
前記事「伊和志津神社」の中でこの日は平林寺と宝塚神社と伊和志津神社を廻りましたが、最初に行ったのは本記事で紹介する平林寺(へいりんじ)です。平林寺は聖徳太子の時代につくられた摂津国武庫七大寺の一つで、歴史のあるお寺だったのです。寺伝によれば飛鳥時代に用明天皇の命で聖徳太子が創建し、平安時代に如一尼が再興されたそうです。1578年(天正6年)に 荒木村重の反乱に巻き込まれて焼失しましたが、江戸時代に再興されたそうです。
所在地 兵庫県宝塚市社町4-7
山号 武庫山
宗派 単立
本尊 釈迦如来
創建年 伝・飛鳥時代
開基 伝・聖徳太子、用明天皇(勅願)
札所等 摂津国三十三箇所第2番
摂津国八十八箇所第73番
写真の逆瀬川駅の西側から平林寺に向かいました。

こちらが多逆瀬川駅からの参道になります。阪急電車の線路と住宅地の間の道を登ります。

阪急今津線がよく見えました。

登り切ったところに平林寺の墓地と石碑がありました。石碑には忠魂碑と書かれていました。日露戦争(1904年2月6日~1905年9月5日)で戦死した人の慰霊碑でした。

上の忠魂碑の左側に58名の名前が刻まれた石碑がありました。日露戦争でのこの地域の戦没者なのかもしれません。

忠魂碑からは下ります。右に見える屋根は平林寺の観音堂です。

石像は大切にされているようでした。

こちらは御地蔵さんでしようか。

急坂を下りるとお堂が見えてきました。

坂道を下りてくると2つのお堂が建っていました。2つ共に平林寺の中の建物で手前が薬師堂で奥が観音堂です。

薬師堂を正面から見た写真です。

鬼瓦が沢山置かれていました。

鬼瓦の正面からの写真も紹介します。

宝塚市指定の文化財である石造露盤があったので、とりあえず説明板の写真を撮りました。クリックすると読める大きさに拡大いたします。

石造露盤の写真は単独では撮らなかったので2021年8月1日に取り直して写真を差し替えました。確かに文化財に値するものでした。

こちらが観音堂で摂津国三十三ヶ所第2番札所となっています。

観音堂の横に建っていた祠です。

趣きのある大きな石塔が建っていたので写真を撮りました。

平林寺の本堂が見えてきました。

こちらが平林寺の本堂です。本堂は摂津国八十八箇所第73番になっています。中に安置されている釈迦如来坐像は室町時代初期のもので、宝塚市指定文化財になっています。

扁額に平林寺の文字がありました。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の7寺の内で分かっている6寺は平林寺、中山寺、小林寺(廃寺)、塩尾寺、塩尾寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。塩尾寺(えんぺいじ)は以前に記事に書かせていただきました。

平林寺の本殿に置かれていた像です。

不動明王と思われる像もありました。鉄柱は後ろの木の枝を支えているもので不動明王とは関係はありません。

手水も写真を撮っておきました。

最も離れた場所から撮った平林寺の本堂です。

こちらが表参道参道です。つまり逆瀬川駅からの道は裏参道的な存在ですが、こちらから来ると遠回りになってしまいます。少し表参道を下りてみることにしました。阪急電車のガード下をくぐります。

参道のと途中に四国八十八ケ所巡拝の記念の像が立てられていました。お砂踏み所と書かれていました。

阪急電車のガード下あたりから平林寺をふり返って撮った写真です。本動画小さく見えます。

阪急が通ったのですこし高いところに急いで上がって撮りました。

ガードをくぐって表参道を下って平林寺川を撮りました。沢山の尾寺が建っていました。

もっと遠くに離れて撮りました。月極駐車場の看板には平林寺と書かれているので沢山のお寺は平林寺と関係があるようです。

よく見える位置からお寺群を撮りました。Wikipediaには次の4寺が塔頭と書かれていました。正面に見えているのは宝寿院で他の3寺は参道沿いにあります。いずれも平林寺の本堂に向かって右側で遠い方から成福院、西光院、成就院です。

西光院 高野山真言宗
成福院 真言宗大覚寺派
宝寿院 真言宗大覚寺派

参道と成福院と西光院と成就院の4枚の写真をスライドショーで表示いたします。

表参道を本堂まで戻ってきました。

本堂の右側に道が続いていたので進んで見ることにしました。

最初に目に入ったのがこちらの石像でした。台座には第丗三番と書かれていました。

古い石碑が沢山ありました。

古い石碑が沢山並べられていました。長い歴史の中で作られた石碑や墓石類だと思われました。

第丗一番と書かれた石像には第31番と書かれていました。妻に最初の目に入った第丗三番と台座に書かれていた石像は第33番目の石像だったのです。寺の裏には第28番~第33番があったことからどこかに第1番~第27番もあると想像され、さらに第34倍いじようもあるかもしれないと思いさらに散策して見ることにいたしました。

