2025年03月31日

シャンボール城 その3 螺旋階段編

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回は右の写真の一番最近のフランス旅行の中でのロアールの城めぐりの記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランスのロワール地方にある右の写真のシャンボール城に関してその1その2の2つの記事を掲載いたしました。クリックすると拡大その3として紹介したいのが、有名な上の写真の二重の螺旋階段(らせん階段)です。
二つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができます。二重の螺旋階段に関して現代のものですが、判りやすい写真がネットにあったので右に紹介します。シャンボール城の二重の螺旋階段は広々としており、シャンボール城見学のハイライトとなっており、クリックすると拡大城の最上部から照らし出されています。フランソワ王によってレオナルド・ダ・ヴィンチがイタリアからフランス招かれて晩年まで過ごした時期であることから階段を設計にレオナルド・ダ・ヴィンチの構想が反映されたと考えるのは自然なことですが、確認する手立ては見つかっていないそうです。
この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しいものですが日本にも存在します。それは、江戸時代である寛政8年(1796年)に建立された会津のサザエ堂です。本来は三匝堂(さんそうどう)ですが螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で栄螺堂(さざえどう)あるいはサザエ堂と呼ばれたそうです。
栄螺堂は二重の螺旋階段で江戸時代後期の東北~関東地方に多数作られたものですが、現存は6つで、クリックすると拡大外から螺旋階段がはっきり判るのは会津の栄螺堂です。クリックすると拡大
栄螺堂の二重の螺旋階段が独自に考えられたものか、シャンボール城の二重の螺旋階段の影響を受けたものかは判らないそうです。右の写真はWikipediaから転用させてもらった会津の栄螺堂です。堂の周囲が二重の螺旋階段になっています。
 シャンボール城 1519年~1547年建設
 会津さざえ堂  1796年建立

少し離れて見た二重の螺旋階段です。
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2つの階段が見える角度からの拡大写真です。
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シャンボール城を案内するガイドの方は、この螺旋階段の説明を必ず行うほど、シャンボール城の大切な存在となっているようです。
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建物の中央に二重の螺旋階段があります。北の塔と西の塔のそばにも螺旋階段があります。赤丸()の部分が螺旋階段です。


螺旋階段は中央の高い塔の上まで続いています。
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その螺旋階段の部分を拡大いたしました。この部分の螺旋階段のピッチから塔の部分の螺旋階段は二重ではないようです。
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螺旋階段の中心は吹き抜けの塔になっていて、その周囲に螺旋階段が巻き付いています。
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我々も説明を受けながら二手に分かれて登りました。


我々のガイトの方も登りながら説明をしてくれました。
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私はもう一方の階段を上ってみました。
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ここが中央の空間です。
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登りながら写真を撮りました。
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登ってきた方向を撮った写真です。
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上に行くと螺旋階段の周囲は透明のステンドグラスで周囲が覆われる状態になり屋上に出ました。ここから、さらに上の塔に螺旋階段が続きますが、非公開の部分のようで、我々は登ることができませんでした。


こちらが屋上への出入口です。
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屋上を見学した後、登ってきた二重の螺旋階段で下に降りるところです。
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中庭の北コーナーと西コーナーにも見事な螺旋階段がありました。2階から見た北コーナーの螺旋階段です。
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同じ北コーナーの螺旋階段の2階より上の部分です。
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全景を紹介したいので縦長の写真で紹介します。
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これが北コーナーの螺旋階段を下りてみました。この螺旋階段は一重であることが分かってもらえると思います。
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螺旋階段から1階に降りてみることにいたしました。
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こちらが1階から見た螺旋階段です。中央の二重の螺旋階段ほどではありませんが。こちらも見事な螺旋階段でした。
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posted by SORI at 18:24| Comment(18) | TrackBack(2) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャンボール城 その2 城内編

