パリのオルセー美術館を8記事ほど紹介させていただいたので、次はパリのルーブル美術館を連続10記事をブラシュアップして掲載いたします。本記事が7/10です。
オルセー美術館は基本的に1848年(2月革命)~1914年(第一次世界大戦)の作品が展示されていて、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されているそうです。
つまりルーヴル美術館は古代~概ね1848年の作品が展示されていることになります。


上の航空写真で黄色のライン(━━)で囲まれた中にある建物が全てルーブル美術館です。Google地図で計測した敷地の大きさは長さ700mで幅は336m(西)~206m(東)で広さは198,000㎡(19.8ha)です。世界で最も入場者数の多い美術館でもあります。赤色ライン(━━)が今回歩いた中世時代の城の地下の遺構の場所です。




敷地面積 198,000㎡(Google地図計測)
展示スペース 60,600㎡
収蔵品数 380,000点以上
展示公開美術品 35,000点
来館者数 926万人(2014年) 世界1位
美術館として開館 1793年
建物の歴史の始まり 12世紀 ただし、これ以前は不明
ルーブル美術館は世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡の一つでもあります。もともとルーブル美術館はフィリップ2世が12世紀に要塞として建設したルーブル城でした。その後、幾度となく増改築が繰り返されて、現在の建物となりルーブル宮殿として使われるようになりました。しかしながらルイ14世が1682年にヴェルサイユ宮殿を王宮に選んだことで、ルーブル宮殿は、宮殿としての役割を終わりました。その後のルーブル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となりました。そして美術館として正式に開館したのは1793年でした。見取図→ポチッ



ルーブル城の発掘は1866年(ナポレオン3世時代)に行われましたが、本格的な発掘調査が行われたのは1984年~1986年です。ルーブル美術館の地下でもガラスのピラミッドを建設(1985年~1989年)する際に天守塔の土台や城壁や堀などが発見されて1989年からルーブル美術館の地下スペースで見学できるようになったそうでする。ここでは、その遺構を紹介したいと思います。

城壁などの遺構を見ることが出来る地下にはミロのヴィーナスの近くの、こちらの場所から入りました。

ミロのヴィーナスからエジプト関係の展示エリアへの地下通路が遺構なのです。通路はL型に曲がっています。最初の直線の景色です。

少し進んだ景観です。説明を聞いておらず私の感想ですが、左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。

通路の左側の城壁です。城から見るとセーヌ川側の時様壁になります。

遺構はさらに地下深くにあり、その部分は床がガラス張りになっていました。

L字型の通路を曲がってすぐの景色です。やはり左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。

通路の奥にエジプトエリアへの入口が見えます。

エジプトエリアの入口から振り返った景色です。

城の塔の土台と思われる部分を拡大いたしました。

入口を進んでから振り返った景色です。右の壁にLOUVRE SULLY MEDIEVALと書かれています。これからLouvre médiéval であることが判りました。


案内板の①~④は次の通りです。
① Tour de Taillerie Bâtie par Philippe Auguste XII siècle
② Soubassement du corps de logis ajoutés par Charles V vers 1360
③ Pile du pont-levis de la porte orientale menant vera la ville
④ Tours de la porte orientale XII siècle
エジプトエリアに到着いたしました。数値はそれぞれで検索した時の件数で、数値が近いことから両方が使われている証拠です。"ルーヴル美術館"は正式で専門家に使われていて、"ルーブル美術館"は一般の人が使っている感じです。
"ルーブル美術館" 約460,000件 今日(2025年4月29日):約1,580,000件
"ルーヴル美術館" 約573,000件 今日(2025年4月29日):約2,500,000件

沢山の塔が建っているところが、ロワールにあるサンポール城に少し似ています。歴史を感じます。
ルーブル博物館は元はお城だったのは知っていましたが、
この絵を見てその素晴らしさが分かります。
でもここの地下は見た事がありません、凄く頑丈な基礎部分が見られるんですね。
エジプトエリアには、大理石でしょうか?スフィンクスがありましたね。
コンコルド広場にある「オベリスク」はルクソール神殿にあった1対の右側のもですが、このスフィンクスもエジプトから運んだのでしょうね。
古代の沢山のオリエントやエジプトの石像がありました。中世の時代は戦利品の考え方が、当然と考えられていたのかもしれません。
雨よこい。
かんかん照りですか。
こちらは8月になっても、まだ夜にエアコンを入れずに過ごせています。ここ数年では初めてのことです。さらに、基本的に晴れているのに1日1回は雨が降る天気が続いております。
紹介出来て良かったです。美術品だけでなく、見どころが沢山あるのにも驚きました。今の建物も見事です。
この建物の中もスゴイですね。
パリは中世においてヨーロッパ最大の都市だけのことはあります。
ルーブル美術館がお城だった事も
現在の地下がこんな風になってて見学出来るのも初めて知りましたが
ここ、すごいですね!
一度行きましたが、美術品ばかり夢中で見てました。
また行く機会があったら、じっくり見たいです。
絵が残っていたので、発見された時は話題になったでしょうね。それが31年前のことなのですね。
ルーブル美術館は広いので見落とすこともよくあると思います。何度か行っても新しい発見があると思います。
地下通路はまさに要塞の面影を残していますね~。
12世紀に建設した時はまさに要塞でした。その後、華麗な宮殿に変身していきました。結局は外敵から攻められることのなかった幸運なお城なのです。
ルーブル美術館は2度目でしたが、新しい発見を沢山させてもらいました。
nice!です!
行けませんでした・・残念
nice! ありがとうございます。
私も知りませんでした。
ルーブル美術館に来てみて、初めて知りました。
NICE ありがとうございます。
おそらく、そばにセーヌ川が流れているために、最初に城が出来た時より地面が上がった(あるいは城の地面が沈下)したのだと思います。
次の次の9/10でエジプトエリアを紹介したいと思います。
Nice! ありがとうございます。
エジプトエリアも紹介予定です。
nice! ありがとうございます。
Nice‼ ありがとうございます。
nice! ありがとうございます。