2015年12月28日

ピサの斜塔

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クリックすると拡大前記事で東洋のピサの斜塔と呼ばれている虎丘斜塔を紹介させてもらいましたので、本記事では本物のピサの斜塔を紹介いたします。ピサは町の名前です。イタリアの家族旅行ではピサにも行きました。
ピサの斜塔は有名ですが、実物を見て、思っていた以上に傾いているのに驚かされました。
記念撮影は、この写真のようすると面白いですよ!
みんなが、撮っているので私もやりました。もちろん家族全員が、このスタイルで撮りました。手の位置が重要で両手や片手でいろんなスタイルで何枚も撮ることをお薦めします。楽しいですよ。

ピサの斜塔(Torre di Pisa) は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼です。世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する最大の観光スポットだと思います。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14453トンだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の危惧がありましたが、その後の処置により当分問題ないと判断されています。現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうです。
こちらがピサの斜塔の単独の写真です。
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ピサの斜塔はドゥオモ広場の中にあります。ピサと言えば「ピサの斜塔」ですが、横の大聖堂(ドゥオモ)やひろ~~~~~い広場で人々がゆったりしている雰囲気はいいですよ。真っ白な大理石が印象的でした。
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大聖堂(ドゥオモ)の中もすばらしかったです。
ピサはローマ時代に海港として栄え、中世にはヴェネチア、ジェノヴァとともに海の共和国として地中海に君臨し勢力を伸ばしました。ガリレオが医学を、学んだピサ大学のある大学都市でもあり、現在も科学と数学の名門としての名誉を誇っているそうです。
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ドゥオモ広場には3つの建物があります。ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)とこの写真の洗礼堂です。大きな丸い建物です。
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洗礼堂の中は大きな空間で音が反響することが有名です。
写真のように警備員の人が、大きな声を出して実演してくれました。


真っ白な征服の兵隊さんも大理石の建物に映えていました。
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ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)と洗礼堂があるドゥオモ広場は高い城壁に囲まれていました。
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城壁の一番高いところに登って、その城壁とピサの町を撮りました。上の洗礼堂の写真もこの場所から撮りました。城壁の手前にお墓が沢山並んでいますが、これは撮った写真を見て後から気がつきました。城壁に門があり沢山の人がそこを通っていますが、我々もその門から入りました。トゥオモ広場の近くには、史跡の保護のために大きな駐車場を作っていないため、離れた場所で観光バスを降りて無料の連絡バスでここに来ます。駐車場を作るために町の建物を壊すことも出来なかったのだと思います。それに大理石を車の排気ガスから守ることも理由のような気がします。
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手前から洗礼堂、大聖堂(ドゥオモ)、ピサの斜塔です。芝生の中にも自由に入れるのはいいですね。見学者も多かったです。
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ピサの斜塔の傾斜の原因は、地盤の土質が極めて不均質であったことであるとされています。南側の土質が相対的にやわらかく年月を経るうちに傾き始め、それによりさらに地盤に対する負担が大きくなり、結果的には塔の南側が大きく沈下するという事態に陥ったそうです。1173年8月9日に始まった200年間と非常に長い建設工事期間中から傾斜し、1372年に完成しました。最上階層のみ地面に対して垂直に建てられて現在の姿になったそうです。
完成後も傾斜が進み将来に倒壊すると心配され下記のような対策が行われました。
1935年、地下水が地盤をやわらかくしてしまうのを防ぐため薬液を注入して地下水の浸入を止めようとする応急処置がとられました。しかし、現場の地盤は鋭敏比非常に高く、攪乱によって強度が著しく低下し、沈下は更に進んでしまったそあです。1960年代、現地の地下水汲み上げによって地下水位が下がり、またも傾斜進行という危機を迎え、1964年2月27日ついに、イタリア政府はピサの斜塔を崩壊から回避するための支援を求めました。
1990年1月7日、安全上の問題により公開を休止し、傾斜角を是正するために改修工事が行われました。当初は沈み込んだ側と反対の北側におもりを載せることでバランスをとろうとしたが、根本的な解決には至りませんでした。その後、改修工法には世界各国の建設会社から様々な提案がなされたが、最終的に、北側の地盤を掘削するという工法が採られ、2001年6月16日、10年間にわたる作業が終了し公開は再開された。
2008年5月28日、監視担当のエンジニアで地質学者でもあるミケレ・ジャミオルコウスキ教授により、少なくともあと300年は倒れる危険がないとの見解が示されてました。
クリックすると拡大ギネスブックでは長らく世界中で最も傾斜している建物と認識されていたが、2009年からは15世紀に建造されたドイツ北西部エムデンの付近にある教会の尖塔の方が傾斜していると判定され、ピサの斜塔に代わって掲載されています。
クリックすると拡大さらに2010年6月にはアラブ首長国連邦アブダビにあるキャピタルゲートビル(35階建てビル)が傾斜角約18度であるとしてギネスブック世界記録に認定されましたが、これは意図的に傾斜させてつくられたもので、写真を見る限りでは、ピサの斜塔は傾斜した建築物としては、やはり世界一だと思います。この小さな2枚の写真はネットから拝借いたしました。小さな写真もクリックすると拡大します。