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回は右の写真の一番最近のフランス旅行の中でのロアールの城めぐりの記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに掲載させていただいた「シャンボール城 その1」ではシャンボール城の外観の写真を掲載させてもらったので、本記事「その2」では城内編としてシャンボール城を紹介いたします。上の写真はフランソワ1世の寝室です。シャンボール城はフランソワ1世の在位時代の1519年に建設が始まり、彼が亡くなる年まで28年間も建設が続きロワール渓谷最大の威容を誇る城となりました。建設が始まった当初はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城だったそうです。いずれにしてもフランソワ1世によって建てられた城なのです。クリックすると拡大フランソワ1世の主な居城はブロワ城とアンボワーズ城で、シャンボール城は狩りのための城であったことから在位期間に合計でも7週間という贅沢な城であったようです。狩り以外の目的は、自分の富と権力の巨大な象徴として宿敵カール5世(神聖ローマ皇帝)に見せびらかすことだったようです。
 フランソワ1世(フランス王)
  生涯 1494年09年12日~1547年03月31日
  在位 1515年01月01日~1547年03月31日 20歳~52歳

改めてシャンボール城の上空からの航空写真を掲載させてもらいました。その1での記事では航空写真は全て北方向を上にさせていただきましたが、回転させて城への入口か真下になるようにいたしました。
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シャンボール城の設計図です。シャンボール城は中央の本丸と、周囲を囲む壁のような長い建物と4つの巨大な塔から成りたっています。東と南のコーナーの塔は細長い壁のような建物と同じ高さまでです。
本丸は4つの大きな塔と中央の高い塔で形作っています。 城全体には部屋が440、暖炉が365、階段が74あります。本丸の中心に有名な2重の螺旋階段があり、そこをを中心に1階と2階に十字にホールを形成しています。


入口を入ってすぐの部屋です。城は全て石で出来ていると思われがちですが、意外と多くの城が、実は天井兼上の階の床の強度部材は写真のように木材で出来ているのです。
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同じ部屋の床に近い部分です。上の写真を一緒に見てもらうと天井が高いことが判ってもらえると思います。この部屋を出ると広い中庭に出ました。
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こちらか入口の部屋の前から右(北東)方向を見た景色です。ロワール地方には何十の城がありますが、シャンボール城はフランス王国自身が建設した数少ない城の一つでもあります。
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こちらは同じ場所から左(南西)方向を見た景色です。
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中央の本丸に相当する建物に圧倒されます。全体を撮ることは出来ません。城の上の沢山の塔に圧倒されます。
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こちらが中央の塔です。
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巨大な4つ円筒の塔の頂部の塔です。
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中央の少し右の部分が城の外から入って来た入口の部分です。フランス国旗で判ると思います。
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中央の建物に入ると、有名な螺旋階段に出会います。この二重らせんの階段は相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるので、広々とした階段はシャンボール城見学のハイライトでもあるので別途紹介したいと思います。
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階段脇の1階のへやです。最初に客を招き入れた部屋だと思われます。現在でも城の周りには、52.5k㎡の森林公園が広がり、31kmの壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息しています。昔はそのアカシカが狩猟の最大の対象だったようです。
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沢山の狩猟の絵と、沢山鹿の首のはく製が飾られていることからもフランソワ1世の狩猟のための城であったことが覗えました。
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中央の階段を中心に4方向にロビーが配置されていました。そのロビーの一つです。ロビーは石がむき出しに日程ました。一階のロビーの天井は木製で平でした。
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小さな部屋もいくつかありました。
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一階を見学した後は有名な二重の螺旋階段を上って2階に向かいました。


