

下側の赤色マーク(


錦帯橋→佐々木屋小次郎商店(ソフトクリーム)→香川家長屋門→岩国高校記念館→吉香鵜の里(鵜飼育施設)→岩国シロヘビ館→白山比咩神社→旧目加田家住宅→吉香公園の噴水→吉川家(岩国藩主)墓所→永興寺→錦帯橋と紫色ライン(━━)を反時計回りに歩きました。
広場に入ってすぐに右側を向くと正面に緑の中に岩国高校記念館が見えました。
岩国高校記念館は山口縣立岩國高等女學校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校(現在名:山口県立岩国高等学校)に建てられた御大典記念武道場です。当時の岩国高等学校及び岩国高等女学校のの雰囲気を今に伝えている唯一の建物のようです。御大典記念武道場には岩国高等女学校の建物の一部が使われて建てられたとの記載もありました。



こちらが正面の入口です。右側にかけられている看板には横山自治会館と書かれていることから、自治会館としても使われているようです。

入口の屋根の部分を拡大いたしました。

斜めから撮った岩国高校記念館です。

宇野千代さんの石碑が建てられていました。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校の跡地の記事の中で紹介したように宇野千代さんは山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。


花水木(ハナミズキ)も有名なようです。1912年(明治45年)に日本からアメリカに3000本の桜の苗木が送られてワシントンのボトマック湖畔で見事に花を咲かせたことは有名な話ですが、その桜の苗木の返礼として1915年に花水木が送られたことはあまり知られていない話です。そのことの75周年を記念して植樹されたことを記載した説明版でした。

こちらの出口から次の目的の吉香 鵜の里(鵜飼育施設)に向かいました。
現在の広大な吉香公園は旧山口県立岩国高等学校の跡地に造られた大公園で、日本歴史公園百選にも選ばれたそうです。岩国中学校は藩校「養老館」の流れをくみ、明治13(1880)年に養老館の跡地に創立され、明治18(188))年に現在の岩国徴古館の位置に移された後、明治34(1901)年に吉香公園の地に移転したとネットに書かれていました。岩国高校記念館は岩国中学校〜岩国高等女学校〜山口県立岩国西高等学校(後の岩国高等学校)で使われてきた由緒ある建物とも書かれていました。

私が3歳の時の錦帯橋の前で撮った記念写真です。真ん中が岩国高等女学校に通っていた母で、1番右が岩国高等学校に通っていた叔父さんです。1番左が母方の祖母です。手前の子供が私と姉です。母も叔父さんも岩国駅近くの家から学校までの通学のために毎日約10km(往復)を歩いて通っていました。

山口県立岩国高等学校の沿革を紹介します。2021年は創立141年になり、藩校の養老館からだと174年目になります。

一番下の写真はネットから転用させていただいた山口県立岩国高等学校・川西校舎の写真です。撮影は1963年なので5年後の1968年に岩徳線の向山の新校舎に移転いたことになります。この航空写真の場所には、元々は右の写真の母の通っていた山口県立岩国高等女学校がありました。右上の小さな写真をクリックすると9枚の写真を表示します。
青色:男子校 赤色:女子校 黒色:共通 黄緑色:参考
1847年 前身となる藩校「養老館」が設立1868年10月23日 明治元年
1880年08月15日 横山上口の養老館に山口県立岩国中学校が創立
1884年03月01日 統合により山口県立山口中学校岩国分校となる
1885年04月 校舎が完成(現在の徴古館の場所)
1885年~ 吉香公園(横山公園)の前身となる吉香神社の庭園整備
1887年03月 山口中学校岩国分校が廃止、岩国高等小学校別科が設置
1887年12月 岩国学校に改称
1888年01月 山口県玖珂郡岩国学校に改称
1890年04月01日 防長教育会の管理のもと私立岩国学校に改称
1897年09月01日 私立岩国学校が県立移管 山口県尋常中学校岩国分校
1899年04月01日 中学校令の改正により山口県山口中学校岩国分校に改称
1900年04月01日 山口県山口中学校より分離し山口県岩国中学校に独立
1901年05月15日 山口県立岩国中学校に改称
1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
1914年03月 宇野千代が岩国高等女学校を卒業
1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
1916年06月 御大典記念武道場(現在の岩国高校記念館)が完成
1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
1929年04月05日 岩徳線が開業
1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
1944年 光海軍工廠などへ学徒動員が開始
1945年04月 学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続
1945年08月15日 太平洋戦争の終結
1945年09月 学校での授業を開始
1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国高等学校(男子校)が発足
1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国第一女子高等学校が発足
1949年03月31日 併設中学校を廃止
1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
1960年04月16日 川西駅が開業
1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
1968年04月18日 岩国中学校敷地跡の吉香公園が都市計画総合公園となる
1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設

