2024年11月14日

巨大な梨・愛宕 と 6L幸水 設楽農園

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今年からよく梨を買いに行っている梨園(設楽農園)に2024年10月13日に梨を買いに行くと、巨大な梨が売られていたので3個買いました。梨の品種は愛宕(あたご)でした。愛宕は大きな梨で今までも秋の時期に果物店やスーパーで見かけて何度か買ったことがありましたが、それとは比べ物にならないほど大きかったので紹介させていただきました。大きさを実感してもらいたいので、私のお気に入りの時計を並べて撮りました。特に左側の愛宕は多きなったです。重さを計っていればよかったと食べ切ってから気がつきました。

丁度、長男が来て泊まったので朝食は昔よく食べたホットドックにしてもらい、その大きな梨も食べました。ホットドックと比べてもらうと梨の大きなが判ってもらうと思います。大きさだけでなく味にも驚かされました。前に食べた愛宕と比べて格段に甘かったのです。ネットに書かれている範囲で愛宕の交配親の来歴ははっきりしません。書かれているものを列記すると、交配親は「天の川×長十郎」「二十世紀×今村秋」「天の川×(不明)」で、来歴は「自然交配」「菊池秋雄が育成」です。ネット上の記載数が多いのが赤色着色です。年代的には1915年の文字が書かれていましたが、いずれにしてもはっきりはしていないようです。
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頂いた愛宕の説明カードです。ネットで確認すると、私が梨を買った2日後の10月15日に梨の直売所が終了したそうです。やっぱり人気なのだと感じました。
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せっかくなので、梨と比べた時計を紹介したいと思います。
メーカーはスイスのIWC(International Watch Company)です。私が社会人になって始めた買った時計でもあります。機械式の自動巻きの時計ですが会社に行く時に付けていくだけで数年間一度も止まりませんでした。そして買ってから2年間の誤差が2or3秒だった驚異の時計だったのです。遅れたのか進んだのかは今となっては覚えていませんが2秒か3秒だったことだけは今でも覚えています。
クリックすると拡大2年を過ぎると誤差が出るようになりましたが、それでも1年間に十数秒でした。当時IWCは機械式自動巻きで正確なことで有名でした。右の写真は私が今までに買う(8本)か貰った時計(4本)です。貰った4本内3本は父の遺品です。
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こちらが梨がなっている梨園(設楽農園)の写真です。ただし愛宕を買った時ではなく幸水を4ケ所に送るために事前に申し込みに行った2024年8月9日に撮った写真です。写っている梨は幸水だと思います。木上で熟れた梨をうたい文句にしている梨園なので、最もおいしくなった時に送ってくれるのです。そして申し込んだサイズは6Lと最大の大きさなので、大きくなるのにも時間がかかるとのことでした。神奈川県の娘のところに梨が届いたのは8月19日だったので、梨園から送られたのは8月18日だと思います。後は兵庫県と大阪府と熊本県に送りました。
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実は設楽農園から梨を送ったのは最近では初めてだったのです。ただし20年以上前に1度だけ送った記憶はあります。実は長く梨(幸水)を送っていたのが地図の左上の米井梨園でした。家内の弓道仲間の人から紹介されて、食べて美味しかったのでそれ以来、米井梨園から送っていたのです。家からは米井梨園までは車で30分(往復1時間)かかっていました。家から比較的近い設楽農園が最近ネットで評判なこともあり、梨の送付を申し込むのでは、先ずは味見のために8月8日に梨を買いに行きました。石川農園は、2012年6月末に閉店した超人気の蕎麦屋さんの隣りあり、蕎麦屋さんで味見で梨が出されてことがあって美味しかったので利用させてもらいました。
 設楽農園 佐倉市青菅400
 米井梨園 船橋市小室町2471-2
 石川農園 佐倉市上志津原244-2


