

ウクライナの首都キエフの街の中には沢山の銅像がありました。裏通りを歩いていて見つけたのが上の銅像です。ちょっと不思議な雰囲気の銅像なので近づいて見ました。
馬に乗り手には剣を持っていますが服装が変わっています。なんとなくアジアの雰囲気があります。


剣が日本刀のよう反りがあるのも特徴的でした。

ウクライナ語を読んでくれる人が出てくることを願って台座の文字も掲載いたします。

銅像が立っていた場所は青いマークのところですが、マイナスのアイコンを何度かクリックすると町の中の位置がわかってくると思います。ストリートビューでも確認できました。銅像でも自動的に顔に「ぼかし」が入っていました。→全体 顔拡大
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追伸

チョンマゲのような髪型はオセレーデツィ(Оселедець)と呼ばれてウクライナ・コサックの伝統的な髪型だそうです。近世にはチューブあるいはチュプルィーナと呼ばれたそうです。オセレーデツィの由来について二つの仮説が存在するそうです。一つが欧亜の遊牧民の辮髪に類似することからアジアに起源を持つ説です。もう一つが北欧のルーシ族の髪型の一種でヨーロッパに起源を持つ髪型である説です。この2つではアジア起源説が有力とされています。
キエフ大公国は9世紀後半から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家でした。下記の地図の赤い部分がキエフ大公国の勢力範囲を示しています。正式な国号はルーシ(Рѹсь)で、日本語名キエフ大公国はその大公座の置かれたキエフに由来するそうです。ルーシ族と呼ばれる北欧系のヴァイキングによって建国され、リューリク朝によって統治されたそうです。10世紀までに同地の東スラヴ人との混血によってスラヴ化し、キリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となったそうです。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つでしたが12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退していきました。1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊したそうです。国民国家史観を中心とした研究史においては、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの三国の共通の祖国とされています。

この地域の国の歴史です。
7c–13c ヴォルガ・ブルガール
7c–10c ハザール
9c–12c キエフ大公国
12c–14c ウラジーミル・スーズダリ大公国
12c–15c ノヴゴロド公国
13c–15c タタールの軛
1340–1547 モスクワ大公国
1547–1721 ロシア・ツァーリ国
1721–1917 ロシア帝国
1917 ロシア臨時政府 / ロシア共和国
1917–1991 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国/ソビエト社会主義共和国連邦
1992–現在 ロシア連邦 + ウクライナの一部
Sviatoslav_oseledec(Sviatoslav I)で検索して出てきた銅像です。



ヘアースタイルで変わって居るのは何と云ったって「ちょんまげ」に適うものは無いでしょうね!(笑)
ネットで検索していて銅像の主を探り当てました。スヴャトスラフ1世と言うキエフ大公国の大公だった人です。ちょんまげの名前も判りました。詳しくは追記したところ(追伸)を見てください。
ロシアの歴史も興味ありますね。実際のその地に立たれて、素晴らしい体験をされましたね。
銅像にも歴史があることを知りました。何気なくネットで調べていていろんなことがわかりました。
髪型と服装はアジア系で、不思議な感じがしますね。
昔のこの地域のが、このようなオリエントな雰囲気を持っていたのかもしれません。それにしても、この人物の名前がわかってよかったです。
スヴャトスラヴ1世でも、アジア系の人物でもありません。
ウクライナ人にとってはコサックが祖先であるので、
変なとこでコサックの銅像・石像・絵画を立てるのが好きです。
コサックの銅像と教えていただきありがとうございます。すごく気になっていました。
ヨーロッパとアジアの中間だけのことはあります。勇猛な戦士の雰囲気が漂ってきます。
ミックスされて印象を受けました^^
裏通りに不思議な雰囲気の銅像が建っていたので印象に残りました。キエフの歴史をしる機会になりました。
パッと見、モンゴリアンかと思いましたが、ハズレでした。。(^_^)
下の写真の人と戦っているのか。蹴り倒しているのか分かりませんが、
この様な銅像も珍しいですね。
不思議な風貌の銅像でした。銅像が作られるだけのことはある人物なのでしょうね。