螺旋階段から見た先ほどのロビーです。
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そのロビーを拡大いたしました。
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別の方向のロビーの写真も撮りました。螺旋階段を中心にこのようなロビーが配置されているのです。
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2階にも同じようにロビーが配置されていました。ただし2階のロビーは天井が違います。アーチ状の天井に沢山の彫刻が彫られていました。
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これは螺旋階段を中心にした上の写真とは反対方向のロビーです。
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天井の見事な彫刻を紹介します。
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壁にかかっている大きなタペストリーを正面から撮りました。像も描かれていました。
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そのタベストリーを拡大してみました。牛の後足の部分です。
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城の中は沢山の廊下がありました。こちらの窓ガラスは見事でした。
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迷路のような廊下もありました。これはこれで見事でした。
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こちらの部屋の天井の飾りも見事でした。フランソワ1世の紋章であるサラマンダー(火とかげ)がたくさな彫られていました。
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正面から見た彫刻群です。
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ドアにもサラマンダーが彫られていました。
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その彫刻は拡大いたしました。左はフランソワ1世(François Ⅰ)のFだと思われます。右がサラマンダーです。サラマンダー(Salamander)は四大元素を司る四大精霊のうち、火を司るものです。手に乗る位の小さなトカゲ(もしくはドラゴン)のような姿をしており、燃える炎の中や溶岩の中に住んでいるとされています。もちろん想像の動物です。ただし実在する両生類の中に英名でSalamanderと名付けられた動物がいます。
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壁のサラマンダーの彫刻を拡大いたしました。
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この部屋の奥がフランソワ1世の寝室です。入口の奥にベッドが見えています。
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上の写真の入口から入ってすぐのフランソワ1世の寝室の景色です。
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フランソワ1世の寝室にはもう一つベッドが置かれていました。
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大きな暖炉がありました。暖炉は365基あったそうですが城が大きいく天井も高いことから城全体としては暖房が行き届かなかったそうです。
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ベッドがよくみえる角度からの写真です。
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もう一つのベッドもよく見える写真です。ほとんどの家具、壁掛け、食器などは狩猟旅行のたびに特別に持ち込まれたそうです。そのために多くの家具は、分解して容易に持ち運べるように考慮されていたそうです。。
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ネットの写真を確認すると、この絵の場所にフランソワ1世の肖像画がかけられていた時期もありました。
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椅子の飾りが心象的でした。
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こちらの天井ね木製でした。
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天井の写真をもう一枚紹介します。
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こちらのドアにもサラマンダーが彫られていました。
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別の部屋ですがフランソワ1世の肖像画が飾られていました。
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こちらはキッチンと思われます。広い城なのでキッチンも沢山あったと思います。城の周りには村や集落がなかっために、狩りの獲物の以外には食べ物も手に入らなかっことから、狩りのごとに2000人分を一度に運び込まねばならなかったそうです。
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キッチンのコンロが大きく写った写真です。窓の部分は水を使うところのようです。
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キッチンの暖炉です。
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こちらの部屋も見事でした。暖炉の上の絵はフランソワ1世です。フランソワ1世の後はされた荒れたそうですが、ルイ14世は巨大な本丸を改修し、城に調度品を備え付けさせたそうです。さらに300頭の馬の厩舎を作らせ、狩猟に出かけたり、モリエールなどの名士を毎年数週間滞在させたりできるようにしたそうです。
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赤い壁の廊下もありました。
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そこの石の飾りです。
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別の廊下も紹介いたします。こちらは石の壁でした。
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こちらも趣がありました。
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2階のバルコニーに出てみました。
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そのバルコニーからの景観です。
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上をを見上げると、こんな感じでした。螺旋階段の塔です。北のコーナーと西のコーナーにこの螺旋階段がありました。写真は北のコーナーの螺旋階段です。
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この後、屋上に上がり、その後に地上の中庭まで下りました。その中庭から同じ場所あたりを見上げてみました。上と同じ北のコーナーの螺旋階段を地上から見上げました。
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その知事要の中庭の同じ場所から別の方向を見上げた写真です。
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今まで窓ガラスは建物中からばかりの紹介でしたが、建物の外からの窓ガラスを紹介いたします。
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場所は違いますが内側から見た窓ガラスです。
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クリックすると拡大最も北側のコーナーです。ここでガイドさんから沢山の説明をしてもらいました。
この中庭では我々以外にも沢山の人達がガイドの人達から説明を受けていました。右側のコーナーの塔は螺旋階段です。
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離れて同じ場所を撮りました。
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中庭の端まで行って同じ場所を撮りました。
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中庭から建物中に入るための階段です。
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階段の中に入ってみると王室の馬車が沢山保管されていました。馬具もありました。
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手押しの井戸ポンプがあったので珍しくて写真を撮りました。
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中庭の端まで行って24mmの広角で撮っても中央の建物の全景が撮れません。
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上の部分を撮りました。
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4つある丸い巨大な建物の上の部分です。
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出口には売店があり、その売店で解散でした。その後は自由でバスでの待ち時間が決められていました。売店には沢山のワインやシャンパンが売られていました。写真には写っていませんが写真の左側の壁に沢山のワインが並べられていました。テーブルの上に並べられているのはシャンパンです。シャンパンはシャンパーニュ(Champagne)地方特産のスパークリングワインのことです。ボトルにはCHAMPAGNE NAPOLÉON TRADITIONと書かれています。Champagne地方で作られていることから正真正名のシャンパン / シャンパーニュということになります。Champagneはシャンボール城から西北西方向に直線で約100km(車で116km)の距離にある町で、フランス全体から見れば近い町と言えるため、こちらでシャンパンが売られているのが判ります。
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posted by SORI at 06:41| Comment(18) | TrackBack(2) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月30日