味見のために梨を買いに8月8日に開店5分前の9時05分に設楽農園に行くと沢山の人がすでに並んでいました。お店が開店した10時の時点で32人が並んでいました。
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行列から梨園を撮りました。梨園全体をネットで覆っているのです。鳥から梨を守のためだと思います。
千葉と言えは梨と落花生(ピーナッツ)ですが、いずれも都道府県別で千葉県が生産量1位です。その梨と落花生を旬の時に送るのが恒例になっているわけです。
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もうすぐお店の入口です。結局、お店の中に入れたのは11時でした。これほど人気ならば4ケ所に送るのを申し込んでもよかったのですが、残念ながら住所録を持ってきていなかったので、味見用の梨を買うだけにして翌朝に申し込みに来ることにしました。まだ幸水は売られていなかったので、別の梨(ひらがな名)でした。名前ははっきりとは覚えていませんが、極早生品種の「はつまる(登録年2015年 筑水×筑波43号)」だと思います。翌朝は幸水が売られていたので8月8日に売られていた品種は半日で完売したようです。
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翌朝は早く来てみると私が1番でした。皆さん10時が近づくとどっと来られました。前日の32人ほどではありませんが、十数人並ばれました。おそらく売り切れを恐れて皆さん早く来られるのだと感じました。前日(32人行列日)は売り出し初日だったのです。私は売り出し初日とは知らないで偶然買いに行った日が売り出し初日だったのです。すごく運がよかったようです。
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予約したのは幸水の最も大きいサイズ6Lを4箱です。
 6L:8個  5L:10個  4L:12個  3L:14個  2L:16個  L:18個
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梨の実が生っている写真です。こちらは袋がかけられているのが多いです。
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袋が外されている方向も撮りました。クリックすると特別に大きく拡大します。
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そして神奈川県に住んでいる娘から8月19日に写真が届きました。こちらは愛宕ではありません。娘に送った6Lの幸水です。こちらも幸水としては巨大です。
お宮参りの記事で紹介したようにクリックすると拡大娘の子供は今年の3月26日生まれなので、もうすぐ5ケ月の写真です。右の写真は、生まれて2日目の3月28日の赤ちゃんです。6Lの幸水も大きいと判ってもらえると思います。梨は美味しかったそうです。豊水も買ってみましたが、驚くほど水分が多くて、みずみずしくて幸水とは別の美味しさだったので、次に送るのは豊水にするのもいいかもしれないと思います。ただし届くのは9月になると思うので、次に送る時に幸水にするか豊水にするかを、みんなに希望を聞いてみます。
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2024年11月8日から11月12日まで関西に行っていました。そのためにコメントの返信が出来なくて申し訳ありませんでした。
関西に行っていた主な目的は、神戸市立本山中学校の同窓会(右の写真)に参加するためでした。特定のクラスの同窓会ではなく、参加いただいた先生(数学)に教えてもらった人たちが集まった同窓会なので、クラスはいろいろでした。クラスは3年生の時、全部で13組あり私は6組(下の写真)でした。先生が担任をしていたのは8組だったので8組の人が多かったです。下の写真で上から2列目の左端が私です。
それ以外に関西から東京に組織ごと転勤になり東京で課(全員関西からの転勤者)に最初に配属になった新入社員の人と飲むのも目的の1つでした。その人とはいつも神戸駅の近くで飲んでいますが、この時は西明石駅の近くの居酒屋でした。
中学時代の梨と言えば二十世で、少し長十郎があるくらいでした。
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2024年05月28日

お宮参りの後の食事会 とうふ処 小川家 大山豆腐

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2024年5月9日(木)は、比々多神社(ひびたじんじゃ)でお宮参りを済ませた後はクリックすると拡大大山(おおやま)の参道(こま参道)にある「とうふ処小川家」で食事会をしました。大山には、とうふ参道(とうふ坂)と名付けられた道があるほど豆腐が有名で、そこで作られた豆腐は、大山とうふと呼ばれているようです。京都で言えば嵯峨とうふのような存在でしょうか。上の写真は7品の料理の中で3品目に出てきた湯葉ですが、私が長い人生で食べてきた湯葉の中で、味や食感において、最も美味しい湯葉だったので冒頭の写真に使わさせていただきました。それでは食事会の豆腐料理を紹介したいと思います。驚いたことに料理の7品が全て美味しかったのです。食べている時、いい料理人がおられるのだと感じました。

お宮参りをした比々多神社( )と食事会のとうふ処小川家( )の位置関係を紹介します。空色マーク( )の小出とうふ店には行っていませんが、とうふ処小川家では小出とうふ店の豆腐を使っているそうです。
クリックすると拡大  とうふ処 小川家 食事会
  比々多神社    お宮参り
クリックすると拡大  小出とうふ店   とうふ処小川家で使われている豆腐
  大山ケーブル駅バス停
  大山ケーブル駅  バス停から約670m
 ━━ 比々多神社→とうふ処小川家6km(部分は細い道300m)
 ━━ こま参道   ━━ 大山登山ケーブル(800m) 右の写真→



鈴川沿いに大山板戸線(県道611号)を上って行き、県道611号の起点である大山ケーブル駅バス停(北緯35度25分18.5秒 東経139度15分15.3秒)を過ぎて、「こま参道」との分かれ道で突然に細い道になります。右側の階段のある道が「こま参道」で、左側の道が我々が車で進んだ道です。この細い道の一番上に目的地のとうふ処小川家があるそうなのです。初めてなら、細い道に車で入っていくのは少し勇気がいるかもしれません。
この場所の写真を撮り損ねたのでストリートビュー(SV)で紹介しました。


