

守礼門と首里城の歓会門の間に何気ない小さな石の門がありました。この小さな門が世界遺産である「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の中の一つのアイテムになっている園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。
世界遺産である首里城の中には沢山の門があるのに、首里城の一部ではなく、これだけが特別に取り上げられているのは不思議でした。
それには特別な意味がありそうなので、調べてみると、この門は国王が外出する際に道中の無事を祈った場所だそうです。
石門には琉球石灰岩が用いられています。
首里城自体の作られた正確な年代はわかっていませんが、この門は作られた年がはっきりしています。この石門は尚真王時代の1519年に八重山の西塘(にしとう)が建築したそうです。太平洋戦争で破壊されましたが昭和32年(1957年)に復元し、その後、昭和61年(1986年)に解体修理されたのが現状の門だそうです。

それにしても沖縄は難しい読み方が多いです。玉陵(たまうどぅん)もよめませんでしたが、沖縄では、なかなか読めない文字が多かったです。
ネットで見ていると園比屋武御獄石門と園比屋武御嶽石門の両方が出ていました。ネットで検索すると園比屋武御嶽石門の検索数は約55,000(92,400)件で園比屋武御獄石門の検索数は約35,800(16,400)件 でした。
門の裏側ですが、こちらが表なのかも知れません。
石門の背後にある森が園比屋武御嶽だそうです。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だったそうです。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っているそうです。 もともとは今より広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部だそうです。
御獄(御嶽 うたき)は聖地のことで、ウガン、ウガンジュ、オン、グスク、スク、ムイ、ワーなどと呼ばれ、沖縄の人にとっては、祈りの場所で聖地の象徴で、御獄は村を守る神様が宿るところとされていて、今もなお、守られ続けられているそうです。周りを森や樹木などで囲まれており、石積で囲ってある場所が多い。今でも参拝者が訪れているそうです。

下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
首里城(すいぐすく)
玉陵(たまうどぅん)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
中城(なかぐすく)
座喜味城(ざきみぐすく)
今帰仁城(なきじんぐすく)
識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき)
現地の人でも「ん?」と首をかしげる事多々アリです。^^;
もし、お嫌でなければ、池上永一著「テンペスト」を読んでみてください(文体・内容は賛否両論ですが・・・)。きっと、首里城でご覧になった建物・雰囲気を想像しながら楽しめると思います!
沖縄の読み方は難しいですね。紹介いただきありがとうございます。沖縄は楽しかったです。また行きたくなりました。
沖縄行った事がないのですが、素敵なところですね。
行ってみたいです。
来てみると魅力的なところが沢山ありました。
沖縄は意外と広かったです。北の端まで行けませんでした。
園比屋武御嶽石門は、私も行ったことあるけど、「これが世界遺産?」って思うような、知らないと素通りしてしまうとうな建物だったのを覚えています。
似ているようだけれども、それぞれが特徴があるため、見る価値がありました。順番に紹介する予定です。
ネットで調べて大切な門であること知りました。
建っているのですね。
その意味が分かると、見て回るのも
興味が出てきますよね。
どうして首里城の一部として登録していないのだろうと見た瞬間は思いました。大切な門だったのでしょうね。
そうすれば、もっと感慨深くなるでしょうね。。
SORIさんも色々調べられてますね。。
記事を書くときに調べてみます。調べるきっかけになります。でもご指摘の通り、先に調べていくともっと楽しいと思います。