


北海道旅行で、すでに紹介した赤ばふんうに丼を食べた「みさき」の前に板壁で出来た古い建物がありました。2階の窓にバッテンが付けられており使われているように見えますが、1階の2つの窓の部分に沢山の観葉植物が置かれていることから、何らかの形で活用されていると思われました。
今回、積丹から千歳まで車で走った道筋にも板壁の建物があり、車の車内から出来る限り写真を撮ってみました。本記事では、その写真を紹介します。写真が撮れたのは緑のマーク(

① 積丹郡積丹町日司町59
② 古平郡古平町港町27-6
③ 古平郡古平町港町17
④ 余市郡余市町浜中町150−1
⑤ 余市郡仁木町大江2丁目260
⑥ 岩内郡共和町小沢105
⑦ 虻田郡留寿都村泉川
上の写真が「みさき」の前にあった①の建物です。日司漁港の前のため昔は鰊番屋(にしん番屋)として使われていたのかもしれません。参考にネットで紹介されていた鰊番屋の写真を下に転用させていただきました。

板壁を拡大いたしました。長い間、風雪に耐えてきた板壁だと思います。クリックすると広い範囲を拡大して表示します。

② 古平郡古平町港町27-6
こちらは生活の痕跡があり今でも使われているようでした。板壁の建物が奥に一軒見えるので写真の中に2軒の板壁の建物があることになります。

③ 古平郡古平町港町17
こちらは②の建物から200mの距離にあります。ここも板壁の建物が2軒ほど見受けられるので上の建物も併せて少なくとも4軒の建物があることになります。郵便ポストがあります。

④ 余市郡余市町浜中町150−1
こちらは旧余市福原漁場と呼ばれる国指定の史跡です。旧余市福原漁場は明治36年まで福原家が経営していた漁場の一部です。その後、小黒家や川内家が経営したそうです。
この旧余市福原漁場は文化庁や道の補助によって修理・復元されたものだそうです。この写真も含めて3枚の写真を紹介いたします。





大きな番屋では200人以上の人たちが寝泊まりしたそうです。鰊御殿とも呼ばれたそうです。右の写真は現存する鰊番屋の中では最大の旧花田家鰊番屋です。

上の鰊番屋はこちらの写真から切り取りました。右に石壁の倉庫らしい建物があるのが分かってもらえると思います。北海道の鰊番屋(鰊御殿)は下記のリストの通り、沢山残されています。 ♡:公開 ♤:非公開

♡ 猪俣安之丞邸 小樽市桜1丁目
♡ 青山政吉邸 小樽市祝津3丁目
♡ 青山家住宅 札幌市厚別区
♡ 川村家番屋 古宇郡泊村

♡ 白鳥家住宅 石狩市浜益区
♡ 白鳥家番屋 小樽市祝津3丁目
♡ 橋本与作邸 寿都郡寿都町
♡ 柳谷家番屋 礼文郡礼文町
♡ 余市福原漁場 余市町浜中町 国の史跡
♡ 花田家番屋 留萌郡小平町 国の重要文化財
♤ 佐藤家 寿都郡寿都町歌棄町有戸 北海道指定有形文化財
♤ 佐賀家番屋 留萌市礼受町 国の史跡
♤ 関家番屋 留萌市礼受町

ニシン漁が盛んだったころの雰囲気を感じていただきたいので、ネットから写真を転用させていただきました。一番右上の写真はニシンの運搬に使われた木製のモッコが写っています。写真をクリックすると分ると思います。木製のモッコは積丹ブルーの海の記事の中で紹介いたしました。






⑤ 余市郡仁木町大江2丁目260
ここからは内陸部の板壁の建物です。
前記事で紹介したきのこ王国仁木店を出発してすぐにありました。距離にして3.6kmです。入口部分や窓の部分と思われるところを新しい板で塞いでいることから、今は倉庫として使っているように思われました。

⑥ 岩内郡共和町105
こちらの建物は一部だけが板壁です。複雑な建物の形なので板壁の家に普通のタイプの家を増築したように見えます。拝戸商店と思われる文字が見えます。こちらにも郵便ポストが確認出来ます。

⑦ 虻田郡留寿都村泉川
ルスツリゾート遊園地を通り過ぎてすぐにありました。距離にして1.7kmでした。住宅密集地では防火のため板壁を見ることは少ないと思いますが、広い北海道だからこそ板壁の家を沢山見ることが出来るのだと思います。

私が3歳から10歳(小4年秋)まで、下の写真の板壁の家に住んでいた





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ニシン御殿があったそうですね。
懐かしい建物ですね
私の大学時代の友人が余市町に以前住んでいたことがあるので、こんな景色を見ながら生活していたのかな~と想像しながらお写真を拝見いたしました^^
鰊は大きな富をもたらしたようです。その頃の光景を見てみたいです。鰊漁は江戸時代に始まり昭和30年(1955年)頃に終わりを告げたそうです。
沖縄と北海道は、まさに北と南、東と西ですね。そんな中で学生時代に北海道のお友達がおられたとはすばらしいです。
ホタテ御殿も他にはあるようです 漁業が盛んだことがよくわかりますね 今は 寂しくなりましたね〜 板張り壁 厳し寒さにもずっと息づいていると思うと 凄いなー
町で保存して観光化されてるんでしょうか?。
この様な家は末永く保存して欲しいですね。
沢山の魚介類が獲れるからこそ御殿が建つのですね。他にサケ御殿やカニ御殿やイカ御殿もありそうですね。
極寒の地だったのですね。厳しい生活もあったと思います。
昔のままの建物が残っているのはニシン漁が衰退したあとは建替え出来ない厳しい環境だったのだと思います。でも小樽の町のように昔のままの建物が残ったからこそ、今の観光の繁栄があるのだと思います。
ソーラン節を踊られるのですね。
どんな踊りなのか気になって南中ソーラン節を検索いたしました。確かに激しい踊りですね。2種類の動画を添付いたしました。
https://youtu.be/GzmrGAM2U7c
https://youtu.be/sg_win_KMKk
数年前に十勝に行った時も保存されていました。
普段接していないので、古いものが新鮮に感じます。十勝もいろんな風物がありそうですね。
また行きたくなっちゃいました(∩.∩)
バタ気味でご訪問が遅れています<(_ _)>
なんだか懐かしく感じます。。
あの広さがいいですね。食べ物も美味しいです。
私も3歳から7年間ほど板壁の家に住んでいたことを思い出して当時の写真を追加掲載いたしました。
何らかの形で活用されているようでした。
一見使われていないように見えた冒頭の建物も1階の窓の内側には沢山の観葉植物が並べられていました。
保存状態がいいのに驚きです。
古いものを大切に使われてきたからだと思います。ちょっとヨーロッパの思想に近いのかもしれません。