2020年04月01日

秦皇島は万里の長城の東の基点

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年3月30日追記 タイトル:入海石城の写真を追加しました。
クリックすると拡大
上の写真は中国河北省の秦皇島(しんこうとう)市にある万里の長城の関所にあたる山海関(山海关)と呼ばれている城砦都市の東の城門です。
この城門はGoogle地図上で東羅城あるいは東羅城門と記載されていました。住所は秦皇岛市秦皇岛市山海关区“天下第一关外”と書かれています。
アクセス解析を確認している時に10年以上前の本記事(2009年11月8日掲載)が検索されているのに気がつきました。最近はシステムが変わって検索ワードはほとんどクリックすると拡大表示されなくなったのですが、昨日(2020年3月29日)は古いバージョンのOSを使っている方と思われる検索ワードが右のように表示されました。そこでアクセスされている記事を下の画面で確認してみると255人の方が合計277回ほど「秦皇島は万里の長城の東の基点」という記事にアクセス(ページビュー)していたことが分かったので本記事を再掲載いたしました。きっとテレビで万里の長城の起点に関しての番組の放送があったのではないかと感じました。入海石城の写真も追加いたしました。検索ワードは「万里の長城 起点」と思われます。試しにGoogleやYahooで検索してみてください。もう一つ検索ワードは「ガスコンロ 交換 ブログ」と思われます。→ポチッ
記事初掲載 2009/11/08 閲覧   0 /nice  0 /コメント 0
記事再掲載 2020/03/30 閲覧 2,822 /nice 145 /コメント 28
2020/04/01 閲覧 3,278 /nice 208 /コメント 54
2020/04/05 閲覧 3,545 /nice 237 /コメント 54

こちらが2020年3月29日の24時間のアクセスの状況です。この時点のトップ記事の「新型コロナウイルス感染者の推移」のアクセスが134と多いのは当然ですが、10年前の過去記事がそれを越えて277件なのは驚きです。検索エンジンによる自動情報収集で検索数が多くなることはありますが、その時は訪問者数は少ないままなのです。アクセス数(ページビュー)に訪問者数が近いのは人が実際に検索してアクセスしていることなので、それだけ検索が3月29日にあったことになります。時間帯で見ると8時~17時のアクセスが130件/h(=1168件÷9h)に対して18時~21時のアクセスが235件/h(=704件÷3h)と1.8倍になっていることから2020年3月29日の17時~19時の間のTV放送が関係した可能性が高いと思われます。
クリックすると拡大

今までに掲載した万里の長城の記事を紹介します。着色文字のタイトルをクリックすると記事を表示します。右の私の写真はフィルム時代に初めて長城に行った時(1995年4月17日)の写真です。他は全てデジカメ時代の写真です。
クリックすると拡大 万里の長城は大渋滞
 断崖の上の長城 司馬台
 これぞ万里の長城
 南六楼では皆が友達
 万里の長城の雨樋
 入海石城
 秦皇島は万里の長城の東の基点
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大


2009年11月8日掲載 タイトル:秦皇島は万里の長城の東の基点
クリックすると拡大
クリックすると拡大この写真は万里の長城の東の基点(起点)が2009年11月3日に訪問した秦皇島の山海関(山海关)で最も大きな門の上に建っている建物(楼閣)です。その山海関(さんかいかん)は河北省遼寧省の省境に位置するクリックすると拡大万里の長城の東端にある要塞で、明代は北方民族である女真の侵入に対する防衛の要とされたそうです。大きな門に掲げてある「天下第一関」と称されていますが、クリックすると拡大これは山海関が、東から数えて最初の関所であったことを示しているそうです。ここから海の方に徒歩で6.8km行ったところで万里の長城は右の写真のように海に落ち込んでいます。そこは入海石城と呼ばれています。右の写真をクリックすると入海石城の記事を表示します。

門の強固さを感じていただくために再掲載を機会に写真を追加いたしました。これが東羅城あるいは東羅城門です。羅城門(らじょうもん)は、都市を取り囲む城壁である羅城(らじょう)の門の意味です。
クリックすると拡大