少し進んだところに車同士がすれ違うための場所がありました。ここからは完全に細い道になりました。SV
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このような無余地駐車違反の注意書きがあるように車同士はすれ違いが難しい細い道なのです。もし対向車があれば、元の場所までバックするか、どこかのお店か家の駐車場に待避してすれ違う必要があるほどなのです。
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テレビ番組の「ナゼそこ?」や「ポツンと一軒家」の雰囲気がしたので、とうふ処小川家に到着するまでの写真を紹介させていただきます。
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まだまだ続きます。縦長の黄色い看板のところがとうふ処小川家で、この道もそこで終わります。つまり車が走れる道の一番上にとうふ処小川家があるのです。
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とうふ処小川家の駐車場に着きました。階段の上の建物群が、とうふ処小川家です。こま参道との分岐点から細い道の長さは300mでした。
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途中の道は狭かったけれでも、とうふ処小川家の駐車場は意外と広かったです。右端に写っている白いガードレールの道から入ってきました。
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参道からの、とうふ処小川家への入口です。参道の名前は「こま参道」です。左の階段がこま参道です。階段なのこれ以上は車では上がれません。この先に大山寺やケーブルカー乗り場があります。
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こま参道を正面から撮りました。こま参道の名前の由来は参拝客の縁起物「大山こま」だそうです。クリックすると拡大職人の手によって作られる右の写真の「大山こま」は、江戸時代から続く伝統的な木工品で、子どものオモチャとしてだけでなく、芯が太くよく回ることから金回りが良くなり家内安全にも通じる縁起物として、昔から人気のお土産だったそうです。
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下り方向の「こま参道」を紹介します。
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参道の門から入って進むと建物の入口(玄関)が)がありました。
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玄関を入ったところです。江戸時代初期に創業した宿坊がルーツだそうです。料亭にシフトしたのは1970年代だそうです。そして名物の大山とうふを取り入れるなどして今に至っているそうです。
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廊下の右側一番手前のふすまが開いているところが我々が食事をした部屋です。
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広い個室に案内していただきました。すでに1品目が準備されていました。
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さっそく座りました。座るとお茶が出されてきました。赤ちゃんは一番窓側です。
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クリックすると拡大興味深そうに見ています。この時、生後44日目でした。2024年3月26日17時39分に娘の家の近くの病院(神奈川県)で生まれて、下の写真を撮ったのは5月9日13時16分なので生後44日目でした。右の写真は生まれて1時間10分後の3月26日17時49分の写真です。
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料理は7品コース(梅コース)でした。料理は1品づつ出てきます。最初の料理は鍋のようでした。
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表面に湯葉ができるとのせつめいだったので、豆乳鍋でした。湯豆の湯豆腐
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2品目は胡麻豆腐でした。
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3品目は湯葉の刺身でした。
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湯葉を拡大いたしました。冒頭で書かせていただいたように、私の長い人生で食べてきた湯葉の中で、味や食感において、最も美味しいと思った湯葉です。湯葉の味がしっかりと出ていました。自家製ポン酢も良かったです。
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別の角度からの写真も紹介します。
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クリックすると拡大湯葉の刺身が出た時に撮ってもらった記念写真を掲載します。
右の写真も記念になります。
下の写真をクリックすると料理を拡大表示いたします。
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クリックが面倒な方のためにテーブルの拡大写真を掲載しました。クリックするとさらに拡大します。車の運転者がいるので、運転者以外もノンアルコールビールとジンジャーエールです。
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4品目が出てきました。お宮参りにふさわしいおめでたい器でした。
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料理は、ちり蒸し豆腐でした。豆腐、海老、温泉たまご、舞茸、ゆり根などが入っていました。この料理もなかなかのものでした。
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5品目は筍の白和えでした。高度があるこの場所ではこの時が筍の旬なのだと思います。今年は竹の子を食べる機会がなかったので、残念に思っていましたが、思わぬところで竹の子を食べることが出来ました。
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6品目は豆腐のグラタンでした。和風を想像していて意表を突かれましたが、これは美味しかったです。ここでも料理人の腕を感じてしまいました。
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豆腐が見えるように少し持ち上げました。
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7品目には黄緑とピンクと白と黄のあられが使われたきれいな揚げ出汁豆腐が出てきました。美味しい色で驚かされましたが、素晴らしい味に仕上がっているので驚かされました。ここでも料理人の味の確かさを感じました。
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少し食べた揚げ出汁豆腐です。クリックすると表面のあられと豆腐の食感が判っていただけるかもしれません。
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最後の〆は、小エビなどを散らしたご飯と味噌汁と漬物でした。不思議とすべて食べてしまいました。
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そして最後の最後に出てきてデザートです。名前は豆腐のヨーグルトいちごソースのようです。
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料理は常に温かいものを一品づつ出されるので、すべての料理が並んだ写真は撮れませんでした。そこで、ネット(SHUN GATE)から写真を転用させていただきました。ただし、季節によって料理は変わるので一部の料理は違います。今回の場合は5品目の筍の白和えが違うようです。
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ラベル:神奈川 お宮参り
posted by SORI at 23:25| Comment(44) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月21日

お宮参り 比々多神社

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2024年4月に掲載した記事「香住ガニ(ベニズワイガニ/紅がに)の香住漁港直売 宿院商店」にクリックすると拡大追記する形で娘が2024年3月26日に出産したことを報告させていただきました。その生まれた子のお宮参りに2024年5月9日に行ってきました。上の写真がその時の記念写真です。右の写真は、生まれて2日目の3月28日の赤ちゃんです。生まれた当日の3月26日にも会いましたが、その時は看護師さんに抱かれたガラス越しでした。3月28日は娘の病室で赤ちゃんと一緒に会える最初の日だったのです。
ネットによれば、男の子は生後31~32日目、女の子は生後32~33日目にお宮参りをするのが正式とされていますが、地域にも差があり50日目や100~120日目前後に「百日祝い(お食い初め)」と併せて行うところもああるそうです。ちなみに我々のお宮参りの5月9日は生後44日目になります。

