

6月9日にハノイから南に車で230km走った時ですが、途中にタンホアという町がありました。その町の近くに写真の鉄橋がありました。この橋はソンマ川に架かっているタンホア鉄橋です。この橋はベトナム戦争で大変に有名になった橋なのです。ただし、これは当時のものではなく再建されたものです。昔の写真を見る限り形は、当時の鉄橋と同じです。
この鉄橋がベトナム戦争中、北軍の兵站輸送路であったため航空機の最重要目標の一つであるタンホア橋(Thanh hoa)でした。第1回目のアメリカの攻撃が1965年4月3日に、下記通りの総数79機の大攻撃部隊編成で、このタンホア橋に対して行われましたがほとんど被害を与えることは出来ませんでした。
F-105x46機(15機:防空網制圧, 31機:橋への攻撃)
F-100x21機(4機:MIGCAP, 2機:天候偵察, 7機:防空網制圧, 8機:RESCAP)
RF-101x2機(写真撮影)
KC-135X10機(空中給油)
翌日には第2回目が、ほぼ同じ編成での攻撃が行われましたが、一ヶ月後には鉄道路が修理開通する程度の被害しか与えることが出来ませんでした。一方で米軍側も3機のF-105が失われました。
第3回目の攻撃は1965年5月7日に行われました。さらに半月後には第4回目が行われ、この時点で合計1000発の爆弾とミサイルが投下されました。
その後、1968年の空爆停止(パイロットの被害が大きすぎたため停止)までの3年間に延べ800機の攻撃が行われたにもかかわらずタンホア橋はソンマ川に存在しつづけ「不死身のドラゴンジョー(龍の顎)」と呼ばれました。

撃墜されたアメリカ側の航空機の数も40機を越えたと、ベトナムに長く住んでいた日本人が話してくれました。ベトナム戦争全体では米軍機は約2700機(海軍1000機 空軍1700機)を失っているので、不自然な数字ではないようです。この写真はクリックすると拡大します。

この丘の上に対空砲AAAや対空ミサイルSAMが設置されていたそうです。
タンホア鉄橋は米軍呼称で、場所がタンホア省にあるのでタンホアにある鉄橋というような意味です。ベトナム側ではHam Rung(ハム・ラン)橋と呼ばれており、英訳された"Dragon’s Jaw"(竜の顎)の方がよく知られたそうです。

この丘は記念の場所らしくベトナム国旗が立てられていました。
多くの攻撃を受けながら橋が7年間も存続出来たのは防衛網だけではなく橋自体が極めて頑丈だったことも一因だったそうです。他の橋はフランスの技術によって作られたために強度的な無駄がなかったことから簡単に破壊されたそうです。この橋はヨーロッパの技術で作られたのではなく中国の設計によることから極めて(無駄に)頑丈なため小さな爆弾が当たっても橋が落ちるほどの危害にはならなかったそうです。

当初の精密誘導兵器はミサイルに頼っていたので弾頭威力が足りなかったそうです。この橋が破壊できたのは4年間の北爆停止後の1972年4月27日の最新鋭のTV誘導弾とレーザー誘導弾を使った攻撃でした。上空には雲がかかっておりレーザー誘導弾は使えませんでしたが5発の大型のTV誘導弾(AGM-62「ウォールアイII」EOGB)が発射されて初めてタンホア鉄橋の橋桁を落すことに成功したそうです。攻撃機も当時最新のF-4DファントムIIでした。4年前以前の攻撃でも2000ポンドのTV誘導弾が使われても破壊できなかったことから見て4年間でTV誘導機能が進歩したものと想像されます。
しかし三年後の1975年4月30日に北ベトナム軍によって南ベトナムの首都サイゴンが陥落してベトナム戦争が終わりました。

現在の航空写真です。丘と鉄橋が判ってもらえると思います。2本の橋の上側がタンホア鉄橋です。下側は道路用の橋で、この橋の上を車で通過する時に冒頭の写真を撮りました。
Google地図でタンホア鉄橋(Thanh hoa Bridge)とポールドゥメ鉄橋(Paul Doumer Bridge)の場所を紹介いたします。


より大きな地図でタンホア鉄橋 を表示
ベトナム戦争の悲惨さをわかってもらうために死者および不明者数を紹介します。死者および不明者は合わせて813万7千人になります。この内、アメリカは58,245人の戦死者と約2,000人の行方不明者が出しています。
推定戦死者 285,000 1,177,000
行方不明者 1,490,000 604,000
民間人死者 1,581,000 3,000,000
合計 3,356,000 4,781,000
ネットの記事よれば1972年6月8日に撮られた有名な右上の写真の少女キム・フック(9歳)はナパーム弾により、顔を除く全身に医者に見放されるほどの火傷を負っていたそうです。写真を撮った写真家のニック・ウトさんの医師への説得で治療が行われて、幸いにして一命を取り留め、現在は56歳となるカナダ在住の2人の母だそうです。
ラベル:ベトナム
冒頭の写真の再建された橋からは、とてもうかがい知れない歴史を知ることができました。どんな事情にも負けない平和の架け橋だけは、壊れないでいてほしいなと願ってやみません。
車で横を通った時に有名な橋であることを教えてもらいネットで調べて歴史を知り、戦争の悲惨さをあらためて感じることが出来ました。
これから、中国、ロシア、インド、このアジアの資源確保に向けて
争われるように思います。
兵器が変わってきたように人の心も変わってほしいですね。今は難しくてもいつかは争いがなくなってほしいです。そうならないと人類はいつかは絶滅する運命かもしれません。
自然豊かで素敵な風情ですね
自然の中にも、いろんな歴史があることを知りました。ベトナムに詳しい方が一緒に車に乗っておられたことから、この橋の歴史を知りましたが、知らなければ、そのまま通り過ぎていたと思います。
戦争ほど悲惨なことはありません。心配のない時代に早くなってほしいものです。
まさに地球でいつでも起きていること、
人類の歴史も戦いの歴史といえますね。
他者への理解、異なる価値観の受け入れ、
譲り合う精神をお互い持てた時、
戦いの減少が少しだけ進むんでしょうね^^;
のどかな風景でも歴史を知るとこう思わずいられません。
戦争の歴史は終わってほしいものです。ベトナムの戦争博物館は残虐で悲惨な歴史が伝わってきました。
枯れ葉剤と地雷が、後々まで残りましたね。
どうして仲良く出来ないんでしょうかね。
暴力は暴力でしか答えが来ませんね。。
ベトナム戦争、悲惨ですね!
私の知り合いに、ベトナムから嫁がれた方がいます。
戦争は多くの人命と人々の苦しみ、そして多くの時間を奪いました。2度と会ってほしくありませんね。
ほんと、悲惨な戦争でした。繰り返さない教訓にはなったとおもいますが、大きな代償でもあり、亡くなった人たちが、かわいそうです。
私の知り合いの隣の方もベトナムから嫁がれた方でした。仕事で通訳していただいたNHKに勤めていた方は私の近所にホームステーで留学されていたと聞いて驚きました。
40年経ちますね。あの悲惨なベトナム戦争を知らない人たちも沢山いるということですね。教訓を活かす努力は必要ですね。