2025年05月11日

コンシェルジュリー(Conciergerie)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
パリのルーブル美術館を10記事紹介させていただいたので、次はパリに着いてからのパリ市内の観光を中心に連続12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。本記事が10/12です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。
コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。
コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。マリーアントワネットが投獄されたことでも有名な場所です。
上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。

且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。


王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。
西側から見た景観で、絵の左側がセーヌ川です。上の3Dの画像と見比べてみてほしいです。
この絵から前記事で紹介したステンドグラスで有名なサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。絵中の右上の最も高い塔がある建物がサント・シャペルです。
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パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
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こちらがコンシェルジュリーへの入口です。
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非常に広い空間でした。その空間を利用した展示が行われていました。この広い部屋は「憲兵の間」と呼ばれています。床面積は1800㎡だそうで、兵士たちの食堂として使われていたそうです。
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展示物の少ない見通せる一からの写真です。
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中央の螺旋階段が印象的でした。
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かつては王宮だった建物ですが、飾はほとんどありませんでした。そんな中でメドゥーサ(Medousa)が彫られた石板は印象的でした。
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この建物が牢獄として使われたことが関係しているかどうかは分かりませんが、各所に鉄格子が使われていました。大広間を仕切るように設置された鉄格子も印象的でした。この鉄格子の奥に牢獄エリアがありました。
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鉄格子を拡大いたしました。巨大で見事な鉄格子でした。
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石の天井を支える柱の構造も印象的でした。
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さらに奥に進むと牢獄がありました。
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古い大きなテーブルが置かれた部屋がありました。
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こちらが牢獄です。ベッドはなく藁の上に寝ていたのだと思います。
調べてみると最も貧しい囚人パイユー(Pailleux)が多数で入った雑居房だそうです。藁が敷かれた床に直接寝るしかなかったので、この囚人のことを「わら族」と呼ばれたそうです。
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部屋は罪の重さではなく経済力で決まったそうです。
ベットがある牢獄もありました。このような牢獄は有料で経済力に応じてその待遇が異っていたそうです。支払った額で囚人は3つに分けられたそうです。こちらの部屋はピストリエ(la pistole 中流層の囚人)の部屋でした。
 パイユー         貧困層の囚人 雑居房 藁敷き 不衛生 
 ピストリエ        中流層の囚人 雑居房 ベッドあり 
 プリゾニエ・ドゥ・マーク 富裕層の囚人 独居房 ベッド・机あり
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上の写真は雑居房ですが、プリゾニエ・ドゥ・マーク(prisonnier de marque 富裕層の囚人)は、さらにお金を払うことで、独房(一人部屋)が与えられ、読書や書き物をすることも許されたそうです。
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沢山の牢獄の中で特別な部屋がありました。有名なマリーアントワネットが投獄された牢獄です。
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こちらがマリーアントワネットが投獄された部屋です。ここに2ケ月半投獄された後にコンコルド広場にて処刑されたそうです。ここに投獄される前はタンプル塔に投獄されていました。フランス革命の後の恐怖政治時代には隣接された革命裁判所で死刑判決を受けて処刑された人は2780名にもなったそうです。旧体制派の多くも死刑となりました。マリーアントワネットも、恐怖政治の犠牲者の一人だったようです。
 1792年08月10日 タンプル塔に投獄(幽閉)
 1793年08月08日 コンシェルジュリー監獄に移送 
 1793年10月15日 死刑判決
 1793年10月16日 死刑   集団墓地に埋葬
 1815年01月21日 王政復古により歴代の王が眠る大聖堂に改葬
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頑丈で大きなカギが印象的でした。
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兵士の詰め所も横にありました。厳重な監視が行われていたようです。
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曰くありげな石も展示されていました。
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その曰くありげな石の横では、プロジェクターでコンシェルジュリーに関する説明が行われているようで、熱心に皆さん聞かれていました。フランス語が分かれば、この石がなんであるかが分かったのかもしれません。
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排水溝の出口と思われる部分にも鉄格子が取り付けられていました。
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階段で2階にも上がれました。


2階には、いろんな展示がありました。この部屋には処刑された人物の名前が書かれていました。ルイ16世やマリーアントワネットの名前もあるそうです。
そして2階にも牢獄がありました。実は上で紹介した3種類の牢獄は2階で撮ったものです。
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当時のことを説明した絵も展示されていました。
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貴重な資料が沢山展示されているようで沢山の見学の方がおられました。
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別の階段で1階に下りました。