東羅城門のトンネルです。長さで城壁の厚みが分かっていただけると思います。こちらも追加した写真です。
クリックすると拡大

壁が大きいのでなかなか地上から全景がとれませんでした。こちらが地上から撮った写真の中でもっとも長城を実感できる写真だと思います。
クリックすると拡大

天下第一関の扁額が掲げられた建物(楼閣)がある城門の上に登っていく坂道から撮った景色です。要塞と呼ばれるだけのことはあって城壁は高く頑丈そうでした。城壁の上に建っている建物は牧菅楼です。山海関は明代の1381年将軍徐達が築いたとされ、北に燕山山脈を望み、東に渤海湾を望むところから山海関と名付けられたそうです。長城は、海に突き出している老龍頭から山海関を通り、燕山山脈の支脈角山へと続いています。大部分は1987年以降に修復されたものです。八達嶺長城の記事で紹介した、同じ形の雨樋がありました。
クリックすると拡大

城門の上に登る坂道です。城門の上の楼閣が見えていもす。この楼閣に天下第一関の扁額が掲げられいます。
クリックすると拡大

クリックすると拡大城壁の上に登って撮った景色です。遠くに見えている城壁の上の建物が上だも記載した牧菅楼です。城門の上は広くて右のような角度からの写真も撮れました。
万里の長城は、今まで国家文物局の発表(2009年4月18日)により東端の遼寧省虎山から西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8kmとされていたが、2012年6月5日に総延長は21,196.18kmと修正発表されたそうです。現存する人工壁の延長は6,259.6kmだそうです。
クリックすると拡大

こちらの写真も城壁の上を撮ったものですが、城壁の広さには驚かされました。いざと言う時は沢山の兵隊が守ったのでしょうね。
漢代は臨楡関と称され、明代に山海衛が設置された後に山海関と称されるようになったそうです。明末はヌルハチ、ホンタイジによる満洲族の侵入を阻止し、守将であった呉三桂が清朝に帰順するまで不落の要塞でした。再掲載を機会にクリックすると拡大するように設定いたしました。


城壁に作られたトンネルを見てもすごい要塞であったことがわかります。満州事変の舞台となった場所でもありました。その時に、初めて近代兵器によって陥落したとのことなので、単なる遺跡ではなく近年まで要塞として活躍した場所でもあったいうことになります。こちらの写真も拡大するようにいたしました。


この山海関は長城と城砦都市を囲む形でつくられていることが地図で表されています。城壁は、周囲は4.3km、高さ14m、厚さは7mあり、4つの城門とその上に楼閣が設けられた。「天下第一関」の額が掛けられている東の城門だけが現存していました。
クリックすると拡大

城砦都市の中心に鐘鼓楼がありました。
クリックすると拡大

山海関の航空写真を拝借いたしました。中央が上の写真の鐘鼓楼です。この写真を見ても山海関は要塞都市であったことがわかります。ここは皆さんが生活している場所でもありますが、2008年頃から街並みが復元され始めてたそうで観光にも力が入っている感じでした。これからは観光都市になっていくのでしょうね。

大きな地図で見る
posted by SORI at 12:37| Comment(54) | TrackBack(2) | 長城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大きな石造建築物ですね。
凄い要塞です。
Posted by nyankome at 2009年11月08日 10:14
わ~スケールが大きいですね。お写真でもそのひろびろとした大きさが伝わってきます。
Posted by まさみん at 2009年11月08日 10:36
nyankomeさん こんにちは
城壁の厚さには驚きました。大部分は万里の長城は山に作られていますが町の中だと、これだけ堅固にする必要があったのですね。
Posted by SORI at 2009年11月08日 11:36
まさみんさん こんにちは
初めての場所に行く時はわくわくしますね。これほどのスケールの関所とは思いませんでした。
Posted by SORI at 2009年11月08日 11:40
難攻不落とはこのような城壁の事を言うのでしょうね。

