2014年07月02日

世界遺産 玉陵(たまうどぅん)



首里城から歩いて10分くらいの場所に琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている場所があります。漢字で玉陵です。首里杜館の総合案内所でギョクリョウの場所はどこですかと聞くと快く教えてもらいました。でも最後に「たまうどぅん」と読むと言われてしまいました。
玉陵(たまうどぅん)も世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つです。
写真に写っている小さな門を二つくぐるとお墓のそばに行けます。

ここは沖縄県最大の破風墓です。破風墓(はふうばか)とは、沖縄特有の墓の形式の一種で家屋同様の屋根があるもののうち、屋根が破風形となっているものです。首里城とまた違った雰囲気の場所でした。


玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれており、中室は葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨したそうです。洗骨した後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められたそうです。


第二次世界大戦時には、玉陵は東室、西室が破壊されるなど大きな被害を受けました。現在、見られる大部分は3年の歳月をかけて1974年に修復されたそうです。下の写真は展示されていた戦前の写真です。上の今回の写真と比べてみてください。


玉陵の内部は三つの部屋があります。これは展示されていた部屋の中の写真です。こちらも戦前の写真です。


こちらも展示されていた戦前の玉陵の全景です。


こちらの入場券(観覧券)です。
 大人   200円 (団体 100円)
 小人   100円 (団体 50円)
                      団体は20名以上  
カーナビに入力する電話番号は 098-885-2861ですが首里城の駐車場に車を置くのがよいと思います。


下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。黄緑色の文字をクリックすると訪問した時の記事を表示します。
 首里城(すいぐすく)
 玉陵(たまうどぅん)
 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
 中城(なかぐすく)
 座喜味城(ざきみぐすく)
 今帰仁城(なきじんぐすく)
 識名園(しきなえん)
 勝連城(かつれんぐすく)
 斎場御嶽(せいふぁうたき)萁
posted by SORI at 17:38| Comment(20) | TrackBack(3) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

日本のリゾートホテルに泊まりました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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沖縄旅行で泊まったホテルのベランダからの景色です。ホテルのプライベートビーチが広がる景色がきれいです。
実は日本で海辺のリゾートホテルに泊まるのは初めてでした。
初めて味わう雰囲気に感激いたしました。
実は日本よりも海外のホテルに泊まる回数の方が多いのです。そこでこの日までの海外のホテルの宿泊回数を計算してみると、なんと1091泊もしていました。日本からの出国回数は199回なので一回の出国で平均5.5泊していることになります。ところが1091泊しましたがリゾートホテルに泊まったことは、ほとんどありません。

夜のベランダからの景色もきれいでした。この時期は、まだ泳いでいる人はいませんでした。


この写真は冒頭の写真の岬まで歩いていって撮った写真です。結婚式が行われるチャペルもきれいです。この日も結婚式が行われていました。本土から、本人だけでなく、みんなが沖縄に集まったそうです。
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ホテルのホームページからチャペルの写真を拝借いたしました。アリビラ・グローリー教会です。上の写真からチャペルを探してみてください。泊まった日も結婚式が行われたようで、ホテルにチェックインしたころに披露宴が行われていました。残念ながら結婚式は見れませんでした。

二枚上の写真に船着場が見えると思います。その船着場から撮った写真です。
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泊まったお部屋です。部屋の広さは43㎡です。安い方のクラスの部屋ですが満足でした。
設備内容の記載は次の通りです。
32型液晶テレビ,DVD/CDプレーヤー,温水洗浄便座,広いバスルーム,充実したアメニティ,ドライヤー,ナイトガウン,羽毛掛布団,100%コットンのデュベカバー


大きなベランダでした。ベランダがあるところがリゾートホテルらしく感じました。


プールの場所からホテルを見上げました。


別の角度からホテルを見上げました。


ビーチが広がっていました。泳いでいる人はいませんでした。
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反対方向には岩場がありました。岩は波に侵食されて面白い形になっていました。