神聖な雰囲気の場所ですが2階部分には鉄格子がはめられていました。
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鉄格子を拡大いたしました。
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ここは「贖罪のチャペル」と呼ばれている礼拝堂のようでした。
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ここは唯一鮮やかな色合いの場所であったことから特別な場所のように感じました。クリックすると拡大クリックすると拡大
MとAを組み合わせた紋章であることからマリーアントワネット王妃と関係しているように思われ、気になって調べた結果、マリーアントワネットの独房のあった場所で、王政復古の1年後である1815年に「贖罪のチャペル / マリーアントワネット記念礼拝堂」が作られたことが分かりました。
すぐに作られたことから、みんなが気にしていたのだと思います。
また、上で紹介したマリーアントワネットの独房の写真はすぐそばの場所に復元されたもので、本来はこの礼拝堂の場所に同じものがあったわけです。フランス革命によって犠牲となったマリーアントワネットのために王政復古後に礼拝堂が作られたと知って、少し報われた気がしました。
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マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。
我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。
          À LA MÉMOIRE                   À LA MÉMOIRE
          DE LOUIS XVI                 DE MADAME ELISABETH
          ROI DE FRANCE                  SOEUR DU ROI.
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この礼拝堂にはいろんな空間が作られていました。
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この空間には絵が飾られていました。調べた結果、マリーアントワネットの絵であることも判りました。
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中庭もありました。女性囚人の中庭と言われているようです。男性囚人の中庭もあるそうですが、女性用に比べると狭かったそうです。
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女性囚人の中庭には洗濯場もありました。ここで女性囚人達は話をしながら洗濯をしていたのかもしれません。
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こちらの中庭は断頭台(死刑台)への馬車が出発する場所だったそうです。コンシェルジュリーはサント・シャペルと2枚セットにすると安くなることも訪れた理由の一つでしたが、実際に見てみて有意義な場所であることを知りました。
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今回のフランス旅行でコンシェルジュリーの建物の外観を撮ったのはセーヌ川のクルーズ船の上からの冒頭の写真のみなので、今から19年5ケ月前の2005年12月3日にノートルダム橋の上から撮ったコンシェルジュリーの写真も紹介します。初めてフランスに来た時にセーヌ川を散策して撮った写真ですが、今回が8回目のフランスとなりました。
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コンシェルジュリーと周辺の訪問場所を紹介します。
   コンシェルジュリー Conciergerie
   サント・シャペル   Sainte chapelle
   ノートルダム寺院  Cathédrale Notre-Dame
 ━━ セーヌ川クルーズ
ラベル:牢獄 宮殿 パリ
posted by SORI at 20:07| Comment(59) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
罪の重さではなく、経済力によって投獄される部屋に違いがあるんですねー。
マリーアントワネットが入っていた部屋。彼女はこの部屋でどんな気持ちで過ごしていたんだろう・・・と想像しています。
Posted by Rinko at 2017年09月05日 08:09
Rinkoさん おはようございます。
経済力によって部屋が違うのには驚かされましたか、昔はどの国でもありそうな気がします。
Posted by SORI at 2017年09月05日 08:34
コンシェルジュリーとても興味深いところです
飾りがない 高さのある空間や牢獄 マリーアントワネット など まさにタイムスリップしてしまいますね
Posted by チャー at 2017年09月05日 10:43
チャーさん こんにちは
1000年前の建物だと思うとロマンを感じます。王宮として使われた建物が牢獄として使われることが多い気がします。頑丈だからでしょうか。
Posted by SORI at 2017年09月05日 12:50
こんにちは。囚人でも階級があるとは!!昔ならではですね~
Posted by みぃにゃん at 2017年09月05日 12:56
階級の差が牢獄にまで反映されるのですね@@
Posted by サンダーソニア at 2017年09月05日 14:16
うわぁ… とても興味深い建物ですね。
内部の造形美もさることながらその歴史もスゴイです。
マリー・アントワネットは悲劇の運命をたどりましたよね。
恐怖政治の「犠牲者」…まったくその通りだと思います。
民衆の怖さ、集団心理の怖さを感じますね。
Posted by ミケシマ at 2017年09月05日 14:44
監獄までが公開されてるとはびっくり。
囚人にもお金のランク。ウーム。
Posted by 夏炉冬扇 at 2017年09月05日 17:42
興味深いですね。
牢獄にも格差があるなんて。
藁の上には寝たくないです。
Posted by リンさん at 2017年09月05日 17:54
ライトアップが素敵なので、
牢獄の檻や鉄格子が素敵に見えてしまいます。(^▽^)
