2020年9月10日追記 タイトル:開封府を題名とした歴史ドラマ

テレビを見ていると私が行ったことがある中国河南省の開封(かいほう)という町の名のドラマが流れていました。ちょっと感激してしまい、2011年2月に掲載した記事に追加する形で再掲載いたしました。

ドラマのタイトルは「開封府・北宋を包む青い天」でした。
開封の変遷は概ね次の通りで9つの王朝で首都にになりました。11世紀(1001~1100年)から12世紀(1101~1200年)にかけては世界最大級の都市であったそうです。歴史ドラマは第3代皇帝の真宗と第4代皇帝の仁宗の時代(997年~1063年)に仕えた包拯を題材にした物語です。包拯は中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物で、約26年間に数多くの職を務めている中で名裁判官としての多くの話が残っている人物です。北宋と南宋は宋という同じ国で、1127年に金に北方を奪われて南に下ったことから判りやすくするために北宋と南宋に分けて分類されているようです。開封の近くには少林寺(登封)や龍門石窟(洛陽)があります。
王朝 王朝の時期 開封に関する事項
夏 BC1900~1600年頃 首都:老丘(開封) 第7代~第12代
杞 殷代~戦国時代 首都 時期は不明
鄭 BC806年~BC375年 啓封と名付けられた
魏 BC403年~BC225年 首都:大梁(開封)
秦 BC778年~BC206年 落城し荒廃
前漢 BC206年~8年 地方都市 初めて開封の名がつけられた
後漢 25年~220年 地方都市
魏 220年~265年 地方都市
東魏 534年~550年 梁州と呼ばれた
北周 556年~581年 汴州と呼ばれた
髄 581年~618年 大運河の開通により発展
唐 618年~907年 末期に長安衰退後は開封が全中国中心
後梁 907年~923年 首都:汴州(開封)
後晋 923年 - 946年 首都:汴州(開封)
後漢 947年 - 950年 首都:汴州(開封)
後唐 923年~936年 五代十国時代で首都にならなかった国
後周 951年~960年 首都:汴州(開封)
北宋 960年~1127年 首都:東京(開封) 東京開封府と称す
南宋 1127年~1279年 1127年から金の地方都市となる
金 1115年~1234年 1214年から首都 南京開封府と称す
元 1260年~1635年 河南地方の中心都市
明 1368年~1644年 黄河大氾濫により壮大な建物群が土に没す
清 1644年~1912年 河南地方の中心都市
下の写真はテレビ歴史ドラマの中の開封の城壁の画面です。
ドラマは見ていないのでドラマの内容は説明できませんが、現在はBSテレ東で毎週月曜~金曜の8時56分から放送されています。全58話(2017年製作)で9月11日の時点で15話が放送し終わったところです。


開封府の前で記念写真を撮りました。鮮明に開封府の文字が読めるので、ぼかしを入れてた上で掲載させていただきました。開封府の文字が右側から書かれているのが判っていただけると思います。このような建物は全て大洪水で泥に埋まってしまったので、当時のものではなく全て復元された建物です。中国の内陸部の寒い時期だったので分厚い防寒用のダウンを持って行きました。



建物の中には大きな銅像がありました。

室内は暗くフラッシュも控えたので、元々は右のような写真でしたがPCで露出調整しました。写真をクリックすると空に明るくした拡大写真を表示します。
高さは3m、重さ2.5トンの包公の銅像です。包公は開封に首都があった北宋時代の人で、中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物です。若い頃は故郷の合肥で学問に励んで、1027年、29歳で科挙試験の進士に合格し、多くの官職/文官を務めた人物です。生前から庶民に人気がありましたが、没後に名声はさらに高まり、特に南宋、元以来、包公故事(伝説)は広く語り伝えられたそうです。その結果、庶民に崇拝される典型的な人物像が作り上げられ、後世の人々に伝えられていったそうです。包公は清官(清廉潔白な官吏)の代表とされたそうです。