その岩とビーチです。沖縄本島のリゾートホテルの中で1、2位を争うほど砂浜が広いのが特徴だそうです。


高い位置に登りホテルの前のビーチを見ることが出来ます。このビーチはニライビーチ と名づけられています。
ニライビーチはアリビラビーチとも言われているリゾートビーチで、特長は「海岸線に沿っていてほぼ一直線なので周辺を一辺に見渡すことが出来、夕方になると、夕日に合わせてサンセットクルージングを楽しむことが出来ます。」だそうです。
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上の写真の反対側のカナイビーチです。こちらにも、きれいな砂浜が続いています。別の白いホテルが遠くに見えます。その白いホテルは残波岬ロイヤルホテルです。ホテルが砂浜を独占しているのがわかってもらえると思います。日本でこんな経験が出来るとは思いませんでした。
海外の数少ない経験の海外のリゾートホテルです。
   バハマのナッソー
   ベトナムのハティエン
   ベトナムのカントー



部屋のカードと鍵です。
カード式の鍵でなく金属の鍵がうれしいです。

ホテルを紹介しておきます。
 名前 ホテル日航アリビラ ヨミタンリゾート沖縄
 住所 沖縄県中頭郡読谷村字儀間600
 電話 098-982-9111
posted by SORI at 11:50| Comment(28) | TrackBack(6) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

沖縄のディナーは沖縄特選寿司

が表示された写真はクリックすると拡大します。
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泊まった沖縄のホテルには沢山のレストランがあったので夕食は鉄板焼にするかフランス料理 にするか中華にするかと、色々と悩みましたがレストランのメニューに「沖縄特選寿司食べ放題」があり、沖縄の食材の寿司に引かれてディナーは「沖縄特選寿司食べ放題」にすることにしました。最後まで悩んだのが、カウンターでコックさんが料理してくれる鉄板焼き にするか、沖縄特選寿司するか、でした。
カウンターは10席までと書かれていたので、すぐに部屋から予約を入れました。18時30分からにしてほしい言われましたが、日没が18時25分だったので日没を見たかったので18時35分からにさせていただきました。下の「沖縄県産にぎり寿司」と「創作寿司」に沖縄の食材が使われています。

沖縄県産にぎり寿司(10種類)
   武鯛(イラブチャー)  笛吹鯛(タマン)  はた(ミーバイ)
   琉球スギ  鮪(チンバニー)  ソデイカ(セーイカ) 
   目鯵(ガチュン)  島蛸(シマタク)  コマ貝(ティラジャー)
   山原(やんばる)産玉子焼き  
創作寿司(8種類)
   イカ墨  パパイヤ  ゴーヤー  海ぶどう 
   海人にぎり  海ぶどう&イクラ  ウベ  アロエ
その他のにぎり寿司
   イクラ  海老  小肌  穴子  サーモン
旬のにぎり寿司
   竹の子  真鱈昆布〆
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お店に行くと寿司のカウンターは我々一組だけでした。シーズンオフ(2月)なので寂しい感じでしたが、我々にとっては寿司職人さんを完全に独占させてもらったわけで贅沢な時間を味わうことが出来ました。「食べ放題」ですが出してもらう種類や順番やタイミングは寿司職人さんにお任せしました。結局は玉子焼きを除く「沖縄県産にぎり寿司」と「創作寿司」のすべての、にぎり寿司を味わうことが出来ました。
すべての写真を撮るつもりでしたが寿司職人の方の会話が弾んでしまい。一部を撮り忘れてしまいました。忘れたのは鮪(チンバニー)、ソデイカ(セーイカ)、目鯵(ガチュン)の三種類でした。シーズンの頃はどうですかと聞くと、満席で会話などほとんど出来ませんとのことでした。

最初に出てきたのがこれです。「琉球スギ」です。別名を「黒カンパチ」と呼ばれている魚です。寿司職人さんが最初に選んだ御寿司だけのことはありました。


琉球スギの御寿司を拡大してみました。クリックするとさらに拡大します。
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冒頭の写真です。これは「海ぶどう」と「海ぶどう&イクラ」の御寿司です。
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左側は武鯛で右側はおそらく「はた」だったと思います。武鯛を食べたのは初めてです。
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これが琉球スギ、武鯛(イラブチャー)、笛吹鯛(タマン)、はた(ミーバイ)です。いずれも私の大好きな白身の魚です。 
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これはイカ墨です。イカの身の下の海苔の上にイカ墨が乗っていました。沖縄の塩がかけられているのでこのまま醤油をつけないで食べます。イカ墨の旨さが直接味わえました。
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こちらは「笛吹鯛」だと思います。すこし表面が焼いています。
見た感じもおいしいそうな食材で、食べてみる価値がありました。    


