2015年05月05日

平遥古城 192年前の中庭がいくつもある銀行

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この写真は中国の昔の銀行の中庭です。この銀行のある世界遺産の平遥古城は紀元前(2700年前)からの古い歴史があります。周宣王の時代(紀元前827~782年)に記録が出てくるそうです。この時代にすでに商売で使うお金を為替手形で取引していたそうです。
  名前 日昇昌票號(日昇昌票号)
  区分 錢莊(銭荘 / 銀行)
  住所 中国 山西省晋中市平遥县西大街38号
  電話 0354-568-3621

上の写真の中の銀行全体の見取り図を拡大しました。沢山の部屋があることが判ると思います。南北65メートル、東西20メートルの大きさだそうです。四合院方式の組み合わせた平屋の広い敷地でした。上の写真は入口から入った最初の中庭です。かなりの部屋があり従業員も多かったと聞きました。基本的には民家の構造の組み合わせで作られた建物群で、昔の建物の勉強になります。
銀行は元々とアヘンで儲けたお金ではじめたそうです。


この銀行は城壁で囲まれた町の平遥古城の中心近くにあります。今の城壁のある景観だけでも700年の歴史があるそうです。その長い歴史の中に金融全盛時代がありました。巨大城壁に守られた平遥古城は明代末期から清代にかけて中国最大の金融の中心地だったそうです。
その中でも最も有名なのが日昇昌で、清の道光3年(1823年 今から192年前)に平遥西大街に開業したそうです。冒頭の写真は、その有名な日昇昌です。先ずガイドさんが案内してくれるのは、その昔の銀行です。
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銀行「日昇昌」の前の西大通り(西大街)のです。日昇昌記の文字が下がったところが銀行の入口です。この写真は是非をクリックしてみてください。銀行の前の建物はホテルのようです。電柱が無いのにも驚かされました。
IMG_2983-1094.jpg

昔の銀行の窓口です。この写真の赤い服の女性がガイドさんです。25才だそうです。こちらの人は若くてもしっかりしていて、いつも関心させられます。  
ガイドさんには朝食に汁ビーフンの美味しいお店を紹介してもらったりと大変お世話になりました。大変良かったので、次の離れた(車で1時間 35kmくらいの)場所のガイドおよび道案内もお願いしてしまいました。その追加料金は40元(600円)でした。我々の車に乗って行くのでガイドさんだけは終わった後にバスで平遥古城に帰る必要がありますが、そのパス代も込みです。


冒頭の写真とは別の中庭です。19世紀後半に中国最大の銀行となりました。
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建物は頑丈そうです。さすが銀行


当時の社長の車だそうです。



ここから下で別の銀行を紹介いたします。一院と二院の間の門です。錢莊(票號)が銀行を表しているようです。
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これが、これから紹介する銀行(票号/銭荘)の見取り図です。
院と書いているところは中庭なっていて、その廻り四方に建物があるのです。この方式を四合院と言うそうです。


この写真は上の見取り図の二院と書いているところです。


こちらは二院を奥側から撮った写真です。
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二院の奥にある三院です。
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龍の鎧を身に着けている武将らしき人が祀られていました。
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四院に逸静神怡と書かれた建物がありました。この屋根の下に、地下の中庭(五院)があり、その両側に金庫がありました。地下には七院にある細い階段から入ります。


六院には武器が展示されていました。金庫をまもる兵士がいたのではないかと思います。右の写真が金庫がある地下に行く七院の階段です。
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金庫室がある地下の五院です。ここに2つの金庫室がありました。
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こちらが地下金庫です。場所は四院と七院の間の地下にありました。見取り図では五院と描かれているところで、金庫室は2つありました。金庫室の中には馬蹄銀と呼ばれた銀の秤量貨幣が沢山保管されていました。でもこれはレプリカですね。たぶん


もう一つの地下金庫です。クリックすると拡大するので金庫の説明が読めると思います。
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この地下にはお坊さんが居られます。金庫室とお坊さんの関係はよくわかりませんでしたが、その部屋に入れてもらってお話を聞きました。このあたりは水が少ないそうで飢饉のときに私財を沢山寄付して街を救ったことを引用した話でした。


クリックすると拡大平遥古城( )の場所を地形図で紹介いたします。右の地図の赤い部分が山西省です。
  太原市内 山西省・省都 346万人 6956km²
  平遥古城 世界遺産(1997年登録)
   徒歩ルート 89km 17時間53分
posted by SORI at 06:41| Comment(14) | TrackBack(0) | 山西省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>アヘンで儲けたお金で
その頃なんですね。
Posted by nyankome at 2010年05月15日 21:17
nyankomeさん こんばんは
銀行システムとしては昔にしては進んでいたようです。
Posted by SORI at 2010年05月15日 21:38
ご訪問ありがとうございました。
Posted by こういち3 at 2010年05月15日 23:26
こういち3さん こんにちは
こちらこそ、ありがとうございます。このような建物が沢山残っていました。その中で銀行は有名な建物でした。
Posted by SORI at 2010年05月16日 03:24
お金を保管している部屋が凄いですね。
北京にいた時、両替をするにも銀行では時間がかかったので、
ホテルの両替を利用していたので、銀行に行く機会が
ほとんどありませんでしたが、近くの大学に入っていた
銀行の窓口が同じような感じでした。
Posted by youzi at 2010年05月16日 23:21
youziさん 沢山のコメント、いつもありがとうございます。
大学の中の銀行が似た雰囲気とはすばらしいです。見てみたいです。もう少し山西省の記事を続けさせていただきます。
Posted by SORI at 2010年05月17日 06:54
巨大帝国の経済を維持するには銀行が大切だったのでしょうね。中国の歴史の豊富さには感心します。
Posted by monkey at 2015年05月04日 18:36
ラストエンペラーの世界ですね。
Posted by サンダーソニア at 2015年05月04日 21:52
こんばんは。
遠くかすむ城壁に 絶句です。
Posted by sig at 2015年05月04日 23:45
monkeyさん おはようございます。
万里の長城の建設にも山西省人が関わり、ここでも財力を高めたと言われています。長い歴史の中から生まれた金融思想だったのだと思います。
Posted by SORI at 2015年05月05日 05:37
サンダーソニアさん おはようございます。
まさにラストエンペラーの時代を感じさせてくれます。
Posted by SORI at 2015年05月05日 05:38
sigさん おはようございます。
世界遺産の城壁の町からち19世紀、中国最大の銀行が生まれたわけです。
Posted by SORI at 2015年05月05日 05:40
こういう古い街並みの見学は面白いですね。
山西省は行きましたが、ここは行っていません。
Posted by toshi at 2015年05月05日 06:42
toshiさん おはようございます。
いろんなところに行かれているのですね。山西省は麺が美味しかったのではないでしょうか。
Posted by SORI at 2015年05月05日 06:47
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