名前 包拯 包公あるいは包青天と呼ばれた。
生涯 999年(咸平2年 生)~1062年(嘉祐7年 没)
出身 廬州合肥 現在の安徽省合肥

下の写真が銅像の設置された部屋です。
この記事を書いていてドラマの内容が気になってきたので16話からになりますが、録画予約いたしました。
まだドラマは見ていませんがドラマの最初に出てくる登場人物の名前をメモしていました。

包拯 ほう じょう 主人公 公正無私な役人
雨柔 う じゅう 開封府元長官の娘
劉娥 りゅう が 真宗の妃 後に実権掌握
真宗 しん そう 第3代皇帝
張徳林 ちょう とくりん 野心家の権臣 軍権掌握
王延齢 おう えんれい 宰相 張徳林と勢力ニ分
仁宗 じん そう 第4代皇帝
展昭 てん しょう 侠客
周児 しゅう じ 仁宗と縁のある女性

今までに河南省の開封に関係した下記の記事を掲載しました。着色文字をクリックすると記事を表示します。興味のある記事があれば見てください。下の写真は鄭州(郑州)から開封(开封)に向かう途中で出会った早朝の幻想的な太陽です。


開封で最も有名な寺院 大相国寺
開封は鳥を飼う人が多い町でした。
開封の道教のお寺 延慶観

古都「開封」の街並み
古都「開封」の行列の出来る肉まん屋さん
古都「開封」の行列の出来る甘栗屋さん
開封の歴史 包公祠
東京と呼ばれた北宋の古都「開封」

2011年2月20日掲載 タイトル:東京と呼ばれた北宋の古都「開封」

開封の町の入口にそびえる城壁です。この町の代表的景観です。朝日に輝く城郭がみごとでした。ここは北宋の時代に「東京」と呼ばれていた古都「開封」です。開封の記事はいくつか掲載する予定にしています。鄭州を朝早く出発して開封に8時4分に着きました。上の写真は8時35分の城壁の写真です。
開封は日本で言うと京都のような町で、あちらこちらに古いお寺が点在しています。京都と特に違うのは黄河が氾濫し都が何度も泥に埋まったために、京都に比べると昔のままに残っている建物は掘り出されたか復元されたもので、古い街並みは少ないのですが、歴史のある観光都市であるところは同じです。
ガイドさんや三輪自転車で町を案内してくれる人が沢山います。でも中国はあまりにも広いので訪れる日本の観光客の人は少ないと思います。


冒頭の城壁の朝もやの中の写真です。
開封は河南省の省都・鄭州から東に70kmです。北には殷の都の遺跡「殷墟」のある安陽があり西の龍門石窟のある洛陽とは反対側です。車で1時間半です。

霞む門を拡大いたしました。

鄭州のホテルから開封の大相国寺までの車のルートです。

半日貸切で250元でした。ところが帰りにタクシーの運転手さんに悲劇が!
前の車に付いて変則ローターに入った途端におまわりさんに呼び止められました。進入禁止だったのです。罰金は200元! もちろん前の車も同じでした。半日も我々に付き合ってガソリン代と駐車料金を考えるとどう見ても儲けは0円です。なんとなくがっくりしていました。ホテルに着いて50元をプラスしてあげると、ものすごくうれしそうでした。もともとの相場は300元なのでお互いに気持ちよく別れるのもいいものです。





━ 鄭州~開封
この日は上海への移動日でしたが、鄭州から上海のフライトが午後だったので早起きしてここまで足を延ばしてみることにしました。早起きした価値がありました。鄭州のタクシーの運転手さんは、この町には詳しくないので最初に訪れた包公祠から右下の写真の地元の三輪自転車タクシーに乗って町を廻ることにしました。写真の三輪自転車に私が乗っています。三輪自転車を雇ったのはガイドも兼ねていたわけです。タクシーとはこの町で最大の寺院である大相国寺で待ち合わせることにしました。この時の旅の移動のフライトは次の通りです。