昔の岩国高等学校の写真を紹介したくてネットから山口県立岩国中学校(男子校)と

そのことからこちらの建物は現在の広くなった吉香公園の中に建っていたと想像されます。つまり、この時代にも吉香公園があったけれども、山口県立岩国中学校の敷地外に広くなる前の吉香公園が山口県立岩国中学校の敷地外にあったように感じます。調べてみると吉香公園は1885年に旧岩国藩主であった吉川家の氏神社である吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのが始まりで、その時のを公園が右上の案内板で示している公園で、その後、山口県立岩国中学校が川西地区に移転して1968年4月18日に都市計画公園の総合公園の指定を受けて今に至るとのことです。
山口県立岩国中学校の名前が使われていたのは1880年08月15日~1884年02月29日と1901年05月15日~1948年03月31日です。

こちらが山口県立岩国高等女学校の写真です。山口県立岩国高等女学校の名前が使われていたのは1923年04月01日~1948年03月31日です。門の石柱が、冒頭の写真の広場の入口の石柱と同じ形のなのが判っていただけると思います。

今は宝塚の実家に住んでいる母の岩国女学校時代の写真を紹介します。黄色の矢印(↓)が母です。クリックすると2倍(面積で4倍)に拡大するので矢印が判りやすいと思います。表示された写真が小さい場合は、その写真をもう一度クリックしてみてください。

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歴史がある名門校なんですね
岩国藩の藩校に起源をもつことから地域の人にも親しまれたのだと思います。
岩国は岩国藩の時代から教育に力を入れていたことが明治以降にも影響をあたえているように感じました。
昔がセピア色によみがえる。
母方の祖母祖父が岩国に住んでいて、小さいときによく言ったので懐かしくなって、昔の写真を掲載させていただきました。
岩国の錦帯橋にこれほど縁があるとは知りませんでした。母や叔父さんが錦帯橋の近くの女学校や高校にに通っていたことは最近知りました。
今度、叔父さんに会う機会があれば、山口県立岩国高等学校のあった場正確な場所を聞いてみたいと思います。毎日、錦帯橋を渡って通学していたことは聞いています。叔父さんは自分が通った高校の記念館なので特別な思いがあると思います。
錦帯橋を渡りましたよ、あの橋も木組み仕立ての立派な橋ですね。
高校(旧制中学校)の大正時代の建物が記念館として残されているのは素晴らしいと思います。全国的にも少ないと思います。
錦帯橋を渡られたのでね。母の育ったところなので不思議とうれしいです。
お母さんの写真いろいろありますね。沖縄で見た写真を思い出します。
岩国シロヘビ館はまだ展示場がない頃見てきました。
写真を拡大して見ていただきありがとうございます。うれしいです。
小学生の頃にシロヘビを見たことは記憶に一番残っています。沢山のシロヘビがいたことが印象的でした。今回はシロヘビ館にも行ってみました。
門柱、たしかに一緒!学校の象徴なのですね。
どのお写真も拡大して拝見しました^^
自治会館の看板がかけられている入口部分、凝ったデザインですね!
これはとても貴重な建物です。残されたのが素晴らしいですね。
お母様のお顔もよくよく拝見しました^^
うんほんと!SORIさん似ていらっしゃいますね(*^^*)
そしてお母様とっても美人です。
関西はまだ長くなりそうです。11月18日に家に帰る予定です。
学校の歴史を調べれば調べるほど、奥が深いです。せっかくなので母な女学校時代の写真を掲載させてもらいました。建物も写っているので貴重な写真だと思いま。確かに母方に似ているように言われました。
岩国藩は教育熱心だったのだと思います。
ほんと眼鏡をかけている人がいないですね。スマホはもちろんテレビもなかった時代なので目のよい人が多かったのかもしれません。
宇野千代さんの出身校だったのですね。宇野さんは、色々な才能がある方で、波乱万丈の人生を歩まれた、魅力的な女性だと思います。
SORIさんのお母様も美人な方ですね。
木のそのままの色の外壁が美しいです。年月を経なければ出ない美しさのように感じます。宇野千代さんの出身校であることは母から教えてもらいました。時代の先を行っていた勇気のある女性で、その時はいっぱんには受け入れてもらえなかったようですが、のちに認められたようです。