雄大だ。
Posted by 番長 at 2009年11月08日 13:17
番長さん こんにちは
城壁のすごさには驚きでした。ほんと近代兵器が出てくる前では攻略は難しそうです。
Posted by SORI at 2009年11月08日 14:18
城壁の高さ、スゴイですね。
町並みが復元され始めているんですね^^
行ってみたいです。
Posted by ケロリ at 2009年11月09日 01:55
ケロリさん おはようございます。
ほんと大要塞と言う感じでした。
復元された大通りは人が増えてくると昔の賑いが戻ってきて益々雰囲気が出てくる気がします。
Posted by SORI at 2009年11月09日 06:16
2年、北京にいたのに、本当に他の場所に行っていないんですよね。
ここにも行ってみたいと思いながら、思っているだけで
日本に帰国してしまいました。
私は1994年9月から1996年8月まで北京にいました。
その間、1995年8月に3週間だけ一時帰国しただけなので
この間に日本で起きた出来事はあまり分からないんです。
円高のいい時に留学していたなって思います。
Posted by youzi at 2009年11月09日 19:29
youziさん こんばんは
私が初めて中国に行ったのは1994年の9月でした。偶然にも同じ時なんですね。 その時のブログがこのアドレスです。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-05-27-4

同じ人たちが招待してくれたのがこの2つのブログなんです。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08-2
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08-1

