
川西駅(JR岩徳線)から錦帯橋を通って岩国城までの道沿いの景色を2021年1月13日の記事で紹介しましたが、本記事では岩国城に関して記載したいと思います。道沿いの景色を紹介した時にも記載しましたが、岩国城は関ヶ原の戦いの1年後の1601年に毛利輝元の一族の吉川広家が築き始めた城です。山上の城は戦時の城で、麓(ふもと)にも住むための城(御土居)が築かれました。麓(ふもと)の城(御土居)は1602年に完成し、山上の城(横山城)は7年を費やして1608年に完成しました。4重6階の唐造りの見事な天守閣を持つ城だったそうです。山上の城が堅固であったことと、城が2ケ所に分かれていたことが悲劇を生みました。徳川幕府(1603年~1867年)の一国一城の令により山上の城は完成からわずか7年後の1615年に廃城させられたそうです。麓の城(御土居)は岩国領の陣屋として明治維新まで存続したそうです。上の写真の現在の天守閣は絵図「天守構造図」を元に1962年3月21日に建てられました。鉄筋コンクリート構造であることから復興天守に分類されています。

山上の岩国城の配置図です。
実は現在の天守閣は1608年に完成した天守閣より意識的に南方向に約30mずらして建てられているのです。下からの見栄えを重視して現在の位置に建設されたそうです。本配置図の北は右上方向です。配置図の中の赤枠(▢)の部分が元の天守閣の位置で、青枠(▢)の部分が現在の天守閣です。復興天守に分類されるのは大阪城や岐阜城や小倉城など14天守あります。名古屋城は木造復元天守へするための工事中です。着色文字は記事として書いたことがあるお城です。
現存天守 12天守 姫路城 彦根城 松本城 犬山城 松山城 など
木造復元天守 5天守 白河小峰城 掛川城 白石城 大洲城 新発田城
外観復元天守 9天守 名古屋城 大垣城 広島城 和歌山城 岡山城 など
復興天守 14天守 大阪城 岐阜城 福山城 小倉城 岩国城 など
模擬天守 51天守 洲本城 郡上八幡城 富山城 大多喜城 今治城 など

岩国城と錦帯橋の位置関係が判るようにGoogleマップの航空写真に城の絵のマークを入れてみました。地図記号の史跡・名勝マーク(⛬)は昔の天守間の跡があるところです。
昔の天守間の跡と現在の天守間の位置関係を航空写真で紹介します。北は上方向です。クリックするとオリジナルの航空写真を表示します。

天守閣が建っている辺りから錦帯橋を咲かしてみると木の間に見つけることが出来ました。木が多いことから広く見渡せるところがないので、天守閣に入って上から見ることにいたしました。

こちらが天守閣への入口です。

この入城券を買って天守閣に登りました。
こちらもクリックすると裏面も表示しますね

急な階段で最上階まで上がりました。

こちらが最上階です。

こちらが岩国城の天守閣から見た景色です。すでに紹介したように遠くまで見渡せました。錦帯橋が中央にあります。クリックすると面積で16倍に拡大いたします。

錦川がカーブしている範囲を拡大いたしました。こちらもクリックすると面積で16倍に拡大するように設定いたしました。

錦帯橋あたりの景色です。こちらもクリックすると面積で16倍に拡大するように設定いたしました。

岩国城から見た錦帯橋を紹介したので、地上から見た岩国城の写真を掲載しました。

屋根瓦の写真も撮りました。

東方向の景色です。

最上階以外には刀剣や鎧や火縄銃などの古い品が展示されていました。特に刀剣の数はすごかったです。

刀剣が並べられているエリアです。

見事な長刀もありました。江戸中期の御太刀で銘には「陸奥守藤原包保作 於好以南蛮鉄鍛之」と


全重量 8.5kg
刀身長さ 197cm
刃長 151cm
全長 210cm

こちらは甲冑です。鎖鎌も展示されていました。

外に出て天守閣の周囲を廻ってみました。

北東方向から天守です。

天守を見上げた景観です。守りの仕掛けもしっかりと再現されていました。

石垣の写真も紹介します。

石垣と天守閣です。

冒頭の写真より少し遠くから撮った写真です。

二の丸広場の花木園の中に建っている四阿(しあ/あずまや)です。この後、ロープウェイ乗場に向かいました。

ロープウェイ乗場の近くに岩国のパノラマ写真があったので紹介します。岩国基地や飛行場や海の向こうの島々も写っていました。クリックすると特別に大きく拡大するので島の名前も読むことが出来ると思います。島の名前を左から読むと大黒神島、倉橋島、鹿島、甲島、柱島、周防大島、前島です。

パノラマ写真が置いてあるところから写真を撮ればよかったのですが、遠くが霞んでいたので撮らなかったのでロープウェイのゴンドラから撮った写真を紹介します。かすみが無くなると上の写真のようにきれいだったと思います。

