



本記事では万博記念公園駅から太陽の塔(❶)までの航空写真に書き込んだ薄紫色ラインを紹介したいと思います。昔の大屋根(108m X 290m)があった場所を薄緑色に着色いたしました。大屋根の位置は右の昔の航空写真から判断いたしました。
万博記念公園駅から地上に降りるスロープを進みました。

スロープからはモノレールの車両や軌道を見ることができました。真っすぐが南茨木駅方向で、左に曲がっていくラインは阪大病院前方向です。

地上に近づいたあたりから撮った太陽の塔です。

地上まで下りると万博記念公園の案内図があったので撮りました。その案内図から今回の記事の範囲を切り取って掲載いたしました。現在地と書かれた場所から中央橋を通って、先ずは公園の中央口に向かいます。

案内板の近くから見える観覧車REDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホース・オオサカホイール)です。

こちらが中央橋の入口です。自然文化園と書か菊書かれていました。その奥に万博記念公園中央口と書かれた看板もありました。

中央橋の上からの景色です。左側は帰る人のためのスペースです。皆さんきちっとマナーを守っておられました。

公園の中央口です。自然文化園中央口と書かれていました。

改札機の間を通って入ります。

この日はラッキーなことに無料デーで260円は必要ありませんでした。調べてみると毎年3回(3月、9月、11月 計4日)行われているそうです。偶々、その日に当たったわけです。今後の参考に2019年の無料開放デーを紹介します。
2019年03月10日(日)
2019日09月14日(土)
2019日11月16日(土)と17日(日)

中央口を入ると太陽の広場で、正面に太陽の塔が建って(立って)いました。正面の白い顔は現代を表し、金色の顔は未来を表しています。

さっそくみんなで記念写真を撮りました。


入場した時は沢山の人だったので写真に人が入ってしまうので、帰るときに撮った太陽の塔の写真も紹介します。

少し角度が違う写真も紹介します。今は太陽の塔は単独で立っていますが、万博開催当時は大屋根がありました。赤い稲妻はガラスモザイク製だそうです。

大屋根があったころの写真をネットから転用させていただきました。太陽の塔と大屋根の諸元を紹介します。大屋根は太陽の塔の左腕とはエスカレータで結ばれ展示室(空中テーマ館)が設けられたそうです。その空中テーマ館は世界的な建築家である黒川紀章が担当いたしました。大屋根は1979年に解体されました。大屋根の一部が右下の写真のように保管されていました。
太陽の塔
設計者 岡本太郎
構造設計 坪井善勝、吉川健、植田昌吾などのプロジェクトチーム
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鋼管シェル構造
施工 大林組、竹中工務店、藤田組
階数 2階
高さ 70m
着工 1968年12月
竣工 1970年2月
大屋根
設計者 丹下健三
構造 鋳鉄のボールジョイントでパイプをつないだトラス構造
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鋼管シェル構造

高さ 30m
幅 108m(東西)
長さ 290m(南北)
重量 約4200t

金色の顔(未来)の部分を拡大いたしました。

記念写真を撮り終わると太陽の塔に向かいました。

太陽の塔も少しづつ横向きになってきました。

斜め横から見た太陽の塔です。
万博開催25周年記念の目玉として1994年に表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われたそうです。その際は取り外された赤色の稲妻と緑色のコロナのタイルは、2006年7月に大阪城公園で2007年10月に万博公園でそれぞれ開催されたイベントで、ストラップとして限定販売されたそうです。2007年からも再び内部・外部の改修・補強が行われ外面は現在の姿になったそうです。

真下近くまで来たので見上げた写真も紹介します。

金色の顔を拡大いたしました。太陽の顔と名付けられていて軽量化のためにガラス繊維強化プラスチックで作られているそうですが、今でも金色に輝いています。

太陽の塔の裏側にも顔が描かれていています。この顔は黒い太陽と名付けられ過去を表しています。そのため過去の顔とも呼ばれています。この黒い太陽の顔は信楽焼の陶板製だそうです。周囲のコロナは表の赤いコロナとおなじくガラスモザイク製だそうです。

遠くから撮った過去の顔(黒い太陽)の写真も紹介します。

裏側にある黒い太陽に興味を持たれた方が多いので、顔の部分を拡大してみました。クリックするとさらに特別に大きく拡大するようにいたしました。

内部に入る入口まで来ました。階段とスロープがありますが、こちらの写真はスロープです。

こちらが階段ですが、到着した10時の時点で「本日の当日券は完売いたしました。(Today's tickets are all sold out.)」と張り出されていました。

