2023年11月28日

ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2023年11月24日再掲載
タイトル:ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)
クリックすると拡大前記事「兵庫運河 第85回ハイク参加」で日本最大級の兵庫運河と日本一長い貞山運河を紹介したのを機会に、私が海外で見た運河の中で最も魅力的だったイタリアのミラノのナヴィリオ運河(Naviglio Grande)の13年前の過去記事をブラシュアップ(写真など18画面追加)して再掲載したいと思います。
 2010年09月09日 初掲載 全て 0
 2023年11月24日 閲覧数:2,886 nice!:129 CMT:22 再掲載時
 2023年11月25日 閲覧数:3,066 nice!:165 CMT:32
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 2023年11月27日 閲覧数:3,363 nice!:202 CMT:38
 2023年11月28日 閲覧数:3,484 nice!:205 CMT:42
 2023年11月29日 閲覧数:3,573 nice!:215 CMT:44
 2023年11月30日 閲覧数:3,610 nice!:217 CMT:44 次記事掲載
 2023年12月01日 閲覧数:3,632 nice!:218 CMT:44
 2023年12月02日 閲覧数:3,655 nice!:219 CMT:44

2010年09月09日掲載
タイトル:ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)
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観光客の人が、ほとんど来ない場所を紹介いたします。
以前にもNaviglio Grande(ナヴィリオ・グランデ運河/ナヴィリオ運河)に来たことがあるのですが、またナヴィリオ運河にやってきました。Grande(グランデ)は大きいと言う意味で運河の意味がないけれども、Naviglioは固有名詞ですが運河の意味も含まれているようなので、Naviglio Grandeの日本語訳はナヴィリオ・グランデ運河あるいはナヴィリオ運河としました。理にかなった日本語訳のグランデ運河と表現しているサイトもありました。グランデ運河と表現するとベネチアの運河のカナル・グランデ(Canal Grande)と間違われる可能性があります。Canalの日本語訳は運河です。冬と違い、天気もいいので景色も映えます。
以前にも来た冬の時(12月)の空の色とは対象的です。ヨーロッパを旅行をする時期の参考にしてください。今回は6月でした。クリックすると拡大

水底を撮るのは難しです。いかがでしょうか。水の深さは1mくらいでしょうか。右の写真の教会の影が水面に映っています。冒頭の写真の中にも、右の教会が確認できると思います。教会の名前はChiesa Parrocchiale di Santa Maria delle Grazie al Naviglio(聖マリア・ナヴィリオ教会)です。探してみてください。
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きれいな水の運河沿いの道はワンちゃんたちの散歩道でもありました。カメラを向けていると判ると、ちゃんとポーズをとってくれました。3枚の写真を6秒 or 12秒ごとに切り替えています。ミラノのワンちゃんたち→ポチッ
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建物には花が飾られています。
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ヨーロッパらしい明るい雰囲気です。
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雰囲気を感じていただくために花が飾られた窓をアップしました。
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橋は船が通れるように地面より高くなっているために階段を登って橋を渡るのです。
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Wikipediaに掲載されていたナヴィリオ・グランデ運河の昔の写真を紹介します。2枚目の写真のように1920年頃には水泳大会も行われていたようです。最初の写真には本記事の中の写真にある聖マリア・ナヴィリオ教会も写っています。
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3つ前の記事「ミラノの路面電車」の中のこの写真はナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)の終点のポルタ・ティチネーゼ・ドックの傍で撮った写真でした。
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その場所のストリートビュー(SV)です。左の先がナヴィリオ・グランデ運河のミラノ側の終着地点であるドック(Porta Ticinese dock)です。


ここが長さ約50kmのナヴィリオ・グランデ運河のミラノ側の終着地点であるドック(Porta Ticinese dock)のストリートビュー(SV)です。もう一方の端(出発地点)はティチーノ川(Ticino river)との合流地点です。→SV



以前の冬(2005年12月8日)にグランデ・グランデ運河に来たときの写真も紹介いたします。つまりグランデ運河には2度も訪れました。この時も底が見えるほど水は透き通っています。以前は写真をクリックしても拡大しませんでしたが再掲載を機会に特別に拡大するようにいたしました。