航空写真でドォウモ広場の配置を紹介します。北側の大きな白い建物は有力貴族たちの納骨堂のカンポサントです。

ラベル:斜塔 イタリア
posted by SORI at 14:57| Comment(47) | TrackBack(1) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

ジュリエッタの町 ベローナ

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NHKの「世界遺産への招待状」と言う番組でイタリアのベローナが取上げられました。タイトルは「恋愛大作戦! イタリア」です。ベローナは、娘と家内の3人で旅行した場所なので懐かしくて拝見いたしました。その旅行のでのベローナの記事を掲載いたしました。
イタリアのベローナと言う町を、ご存知ですか。ベローナという名を聞いたことが無い人も、『ロミオとジュリエット』は知っているでしょう。ここは、その舞台となった街です。中庭から家内と娘が手を振っている以外の写真はすべてクリックすると拡大します。

街の歴史は古くローマ時代にさかのぼり、各時代ごとの見どころが多く残ります。その石畳の上で食事も楽しいですね。
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この日は雨模様でしたが、不思議な魅力のある街でした。スカラ家の廟が右側にあります。
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下の写真がこちらが有名なジュリエッタ(ジュリエット)の家の中庭です。見ての通り、驚くほど沢山の人が見学にこられたいました。さすが恋愛の町と言われるだけのことはありますね。ジュリエッタ(Giulietta)はイタリア語圏の呼び方でジュリエット(Juliet)に相当するそうです。
右が航空写真で探し当てたジュリエッタの家です。→地名入り地図で見る
地名入り地図で見ると「ジュリエッタの家」の文字を見つけることが出来ると思います。
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家内と娘はジュリエッタの家の中に入り中庭に面した窓から家内と娘が手を振っています。 この窓が曰くのある窓だとの事です。1450年ごろルネッサンスの真っ只、ベローナ町を二分するモンタギュー家とキャピュレット家は、お互いに敵視しており、町で出会えばすぐに喧嘩が始まる状態だったことから物語が始まります。モンタギュー家の一人息子がロミオでキャピュレット家の一人娘がジュリエット(ジュリエッタ)でした。