左がゴーヤーで右がパパイヤです。もっと生々しいものを想像していましたが、いずれも漬物でした。奈良漬に近いものでした。


島蛸(シマタク)です。地元産のタコと言うのがうれしいです。


ウベです。ウベは沖縄山芋です。紫色をした山芋で食感は山芋でした。調べると紅山芋 (ヤマイモ科)と言われています。有名な紅芋 (紫色しているサツマイモ)とは、まったく種類が違うものです。
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季節の旬の「竹の子」と「真鱈昆布〆」の寿司も出してもらいました。
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左が海人にぎりで右がコマ貝(ティラジャー)です。
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これはアロエです。これは予想外のおいしさでした。すべての種類を食べてたあとに、こちらから指定して頼んだのが、琉球スギとコマ貝(ティラジャー)と海ぶどうとアロエの4種類でした。
お店を紹介いたします。
 店名 佐和 SAWA
 種類 日本料理 琉球料理
 住所 沖縄県中頭郡読谷村字儀間600 ホテル日航アリビラ内
 電話 098-982-9111 内線6320 
 営業 朝食 07:00~10:00
     昼食 11:30~14:00(土・日・祝のみ営業)
     夕食 18:00~21:30
     寿司 18:00~21:30
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ラベル:寿司 沖縄
posted by SORI at 23:56| Comment(38) | TrackBack(1) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

「沖縄すば」の人気店

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大沖縄旅行で朝のフライトは那覇に10時40分に着く予定でしたが、出発が遅れたのと強い向かい風のためにレンタカー店に着いたのは11時30分でした。最初の計画ではどこかの観光地に行った後に、沖縄そばを食べる計画でしたが、お腹もへってきたことから沖縄そば のお店に直行しました。人気店を出発前から検索していたので迷わず写真のお店に行くことにしました。
カーナビに電話番号を入力して向かいましたが、近くまで行ったところで「目的地に到着いたしました。案内を終了いたします。」との音声が出て、ナビが終ってしまいました。でも、周りに、お店は見あたりません。
闇雲に車で探しても見つからない雰囲気なので、車を降りて歩いてUターンして探していると細い路地の入口に小さな看板(てんtoてん)を見つけました。住宅地の中の小さな道を進むとお店を見つけることが出来ました。

レンタカーのカーナビには住宅地の路地まではデーターが入っていなかったようです。
建物の全景です。そばの味だけでなく、お店の雰囲気も人気の一つのようです。この写真の左の道を下がったところに小さな駐車場があり、一箇所だけ空いていたために停めることが出来ました。小さなレンターカーでよかったです。


メニューです。でも「ソーキそば」とか「沖縄そば」の文字が見つかりません。一番上に「木灰すば」(もっかいすば)の文字を見つけました。これが目的の沖縄そばでした。ちなみに、木灰は「もっかい」と読み、木の灰汁でガジュマルなどを燃やしてつくり、かん水の代用として使うそうです。「そば」ではなく方言の「すば」と言うのが洒落た感じなのが不思議です。それでは、お店を紹介させてもらいます。
ネットで調べた範囲では「首里そば 」と「御殿山 」も人気店のようでした。
  店名 てんtoてん  Ten to Ten
  住所 沖縄県那覇市識名4-5-2
  電話 098-853-1060
  営業 11:30~16:00  定休日(月曜日)
  S.V. http://goo.gl/maps/Lgss8
  駐車 http://goo.gl/maps/CcFr7


すごく素朴でシンプルな沖縄そばでした。ネットで調べると木灰で丁寧に練られた手打ち麺だそうです。そのため「木灰すば」の名前が付いたのだと思います。ネットで説明されている通りコシが強くてプリプリ感と弾力感のある麺でした。澄んだそば汁はカツオだしだそうで、おいしいスープでした。沖縄そばはスープも麺もラーメンでもなくうどんでもなく、もちろん蕎麦でもないジャンヌの料理でした。
クリックすると記事を表示右の写真はWikipediaに掲載されている「木灰そば」の写真です。似ていると思ったらMokuhai suba at Ten to Ten in Naha, Okinawaと書かれていたことから、こちらのお店の「木灰すば」の写真であることが判りました。
Wikipediaにも写真が載っている有名なお店だったのです。
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麺の食感を感じていただくために拡大写真を掲載いたしました。ガジュマルなどの樹木灰を水に溶かした上澄み液の灰汁(はいじる)が使われる伝統的な製法の麺を、今では木灰そば(もっかいそば)あるいは木灰すば(もっかいすば)と呼んでいるそうです。
クリックすると拡大