youziさんも、すばらしい思い出になったのでしょうね。この秦皇島もその時(1994年)の人が1名来てくれました。
Posted by SORI at 2009年11月09日 21:36
本当に大要塞ですね。
しかし中国は観光するところが沢山なのですね・・・
Posted by チェロ♂ at 2009年11月10日 00:28
チェロ♂さん おはようございます。
確かに観光の場所は多いですね。でも広すぎます。移動がほんとうに大変です。ここのように町の近くであれば、いいのですが、町から一日がかりで行くところも多いです。
Posted by SORI at 2009年11月10日 03:53
とても壮観ですね~
Posted by 大善士 at 2010年03月21日 16:30
大善士さん こんにちは
コメントありがとうございました。すばらしいところでした。
Posted by SORI at 2010年03月22日 16:52
スケールがデカイですね!
Posted by koni at 2014年04月07日 11:41
koniさん おはようございます。
ほんとすごいスケールでした。平野部の長城は山が利用できないので、長城を大きくする必要があったのでしょうね。
Posted by SORI at 2014年04月07日 13:48
改めて万里の長城が巨大であると認識できますね。
古代中国の粋が凝縮されているようです^^
Posted by 昆野誠吾 at 2014年04月07日 15:45
中国はどこも巨大さを感じます。
悠久の歴史もやはり中国ですね。
もっと仲良くやっていきたいものです。
Posted by cocoa051 at 2014年04月07日 17:55
SORIさん、こんばんは。
2度行ったのに、ここまでは行っていませんでした。
万里の長城は巨大なんですね。
Posted by PENGUIN at 2014年04月07日 21:10
スケールが桁ハズレですね。
規模が違いすぎて、唖然とするだけです。
これだけのものが造る民族なのに、
もっと大きな器を持って欲しいものです。。
Posted by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 at 2014年04月07日 21:32
SORIさん おはようございます
ただただそのスケ-ルに圧倒
されますね~ 凄すぎます
Posted by kazu-kun2626 at 2014年04月08日 06:03
万里长城は見どころが色々な場所にあり、できれば、全部の場所を回ってみたくなりますね。
Posted by youzi_x at 2014年04月08日 08:06
昆野誠吾さん おはようございます。
近代兵器が登場するまで不落の要塞であったことが納得できるスケールでした。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:33
cocoa051さん おはようございます。
山間部の長城も趣がありますが平野部の長城は、また違った趣を感じさせてくれました。壁の厚さがすごいです。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:36
PENGUINさん おはようございます。
違った長城を見ることが出来てよかったです。この長城は海まで続いています。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:39
なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん おはようございます。
世界遺産の名にふさわしい建造物です。驚かされました。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:42
kazu-kun2626さん おはようございます。
近代兵器でも簡単には破れない巨大さがありました。確かにすごかったです。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:45
youzi_xさん おはようございます。
ほんと、すべての場所を見てみたいものです。海に近い平野部はここだけなので見る価値がありました。
Posted by SORI at 2014年04月08日 09:53
大好物~
Posted by リス太郎 at 2020年03月30日 10:18
25年ほど前に仕事で北京に行ったとき案内されて列車で行って、
秦皇島の万里の長城の東の基点で長城が海の中に入ってる所まで
見てきました。当然万里の長城も歩いてきましたよ。
Posted by 旅爺さん at 2020年03月30日 10:31
こんにちは~~
万里の長城……国1つを城壁で囲むなんて昔の中国は桁外れの考え方でした。
歴史が古いから見どころ満載の国ですが、昨年敦煌へ行った知人が赤痢になって帰ってきましたわ!
Posted by せつこ at 2020年03月30日 10:51
リス太郎さん おはようございます。
秦皇島に行ってから、万里の長城の東の端であることを知りました。
Posted by SORI at 2020年03月30日 10:59
旅爺さんさん おはようございます。
25年前にあまり知られていない場所まで来られたとはすばらしいです。いろんなところに行かれたのでしょうね。
Posted by SORI at 2020年03月30日 11:02
せつこさん おはようございます。
海外では日本では見かけなくなった伝染病にかかるひとが多いですね。私の周囲には海外に行く人が多かったので結構聞きました。身近な人の中でも一番厳しかったのが腸チフスでした。死ぬか生きるかの症状になりました。隔離病棟に1人だけ入っていましたが、なんとか持ち直しました。
Posted by SORI at 2020年03月30日 11:06
こんにちは。
万里の長城、一度行ってみたいところです。早くコロナ騒ぎが収まって、自由に旅行できる世界に戻ってほしいですね。そのために、日本人全体で自粛して頑張らないといけませんね。
ソネブロに参加していてよかったと思います。こういうときは、皆さんの記事で楽しめますし、色々いい情報もいただけますもの。皆さん教養のある方が多いので、楽しいです。
Posted by coco030705 at 2020年03月30日 11:13
coco030705さん おはようございます。
万里の長城には思い出が沢山あるので今までに掲載した記事を追記しました。
