パキスタンの記事を19ブラシュアップして紹介させていただいたことから、今度はインドの57記事の中から先ずは19記事をブラシュアップして紹介します。 本記事が18/19です。
初めてインドに訪問したのは1992年7月18日で、それ以来13回訪問しました。
の場合はクリックすると拡大します。
インドの記事をいくつか掲載したので懐かしくなり昔の写真を探してみました。 その結果1992年7月17日と18日に撮影した写真が出てきたので掲載いたします。 今までも何枚かインドの写真を掲載いたしましたがこれらが最も、34年前のインドの雰囲気を表しています。商店街です。 みんなゴムゾーリなのが印象的でした。
右の写真が34年前の私です。下の写真は、食べ物屋さんですね。カラスが目の前を飛んでいるのがわかりますか。写真の中央です。前の記事できれいな空港を紹介しましたが、23年前のデリーの空港に着いたときの衝撃的な印象は今でも記憶に残っています。残念ながら空港の写真は残っていません。真夜中に着いて、荷物が出てくるまでに1時間は待たされました。全数X線検査をしたものがターンテーブルに乗って出てきますがチョークでチェックをつけられたスーツケースは荷物チェックを受ける必要がありました。一番衝撃的だったのは空港を出た瞬間でした。たくさんの人たちが客になりそうな人を待ち受けているのでした。
道路が交差する場所です。ほとんどロータリーになっていますが珍しく信号機のあるロータリーです。
私がはじめてインドに行ったのが、これらの写真を撮った時でした。

下記の日程でアメリカ→ドイツ→インドと移動した中で、1992年7月16日にフランクフルトからデリーに入り、7月21日にボンベイ(今はムンバイと呼びます。)から成田に帰ってきました。 このときを含めてインドには13回行きました。
今回紹介の写真は9枚すべて、その時のデリーの写真です。
下の写真はデリーの露店です。右の写真はデリーで泊まったホテルの写真で、右下の写真はホテルでの記念撮写真です。
ホテルの中だけは別の世界だったのがインドでした。
7月11日 成田 → シカゴ7月11日 シカゴ → ルイビル
7月14日 ルイビル → シカゴ
7月14日 シカゴ → フランクフルト
7月16日 フランクフルト → デリー
7月20日 デリー → ムンバイ
7月21日 ムンバイ → 成田
泊まったホテルの部屋から駅が見えました。ホテルの名前は変わりましたが、一時期はインターコンチネンタル ザ グランド( INTERCONTINENTAL THE GRAND )に変って、今はThe Lalit New Delhi( थे ललित न्यू दिल्ली )です。
偶然にも21年後に同じホテルに泊まって同じ構図の写真を撮りました。→ポチッ

23年間に担当および責任者として世界の54ケ所に発電プラントを納めてきましたが、インドでは下の3つの航空写真の発電プラントのプロジェクトを行いました。 仕事はプラントの設計および完成・引渡までのプロジェクトの遂行です。 最近ではGoogleで空から、そのプラントを鮮明に見ることが出来るようになりました。 今では当たり前ですが、34年前には考えられないことでした。 すごいです。
真中のプラントの件では何度もデリーに行き、サイトには最終段階に行きました。 その最終段階の時に急にサイトの近くまでの飛行機が飛ばなくて、1995年11月07日に世界で最も交通事故の多いと言われた「死の8号線」と呼ばれる国道8号線をインドの車アンバサダーで長時間(約190km)走ったことを思い出しました。 ほんとうに事故の光景を沢山見て怖い思いをいたしました。 馬力が無くスピードの出ないアンバサダーでの追い抜きは命がけでした。 その時の移動は次の通りでした。
1995年11月06日 成田 → デリー
1995年11月07日 デリー → アーメラバード
1995年11月07日 アーメラバード → バルーチ フライト欠航により車(アンバサダー)移動
1995年11月15日 バルーチ → ムンバイ(ボンベイ)
1995年11月16日 ムンバイ → ソウル 初めてファーストクラス(F Class)に乘る。
1995年11月16日 ソウル → 成田
8,000KW発電 700,000KW発電 1,500,000KW発電



こちらの緑色マーク(





10年経っても変わらなかったので永久にこのままかな。と思ってしまいましたが、ここ数年で加速度的に変わってきました。
実は20年前にミネラルウオーターを分析いたしました。
プロジェクトでインドに行く人のために一流ホテルのミネラルウオーターを日本に持ち帰って分析した結果、大腸菌が多量に入っていました。安全のためにミネラルウオーターといえども煮沸して使うようにしました。もちろん歯磨きは水道水禁止でした。
歯磨き → ミネラルウオーター
飲み水 → 煮沸したミネラルウオーター
さすがは、ご主人です。海外なれされていたのですね。
今は大丈夫なので誤解のないように
ツアーで同行したご家族が、アメーバ赤痢にかかって
しまい、お気の毒でした。
水には気を付けていらしたのですが、飲み物に入っていた
氷がダメだったようです。
デリーで街を歩いていたら、「あなたの靴はボロボロだから、
修理してあげるよ」と声を掛けられ、そんなに汚いかなあ、
とガッカリした覚えがあります。
あのころはインドでは病気になる人が多くて大変でした。
日本人は、あの衛生状態には耐性がなかったと思います。私も街を歩いていて数十人近い靴磨きの子供たちにおかけられました。
今朝の新聞・・・イベント事故 海外も怖いですね。
海外で下痢になると大変ですね。沢山の知り合いの人が苦労しました。
最近の発展を考えると20年前というのは
かなり厳しい状況だったのでしょうね
ホント、最近急速に発展してきましたか、23年前は昔のままという感じでした。近い将来、世界一の人口の国になった時はどのような国になっているのでしょうね。
この記事で、ああそんなに経ったんだな、としみじみ感じました。
日本にいるだけではそこまで感じないのでしょうが、
このインドの変貌ぶりを見ると、時の流れを本当に実感します。
インドが変わってきたのは、つい最近です。長い間23年前のままでした。これからの変化は早いのでしょうね。
nice!です☆
オオオナモミ。検索してみました。
ネパールの付近と南部などはかなり違うのではと思います
34年前と言えば現役バリバリの頃でした (^_-)-☆
今になって振り返るのも、思い出深くて、懐かしいことでしょう。
nice! ありがとうございます
趣のある風景でした。
このころ町に散歩に出ると後ろに子供たちの行列が出来ました。
靴磨きの人も付いてきました。
オオオナモミを見ていただいたのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%A2%E3%83%9F
デリーとムンパイよく訪問したので、特にそれ以外の町は興味深く感じました。
今でも、よく覚えています。
残念ながらデリーより北には行きませんでした。
バリバリかどうかは判りませんが、確かに仕事が充実した時期でした。
おお~~ スリランカに行かれたのですね。
興味深いところです。
行ってみたいです。
空の上からなら、多くを見ることが出来る時代になりました。
Googleマップが出るまでは想像だにしませんでした。
行った場所で最初に探したのは、長く正確な位置場所が判らなかったラマ教の聖地の五當召(五当召)でした。
https://makkurokurosk.seesaa.net/article/2010-08-17.html
大失敗したのが、いつも持ち歩いているパソコンに写真を保管していたことでした。
そのパソコンが壊れてしまって、すべての写真無くなってしまったことです。
それ以来、外付けのハードディスクに保管して、ハードディスクも故障することを想定して、さらに2つの予備のハードデスクに保管するようになりました。つまり3ケ所に保管しているのです。
Nice‼ ありがとうございます。
nice! ありがとうございます。