(日本武尊)が東征の帰途に伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとする神話が残されているそうです。
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人家が沢山ある場所です。時刻は上の5秒後の8時57分35秒です。写真⑩
伊吹山は、古事記では伊服阜能山と記され、日本書紀では五十葺山と記されているそうです。他にも伊吹山や伊吹の別表記として膽吹山、伊服阜山、伊夫阜山、伊福貴、異吹、伊布貴、伊夫伎などがあり、かつて修験道においては大乗峰と呼ばれていたそうです。
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もう一枚、人家の背景に伊吹山がある写真を紹介します。大きな屋根の建物は真宗大谷派の見瑞寺(滋賀県米原市大野木1468番地)です。時刻は上の写真の1秒後の8時57分36秒です。写真⑪
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こちらの時刻は上の写真の14秒後の8時57分50秒です。写真⑫ SV
伊吹山の左側すそ野が白っぽく見えているのはセメントの原料の石灰岩の採掘場所だったところです。1952年に出来た山の麓の住友大阪セメント伊吹工場は2003年に生産を停止し一部の解体が進んでいるそうです。
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伊吹山から離れていく位置に来ました。時刻は8時58分09秒です。写真⑬ SV
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少しズームしました。石灰岩の採掘場だった場所がよくわかります。伊吹山の手前に2つの山のような緑がありますが、右側は山ではなく王街道の欅(けやき)と呼ばれているケヤキの木です。その右側の小山は油里城があった山だと思われます。地図で油里城跡と書かれているのは電波塔が建っている山頂ではなく手前側の少し高くなった麓です。時刻は8時58分13秒です。写真⑭ SV
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手前の左側の山(城山城跡)で伊吹山が見えなくなる寸前です。
一番手前の民家の屋根をGoogleマップで見つけました。→SV1
上の写真⑭は1秒前なのですべての写真(①~⑮)の撮った位置が確定しました。
冒頭の写真①から4分39秒後の写真⑮です。8時58分14秒
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上の写真⑮の撮影位置を確定した地上からのSV画面です。SV0 SV1 SV2
残念ながらストリートビューが撮影された時(2023年6月/juin 2023)は伊吹山の頂上付近は雲で覆われていました。


写真を撮った場所です。新幹線からの伊吹山方向の写真に送電線の鉄塔が沢山写っていたのでプロット( )しました。


西側の⑨~⑮の部分を大きく表示しました。クリックすると拡大
Googleマップ内の が⑫の位置を特定するのに役に立った右の写真のI・T・O株式会社です。


tarouさんにコメントで伊吹山ドライブウェイのことを教えていただいたので、伊吹山ドライブウェイの頂上の駐車場から山頂への登山道に入る部分のストリートビュー(SV)を紹介します。
クリックすると拡大右のようにGoogleマップでの駐車場の標高は1239mなので、あと138m登れば山頂(1377m)まで行けることになります。


さらに伊吹山ドライブウェイ入口(伊吹山口)から駐車場までの11ケ所のSVも紹介します。→ SV入口 SV1(料金所) SV2 SV3 SV4 SV5 SV6 SV7 SV8 SV駐車場 SV登山道 車ルート 徒歩ルート 下に表示させているのはSV7


クリックすると拡大同じ日に富士川を渡る時に富士山方向の動画を撮りましたが、残念ながらこの日は富士山は霞んでいました。
右は2024年7月28日に撮った写真です。動画だと鉄橋のトラスが気になります。


2023年12月28日の山頂に雪がある伊吹山の写真を紹介します。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると面積で16倍に拡大するように設定いたしました。右2枚の2024年8月11日の写真⑩と写真⑪の間で撮った写真です。
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クリックすると拡大こちらは2024年3月11日に広島から関東の自宅に帰ってくるときに撮った雪のある伊吹山の写真です。今回の右の写真⑬に近い角度です。
この時の旅での広島などの記事を下記のようにいくつか掲載しました。タイトルをクリックすると記事を表示します。
山口県の墓参りの新幹線と車の旅 朝食「ひっぱりだこ飯」
昼食は本場の「広島のお好み焼き」を食べました。五エ門
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大原爆ドーム 
広島平和記念資料館
縮景園
広島での初めての従妹夫婦との食事会 活きウマヅラハギ 海の幸・磯の坊
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ラベル:伊吹山 新幹線
posted by SORI at 11:02| Comment(41) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月03日

新幹線からの富士山 2024年7月28日

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2024年7月28日(日)の早朝に関西から関東の自宅に帰ってきました。この日も富士山(標高3776.12m)が見える側の席に座って富士山を撮ったので紹介します。上の写真が今回で一番早く富士山をとらえた写真です。見えたのはもう少し前からですが、障害物もあり前方の窓枠ぎりぎり角度のため、この写真が最初になりました。下の航空写真ではの位置になります。新幹線の進んで行く方向に限りなく近いので写真の右端の位部分は窓枠なのです。この写真の撮影位置から富士山までの距離は50.4kmです。撮影位置の特定は静岡保線所黄色のダクトが目印になりました。