新型コロナが猛威をふるっている海外旅行はもちろんですが、国内旅行にも行けなくなりましたね。厳しい状態ですが感染防止を徹底して早く安心できる滋養隊になってほしいです。
Posted by SORI at 2020年03月30日 11:42
万里の長城は1度だけ体験しました。
コロナ早く収束してほしいもの。
問題は新薬ですね。
Posted by 夏炉冬扇 at 2020年03月30日 12:07
こんにちは。万里の長城は一度だけいったことありますがその時はゴールデンウィークだったのですが中国の人も休みかで人だらけでしたね。なのでこんなキレイな景色ではなかったです。
Posted by みぃにゃん at 2020年03月30日 12:21
こんにちは。
「ガスコンロ 交換 ブログ」の件ですが・・・
小生宅のガスレンジも交換時期なので興味あり。
じっくり拝観させて頂きます。
万里の長城、セカンドライフ時に訪問したい場所です。
構造物としての強度が心配ですが・・・
城壁の上部の広さには驚きますね。
写真、人影が見えないのが興味深いです。
フィルム時代かな?!?(=^・ェ・^=)
Posted by Boss365 at 2020年03月30日 13:00
夏炉冬扇さん こんにちは
初めて行かれたのであれば有名な八達嶺長城なのでしょうね。私も初めて行ったのは八達嶺でした。印象深くその時のことは今でも覚えています。水色の服を着た写真がその時の写真です。
Posted by SORI at 2020年03月30日 13:23
みぃにゃんさん こんにちは
ゴールデンウイークの時は混んでいたことでしょう。過去記事の「万里の長城は大渋滞」かまさにそのような状態でした。身動きできなくなりました。
Posted by SORI at 2020年03月30日 13:29
Boss365さん こんにちは
参考にしていただけるとは嬉しいです。
万里の長城には4度行きました。 その1回目のみがフィルム時代で水色の服を着た写真のみがフィルム時代で、他は全てデジカメで撮った写真です。有名は八達嶺は混んでいますが、他はさほどでもないのです。
Posted by SORI at 2020年03月30日 13:39
こんにちは^^
万里の長城は行って観たかったです。
スケールが桁外れですね♪
SORIさんは4回も行かれたのですね。素晴らしいです!
Posted by いろは at 2020年03月30日 15:12
中国はいろんな面で信じられな~いお国ですね(^_^;)
Posted by yokomi at 2020年03月30日 17:42
いろはさん こんにちは
長城に4回も行けたのは良かったし、場所的には3ケ所を見ることが出来ました。特に長さを感じけるところからの景色はすばらしかったです。
Posted by SORI at 2020年03月30日 17:52
yokomiさん こんにちは
秦皇島の長城は平地なので長城の厚みと高さは特別でした。
Posted by SORI at 2020年03月30日 17:54
中国の建造物には唯々おどろかされます。偉大な文化を持っている国なのにと今の状況を残念に思います。
Posted by JUNKO at 2020年03月30日 19:14
万里の長城、一度は自分の目で見たいと思ってますが
なかなか難しいかなぁ(⌒-⌒; )
あんな昔によくこんな壮大な建造物を作りましたよねぇ(°_°)
Posted by ニッキー at 2020年03月30日 19:39
JUNKOさん おはようございます。
万里の長城の建設では資材調達を行った山西商人たちが莫大な私財を作ったそうです。山西省の太原近くではその一端を見ることができます。
https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/archive/c2300601876-1
Posted by SORI at 2020年03月31日 06:40
ニッキー さん おはようございます。
エジプトのピラミッドと中国の万里の長城が世界の古代建築物の双璧でしょうか。確かに見る価値がありました。
Posted by SORI at 2020年03月31日 06:44
万里の長城は一度は訪れたい場所ですね~(^。^)
Posted by Rinko at 2020年03月31日 08:21
Rinkoさん おはようございます。
初めて万里の長城を見たのは1995年4月17日なので、もうすぐ25年目になります。中国訪問2回目の時でした。成田→北京→南京→北京→成田と移動して帰国の日は午後のフライトだったので車を用意してもらって早朝の5時にホテルを出発して八達嶺の万里の長城を見てから、その車で直接空港に向かって帰国しました。ちなみに初めて中国に行ったのは1994年9月19日でした。その時は中国に104回行くことになるとは想像もしていませんでした。
Posted by SORI at 2020年03月31日 09:08
お早うございます、薬師寺にコメントを
有難うございました。
地震が多い日本ですが、木造建築が修復を
繰り返し残っているのは素晴らしいですね(^^)v

万里の長城は一度見て見たいと思っています。
Posted by tarou at 2020年03月31日 09:09
tarouさん こんにちは
秦皇島の万里の長城は、我々がイメージしている山の尾根の長城とはまた違った趣があります。東野方向からの攻撃に対する防衛の要だったのだと思います。
Posted by SORI at 2020年03月31日 13:54
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック

入海石城
Excerpt: 先週、行ってきた中国の秦皇島のレポートの続きです。ここ老龍頭は、山海関から続いてきた万里の長城が、海に落ち込むところです。要塞である山海関から5kmの距離です。その先端部分が入海石城(にゅうかいせきじ..
Weblog: まっくろクロスケ
Tracked: 2009-11-08 17:12

北京で北京ダックを食べました。
Excerpt: 写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。 先日、安徽省の北京ダックを紹介したので、ここでは北京で食べた北京ダックを紹介いたします。 何度も北京に行きましたが、北京では有名な北京ダックを食..
Weblog: まっくろクロスケ
Tracked: 2014-04-29 12:22
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング