Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。今回はトルコのイスタンブールの名物橋を紹介します。




イスタンブールでは沢山の人たちが橋で釣りをしていることは前回トルコに来たときに聞いていました。夕方に、その橋に散歩で来てみました。確かに沢山の人が魚を釣っていました。橋の名前は金角湾の入口にかかっているガラタ橋(Galata Köprüsü)だそうです。丘に建つ気になる塔は、この地に居留していたジェノバ人が地中海貿易のライバルであったベネチアや、宗教の異なるビサンチンの攻撃に備えるために677年前の1348年に監視塔として建てられた右の写真のガラタ塔(Galata Kulesi)です。
西に太陽が沈む時間帯でした。遠くにイスタンブール最大のスレイマニエ・モスクも見れました。そのモスクを見に行くために急いでいました。せめて日が沈む前に着きたかったのです。


魚を釣り上げたところです。小さな小魚です。


釣ってその場で売っている人も見かけました。並べられた魚を撮りました。小アジでした。拡大してみてほしいです。新鮮さが伝わってくると思います。おいしそうです。

拡大すると釣り上げられている小アジを見つけられると思います。

海面からはかなり高さです。船も頻繁に通るため油断していると船を釣り上げてしまうかもしれないですね。


1836年に完成したガラタ橋は1836年 に完成したそうです。今から177年前になります。驚いたことに、この橋は橋の中央部分が跳開橋(跳ね橋)つまり勝鬨橋(かちどきばし)なのです。勝鬨橋(かちどきばし)は固有名詞ではありますが、日本では跳開橋(跳ね橋)の代名詞になるほど有名です。
金角湾は大きな造船所があり大型船が通る必要があったために金角湾の入口にかかるガラタ橋は跳開橋(跳ね橋)になったようです。
上の写真で橋の中央部分が切れているのが判ると思います。日本の勝鬨橋 は1940年に完成しましたが、それよりも100年も前の1836年にトルコで跳開橋(跳ね橋)が出来ていたとは驚きです。
跳開橋(跳ね橋)と言えばアメリカのシカゴの橋はほとんどが跳開橋(跳ね橋)です。




ネット拝借→
勝鬨橋(日本)
勝鬨橋(日本)
下に地図で紹介します。
船の航路が沢山通っているところが跳ね橋(跳開橋)です。クリックするとGoogle地図を表示するので廻りも確認できると思います。

ガラタ橋は中央部分は跳開橋(跳ね橋)ですが旧市街地側は橋の下に人が行けるようになっています。そこには多くのレストランがあります。屋外には沢山の椅子が並べてありカフェテラスになっているのです。

柔らかなソファーを並べたカフェテラスもありました。いろんな工夫がされていました。

日が沈む時間帯に、橋の中央部分から旧市街地側の橋を撮ったものです。場所はトルコのイスタンブールです。長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通っています。船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっています。

青いマークのところが上の写真の撮影場所(海に突き出した橋脚部分)です。左下方向(南南西方向)に撮った写真です。沢山のカフェの中の一軒だけですが名前が判りました。
名前 Aruna Cafe
住所 Galata Köprüsü 34116 Turkiye, Turkey
電話 +90 212 511 4770
地図 http://goo.gl/maps/mbPft
より大きな地図で ガラタ橋 を表示
イスタンブールの猫ちゃんの記事を掲載させていただきましたが猫ちゃんといえば魚ですね。ガラタ橋の上からガラタ橋の北側の端のたもとに魚屋さんが沢山並んだ市場を見つけました。さっそく立ち寄ってみました。魚屋さんの数と魚の数に圧倒されました。

一枚の写真だけでは魚屋さんの数が実感してもらえないかと思い、更に一枚

魚たちも拡大してみました。この市場は大衆魚が中心のようです。なぜか大衆魚は日本の魚に似ているものがあります。

これが魚専門の市場の全景です。釣りで有名な橋のそばにありました。

中央の細長いテントの部分が魚市場です。沢山のお店が連なっていることが判ってもらえると思います。
こちらはエジプシャンバザールという超有名な市場の中の魚屋さんです。こちらは一軒でがんばっていました。

こちらはレストランに並べられていた魚たちです。一見同じように見えますがホウボウやカルカンなど高級な魚たちが並んでいました。イスタンブールの魚市場→Google検索

イスタンブールで有名なサバサンドが売られている場所がガラタ橋の南側の広場でした。ここで沢山の人が食べているのが名物のサバサンド です。昔は一個100円だったそうですがこの時は250円になっていました。それでも大人気です。