入口に一番近い一階は板の間に座卓が並べられていますが、奥の部屋には写真の椅子のテーブルが3っ用意されていました。どちらも雰囲気があるので迷いましたが、テーブル席の方を利用させてもらうことにしました。おそらくシーズンに行くと満席で選べる余地はなかったのだと思います。
これで沖縄に来た目的の一つが達成されました。


沖縄そばをネット で調べてみました。
沖縄そば(おきなわそば)は、沖縄料理の一つで、沖縄県の伝統的な麺である。単に「すば」、あるいは「うちなーすば」とも呼び、沖縄においては「すば」「そば」の呼称は通常はこの沖縄そばを指す(蕎麦を指す場合は特に「日本そば」「ヤマトそば」「黒いおそば」などと呼んで区別される)。「そば」と呼ぶものの蕎麦粉は使用されず、小麦粉100%の麺でかんすい(鹹水)を用いる。製法的には中華麺の一種であり、公正競争規約の上でも「中華めん」に分類されているが、麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろうどんに近く感じられることが多い。

発祥については諸説あるが、庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のことである。
ラベル:沖縄 沖縄そば
posted by SORI at 04:14| Comment(40) | TrackBack(3) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

ジンベイザメとマンタを見てきました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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沖縄美ら海水族館(Okinawa Churaumi Aquarium おきなわ・ちゅらうみ・すいぞくかん)は巨大な水槽にジンベイザメとマンタが泳いでいることを聞いていたので是非行ってみたいと思っていました。
前日にホテルの人に沖縄美ら海水族館の開館時間とカーナビに入力するための電話番号を確認しました。開館が8時半と結構早くから開いていることを知って、一番の6時半に朝食を食べてホテルを7時に出発し、途中で瀬底島に寄り道しましたが、水族館に8時半に到着しました。
確かに、すごい大迫力の景観に満足させられました。沖縄観光の目玉の一つになっているようです。

ネットで書かれていたジンベイザメ の説明は下記の通りです。
成長すると10〜12mになる。魚類の中では最大種。世界の熱帯から亜熱帯の表層に生息する。当館に寄せられる沖縄本島での確認情報は5〜6月頃が多い。模様が夏着の甚平に似ていることからジンベエと名付けられたとされている。大きな身体をしているが動物プランクトン等の小さな餌しか食べない極めて穏和なサメで、ダイバーが近づいても逃げようとしない。サンゴの産卵時期には水面に漂う卵を食べたり、時には立ち泳ぎをしながら水面近くの餌を食べることが知られている。当館でも、給餌解説の際には約100リットルの海水とともに餌のオキアミを大きな口を開けて吸い込む、豪快な給餌シーンを見ることができる。生態はほとんどわかっておらず、1995年、台湾で捕獲された母ザメの体内から約300個体の胎児が見つかったことで胎生であることが判明した。

  学 名 :Rhincodon typus

  英 名 :Whale Shark

  沖縄名:ミズサバ
近づいて来るとなかなかの迫力でした。


ジンベイザメを3匹同時に撮れました。写真をクリックして拡大すると判りやすいと思います。

                            
こちらの写真もよく見ると3匹写っています。


クリックすると拡大ジンベイザメとマンタの共演の連続写真を掲載いたします。マンタも大きいです。大きなジンベイザメに、引けを取らない大きさです。こちらの水族館は世界で初めてマンタ繁殖に成功したそうです。写真をクリックすると個別に並べた拡大写真を表示します。
ネットに書かれていたオニイトマキエイ 通称マンタの説明を枠内に転記いたします。
幅6.8m、体重2tの記録があるが更に大きくなると推定される。エイ類の最大種。通常、沖縄以南の全世界の温・熱帯海域に生息する。飼育や餌付けに成功したのは当館が世界で初めて。大きな体をしているが主に小さなプランクトンを食べるおとなしいエイ。下顎の歯は米粒より小さく、上顎には歯がない。泳ぎながら頭の前縁にある大きな口を開けて、頭にあるヒレ(頭鰭)をのばして口の中に餌を流し込むようにして食べる。通称マンタと呼ばれ、ダイバーにも人気がある。腹の黒い斑紋で個体識別ができる。