シャンボール城 その1 シャンボール城に到着いたしました。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回は右の写真の一番最近のフランス旅行の中でのロアールの城めぐりの記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行6日目のロワールの城めぐりツアーで2つ目に訪問したクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)の次の訪問地はシャンボール城(Château de Chambord)でした。シャンボール城はロワールの城めぐりツアーの最後の訪問場所でもあります。バスから降りて最初に見えた景色が上の写真です。
家と家の間にあるのがシャンボール城です。城の建物の部分に工事用の足場が見えます。どうやら補修工事が行われているようです。
シャンボール城は現在は、世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれていますが、1981年から2000年までは単独で世界遺産に登録されていたほどの城なのです。

地図内のバスの駐車場()から赤色ライン(━━)を通って城の建物入口( )に向かいました。本記事では城内見学前の散策ルート(━━)からのシャンボール城の写真を紹介したいと思います。
   バスの駐車場
     シャンボール城の建物出入口
     南東正面からの撮影位置    今回紹介
     北西正面からの撮影位置
 ━━ 城内見学前の散策ルート(行き)
 ━━ 城内見学後の散策ルート(帰り)


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家と家の間を進むと徐々にシャンボール城が大きく見えてきました。
実はシャンボール城に来るのは2度目でした。
初めて訪問したのは今から約19年4ケ月前の2005年12月4日でした。その時の近い位置からの写真が右です。
その時も同じマイバス社のツアーを利用させていただきました。
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民家を抜けて最初に見ることが出来た城の全景です。補修工事は残念でしたが、城の一部だけなのは幸いでした。
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上のシャンボール城の建物部分の全景の写真は、この航空写真の左端の少し上から撮ったものです。この航空写真の工事用の足場は現状に近いことから最近撮られた航空写真だと思われます。
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高い建物の右側にも回廊のような建物が続いています。クリックすると拡大
上の航空写真を見てもらうと判ると思います。この写真はクリックすると特別拡大するように設定いたしました。
19年4ケ月前の右の写真に近い構図はです。また訪問することが出来るとは思ってもいませんでした。今回は一眼レフなので写真を沢山撮りました。天気の方は前回と同様に雨模様でした。この写真はクリックすると、いつもより大きく特別に拡大するように設定されています。PCが画面に合わせる表示になっている場合は、出て来た拡大写真をさらにクリックすると拡大します。
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建物の真横に来ました。
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シャンボール城は沢山の特徴のある塔ががあることが有名です。
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この角度からの沢山の塔が見事です。
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さらに入口側の方に近づきました。シャンボール城の特徴の一つが多彩な塔が沢山あることですが、なんとその塔の数は365本だそうです。一年が365日と関係あるのかもしれません。
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丸い部分が城のコーナーの部分です。シャンボール城の建設は1519年に始まり1547年に完成しました。完成に28年を費やしたことは納得できる壮大な城でした。古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城で、ロワール渓谷最大の威容を誇りますが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城でした。その頃のフランソワ1世の、主な居城はブロワ城とアンボワーズ城でした。
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完全にコーナー部分まで来ました。右端にフランス国旗が立っている部分が城の入口部分です。こちらはクリックすると幅4倍(面積16倍)に特別に拡大です。
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Googleマップによるコーナー部分の上空からの3D航空写真画像です。