お宮参りは娘家族が住んでする神奈川県なので、我々の千葉の自宅から行くと結構時間がかかることから東京の大手町から特急ロマンスカーを初めて使ってみることにしました。列車名は10時04分発のメトロはこね21号でした。
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ロマンスカーが入ってきました。列車の発車駅は千代田線の北千住駅です。
今回の列車の停車駅は、北千住(9:47)→大手町(10:04)→霞ケ関(10:10)→表参道(10:18)→成城学園前(10:32)→町田(10:30)→本厚木(11:03)→小田原(11:31)→箱根湯本(11:47)です。
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我々は7号車でした。
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ロマンスカーの車内です。このガラガラでした。この日は平日なので神奈川の方からの通勤客が使うのがメインで反対方向はすいてて当然なのかもしれません。娘の旦那さんも通勤に利用していると言っていました。ただし、外人の人が途中の駅から乗ってきました。ロマンスカーに乗るのは2013年8月24日から一泊で家族全員で箱根旅行以来でした。その時の記事→ポチッ
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久しぶりのロマンスカーでリラックスして、娘家族の家で合流しました。そこから車で神社に向かいました。クリックすると拡大神奈川県にある比々多神社(ひびたじんじゃ)です。比々多神社は由緒ある神社と聞いていました。ここを選んだのは家から近いこと以外に、神奈川で有名な大山(1252 m おおやま)に近いことも理由の一つだそうです。右の写真は車の中から大山だと思って撮った山です。SV
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大山の位置が想像できたのは以前の記事「新幹線からの富士山」で景色の中の大山の位置を調べたことがあったからです。この新幹線から撮った写真の大山の麓辺りにお宮参りをした比々多神社と会食の料亭があったのです。航空写真→ポチッ
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神社に着きました。伝承によれば、比々多神社の創建は神武天皇6年(紀元前655年)で、旧相模国最古級の神社だそうです。古くは「冠大明神」とも称されていたそうです。SV
 名前  比々多神社
 住所  神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
 創建  神武天皇6年(紀元前655年) 比比多伝記によれば
 主祭神 豊国主尊 天明玉命 雅日女尊 日本武尊
 格式  式内社 相模国三宮 旧郷社
 別名  冠大明神、三ノ宮さま
 例祭  4月21日・22日
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比々多神社の駐車場に着きました。赤ちゃんは気持ちよさそうに寝ていました。
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降ろす準備を始めました。上の写真とは反対側のドアから撮った赤ちゃんです。
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駐車場からは家内が抱っこして神社に向かいました。比々多神社のホームページ(HP)によれば、「お宮参り」は「初宮参り」とも言い、赤ちゃんが初めて神社にお参りすること意味しているそうです。
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神社の最初の階段を上るところです。


正面の鳥居から入りました。


入口から見た比々多神社の拝殿です。拝殿の正面奥に本殿があります。
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拝殿の前は広く立派な木が沢山あり、大きな木には注連縄が巻かれていました。
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こちらの木も立派です。これからも歴史を感じます。
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鐘もあり厳かな雰囲気が伝わってきました。
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こちらは手水舎(てみずやorちょうずや)です。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれています。
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その水盤には花が入れられていました。
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絵馬掛けとよばれる台には安産祈願の絵馬も沢山吊るされていました。
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これが拝殿で本殿があります。左端に写っている白いテントで靴を脱いで拝殿に入りますが、その前に事務所に行って手続きをする必要があります。上の絵馬掛け台の左側にも同じ白いテントが写っています。拝殿の前の幟には三之宮冠大明神と大きく書かれていて、その横に小さく比々多神社と書かれています。
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神社の事務所で手続きをしているところです。


手続きが終わったところで、娘たち家族3人の記念写真を撮りました。
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赤ちゃんのアップの写真を紹介します。朱色で比々多神社/冠大明神と書かれた略式の小忌衣(おみごろも)が印象的でした。
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本殿の写真を撮り忘れたのでWikipediaから転用させていただきました。左の建物が本殿で、右の建物が入口の方から見えている拝殿です。この写真には拝殿に上がるための白いテントはありません。かなり前の写真なのだと思います。
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白いテントで靴を脱いで右の階段から拝殿に入りました。残念ながら拝殿の中では撮影禁止なので紹介は割愛させていただきます。
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お宮参りが無事に終わってお札やお守りを返しました。
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初詣が終わってリラックスしているところです。記念写真の準備をしています。
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冒頭の記念写真を撮りました。
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比々多神社の周辺の景色です。
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お宮参りの後は食事会です。大山の参道にある料亭で食事会をしますが、神社を出発する前に赤ちゃんは腹ごしらえです。
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お宮参りの食事会は次の記事で紹介したいと思います。右の階段が「こま参道」です。
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お宮参りした比々多神社の場所を紹介します。
小出とうふ店にはf行っていませんが、とうふ処小川家で使われている豆腐は小出とうふ店で作られたと聞きました。
比々多神社
とうふ処 小川家
小出とうふ店
ロマンスカー停車駅 本厚木