これは1世紀に建てられた円形闘技場・「アレーナ」で、夏には野外オペラが行われます。漆黒の夜空の下で大規模な舞台セットを利用したオペラは迫力があり、もはや芸術を越えた一大スペクタクルのようです。恋の話の舞台あり、夏のオペラありと、なんともロマンティックな街です。
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ベローナはヴェローナとも書かれています。ベローナは、人口27万人のイタリアの都市であり、ヴェネト州ベローナ県の県庁所在地でもあります。 アディジェ川沿いにあり、ガルダ湖の約30km東に位置する。 ドイツのミュンヘンおよびイスラエルのベツレヘムと姉妹都市協定を結んでいます。中世の町並みがよく残っていている街です。写真は大きな広場でした。ここで、少し雨宿りをしました。
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街の中には沢山の広場があります。その中の一つです。
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路地の景色です。遠くに塔が見えますが、そこが有名なエルベ広場です。
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地面の下に遺跡がある場所もありました。左端の女性が添乗員の方でその横の赤いズボンの方が地元の観光案内の方です。
ラベル:ベローナ
posted by SORI at 05:54| Comment(26) | TrackBack(4) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

ミラノから南西へ60km

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ミラノより南西の小さな町の景色です。ミラノでは雪はなかったのに、ミラノより南の町で雪景色に出会いました。確かにアルプスは遠くに見えますが??? 

典型的なイタリアの地方都市です。
町の名前はカザーレモンヘラート(Casale Monferrato)  
ここはミラノとトリノのちょうど中間地点で、以前にイタリアの水田を紹介したあたりなのです。→ポチッ
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でも食べ物は一流!!! ハムとチーズは美味しかったです。
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地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

ラベル:イタリア
posted by SORI at 22:58| Comment(6) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

センピオーネ公園

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クリックすると拡大ミラノ市中心で一番大きな公園です。写真の遠くに見えるのは平和の門です。スフォルツェスコ城と隣接しており町の人たちの散歩のコースになっているようです。紫陽花も綺麗に咲いていました。この写真にも紫陽花が写っているの判りますか。
ここから平和の門まで散歩いたしました。
手前の方に写っている2人あまり気にしないでください。こちらでは、ごく普通の光景ですから!!
恋人たちの公園、ですね。

近くから見た平和の門です。
古代ローマ時代は、平和の門の場所は、ミラノの町を囲む古代ローマの城壁のセンピオーネ門で、町への入口でした。その遺跡の上に、19 世紀初期にナポレオン指揮により、現在の平和門が造られたそうです。
公園内では、セイヨウヒイラギ、キササゲ、アトラスシダー、 ヒマラヤスギ、カリフォルニアスギ、ブナ、マツ、イチョウ、マロニエ、ハシバミ、ポプラ、タイサンボク、紫陽花、椿、シャクナゲ、ツツジ、オールドローズ、カラタチ 、アカカシなどの多彩な植物を眺めることが出来るそうです。
 名前 センピオーネ公園
 住所 Parco Sempione,Milan,Italy
 開園 6:30~20:00 1~2月、5月、11~12月
    6:30~21:00 3~4月、10月
    6:30~23:30 6~9月
 面積 386,000㎡(38.6万㎡ / 38.6ha) 
 形式 ロマン主義のイギリス式庭園
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この日は天気がよかったので、スフォルツェスコ城も綺麗に撮れました。
観光客がまだ来ない早朝だったのが良かったのかもしれません。
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公園の池越しのスフォルツェスコ城も綺麗なので掲載します。
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センピオーネ公園の東隣のインドロ モンタネッリ 庭園に隣接して気になる建物がありました。調べてみるとレアーレ邸(Ville Reale)と呼ばれています。アルテ宮と書かれている本もありました。
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レアーレ邸(Ville Reale)のネットでの記載内容を紹介します。
19世紀のミラノに縁のある芸術家たちの作品を、素晴らしい邸宅と共に楽しめるミラノ近代美術館、ヴィラ・ベルジョイオーゾ。

ヴィラ・レアーレとも呼ばれるこのヴィラはミラノ中心に位置しながら、静かで優雅な空間が広がっています。

オーストリア人建築家レオポルド・ポラック(1751- 1806)が1790年に建設した美しいネオ・クラシック様式のヴィラで、外壁にはギリシャ神話のヴィーナスをモチーフとした「愛」がテーマの彫刻がずらりと並ぶ、なんともロマンティックな外観です。

舞踏会用のサロン。豪華です! 

