

2010年01月07日 掲載
2025年01月14日 再掲載 閲覧数:3,871 nice!: 99 CMT :24
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広い場内には、通路が突然狭くなったり、高い城壁の間に敵を招き入れて城壁の上から攻撃で殲滅する仕掛けなどが見られます。ゴールコンダ王国の歴代君主は次の通りです。年数は戴冠(即位)年を表しています。第3代君主スブハーン・クリー・クトゥブ・シャーは6歳で戴冠して在位期間は7ヵ月でした。

2.1543年 ジャムシード・クリー・クトゥブ・シャー
3.1550年 スブハーン・クリー・クトゥブ・シャー
4 1550年 イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー
5 1580年 ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャー
6 1612年 スルターン・ムハンマド・クトゥブ・シャー
7 1626年 アブドゥッラー・クトゥブ・シャー
8 1672年 アブル・ハサン・クトゥブ・シャー
1687年にゴールコンダ王国はムガル帝国(1526年~1858年)のアウラングゼーブ皇帝指揮の第三次遠征軍の大攻撃を難攻不落のゴルコンダ城塞に篭城(ろうじょう)して、長期にわたる包囲攻城戦を持ちこたえたそうです。しかしながら城内のアフガニスタン戦士アブドゥッラー・カーンの裏切りにより、1687年9月21日早朝、キールキー城門からムガル帝国軍が侵攻し、ゴールコンダ王国守備軍はアウラングゼーブ帝遠征軍に陥落したそうです。同時にゴールコンダ王国の滅亡となりました。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。

広さを実感してもらいたいのでGoogle地図での航空写真で、ゴールコンダ城塞(Golconda Fort)を紹介します。ゴールコンダ城塞の東側(右側)の方向がハイデラバード(Hyderabad)の町になります。航空写真上の

こちらが城塞(城、砦、要塞)の入口です。インドの人の入場料は我々外人より圧倒的に安く設定されており沢山の人が見に来ています。みんな楽しそうだったですね。クリックして拡大すると多少表情が判ります。城にはユニークな通信システムがあったそうです。正面玄関のアーチの下で手を打つと、アーチの反響効果により30-40m以上離れたバーラー・ヒサールや、別の地点へその音が明瞭に伝わるそうです。この通信システムは現在も機能するため、正面玄関は観光客が立ち止まり、手を打つ格好の場所となっています。

入口を入ると岩山に作られた城だとわかります。ゴールコンダ城塞は、巨大な花崗岩の3重壁で取り囲まれています。最外壁は小砦を一つ持ち、小丘上を取り囲む設計だそうです。2番目の壁は丘の麓に沿って、3番目は巨石群を取りこんで、丘の斜面に建設されています。外壁の厚さは5~10mで、巨大な花崗岩ブロック製です。北東の角には、城の一角から突き出ていて、その両側の長大な外壁を一望できる「大腹稜堡(ペトラ・ブルジ)」があり、そこにファテヒー・ラーフバル砲が据え付けられていました。

さらに城の頂上を目指しました。険しい道が続きます。
ムガル帝国王子だったアウラングゼーブ率いる1656年のムガル帝国第二次遠征軍を防ぐために9つの丸突起の稜堡がつくられたそうです。この稜堡は、当時、アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの将軍だったムーサー・ハーンによって設計され、建築家のダーマチャールによって増設されたものだそうです。
頂上には宮殿の一つBaradariが建っています。

急勾配の階段の部分で記念写真を撮りました。

城の頂上が見えてきました。城は、高さは122mの孤立した花崗岩の丘の上に、壮麗にそびえ建っていました。

城の頂上から下を見ると万里の長城のような景色を見ることができて、この城郭の大きさを感じられます。城の上から見ると城壁が永遠と続いているのが判ります。城外郭は丘に沿うように、そして城を囲む外壁は、いびつな菱形状に設計されているそうです。頑丈な銃眼を持つ最外壁は、外周囲7km近くにも及び、さらに周囲に深い堀を持ち、高さが15-18mもある87の半円形稜堡(ブルジ)、8つの巨大な門がありました。

沢山の部屋があり城の規模が判ります。この景色からもゴールコンダ城塞が屈指の要塞都市であったことが伺えました。驚いたことに城内には陶器製パイプを利用した給水システムが、存在したことが明らかになっているそうです。このシステムにより飲料水は勿論のこと、いくつかの噴水も城内に作られていたそうです。王の謁見バルコニーには、特殊な視覚効果が施されていたと伝えられています。この仕掛けにより、別の場所にいる王の幻影を謁見バルコニー上に映し出し、万が一の刺客の攻撃から王を守ったと言われています。

城の上からはハイデラバードの町を望むことが出来ます。
ハイデラバードの町の中に大きな湖があります。この湖岸の一部が特に近代化されていました。街並み、近代的な電車など 特に驚いたのが普通の部屋に大型の薄型テレビが壁に掛けられていたことですね。この町はデジタル産業で裕福になりつつあるところなんです。ちなみに薄型テレビは日本製でした。

ここでも子供たちに会いました。子供たちは写真が大好きですぐに寄ってきてくれます。撮った写真を見せてあげると喜んでいました。ゴールコンダはGolkondaあるいはGolkondaで、「羊飼いの丘(Golla konda)」が語源になっているようです。ゴールコンダ地区はダイアモンドを含む宝石の世界的な鉱山があることでもでも知られています。ゴールコンダ城塞の城壁内ではダイヤモンド取引が行われていて、ダイヤモンドのための金庫室があったことでも知られています。