ちなみに娘が妊娠したことのクリックすると拡大報告を受けたのは昨年の2023年9月25日に行われた家内の誕生日会の席でした。2023年9月25日に娘夫婦が家内の誕生日会を東京の丸の内のYAUMAY(丘如春/ヤウメイ)でしてくれました。その時に花束と下の写真の素敵なバースデーカードを渡されました。→ポチッ
クリックすると拡大バースデーカードを広げると箱が飛び出してきて、箱の中に素敵な最高のプレゼントが入っていたのです。それは妊娠を示す超音波画像の写真でした。
そして2024年3月26日17時39分に娘の家の近くの病院(神奈川県)で、娘は無事に右の写真の女の子を出産しました。
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赤ちゃんの写真も紹介します。
こちらは3月26日18時49分なので生まれて1時間10分後の写真です。看護師の方がガラス越しに抱いてくださっている写真です。赤ちゃんは女の子です。
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上の写真はこちらの写真から切り取らせていただいています。看護師の方の顔には、ぼかしを入れさせてもらっています。
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ここから下の5枚はプロの方に撮っていただいた写真の一部だそうです。コロナ渦で結婚式は中止して結婚記念写真をプロに撮ってもらったのが影響しているのかもしれません。
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クリックすると記事を表示クリックすると記事を表示結婚の記念写真も紹介しておきます。
いい写真なので、ぼかしなしの写真にしたいけれども許されません。右の写真をクリックするとイメージが判るかもしれません。右の写真は娘の七五三の時に撮りました。



こちらは娘の高校時代の写真です。ローマの'蜂の噴水'で撮った写真です。
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ラベル:神奈川
posted by SORI at 11:15| Comment(48) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月10日

ゴルフ & 夜会

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海外に赴任している人が一時帰国されたので、久しぶりに一緒にゴルフをすることにしました。以前のゴルフの記事で紹介したように14人が同じゴルフ倶楽部にに入っているのですが、彼も同じクラブのメンバーなので、そのゴルフ倶楽部でのゴルフでした。池の右側のグリーンが18番で、いけの左側のグリーが9番です。18番の方にはもう一つ池があります。写真の右上がその池です。

ゴルフ場には早く来たので写真を撮りました。上の写真の左側の池がこちらの池です。左端には18番のバンカーが写っています。こちらのゴルフ場はティーショットが池越えの場合以外は、プレイング4や3は無いのでOBになった時には、必ず打ち直しする必要があります。プレーの間隔も比較的長くとるためにスタートホール(1番と10番)は前の組がグリーン上がってからティーショット打つようになっています。
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上の写真の池に近づくが手前から鴨が泳いで出てきました。
飛び立って逃げるのではなく「念のために離れておこう」という感じでゆっくりと離れて行きました。写真をクリックすると、手前の岸が入ったもう少し広い範囲の写真を紹介します。
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海外赴任の人に家から車で送ってもらったので、ゴルフ場の昼食では久々に心置きなくビールを飲ませていただきました。
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昼食はあさり丼とざるそばのセットを食べました。
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こちらが、あさり丼です。沢山のあさりが乘っていました。
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そしてこちらがざるそばです。
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海外に赴任している人は会議などで頻繁に一時帰国しているのですが、私も半分は関西に行っているのでタイミング合わなくて、一緒にゴルフをするのも久しぶりでした。ということで夜にゆっくり話が出来るように少し違うメンバーで17時から夜会を計画していました。ただし、入れ替わった2人も、ゴルフ倶楽部の14人の中の2人です。
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それでは夜会を紹介します。お店は以前に紹介したはませんを選びました。記事を紹介した時のタイトルは「いい居酒屋を見つけました。」でした。4人が同じプロジェクトをすることはなかったと思いますが、3人で台湾やインドや中国の案件など沢山のプロジェクトを一緒に行いました。建物の写真は今回は撮らなかったので2017年に撮った写真を使わさせていただきました。
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お通しです。
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先ずは大ジョッキ乾杯です。大きな大ジョッキでした。泡も細かくてもまろやかでした。
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泡の上に描かれた絵はいろんなものが出てきました。ジョッキ用のプリンターがあるそうです。これは最後に飲んだ大ジョッキの写真です。
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ジョッキの大きさを紹介したくて、この写真を掲載しました。
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選んだ刺身はカンパチでした。
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こちらはニンニクの唐揚げです。です。大きなニンニクでした。
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レンコンの料理も美味しかったです。
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久々にイカの揚物を食べました。
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大きなジャンボコロッケも頼みました。
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鶏の唐揚げもビールにあいました。話しは盛り上がって約3時間の夜会になりました。
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6年前の記事でも紹介させていただきましたが、あらためて場所を紹介します。前回は地図でしたが、今回は航空写真にしました。航空写真の中央少し左下あたりの臙脂色マーク( )が今回のお店(はません)の場所です。
 名前 はません
 住所 千葉県佐倉市上座520-8
 電話 043-462-0460
 営業 17:00~24:00
 定休 日曜日 (祝日の営業に関しては要問合せ)
 最寄 京成 ユーカリが丘駅 改札口から250m
 駅~ https://goo.gl/maps/CzDaqcsMvYp5PJcG8
 SV https://maps.app.goo.gl/FN2RDGdt6HTj52GY7
ラベル:居酒屋 ゴルフ
posted by SORI at 07:05| Comment(26) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月08日

nice!が333,333

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2023年9月5日の朝5時04分にSSブログの管理画面を見るとnice!が333,338と3が5つ並んでいるのに気が付きました。残念ながら333,333と3が6つ並んだ画面を見ることは出来ませんでしたが報告いたします。
2023-09-05-5.jpg 記事数        2,678
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 ブログ初投稿     2009年5月05日 14年4ケ月前 → 初記事クリックすると記事表示

上の画面では333,334番目までしか確認できないので、nice!一覧画面で確認すると、333,333番目のnice!を押してくださったのはkenji-sさんでした。日付と時刻はコメントの時刻なので若干のずれはありますが、2023年9月4日の18時06分~19時25分の間に333333niceをいただいたものと推測されます。
記念にハートジャンプ(Heart Jump)を掲載いたします。
2023-09-05-5.jpg 333,338 beamuse
 333,337 せとっこ
 333,336 くらま
 333,335 tarou     9月4日 19時25分
 333,334 ずん♪
 333,333 kenji-s
 333,332 yokomi  9月4日 18時06分
 333,331 yokomi  9月4日 17時51分
 333,330 青い森のヨッチン  15時06分
 333,329 鉄腕原子
クリックするとnice拡大を表示

おまけに2023年9月6日の朝に実家の庭の花に来た蝶の写真を掲載します。ツマグロヒョウモンのメス(♀)のようです。
ネットで確認するとオス(♂)は全く違う模様でした。右の雄の写真はWikipediaから転用させていただきました。クリックすると拡大
  界 動物界        Animalia
  門 節足動物門      Arthropoda
  綱 昆虫綱        Insecta
  目 チョウ目(鱗翅目)   Lepidoptera
 上科 アゲハチョウ上科   Papilionoidea
  科 タテハチョウ科    Nymphalidae
 亜科 ドクチョウ亜科    Heliconiinae
  族 ヒョウモンチョウ族  Argynnini
  属 ツマグロヒョウモン属 Argyreus
  種 ツマグロヒョウモン  Argyreus hyperbius 漢字:褄黒豹紋
 英語 Indian Fritillary  中国語 斐豹蛱蝶  韓国語 츠마구로 표범 
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羽根を閉じた瞬間の写真です。この蝶はアフリカ北東部からインド、インドシナ半島、オーストラリア、中国、朝鮮半島、日本までの熱帯・温帯域に広く分布し、日本では南西諸島、九州、四国、本州南西部で見られるそうです。
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クリックすると拡大別の花に移動した写真です。けっこう長い時間、花から花へ移りながら蜜を吸っていました。
クリックすると拡大猫の目のように見える模様は鳥から身を守るためなのかもしれません。体内に毒をもつ右の写真の蝶カバマダラに擬態しているとも言われています。
クリックすると拡大
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2023年08月29日

8月25日は母の誕生日

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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8月25日は母の誕生日です。ただし前記事(思い出の'活ハモの蒲焼')でもクリックすると拡大紹介したように2023年7月21日から関西に行っていて8月13日に自宅の千葉に帰ることから少し早かったけれども8月12日に上の写真のように家族や私の姉に集まってもらって誕生日会をいたしました。上のケーキは8月1日に宝塚駅にあるデパート(宝塚阪急)の中のアンリシャルパンティエ(Henri Charpentier)に予約して誕生日会当日の11時に受け取ってきました。

右の写真が、みんなで撮った記念写真です。クリックすると拡大私は後ろに立っている3人の左端です。母の隣りが私の姉です。私は姉との2人姉弟(きょうだい)でした。
せっかくなので私が1歳時に撮った母と姉と私の3人が写った写真を下に紹介します。私は9ケ月で歩いたそうです。私は2歳の時に兵庫県西宮市夙川から広島市平野町に引越してきたので、こちらの写真は夙川に住んでいたころの写真だと思います。左の建物は2004年に取り壊された阪急西宮球場です。阪急西宮球場は阪神甲子園球場に対抗して1937年に完成した大きな球場で完成当時で57000人収容の日本屈指の球場だったとそうです。ネットでも阪急西宮球場の写真は少ないので昔の貴重な写真だとおもいます。右手に見える山は六甲山です。このころは舗装されていない地道(土の道)でした。この昔の写真を見ていると懸命に姉と私を育ててくれたのだと感じてしまいます。
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昔の航空写真に上の写真を撮影した場所を黄色の丸印で示します。写真はヒョーゴアーカイブスから転用させていただきました。西宮球場の跡地はショッピングセンター(阪急西宮ガーデンズ)となっています。


上の西宮球場近くを歩いている写真は、こちらの武庫川の河原に行くために歩いていたのだと思います。この時は夙川に住んでいたので夙川駅で阪急電車に乗って西宮北口駅まで来て武庫川の河原までは歩いたのだと思います。服装や持ち物のカバンが西宮球場近くを歩いている写真と同じです。夙川の前は伊丹に住んでいて、そこで私が生まれました。詳しい説明は男明神と女明神というタイトルの記事に書いています。


現在の航空写真に球場近くを歩いて写真の撮影場所に をプロットしました。阪急の西宮北口駅の東700mの辺りです。この場所で東から西方向に撮ったと思われます。武庫川での写真の撮影場所です。
 写真撮影場所
 武庫川
 西宮北口駅
 1歳ころに住んでいたあたり(夙川駅近く)
 ━━ 歩いたと思われるルート


クリックすると拡大上の写真は今は亡き父が右の写真の愛用のヤシカの二眼レフカメラで撮ってくれました。その父も入って4人で撮った写真も紹介いたします。4人の写真もセルフタイマーを使って二眼レフカメラで撮ってくれたのだと思います。父が勤めていた会社のクラブハウスで撮った写真です。1月生まれなので私は6~7ケ月目クリックすると拡大ぐらいだと思います。後ろに写っている建物は建築家の村野藤吾の設計の東京銀行宝塚クラブハウスだそうです。右の建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されていました。1980年に建てられた宝塚市庁舎も村野藤吾の設計です。母と私、姉と私で見に行ってきましが、現在は住宅地になっていました。
IMG_2430-400.jpg

クリックすると拡大1961年5月13日に撮影された国土地理院の航空写真で撮影された場所を紹介します。宝塚駅から武庫川を挟んだ山の中腹にありました。
IMG_2430-400.jpg

Googleマップでも紹介します。赤色マーク( )がクラブハウスが建っていたと思われる場所で、黄色で着色した部分はグラウンドやテニスコートなどの施設だと思われます。紫色マーク( )は阪急宝塚駅です。Googleマップを拡大していくと分かりやすいと思います。青色ライン(━━)は昔に歩いたと思われるルートです。クリックすると拡大武庫川を渡るところは右の写真の細い歩道橋がありました。この右の写真は会社に入ったころに参加した六甲全山縦走大会での記念写真です。私は後ろの左端です。つまり、この写真の25年以上前に渡った場所なのです。下の航空写真のように両側に歩道があるS字の車道が出来たために、今は右の写真の歩道橋はありません。中央の建物は水明館ですが、今は水明館はありませんがGoogle地図で水明館跡は確認できます。左の建物はホテル若水で建替えられたようですが、今でも健在です。


クリックすると拡大母が作ったと思われるおそろいの服を着た写真も紹介します。右のように、この服を着て岩国の錦帯橋をバックに撮った写真もあるので、この写真も錦帯橋の近くの公園で撮ったものと思っています。右の写真の後ろは左側から祖母、母、叔父です。追伸(8/29):洋服は緑色と茶色が混ざった模様で、緑色は黄緑色に近かったようです。
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私の0~1歳の頃の写真に脱線いたしましたが誕生日会の写真に戻ります。クリックすると拡大
2019年までの母の誕生日会は右の写真の明月記遊行亭の仕出し料理を頼んでいましたが、これだとテーブルに6人しか座れないのですが、今回は10人となることから、テーブルに10人分の料理が並べられるようにイカリのグルメセレクションにいたしました。2022年の時の誕生日会も10人だったのでその時に初めて使ってみました。
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メインはお寿司にしました。本当はオードブル形式で1つの器に4人分づつ乗っているのですが、食べやすいように、それを小分けしていただきました。寿司オードブルを2つ注文して8人分けて、母の曾孫にあたる2人は別るお寿司を注文しました。
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これが曾孫たち用のお寿司です。子供達はにぎり寿司はあまり食べないと聞いていたので、選んだお寿司です。これを2つ用意いたしました。
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こちらが誕生日の雰囲気にするために頼んだ鯛の塩焼きです。鯛の上に写っているのは鶏の唐揚げで此れの2倍を頼みました。
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もちろんお赤飯も頼みました。鯛の塩焼も赤飯も最大サイズを頼みました。
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パーティーの雰囲気にしたかったので中華オードブルも頼みました。流石に昼の誕生日会では、ほとんど手つかずでしたが、夕飯で食べてみると驚くほど美味しかったです。イカリは有名な中華料理店「愛蓮 」を直営店として傘下に持っているので美味しいのです。冷えて温めなおした料理が、こんなに美味しかったのは初めてでした。これからも別のパーティーの時にこの中華オードブルは使えそうに思えました。
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雰囲気を感じてもらいたいのでテーブルの上の写真を紹介します。
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これは北海道から兵庫県に転勤になった長男家族が持ってきてくれて評判の丹波の冷酒です。試飲して美味しいのを選んできてくれました。
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食事が終わると誕生日ケーキを含めてデザートタイムです。プレートの名前や歳は消させていただいています。冒頭の小さな写真のようにローソクの火を母に消してもらった食べ始めました。
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ケーキを10人切り分けているところです。ケーキは18cm2段なので一瞬で食べてしまいました。
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すぐにお祝いでいただいた果物などを出してもらいもした。
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ここで登場したのがポアール(POIRE)のリンゴのフルーツソルベ(Fruit Sorbet)です。昔、実家の最寄駅の逆瀬川駅にポアール(POIRE)お店があって、子供達と家族で実家に行った時は必ずと言っていいほど買ってもらったものなので、その頃の話題で話が弾みました。あの頃も高級品でしたが、今は超超高級品になって簡単には手が出なくなりましたが、それを姉が母の誕生日のために取寄せてくれたのでした。逆瀬川駅からPOIREがなくなって心配していたので驚かされました。
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こちらは今回集まれなかった娘夫婦から花と一緒に送られてきたジェラードです。
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これが2段入っていました。
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左の花がジェラードと一緒に娘夫婦から送られてきた花です。右の花が姉の子供達で送ってきた花です。
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これは姉夫婦からのプレゼントです。
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左の姉と家内の共同で送った寝巻です。右の葡萄は姉夫婦からの葡萄です。
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せっかくなので母の女学校時代の写真を何枚か紹介します。通っていた女学校は山口縣立岩國高等女學校です。
母の女学校時代の錦帯橋をバックにした友達同士の記念写真です。右から2人目が女学校時代の母です。女学校には2年生の時に広島県三原から転入したそうです。父親が一時期三原に転勤していて2年生の時に岩国に戻ってきたとのことでした。3年生からは級長もしていたということなので、すぐに女学校になじんだのだと思います。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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クリックすると拡大母に関わる7枚の写真を切り替えて表示しています。その中の2枚の大人数の集合写真は女学校の構内での写真なので、今は無き女学校の建物が写った貴重な写真なのです。学校は木造瓦葺きの歴史がありそうな建物であったことが判ります。母が判るように黄色の矢印をつけています。4年生の時は梅組と桜組と楓組の3組あり、クリックすると拡大母は梅組だったそうです。右の「4年 梅組」の文字は集合写真の裏に書かれていました。
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かつて山口縣立岩國高等女學校があった川西第一街区公園のストリートビュー(SV)を紹介します。クリックすると拡大個人の井上一雄さんがGoogle地図に登録したSVです。公園の中心から撮った数枚の写真を組み合わせて360°の景色が見えるように作られています。初期画面は山口縣立岩國高等女學校と書かれた石碑がある南東方向です。水平に回転させて西方向にすると女學校の門と思われる2本の石柱が右下の写真のように確認できます。
クリックすると拡大母が写った右上の集合写真に写っている石柱と同じものかはわかりませんが似た石柱です。母の記憶によれば岩徳線に近い方(南東方向)にグランドがあり、遠い方向(北西方向)に校舎が沢山建っていたそうです。


クリックすると特別に大きく拡大出来るように写真を家に持ち帰ってスキャンいたしました。クリックすると4倍に拡大いたします。つまり面積では16倍に拡大いたします。拡大して見ると石柱の部分は石段になっていることが分かりました。金属製のフェンスも一段高いところに建てられていました。つまり現在の石柱と写真の石柱は違うことから現在の公園の入口とは違う入口の石柱のそばて写真が撮られたと思われます。写真の左上の白い部分は破れて無くなっているのです。
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4年の梅組の時の写真も家でスキャンして4倍に拡大(面積で16倍)するようにいたしました。拡大写真を見てもらうと当時の校舎がよく分かると思います。クリックすると拡大日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立した右の写真の曻地三郎(しょうち さぶろう)が岩国高等女学校の教員だったことがあり、その時に母は授業を受けたことがあるそうです。受けた科目は修身(1890年~1945年に存在)で今で言えば道徳のようなもののようです。 その後1948年に姓が山本から曻地に変わったので母は今でも山本先生と呼んでいます。右の写真をクリックすると曻地三郎が105歳の時の動画を表示します。
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2021年3月17日に周防久保に墓参りに行った時に山口縣立岩國高等女學校の跡地の川西第一街区公園に行ってみました。その時に撮った写真と動画と昔の女学校の写真などで編集して作った動画(2分42秒)も紹介します。バックで流れているBGMはIndian Walk(2分39秒)です。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。

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岩国城から撮った写真です。錦帯橋が写ったこの写真の中に母が通っていた女学校(山口懸立岩國高等女學校)とクリックすると拡大叔父さん(母の弟)が通っていた高等学校(山口懸立岩國高等學校)がありました。それは女学校跡地と岩国高等学校跡地と書いている場所です。現在の女学校跡地は川西第一街公園となり、クリックすると拡大岩国高等学校跡地は吉香公園となっています。右の2枚の写真は現在の川西第一街公園です。母たちは、家のあった岩国の町から毎日片道4km(往復8km)を歩いて通っていました。118年と173年の長い歴史のある女学校と岩国高等学校の2つの学校は統合して、いろんな変遷を経て現在は川西駅のさらに向こう側に山口県立岩国高等学校として存在しています。
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ラベル:誕生日
posted by SORI at 19:36| Comment(57) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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