2023年4月9日に富士山の写真を撮った時の航空写真に、今回の写真を撮った位置を書き込みました。から富士川までのが書き込んだマークです。2023年4月9日の時よりもかなり前から富士山の写真を撮ることが出来たようです。は静岡駅を出てすぐの位置です。JR在来線の東静岡駅の近くです。空色ライン(━━)が今回(2024年7月28日)で、右上に少し見えている黄色ライン(━━)が昨年(2023年4月9日)に新幹線から富士山を撮った方向です。
クリックすると拡大右の分度器で角度を測ってみると富士山方向は進行方向に対して17度で、20度でした。真横が90度です。分度器を捜して見つからなかったので、赤ちゃんを連れて家に来ていた娘に学生時代に使っていた分度器を捜してもらって使いました。


ここはまだ静岡市清水区で富士山との間に浜石岳(706.81m)などのいくつかの山があります。この写真の撮影位置から富士山までの距離は47.3kmです。こちらの撮影位置の特定は洋服の青山とMISUMIグループとNTT静岡支店ビルの上の電波塔です。2023年4月9日の時の記事はこちらです。→ポチッ
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富士山までの間に山は無くなりました。住所的には富士市中之郷になります。この写真の撮影位置から富士山までの距離は27.1kmです。
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富士川を渡る寸前の位置です。見えている橋は水道のための水道橋です。この写真の撮影位置から富士山までの距離は26.9kmです。
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クリックすると拡大さらに富士川を渡る写真を2枚紹介します。2023年4月9日に撮ったの右の写真に近い構図ですが川の水の位置から、より僅かに西の位置から撮った写真でが、位置はということにいたします。
2023年4月9日のの時は山頂に雪がありましたが、今回はさすがに雪はありませんでした。
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少し進んだ位置からの富士山さんの写真です。クリックすると拡大新幹線の鉄橋は右の写真のようにトラス橋なので車内から撮った写真には鉄骨が写り込むことが多いのですが、今回は鉄骨が写り込む写真が少なかったです。
右の写真はネットから転用させていただきました。
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航空写真の富士川付近を拡大しました。
新幹線の進行方向に対して富士山の方向は62度で、64度です。
 ❸❹❺ 2024年7月28日撮影位置 今回
  2023年4月09日撮影位置 前回
 ━━━ 水道橋


2023年4月9日の時は、富士川を越えてからは沢山の写真を撮ったので今回は❼を少し過ぎたところから⓬辺りまで動画を撮りました。
上で紹介しましたが、空色ライン(━━)が今回(2024年7月28日)で黄色ライン(━━)が昨年(2023年4月9日)に新幹線から富士山を撮った方向です。


こちらが今回撮った動画です。を過ぎた辺りから越前岳に隠れて見えなくなるあたりまで撮っていますが、最初の頃は障害物が多いのでプレーボタンをクリックするとあたり(の裏に隠れている)から始まるように設定しています。最後まで行くと頭のあたりから再生し永遠に繰り返すように設定しています。
ラベル:富士山 新幹線
posted by SORI at 05:31| Comment(36) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月05日

アームレスリング映画 マ・ドンソク主演 ファイティン!


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、テレビで偶然にも腕相撲(アームレスリング)を題材とした韓国映画「ファイティン!」を見ました。上の写真の左側が主人公マーク、で演じているのはマ・ドンソク(마동석/Ma Dong-seok)です。映画のストーリーは、韓国人ですが幼いころにアメリカに養子に出されアメリカで育ってアームレスリングでチャンプにも輝いた功績を持っていましたが、協会から除名され警備員をして過ごしているところに、自称スポーツエージェントという青年と出会い韓国へ帰国して、母国で最後のチャンスへと挑む物語です。
実は、私はアームレスリング世界チャンピオンに出会って写真も一緒に撮ってもらったことがあるので、この映画が目に留まったのかもしれません「。

こちらは決勝戦のシーンです。
別の主演映画「守護教師」では女子高の正義感のある体育教師の役で活躍していました。主演映画が多いのは、持ち前の体格だけではないのだと思います。
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見事に、チャンピオンになりました。
主役のマ・ドンソクの国籍は米国ですが、1971年に韓国に生まれ子供の頃に映画ロッキー(1976年)を観てボクシングを始め、俳優を目指すようになったそうです。その後、父親の事業がうまくいかなくなったことから米国在住の叔父を頼って1989年に18歳で家族とともに移住して米国国籍を取得し、コロンバス州立大学で体育学を学び、フィットネストレーナーやボディビルダーとして活動し、1994年に米国でミュージカル俳優としてデビューしたそうです。
米国に渡るなど映画の物語と類似している面があるのが面白いです。
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1分50秒の予告編の動画です。