魅力的な家もあります。El Brellinという名のレストランです。こちらも再掲載を機会に拡大するようにいたしました。


運河の横の教会です。名前はChiesa Parrocchiale di Santa Maria delle Grazie al Naviglio(聖マリア・ナヴィリオ教会)です。こちらの写真は再掲載で追加しました。
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ミラノの中心から郊外に離れていく方向の写真です。こちらも再掲載を機会に掲載いたしました。
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ここには郊外電車で来ました。 SV1 SV2
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航空写真です。右上から左下への直線的な線がナヴィリオ運河(Naviglio Grande)です。ミラノ観光の定番のドゥオモ、スフォルツェスコ城、教会、中心部の街並み、ガッレリア( アーケード 、夜景 )、美術館などとはまた違った下町が味わいがある場所です。右下の地図の赤色ラインが運河です。クリックすると拡大
ポルタ・ティチネーゼ・ドック(Porta Ticinese dock)から南方向への運河があります。名前はNaviglio Paveseです。ミラノから東方向にはNaviglio Martesanaと言う名の運河もあります。さらに、右の地図の左端にはNaviglio Bereguardo(Naviglio di Bereguardo)があり、右上端にはNaviglio di Padernoと言う名の運河もあります。Naviglioが運河ならば、正確な翻訳ではグランデ運河、パヴェーゼ運河、マルテザーナ運河、ベレグアルド運河、パデルノ運河になるのかもしれません。パナマ運河は英語はPanama Canalですが、イタリア語ではCanal di Panama(Canal Panama)となるわけです。ちなみにイタリア語と近い言語のスペイン語ではCanal de Panamáです。

クリックすると拡大Wikipediaから郊外のNaviglio Grande(ナヴィリオ運河)の写真を転用させていただきました。そのWikipediaによりナヴィリオ運河は95年をかけて1272年に完成した古い運河であることが分かりました。
 長さ 49.9 km  高低差 34m
 着工 1177年  完成 1272年
 始点 トルナベント近郊のティチーノ川
    Ticino river near Tornavento
 終点 ミラノのポルタ・ティチネーゼ・ドック
    Porta Ticinese dock in Milan
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ミラノのポルタ・ティチネーゼ・ドック(Porta Ticinese dock)からティチーノ川(Ticino rive)までのナヴィリオ運河(Naviglio Grande)の全体を紹介します。ミラノから西に伸びてさらに北のミラノ・マルペンサ国際空港近くまで行っている臙脂色ライン(━━)がナヴィリオ運河(Naviglio Grande)です。クリックすると拡大ティチーノ川の近くではVecchio Naviglio Grande(古いナヴィリオ運河)という表現もありました。運河沿いの道にはAlzaia Naviglio Grandeの名前も付いていました。Alzaiaは運河の船を曳く右の写真のような曳舟道(ひきふねみち)のことです。つまりナヴィーリオ運河・曳舟道と言う意味になるようです。右の写真は2頭の馬が船のマストの先端に結んだロープを曳いています。
posted by SORI at 23:59| Comment(44) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月08日

ミラノの路面電車

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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イタリアのミラノ(Milano)には前記事「イタリア旅行最後の訪問地 ローマ」で紹介したクリックすると拡大家族旅行を含めて3回行っています。前記事の中で右のローマの路面電車の写真を紹介したので3回の訪問で撮ったミラノの路面電車の写真を全て紹介したいと思います。ただし、一番新しい写真でも2006年なので最新の情報ではありません。先ずは家族旅行の時に撮ったミラノの路面電車の写真6枚を紹介します。ミラノの路面電車は、このオレンジ色が使われていたようです。