さばサンドを作っている船がこの場所に何隻も停泊していました。同じ服を着た人が数人でチームを作っているように見えます。作る人、運ぶ人、売る人、船の操作の人がいるようです。エミノニュ桟橋とガラタ橋のあいだで商売しているとネットで書かれていました。

遠くから見たサバサンド売りの船です。3隻のサバサンド船が停泊しているのがわかってもらえると思います。鯖サンドにはまったくソースは使われていません。焼き鯖と野菜をパンに挟んだだけのシンプルな食べ物です。
この場所が有名なサバサンドが食べれる場所とは知らないで、これらの写真を撮りました。もちろん写っている船がサバサンドを売っている船であることも帰ってから写真を見て知ったのです。夕方の暗い中での撮影の上、これらの写真は、ほとんどが大きな写真のほんの一部を切り取っているので解像度があまり良くないのが残念です。そしてサバサンドを食べることは出来ませんでした。

エジプシャン・バザールの近くの広場で金角湾にの側の景色のきれいな場所です。対岸の大きな塔は、この地区のシンボルガラタ塔です。

この広場では、いろんな屋台が出ていました。

これは焼き栗です。これは町中のいろんな場所でも売っていました。あのドーナツ状のパンの次に多い気がしました。

緑色マーク


のんびりした気持ちになりますね。
アジ、どうやって料理するんでしょう。
お刺身じゃないよね>
日本三大庭園の偕楽園に梅を見るために水戸に行ってきました。水戸と言えば水戸黄門で有名な常陸国水戸藩の第2代藩主の徳川光圀(1628年7月11日~1701年1月14日 水戸光圀)です。隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊がイメージされていると考えられていますが、実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく関東地方の範囲から出た記録は無いそうです。とは言え徳川家康の孫に当たり、徳川一門の長老として将軍綱吉期には幕政にも影響力を持ったことは史実です。上の写真は水戸駅の前にある水戸黄門の像ですが、テレビカメラで撮影されている方がおられました。カメラマン以外にスタッフらしい方も2人おられました。
水戸には家の最寄駅から船橋と柏を経由していきました。柏からは特急「フレッシュひたち9号」の自由席に乗りました。こちらが「フレッシュひたち」の車内です。
常磐線沿いには古い建物が沢山ありました。古い立派な建物を、これだけまとまって見たは久しぶりでした。
水戸到着寸前の偕楽園あたりの景色です。見えている湖は千波湖です。
水戸駅に着きました。この先に改札機があります。
水戸駅前です。冒頭の写真の水戸黄門と助さんと格さんの像は水戸駅前にありました。写真の真ん中あたりに「水戸黄門 助さん 格さん」の背中側からの像が小さく見えると思います。
光圀(義公)の生誕の地が駅の近くにあるらしいので、駅の近くを探していると「水戸黄門神社 義公生誕の地」の看板を見つけました。義公というのは死後に奉る名前である諡号(しごう)です。
義公生誕の地が水戸市指定文化財であるとの説明がありました。内容は下の枠内の通りです。
水戸市指定文化財 義公生誕の地水戸が生んだ不朽の傑人「水戸黄門光圀」(義公)は 初代水戸藩主頼房(徳川家康の第11子)の第3子で寛永 5年(1628)6月10日家老三木仁兵衛之次の邸に生ま れた。
母は谷氏(靖定夫人)といい義公の生誕を前にこの屋敷に 一粒の梅の実をまいた。義公生誕とともに芽生え、成長と ともに育ち、寛文7年(1667)義公40才の春 ここに賞花の 宴を催し「朽残る 老木の梅も 此宿のはるにふたたび あふぞ嬉しき」と詠んだ。歌に生母への思慕の情がうかがわれる。
水戸市教育委員会
光圀が三木亭で生まれた経緯は、光圀の母である久子は奥付きの老女の娘で、正式な側室ではなかった。久子は母につき従って奥に出入りするうちに頼房の寵を得て、光圀の兄である頼重を懐妊したが、久子の母はこのことに憤慨し、正式な側室であったお勝も機嫌を損ねたため、頼房は堕胎を命じた。同じく奥付老女として仕えていた三木仁兵衛之次の妻・武佐が頼房の准母である英勝院と相談し、密かに江戸の三木邸で頼重を出産したという。光圀を久子が懐妊ときも同様に堕胎の命令が出されたが、三木夫妻は主命に背いて密かに光圀を水戸の三木邸で出産させたそうです。「義公遺事による」