Posted by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 at 2017年09月05日 21:24
みぃにゃんさん おはようございます。
まさに「地獄の沙汰も金次第」だったようです。
Posted by SORI at 2017年09月06日 06:43
立派なお城が監獄になっていたなんて
驚きです。マリ-アントワネットも過ごした
監獄、歴史をかんじますね
Posted by kazu-kun2626 at 2017年09月06日 06:52
サンダーソニアさん おはようございます。
罪を犯しても貧富の差がそのまま牢屋にも反映されるとは寂しい気がします。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:02
ミケシマさん おはようございます。
魔女狩りなど残酷な時代もありましたね。現在になって初めて、考えられなくなったのが救いだと思います。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:12
夏炉冬扇さん おはようございます。
罪を犯す前にお金を貯めておく必要がありそうです。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:14
リンさんさん おはようございます。
ほんと、興味深い建物でした。
パリの中心に数百人が入った監獄があっただけでも驚きでした。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:18
なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん おはようございます。
見事な鉄格子でした。
監獄時代に取り付けられたので歯ないでしょうか。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:20
kazu-kun2626さん おはようございます。
建物の大きさと堅牢だから監獄として使われたのでしょうね。でもちょっと寂しい気がします。
Posted by SORI at 2017年09月06日 08:23
パリに滞在した時、マリー・アントワネットが王妃として暮らしたベルサイユ宮殿には行ったのに、後に投獄されたここへは行きませんでした。
片手落ちですね!
内部の様子がよく分かって興味深いです♪♪
ありがとうございました(*'▽')
Posted by saia at 2017年09月06日 22:44
saiaさん おはようございます。
最も華やかで自由な生活を過ごしたベルサイユ宮殿を見に行かれたのですね。我々もサント・シャペルを見に来たおかげでコンシェルジュリーを知ることが出来ました。
Posted by SORI at 2017年09月07日 06:15
SORIサン、お早うございます、江ノ電車窓に
コメントを有難うございました。
江の島は古いものと新しいものが
残っているので好きです。
Posted by tarou at 2017年09月07日 08:24
tarouさん おはようございます。
この宮殿の歴史は6世紀まて遡るようです。さらには紀元前にもつながりがあるようです。
Posted by SORI at 2017年09月07日 11:51
「この宮殿は牢獄として使われていたんです。」と
説明されたことがありますがここだったかどうか?
記憶はここじゃ無かっちゃようにも思います。
他や他国にも同じようなのがあるんでしょうね。
Posted by 旅爺さん at 2017年09月07日 12:59
旅爺さんさん こんにちは
フランスのアヌシーにも城が監獄に使われたところがありました。そのことを下記の記事に書いていました。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-07-19-56
Posted by SORI at 2017年09月07日 14:16
おはようございます!
nice!です。
Posted by shiho at 2025年05月11日 05:39
牢獄の中。感動しました。
Posted by 夏炉冬扇 at 2025年05月11日 06:13
SORIさん、おはようございます。
今回も凄い写真集を拝見させていただきました。
日本の刑務所にも立派な建物がありますが比べ物じゃないですね。
鉄格子から何から何まで芸術を感じます。
さすがに囚人たちの居場所は仕方ないものを感じましたが有料で部屋の区別があるのは、私にはフランスの「情け」にも感じましたよ。
どこの国にも歴史の悲劇はあるから仕方ないけどフランスと言う国の素晴らしさを改めて味わいました。
Posted by HOLDON at 2025年05月11日 07:18
nice!(^_^)
Posted by jun-ar at 2025年05月11日 07:48
メドゥーサは怖いという印象があったのでネットで少し調べたら、男女間の嫉妬から斬首され恐ろしい姿になったとありました。最近の事件を見ても今も昔も変わらないということでしょうか
Posted by kenji-s at 2025年05月11日 08:46
nice♪ (^_^)v です。
Posted by 横 濱男 at 2025年05月11日 11:49
nice!です(^^)
Posted by そら at 2025年05月11日 11:49
他国から嫁いできた王妃をギロチンにかけたフランス、オーストリアと国交的な問題は生じなかったのでしょうか?
Posted by 溺愛猫的女人 at 2025年05月11日 12:31
監獄が公開されているって凄いですね!
経済力による違いってあるんですね!
nice!です!!!
Posted by シマリス at 2025年05月11日 14:56
異国の風景イイですね。
nice!です。
Posted by まちびとん at 2025年05月11日 16:05
nice!
Posted by Zen at 2025年05月11日 17:17
nice!です
Posted by じゅんぺ at 2025年05月11日 17:36
(# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
Posted by てんてん at 2025年05月11日 19:51
経済力で牢獄が決まるとは
怖い世の中だったのですね。
Posted by 八犬伝 at 2025年05月11日 20:24
拝読しました。
Posted by 侘び助 at 2025年05月11日 20:43
SORIさま、こんばんは。