細い道にも往復の線路が敷かれていました。
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上の写真はこちらの写真から切り取りました。
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立派な建物前を路面電車が走っている写真です。上で紹介の路面電車よりも古いタイプのようです。
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上の写真はこちらの写真から切り取りました。
クリックすると拡大245年前の1778年8月3日に開館したスカラ座の前を路面電車が通っている写真でした。スカラ広場の真中にはレオナルド・ダ・ヴィンチ像があります。右の写真はスカラ座の内部です。
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3両連結です。冒頭の路面電車と同じタイプと思われます。
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ここから9枚の路面電車の写真は2005年12月に撮った写真です。この写真は私の撮った中では最も古い形式の路面電車です。頭に書かれている番号は1714です。番号が若いほど古い形式なのだと思います。ドアが両開きののようです。
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こちらの番号は1742です。ドアは上と同じようです。
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カラフルな路面電車もありました。番号は4724です。ドアの部分は広いです。
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後ろの建物はミラノ中央駅です。クリックすると拡大クリックすると拡大
こちらも古いタイプの路面電車で番号は1521です。ミラノ中央駅は利用させていただいたし、見学もさせてさせてもらいました。日本と違ってホームには自由に入ることが出来ました。その時の写真が右上の2枚です。
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オレンジ色だけでなくグリーの新しいタイプの路面電車も走っていました。ここはスフォルツェスコ城の前の広場です。クリックすると拡大オレンジ色の車体番号は1926のようですが2文字目の9はハッキリしません。グリーンの車両の方の車体番号は全く読み取れません。
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上の写真はこちらの写真から切り取りました。デジタルカメラはまだまだ発展途上だったので、車体番号が読み取れないことをご理解いただきたいと思います。この場所のストリートビュー(SV)を紹介します。→SV1 SV2 SV3 SV4 SV5
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新しいタイプの単独写真です。車体番号は7501です。5両連結(5車体連接車)の路面電車で先頭の部分が丸い形です。クリックすると拡大ネットで検索した範囲では7000形7500形がありました。車体番号7514は見つけましたが、車体番号7500番台以上の車体番号を探した結果として7600形がありました。この路面電車は客室の床上高さが350 mmの段差がない100 %低床構造の車両です。名称はシリオ(Sirio)で、アンサルドブレーダ(イタリア)が1997年~2000年に開発して、日立製作所がアンサルドブレーダを2015年2月に買収して、日立レール(Hitachi Rail S.p.A.)が展開しているそうです。
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クリックすると拡大クリックすると拡大右の写真(ホテルの入口と外観)のミラノ駅の近くの泊まったホテルの部屋から撮った写真です。車体番号は画像が不鮮明で確かではありませんが1744のように読み取れます。
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こちらは1976とはっきり読み取れます。
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ここから7枚の写真が2006年6月に撮った写真です。道路脇に線路が付けられたところもありました。遠くにオレンジ色の路面電車が見えます。形式は冒頭の路面電車と同じように見えます。
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クリックすると拡大ここはスフォルツェスコ城の前の広場です。グリーンの車体で車体番号は7101です。上で紹介した同じグリーの車体番号7501の路面電車(右の写真)とは先頭部分の形が違います。新しい車両がどんどん投入されているようなので今はさらに新しいタイプを見ることが出来るのだと思います。
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塔のような建物がスフォルツェスコ城です。冒頭で紹介した車体と同じかもしれません。
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路面電車が沢山集まっているところがありました。ここだけは遠くに見えたので走って撮りに行きました。他の写真は歩いていて目に入ったものを撮っただけなのです。
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やっぱり石畳が似合います。車体番号は4843です。
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車体番号1899の古いタイプの路面電車の後ろに少し新しい冒頭の写真のタイプの路面電車が続いています。クリックして拡大するとさらに後ろに路面電車が続いているのが判ります。
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繁華街が似合います。車体番号4905の路面電車です。上に出てきていないタイプのようです。沢山の人が利用されているのが感じていただけると思います。
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ラベル:ミラノ 路面電車
posted by SORI at 07:13| Comment(30) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月03日

イタリア旅行最後の訪問地 ローマ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2023年10月28日正式掲載 タイトル : イタリア旅行最後の訪問地 ローマ
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今から13年前に下書き状態(説明のない写真ばかり)の記事を間違えて公開してしまい、すぐに気が付いて下書きに戻したままの状態の記事を見つけたので、記事を完成させて公開させていただきます。短時間の公開の間にniceやコメントお頂いたので、取り合えでコメントの返事を書いて下書きに戻して、すぐに記事を完成させて公開するつもだったのが13年も経過しました。13年前にコメントしていただいたtarantiさん申し訳ありませんでした。
上の写真はイタリア旅行の最初の訪問場所のミラノです。
クリックすると拡大この時の旅行は私と家内と娘の3人でJTBのパック旅行を使いましたが、往復の飛行機はJALのマイレージを使わしてもらい3人分の航空券代90万円を値引きしてもらいました。さらにローマでは我々で事前に1泊ホテルを予約しておいて余分に1日楽しみました。ローマからはJALの直行便で成田に帰りました。もちろん来る時もミラノへの直行便でした。パックツアーでは往復ともにロンドン経由のBritish Airwaysでした。

この時のイタリアのパック旅行のルートを紹介します。そのイタリア旅行で13年前に掲載したクリックすると拡大記事も紹介します。記事のタイトルの後ろの数値は本記事の正式掲載時の閲覧数とnice!とコメント数です。
着色文字をクリックすると記事を表示します。
 家族旅行の最初の訪問地は!      2,097 183 24
クリックすると拡大 イタリアの自転車野郎         1,318 89 12
 スフォルツェスコ城のお気に入りの光景 1,429 128 22
 イタリアのお巡りさんのバイク     5,515 82 20
 ジュリエッタの町 ベローナ      3,110 136 26
クリックすると拡大 水のある景色 ベネチア        2,488 162 24
 水のない景色 ベネチア        1,947 142 18
 ベネチアのゴンドラ          3,075 130 28
 フィレンツェ             3,568 175 42
クリックすると拡大 ピサの斜塔              5,574 183 47
 中世の町 シエナ           4,589 106 20
 ローマの遺跡の中のネコちゃん     4,259 46 10   ホテル
 イタリア旅行最後の訪問地 ローマ      7   3   2   訪問地


