
広島駅から歩いて5分ほどのところに住んでいる従妹と山口県の墓参りに行き、広島で昼食に広島のお好み焼きを食べた後に従妹夫婦に広島市内を案内してもらいました。案内してもらったのは原爆ドームを含めた平和公園と縮景園でした。原爆ドームから原爆死没者慰霊碑あたりまでは、記事「原爆ドーム」で紹介させていただいたので本記事では広島平和記念資料館を紹介したいと思います。沢山の人が見学されていながら、会話している人もほとんどおられないほど、静かな雰囲気のため、私も限られたところしか写真が撮れない気分だったので、紹介も限られたものになっております。そんな中でこれだけは紹介したいと撮った動画が、原爆投下の瞬間をプロジェクションマッピング映像で表現したものでした。是非ともプレーボタン( ► )クリックしてみてください。最後まで行くと頭から永遠に繰り返すように設定しています。

紫色に着色した建物が広島平和記念資料館です。緑の線の最も北に原爆ドームがある配置です。一直線上の途中に右の写真の原爆死没者慰霊碑があることは有名です。
写真中央の中2階の建物が広島平和資料館で、見えているのは一部です。写真の左側に資料館東館があり、そこに目玉展示の「ホワイトパノラマ」があります。そこに資料館の入口があるのでとりあえず行ってみました。とりあえず行くと書いたのは予約がないと入れないのではないかと思っていたためでした。入口で確認すると予約なしで見れることが分かって、見学することが出来ました。

最初は壁いっぱいの原爆投下前の広島の景観でした。一番左端の立派な建物が、現在は原爆ドームと呼ばれている右の写真の広島県産業奨励館です。




さらに進むと、上の場所とは位置が違いますが、同じように沢山の建物があり沢山の人が生活していたのだと感じてしまいます。

展示室は暗くフラッシュは使えないので、写真は手振れしてしまっていますが、雰囲気を感じていただきたいので掲載しました。みなさんゆっくり見られているので行列になっていますが、順番ではないので早く進んでもいいと、係員の方から説明されました。入口まで行列になっていて、入るのに待たされるほどだったのです。

亡くなった人たちの衣服も何かを訴えているようでした。

貴重な資料も沢山展示されていました。外人の方も含めて、皆さん静かに見学されているので、雰囲気的に沢山の写真は撮れませんでした。

沢山の人が無言で見学されていました。

原爆投下前の広島の中島地区の航空写真です。

上の写真と同じ中島地区の原爆投下後の航空写真です。右方向が南で、現在のこの場所は平和公園です。平和記念資料館は右端に縦に通っている道路の左側に建っていて、原爆死没者慰霊碑が写真の真中あたりに建てられました。


上の2枚の航空写真は真上からではなく西北西方向から撮ったものなので、現在のGoogleマップの真上からの航空写真を回転して縦横比を調整しました。こうすると同じ場所だと分かっていただけると思います。紫色に着色した建物が平和記念資料館です。
右の小さな航空写真は縦横比は1:1、つまり縦方向を圧縮していない真上から航空写真です。画面をクリックするとGoogleマップのオリジナルを表示します。

戦争や原爆開発などの展示もありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたします。

原爆によって廃墟となった広島の写真とともに、同じく原爆によって廃墟となった長崎の写真も展示されていました。




長崎の原爆で廃墟になった写真も正面から紹介します。こちらもクリックすると特別に拡大するので悲惨な破壊がより感じていただけると思います。


冒頭で紹介したプロジェクションマッピング映像の動画をあらためて紹介します。本投影はこれまでの実績や経験を活かして2022年2月21日から稼働開始した新しい投影システムだそうです。資料館入口のあった広島平和記念資料館東館にありました。
上の動画のプロジェクションマッピング映像での原爆投下前と投下後を8秒ごとに表示させています。黄色の矢印(↓)が原爆ドームの位置です。明るい画面が原爆投下前で、暗い画面が原爆投下後の映像です。
原爆投下後の市内の様子の映像(Wikipedia)→動画

CRTモニターで世界の核弾頭数の表示がありました。左下に2023と書かれているので、2023年の時点だと思います。気になっていた北朝鮮は30の核弾頭を保有していると表示されていました。