12月07日 北京→南京 MU2822
12月10日 南京→鄭州 MU2843
12月12日 鄭州→上海
12月13日 上海→桂林
12月15日 桂林→広州 CZ3231
12月15日 広州→成田 JL604
ここは開封府と言われ北宋時代の役所にあたるところです。入口を正面から撮ったものです。開封府の文字が印象的でした。開封府と言えば中国の歴史上で最も有名な清廉潔白な官吏の包拯(ほうじょう 999年~1062年)が有名です。

斜めから撮りました。城壁に囲まれていました。建物自体は最近復元されたものです。

開封も観光に力を入れ始めたようです。昔の建物を復元した施設です。洋風に言えばテーマパークです。ここは外から撮りました。沢山の建物があることが分かってもらえると思います。



左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で橙色に塗られたところが開封市です。安陽市の人口は527万人で、人口密度は818人/km²の町です。驚いたことに、日本の戸田市と伊賀市と伊勢市と下諏訪市の4つの市が姉妹都市となっています。
河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳、郑州


開封が首都であった北宋は960年から1127年まで167年間続きました。その頃の開封は世界最大級の都市でした。国号は宋ですが、金に開封を追われて1127年に首都を臨安(現在の杭州)に遷都した後の南宋(1127~1276年)と区別して北宋と呼び分けています。北西には西夏(1038~1227年)で、北東には遼(916~1125年)がありました。南西方向には大理(938~1253年)があり、西に吐藩と書かれているのは633~877年に繁栄したチベットの王朝で、滅亡後もチベット地域を表す言葉です。南の大越は1054~1804年までのベトナムの正式な国号です。
この地図の中には东京(東京)以外に南京と西京と北京の文字もあります。つまり宋の時代には東・南・西・北がそろっていたことになります。