正面側に回り込みました。こちらもクリックすると特別に大きく拡大いたします。
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今回のガイドさんは説明が熱心なことから、これまでの2ケ所の訪問地のシュノンソー城クロ・リュセ城では写真を撮る時間が短すぎたことから、この時は事前にお願いしてシャンボール城の正面から城の全景が撮れる場所まで行く時間をいただきました。かなり遠くまで来ましたが24mmの広角でも、まだ全景が撮れません。それだけシャンボール城は巨大なのです。ロワール地方の城の中で最大の城が、このシャンボール城です。こちらもクリックすると特別に大きく拡大します。
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やっと正面から全景が撮れる位置まで来ることが出来ました。これが正面からのシャンボール城の全景です。こちらはクリックすると幅が10倍/11.7倍に拡大します。通常の拡大は幅で2倍(面積4倍)で、上の特別拡大が幅で3.5倍なので、10倍/11.5倍がいかに大きく拡大するかが判ってもらえると思います。クリックして出てくる写真はオリジナルのままで縮小しておりません。暗い中での遠くからの手持ち撮影なので手ぶれ機能は働いてはいますが解像度はもう一つです。それでも、このすばらしい城の雰囲気は伝わるのではないでしようか。
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中央の部分です。こちらも幅4倍(面積16倍)の特別拡大です。
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上の塔群の部分です。左右対称ではないことが判ってもらえると思います。こちらも特別拡大(面積16倍)です。
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近づいて撮った塔群です。こちらも特別拡大(面積16倍)です。
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こちらが右側です。
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そしてこちらが左側です。
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城への入口前からの左側の写真です。
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こちらが城への入口です。出る時もこちらから出てきました。青いブレザー姿の人がフランス文化・歴史、言語学を熟知したガイドの高橋保さんです。何人かの人が遠くまで撮影に行っている間、持っていただきました。
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posted by SORI at 18:54| Comment(28) | TrackBack(4) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クロ・リュセ城からシャンボール城への道

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回は右の写真の一番最近のフランス旅行の中でのロアールの城めぐりの記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大フランス旅行6日目のロワールの城めぐりツアーで2つ目に訪問したクリックすると拡大右の写真のChâteau Clos Lucé(クロ・リュセ城)の見学の後は、上の写真の駐車場から、パリからの日帰りツアー最後の訪問場所であるシャンボール城(Château de Chambord)に向かいました。写真の塀の右側がクロ・リュセ城の広い敷地です。

下記の地図でクロ・リュセ城(① )からシャンボール城(⑧ )へはに向かうルート(━━)を紹介します。そのルートから見ることが出来た景色を本記事に掲載いたしました。
   ━━━ クロ・リュセ城 シャンボール城 58km
 ①   クロ・リュセ城
 ②     Centre d'Accueil et de Soins du CDSAE Val de Loire
 ③     ショーモン城(Château de Chaumont)
 ④     ブロア城(Château Royal de Blois)
 ⑤     サン・ニコラ教会(Eglise Saint-Nicolas)
 ⑥     サン・ルイ大聖堂(Cathédrale Saint-Louis de Blois)
 ⑦ ━━ 水道橋のようなの構造物
 ⑧   シャンポール城