  学 名 :Manta birostris

  英 名 :Manta Ray

  沖縄名:ガマーカマンタ
クリックすると個別写真を表示

迫力のある水族館を実現しているのが高さ8.2m、幅22.5m、厚さ600mm、総重量は130トンの巨大なアクリル板です。このアクリル板が2002年11月1日に、2つのギネスの認定を受けました。右が「世界最大の水族館観賞用窓」で左が「世界最大のアクリルパネル」です。
今は2008年11月4日にオープンしたドバイ・モールのドバイ水族館 の高さ8.3m、幅32.88m、厚さ750mm、総重量は245.61トンがギネス世界記録を持っています。ただしアクリルパネルを作ったのは日本の同じ製造メーカーだったと思います。
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大水槽以外の魚たちも紹介しておきます。イソギンチャクがきれいです。クマノミもカラフルです。


この水槽はサンゴが題材のようです。
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ミノカサゴ は大変きれいですが毒の棘があるので要注意の魚です。
モーリシャスから南日本にかけてのインド・西太平洋域に分布。国内では北海道南部以南で確認されています。沿岸の岩礁域に生息し、単独性。岩に沿ってゆっくりと泳ぎながら、小型の魚類やエビなどを捕らえて食べます。同属のハナミノカサゴ とは、尾びれや頭部腹面の斑紋、眼上皮弁の発達具合などから識別できます。
  分類: 脊索動物門 条鰭綱 カサゴ目 フサカサゴ科
  学名: Pterois lunulata
  英名: Luna lionfish


ご存知、海のギャングと呼ばれているウツボです。
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穴子の種類のチンアナゴ でガーデンイールの仲間では最もよく知られた種類です。
高知県、琉球列島からインド洋、西部太平洋に分布する。サンゴ礁外縁部の潮通しのよい砂底に群れをなして生息するそうです。後半身は砂に入り、頭胸部を外に出して潮の流れの方に頭を向け、流れてくる動物プランクトンを摂食している姿が可愛いですね。頭部側面に黒点を持つのが特徴です。和名は顔つきがイヌのチンに似ていることからつけられたそうです。
  学名:Heteroconger hassi
  英名:Spotted Garden Eel
昼間のアナゴは海底の砂泥中や岩石のすき間にひそみます。砂泥底に生息する種類は集団を作り、巣穴から頭だけ、もしくは半身を海中に乗り出しています。和名の「アナゴ」はこの生態に由来するそうですむ。なお、この様が庭園に規則的に植えられた草木のようであることから、英語ではアナゴ類のことを"Garden eel(ガーデンイール)"ともよばれています。
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変わった哺乳類も展示されていました。
あ、間違い!失礼しました。水族館の方でした。水槽を掃除しているところです。


大水槽でも沢山の人が働かれていました。毎日、大変な仕事でしょうね。
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右は入館券です。
可愛いジンベイザメがデザインになっています。
 住所 沖縄県国頭郡本部町字石川424番地
 電話 0980-48-3748(カーナビ入力)
 開館 08:30~20:00(3月〜9月)
    08:30~18:30(10月〜2月)
    入館締切は閉館の1時間前です。 
 料金 大人    1800円
    高校生   1200円
    小中学生   600円

水族館の入口です。
こちらでも甚平鮫が向かえてくれていました。


沖縄美ら海水族館は1975年7月20日〜1976年1月18日に開催された沖縄国際海洋博覧会 の会場を公園として整備した海洋博公園(正式名は国営沖縄記念公園 )の中に2002年11月1日に完成しました。広い海洋博公園内には水族館以外にも沢山の施設があります。
特に沖縄美ら海水族館の周辺は魅力的な施設が多くあります。写真にもオキちゃん劇場やイルカラグーンが写っており、そこではショーが行われます。うれしいことに水族館以外の、これらの施設は入場無料です。オキちゃんショーは11時からです。イルカラグーンショーは11時半からなので時間を合わせて水族館を見学されるといいと思います。目の前には海が広がっています。正面の島は伊江島で、真中の山は標高172.2mの城山(ぐすくやま)です。伊江島では落花生が作られていることをRinkoさんにコメントで教えていただきました。伊江島産の黒糖と混ぜ合わせて作る黒糖ピーナッツを食べてみたくなりました。