もう一つ動画を紹介します。5分26秒の動画ですが、後半1分50秒は上の予告編と同じです。


私がアームレスリングの世界チャンピオンに出会った経緯を紹介します。
下の写真がアームレスリングの世界大会(47ケ国参加)出場された選手の方と関係者の人たちでした。写真の中の左側の一番手前が世界チャンピオンとなった塩月勝文さんです。その時の記事→ポチッ
今から12年前の2011年12月2日に偶然がいくつも重なって、カザフスタンの最大都市アルマトイの日本食店かぶとでアームレスリングの世界チャンピオンに出会ったのです。
アームレスリングの世界大会がカザフスタンのアルマトイで行われていたことも偶然ですが、12月2日にカザフスタンのアスタナ空港からアルマトイ空港とソウル空港を経由して成田に帰るフライトスケジュールだったので、普通ならば乗継時間をアルマトイ空港で過すのが普通ですが、クリックすると拡大17時20分に到着して出発が23時15分と5時間55分の乗継時間があったことから、カザフスタンに住んでいる方のご好意により往復の車(ランドクルーザー)を段取りしたもらってアルマトイの町まで出て日本食店で夕食を食べながらクリックすると拡大乗継時間を楽しむことにしたことが大きな偶然だったのです。
今回、写真をクリックすると拡大するように設定いたしました。
 2011年12月2日のフライト
  アスタナ→アルマトイ KC854
  アルマトイ→ソウル  OZ578
  ソウル→成田     OZ102
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私も入って記念写真を撮らせていただきました。塩月勝文が右端で私は右から2番目です。左側の2人が中野三千男さんと中原誠司さんで、60歳以上で好成績でした。皆さん半袖ですが、極寒の季節なのです。私だけ厚着なのが判っていただけると思います。塩月勝文さんは翌年2012年も優勝したそうです。
左腕か右腕かまではわからない場合は空欄にしております。
 優勝   右腕70キロ級 塩月勝文
 準優勝    90キロ級 中野三千男 60歳以上
 準優勝    75キロ級 中原誠司  60歳以上
 3位     60キロ級 小寺弘士
 5位   左腕70キロ級 塩月勝文
 6位   右腕90キロ級 伊藤和也  33人エントリー
 8位   左腕90キロ級 伊藤和也  37人エントリー
大会は11月30日から12月3日まで開催され47カ国から世界の猛者約400人が参加されたそうです。正式名はXXXIII World Armwrestling Championshipsで、日本語だと第33回世界アームレスリング選手権大会です。
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左端の赤色マーク( )のところがアルマトイ(Алматы)です。青色ライン(━━)が2011年12月2日のフライトルートです。成田に到着したのは12月3日でした。我々の飛行機(OZ578)はソウル(仁川国際空港)に到着するのが遅れたので、ソウルでの成田行きの飛行機(OZ102)は待ってくれていました。こんな時は同じ航空会社(OZ:アシアナ航空/아시아나항공)なのはいいですね。→ポチッ
ちなみにアスタナからアルマトイのフライトKC854はエア・アスタナ(Air Astana/Эйр Астана)でした。
この時の旅は成田(11/26)モスクワNovosibirsk(シベリア)モスクワアスタナアクトベアスタナアルマトイソウル成田(12/03)でした。航空写真内のマイナス(-)のアイコンをクリックすると旅全体のルートが表示します。



クリックすると拡大します。この時に2人で食べたお店の料理の写真も紹介します。お店の人に、カザフスタンでこのように本格的な日本料理が食べれることに感謝です。日本人が同じ日にアルマトイの町に来ていれば、こちらのお店で出会える可能性は高いと思います。
クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。

クリックすると拡大します。実は3ケ月前にも同じお店に来る機会がありました。その時に食べた料理も紹介します。この時の訪問先はカザフスタンとウクライナでした。その時の旅のルートは成田(2011年7月7日)→ソウル→カザフスタン[アルマトイ→アクトベ→アルマトイ]クリックすると拡大します。ウクライナ[キ-ウ(キエフ)→ドニプロ→ニーコポリ→ドニプロ→キーウ(キエフ)]→ハンブルグ→成田(2011年7月14日)です。ウクライナのニーコポリは、ロシアの侵略戦争で占領された場所に非常に近いところです。
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tarouさんのコメントで「映画でアームレスリングを見た記憶がある」とのことだったので、主演のマ・ドンソクさんが子供のころに憧れたシルヴェスター・スタローン主演の1987年公開の映画「オーバー・ザ・トップ」の動画を追加しました。