広島平和記念資料館の2階から原爆ドーム方向を撮った写真です。原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑などが一直線に並んでいます。

30回も行かれているとは驚きました。隅々までご存じなのでしょうね。
若いころ、平和行進で歩きました。
為にも重要な施設ですね
核の使用は絶対NOですね
旧の資料館の時も見たんですよ。
https://edwardsrailcar.com/
訪れたことが有ります、許されないことと
感じました。
平和行進にも参加されたとはすばらしいです。
外国人の方も含めて沢山の方が来られているのに感激しました。私は小学生低学年の時に行った記憶があります。今とは違った内容だったことだけわかりました。
ほんと大切な施設です。常識的には核を使うことはないとは思いますが、長い歴史の中ではどのような指導者が登場するかもしれません。それが怖いです。
新旧の資料館を見られたのですね。このような資料館が残されることは大切だと思います。
訪問ありがとうございます。
今までにベトナムには27回訪問し、韓国には21回訪問しました。どちらもいいところでした。
訪問されたことがあるのですね。大切な施設だと思います。
の内容を少し知っていましたので、どうしても入れませんでした。
こんなの落としたアメリカ合衆国・・・
こんなの落とされるまで戦争止めなかった大日本帝国。
同じようなことがイスラエル、ロシアがやってます!
私も、小学低学年に行った時の資料館の内容は、もっと生々しかったと記憶しています。いろいろと考えたて内容が変わったようです。
強力な核兵器を持ってしまった人類は、指導者次第で破滅の道に進んでしまう危険を抱えてしまいました。
その危険からいつになったら解放されるのでしょう。
戦争に関わるような仕事をしている人には
是非見て貰いたいですよね。
なかなか戦争が終わらない世界に平和な姿を ・・・
もう戦いは終わりにして欲しい。
願いです。
悲惨さが伝わってきますね。
聞くのと見るのではやっぱり違うと思います。外国人も含めて沢山の人が見学しているのに、館内は驚くほど静かなのにも驚かされると思います。
いつの日か人類から戦争の文字が無くなることを願っています。太陽系の変化で人類が絶滅するか、自らの手で絶滅させてしまうのか、10億年後には地球の大気の酸素が1%に減ってしまうそうです。
長崎には高校と就職前に2度行きました。今、考えると長崎にも原爆資料館に行ってみればよかったです。
訪れた世界のリーダー達、、、声は無く今何処ですね。
武器で武力で平和はつくれません。
悲惨な犠牲や平和記念資料館は、まだまだ先は長いけれども、いつかは訪れる安心して暮らせる平和な世界のために貢献していると信じています。
必ず訪れないといけない場所だと思っています。
戦争は、こちらが嫌でも聞き耳持たない相手のある話、戦争反対の声を上げても、上げた声では守れないよ。
シェルターの無い日本、全滅かもよ!
私も修学旅行で長崎に行きました。
広島は小学4年まで住んでいた場所懐かしい場所です。その時の遠足で資料館を訪れて以来でした。
現在は核兵器の破壊力は大きいし、核兵器の輸送手段も進歩しているので想像できないほど被害でしょうね。
我々の常識では理解できないような危険を感じる独裁的なリーダーは多いですね。確かに今の核の破壊力なら全滅ですね。
広島は不思議と惹かれる路面電車が印象的です。私が小さい時の記憶にもしっかりと残っています。
夏の暑いころですね。
8月6日も暑い日だったのでしょうね。
行った人は多いでしょうね。行く度資料館は変わってました。
でも、一度は訪れなければいけない場所ですね。
戦争の悲惨さ、原爆のむごさ
何度訴えても訴えきれないですね。
決して忘れてはいけないことだと思います。
加茂荘花鳥園 あじさいに、コメントを
有難うございました。
あじさいツアー参加出来ず残念でしたね、
写真を楽しんで頂き有難うございました。
新旧の資料館を見られたのですね。ほんと、沢山の人が来られていました。
普段の生活で忘れがちな大切なことを思い出させてくれます。
外国人も含めて沢山の人が来られているのに驚かされのした。そして皆さんが静かに時間をかけてみておられるのにも驚きました。
今年も紫陽花の季節になってきましたね。あじさい園には一度は行ってみたいものです。