クロ・リュセ城(① )を出発してすぐにロワール川を南から北に渡りました。渡っている橋の名前はミシェル・ドゥブレ橋(Pont Michel Debré)です。この後、ブロアまでロワール川の北川岸沿いの道を走りました。
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ロワール川は車の右側にあります。景色の中で一番撮りたかったのがお城だったので、対岸の景色を注意深く見ていました。
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Centre d'Accueil et de Soins
かなりの時間、森ばかりでしたが、城らしい建物が、森の中にありました。
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ほぼ同じ場所で、もう一つ見つけました。撮影した時間から、場所をGoogle地図から探した結果リリ-・シュル・ロワール(Rilly sur Loire)という名の小さな町にあるCentre d'Accueil et de Soinsという施設の中央に建つ建物でした。上の写真の建物は、その施設に付属した教会(礼拝堂)でした。塔の上の飾り(風見鶏)をGoogleのストリートビューで探した結果、今回の施設名が判りました。
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Centre d'Accueil et de Soinsの航空写真を紹介します。中央の建物が上の写真で写っていた城のような建物です。左端に写っている建物が2枚上で紹介した教会(礼拝堂)です。この写真は回転させており左方向が北です。
中央に城のように立派な建物がある施設Centre d'Accueil et de Soinsは調べてみるとホームレス保護施設でした。根拠はこちらです。→ポチッ
さすがフランスです。広い緑の敷地の中に、すばらしい建物が点在していて、中央に城のような建物があるホームレス保護施設に驚かされました。クリックすると広範囲を拡大して表示します。
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ショーモン城(Château de Chaumont)
さらにロワール川沿いに進むと、念願の城を対岸に見つけました。城の名前はショーモン城(Château de Chaumont)です。11世紀の初めにブロワ伯爵のユーデス2世によって建てられたそうです。
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ショーモン城を拡大いたしました。
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上のショーモン城の2枚の写真はレンズをズームした撮りました。本来、目で見る景色はこちらの写真です。中央より少し右にショーモン城が写っています。
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ショーモン城があった町の名前はシューモン・シュル・ロワール(Chaumon sur Loire)のですが、その町の川沿いの景色を3枚紹介します。
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中央に教会があります。
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シューモン・シュル・ロワール側に渡る橋がありました。この先、ブロアまで橋はなく、深い森に覆われていて対岸に建物も見ることはありませんでした。
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ブロア城  ⑤ サン・ニコラ教会  ⑥ サン・ルイ大聖堂
ブロアの町まで来てミッテラン橋でロワール川を渡りました。そのミッテラン橋の上から見た景色です。私はバスの右側に座っていましたが、その席からレンズの焦点距離260mmで左側を撮った写真です。一眼レフだから撮れたと思います。中央の建物がサン・ニコラ教会(Eglise Saint-Nicolas)で左にブロア城(Château Royal de Blois)の一部が写っています。サン・ニコラ教会の右側に写っているのはサン・ルイ大聖堂(Cathédrale Saint-Louis de Blois)です。ブロア城は13世紀から17世紀にかけて造られた建物が中庭を囲むような形で構成されています。クリックすると文字なしの拡大写真を表示します。
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水道橋のようなの構造物
バスの前方に石造りの高架が見えてきました。直感的に水道橋ではないかと感じました。Googleの航空写真で水道橋のようなの構造物の痕跡がある部分に橙色ライン(━━)を引いてみました。
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原型を留めている部分で最も長い水道橋と思われる部分です。
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さらに水道橋と思われる部分に近づきました。バスは速いスピード走っているのでこれ以上鮮明な写真を撮ることは出来ませんでした。
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この橋が水道橋かどうかを確認するために断面となる部分をGoogleのストリートビューで探してみました。水を流すような構造に見えることから水道橋の可能性が高いと思われます。したがって、これ以降は水道橋と呼ばせてもらいます。この水道橋は、私にとって小さな発見でした。
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この水道橋はロワール川を渡っていました。現在は、川の部分では橋脚のみが残っています。航空写真上のアイコンマイナスを2回クリックすると拡大されるので判りやすいと思います。



水道橋からシャンボール城(⑧ )までの景色を紹介します。
立派な建物もありました。
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住宅地に入ってきました。
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長い石積み塀がありました。おそらくシャンボール城の境界の塀だと思われます。シャンボール城はロワール地方の城の中で最も広い敷地なのです。
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石積みの塀とつながって建物がありました。シャンボール城に関連した建物だと思われます。
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シャンボール城の駐車場に到着いたしました。ここでも小さな子供たちが沢山来ていました。
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ラベル:ロワール 車窓
posted by SORI at 10:00| Comment(30) | TrackBack(0) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月29日

クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
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先の記事で紹介した通りフランス旅行6日目のロワールの城めぐりで洞窟レストランでの昼食の後に行ったのがクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)です。本記事でクロ・リュセ城を紹介したいと思います。この建物は15世紀半ばに建てられ、1490年にシャルル8世のものとなり王妃アンヌ・ド・ブルターニュが王族として最初に住みました。このクロ・リュセ城はフランス王フランソワ1世が幼年期を過ごした城でもあります。しかし、最も有名なのはフランソワ1世がイタリアから招いたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が1516年から晩年の1519年まで住んだことだと思います。
 ヴァロワ朝フランス国王
  第7代 シャルル8世  1470年生まれ 在位:1483年~1498年
  第8代 ルイ12世    1462年生まれ 在位:1498年~1515年
  第9代 フランソワ1世 1494年生まれ 在位:1515年~1547年 
 クロ・リュセ城の説明(Wikipedia) → フランス語 日本語翻訳

離れて広い庭の方からクロ・リュセ城を撮りました。
こちらのクロ・リュセ城には11年前の2005年12月4日にも訪れたことがあり、その時は「ダ・ヴィンチが暮らした家」というタイトルで記事を掲載いたしました。2005年はクルーの館(Manoir du Cloux)と呼ばれていたと思います。
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広い庭が南南東方向に広がっていました。
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城の敷地を紫色ライン(━━)で囲いました。ただし敷地境界線は航空写真で控えめに判断いたしました。森さらに広がっていることから、もっと広い範囲が城の領地である可能性があります。
  クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)  ━━で囲った範囲 
  駐車場
  ━━ 駐車場~クロ・リュセ城(クルーの館) クロ・リュセ通り 337m


