パリの記事の掲載が終わったので、次はベルリンの14の記事をブラッシュアップして順番に紹介したいと思います。本記事が3/14です。



これがドイツのベルリンで、今は観光場所として有名なブランデンブルク門です。ここに来たときは、夕方近かったので西日のために逆光の写真になってしまいました。きれいな写真を撮りたいときは正面から日が当たる朝をお薦めします。見ていないけれどもライトアップの時間帯もいいかもしれません。
門が建っている、この場所は、第二次世界大戦後は東ベルリンに属し、西ベルリンとの境界線がすぐ近くを通ることとなり、1961年に東ドイツが国民流出を防ぐためベルリンの境界線を封鎖し後に「ベルリンの壁」と呼ばれる壁を建設すると、門の前を壁が通る形となったため、門は東ベルリン西端の行き止まりとなり通行できなくなった場所でした。


右の写真はネットから拝借した1961年8月13日のブランデンブルク門です。この日まで門の下には東西ベルリンを行き交う車や人が通っていたが、この日開始されたベルリンの壁建設により門の周辺は無人地帯となりまりました。つまり東西ベルリンに分かれた悲劇の象徴でした。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し、28年ぶりに再び門の下を通行できるようになりました。門は2000年12月から巨額の資金をかけて清掃と改修工事が行われたそうです。周囲では1990年代から2000年代にかけてホテルや大使館などの再建が進み、門はベルリンを代表する観光地となって現在の雰囲気になったそうです。
ベルリン州(通称ベルリン)はドイツの首都で、ドイツ最大の都市です。
西側(裏側)から撮ったブランデンブルク門です。太陽が正面から当たっているので、きれいに撮れていますが、残念ながら、有名なクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアは後ろ姿です。

Googleマップのストリートビュー(SV)でも西側(裏側)から撮ったブランデンブルク門を紹介します。
ブランデンブルク門は昔18箇所あった都城の門のひとつですが、残りの門は城壁の取り壊しとともに姿を消していく中で、唯一残されたのがブランデンブルク門です。ブランデンブルク門はフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により建築家カール・ゴットハルト・ラングハンスによって古代ギリシャ風で設計され、1788年から3年間の建設工事を経て1791年8月6日に竣工しました。門の上の四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像は、

一番上の写真からクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアの部分を切り取ったのが右の写真です。下の写真は逆光を避けるために下から見上げるかたちでブランデンブルク門を撮ったものです。クアドリガ(四頭馬車)が見えます。このクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリアはナポレオン・ボナパルトによりベルリンが征服された時にフランスへ戦利品として持ち去られました。その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ、門の上に戻されたそうです。

ブランデンブルク門は沢山の歴史がありましたが、今は楽しい雰囲気が、漂っています。女の子たちが回転する三輪自転車に乗って歓声を上げていました。

高校生たちがブランデンブルク門を背景にして記念撮影をしている風景も、明るい雰囲気が伝わってきます。なぜか女の子が多いです。

門が注目されていますが左右の建物も注目してください。同じ建物が対象形に配置されていました。

ブランデンブルク門から東側の広場を撮ったものです。沢山の木が見えると思いますが有名な大通りのウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)です。

開放的な二階建てバスも明るさを盛り上げてくれています。

さらに、すでに紹介した自転車軍団も明るい雰囲気です。

参考のためにベルリンの壁があった当時の写真をネットから転用させていただきました。

ベルリンの壁崩壊は、それまで東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で1989年11月9日に発表したことで、その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放され、翌11月10日にベルリンの壁の撤去作業が始まった出来事でした。

ベルリンの壁崩壊時(1989年11月9日)の写真もネットから転用させていただきました。
真中はWkipediaに掲載されていた写真で、壁崩壊の翌日の11月10日に撮られた写真です。
写真をクリックすると、いずれも拡大いたします。