1906年に描かれたゴールコンダ城塞の絵と、撮った位置は違いますが類似の構図の現在の写真ををWikipediaから拝借いたしました。


城から降りてお土産を買いに行きました。
インドと言えば紅茶なので、街の紅茶屋さんで、お土産として紅茶を購入しました。店の奥には大きな袋が沢山積み上げられているのに驚かされました。それを見て、インドの人は紅茶をよく飲むことを実感させられました。新しいと香りがいいので、地元の人たちは少しずつ小まめに買いに来るそうです。確かに、我々が買っている間も、次から次へと買いに来ていました。
我々が多量に買ったのに驚かれましたが、お土産に持って帰るとわかって納得でした。同時にホクホク顔でした。 おじさんが手に持っているパッケージを全員で40個ほど買いました。たぶん数日分の売り上げになったと思います。
地方の町だし土産物屋でないので、べらぼうに安かったです。同じ値段で、デリーの土産店の10倍は買えたと思います。

街の紅茶屋さん前の通りの写真です。雰囲気が判ってもらえると思います。

ゴールコンダ城の場所を紹介します。小さな黄色の丸(●)はインド国内で訪問したことがある町です。小さな青色の丸(●)は周辺国で訪問した町です。


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一番海苔です、何か良い事が
ありそうです
岩山全体が城塞なんですね
街の雰囲気が長閑でいいですね
niceもコメントも一番とはうれしいです。印象的な城塞でした。これだけでもハイデラバードに来た値打ちがありました。
インドで買ったお茶はひと味ちがった
美味しさだったような気がします。
お土産をもらった方々はお喜びだった
ことでしょう(●^o^●)
(もちろん某イギリスのブランド紅茶も
元を正せばインド産のお茶なのですが
味の濃さが違うようの思います☆)
インドのお茶屋さん、美味しかったことでしょうね^^
紅茶の栽培は、19世紀にイギリスによって アッサムで始められ現在はインド北東部のアッサム・カチャール・ダージリン・ドアーズなどで精算されるインドの紅茶は年間約98万トンで、インドは世界最大の紅茶生産国だそうです。それだけに美味しい紅茶が多いのだと思います。
大砲が使われた時代なので、守るためには城塞は頑丈で広さが必要だったのでしようね。迫力がありました。
街並みを見ると、ハイデラバードは治安も良さそうですね。
しかし、男の子は日本人と同じで、
カメラの前ではやっぱり固まってしまうんですね(^^)
してほしいですね。
水道施設(といっていいかどうかは?)が備わっていたとは驚きです。
子供の表情までよく気が付かれますね。プリントアウトした写真をあげたくなりました。
ほんと、歴史の中の遺産は貴重です。この城は見た瞬間に気に入りました。すばらしかったです。
ゴールコンダ王国の歴代の国王たちは今回の城だけでなく後世に沢山の偉業を残したことで有名です。ダイヤモンドをはじめとする宝石の世界有数鉱山がゴールコンダにあったことは無関係ではないと思います。
頂上まで登れるんですね。
息が切れそう^^;
インドの街並みも素敵ですね。
急な階段でした。敵を防ぐのが目的なので険しいのは当然かもしれません。
いんど~いんど~!
なんて、昔、カトちゃんが言ってましたが、実際はどうなんでしょう?
話では、貧困が凄く、ストリートチュルドレンが多くて、すぐ、手を出してくるとか聞いてますが、、、
治安はどうなんでしょうか?
初めてインドに行った頃は沢山のストリートチュルドレンが逞しく生きている姿を見て衝撃を受けました。最近は見なくなりましたが、貧困層の生活はまだまだ厳しいと聞きました。
確かにインディ・ジョーンズの世界と言えますね。金庫室を探してダイヤや宝石を見つけたいです。
乗り鉄の方には、一畑電車も有名なようです('ω')
凄い城壁が続いていますね・・・
探検したくなりますね(^O^)
ここの城を見て、屈指の要塞だったと感じます。
ちょっと万里の長城にも似ているって感じの場所もありますね。
ほんと、ちょっとした山登りです。食べ過ぎが続いたので、いい運動になりました。
難攻不落の要塞のような論文と言われているとはすごいです。
ゴールコンダ王国はムガール帝国より8年早く出来た同世代の王国であることをいめとロマンを感じます。
この城を象に乗った王が闊歩されていたのでしょうか?す
石の城は迫力がありました。不思議な魅力がありました。
インドと言えばムガール帝国ですが、ゴールコンダ王国というのもあったことを知りました。
私のブログはシーサーブログへ移転いたしました。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
古代の城が残されているのは素晴らしいことです。1000年後、1万年後に人類はどうなっているのか気になります。
初めてインドに行ったのは1992年でした。それから13回いくことになりました。
シーサーブログへ移転に移転されたのですね。こちらこそ宜しくお願いいたします。
旅先での子供たちに、今撮った写真を直ぐに差し上げられる様なカメラが有っても良いですね。または超小型プリンター(^_^;) マット紙のロール、白黒、サイズはL版の2/3程度でも良いかと(^_^)v
まさかのまさかだったでしょうね。どこかの貸金庫を思い出してしまいます。
ほんと、その場でプリントして写真が渡せたら、もっともっと喜んでくれたと思います。