


ロシアのサンクトペテルブルグのネフスキー大通りを散策しているとカザン聖堂や旧シンガーミシン社のビルのあたりから色鮮やかな教会が見えました。それが血の聖堂と呼ばれているスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。運河沿いにあり遠くからすぐにわかる場所にでした。さっそく運河沿いに歩いて見に行くことにしました。掲載している写真はすべてクリックすると拡大します。
スパース・ナ・クラヴィー聖堂(Храм Спаса на Крови)は血の上の救世主教会と呼ばれるロシア、サンクト・ペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂である。公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)です。
血の上の救世主教会の名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地であります。横のグリバエードフ運河(グリボエードフ運河 Griboedov Canal)に映えた教会で近づいてくると迫力があります。

この教会の特徴は玉ネギの形をした屋根です。それも違った色彩に飾られています。サンクトペテルブルグの町の建物はバロック様式の物が大半ですが、それとは違った異国を感じさせられるものでした。この教会の建築はロマンチックなロシア・ナショナリズム、中世のロシア建築の影響を色濃く受けていてモスクのような雰囲気を感じさせてくれていました。

下から見上げた構図です。ピョートル大帝以来、西欧化を推進してきたロシアにおいては、建築においても伝統的なロシア様式が否定され、ヨーロッパの建築様式が主流となっていた。その西欧化を体現してきたともいうべき都市ペテルブルクにおいてさえ、聖ワシリイ大聖堂のようなロシアを象徴する建築が無意識的に望まれてできたと考えられるそうです。 その一方で、聖ワシリイ大聖堂と比較すると、全体の構成のより自由な点や優美さなどはモスクワに代表されるロシア的なものとは異質であり、やはり、ペテルブルクの建築であるとの評価があります。

血の上の救世主教会は、アレクサンドル2世の暗殺というロマノフ家にとっての悲劇がきっかけになって建立された建築物である。

イコノスタシスは、ヴィクトル・ヴァスネツォーフ(Viktor Vasnetsov)、ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov)、(ミハイル・ヴルーベリ)らを含む当時のロシア最高の芸術家たちによって設計されました。主任設計士はアルフレッド・アレクサンドロヴィチ・パルランド(Alfred Alexandrovich Parland)ですか、ロシアにおいてもほとんど知られていないそうです。
教会の外側にキリストの像が配置されているのも珍しい気がしました。

北側から見た教会です。観光バスが移動するのを待って写真を撮りたかったけれども、結局はここにいる間にバスが移動することはありませんでした。

ネフスキー大通り入口から教会を望んだ構図です。このあたりは車が渋滞している場所でした。

北側の道路を挟んだ隣接した小さな聖堂と思われる建物ですが、似た雰囲気のデザインが一部使われていました。
Googleのストリートビューで同じ構図がありました。→ポチッ
クリックしてオリジナルを表示させてNの文字をドラッグして回すと360度の景色が見ることが出来ます。

航空写真で位置関係を確認しました。航空写真の中で「血の上の救世主教会」Спас на Крови と書かれているのがスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。
小さな聖堂と思われる建物は道路を挟んでスパース・ナ・クラヴィー聖堂の北側(上側)にあります。その建物には「ムゼイ・カムニャ」Музей камня とかかれています。こちらの航空写真でも観光バスが並んでいます。観光バスの停車場所なのですね。
地図でサンクトぺテルブルグの場所を紹介します。レニングラードと呼んだ方がピント来る方もおられると思います。サンクトペテルブルグは、かつてのロシア帝国の首都で、その時代もサンクトペテルブルグと呼ばれていましたが、1914~1924年の間はペトログラードとよばれ、1924~1991年の間はレニングラードと呼ばれていました。ソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票により、ロシア帝国時代の現在の名称に再び戻ったそうです。ロシアで訪れた町にもマークをいたしました。






