

3つ前の記事「兵庫大佛(兵庫大仏) 能福寺 第85回ハイク参加」で紹介した兵庫大佛の次の目的地は上の写真の石造十三重塔の清盛塚でした。
この清盛塚は、平清盛が亡くなって105年後の弘安9年(1286年)に建立された平清盛(1118年2月17日~1181年3月27日)の供養塔だそうです。鎌倉幕府9代執権の北条貞時(1271年~1311年)によって建立されたと言われているそうです。在職期間(1284年~1301年)から見て、執権となって2年目(14歳or15歳)に建立したことになります。鎌倉から遠く離れた場所ですが、平家に対するあつかい見かねたのかもしれません。
2つの航空写真の青色ライン(━━)が今回の第85回ハイクの散策ルートです。
右側の航空写真が第85回ハイクの全ルート(❶→❷→❸→❹→❺→❻→❼)で、

❶ 中央市場前駅(10:50集合)

❸ 清盛塚(昼食)
❹ 兵庫津ミュージアム
❺ 初代県庁館
❻ 淡路屋(駄菓子)
❼ 和田岬駅(15:16)
こちらが兵庫大佛があった能福寺を出発したところの写真です。写真の左隅の黄色のラインで囲ったところが能福寺の出入口です。



反対車線側の街路樹も同じでした。街路樹の種類はイヌマキです。神戸市兵庫区三河口町~御崎本町にかけて続く古湊線に植えられて玉造仕立ての樹形だそうです。イヌマキの分類を紹介します。
界 植物界 Plantae
裸子植物 gymnosperms
綱 マツ綱 Coniferopsida
目 ナンヨウスギ目 Araucariales
科 マキ科 Podocarpaceae
属 マキ属 Podocarpus
種 イヌマキ(犬槇) Podocarpus macrophyllus

車道(横断歩道)からのこのアングルの写真を撮っていなかったので、ストリートビュー(SV)で和風の街路樹を紹介させていただきました。
兵庫大佛(能福寺)の入口の近くでは写真を撮っていたので写真で紹介します。

兵庫大佛があった能福寺から清盛塚がある兵庫住吉神社の前までの歩いている風景を紹介します。












左側が兵庫住吉神社です。少し先に入口があります。

こちらが冒頭の写真の清盛塚の入口です。

中に入って入口の方を振り返ったところです。入口の石の門柱には昭和四年十二月建立と書かれています。その下には寄進された思われる三人の名前が書かれています。その左側にある大きな石碑は神戸市役所が大正十二年十月に建てた、清盛塚十三重塔の移設に関する説明碑でした。

さらに清盛塚のある高さのところまで上がったところです。

これが石造十三重塔の清盛塚を正面から撮った写真です。冒頭の清盛塚の写真は、この写真から切り取りました。

清盛塚の横には詳しい説明板がありました。クリックすると読める大きさに拡大します。内容を枠内に転記する形で紹介します。今から737年前の1286年に清盛塚として造立された高さ8.5mの石造十三重の塔だそうです。
県指定文化財 清盛塚石造十三重塔
指定年月日 昭和35年5月12日
所有者・管理者 神戸市
この石塔は古くから清盛塚と呼ばれ、北条貞時の建立とも伝えられててます。当初は現在地より南西11mにあり、平清盛の墳墓とも言われていましたが、大正時代の道路拡張に伴う移設の際の調査で、墳墓でないことが確認され、現在地に移設されました。
石塔は、高さが8.5m、初層は一辺145cm、最上層は一辺88cmを測り、基礎部台石東面の両脇に「弘安九」「二月日」の銘があり、弘安九年(1286年)に造立されたことがわかります。
石塔の隣には、神戸出身の彫刻家である柳原義達の作になる平清盛像が建てられています。今なお清盛塚は、地域の人々によって敬われ、大切に守られています。
平成23年12月神戸市教育委員会 岡方協議会

拡大した清盛塚石造十三重塔を紹介します。上の説明板にあるように高さは8.5mで見上げると高かったです。琵琶塚が写っています。クリックすると面積で16倍に拡大いたします。