今は、町の中で昔の面影のものは残っていませんが、このあたり一帯が家老であった三木仁兵衛之次の屋敷であったのだと思います。とりあえず水戸黄門に関わる場所に来ることが出来ました。ちなみに水戸黄門は物語の題名でもありますが、徳川光圀が権中納言であったころの別称でもあります。
水戸黄門の生誕の地が駅近くにあるんですね。
大日本史を編纂されたと言われている「西山荘」まで行ってきました。
帰りには徳川光圀などの歴代のお墓にもお参りしました。
いいところに行かれたのですね。私も、是非とも西山荘に行ってみたくなりました。次の目標が出来ました。
もう終わってしまっていたのでしょうか。。。
水戸黄門ご一行の像は知りませんでした。
前からあったのですか?
いわきにある実家に帰るために、スーパーひたちはよく乗りますが、
フレッシュひたちは、まだ乗ったことがありません。
車内、きれいですね♪
ご指摘のように水戸偕楽園駅が使われていました。偕楽園駅の写真を撮らなかったのを後悔しております。私は逆で、昔は仕事で、よくスーパーひたちで日立を往復いたしましたが最近は乗ったことがありません。
やっぱり、水戸黄門のズンズズズ、ズンズズズ…というテーマソングが
いろんなところで流れていたりするのでしょうか?
テーマソングは気が付かなかったです。でも流れていてもおかしくないですね。水戸に着いた気分にさせてくれるはずです。
水戸黄門は以前、好きでよく見ていました。
その黄門様も、この世に生れてなかったかもしれなかったのですね。
ほんと、このようなエピソードがあったとは知りませんでした。結局は藩主になり現代でも名前が知れ渡っているとは創造もしなかったでしょうね。
鮮魚類がこうして豊富に並んでいると、なんだか嬉しくなるのは日本人だからでしょうか^m^
nice!です。
ほんと驚きました。沢山の魚が釣れるのだと思います。首都のど真ん中でこれほど新鮮な魚が沢山手に入る上に、沢山釣れる国は少ないと思います。
日本にもこんなところがあったらうれしいです。
nice! ありがとうございます。
イスタンブール魚市場のお魚の種類が素晴らしい。見たことのない魚もいますね。
イスタンブールという大都市で
こんなに簡単に鯵が釣れるのですね。
北に黒海、南にマルマラ海があり、塩分濃度も場所により深さにより違う環境が沢山の種類の魚が獲れる環境なのかもしれません。水がきれいなのに驚かされました。
ほんと、手間とひまがかかるものは高くなっていますね。
きれいな環境だからこそなのかもしれません。海が海峡でつながり栄養も豊富でプランクトンも沢山生息しているのかもしれません。
私も防波堤で小鯵をよく釣りました!
懐かしい思い出が蘇りました。
高い橋の上から、今晩のおかず!必死のようですね!
釣った魚をその場で売っている人々の様子や、小アジの新鮮さまで伝わってくる写真の描写も素晴らしいです。ガラタ橋が跳開橋であることも驚きで、歴史的背景と共に知ることができました。
とても懐かしく…感慨深かったです。
トルコは三大料理の中に入ってますが…本当に何を食べて
も…特に魚が美味しかった記憶があります。
アジ…美味しそうですね(^ω^)
今日も来ましたよ♪
訪問 ありがとうございます。
いい思い出ですね。
私も、小さい時に広島で、海に面した家に住んでいて、庭から下りて魚釣りをする父に連れられて歩いたことを思い出しました。
nice! ありがとうございます。
そう言えば、こんなに魚があるのに橋の上では猫ちゃんに出会えなかったです。ここに来なくても沢山魚が貰えているのだと思います。
いつもnice! ありがとうございます。
私も、このガラタ橋は周辺は魅力的な場所に感じました。ほんとすばらしい場所でした。ホテルからここまで歩いてきたのですが、その道も趣きがあって素晴らしかったです。
ガラタ橋が跳開橋でる使用個の写真を捜すのに苦労しました。大きな跳開橋なのに驚かされました。小アジはその場で唐揚げにして食べたら美味しいでしょうね。
トルコのことを思い出してもらって光栄です。素晴らしいところでした。イスタンブールではこの周辺は魅力的なところが多かったです。ほんとアジはその場で食べたくなるほど新鮮さに溢れていました。
訪問 ありがとうございます。うれしいです。