2015年10月28日

「二八蕎麦」の由来は語呂合わせ?

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、武田尾温泉に行くために成田⇔伊丹で乗った飛行機の機内誌の中に興味深いことが書かれていたので紹介します。機内誌から転用させていただいた写真は戸隠在来種を使った、ぼち盛りのざる蕎麦だそうです。

現在、よく食べられている麺状の薄く延ばして細く切る「蕎麦切り」は江戸時代に誕生したそうです。現在でも人気なように美味しい上に、手軽に食べれることが粋な江戸っ子気質に合ったようで、江戸の市中には蕎麦屋や屋台が続々と開店しました。蕎麦屋や屋台が描かれた浮世絵が沢山あるのは蕎麦が江戸の文化の一つになっていたことを示している気がします。蕎麦切りの発祥の地は甲州または信州と言われていますが、江戸で花開いたと言えると思います。粋な江戸っ子たちの人気の食べ方は、鰹節と濃口醤油で仕上げたつゆに細切りにした蕎麦をさっとつけてすすり、咽喉しのよさを楽しむことであったようです。浮世絵の2段目の左端の絵は「大江戸芝居年中行事」です。浮世絵「大江戸芝居年中行事」は安達吟光の作品で江戸三座のひとつ「市村座」の前に出ている蕎麦の屋台を描いたものです。屋台の横で男性が食べているのは江戸時代中期に始まった「かけ蕎麦」だと思われるそうです。
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クリックすると拡大江戸時代に描かれた浮世絵には、蕎麦屋や屋台の看板に「二八」の文字が散見されます。ここでは「二八」と書かれた浮世絵をネットから12枚集めてみました。
その中に右の絵「山海名産尽信濃蕎麦」の中にあるように「二六」と書かれた浮世絵もありました。「三五」と書かれたものもあるそうです。「二六」や「三五」は足算しても10になりません。
クリックすると拡大二八蕎麦というと、現代では蕎麦粉8割に対して、つなぎの小麦粉2割で打った蕎麦を指していますが、当時は蕎麦の一人前の値段がおおむね16文だったことから「2×8=16」の語呂合わせで代価を表していたとも言われています。あまりにも二八と書かれた蕎麦屋が多いのも、その説の信ぴょう性を裏付けている気がします。さらには12枚の浮世絵の中にも「二八」の看板には、小麦粉だけで作るクリックすると拡大クリックすると拡大うんどん(うどん)」の文字も複数枚見受けられることや、右の絵のように「二六」の看板を揚げる蕎麦屋があることも語呂合わせ説の有力な理由になっています。
ちなみに「二六」は12文(=2x6)で「三五」は15文(=3x5)を表していることになります。江戸時代の平均貨幣価値が1文=16.5円とすると16文は264円で、12文は198円で、15文は248円ということになります。
「二六」と書かれた「山海名産尽信濃蕎麦」は一勇斎国芳が文政末期(1830年ごろ)に描いたもので、左手の看板に「信州名物二六」とあるように「二六蕎麦」であることを表しているようです。この作品の描かれた江戸時代から信州(長野)が蕎麦の名産地であったことがうかがえる作品となっています。下の2段目の右側の浮世絵は三代・歌川豊国が安政6年(1859年)に製作した「二八そば」です。
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徳川家康が江戸幕府を開いた1603年には江戸は数万人程度(1600年:6万人)の町で、20年後においても京都の人口に遠く及びませんでしたが、その後も増え続けて1640年頃に京都に追いつき、1695年 には人口は85万人に達し、18世紀に100万人に達しました。その後も増え続けて二八蕎麦が町中に溢れていた1837年には128万人となり、 欧州最大の都市ロンドンの85万人を大きく上回り、世界最大級都市になりました。   江戸時代 : 1603年~1868年


蕎麦のつなぎに小麦粉を加えるようになったのは元禄年間以降ではないかと言われています。初期の蕎麦切りは蕎麦粉100%のため、お湯で茹でると、麺が切れやすいことから蒸籠(せいろ)で蒸すのが一般的だったようです。現在、もり蕎麦やざる蕎麦をセイロに盛り付けるのは、このセイロで蒸していたころの名残だとも言われています。下記の写真は蕎麦ではありませんが、内モンゴルで有名な莜麦を麺にして食べる莜面(ゆうめん)です。この「ゆう面」はセイロで蒸して出されるので、蒸籠で蒸して出される麺の例として掲載させていただきました。写真をクリックすると「ゆう面」の記事を掲載いたします。
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今回の記載内容はJALの機内誌 skyward 2015年10月号 82~83ページを引用させてもいただきました。「二八そば」はごく自然に使われていたことから、語源の根拠が後世に残らずに忘れさられてしまったようです。ただし、最初の語源は判りませんが、浮世絵に「二八そば」が頻繁に書かれるようになった江戸時代後期は「二八そば」は気楽に食べれる安い蕎麦(駄そば)の代名詞になったのは間違いなさそうです。現代で二八蕎麦は高級蕎麦の代名詞なのとは違いがあります。
画面をクリックすると鮮明な画像でオリジナルの文章を読むことが出来ます。

