
アリゾナ記念館 USS Arizona Memorial
戦艦ミズーリ記念館 Battleship Missouri Memorial
ボーフィン潜水艦博物館 USS Bowfin Submarine Museum
戦争への道の資料館 Road to War Museum 例1 例2
攻撃時の資料館 Attack Museum
パールハーバー航空博物館 Pearl Harbor Aviation Museum
先ずはドール・プランテーションを出発するところから紹介します。この写真はドール・プランテーション出入口の写真です。ここを左に曲がってホノルル方向に行きました。この時、15時10分でした。

まだ15時16分ですが、夕方のラッシュアワーが近づいている感じがしました。

高速道路に入るとホノルルから離れる方の道がすでに混み始めていました。この時15時29分でした。

ホノルルに近づくと反対車線は、すでに渋滞となっていました。この時15時31分でした。

反対車線がよく見える場所の写真です。右側がホノルルの中心に向かう車線で、左側がホノルルから帰る(離れる)車線です。
30年前(1992年)のアメリカのケンタッキーでも会社勤め人が早い時間に帰るのに驚かされました。聞くと、遅くまで明るいので早く来て早く帰って、それからレジャーを楽しむのだと言われました。こんなとこからもアメリカの余裕の底力を感じたことを思い出しました。この時15時32分でした。

Pearl Harbor National Museum(アリゾナ記念館/Arizona Memorial)の入口です。ここへの入場は無料でした。

ドール・プランテーション(Dole Plantation)から、ここまでのルートです。
Pearl Harbor National Museumの入口から見た駐車場方向です。

戦艦アリゾナの錨(USS Arizona Anchor)です。

右側には下記のように書かれていました。
Rememember Uederstand Honor
Dedicated to thode who made the ultimate sacrifice
December 7, 1941
We will never forget
Dedicated to thode who made the ultimate sacrifice
December 7, 1941
We will never forget

同じ場所に水兵の銅像が建てられていました。Lone Sailor像(Statue)ですべての水兵のオマージュのようです。水兵のモニュメントの背景に古い潜水艦が写っていました。

こちらが潜水艦の写真です。冒頭で紹介したボーフィン潜水艦(USS Bowfin Submarine)です。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。

冒頭の写真です。戦艦アリゾナのアンカーの場所から正面に見える景色です。

白い建造物は戦艦アリゾナのメモリアル(USS Arizona Memorial)で、この下に戦艦アリゾナが沈んでいます。

資料館にあった、水没したアリゾナの上に建てられたメモリアルの模型です。

Googleマップの航空写真でも、うっすらと船影が写っています。


1944年1月29日に進水した戦艦で、太平洋戦争の降伏文書の調印式が行われたことは有名です。
右のCG画像の2012年のSF映画のバトルシップの中で活躍した戦艦でもあります。

戦艦ミズーリを真上から撮った写真をWikipediaから転用させていただきました。湾岸戦争の時の写真です。Googleマップの航空写真でも確認できます。3D航空写真でも確認できます。

航空写真で場所や位置関係を紹介します。
戦艦アリゾナのメモリアルが見える海沿いは沢山の説明パネルが設置されています。こちらが日本軍の第1波攻撃を示したパネルです。

沢山の軍艦が写っています。

こちらが第2波攻撃の説明パネルです。

写真には時間が書かれていました。こちらは午前9時の写真です。

こちらは午前9時05分の写真です。

軍艦の被害も詳細に書かれていました。

説明パネルは皆さんよく見ていました。

日本側の写真のパネルもありました。

記念館の説明パネルです。

ここから屋内の資料館を紹介します。「戦争への道」と「攻撃内容」です。

奇襲成功の暗号「トラトラトラ」の説明もありました。上の写真の左端に写っています。日本軍の真珠湾攻撃により2,334人の戦死者に加えて68人の民間人も亡くなったそうです。

戦争に至った状況が詳しく書かれていました。

いろんなパネル以外に日本側の軍艦の模型も置かれていました。

上の写真の軍艦の模型です。空母・赤城です。天城型巡洋戦艦を改造して飛行甲板を付けて空母にしたそうです。真珠湾攻撃では、空母としては赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴の6隻が参加したそうです。空母(航空母艦)以外は、戦艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻です。空母を入れて合計は18隻の艦隊だったそうです。