オキちゃん劇場のオキちゃんです。11時からのショーのための朝の特訓中でした。ショーは11:00 13:00 14:30 16:00から15分間です。 3月〜9月は18:00にもあります。
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マナティー館のマナティー(Manatee)ちゃんです。人魚と見間違えられた哺乳動物で丸しゃもじのような尾びれが印象的でした。


ウミガメ館にはウミガメも沢山いました。


水族館の前の海岸はエメラルドビーチと呼ばれています。残念ながら、この日は曇り空でしたが、晴れるとその名の通りエメラルト色の海が続いているそうです。
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別館 Photo蔵 ┐(´ー`)┌フッさんの黒潮探検ツアー@美ら海水族館にトラックバックしています。
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2013年10月03日

世界遺産 首里城(すいぐすく)

が表示された写真はクリックすると拡大します。

この日は那覇空港からレンタカー店に行き、車を借りて先ずは腹ごしらえに沖縄そばを食べた後、すぐに首里城に行きました。
近くに着くと沢山の私設駐車場がありましたが、今の時期は、すいていると思い真っ直ぐ進んで首里杜館(首里城公園レストセンター)地下の県営駐車場に入りました。
これは首里城の城壁です。この首里城は2000年に世界遺産に登録されました。正確には「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の中の一部として世界遺産になりました。琉球王国に関連する遺跡が世界遺産に登録されたので沖縄本島の広い範囲に世界遺産が点在しています。
その代表格が首里城と言えます。城を沖縄ではグスクと読みます。首里城は沖縄でも一般的に「しゅりじょう」と言われていますが、沖縄読みでは「すいぐすく」になります。他の城の遺跡はグスクと呼ばれるものがほとんどでした。

首里城を紹介いたします。県営駐車場から首里城に向かう道の最初にあるのが守礼門です。守礼門は城外にある門の一つですが、この門が首里城への事実上の入口になっているようです。
創建年代の確定はできていないが、琉球王国第二尚氏王朝4代目の尚清王(在位1527~1555)の時に建てられていることは分かっている。門は四本の柱で支えられ、扁額が掲げられている。これは三間牌楼形式と呼ばれ、中国でよく見られる形状の建物です。「守礼之邦」と書かれているますが、これは「琉球は礼節を重んじる国である」の意味であるといわれています。
守礼門が二千円紙幣のデザインに採用されていることは意外と知られていません。手に取る機会があれば是非とも見てみてください。
守礼門(しゅれいもん or しゅれいのもん)は、そこに掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称で、本来は「上の綾門(うぃーぬあいじょう)」という。
沖縄戦で焼失したが、昭和33年(1958年)に再建されました。再建されたものとしては最初のもので、他はかなり後になってから再建されたために、昔に首里城を訪れた人は建造物としては城壁以外では守礼門だけしか記憶にない人もいるかも知れません。
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戦前の守礼門の写真をネット で探してみました。随分と今の雰囲気とは違います。
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これは瑞泉門(ずいせんもん)です。門の近くにある龍樋に因んで付けられたといわれており、瑞泉には立派なめでたい泉という意味があると言われています。


瑞泉門をくぐり城に向かって進むと漏刻門(ろうこくもん)があります。瑞泉門と似た門です。漏刻というのは水時計のことで、この門の櫓に水時計が設置されていたことからこの名が付いたといわれています。15世紀の創建であり、老朽化のため昭和初期に撤去されていたが、平成4年(1992年)に復元されたようである。国王に敬意を表すため、高官でもこの場所で駕籠を下りたことから、「かご居せ御門(かごいせうじょう)」とも呼ばれていいます。


ここには3つの門が写っています。
一番奥に見えるのが歓会門(かんかいもん)です。歓会門は首里城の城郭内に入る正門で、尚真王時代(1477~1526年)に創建されたものといわれ、太平洋戦争で破壊されたが、昭和49年(1974年)に復元されそうです。アーチ式の門の上には木造の櫓が付けられている。門の幅は3m程度であり正門とされているわりには狭いような感じがするが、防御のためだと思います。
中央寄りの右側に見えるのが久慶門(きゅうけいもん)で首里城北側の通用門です。
左端に写っている門が先ほど紹介した瑞泉門です。
歓会門からの通路の両脇に鮮やかな花が植えられていました。なんとなく違和感がありましたが、琉球王朝時代は南国ならではの鮮やかな花が沢山植えられていたと思うと納得でした。