イタリア旅行は下のルートでバスで移動しました。ツアー人員は21人(2人X9組 3人X1組)で我々以外はすべた2人でした。下の画像をクリックすると文字が読める大きさに拡大します。画像内の赤丸()はパックツアーに含まれている昼食および夕食です。朝食は全てホテルのビュッフェなのでパックツアーの中に含まれていることになります。
成田7/24 13:00発JL417 7/24 18:25ミラノ 7/25ベローナ 7/25ベネチア 7/27フィレンツェ 7/27ピサ フィレンツェ 7/28シエナ 7/28ローマ 7/31 10:20発JL4448/01 7:50着成田
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2010年04月24日下書掲載 タイトル : イタリア旅行最後の訪問地 ローマ
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このがコインを投げ入れることで有名なトレヴィの泉です。家族でのイタリア旅行の最後の訪問地はローマでした。そして、この場所(トレヴィの泉)で団体行動は終わり半日が自由行動となるのが今回のパックツアーでした。本来のツアーだとイタリア旅行が始まるミラノ到着は7月24日22時40分(BA574)に対して我々は7月24日18時25分着(JL417)で、ローマからの帰国では本来のツアーが7月30日8時10分発(BA551)に対して我々は翌日の7月31日10時20分発(JL444)でした。

トレヴィの泉の写真をさらに2枚紹介します。遠くから撮った写真です。沢山の人が来ているのが判っていただけると思います。
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こちらは横から見たトレヴィの泉の写真です。この後、次のように地下鉄を利用していろんなところに行きました。
ローマ自由行動(トレヴィの泉) →地下鉄→ ヴァチカン美術館 →地下鉄→ ポポロ広場 →地下鉄→ カラカラ浴場 →地下鉄→ ホテル1(翌日) →地下鉄→ ホテル2→地下鉄→ いろんな場所
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ローマは芸術と遺跡の街という印象でした。でも街を廻った中で生活が感じられるところが下の写真の露店でした。トレヴィの泉のすぐそばの小さな広場で野菜や果物を露店で売っていたので、つい撮ってしまいました。
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上の写真をクリックすると特別に大きく拡大しますが、クリックの面倒な方のために野菜の部分を拡大しました。さすがイタリア、トマトや洋ナシなどの果物が美味しそうです。
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計りも趣があるし、バイクのある風景も不思議にイタリアぽいです。大きなカボチャも雰囲気があります。
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クリックすると拡大今回はパックツアーでしたが、旅行会社に無理を頼んで航空券は自前手配させてもらったのでローマではさらに1日ほど自分たちでホテルを取ったので本来は半日の自由時間であったものが、完全に1日半ほどフリーな時間が取れました。のんびりと好きな場所に行き、好きなレストランで食事が出来きていい経験になりました。ミラノでもみんなより早めに着いたので家族だけで散歩と食事を楽しむことが出来ました。ローマゆっくり出来た例として「色々の場所の泉の水に触れた結果、蜂の噴水(Fontana delle Api)の水が冷たい」とか!
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さらに「ベンハーで有名となった戦車レース競技場跡を端から端まで歩いてみる」とか! ほんとうにゆっくりすることが出来ました。
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人があまり行かない浴場跡も見てきました。
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浴場跡の床は印象的でした。
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さらに浴場跡の写真を2枚紹介します。クリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。
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こちらもクリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。誰もいない空間でした。
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有名な闘技場のコロッセオなど見るところはキリが有りませんでした。
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上の写真の裏側の高台から撮った写真です。
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上の写真を撮った場所の近くからのストリートビュー(SV)を紹介します。これで写真撮った場所が特定できました。写っている手摺の辺りから撮ったものと思われます。


同じ方向の私が撮った写真とSVを並べてみました。広場にあった小さな木が高く成長したようです。
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ヴァチカン市国のこのサン・ピエトロ寺院と美術館は人気でした。
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全体が判るように精いっぱい下がって正面から撮りました。
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正面の右側です。
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中央の建物に近づいて建物をとりました。建物に近づいているので中央のドームは建物で遮られて写っていません。
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ドームの上の人を見るとその大きさにも驚かされます。
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サン・ピエトロ寺院の中の広さと豪華さに驚かされます。
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少し斜めから撮りました。
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正面です。
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マリア像も見事でした。
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天井も見事でした。
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サン・ピエトロ寺院の警備兵や町のお巡りさんやVIPの警備など日本にはない新鮮味があります。
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これは美術館に入るための行列です。
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こちらは美術館の中です。
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立派な建物でした。
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中の壁画も見事でした。


床の装飾も見事でした。
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いろんな展示物がありました。
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古い時代と思われるものもありました。
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絵画もありました。これはダリ(Salvador Dali)の作品と思われます。
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バチカン市国の郵便ポストです。
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イタリアと言えばブランド物の買い物ですがお店が集中しているのがコンドッティ通り! ここはあらゆるお店があります。トリニタ・デイ・モンティ階段(スペイン階段)からスペイン広場とその通りを望んだ写真です。
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こちらがトリニタ・デイ・モンティ階段(スペイン階段)です。見えている教会はトリニタ・デイ・モンティ教会です。
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地下鉄も活用させてもらいました。ホームにLEPANTOと書かれているように見えることからレパント駅と思われます。→航空写真