ドイツへいらっしゃったのですね。
Berlinはいい街でしょ。好きですよ。
壁のあった時代にここに住んでいました。
今も時々行きますが、一番住みたい街です。
ベルリンに住んでおられたとは羨ましいです。滞在時間は短かったけれども、すばらしい町であることはわかりました。今、ベルリンの記事をいくつか掲載中です。今までの記事はこれです。↓
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301197807-1
さすがナポレオンがパリに持ち帰った彫刻だけのことはあり立派ですね。 彫刻家ゴットフリート・シャードウが制作したそうです。
ベルリンですか、うらやましいです(笑)。
ベルリンは私も初めてでした。いろいろと発見がありました。
ドイツの都市では一番気に入りました。
私は行った事事ございませんで
記事を読ませて頂いて
楽しませて頂きます~^^。
今までに訪問したドイツの街(村)は10ケ所になります。泊まったことのあるドイツの町(村)はマンハイム、ハイデルベルグ、ミュンヘン、デュッセルドルフ、小さな村の5ケ所でした。ベルリンが6ケ所目になります。それぞれに特徴があり素敵な場所なのが、驚きました。特にベルリンの壁を経験したドイツの首都は魅力がいっぱいありました。
はい、ここには2010年6月28日の夕方訪れました。夕方といってもまだまだ明るい時間帯でした。
読んでもらえるとうれしいです。ありがとうございます。行ったところの珍しい出来事を紹介出来るのはすばらしいです。
門なんですね。
今はこの一つだけになりましたが以前には、このような門がいくつかあったと書かれていました。ベルリンを代表する名所になりました。
ベルリン 大都会ですよね☆
ただ 他の国に比べて
サービス対応が・・・でした^^;
ぶっきらぼうというか サービスに慣れていない感じがしました。
歴史は突然に変わることがあることを知りました。民衆の力はすごいです。
私はデュッセルドルフは一泊だけでした。確かクリスマスの時期で、いい街だった記憶があります。
そうでしたか。ドイツは実質を重んじる国なので、そのためだったかもしれません。
人は、仲良くしなくてはと思います。
いがみ合っても、何も楽しくないですね。
日本の近隣もそうですが。。
ベルリンの壁崩壊は和手氏も鮮明な印象として残っています。崩壊から24年が経過したとは思えないほどです。
日本にも原爆ドームとかありますね❗
いってみたいなあ、ブランデンブルク門
NICEです(^^)
ナイスです♪
お堅いイメージがありますが、結構皆さん明るいんですね!
見方が変わりました。
ベルリンはよく映画の題材になり東側から西側へ逃げる人たちを描いているので、ベルリンという名を聞くと、結構気分が重たくなります。
旅行中、元東ドイツの旅人と会ったことがありますが、「西に統合されて誰もかれもが忙しくなり昔の人情みたいなものが失われた」と統合後何年かして聞いたことがありました。またもともと西ドイツの人たちは「西ドイツにとっては統合は全く益になっていない。元東ドイツの人たちが重荷だ」と嘆いていたのも思い出します。
歴史を振り返ることは大切、ベルリンには行っていなので
いい勉強になりました、今は明るい門ですね
あれは、92年だったかな。
nice ! ありがとうございます。
日本でもクラスの中に一人は、こんな感じの人がいたように思います。
いつまでも残しておくことは大切ですね。
ベルリンに行って、最初に向かったところでした。
NICE ありがとうございます。
nice! ありがとうございます。
今でも各地で続いていることが、残念です。
ほんと、沢山の笑顔であふれていました。
ナィス ありがとうございます。
ドイツからベルリンの壁の一部が寄贈されたとはすごいです。
若者は、どこの国でも明るいですね。
沢山の仕事のやり方が違う人が一緒になると起こることですね。
私も聞いたことがあることを思い出しました。
仕事のやり方は全く違う人たちが統合すると起こりうることですね。確かに聞いたことがある話ですが、今はかなり解消されたように感じました。
私も忘れかけていましたが、記事のブラシュアップで思い出すことが出来ました。
偶に思い出すことは大切だと感じました。
nice! ありがとうございます。
1992年と言うことは壁の崩壊から3年後ですね。
Nice‼ ありがとうございます。
nice! ありがとうございます。
NICE ありがとうございます。
訪問 ありがとうございます。
nice!です。
nice! ありがとうございます。