先に進むと首里城の建物群が姿を現します。


建物群の最初にあるのが広福門(こうふくもん)です。ここから先の建造物は石ではなく木で出来ていました。広福門はこれまでくぐってきた門とはかなり趣を異にしています。広福というのは福を行き渡らせるという意味であるといわれており、て右側が士族の財産をめぐる争いを調停する大与座、左側が神社仏閣を管理する寺社座がおかれていたといわれています。創建年代は不明とされ、明治末期には撤去されたようであるが、平成4年(1992年)に復元されたそうです。


広福門の次の門です。正殿のある御庭(うなー)に入る最後の門である奉神門(ほうしんもん)です。門に向かって左側は薬、茶、タバコなどを扱った納殿、右側は城内の儀式などに使われた君誇という部屋になっていたそうです。
三つの入口の内、中央は国王や賓客など身分の高い人の専用の通路で一般の役人は左右の門から出入りしていたといわれています。


これが首里城の正殿(せいでん)です。
もちろん復元(1992年)されたものですが、残念なことに戦前までは1712年に再建された建物が存在しており、それが沖縄戦で完全に消失 したそうです。正殿は何度か焼失しています。記録に残っているのは1709年に焼失し1712年に再建、その前は1660年に焼失し1672年再建、その前は1453年に全焼したとの記録が残っていますが、最初の創建は十四世紀末と思われていますが年代は不明だそうです。
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戦前の建物の写真をネットから拝借いたしました。
1944年(昭和19年)10月10日の那覇市を襲った米軍の大空襲でも、首里の町は災禍を免れ、戦雲急を告げる1945年の始めでも文化遺産のある首里は安泰でしたが日本陸軍の精鋭第32軍が首里に司令部を置き、地上戦の準備を始め、首里城の地下に総延長千数百メートルにも及ぶ壕を掘り、ここを防衛ラインとして、1945年4月1日に本島中部西海岸に上陸した米軍を、迎え撃ったことにより、首里城をはじめ麓の玉御陵、円覚寺、弁財天堂、御茶屋御殿、識名苑、末吉宮、龍潭など史跡・文化遺産がことごとく消滅し、一木一草まで城下町のすべてが壊滅してしまったそうです。
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壊滅して47年後にあたる平成4年(1992年)に正殿の廻りの建物が復元されました。
広いカラフルな広場は御庭(うなー)で、その正面奥に正殿があります。
御庭は東西約40m、南北約44mの広場でカラフルな模様は赤と白の敷き瓦が敷きつめられたものだそうです。ここでは種々な式典の会場に使われていたといわれている。縞模様の敷き瓦は儀式の際、役人が位の順に並ぶ目印の役割をはたしていたとも言われています。オリジナルの建物は琉球王国最大の三階建ての木造建築物でした。
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復元に際し、正殿の遺構を保護するため約70cmの盛り土をして現存の正殿を建てたそうで正殿の床の一部がガラス張りになっており遺跡が見えるようになっていました。


正殿の一階部分です。一階は下庫理(しちゃぐい)とよばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行なう場でした。写真は国王の座る場所である御差床(うさすか)と呼ばれているころです。御差床の両脇には金龍と五色の雲が描かれた朱柱がありました。御差床の後障子を開けると二階に通じる階段があります。国王が一階の御差床にあらわれる際に使用した専用階段のある間のことを「おちょくい」と呼びます。


ここは正殿の二階です。二階は大庫理(うふぐい)と呼ばれ、王家の行催事が行われました。中央には国王が座る場所である御差床があり、その後方には「西のみこちゃ」「おせんみこちゃ」と呼ばれる間があります。「おせんみこちゃ」は国王と女官が毎朝、国家の安泰や子孫繁栄を祈願した場であると言われています。
二階の御差床で黄金の装飾が施された椅子、御轎椅(うちゅーい)が置かれていました。
ここには中国の皇帝から贈られた扁額がいくつも架かっていたといわれています。現在、架かっている「中山世土」は古い記録をもとに復元した扁額だそうです。
三階は通気のために設けられた屋根裏部屋だそうです。
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正殿に向かって左側には北殿(ほくでん)があります。ここは王府の中央行政庁として、日常は大勢の官人が出入りして重要案件の審議など政務の中枢として機能していたと共に、中国から皇帝の使者が訪れたときの接待所としても使われていたといわれています。
首里城の中で最も活気の溢れる館であったようです。ちなみにペリー提督が首里城を訪れた時も、この北殿で歓迎の宴が催されました。
この写真でカラフルな広場の御庭(うなー)の広さが実感してもらえると思います。