イタリア軍所属のCARABINIERI(カラビニエリ/国家憲兵)が停まっていました。カメラを向けても気にする様子はなかったので写真を撮らせていただきました。
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お巡りさんの制服も洒落ていました。
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ローマには沢山の遺跡がありました。
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クリックすると拡大ほんとローマは遺跡だらけでした。この遺跡の中で猫ちゃんにも出会えました。遺跡の中での日向ぼっこしていて、どんなに近づいても、この場所から動きませんでした。パックツアーからわかれて余分に1日滞在して、ゆっくりとローマを見て廻ったのは大正解でした。まる1日は大きかったです。
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さらに遺跡の写真を3枚紹介します。この3枚はクリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。
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ローマの町は遺跡の上に建っていることを実感させられます。
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しっかりと残されているのに感激でした。
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1953年8月27日公開(日本では1954年4月21日公開)の映画「ローマの休日」で有名になった真実の口にも行ってみました。真実の口には「手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる」伝説があるそうです。


映画「ローマの休日」の「真実の口」のシーンです。下の動画から切り取りました。5枚の画面で構成しました。主演のオードリー・ヘプバーン(英: Audrey Hepburn)が初めて映像作品に出演したのは1948年で、1952年に撮影が始まった「ローマの休日」で初の主役を射止めたそうです。クリックすると拡大オードリー・ヘプバーンの身長は170cmでした。ちなみに相手役の男優のグレゴリー・ペックは190㎝でした。
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クリックすると拡大映画「ローマの休日」の12分版の動画です。プレーボタン( )をクリックすると、「真実の口」のシーンを表示します。最後まで見ると、頭から無限に繰り返すように設定しています。


ローマ2日目の夕食は事前に調べておいたレストランに行きました。
レストランの名前はRISTORANTE AURORA 10です。食べた料理は3人それぞれでエビサラダ、パスタ、アスパラ・ポーク、ヒレステーキ、子羊照り焼きでした。1日目は親しくなったご夫妻とテルミニ駅近くの推薦のピザ店でピザ5種類をシェアーしていただきました。


ネットから店内の写真を転用させていただきました。このころは料理の写真を撮る習慣はなかったので、残念ながら写真はありません。
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ローマ市内のマルス広場に建造された神殿パンテオンです。


サンタンジェロ城を背景に記念写真も撮りました。


ナヴォーナ広場も印象的でした。
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この時のローマの路面電車も紹介します。
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白バイはBMWでした。町によって白バイの色が違っていました。
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別の角度の写真も紹介します。
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写真はローマで1日延長してプライベートで泊まったホテルMassimo d'Azeglioの部屋です。パックツアーのホテルGrand Hotel Palatinoに比べると格は少し落ちますが天井の高いホテルでした。こちらの写真は目隠しではなく'ぼかし'にしています。
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我々がプライベートで泊まったホテルの窓からの景色です。ホテルも似た感じの雰囲気の建物だったと思います。路面電車の線路が写っています。SV1ホテル SV2路面電車 SV3路面電車
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クリックすると拡大ミラノからローマまでは全てJTBのチャーターバスで移動しました。
最初から最後まで同じバスだと思っていたら、何度かバスと運転手の方が変わりました。その地域・地域のバスを利用するのだと思いました。
右の写真はミラノで乗った最初のバスです。
下の写真のバスと違うことが分かっていただけると思います。
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posted by SORI at 05:47| Comment(38) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

お土産はたった一つ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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下記で記載しているフライトでイギリス⇒フランス⇒スイス⇒ドイツ⇒イタリアを旅して、買ったお土産が上の写真の硬~いチーズだけでした。チーズの名前はGRANA PADANO(グラナ・パダーノ・チーズ)です。最終日(10日目)に買いました。チーズのプロフィールをネットから枠内に転記いたしました。
イタリアの中部から北部にかけての広範囲で製造されている、超硬質のチーズ。
「グラナ」とは粒状のという意味、「パダーノ」とはアルプス山脈からアドリア海にかけて流れているポー河の流域の平野部のことを意味する。パダーノ平野で産する粒状のチーズ。(切ると、チーズの身はポロポロと粒状クリックすると拡大になっているので。)

パルミジャーノ・レジャーノも実はこのグラナ・パダーノの一種で見た目も作り方もそっくりではあるが、生産地域の限定や作り方と熟成についてより厳しい基準を設けることによって、ワンランク上の価値をもっている。高級品のパルミジャーノのクリックすると拡大熟成期間が最低でも2年と決まっているが、グラナ・パダーノは15~18カ月と短め。イタリアの家庭での普段使いのチーズとして、すり下ろして調味料として、重宝されている。いわゆる「パルメザン」として粉状にしてパックされて売られているチーズは、グラナ・パダーノが原料だということだ。

チーズの外側は固くて食べることはできないが、チーズの中身は切ると名前の通りポロポロと粒状になっていることがわかる。パルミジャーノよりは熟成期間が短いとはいえ、アミノ酸系の旨みが十分に感じられる。
クリックすると拡大重さは1,109g 値段は14.31ユーロでした。現時点の為替レートで1778円です。日本では考えられない値段でした。この大きさで1kgなので、右の写真のような切り分ける前の元の丸いチーズの状態だと20~30kgぐらいになりそうです。