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ラベル:浮世絵 二八 蕎麦
posted by SORI at 12:15| Comment(24) | TrackBack(1) | 蕎麦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます
朝から良い勉強になりました
つなぎの割合ではなくて値段
なんですね 江戸時代から
日本人は掛け算得意だったんですね
Posted by kazu-kun2626 at 2015年10月27日 06:36
kazu-kun2626さん おはようございます。
江戸っ子らしい粋な呼び方です。今から300年前のお話です。
Posted by SORI at 2015年10月27日 06:48
16文蕎麦とは言わず「二八蕎麦」とするなんて、すごく粋ですねー!
それにしても美味しそうなお蕎麦です^^
Posted by Rinko at 2015年10月27日 07:45
Rinkoさん おはようございます。
江戸時代の粋さが判る気がします。タイムスリップして見てみたいです。
Posted by SORI at 2015年10月27日 08:19
勉強になりました!
みなさん書かれてますが、やっぱり粋だなーーーって思いましたよ♪
お蕎麦食べたくなりました(笑)
Posted by リュカ at 2015年10月27日 09:35
リュカさん おはようございます。
蕎麦は大好きです。車で30分くらいのところに広い蕎麦畑があり、その畑の脇に手打ち蕎麦のお店があることを知ったので、新蕎麦で採れるころに食べに行きたいと思っています。
Posted by SORI at 2015年10月27日 10:02
こんにちは。先日はマップについてのご指導ありがとうございました。
お陰さまでどうにかできました(^-^)
それにしても二八蕎麦の二八にそんな意味があったとは。なかなか信憑性の高い説な上にその方がしっくりきますね。
おもしろいお話、楽しませていただきました!
Posted by さとう at 2015年10月27日 14:12
さとうさん こんにちは
お役にたてたようで幸いです。私も機内誌を読んでいて納得いたしました。ほんと、なるほどです。
Posted by SORI at 2015年10月27日 15:56
栗よりうまい十三里(九里と四里で十三里)の
さつまいものように しゃれっ気がありますね。
Posted by サンダーソニア at 2015年10月27日 20:37
ソバは、美味しいですね。。
まだ、十割蕎麦を食べたことが無いので一度食べて見たいと思ってます。
セイロには、そう歴史があったんですね。。
Posted by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 at 2015年10月27日 21:08
サンダーソニアさん こんばんは
「栗よりうまい十三里」の呼び方が出来たのも江戸時代だそうです。
江戸時代、サツマイモの名産地で知られた川越市(埼玉県)が江戸から川越街道を通り、約十三里(52㎞)の距離であったことに因み、距離的概念から、さつまいも(十三里)>栗(九里)を洒落れてみたようです。
Posted by SORI at 2015年10月27日 21:39
なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん こんばんは
江戸時代の蕎麦は、全て手打ち蕎麦だったのでしょうね。すばらしい発明だと思います。
Posted by SORI at 2015年10月27日 21:42
美味しいお蕎麦が食べたくなりました。
所々のお店に新蕎麦の旗を見かけるようになりました^^
むさしくん元気になって良かったですね。
Posted by 美美 at 2015年10月27日 23:09
美美さん おはようございます。
むさしの記事も見ていただけたのですね。うれしいです。
新蕎麦も早く食べたいです。
Posted by SORI at 2015年10月28日 04:34
SORIさん、おはようございます。
浮世絵に沢山、蕎麦が描かれているんですね~
勉強になりました。
Posted by ゲンママ at 2015年10月28日 06:17
ゲンママさん おはようございます。
蕎麦が描かれた浮世絵が沢山残っているのは、グルメな江戸っ子たちの食べ物として浸透したからだと思います。今回は二八と書かれた浮世絵だけを掲載しましたが、二八にこだわらなければ沢山の浮世絵があります。
Posted by SORI at 2015年10月28日 06:35
モンゴルのゆう面は見た目はまったく蕎麦ですねー!
お味は?と気になったので、お写真をクリックして内モンゴルの記事を読ませていただきました。味も蕎麦に似ているんですね~^^
Posted by Rinko at 2015年10月28日 07:45
Rinkoさん おはようございます。
ゆう面は味も蕎麦にそっくりです。ただし蒸したままなので時間が経つと麺と麺がくっついてしまうため、喉ごしがいいという感じではありませんでした。でも、水にさらすと食感も蕎麦になるかもしれません。
Posted by SORI at 2015年10月28日 08:44
おはようございます^^
時代小説を読んでいるとき二八蕎麦のことが出てきてやはり
2x8から来ていると書かれていましたよ^^
Posted by mimimomo at 2015年10月28日 09:20
mimimomoさん こんにちは
まさに江戸っ子らしい呼び方だと思います。文化開く江戸だから生まれた言葉ではないでしょうか。
Posted by SORI at 2015年10月28日 11:31
えー。そうだったんですね。
ボクも粉の割合だと信じ切っていました。
江戸っ子ってさすが、粋な言葉を使っていたんですね。
Posted by はらぼー at 2015年10月31日 12:52
はらぼーさん こんにちは
粋な江戸っ子気質や沢山の浮世絵に書かれていることから可能性が高い気がします。江戸文化を感じさせてくれます。
Posted by SORI at 2015年10月31日 14:03
「二八」で値段を表すって、粋なですね。
てっきり、蕎麦粉と小麦粉の割合なのだと
思っていました。
Posted by youzi at 2015年11月01日 21:00
youziさん おはようございます。
江戸だから出来た言葉かもしれません。
Posted by SORI at 2015年11月02日 05:45
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Excerpt: 写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。 2015年11月1日に偶然に新そば / 新蕎麦に出会えました。家内と出かけて、家に帰る時、ちようど昼時だったので手打ち蕎麦のお店に寄ってみること..
Weblog: まっくろクロスケ
Tracked: 2015-11-03 07:41
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