

今までに何度か紹介したように新入社員で配属になったのが神戸事業所でそこの仕事仲間の人達の多くとは組織ごと東京に転勤になりました。その後、転勤や退職で神戸に帰った人たちが下記のようにハイキングなどを定期的に行っておられます。第85回ハイクで参加させていただいたのが兵庫大佛/清盛塚/兵庫津ミュージアムなどの散策でした。
上の写真はハイキングの中で最初に訪問した能福寺の兵庫大佛(兵庫大仏)です。蓮台(3m)と台座(4m)を含めた地上からの高さは18mだそうです。
☆ 2018年12月26日(水) 冬の忘年会

第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
☆ 2019年07月16日(火) 夏の親睦会

第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
☆ 2019年12月25日(水) 冬の忘年会

第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
☆第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
※第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
※第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
☆第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
☆第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
☆ 2023年07月21日(金) 夏の親睦会

☆第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
第86回 2023年11月14日(火) 有馬温泉(瑞宝寺公園 路地裏散策 金の湯)散策
2023年12月22日(金) 冬の忘年会

予第87回 2024年02月20日(火) 須磨離宮公園での観梅
予第88回 2024年03月29日(金) 明石公園での花見
予第89回 2024年05月10日(金) 五月山公園の新緑散策&ラーメンミュージアム
☆:参加 ※:新型コロナを配慮して場所を選択 予:予定
ハイキングは下記のように❶→❼に歩きました。

❶ 中央市場前駅(10:50集合)
❷ 兵庫大仏
❸ 清盛塚(昼食)
❹ 兵庫津ミュージアム
❺ 初代兵庫県庁館
❻ 淡路屋(駄菓子)
❼ 和田岬駅(15:16)
実家の最寄駅の阪急の逆瀬川駅を上のルート画面より10分早く乗りました。

こちらが神戸市地下鉄・海岸線の車内です。始発駅の三宮・花時計前で乗車してすぐに乘って人が入って来る前に撮りました。神戸市出最初に出来た神戸市地下鉄である西神・山手線は結婚してすぐに買った家から通勤で使っていたので長く利用していましたが、海岸線は東京に転勤してから出来たので、神戸市地下鉄・海岸線は初めて乘りました。神戸市営地下鉄の路線開業の時期も紹介します。
西神線 1977年3月13日開業 名谷~新長田 5.7km
西神・山手線 1987年3月18日全通 西神中央~新神戸 22.7km
北神急行電鉄 1988年4月02日開業 新神戸~谷上 7.5km
北神線 2020年6月01日譲渡 新神戸~谷上 7.5km
海岸線 2001年7月07日開業 三宮・花時計前~新長田 7.9km

こちらが集合場所である神戸市地下鉄・海岸線の中央市場前駅の改札口です。

改札口のところにはこの辺りをイメージした壁画がありました。

大輪田泊(おおわだのとまり)や兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた兵庫港は古く平安時代から日宋貿易など大陸との交易の拠点として栄えたそうです。今の神戸港の原点のような場所のようです。1868年(慶応4年)に初代県庁のあった場所でもあります。ちなみに初代県知事は伊藤博文出した。

改札口のそばで待ち合せました。

先ずは兵庫大佛(兵庫大仏)のある能福寺を目指しました。写真は明治になって作られた兵庫運河です。兵庫運河は5つの運河(兵庫運河・兵庫運河支線・新川運河・苅藻島運河・新湊川運河)で構成され総面積は34haとなる日本最大級の運河だそうです。貿易の拠点であったことが伺える場所でもあります。SV
ちなみに日本一長い運河は宮城県の仙台湾沿いにある約49km(仙台新港築造後は約44km)の貞山運河群(貞山運河+東名運河3.6km+北上運河12.8km)です。