下のルートでお土産を持って帰国いたしました。10日間に乗ったフライトをを紹介します。パリからリヨンへはTGVを利用いたしました。下記の町以外にアヌシー(フランスの避暑地 4日目)とベルガモ(イタリア 9日目)とカザーレモンフェラート(イタリア・アレッサンドリア県 10日目)に行きました。イタリアのその2つの都市はグラナ・パダーノの生産地でもあります。今回のお土産であるチーズを買ったのはカザーレモンフェラート(Casale Monferrato)からミラノ・マルペンサ空港に行く途中のサービスエリアでした。つまり産地中の産地で買ったわけです。
 1日目 成田      ロンドン    JL401
 2日目 ロンドン    パリ      AF1971
 3日目 パリ      リヨン     列車(TGV)
 5日目 リヨン     チューリッヒ  AF3476
 6日目 チューリッヒ  フランクフルト LH3729
 8日目 フランクフルト ミラノ     LH????
 10日目 ミラノ     成田      JL418
クリックすると拡大

生産地域は次の場所だそうです。
アレッサンドリア、アスティ、ベルガモ、ボローニャ(レーノ川の右岸)、ブレッシア、コーモ、クレモーナ、クーネオ、フェッラーラ、フォルリ、マントヴァ(ポー川左岸)、ミラノ、ノヴァーラ、パードヴァ、パヴィーア、ピアチェンツァ、ラヴェンナ、リーミニ、ロヴィーゴ、ソンドリオ、トリノ、トレント、ヴァレーゼ、ヴェネツィア、ヴェルチェッリ、ヴェローナ、ヴィチェンツァの各県
クリックすると拡大印字されている文字がよく分かる角度の写真も紹介します。GRANA PADANOの文字がはっきりと判ると思います。
ブランド名はLa Bottegacciaのようです。
クリックすると拡大

買ったお土産はたった1つでしたが、「10日間の旅の思い出」というお土産を沢山持ち帰ることが出来ました。そして60個以上の記事も掲載することが出来ました。下のタイトルをクリックするとその記事を表示します。
クリックすると拡大イタリア
 61 お土産はたった一つ
 60 ベルガモ(BERGAMO) の普通の街並み
 59 イタリアのパトカー
 58 牛肉のカルパッチョ
 57 有名店で前菜だけ
クリックすると拡大 56 イタリアンカプチーノの名店でスパゲッティ
 55 丘の上の街 ベルガモ
 54 信号で待ってたら突然!
 53 イタリアで水田 ??
 52 にらめっこ
 51 ドゥオモ(大聖堂)の景色
 50 ミラノのチョット贅沢な夕食
クリックすると拡大 49 イタリアのクモ怪獣
 48 ミラノのワンちゃんたち
 47 MOTO GUZZI製の白バイ
 46 ミラノのグランデ運河
 45 ミラノのゴミ箱は緑色
 44 ミラノの宝石
クリックすると拡大 43 センピオーネ公園
ドイツ
 42 サッカーゲーム機 フランクフルト→ミラノ
 41 ハウプト通りの風景
 40 ぶどう畑のある景色
 39 カール・テオドール橋からの景色
クリックすると拡大 38 初夏のハイデルベルグ城
 37 ドイツのワンちゃん
 36 ドイツ料理と言えばソーセージだけど!
 35 リカンベント自転車
 34 この季節! ドイツと言えばホワイトアスパラ
 33 レイメンの朝食
 32 機内食でエビフライ? チューリッヒ→フランクフルト
クリックすると拡大スイス
 31 スイスの朝食
 30 スイスのネコちゃん
 29 初夏のレンツブルク城
 28 空からのアルプス リヨン → チューリッヒ
フランス
 27 フランス最古のローマ劇場   リヨン
 26 美食街と呼ばれるレストラン街 リヨン
 25 アヌシーの旧市街       アヌシー
 24 昼食はクレープ        アヌシー
 23 アヌシー城          アヌシー
 22 運河のある街並み       アヌシー
IMGP7738-1120.jpg 21 教会と自転車野郎       アヌシー
 20 リゾート気分のワンチャンたち アヌシー
 19 フランスの避暑地 アヌシー湖 アヌシー
 18 坂道のある景色        リヨン
 17 異国のお祭り         リヨン
 16 世界遺産の中でリヨネーズ料理 リヨン
クリックすると拡大 15 川のある風景         リヨン
 14 昼食はムール貝        リヨン
 13 TGVでパリからリヨンへ
 12 22時のパリ ロンドン→パリ
イギリス
 11 街の中の住宅街
クリックすると拡大 10 テムズ川
 09 郵便ポストは赤でした。
 08 ロンドンのステーキ
 07 ラグビー発祥の地
 06 ロンドンにも自転車タクシーが!!
クリックすると拡大 05 ロンドンは自転車
 04 ロンドンと言えば赤い二階建てバス
 03 ロンドンの夕刻
 02 ロンドンのタクシー(CAB)
 01 上空からロンドンの町がよく見えました。