レーダーや無線機の展示も沢山ありました・

子供も含めて沢山の人が見たのだと思います。

大切な人の思いを感じる展示もありました。

原爆で亡くなった禎子の展示もありました。

出口資料館の出口です。人それぞれの思いは違うのだと思いますが、今までと違った、何かを感じるのだと思います。。

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思い浮かべてしまいます。あの時の悲惨な光景が展示館で
見られるんですね、潜水艦はやけに長いですが昔のですか?。
記録に残っているからこそ、しっかりと展示が出来て後世に越せるのですね。
経済の結びつきが強くなり、昔と違うと思っていましたが、いまだにあの頃の思想の指導者がいるのに驚きます。
1942年12月07日に進水して太平洋戦争で活躍しました。1944年8月22日に沖縄からの学童疎開船「対馬丸」を撃沈したのが、この潜水艦です。
ほんと戦争はつらいですね。パールハーバーのことが教訓として思い出してもらいたいので掲載いたしました。
ほんとパールハーバーは悲惨な戦争の出発点ですね。軍港になる前は真珠湾の名前のようにきれいな場所だったのだと思います。
見る人によって受ける印象は違うと思います。ご指摘のように、ほんと是非とも見てほしいと思います。
ほんと戦争は最もなくしたいものです。
ほんと重々しいです。繰り返してほしくない気持ちにつながってほしいです。
でも知っておかないといけない気もします。
ホノルルでも通勤ラッシュはすごそうですね
コメントを有難うございました。
横浜DeNAベイスターズの前は横浜大洋ホエールズ、
学校給食ではクジラ肉でお世話のなっていました。
戦艦ミズーリ、懐かしいです。ツアーで見学に行き
張り替えたデッキの木をお土産に頂いて来ました。
ほんと通勤時間帯の車の数はすごいです。電車がないので通勤はバスか車になるのだと思います。
戦艦ミズーリはしっかりメンテされているのですね。張り替えたデッキの木は思い出になりますね。
これ、真珠湾攻撃の際の日本艦隊の旗艦であったということからでしょうかね。
そして、今は戦艦ミズーリまでが記念艦として残されてるとは!
この船 91年まで現役だった(91年の湾岸戦争ではイラクの地上目標へ向かって艦砲射撃行ったというニュースを覚えいています。)ので、私の行った時にはまだありませんでしたが、日本の大和に迫る戦艦ということもあり、一度、実物接してみたいものです。
戦艦ミズーリが湾岸戦争で主砲(16インチ砲)での艦砲射撃を行ったことを覚えておられたのですね。調べてみると112発の主砲弾を撃ったそうです。
「早く来て早く帰って、それからレジャーを楽しむのだ」
なんてすばらしい。ほんと、アメリカの余裕ですね。
日本人は働きすぎです!
真珠湾、現地はこのようになっているのですね。初めて見ました。
山本五十六の葛藤を思うと胸が締め付けられます。
日米の戦争に反対していたのは日本の総意だったと思うんです。
それなのに起こってしまった戦争。
我々はここからたくさんのことを学ばなければなりませんね。
ケンタッキー州のルイビルにある会社に数日間通って親しくなっていろいろと教えていただきました。オハイオ川をその人たちとナイトクルージングをしているときにモーターボートで楽しんでいる人がいましたが、そのボートは自分の家に係留しているのです。その人たちの多くは会社が終わってから楽しんでいると聞きました。下記のURLはその時の記事です。
日本の場合は組織でしたが独裁的な政治の恐ろしさを感じます。ほんと学んでほしいです。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2011-02-03
拡大してる今、もし日本が攻撃されたら勝てるか?飛んでくる
ミサイルに対抗できる遊撃ミサイルがあるのか?色んな疑問が多いです
軍事大国からの攻撃に対して、どれほどの軍備が必要なのかは、永遠に答えはないように感じます。だからこそ、相手国との結びつきや、同盟国との関係なども絡めた対応が必要なのだと思います。
弱小国において持てる武力には限界がある中で、他国の侵略意欲をそぐ手段は、すべての国が経済などで世界中の国と結びつきが出来た現代において、軍事力や同盟以外にも求めることになるのだと思います。