こちらが兵庫運河全体です。上の写真は入江橋を渡るときに新川運河の北東方向を撮った写真です。

兵庫運河の5つの区分を色分けしてGoogle地図に掲載しました。

長さ(km) 面積(㎡)
新川運河 1.53 57,700
兵庫運河 1.66 114,500
兵庫運河支線 0.76 5,700
苅藻島運河 2.20 150,000
新湊川運河 0.32 9,400
合計 6.47 337,300
中央市場前駅から兵庫大佛(能福寺)までの雰囲気を小さな写真で紹介します。






兵庫大佛(能福寺)の入口が左端に見えます。我々以外にも訪れている人が写っています。兵庫大佛を見た後に別の場所に向かっているのだと思います。

こちらは能福寺の入口です。

能福寺の入口の正面に大仏が見えました。

能福寺の入口から見た兵庫大佛です。本殿は右奥にあります。

左側には手前から滝善三郎供養碑、鐘楼堂、平清盛廟(平相国廟)、常勝稲荷大明神がありました。

こちらが滝善三郎供養碑です。神戸事件の責任者として1868年2月9日切腹した滝善三郎(滝善三郎正信)の供養塔です。

神戸事件(1868年2月4日)の説明板が能福寺の門の前に建てられていました。西宮警護を命令された備前藩兵が西国街道を大砲を運んでいる時に三宮神社前で行列の前を横切ろうとしたフランス水兵を槍で負傷させたことで、外国兵に神戸の町が一時占拠されるほどの事態に発展し、滝善三郎が全責任を負って永福寺で外国人代表者の立会いの下で切腹することで決着した事件でした。外国人に切腹を深く印象付けることになった事件でもあったようです。

上の説明板の中の切腹の場面を拡大いたしました。

1945年3月17日の神戸大空襲で唯一残った鐘楼堂でしたが、1995年の阪神・淡路大震災で倒壊しましたが、2018年秋に再建されたそうです。

十三重石塔形式の平清盛供養塔である平清盛廟(平相国廟)です。平安末期(養和元年1181年)の平清盛の薨去によって能福寺寺領内に墓処として平相国廟が造立されたといわれていますが、しかし、平家滅亡と同時にことごとく破壊され、能福寺は灰燼に帰したそうです。以後、廟は再建されることなく、その存在を忘れ去られていたが、百余年後の弘安9年(1286年)に平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ時の執権北条貞時公が、その近くに石塔を建て清盛公の霊を弔ったと伝わっているそうです。



真中が平清盛廟(平相国廟)で左の九重塔が忠快法印塔(鎌倉時代)で、右の小さな石塔が圓實法眼宝篋印塔(鎌倉時代)です。

2016年12月に再建された當勝稲荷堂(常勝稲荷大明神)です。

それでは兵庫大佛を紹介いたします。


兵庫大佛を下から見上げた写真です。上に登ってみることにしました。兵庫大佛は1891年(明治24年)5月に豪商・南条荘兵衛の寄進により建立されそうです。その思いは明治維新で広まる異国文化や廃仏毀釈・神仏分離などで衰退した寺院と仏教への危機感だったようです。


こちらが上で撮った兵庫大佛です。兵庫大佛は毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含める高さ18mだそうです。ちなみに奈良大仏の像高は約14.7mで、鎌倉大仏の像高は約11.39mだそうです。
Wikipediaによれば日本三大大仏は下記のように変わったそうです。戦後以降の日本三大大仏の三番目の大仏は固定化された説はないそうです。座高を比べてみると高岡大仏7.43m、岐阜大仏13.63m(乾漆仏)、兵庫大仏11m、鹿野大仏12m、東京大仏8.2mとなります。
江戸時代 奈良の大仏 鎌倉大仏 京の大仏(方広寺)
戦前 奈良の大仏 鎌倉大仏 兵庫大仏(能福寺)
戦後以降 奈良の大仏 鎌倉大仏 高岡大仏 or 岐阜大仏 or 兵庫大仏など