錦帯橋の写真です。奥側(上流から見て左岸側)から第一橋、第二橋、第三橋、第四橋、第五橋です。クリックすると面積で16倍に拡大するので是非とも見てほしいです。

ロープウェイの上りは2人だけでしたが帰りは沢山乗られていました。

すれ違った上りにも沢山乗られていました。時間帯でかなり違うようでした。

JR在来線の岩国駅と新幹線の新岩国駅を入れた地図で岩国城の位置を紹介します。城の絵のマークのところが岩国城の天守閣です。
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下からは見たことあるけど、上からは迫力があります。
ほんとに面白い橋ですよね。
良いものを見せて頂きました。圧巻。
見応えありですね
どちらも知らなかったので紹介してくださって
ありがとうございます
上から見る錦帯橋もいいですね。
橋の上面の階段の部分がよく分かります。
山の上からだこその錦帯橋の姿なのだと思います。1673年に岩国藩主であった吉川広嘉によって建造され、両岸の第一橋と第五橋は基本的に約40年ごと建替えられ第二橋と第三橋と第四橋は基本的に約20年ごとに建替えることによって技術を伝承して348年間も美しい姿を保ち続けたのだと思います。
私も今回はあまり時間が無かったので、奥にある遺構などは見れなかったので、1泊して時間を作ってもっとゆっくりとみてみたいと思います。
400年前の城からの景色はどのようだったでしょうね。タイムスリップして見てみたくなります。
知っていただけて掲載した甲斐がありました。今回、岩国城に登ってよかったです。
明智光秀は沢山の山城を作ったおかげでTVを見ていても山城に関する放送をよく見ます。最近では玉城でした。山城には不思議な魅力があります。
岩国城も魅力がありますが、岩国城から見る錦帯橋もすばらしいです。錦帯橋に来たならば少し足を延ばして岩国城に上るのをお薦めします。という私は初めて岩国城に上りました。
ですからどんな所か興味はあるんですが未だに行けておりません、
広島の呉から岩国に移動した直後に広島に原爆が落ちた話を聞くと運命のいたずらを感じてしまいます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそ本年も宜しくお願いいたします。
ミミちゃん気持ちよさそうですね。
シロカナヘビもあります。
白カナヘビとは珍しいですね。岩国以外で白ヘビを見られたとはすごいです。
覚えてます(⌒-⌒; )
白蛇さんはインパクトが強くてはっきり覚えてるんですけどねぇ^^
城好きな僕は岩国城に登城したかったんですが、
1度目はロープーウェイがメンテナンスで休止中で
2度目は同行の相方が拒否権発動で登城できませんでした。
サンデー毎日になったら登城しに行きたいです。
出発前はシロヘビ館にも行く計画でしたが、時間が無くなって今回は断念いたしました。2015年に来た時に現在のシロヘビ館を作るために作られていた仮設シロヘビ観覧所でシロヘビを見ることが出来ました。白ヘビを見たのは子供の時以来でした。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2016-01-23
岩国城に行くチャンスが2度もあったのですね。
JR線を全制覇した後に錦川清流線を訪れる機会があった時にでも岩国城によってあげてください
前にも書いた様に、一度は訪れたいと本気で思ってます。
おはようございます。
岩国城、この景色は天下を取った気分になれますね。瀬戸内のほうまで見渡せるのですね。
錦帯橋も拡大写真で拝見しました。お見事です。
話が変わりますが、先週のブラタモリ(NHK)は呉でしたね。
広島、山口あたりで行ってみたい場所が増え一回の旅でまわり切れないかもと思いました(笑)。
岩国城は初代藩主の吉川広家によって1601年に建設が始まり麓の城が1602年に完成し、山頂の城は1608年に完成しました。一方、錦帯橋は三代藩主の吉川広嘉によって1673年に建造されました。400年を超えて後世に伝えたのは藩主の才覚だったのでしょうね。
登った事無いですが上から見る錦帯橋も
絵になりますね
ほんと、山城でありながら海が見える景色は素晴らしいです。海が見える丘に住むのが夢でしたが、神戸から千葉に引越してしまって実現は出来なくなってしまいました。錦帯橋の写真を拡大してもらえてうれしいです。
私は呉の隣りの広島市に2歳から10歳まで住んでいました。2歳の時は平野町で、3歳~10歳は井口町でした。呉の日立バフコックの工場(今は三菱パワーインダストリー)に機器の製造を発注するために訪れたのが最も最近のことになってしまいました。Azumino_Kakuさんの話を聞いて、久しぶりに子供の頃に過ごした広島にも行ってみたくなりました。
ほんと、上からの錦帯橋もよかったです。
上から錦帯橋を見ると階段のついている場所もよく分かりました。
デ・ラランデ邸(武蔵野茶房)にコメントを
有難うございました。
神戸もたくさんの洋館が有りますね、初めて
訪ねたのは、40年以上前のことで、風見鶏の館が
まだ、施設で使われている時で、ほとんどの洋館が
公開されていませんでした。
今は、観光化が進み室内も見ることが出来るよに
なり良いですね(^^♪
岩国城へもロープウェイで訪れたことが有りますが、
すっかり忘れていました、写真を見ていろいろ思い出し
しました。
私は子供のころから何度も錦帯橋に来ているのに岩国城には登ったことが無かったです。今回初めて上がって念願がかなったわけです。
スケボーで走って橋に傷が付いたそうです
犯人はまだ捕まっておらず、文化財保護法違反で逮捕されるようです
なんてことを・・・
許せません
もの凄い眺望です!
錦川がきれいにカーブしていて、錦帯橋が架かっている景色は美しいですねー
刀も大迫力ですね。重さが8kg超えって…(;^ω^)
まぁこれを振り回して戦うなんてことはなかったみたいですが
持つだけでも大変そうです。
石垣も綺麗に築かれていますね!
今度はスケボーですか。文化財保護法違反の逮捕もありますが、当然ですが損害賠償は請求されるので、金額を公表することで今後の予防につながってほしいです。
巨大な刀は城の入口の一番正面に展示されていたので、佐々木小次郎の愛刀「物干し竿」を意識したものだと思います。さすがに重いので実戦で使うのは難しそうです。
岩国城からこんなにきれいに見れると想像していなかったので感激しました。400年の歴史を感じてしまいました。
岩国の人に喜んでもらえると思います。 日本の城は素晴らしいです。特に山城には不思議な魅力があります。