歴史を感じます。
あまり知られていない町だと思います。そんなこともあり、開封の町の記事は沢山掲載させてもらいましたが、今回の記事が最後です。半日の旅でしたが堪能させてもらいました。
ココに行った記憶がありません。
行ってないのかな?
城壁は残っているようですが建物は最近復元されたものが多いと聞きました。もしかしたら復元前なのかも知れません。 私も三輪自転車のおじさんに案内してもらいました。
気持ちよく別れるのは良いことですね。
嫌な気持ちを引きずるよりはいいかも。。
歴史も勉強になりました。
200元は4000円相当で物価から考えると数万円に相当するので痛かったと思います。
古代から大陸は征服の繰り返しだったことを実感させられます。栄えたころには開封(東京)は世界最大級の規模だったそうです。
気持ちよく別れる・・・同感です(^^)
旅はそうでありたいです✿
半日一緒だと親しくなります。朝早く着いたので、どこも空いていませんでしたが、朝の町の風景を見ることが出来ました。
やはり素敵ですね。
こんな場所が、訪問した近くにあるとは驚きました。行って見てよかったです。歴史の勉強になりました。
確かにそうですね。都(首都)に「京」を使うとは日本と同じですね。日本は平安京、平城京、京都、東京ですね。
ドラマは妻が好きです。
最近は韓国ドラマだけでなく中国ドラマの数も増えてきたように感じます。
悠久の歴史に感嘆しきりです
霞んだ景色が中国ですね(笑)
中国は広いですね。何度も行きましたが、ほんの一部しか行っていないです。でも日本ではあまり知られていない珍しい場所にも行きました。
ほんとに幻想の世界。素敵です。
タクシーの運転手さんも悲劇だったけど、ほんとに最後良かったです。心遣いってとっても素晴らしいこと。私まで嬉しくなりました。
タクシー運転手さんの悲劇まで読み込んでいただけたとは嬉しいです。思い出の一コマでした。これほどの幻想的な太陽は後にも先にも、これだけでした。
中国ドラマで見入ってしまったものがあります。何気なく見て先が見たくなって録画予約してしまいました。忘れてしまっていたのでネットで調べてみると題名は「琅琊榜 弐 風雲来る長林軍」でした。こちらは実在した人物ではなさそうですが、中国語のサイトで琅琊榜の長林軍というのは唐時代に存在していたとの記述がありました。
中国語:https://kknews.cc/history/baevebj.html
日本語:https://www.ch-ginga.jp/feature/rouyabou2/index.html
北(北京)、南(南京)、西(西安/長安)とくれば東(東京)があってもおかしくないですね。私も開封に来て初めて知りました。世界最大級だった大きな町ですが黄河の大氾濫で土砂に埋まってしまったとはスケールが違います。土砂に埋まったためにタイムカプセルのように昔のことが分かることもあるようです。
中国は4000年と言われるだけあって歴史の奥は深いです。大陸だからこそ次から次へと王朝も出てきましたね。この先がどのように変わっていくのがが読みにくい時代になってしまいました。経済力だけの戦いでおさまってくれることを祈るばかりです。
戦いの場面では人間離れした動きの特撮も面白いです。多く使われているので、喜ばれるのだと思います。やはり中国の歴史ものは面白いです。
中国ドラマって見たことないですが、面白そうですね。
なにしろ歴史が壮大ですものね。
日本ではあまり知られていない場所だと思うので、なおさら嬉しく感じました。紀元前から王朝があり、交代劇が繰り返されてきましたが、その地に住む民の人達の生活は続いてきたのだと思います。
横浜イングリッシュガーデン(バラ)に、コメントを有難う
ございました。これから咲はじめる秋バラが楽しみです。
中国には行ったことが有りません、映像で見る城壁や建物が
立派なので、自分の目で一度は見て見たいと思っています。
中国は平地が多いので自然の地形を利用して町を守るのは難しいためか城壁が発達したようです。いろんな町で昔の城壁を見ることが出来ます。
東京開封府を御存じだったとはすごいです。首都であったことを紹介出来て良かったです。
中国、行ってみたいです。
「東京」は普通話(北京語)の発音で「ドンジン」だったでしょうか。
いまではすっかり日本の首都を表す言葉のようですが、元は中国の都市名だったわけですね。
近所のレンタルビデオ店では華流(中国)コーナーができています。中国語字幕入りのものがあれば聞き取りの練習になりそうです(笑)。
確かに中国を勉強されている方は、中国語の字幕があると勉強になりそうです。DVDは世界のために音声はいろんな言語の選択が出来るようになっているので、もしかしたら字幕もあるかもしれません。実態はどうなのでしょう。気になります。
発音は今も昔も同じように感じます。
中国で自然に出会えて感激した場所は黄山と九寨溝・黄龍と桂林でした。今回のように日本人があまり行かない場所も魅力的でした。
良いところを見てきましたね、中国は食事が気になり行ってません。
仲間が敦煌へ行って赤痢になって空港で隔離されたのよ。
東京開封府……そんな呼び名のところがあったなんて知りませんでした。
良い時に行って来ましたね、これからは海外はコロナが気になって行かれません。
東京開封府、歴史に詳しい相棒はよく知ってました。
中国の歴史文化を、文化大革命で毛沢東がことごとく壊したことも話してくれました。
東京開封府を良くご存じとはすばらしいです。ほんと歴史に詳しいですね。
文化大革命は仏教文化をことごとく破壊したために古い貴重な仏像などは残っていななくてほとんどが新しく復元したものだと、九華山を案内してくれた中国の観光に携わる方が嘆いていました。その点で日本の仏教遺産は素晴らしいし羨ましいと言われていました。近くの龍門石窟の石像も大半が壊されていました。幸いにも一番大きな奉先寺洞の廬舎那大仏は壊されませんでした。そのために世界遺産となりました。
西夏や吐藩に聞き覚えがあるとはすばらしいです。西夏の方は私も聞き覚えがありました。東方のピラミッドと呼ばれる西夏王陵に行った時に思い出しました。その西夏王陵の記事は下記のURLです。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2014-10-10