三十三所發起者と書かれた石碑がありました。

更に三十三番観音菩薩順礼道と書かれた看板がありました。つまり第1番から第33番の観音菩薩が設置られていることが判りました。

それでは第1番から順番に初会したいと思います。赤色ライン(━━)が順礼道です。右回り(時計回り)に歩きました。
鐘楼のまでの間の道の左側に第1番と第2番があります。

こちらは鐘楼です。1つき20円と書かれていたので、20円を入れて鐘をつかせていただきました。

全ての観音菩薩像の写真を紹介します。写真をクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
第一番 第二番 第三番



第四番 第五番 第六番



第七番 第八番 第九番



途中に次の訪問場所の宝塚神社の境内に入る入口がありました。

観音菩薩順礼道の小道です。

第十番 第十一番 第十二番



第十三番 第十四番 第十五番



第十六番 第十七番 第十八番



観音菩薩が並んだ小道は雰囲気がありました。ここは蚊が多いために、蚊が群がって襲ってきたので第十八番と第廿二番と第廿三番と第廿六番はピントが甘くなってしまいました。そのために2021年8月1日に取り直して差し替えました。着色文字をクリックするとピントが甘かった写真を表示します。

第十九番 第二十番 第廿一番



第廿二番 第廿三番 第廿四番



第廿五番 第廿六番 第廿七番



第三十番(第30番)だけは池の真中に設置されていて特別の存在のように感じました。

第廿八番 第廿九番 第三十番



第丗一番 第丗二番 第丗三番



平林寺の観音菩薩順礼道のストリートビューが登録されていたので紹介します。
平林寺の敷地を紹介します。緑色に着色した部分が平林寺で橙色の部分が宝塚人者の敷地です。ただし、平林寺と宝塚神社の間は実際に境界を示すものはなかったので仮に境界を決めさせていただきました。阪急電車の東側(右側)の敷地には塔頭4寺である成就院と西光院と成福院と宝寿院などがあることが判ります。宝塚神社の創建は平林寺と同時期と言われています。赤色ライン(━━)が三十三番所・観音菩薩順礼道です。紫色ライン(━━)が平林寺の表参道で、逆瀬川駅からの裏参道が臙脂色ライン(━━)です。マイナス(-)のアイコンを2回クリックすると逆瀬川駅との位置関係が判ると思います。
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摂津三十三か所2番札所なんですね
三十三か所の観音菩薩
が祭られ一周すると御利益いただけそうですね
古い石仏がナイス。
南無阿弥陀仏
逆瀬川は実家のある場所で長く住んでいたにも関わらず、数度しか来たことがありませんでした。三十三か所に観音菩薩があることは初めて知りました。来てみて良かったです。
歴史があるお寺であることを知りました。摂津国武庫七大寺で現存しているのは塩尾寺、中山寺、金龍寺、平林寺の4つだけだそうです。
雰囲気がありますね。
並ぶ鬼瓦もいいなぁ(*^^*)
第三十番の観音菩薩さまの由来は判りませんが、水煮囲まれた広なのでいスペースに1体なので特別なものと思われます。古い鬼瓦を残しているのでしょうね。
起源は聖徳太子の時代に遡ることは最近知りました。実家から近いのでこの次に実家に行った時も再訪して見もつもりです。取り直したい写真もあります。
ことしもそろそろ 八千代の梨園がオープンの準備をしている頃かと!
8月上旬には R16界隈の梨街道で幸水が!先日通った時 もう梨が
なっていましたよ。何かと制限のあるご時世ですが 今年も楽しみです。^^
暑中お見舞い申し上げます。
千葉の幸水はおいしいですね。
いつも買っている16号添いの梨園から葉書が届きました。
続 葉山の蓮にコメントを有難うございました。
平林寺さんを取り囲むように作られた、ミニ観音菩薩順礼道は素晴らししいです、西国三十三所を回ったと同じご利益が有りそうですね。途中中には日露戦争に関連した石碑まで有るんですね、日露戦争については、家にに帽子や軍服があって爺さんから小さいころに良く話を聞かされた思い出が有ります。
117年前の日露戦争の軍服などが保存されているとはすばらしいです。大切にされているのでしょうね。観音菩薩順礼道は楽しく廻らさせていただきました。ただし写真を撮るときに蚊が群がってくるので4枚の写真がピントがぼけてしまいました。18番と22番と23番と26番なので次に行った時は撮り直して差し替えたいと思っています。
http://www.heirinji.or.jp/
埼玉県の平林寺には立派な山門がありますね。山門だけでなく全ての建物が見事に保存されていてすばらしいお寺です。
聖徳太子は各地でも活躍されてたんですね。石仏が多く、鬼瓦など
見て歩くのも楽しめる寺ですね。
ほっと、歴史があるのに驚きました。信仰を大切にしたのだと思います。長い年月の間には何度も廃寺になる危機があったと思いますが、乗り越えて来たのだと思います。
歴史の詰まったお寺ですね、石仏を見てそう感じます。
お正月以外は静かなお寺ですが、古い歴史があるのに驚きました。
もた行ってみたくなりました。