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ヨーロッパとは違う異国の雰囲気が漂う建物でした。スフスキー大通りから見ると小さいけれど、非常に目立っていました。
運河が横にあると、よりきれいに見えます。遠くから見通せるのもいいですね。
対称ではない不思議な雰囲気のある建物でした。屋根の玉ネギの部分のデザインも違っているのも興味を惹かれます。
御茶ノ水だったかにロシア正教会ありますよね
マミーのお家の近くにはイスラム教のモスクがあるんですよ
あっ!それから「ロシアの車」でマミーがコメントしたのは
ロシアの車ではなくフォルクスワーゲンのバンにSORIさんがアップなさった
ロシアの車が似ているってことです^^ヾ
圧巻ですね~。 この建物の中は上の方に行くと
どうなってるんでしょう。入ってみたいです。
VWの古い丸目のバナゴンを検索しました。出てきた写真を記事に追加掲載させてもらいました。
これですか。
↓
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2010-07-11-1#more
大聖堂のロシア語のХрам Спаса на Кровиの名前をGoogleの言語ツールで翻訳すると「教会こぼれた血の上の私たちの救い主の」と出てきました。まさに「血の上の救世主教会」でした。ほんとすごい名前がつけられたものですね。
http://translate.google.co.jp/translate_t?hl=&ie=UTF-8&text=%D0%A5%D1%80%D0%B0%D0%BC+%D0%A1%D0%BF%D0%B0%D1%81%D0%B0+%D0%BD%D0%B0+%D0%9A%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%B8&sl=ru&tl=ja#
これがロシアのデザインです。ロシア正教である証のような建物でした。
建物の中は外よりも、もっと飾られているそうです。血の教会の雰囲気が漂っているそうです。見てみたかったです。
と、思ったら、行き成りロシア・・・懐かしいです。もうずいぶん行っていません。
さっそくのコメントありがとうございました。この回、ロイアは初めての訪問でした。短かったけれども、いい経験が出来ました。
美術館もだけど、、、つぼ焼きとかボルシチなんかのロシア料理も食べに行きたいです!
今の季節が、一番いいと思います。 白夜が味わえるかも知れません。このときも、夜中の0時でも真っ暗にはなりませんでした。やっぱり土地の食べ物ですね。
名前は知らなかったけれども、私も見たことがあります。なかなかインパクトのあるデザインですね。47年前のデザインだから当然と言えば当然ですね。
あ、あれはモスクワでしたね。
モスクワの味、パルナスのピロシキですね。懐かしいです。今回はピロシキは食べれませんでした。
ほんと、目立っていました。東洋の雰囲気のある不思議な建物でした。この町には沢山のすばらしい建物がありました。
ロシアも見てみたい建物が沢山あるんですよね。
サントペテルブルグをあこがれている人が沢山いました。それだけ人気があるのでしょうね。
観光バスを降りて、たった10分間のカメラタイムでしたが、血の上の救世主教会を取り囲むフェンスの美しさに魅せられて、2枚目の油絵を描いています。自分で撮った2~3枚の写真を元に、周囲の景観をgoogle Earthで探索していますが、道を挟んだ前の6角形の建物の名前を調べていて、ここへ辿り着きました。聖堂のようにも見えますが、お分かりでしたら教えて下さい。昨日までこの大聖堂の門塀だと思っていましたが、間を道路が走っていますので、このソフトクリームのような柱はミハイロフスキー公園の塀にも見えます。◆サンクトペテルブルグの「100年前の美しい教会」と検索してみて下さい。
美しいタワーが写っています。私は74才のお婆ちゃんです。
突然の訪問をお許し下さいネ。
サンクトペテルブルグに行かれた方からのコメントうれしいです。ありがとうございます。
残念ながら六角形の建物の名前はわかりませんが聖堂に間違いないと思います。ロシアでは大きな教会の近くに小さな聖堂をよく見かけました。
ソフトクリームのような柱は特徴的ですね。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2011-06-03-1
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08
お元気にご活躍されていますか。
上の6角形のドームの聖堂の名前が分かりました。Pietroburgo,cappella dietro la chiesadella...です。
ミハイロフスキー公園の入り口から見た血の上の救世主教会を
描いた横に、これからこの教会を描きます。
今月中に仕上げなければ、間に合いません。では又
訪問ありがとうございます。6角形のドームの聖堂の名前ありがとうございます。あれから調べられたのですね。これらを絵されるとはすばらしいです。
確かに下記の写真の中に公園沿いのソフトクリームのような柱の塀が少しだけ写っています。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_003/makurokurosk/IMG_0004-960.jpg
よく読んだら、「サンクトペテルブルグの聖堂」ということでした。
笑ってしまいました。ゴメンナサイ
サンクトペテルブルグのサンピエトロ寺院と言えばサガン聖堂の
ことらしいですね。
訂正コメントありがとうございます。
それにしても、空から見ると素晴らしい公園ですね。
カラフルですね。
ロシア正教の独特の屋根の形不思議です。いろんなカラフルな模様があるのも特徴です。ほんと、どんな歴史からこのような形になったのでしょうね。
ただ行って見てきただけのような気がします
SORIさんのきちんとした説明や写真を見て良い勉強をさせていただきました 有難うございました
確かに屋根の形は違いますがカラフルなところがディズニーランドのシンデレラ城を思い出します。
10年前に行かれたことがあるのですね。美しい町でした。ロシアのパリというイメージだったです。
アラビアンナイトのような雰囲気です。
空飛ぶ絨毯が出てきそうな雰囲気。。(^_^)
確かに空飛ぶ絨毯が似合いそうです。おとぎの国のような色合いの教会でした。
すばらしい空の色でした。太陽の光を受けて建物の色も一段と鮮やかでした。