パリ、訪れてみたいです。西洋史の教科書にでてくるような歴史上の人物の日常を垣間見れるような史跡がきちんと保存されていて、しかも、市民が観覧できるようになっているのは素晴らしいことですね。

Posted by azumino_kaku at 2025年05月11日 21:33
コンシェルジュリーの歴史を深く掘り下げた素晴らしい記事ですね!
マリー・アントワネットの投獄や、牢獄の様子を知ることで、当時の緊迫した雰囲気が伝わってきます。特に「贖罪のチャペル」の存在に心が惹かれました。
Posted by いっぷく at 2025年05月11日 21:54
nice!です
Posted by じゅんぺ at 2025年05月11日 23:42
shihoさん おはようございます。
nice! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 04:58
夏炉冬扇さん おはようございます。
コンシェルジュリーの牢獄の中に感動いただいてうれしいです。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:00
HOLDONさん おはようございます。
ほんと有料で監獄の質が変わるのことが正式に規定されていたのに驚かされました。料金が気になりましたが、そこまでは調べ切れませんでした。
一番頑丈な建物と言うことで元宮殿が選ばれたのかもしれません。確かアヌシーでも城が監獄に使われていたし、モンサンミッシェルの修道院も監獄に伝われていました。
フランスの歴史を知る上でコンシェルジュリーは外せないと感じました。

 アフシーとモンサンミッシェルで監獄の記述化をした記事
  https://makkurokurosk.seesaa.net/article/2009-07-19-56.html
  https://makkurokurosk.seesaa.net/article/2016-06-28.html
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:17
jun-arさん おはようございます。
nice ! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:18
kenji-sさん おはようございます。
メドゥーサは男女間の嫉妬から斬首され恐ろしい姿になったのですね。参考になりました。メドゥーサの彫刻はいろんなところでよく見かけたのは、戒めなのかもしれません。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:23
横 濱男さん おはようございます。
nice♪ ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:23
そらさん おはようございます。
nice ! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:24
溺愛猫的女人さん おはようございます。
ほんと、気になります。調べた範囲ではわかりませんでした。
マリー・アントワネットは14歳で結婚しルイ王太子と結婚し王太子妃となり、ルイ16世の即位により18歳で王妃となり22歳で初めての子供を産み、4人の子供(王子2人 王女2人)に恵まれ、37歳で亡くなる人生でした。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:43
シマリスさん おはようございます。
経済力による違いで裏金などで監獄の待遇が変わるのは、どの国でもありそうですが、きちっと制度化されているのに驚きました。
nice ! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:48
まちびとんさん おはようございます。
ほんと、異国を堪能させていただきました。
nice! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:50
Zenさん おはようございます。
nice ! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:52
てんてんさん おはようございます。
Nice‼ ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:53
八犬伝さん おはようございます。
きっと政治を牛耳っていた貴族の人達が決めたのかもしれません。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:55
侘び助さん おはようございます。
訪問 ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 05:56
azumino_kakuさま おはようございます。
ほんとパリは歴史があふれているところでした。子供の頃に、教科書で知ったことに出会えると感激いたします。特に今回のコンシェルジュリーには驚かされました。
Posted by SORI at 2025年05月12日 06:00
いっぷくさん おはようございます。
パリの人達のいろんな思いが詰まった場所なのかもしれません。だからこそ、昔のままを展示しようとしたのだと思います。このような建物が差のまま残されているのにも驚かされました。
Posted by SORI at 2025年05月12日 06:03
じゅんぺさん おはようございます。
nice! ありがとうございます。
Posted by SORI at 2025年05月12日 06:04
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