階段を下りていくと建物の入口ドアに着きました。太陽の塔の内部に関しては次の記事で紹介したいと思います。

立てようの塔をいろんな角度から紹介したので真横からの写真も紹介します。
太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定でしたが、撤去反対の署名運動などもあり、5年後の1975年1月23日に永久保存が決めたそうです。その後は老朽化の進行と、その維持費が増加し維持費の確保も難しくなっていましたが、懸命の努力が払われてきたそうです。そんな中で内部の再公開のために2016年10月から耐震補強・内部復元工事が実施され、2018年3月19日より再公開が実現して有料化も行われました。有料化により太陽の塔の維持に少しでも助けになることを期待しています。

上の写真は遠見の丘にある展望タワーから撮った写真です。こちらは遠見の丘展望タワーから肉眼で見た時のイメージの写真(焦点距離:24mm)です。上の写真は105mmで撮った写真を切り取って拡大した写真だったのです。400mmのレンズだと上の写真はもっと鮮明に撮れたと思うのですが、重たいので今回は実家には持ってきていませんでした。

追伸
2019年12月20日~2020年1月8日まで関西に行ってきます。12月22日には母と山口県に墓参りに行き、12月26日には神戸の人達との忘年会が神戸駅の近くの居酒屋であり、年末年始は子供や孫たちが実家に集まることから長い期間の関西滞在になります。その間は皆様のところへの訪問が難しくなると思います。
表してるんですか
裏面の過去は初見です~
太陽の塔の裏の「過去の顔」、インパクトありますよねー!!
4回の1日に当たるとは。ラッキー。
太陽の塔の内部には第四の顔がありました。第四の顔は「地底の太陽」で、人間の存在していない太古の太陽を表していたそうです。第四の顔は行方不明となり、今回の内部一般公開のために復元されました。
大屋根があったことを紹介出来て良かったです。太陽の塔を覆うつもりで作りましたが、太陽の塔が大きすぎで54mの穴を屋根に開けることになった話は有名です。かなり議論になったそうです。
ほんとラッキーでした。国立民族学博物館の入場料580円も無料だったので見学させていただきました。260円+580円=840円の得だったわけです。
今日からご実家なんですね。
ご友人の方たちとの忘年会や子供さんやお孫さんたちと会えるのも楽しみですね。
かなり前になりますが、太陽の塔の前の中国自動車道を通った事があって、太陽の塔の大きさに驚き感動しました。
内部が再公開された時にテレビでは見ましたが、いろいろな所を細かく紹介して下さるSORIさんの記事を楽しみにしてます。
前回の記念?ストラップが欲しかったです。
入口の建物の緑の布は何でしょう??
昨日から実家です。太陽の塔の内部には感心させられました。特に49年前の発想の豊かさや技術のレベルの高さをあらためて再認識させられました。それを復元・再生した人たちの熱意も感じました。
スマホのテザリング機能でパソコンを使って今年中に内部を紹介したいと思います。スマホの契約は50Gなので通信容量的には問題ないのですが、テザリング機能を使うと猛烈にスマホの電池が消耗されるので工夫が必要です。
太陽の塔の裏側を知らない方は意外と多いようです。確かにストラップは私も欲しいです。
中央口の緑の布は日よけと思われます。真南を向いているので太陽の日があたると掲示板などの文字が読めないのだと思います。仮設のように思われるので、屋根を付けるなどして見栄えを考えた方がいいですね。緑の布に気が付かれるとはさすがです。
見れば見るほどユニークです。
後ろ側、初めて見たかも。
太陽の塔は大阪城や通天閣とならぶ大阪のシンボルになりました。ほんと、あの姿は芸術作品ですね。もし壊していたら現代、知らない人も多かったと思うと、後世(未来)に残す意味が分かってきたように感じます。くしくも太陽のテーマの一つが、過去、現在、未来でした。
メルカリにありました。
少しお高いのかもしれませんが
限定発売だったと書いてありました。
数量がとても少ない気がしました。
ネットで探されたのです。さすがです。
確かに当時の販売価格に比べるとかなり高いのだと思います。限定販売だからでしょうね。
奥様の実家は千里だったのですね。実は家内の実家も千里なのです。縁がありますね。
全くチャンスがありません!
次の記事を楽しみにしています!
年末年始、長期な関西ステイですね☆
楽しい時間、楽しい迎春期間と
なりますように!
今日の忘年会には、太陽の塔に入ったメンバーも参加します。沢山の人たちが集まるので楽しみにしています。
実家に全員が集まるのは31日なので、29日から布団を2階から下してくると同時に2台の布団乾燥機を使い始めるつもりです。
こちらに写真添付が可能なら当時の会場案内図など、見て頂けるのですが、残念です。
半世紀前の雑誌を保管されているとは素晴らしいです。是非とも読んでみたいです。来年は丁度50周年になりますね。