当時のミラノで初めてと言われるイギリス式庭園をそぞろ歩きしながら、19世紀の貴族たちは何を語り合っていたのでしょう?

邸宅内も美しいネオ・クラシック様式でまとめられいます。
当時舞踏会に使われていたというサロンは色鮮やかな色彩で飾られ、床は木材のモザイク模様。
なんとも豪華な空間です。

この「il Parnaso」はアポロンを中心に音楽や芸術を司るミューズが描かれ、それまでの華麗になり過ぎた感のあるバロックやロココ様式への反動として新古典主義(ネオ・クラシック)が、ここミラノでも生まれた事を意味する重要な絵画の一つとされています。

海外の施設ではよくあることなのですが、センピオーネ公園の面積の記載もサイトによりばらつきがありました。k㎡を使う桁違いの記載も多数出てきました。記載数値の例は次の通りでした。
 信頼できる桁数
   386,000㎡(38.6万㎡)、47万㎡、50エーカ(20万㎡)、75.3㎡、
   47ha(47万㎡)、20万㎡以上
 桁間違いの数値
   40万k㎡、45万k㎡(45,000,000万㎡)、45k㎡(4,500万㎡)
そこでGoogle地図で計測してみました。スフォルツェスコ城や競技上も含めた白い線で囲た半透明の白色部分の面積は0.624k㎡(62.4万㎡)であることから、目測ではありますがセンピオーネ公園の面積は40~47万㎡と思われました。したがって控えめな数値である386,000㎡(38.6万㎡)を上に記載させていただいたわけです。ちなみにGoogle地図で計測したスフォルツェスコ城や競技上も含めた敷地の周長は3.54㎞でした。
参考ですが大阪の万博記念公園の場合は、広場やスポーツ施設や文化施設を含めた総敷地面積は264万㎡(264ha)でした。皇居は115万㎡です。
    平和の門
    スフォルツェスコ城
posted by SORI at 06:21| Comment(8) | TrackBack(2) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

イタリアのパトカー

IMGP7974-50.jpg

ベトナムのパトカーを紹介したのでイタリアのパトカーも紹介しておきます。
ごみ箱でベトナムイタリアを比較したばかりなのでイタリアを選択いたしました。ごみ箱は同じ緑色でしたがパトカーはベトナムが青でイタリアが緑でした。このパトカーもかっこいい!イタリアはいろんなもののデザインが一味違います。やっぱり女性のお巡りさんが多いですね。
クリックすると拡大koniさんがランボモギーニのパトカーを見られたことが、おありと聞き、ネットから写真を探しました。右の写真のランボルギーのパトカーはアラブ首長国連邦のドバイの警察ですが、イタリアにもあるそうです。価格は約50万ドルで、最高速度は349km/hで、2.9秒で97km/hまで加速できるそうです。2017年にイタリアで2台目のランボルギーのパトカーがローマに配車されたそうです。その動画がネットにあったので紹介します。


なぜかドイツのパトカーと色合いが似ていました。
こちらはハイデルベルグのパトカーです。


こちらはミュンヘンです。ワンボックスタイプのパトカーでした。緑は親しみがわく色ですが防弾チョッキが物々しいですね。
posted by SORI at 23:16| Comment(20) | TrackBack(1) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

丘の上の街 ベルガモ

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イタリアンカプチーノスパゲッティーを紹介したベルガモ(BERGAMO)と言う町は城壁に囲まれた旧市街が丘の上あることで有名です。「中世さながらの石畳の小道のある街」だそうです。現代の町である下の街からの写真を紹介します。

現代と言っても我々の次元では古い町なのです。遠くの丘の上の中世の町が印象的でした。
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posted by SORI at 23:45| Comment(10) | TrackBack(1) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする