
宝塚の実家近くの岩倉山反射板を紹介したので、少し古い写真ですが、近くにある行者山(ぎょうじゃやま)も紹介したいと思います。上の写真は、実家近くから撮った行者山です。写真の中央の高い山が行者山です。行者山は六甲山系の山の中の一つで東の端に位置します。行者山に登ったのは2015年12月28日でした。
写真の中央より少し右側のピークが行者山の山頂です。左側の山は行者山ハイキングコースより奥の山だと思われます。例えば樫ケ峰(457m)が候補です。
本写真は歩いたコースの最初の写真で白瀬橋(


六甲山の湿地には今でも食中植物の


歩いた全コースをGoogleマップの航空写真で紹介します。ただし実家の正確な位置が特定されないように実家の近くだけルートを少しずらしております。航空写真の中の白瀬橋(


ルートは━━







ちなみに六甲山最高峰は931.25mで、甲山は309.2mです。逆瀬川駅の標高は51mのため登リ口である西逆瀬台口までの標高差は約100mあります。
行者山の住所は 兵庫県宝塚市 小林西山 (34°47'49.1"N 135°19'21.0"E)になります。緯度と経度の情報はGoogle地図の等高線の頂点の位置から判断いたしました。北東方向には譲葉山(514m)と岩倉山(488.4m)もあります。
━━ 歩いたハイキングコース
━━ 住宅地内を歩いたコース









川沿いの太い道が途切れました。川の右側の黒い車の奥に道がありそうなのでそちらに進んでみることにいたしました。SV

こちらが車の奥の部分を拡大した写真です。

やはり細い道がありました。この辺りはワンコの散歩道になっているようでした。

進んでいくとハイキングコースの大きな案内板がありました。実は、実家を出るときから行者山に登るつもりではなく、この案内板を見るまでは甲山の方に登り、仁川駅に出るつもりでした。この案内板を見て、とりあえずは行者山東観峰に登ってみることにいたしました。


右の地図をクリックすると拡大地図を別画面で表示するので、出てきた地図を見ながら記事を見ていただくとわかりやすいと思います。
最初は、ゆずり葉散策路と名付けられた道を歩きました。

不思議なことに大きな南天の木が生えていました。南天の木は庭木だと思っていたので不思議に思ったわれです。考えてみるに人家が全くなかった学生時代にも、この辺りで南天の木を見た記憶がありました。元々は渡来した栽培種の実を鳥などが運んで野生化したものと考えられているようです。

道を歩きやすいように、石が組まれているのに驚きました。きっとボランティアの人が整備してくれたと思うのですが大変な作業だったと思います。

六甲山でよく見かけるシダが生えている小道になってきました。

登りきったところに行先を示す標識がありました。東観峰・行者山と書かれた方向に進みました。

まさに雑木林の中を進む感じでした。ところどころにイノシシなのか掘り返した後もありました。

このような大谷と書かれた石の標識が小道の真ん中に埋められていたので、後で調べるつもりで写真に納めました。ネットで調べてみると裏六甲にある蓬莱峡に抜ける道筋に大谷や大谷乗越があることから、その大谷の方向を示す道しるべのように感じました。

開けたところに出ると砂防ダムがありました。

川を渡ると、階段のように整備された小道もありました。ここの左側には砂防ダムがありました。

よく見ると、単なる板ではなく滑り止めが付けられた板が使われていました。ここにも整備に力が入っていることが伝わってきました。

最初の現在地を示す地図付き案内板です。ここからは東観峰までは概ね山の尾根伝いに登っていきます。ここは 現在地 と書かれた場所で、ゆずり葉ピークの少し西側です。つまり上の階段のように整備されていたところの反対の東側をを登りきったところが、ゆずり葉ピークだったようで、知らずに通り過ぎていました。宝塚高校と宝塚西高校の間にあります。

山の尾根なので道の両側が険しい崖のところもありました。

危険な部分には虎テープが張られている上に、きつい登りの部分にはロープが設置されていました。道の右側のロープが判るでしょうか。このロープを使って登りました。

雑木が多く枯葉で道が判りにくいところには標識も建てられていました。

石が動かないように鉄杭も打ち込まれていました。これなら安心して石を使って踏ん張れます。

急なところはロープだけではなく梯子も設置されていました。これには驚かされました。見た目よりは急阪で確かに梯子が無かったら大変だと思いました。

少し見晴らしがいいところに出たので六甲山の山頂方向(西方向)の写真を撮りました。まだ東方向の眺望は見れませんでした。

また梯子とロープが設置されていました。

甲山が見える場所に出ました。左端の丸い山が甲山です。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩からなる六甲山とは違う形成過程であると考えられています。六甲山の大部分は約1億年前に地下深くに出来た花崗岩が六甲変動(約100万年前)と呼ばれる地殻変動によって隆起した大きな山ですが、そんな中で甲山は火山だそうです。甲山は1200万年前の火山活動期には大きく広がる山体を持っていましたが、約200万年間の活動が終息した後、侵食によりわずかに火口付近の火道周囲の溶岩のみが塊状に残り現在のドーム状になったそうです。山の形から長く昭和新山のような溶岩ドーム(旧分類:トロイデ式火山)の典型と思われていましたが、研究が進み上記の生成過程があきらかになりました。

上の写真を撮った場所の写真付き案内板です。

こんな感じで写真付き案内板が立てられていました。

さらに尾根伝いに小道を進みます。

開けた場所に出ました。甲山をバックに現在地を示す地図付き案内板が立てられています。

こちらが案内板の地図です。今まで出てきた案内板は上が北でしたが、この地図は上が南です。つまり案内板の地図は立てられている方向や見る方向によって地図を変えているのです。心憎い配慮です。

宝塚南口の高層マンション群です。
宝塚歌劇の大劇場も写真の中央から少し左下に写っています。

宝塚歌劇の大劇場をズームアップいたしました。正式名「宝塚大劇場」は1992年完成で毎年100万人以上の観客を動員しているそうです。

上の2枚の写真はズームしたもので、目で見た感じの写真を紹介します。この写真はクリックすると特別に大きく表示するように設定いたしました。

少し東方向です。逆瀬川駅や実家があるあたりも写っています。

行者山東観峰に着きました。

ここには登頂記念箱が設置されていました。

このノートに記念の言葉を書くのです。

行者山東観峰に設置されていた現在地わ示す地図付き案内板です。

行者山東観峰からの宝塚駅および宝塚南口方向の眺望です。

大阪方向の眺望です。行者山は全国に沢山あるようです。少し調べただけでも兵庫県宝塚市以外に、京都府亀岡市、大阪府豊能郡能勢町、広島県大竹市、鳥取健米子市、徳島県那賀郡那賀町と高知県香美市の境界にありました。

ここには基準点が設置されていました。

2級基準点で西宮土木事務所が設置したようです。ネットで調べた標高は383mでした。361.18mmと書かれていサイトもありましたがGoogle地図の等高線から判断して383mの方が正しそうでした。

行者山東観峰からは一旦は西方向に下ってから行者山に登ります。

目の前の小高い山が行者山(415m)です。
東観峰(383m)と行者山の標高差は32mとなります。

東観峰から行者山に向かいました。

行者山の少し手前にも地図付き案内板が設置されていました。名前は行者山東展望台(400m)です。

これが地図です。現在地が判ってもらえると思います。

行者山東展望台から見た甲山です。写真に写っている池は宝塚ゴルフ倶楽部(ゴルフ場)内にある深谷貯水池です。右の方には西宮カントリー倶楽部が広がっていて、リゾートホテルのような建物は、阪急逆瀬台マンション・アヴェルデの1番館~5番館だと思います。
この建物の中に、以前に紹介した出石そばのそば義があります。

こちらにも基準点が設置されていました。

行者山東展望台から見た東観峰です。

行者山東展望台と行者山を結ぶ道です。距離はわずかです。

行者山に着きました。標高は415mです。このあたりの最高峰です。
名前 行者山(ぎょうじゃやま)
標高 415m(412mや413mの記述もあり)
住所 兵庫県宝塚市小林西山

こちらが現在地の地図です。

ただし周囲が木でおおわれているため景色が見えません。だから行者山東展望台があるのだと感じました。

場所を特定した等高線の入ったGoogle地図を紹介します。等高線は10mごとです。残念ながら2024年の時点では下のような細かい等高線は出なくなりました。クリックすると標高を書き込んだオリジナルのGoogle地図を表示します。

行者山を離れました。

下り始めました。

下っていく途中に不思議な石の配置がありました。

枯葉をどけてみると基準点でした。

こちらの基準点は兵庫県の3級基準点でした。

六甲山から降りてくる道に出ました。分岐点に例の案内板が立っています。

奥の方から降りてきました。

現在地を示している地図です。こちらは上が南です。

こちらが六甲山の方向です。

こちらが光ガ丘の方向です。こちらの方向に降りていきました。ここが支多々川の源流です。道そのものが川なのです。ここからが、前記事岩倉山反射板で紹介した光ガ丘に出るまでと同じルートです。

水は流れていませんが、湿っており苔などの胞子植物が沢山生えていました。

シダ植物も多かったです。

大雨の時は、ここを水が流れるのだと思います。

ここで川と別れました。左に川が下っていき、道は右に進みます。

道の部分です。

東観峰からの道に合流いたしました。

もうすぐ光ガ丘口です。

尾根を進んだ後に、また支多々川に出てきました。見えているのは砂防ダムです。

水が流れているのが判ると思います。

流れているところが実感してもらえるように動画を掲載いたしました。
もうすぐ住宅地です。

写した中の最後の案内板です。

そして、これが案内板の地図です。

道路が見えてきました。

住宅地に見えてきました。川は支多々川です。実家の近くまで流れていきます。

昔からの町並みを流れる支多々川です。

この先は武庫川につながっています。

実家の近くまで戻ってきました。正面が行者山で、その左が行者山東観峰です。

あらためて広い範囲の航空写真で歩いた全コースを紹介します。岩倉山反射板との位置関係も分かると思います。
━━ 歩いたハイキングコース
━━ 住宅地内を歩いたコース