日本では粉チーズにしてよく食べますが、ヨーロッパではサラダなど上にスライスしたチーズがよく乗って出てきます。いくつか紹介いたします。
 ドイツで食べたサラダ
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 イタリアで食べたサラダ


 イタリアで食べた牛肉のカルパッチョ
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我家でもスライスチーズにして沢山食べました。そこで活躍したのが写真の皮むき器です。 試してみると、きれいに出来ました。もちろん冒頭の堅いチーズが必要です。


これで作ったサラダです。
おろし金で粉チーズにして、作った料理を後日紹介したいと思います。昨日(2017年6月18日)の夕食でもGRANA PADANOを粉チーズにした料理をいただきました。


このGoogle地図の中のカザーレモンフェラート( )とミラノ・マルペンサ空港の間のサービスエリアで今回紹介のグラナ・パダーノ・チーズを買いました。
青色クーク( )の正確な位置はカザーレモンフェラートの町の中の牛肉のカルパッチョを食べたお店(Colosseo Caffe)の場所です。
posted by SORI at 22:42| Comment(20) | TrackBack(2) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

ピサの斜塔

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で東洋のピサの斜塔と呼ばれている虎丘斜塔を紹介させてもらいましたので、本記事では本物のピサの斜塔を紹介いたします。ピサは町の名前です。イタリアの家族旅行ではピサにも行きました。
ピサの斜塔は有名ですが、実物を見て、思っていた以上に傾いているのに驚かされました。
記念撮影は、この写真のようすると面白いですよ!
みんなが、撮っているので私もやりました。もちろん家族全員が、このスタイルで撮りました。手の位置が重要で両手や片手でいろんなスタイルで何枚も撮ることをお薦めします。楽しいですよ。

ピサの斜塔(Torre di Pisa) は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼です。世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する最大の観光スポットだと思います。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14453トンだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の危惧がありましたが、その後の処置により当分問題ないと判断されています。現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうです。
こちらがピサの斜塔の単独の写真です。
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ピサの斜塔はドゥオモ広場の中にあります。ピサと言えば「ピサの斜塔」ですが、横の大聖堂(ドゥオモ)やひろ~~~~~い広場で人々がゆったりしている雰囲気はいいですよ。真っ白な大理石が印象的でした。
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大聖堂(ドゥオモ)の中もすばらしかったです。
ピサはローマ時代に海港として栄え、中世にはヴェネチア、ジェノヴァとともに海の共和国として地中海に君臨し勢力を伸ばしました。ガリレオが医学を、学んだピサ大学のある大学都市でもあり、現在も科学と数学の名門としての名誉を誇っているそうです。
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ドゥオモ広場には3つの建物があります。ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)とこの写真の洗礼堂です。大きな丸い建物です。
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洗礼堂の中は大きな空間で音が反響することが有名です。
写真のように警備員の人が、大きな声を出して実演してくれました。


真っ白な征服の兵隊さんも大理石の建物に映えていました。
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ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)と洗礼堂があるドゥオモ広場は高い城壁に囲まれていました。
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城壁の一番高いところに登って、その城壁とピサの町を撮りました。上の洗礼堂の写真もこの場所から撮りました。城壁の手前にお墓が沢山並んでいますが、これは撮った写真を見て後から気がつきました。城壁に門があり沢山の人がそこを通っていますが、我々もその門から入りました。トゥオモ広場の近くには、史跡の保護のために大きな駐車場を作っていないため、離れた場所で観光バスを降りて無料の連絡バスでここに来ます。駐車場を作るために町の建物を壊すことも出来なかったのだと思います。それに大理石を車の排気ガスから守ることも理由のような気がします。
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手前から洗礼堂、大聖堂(ドゥオモ)、ピサの斜塔です。芝生の中にも自由に入れるのはいいですね。見学者も多かったです。
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ピサの斜塔の傾斜の原因は、地盤の土質が極めて不均質であったことであるとされています。南側の土質が相対的にやわらかく年月を経るうちに傾き始め、それによりさらに地盤に対する負担が大きくなり、結果的には塔の南側が大きく沈下するという事態に陥ったそうです。1173年8月9日に始まった200年間と非常に長い建設工事期間中から傾斜し、1372年に完成しました。最上階層のみ地面に対して垂直に建てられて現在の姿になったそうです。
完成後も傾斜が進み将来に倒壊すると心配され下記のような対策が行われました。
1935年、地下水が地盤をやわらかくしてしまうのを防ぐため薬液を注入して地下水の浸入を止めようとする応急処置がとられました。しかし、現場の地盤は鋭敏比非常に高く、攪乱によって強度が著しく低下し、沈下は更に進んでしまったそあです。1960年代、現地の地下水汲み上げによって地下水位が下がり、またも傾斜進行という危機を迎え、1964年2月27日ついに、イタリア政府はピサの斜塔を崩壊から回避するための支援を求めました。
1990年1月7日、安全上の問題により公開を休止し、傾斜角を是正するために改修工事が行われました。当初は沈み込んだ側と反対の北側におもりを載せることでバランスをとろうとしたが、根本的な解決には至りませんでした。その後、改修工法には世界各国の建設会社から様々な提案がなされたが、最終的に、北側の地盤を掘削するという工法が採られ、2001年6月16日、10年間にわたる作業が終了し公開は再開された。
2008年5月28日、監視担当のエンジニアで地質学者でもあるミケレ・ジャミオルコウスキ教授により、少なくともあと300年は倒れる危険がないとの見解が示されてました。
クリックすると拡大ギネスブックでは長らく世界中で最も傾斜している建物と認識されていたが、2009年からは15世紀に建造されたドイツ北西部エムデンの付近にある教会の尖塔の方が傾斜していると判定され、ピサの斜塔に代わって掲載されています。
クリックすると拡大さらに2010年6月にはアラブ首長国連邦アブダビにあるキャピタルゲートビル(35階建てビル)が傾斜角約18度であるとしてギネスブック世界記録に認定されましたが、これは意図的に傾斜させてつくられたもので、写真を見る限りでは、ピサの斜塔は傾斜した建築物としては、やはり世界一だと思います。この小さな2枚の写真はネットから拝借いたしました。小さな写真もクリックすると拡大します。