「能福寺 平相国廟」以外で、平清盛の墓所とされているのは 「切戸 清盛塚 石造十三重塔(今回の記事の清盛塚)」、「六波羅蜜寺 平清盛塚」、「祇王寺 平清盛の供養塔」、「彦島の清盛塚」です。平清盛は平家が大敗した一ノ谷の戦い(1184年3月20日)の3年前に鴨川東岸にある盛国の屋敷で病死(1181年3月27日)しました。

平清盛像と琵琶塚が見える角度です。

平清盛像と琵琶塚を拡大しました。琵琶塚は平清盛の甥になる平経正の塚と言われているそうです。平経正は平家一門の中でも俊才として知られ、歌人として活躍したそうです。さらに平安貴族が愛用した楽器の琵琶の名手としても知られていたそうです。


六波羅蜜寺の鎌倉時代・13世紀に造られた平清盛像の顔を比べるために美術展ナビから右に六波羅蜜寺の平清盛像の顔を転用させていただきました。

琵琶塚の単独の写真も掲載いたします。碑の裏には「明治三十五年十一月建之 参議正三位備中権守平朝臣経盛卿嫡子但馬守平経正卿 寿永三年二月戦死」と書かれていることから、今から121年前の1902年(明治35年)に建立されことになります。清盛塚と同様に大正時代に傍の道路拡張工事に伴い今の場所に移設されたそうです。元あった場所は前方後円式の古墳で、その古墳が無くなってしまったことから、平経正の墓所は琵琶塚と言うことになるようです。Wikipediaでも平経正の墓所は「兵庫県神戸市兵庫区切戸町1-3 琵琶塚」と書かれています。平経正は源平合戦での一ノ谷の戦いにおいて、河越重房の手勢に討ち取られて寿永3年2月7日(1184年3月20日)に戦死しました。戦死場所は不明ですが生田の森を守っていたので、ここに比較的近い場所だと想像されます。

こちらが清盛塚のある兵庫住吉神社の拝殿です。

その拝殿の横で昼食を食べさせていただきました。日本酒とコニャックをみんなで飲みながら持ってきたお弁当を食べました。写真の左端に朱色が写っていますが、兵庫住吉神社の敷地内にある橋本稲荷大明神の柵です。



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手入れが大変そう、さすが神戸市はお金持ち?
やはり、手入れ費用のことが気になりましたか。私も最初に思い浮かんだのはそのことでした。それだけに値打ちがあります。
大勢で楽しそう~
神戸に長く住んでいたことがあるのに、初めて清盛塚のことを知りました。私もいい経験となりました。
入社した時の人達と今でも会ってハイクが出来るのは幸運なことだと思います。皆様の配慮のおかげです。
平清盛像は一瞬二宮金次郎かと思いました。
皆さんと回りを眺めながらのハイキングは楽しめますね。
確かに平清盛は座った姿のイメージが強いです。話しながら歩くのはいいですね。
毎回来られている方も多いです。このメンバーの忘年会は12月22日に三宮の燦(SUN)で行われます。私は残念ながら関東の自宅なので参加できないのです。
神戸市兵庫区に平清盛のお墓がある上に、このように立派な供養塔があるとは知りませんでした。
ほんと珍しい街路樹です。ほんと存在感があります。
土地柄、歴史の勉強になりました。兵庫津ミュージアムや初代県庁館では、さらに勉強になりました。む
私も育ったのが神戸や神戸周辺ですが、知らないことばかりでした。
洲本(今は無き思い出の宿)に、コメントを
頂き有難うございました。
四国に遊びに行く時に、立ち寄るのに便利なところにあり
客が少ないと、大きなお風呂を家族風呂として使わせて
くれる宿でした。料理も魚が中心で好きな宿だったので
残念です。
立派な清盛塚です、人気の武将は違いますね(^^)v。
一時は平家の物はことごとく壊されたようですが、それを見かねた人も多いのだと思います。