正殿に向かって右側に南殿(なんでん)と番所がありました。こちらの建物は、塗装はなく白木のままで、なんとなく和風色が強い感じでした。右側が番所で左側が南殿です。南殿は主に日本的な儀式や薩摩藩の役人の接待などに用いられ、番所は登城してきた人々の受付や国王への取り次ぎを行っていた場所といわれています。和風の南殿で薩摩藩の接待で中国風の北殿で中国の使者の接待とは琉球王朝の人たちの知恵を垣間見た気になってしまいました。


南殿の奥は、さすが和風作り徹していると感じました。ここには書院と鎖之間(すさのま)があり書院は国王が日常の政務を行ったそうです。正殿の真赤な中ではやはり疲れると思います。鎖之間は王子などの控所であり諸役の人たちとの懇談の場所でもあったようです。ここには日本庭園も広がっていました。これは鎖之間から書院の方を撮った写真です。


この部屋は鎖之間で、白木がきれいな純和風の部屋でした。


右掖門(うえきもん)が見えます。かつては、国王の親族や女官の生活の場であった本殿裏側のエリアへ通じる門として機能していたといわれています。首里城にいくつかある裏門の一つです。この門は15世紀頃の創建といわれており、他の建築物と同様、太平洋戦争で破壊されてしまったが、発掘調査で遺構が確認され、この遺構の上に新たに石を積んで平成12年(2000年)に復元されました。見学ルートでは御庭からの出口になっています。


すでに紹介した久慶門(きゅうけいもん)の外側です。歓会門が正門であったのに対し、久慶門は首里城北側の通用門で、主に女性が使用していたといわれている。城郭内見学順路では出口になっています。現存の門は昭和58年(1983年)に復元されたものだそうです。


琉球の城砦のコーナーは独特のカーブーになっています。このカーブが本土の城の石垣と違うところです。中国とも違う感じです。


広福門の内側の下之御庭(しちやぬうなー)と呼ばれる広場に花人形が置かれていました。本土の菊人形のようなものなのでしょうか。日本だけれど、なんとなく異国を感じさせてくれました。


パンフレットから全景写真を拝借いたしました。写真をクリックすると拡大するので、建物の位置が判ると思います。守礼門はこの写真外の左側にあります。
正殿の奥側(写真の右側)は今でも復元工事が行われていました。完成予想図を見たい方はこちら→ポチッ
ポチッをクリックして出てきた建物で緑地に白抜き文字が復元中の建物です。復元中の建物を紹介すると
  世誇殿 (よほこりでん)
  黄金御殿・寄満 (くがにうどぅん・ゆいんち)
  二階堂御殿 (にーけーうどぅん)
  白銀門 (はくぎんもん)
  寝廟殿 (しんびょうでん)
  美福門 (びふくもん)
  東のアザリナ (あがりのアザリナ)
  継世門 (けいせいもん)
                           です。
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奉神門(ほうしんもん)の内側にある御庭、正殿、南殿、北殿、書院、鎖之間は有料で広福門をくぐってから、その右側で入場券を購入します。門などの他の地域は無料です。
 大人    800円 (団体 640円)
 高校生   600円 (団体 480円)
 小・中学生 300円 (団体 240円)
 6歳未満  無料           団体は20名以上   
カーナビに入力する電話番号は 098-886-2020です。
下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
 首里城(すいぐすく)
 玉陵(たまうどぅん)
 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
 中城(なかぐすく)
 座喜味城(ざきみぐすく)
 今帰仁城(なきじんぐすく)
 識名園(しきなえん)
 勝連城(かつれんぐすく)
 斎場御嶽(せいふぁうたき続きを読む
ラベル:世界遺産 沖縄
posted by SORI at 02:40| Comment(32) | TrackBack(5) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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