航空写真でドォウモ広場の配置を紹介します。北側の大きな白い建物は有力貴族たちの納骨堂のカンポサントです。

ラベル:斜塔 イタリア
posted by SORI at 14:57| Comment(47) | TrackBack(1) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

ジュリエッタの町 ベローナ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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NHKの「世界遺産への招待状」と言う番組でイタリアのベローナが取上げられました。タイトルは「恋愛大作戦! イタリア」です。ベローナは、娘と家内の3人で旅行した場所なので懐かしくて拝見いたしました。その旅行のでのベローナの記事を掲載いたしました。
イタリアのベローナと言う町を、ご存知ですか。ベローナという名を聞いたことが無い人も、『ロミオとジュリエット』は知っているでしょう。ここは、その舞台となった街です。中庭から家内と娘が手を振っている以外の写真はすべてクリックすると拡大します。

街の歴史は古くローマ時代にさかのぼり、各時代ごとの見どころが多く残ります。その石畳の上で食事も楽しいですね。
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この日は雨模様でしたが、不思議な魅力のある街でした。スカラ家の廟が右側にあります。
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下の写真がこちらが有名なジュリエッタ(ジュリエット)の家の中庭です。見ての通り、驚くほど沢山の人が見学にこられたいました。さすが恋愛の町と言われるだけのことはありますね。ジュリエッタ(Giulietta)はイタリア語圏の呼び方でジュリエット(Juliet)に相当するそうです。
右が航空写真で探し当てたジュリエッタの家です。→地名入り地図で見る
地名入り地図で見ると「ジュリエッタの家」の文字を見つけることが出来ると思います。
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家内と娘はジュリエッタの家の中に入り中庭に面した窓から家内と娘が手を振っています。 この窓が曰くのある窓だとの事です。1450年ごろルネッサンスの真っ只、ベローナ町を二分するモンタギュー家とキャピュレット家は、お互いに敵視しており、町で出会えばすぐに喧嘩が始まる状態だったことから物語が始まります。モンタギュー家の一人息子がロミオでキャピュレット家の一人娘がジュリエット(ジュリエッタ)でした。

これは1世紀に建てられた円形闘技場・「アレーナ」で、夏には野外オペラが行われます。漆黒の夜空の下で大規模な舞台セットを利用したオペラは迫力があり、もはや芸術を越えた一大スペクタクルのようです。恋の話の舞台あり、夏のオペラありと、なんともロマンティックな街です。
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ベローナはヴェローナとも書かれています。ベローナは、人口27万人のイタリアの都市であり、ヴェネト州ベローナ県の県庁所在地でもあります。 アディジェ川沿いにあり、ガルダ湖の約30km東に位置する。 ドイツのミュンヘンおよびイスラエルのベツレヘムと姉妹都市協定を結んでいます。中世の町並みがよく残っていている街です。写真は大きな広場でした。ここで、少し雨宿りをしました。
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街の中には沢山の広場があります。その中の一つです。
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路地の景色です。遠くに塔が見えますが、そこが有名なエルベ広場です。
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地面の下に遺跡がある場所もありました。左端の女性が添乗員の方でその横の赤いズボンの方が地元の観光案内の方です。
ラベル:ベローナ
posted by SORI at 05:54| Comment(26) | TrackBack(4) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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