みんなで記念写真を撮りました。今回のハイキングでは街中でもあり全員で撮ったのはこの1枚でした。私は座っている3人の一番右です。

兵庫大佛の説明板を掲載します。文字は薄くなってきていますが、クリックすると大きく拡大するので何とか読むことが出来ると思います。

成就したい願い後に関する説明板があったので掲載いたします。

日本三大佛に関する説明板を紹介します。

大仏の場所から入口方向を撮った写真です。

兵庫大仏の場所から見た月輪影殿(本堂)です。
太平洋戦争中の1945年3月17日の神戸大空襲で能福寺は鐘楼堂を残して本堂も含めて全焼したそうです。京都東山の泉涌寺寺域の墓陵(月輪御陵)にあったものを1954年(昭和29年)に宮内省と九条家により移築されたそうです。1995年1月17日の阪神・淡路大震災で被災するが、1997年12月に復興したそうです。

地上に降りて撮った月輪影殿(本堂)です。

月輪影殿(本堂)を正面から撮った写真です。木が多くて正面からは全体が撮れませんでしたが雰囲気は中っていただけると思います。

月輪影殿(本堂)を正面に建てられた柱には維時平成三十年十一月二十三日導師大僧都雄善敬白と書かれています。

月輪影殿(本堂)の右奥には本坊と書かれた建物がありました。庫裏とも書かれていて寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える台所も兼ねる場合のようですが、その多くは僧侶の居住する場所をいうことが多いそうです。

「一葉舟中載大唐」と書かれた碑がありました。左側には「天台座主探題大僧?恵進」と書かれていて、台座には「當山創建一千二百年記念 天台座主恵進大僧正しご染筆」と書かれています。

右の石碑がジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の英文碑です。ジョセフ・ヒコは本名が浜田彦蔵で、知人の船・栄力丸に乘って江戸に向かう航海中に紀伊半島の大王岬沖で難破し2ヶ月太平洋を漂流した後、1852年1月12日に南鳥島付近でアメリカの商船・オークランド号に発見され救助されアメリカに渡り、のちに幕末に活躍した通訳や貿易商として活躍した人物です。

ジョセフ・ヒコの英文碑の左側には北風正造君碑がありました。写真の左端に写っている円筒滋養の碑です。この碑の文字は伊藤博文公揮毫で明治29年に兵庫県知事周布公平が建立したそうです。
北風正造は幕末・明治の豪商で姫路城(白鷺城)を戦乱の犠牲から救った人物だそうです。姫路藩が官軍の攻撃を受けて姫路城の城下町が戦場になろうとした時、北風正造が仲裁に入り、軍需金15万両(300億円相当)と引き替えに紛争を解決させ姫路城を救ったそうです。明治元年には戊辰戦争で有栖川宮が東征総督として征途につかれた際、駿馬と三千両を官軍に献上したことも有名なようです。明治元年3月、兵庫裁判所御用掛、商法司判事、権大属等を歴任し、同7年兵庫新川の開発事業に関係し、米商会所、第七十三国立銀行、神戸船橋会社等を創立し、実業界にも貢献した兵庫きっての豪商で、神戸発展の功労者と言われている人物だそうです。

小さな社殿のようでもあり灯篭の用でもあるものが建っていました。

能福寺が由緒あるで、京都五箇室門跡の一つで、粟田の青蓮院門跡の院家であったそうです。院家とは、幼少であることが多い門跡(住持となる皇族)に、礼儀作法や学問などを教授する師範役だそうです。能福寺は、院家職が明治維新に皇室典範の制定により廃止になるまで、江戸初期以来二百数十年にわたって要職を務めた京都以西ではただ一つの寺だそうです。


延暦23年(804年)に桓武天皇の勅命を受けて唐に留学した傅教大師最澄上人が、帰途に大輪田泊(現・兵庫港)に上陸したそうです。この地に堂宇を建立して佛教の教えを請うたところ、自作の像を御堂に安置し、国に安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称されたとのことだそうです。これが能福寺の創建年である延暦24年(805年)6月であり、傅教大師の我が国最初の教化霊場であるとのことだそうです。

能福寺の手水舎(てみずやorちょうずや)です。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれています。