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案内板が各所に立てられているのに驚きました。住宅地が近いけれども意外と迷いやすいので、整備されたのかもしれません。
行者の修験道場だったんで
しょうね、当地にも同じような
名前の山がありますよ。
六甲山はハイキングコースや縦走コースもあって
良いところですね。標識も整備されているので
迷うこともなさそうです。
私もYAMAP(スマホ)を使って、裏山のハイキングを
楽しんでます。
全国に沢山、行者山(ぎょうじゃやま)と名前のついた山はありそうです。確かに、いろんなところで山での修練が行われていたのでしょうね。
ほんと、大阪平野が見渡せる景色のいい場所でした。
結構楽しめました。
家の裏にハイキングが出来るところがあるとは羨ましいです。
すぐ近くだと宝塚大劇場の全体像は分かりませんが、山の上からだと良く見えました。
六甲山は秀吉の時代までは名無しの権兵衛・・・
彼が天下を平定してこの地を視察したとき
側近に尋ねたそうです。
”むこうの山は何と申す?”・・・
そこから”むこう・六 甲”となったやに聞いています。
ちなみに 武庫川は”むこうの川”だそうですが・・・
お怪我もなく無事踏破されたようでお疲れさまでした。
六甲山の語源をありがとうございます。この地帯は古くから「むこ」と呼ばれていて、畿内から見て「むこう」を意味するという説が有力とありました。さすがです。「むこ」には武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられいて、「六甲」の字が当てられてのは元禄時代の「摂陽群談」が初期だそうです。享保年間の「摂津志」には「武庫山一名六甲山」とい記述もあるそうです。
六甲山山頂まで登るのはたいへんですが、行者山は比較的気楽に登れる山でしたが、梯子やロープを使って登るので楽しいコースでもありました。
ロープや梯子が無かったら、登るのは大変だと思いました。頂上からの景色がいいので整備したのかもしれません。
上に登って景色を見たい一心で登りました。案内板が無かったら知らない道なので登らなかったかもしれません。
合鎚稲荷社跡にコメントを有難うございました。
相模湾が見える素晴らしいロケーションに有った、
合鎚稲荷社ですが、今は遷座され葛原岡神社境内
(本殿の近く)に祀られています。
鎌倉時代の名刀工が、祀られていたとはすごいです。現代の人が名刀工の正宗のように700年以上経って同じように知られていることがあるのだろうかと感じてしまいます。
週末に神戸に旅行に行きますが、さすがにこれは登れない(笑)
こちらにも大山(おおやま)があり、季節ごとに賑わっています。
特に大山どうふは美味しくて人気があります。
江戸時代から大山もうでで信仰を集めた山だとか!
神戸に旅行に来られるのですね。神戸は育った場所なので、嬉しいです。楽しんでください。
六甲山、身近な山ですが、登るのはけっこう大変そうですね。
弟が六甲山に何度か登りに行って、まいごになりそうになり、
水の流れに沿って下山して助かったという話をしてました。
山は低い山でも、怖いですね。
その後、弟は東京の大学の登山部に入って、色々な山を登っていました。登山のルートを開発?したらしくて、「山と渓谷」という雑誌に載ったことがあります。
大山の近くにお住まいでしたね。以前に紹介したように2024年5月9日に比々多神社でお宮参りを済ませた後に大山の参道にある「とうふ処小川家」で食事会をしました。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2024-05-24
確かに道には迷いやすいです。やはり迷った時には谷沿いに下りますが、かなり険しいところや砂防ダムがあるので、弟さんも大変だったと思います。
私は高校時代は生物部に入っていて、六甲山の横池のプランクトンの数の変化を調べるために毎月、横池まで登っていました。時間がもったいないので走って登っていたおかげで、足が鍛えられたように感じました。学生時代に自転車のクラブに入っていたので、自主トレーニングのために六甲山に自転車で上っていました。今は見かけませんが、その頃は競輪の選手もトレーニングで六甲山に上っているのをよく見かけました。
木製の様に崩れたり壊れたりしなそうで安心して歩けそうですね。
階段は、経験が豊富な人が計画したと言うことですね。さすが目をつけるところが違いますね。
爺も山好きで大分行きましたが、もうヨボ付いて行けません。
お父様は六甲山と縁が深かったのですね。私は小学校4年の時に広島から六甲山の麓の家(神戸市東灘区)に引っ越してからの縁です。
住宅地に近いけれど、自然のサイクルが営んでいる場所でした。
みんなに愛されているからこそ、整備が続けられているのかもしれません。確かに石が隠れてしまったら躓きそうですね。