


2015年1月22日に上海鍋を食べた新天地には史跡としての価値がある建物がありました。それが今回紹介する建物です。沢山の人が集まっているあたりの建物の中で1921年7月23日~7月31日に中国共産党を設立するための会議が行われました。つまり外国に支配されていたころ、今の共産党の前身の組織で秘密裏に共産党を作るための会合が行われていた建物です。修学旅行生と思われる人たちが沢山来ていました。
その会議のことを中国共産党第一次全国代表大会と呼ばれています。
中国語では「中国共产党第一次代表大会」となり、会議名は中共一全会議、一全大会、結党大会、第一回党大会などとも呼ばれています。現在、その建物は中国共産党第一次全国代表大会会址記念館になっており、館内には当時の様子を示す資料などが展示され、歴史や社会背景の解説もされているようでした。

全国重点文物保存単位
中国共産党第一次
全国代表大会会址
中華人民共和国国務院
一九六一年三月四日公布
中国共産党第一次
全国代表大会会址
中華人民共和国国務院
一九六一年三月四日公布

こちらが内部を見るための参観券(入場券)です。実は参観券は無料なのです。参観券には中共一大會址記念館と書かれていました。英語の表現はMemorial for the site of First National Congress of Communist Party of China でした。

一番右側の門のところで参観券を受け取るのですが、無料だとわかるまで手間取りました。参観券を受取って、一番左側から2番目の門から係員に参観券を見せてはいりました。無料なのに参観券が
必要なな理由は、訪問者数を数えているのか、記念に参観券を渡しているのかは判りませんでしたが、もらえて記念にはなりました。記念館内は写真に撮って紹介したいものが沢山にありましたが、残念ながら内部は撮影禁止でした。


左側の壁面に4つ並んだ玄関の左から2つ目の玄関の部分が会議が行われた李漢俊の私邸でした。左から1つ目と2つ目の玄関の間に冒頭から2枚目の写真で紹介した「全国重点文物保存単位」の表示がありました。


会議の4日目となる7月30日に密偵に探知されたために討議を一時中断してメンバーはただちに裏口から逃走して、会議は浙江嘉興県に移され、再び討議が続けられたそうです。ここの建物ないには飲みかけの茶碗がそのままテーブルの上に置かれた当時の様子が生々しく再現されています。その室内の右の写真はネットから転用させていただきました。

建物を別の角度から見ました。新天地の記事を書くのは今回が3つ目です。タイトルをクリックすると記事を表示します。
新天地 レストラン編
新天地 ディナー編
新天地 史跡編

ここが出口になっていました。当時としては、こちらが正面玄関なのかもしれません。

玄関の右側の縦表札には「中国共産党第一次全国代表大会會址記念館」と書かれており左には「上海革命歴史博物館籌備処」と書かれていました。こちらはクリックすると拡大いたします。

出口部分の通路です。この通路の両側にある部屋にもいろんな展示物が置かれていました。

出口部分の上には「樹徳里」と書かれていました。樹徳里は当時の時代の地名です。上海市のフランス租界内の貝勒路 樹徳里3号(現在の興業路76号)です。

左側の建物が今回紹介の中国共産党第一次全国代表大会會址記念館です。右側の建物も古い感じがしますが似たデザインです。このことから記念館は外壁をリニューアルしたと推測され、きれいにする前は左側の状態に近かったのではないかと思われました。クリックするとさらに顕著に判ると思います。100年の歴史を考えると右側の建物の状態でも見事に保存されていると言えます。この写真はコメントを5つ頂いた段階で追加させていただきました。

観光バスも頻繁に訪れていました。最近、上海では二階建ての循環観光バスが増えてきた気がします。2階がオープのバスも多く見かけます。

7月30日の夜に租界の巡査( or 密偵)に気づかれ、会議が一時中断されましたが、代表はそれぞれ浙江省嘉興の南湖に移動し、下の写真の一隻の船の中で最後の会議を行ったそうです。

13名の代表は下記の写真の毛沢東、董必武、何叔衡、陳潭秋、鄧恩銘、王尽美、李達、李漢俊、包惠僧、劉仁靜、張国燾、陳公博、周仏海です。

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綺麗な建物ですね。
補修されているのかな?
建物の色使いも中々良いですね。。
この辺りはフランス租界時代の建物が沢山あり外壁きれいにして再利用している建物が多いです。この建物もきれいにしたのだと思います。
100年経った建物としては綺麗で
立派な建物ですね~
参考になりました。ありがとうございます。
この辺りの古い建物はすべてリニューアルされてきれいになっているので、この建物もリニューアルされたのではないでしょうか。おそらく新天地の名前もきれいにしたのでつけられたものと思われます。我々が食事をした建物も古い建物をきれいにしたものでした。
春の上海を楽しんできてください。いい季節ですね。
詳しい背景なども書いて下さって、勉強になりました。
いつか行ってみたいな。
欧米などの列強に実質植民地化されたに等しい抑圧された環境の中で海外に留学した超エリートたちが立ち上がって共産党を作ったことが伝わってきました。中国の誇りと言える場所なのだと思います。
100年も経っているように思えませんね(^_^)v
大切に保存されてきたのだと思います。ほんときれいでした。
「中国共産党第一次全国代表大会會址記念館」とか「上海革命歴史博物館籌備処」とか、かなり歴史を感じます。
因みに、代表の中に日本の大学出身者が4名いました。とありましたが、私の母校も入ってました、、。
昔は観光の外国人にはあまり知られていない場所でしたが昔の洋風の建物群がリニューアルされて新天地になったことから訪れる外国人も増えたと思います。われわれもその一人でした。
文革のころの記念切手に若い頃の絵がデザインされて
いるものがあり、お気に入りの1枚になっています。
確か、延安へと言う名前の切手だったと思います。
さすが北京に留学されていたので毛沢東の若いころの写真はすぐわかるのですね。写真だけ見ていると判りませんでした。ここでは歴史の勉強になりました。