入口近くで古い墓石の頭のような石が置かれていました。左端の板に「平家源氏将兵戦没者五輪供養塔 境内出土 鎌倉時代」と書かれていました。

今までに参加したハイキングの場所の地図も掲載しておきます。紫色マーク(

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体内に入れますが、冷房設備がないので
見学は、今年は危険なので中止になっていました。
大分、歩きましたね!
鎌倉の大仏の内部は夏は危険なほどに熱くなるとは知りませんでした。鎌倉は一度だけ行きました。鎌倉の大仏は沢山の方が知っていると思いますが、兵庫大佛を知っている方は少ないでしようね。結構歩いている人が多いのに驚きました。
南無阿弥陀仏
一度、見てみたいですね。
神戸に住んでいたのに、私も見るのは初めてでした。いい経験になりました。
私もハイキングの案内が届いてみるのを楽しみにしていました。明治のの豪商・南条荘兵衛の寄進により建立されたのにも驚きました。
今朝の当地は2度、でも外の水は氷っています。
ストーブガンガン炊いてます。
神戸には素晴らしい大仏があるんですね。
外人の前で切腹させられた人は無念だったでしょうね。
水が凍るまで寒いとは驚きました。こちらも窓の外を計る外気温計が5℃を表示していました。一気に寒くなりましたね。
切腹は外国人にとってインパクトがあったのだと思います。滝善三郎の切腹のおかげで、ことは収まったと言えるのだと思います。
いろいろな所に有ります。近くの大仏をハイキング
するのは良いですね(^^)v
当然ですね。茨城県牛久大仏も有名です、こちら立像ですが、
高岡にも大仏がいますね。
1891年に作られた大仏が残っていたら、もっと有名だったでしょうね。私も神戸市民であったこともあるのに初めて知りました。
私も立派な大仏だったので驚きました。
急に寒くなりましたね。
紹介出来て良かったです。今でも立派な大仏で椅子が、高い建物が周りになかった初代大仏の頃は、もっと素晴らしく見えたことでしよう。
像高が11mと、鎌倉の大仏の11.39mと大きさもほぼ同じですね。牛久大仏は車の中からですが見たことがあります。高岡の大仏はまだ見ていないです。
仕事仲間の皆さんと交流が続いているのは素晴らしいですね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
ほんと、最初に出会った仕事仲間の方たちと今でもあって話が出来るのは幸せだと思います。それも皆さん一旦は関西から関東に転勤になったので、奇跡的なことなのかもしれません。
みなさん、マメに集まれて羨ましいです。
私も神戸にこのように立派な大仏があるとは知りませんでした。
ハイキングは幹事の方のおかげです。みんなに会えるのは素晴らしいですね。
元職場仲間とハイキングとは羨ましい
ですよ。
能福寺は由緒あるお寺で、大仏も思っていたよりも大きいのに驚きました。やっぱり新入社員の時からお付き合いさせていただいた人たちと会えるのは特別です。
世話役されている方のおかげでいろんなところに行かせていただきました。今回の場所はまさに身近なところのはずなのに知らない場所でした。
初代県知事が伊藤博文とは知りませんでした。
ありがとうございます。兵庫城があったことや初代兵庫県知事や兵庫運河や初代県庁の場所などなど、私も今回のハイキングでは初めて知ることが多かったです。
アクションカメラ第二弾の南郷上ノ山公園にコメントを
有難うございました。
運動公園の中にある銀杏並木で、大きな銀杏の木は
有りませんが、近くでは一番の銀杏並木です。
沢山のイチョウの木の並木道は見ごたえがあったことでしょう。私の家の近くの公園にもイチョウの木が植えられていて秋を感じさせてくれます。
出石の街並みにコメントを有難うございました。
最近、行かれたんですね、古い街には作り酒屋があり
試飲も楽しまれて来たようですね(^^)v
記事になるのを楽しみにしています。
出石は久しぶりだったので懐かしかったです。神戸のハイキングの記事をもうすくし掲載するので出石の記事は先になりそうなので下に写真だけ掲載させていただきます。出石そばの写真です。
https://blog-imgs-166.fc2.com/s/u/s/susuwatarikurosuke/IMG_7311-954-23.jpg