民家のような建物も敷地内にありました。こちらの建物も歴史がありそうです。
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見学は右の塔から入り2階の渡廊下を通って建物の中に入りました。
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2階の渡廊下は、このように城につながっていました。
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建物の反対側からの写真です。
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城に付属した建物を撮りました。
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角度を変えて撮ってみました。
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上で紹介した写真の場所が判るように、航空写真を3Dにしたものを紹介します。
画面の拡大/縮小/移動が出来ます。


城の中に入るために見学ルートの入口である塔を登り、2階の渡廊下を進んでいるところです。
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2階の渡廊下には可愛らしい小学生たちが並んでいました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)
いきなりレオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)に入りました。立派なベッドが印象的でした。
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暖炉の上の紋章が印象的でした。
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暖炉の上の紋章を拡大いたしました。王冠があることから、この紋章はヴァロワ朝の紋章だと思われます。ヴァロワ朝は中世フランス王国の王朝で1328年から1589年まで続きました。1328年にカペー朝が断絶したため、カペー家の支流でヴァロワを所領とするヴァロワ家からフィリップ6世が即位してヴァロワ朝が始まったそうです。
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マイバス社のツアーのガイドの方がいろいろと説明してくれました。ここにはルネサンス時代のベッドや戸棚がそのまま保存されているそうです。
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こちらの椅子もルネサンス時代だと思います。
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今回のバスツアーで最初に訪れたシュノンソー城と同じように生花が各部屋に飾られていました。
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沢山の見学者が来られていました。
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こちらの戸棚も見事でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルの寝室(La chambre de Marguerite de Navarre)
レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなった後のことですが、フランソワ1世の姉のマルグリット・ド・ナヴァルが住んでいた時代もありました。こちらの部屋は壁のレンガが印象的でした。
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天井の梁やシャンデリアが特にすばらしい部屋でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルはクロ・リュセ城でエプタメロンを執筆したそうです。エプタメロン(七日物語)は72篇の短編から成る物語で、彼女の代表作でもあります。マルグリットはエプタメロンを1542年から執筆し始めたそうです。
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見事な皿や壺も展示されていました。クリックすると拡大いたします。
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美しい窓も印象に残りました。
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立っているのはガイドの高橋保さんです。
フランス文化・歴史、言語学に詳しい方でした。
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折りたたみの椅子が珍しくて写真に撮りました。これもルネサンス時代のものだと思われます。
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錫製の皿や蓋つきジョッキも展示されていました。このジョッキでビールを飲んでみたいです。
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1階の最初の部屋
2階から1階に降りました。
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階段を降りたところに置かれていた棚の説明も受けました。
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これが、その棚です。
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壁には見事なガラスの皿が飾られていました。
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その見事な皿を2つ紹介します。
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もう一枚の皿です。
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真白の生花です。
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廊下の天井の梁やレンガの壁や窓も芸術的です。
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天井の梁には飾り模様が描かれていました。
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小さな礼拝堂がありました。これは幼い子どもを亡くし悲嘆にくれていたアンヌ・ド・ブルターニュのために建設されたチャペルだとされています。壁にレオナルドの弟子にあたる人物が4つのフレスコ画を描き、そのフレスコ画のひとつが、城の名称である「クロ・リュセ」の由来ではとの意見もあるそうです。
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1階広間(La grande salle)
居間として使われたのでしょう。
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こちらのテーブルの上の生花も見事でした。
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クリックすると拡大レンブラントの像が置かれていました。
下の写真は上の写真と反対側です。
レオナルド・ダ・ヴィンチを紹介します。
 正式 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
    Leonardo di ser Piero da Vinci
 誕生 1452年04月15日 フィレンツェ共和国 ヴィンチ
 死没 1519年05月02日 フランス王国 アンボワーズ
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フランソワ1世の像も置かれていました。
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こちらの飾り棚も見事です。
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こちらの椅子も写真を撮りたくなるほどの物でした。
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沢山の昔の家具が置かれていました。
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キッチン(La cuisine)
こちらはキッチンです。子供たちも沢山見学に来ていました。
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広いキッチンでした。
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歴史を感じさせてくれるものばかりでした。
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こちらの金属の食器も印象に残りました。
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子供たちも印象に残りました。
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さらに下の階に降りる階段がありました。
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歴史を感じさせてくれる窓ガラスでした。
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レオナル・ド・ダビンチに関わる展示
半地下の階にはレオナル・ド・ダビンチに関わる展示が行われていました。
沢山の発明品がありました。こちらは大砲でしょうか。
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斬新な発明品に溢れていました。左は自転車のようです。
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子供たちは特に熱心に見ていました。
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建造物の設計図も展示されていました。
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地下に降りる階段がありました。レンブラントが住んでいたクロ・リュセ城とフランソワ1世国王が住んでいたアンポワール城は地下通路でつながっています。
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今回のクロ・リュセ城()をはじめとするロワールの城めぐりの訪問場所を紹介します。パリからのロワール城めぐりツアーのルートはパリ(マイバス社) ➡ シュノンソー城 ➡ La Cave aux Fouées(ランチ) ➡ クロ・リュセ城 ➡ シャンポール城 ➡ パリ(マイバス社)でした。
 ━━━ パリ→シュノンソー城 239km
    マイバス社パリ事務所
    シュノンソー城
     La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
     クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)   別呼名:クルーの館(Clos Lucé)
     シャンポール城

