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中国最古の車馬坑をもう少し紹介します。ここには6台の馬車が展示されていました。

馬車の遺跡からは馬骨も発掘されました。

これは甲骨文字(こうこつもじ)の発掘の状態を再現したものです。ここの人に聞くと、ここにある甲骨文字は、すべてレプリカで、本物は、台湾や北京などに持っていかれたと言っていました。2006年7月に世界遺産に登録されてからは北京などに保管されていたものが、併設されている博物館に徐々に戻ってきているようです。

こちらが甲骨文字ですが、Wikipediaから転用させてもらいました。
甲骨文字は、殷の後期に使われていた漢字書体の一つで、現在確認できる最古の漢字です。古代中国で生まれ発達してきた漢字と、獣骨を用いる占い(占卜)とが結びついて文字記録となったもので、亀甲獣骨文字や甲骨文ともいうそうです。甲骨文字は古来から農民により発見されていたそうですが、価値を知らないため大部分は捨てられたそうです。清の国子監祭酒(文部長官相当)であった王懿栄が竜骨と呼ばれていた骨に刻まれた文字を1899年に発見したことで、価値あるものとして発掘が行われはじめたそうです。



甲骨文字(BC1600年~)とその後の時代の文字の比較です。金文(きんぶん)は青銅器の表面に鋳込まれた文字で、殷・周のものが有名で、年代的には甲骨文字の後(BC1300年頃~)にあたるそうです。さらに後の小篆(しょうてん)の起源は戦国期(BC403年~BC211年)の石鼓文に用いられた書体・大篆が直接の起源と言われています。BC221年に中国統一を成し遂げた秦は、各地方で独自に発達していた文字を小篆に統一したそうです。

こちらのケースの中をよく見てください。 ご安心をレプリカです。殷墟からは人骨も沢山発掘されたようです。

建物跡です。柱が再現されています。他の世界遺産に比べて見た目では迫力はありませんが、殷墟は約3500年前から3100年前の遺跡であることから残っているものが少ないので仕方だないのだと思います。その古い歴史に世界遺産としての価値があるのだと思います。

発掘場所も公開されていました。

殷墟からは沢山のものが発掘されたようです。発掘した時の状態も残されていました。

写真の右端の石碑には「甲骨文発現地」と書かれていました。日本語だと「甲骨文字発見場所」というところでしょうか。

大型の青銅器も発掘されました。その中で最も有名な「司馬戊」鼎の大きなモニュメントも入口にありました。実物は長さ1100mm、幅780mm、高さ1330mm、重さ875kgです。北京の博物館から、こちらの博物館に移設したと聞きました。

併設された博物館は景観に配慮してか半地下になっておりました。

左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で緑色に塗られたところが安陽市です。安陽市の人口は533万人で、人口密度は719人/km²の町です。埼玉県草加市が姉妹都市になっています。
河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳、郑州


殷墟を訪れた、初めて安陽に来た時は、初めての在来線での長距離列車の旅でした。今まで飛行機か車ばかりだったので8時間の列車の旅は新鮮でした。冷えた缶ビールを駅で買いこんで乗り込みました。つまみは日本から持ってきたスルメです。
ビールを飲んでいるのは我々だけ(日本人は一人)でした。外では、中国の人は宴会や会食以外は飲む習慣がないと言っていました。列車の写真は出発した湖北省の武漢の駅で撮ったものです。武漢の駅の売店でも冷えたビールは少ししか置いてなく、そのお店の人が別のお店に買いに行ってくれました。列車の中で飲む習慣がないのは事実のようです。驚いたのが、大型のスーツケースが網棚(荷台)に置けることでした。寝台ではなく軟座です。座り心地は新幹線よりはいいです。ただし座席は対面で、方向は変えられませんでした。対面の椅子の間に机があります。
途中から赤ちゃん連れの人が前に座り、その赤ちゃんにおしっこを少しだけかけられてしまいました。田舎はオムツなしなのです。安陽から北京も列車で移動いたしました。

記事を見てもらえるというのはうれしいです。ありがとうございます。
遺跡のある町を訪ねたいものです。
飛行機に比べるとすごく安かったです。武漢から飛行機だといったん上海まで飛んで上海から安陽の近くの鄭州に飛ぶので料金は十分の一以下でした。
台北でみた故宮博物館?
私も確信がなかったので、ネットで調べてみると台北の故宮博物館で甲骨文字が展示されていることが判りました。
と思っています。旅慣れた感じが良いですね。
中国と台湾の微妙な(?)関係をあらわしてる気がしました。
これからも、いろんな場所の記事を掲載いたします。
蔣介石が1949年に沢山の美術と一緒に台湾に移ったときの中の一つだと思います。物量的には台湾の方が多いのが凄いです。
ケースの中を見てもらえたのです。なかなか迫力のある展示でした。
レプリカだったんですね。
中国だったら、本物がおいてあってもおかしくないので
知らないとドキッとしますね。
さすがに3000年から3500年となると貴重なのでどこかに保管されているのだと思います。ただし、現在も続いている発掘現場が公開されており、そこには動物の骨がありました。それは本物かもしれません。
ここは、まだ行っていません。
そのうち行ってみたいと思います。
甲骨文字 初めて聞く言葉です(汗)
漢字の原点なんですね、勉強になりました~
甲骨文字が沢山発掘されることが有名でした。殷墟が世界遺産に登録されたのは2006年で、それから一般に知られるようになったのだと思います。
なにしろ3500年~3100年前の文字なので貴重です。木や紙では消えてしまったかもしれませんが、甲羅や骨だから残されたのだと思います。
3300年前の遺跡が残されているのはすばらしいです。甲骨文字が発見された場所なのも世界遺産に登録された理由の一つだと思います。
形の起源が意外なことだったりと
驚きの連続ですよね^^
漢字は進化してきたのだと実感させられます。文字や言葉を理解できることで、後世に、いろんなことを伝えて進歩してきたのだと思います。