ラベル:ロワール
posted by SORI at 20:57| Comment(36) | TrackBack(1) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)から見たアンポワール城(Château d'Amboise)

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。
フランスのマルセイユの記事を掲載してきたので、今回は右の写真の一番最近のフランス旅行の中でのロアールの城めぐりの記事を順次紹介していきたいと思います。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行6日目のロワールの城めぐりで洞窟レストランでの昼食の後に行ったのがクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)です。クロ・リュセ城は少し前にはクルーの館(manoir du Cloux)と呼ばれていた時期もありました。フランス国王であったフランソワ1世が幼少時代に住んでいた、このクロ・リュセ城から見えるのが上の写真のアンボワーズ城(Château d'Amboise)です。この日は生憎の雨模様でした。

パリの旅行会社であるマイバス社さんの手配のバスで着いた駐車場()から赤色ライン(━━)を歩いてクロ・リュセ城()に来ました。アンボワーズ城()との位置関係を下記の航空写真に追記いたしました。
   クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)    ━━で囲った範囲 
   アンボワーズ城(Château d'Amboise) ━━で囲った範囲
   駐車場
 ━━ 駐車場~クロ・リュセ城(クルーの館) クロ・リュセ通り 337m


駐車場からクロ・リュセ城(クルーの館)までの道を紹介します。ただし駐車場に戻るときに撮ったのですべて振り返った景色です。そして道路の右側がクロ・リュセ城(クルーの館)の敷地です。正面に見えているのが駐車場です。
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道の途中には古い民家もありました。この建物は売り出されていると言われていました。
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右の高い建物はクロ・リュセ城(クルーの館)の一部です。道の名前はクロ・リュセ通り(Rue Clos Lucé)です。
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クロ・リュセ城(クルーの館)への入口から、さらに奥を撮りました。この方向にアンポワール城があります。ここから少し先でレオナール・ペロー通り(Rue Leonard Perrault)とヴェクトル・ユゴー通り(Rue Victor Hugo)に分かれて、いずれもアンポワール城につながっています。
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こちらがクロ・リュセ城(クルーの館)です。フランス国王であったフランソワ1世が幼少時代に住んでいました。さらにイタリアからフランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年まで過ごした城でもあります。クロ・リュセ城に関しては近いうちに紹介したいと思います。→ポチッ
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クロ・リュセ城(クルーの館)の敷地からは、この写真のようにアンポワール城が見えました。
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ズームでアンポワール城を大きく撮ったのが冒頭の写真でした。
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上の写真の右の方のアンポワール城の石垣あたりを拡大いたしました。
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城らしい塔のある部分を拡大したのがこちらの写真です。奥にロワール川が流れています。
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アンポワール城の敷地を航空写真で見てみました。左上に見えているのがロワール川です。


Googleマップのストリートビューで見たアンポワール城の敷地内の景色です。クロ・リュセ城から見えていた細い塔があるたてものが左端に写っています。


こちらはロワール川の対岸からストリートビューで見たアンポワール城です。
ラベル: ロワール
posted by SORI at 14:39| Comment(16) | TrackBack(3) | ロワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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